江草 乗の言いたい放題
コラムニスト江草乗の日記風エッセイ
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2016年09月25日(日) |
民進党の自滅について |
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民進党は蓮舫を代表にしてしまった。他にまともな人材がいなかったということもあるが、あの悲惨な民主党政権の失政を思えば国民の信頼を取り戻すことは永久に無理だろう。その上今回あろうことか蓮舫を党首にしてしまった。これでもはや民進党の命運は尽きたとオレは思っている。いずれ旧社会党のように滅びていくのだろう。民進党がそうして滅んだ後に、自民党に対抗しうる野党は共産党と日本維新の会しか残らないとオレは思っている。
どうして民進党の代表が蓮舫ではいけないのか。それは彼女が嘘つきだったということである。国籍の問題に関して彼女は公然とウソをついていて、その後「アレは真っ赤な嘘でした」と謝罪することをしなかった。
この件に関してサヨクの論客たちは「国籍なんて関係ない」「外国には二重国籍の政治家も居る」「グローバル化の時代に国籍云々はナンセンス」という主張をして蓮舫を擁護している。オレもその主張には同意する部分が多い。ただ、そうした主張をしてもよいのは堂々と二重国籍を公言していた場合のみである。彼女はそれを隠していて、暴かれてからあわてて台湾籍からの離脱を表明したのである。
政治家にとって大切なのは信頼である。富山市の市会議員たちが政務調査費の稚拙な不正を告発されて次々と辞職している。ウソをついて税金をだまし取っていたということで辞職しているわけだが、国会議員としての蓮舫がその経歴に「日本と台湾の二重国籍の状態にあります」と記載しなかったことは経歴詐称ではないのか。その場合、党首云々ではなくて、当選を無効にされるようなことではないのか。2003年の衆議院選挙で当選した古賀潤一郎はその後ペパーダイン大学卒業という経歴がウソであったことを暴かれ、党から除名された後に議員辞職している。蓮舫も二重国籍を隠したまま政治活動を行っていたことを謝罪する気持ちがあるなら議員辞職すべきである。
日本は台湾・中国との間に尖閣諸島の領有に関するトラブルを抱えている。もっとも問題視しているのは中国や台湾の側だけであり、日本にとってそこは昔から領土だからこれは「中国・台湾からの言いがかり」である。ところが蓮舫は民主党政権時代にこのことに関して「領土問題」と発言している。尖閣が日本固有の領土であるという前提に立てば、そこには領土問題など存在のしようがない。ところが蓮舫がここで「領土問題」という発言をしたということは彼女が中国や台湾側の主張に肩入れしている売国奴か、単なる馬鹿かどちらかということになる。前者なら国会議員としてふさわしくないし、後者で会っても国家の選良としてまことにふさわしくない。いずれにしても恥を知るならさっさと議員辞職して、改めて日本国民として選挙で信を問うべきである。もちろんこれまでついてきたウソをお詫びした上で。
日本人は議論ができない民族である。それは意見の中味ではなくてそれを言ってる人が誰かと言うことを常にモノサシにしているからだ。たとえばパリ人肉食事件の佐川一政さんが連続幼女誘拐殺人犯の宮崎勤に対して語ったとき、世間はその意見の中味を問題にするのではなくて「おまえが言うな」という論調だった。一度人を殺した人間はたとえ更生したとしても一生元人殺しと呼ばれ続けるのが日本という国なのだ。一度不倫をした人間はずっとそのレッテルを貼られたままだし、一度覚醒剤を使った人間も同様である。もちろんオレはそれが日本人の国民性であると思っている。あくまで意見の中味よりも語ってる人の人格で判断するのだ。田代まさしがいくら更生を語ったところで基本的に信用されないのが日本という国なのである。
蓮舫は国籍に関してウソをついていた。この事実は永久に変わらない。そのウソは政治家としての自分を有利にするためのものであった。そのウソつきを党首にしてしまった。その結果、党として「ウソつきに対して寛容な政党」というレッテルを貼られることとなった。もっとも消費税の増税に反対するマニフェストで圧倒的勝利を収めたくせに増税の法案に賛成した旧民主党のことは、すべての国民が「ウソつき政党」と感じているわけだから、ここで党首がウソつきの代表として就任することはまことに似つかわしいことかも知れない。いっそ民進党という党名も変更して「大嘘党」などの名前でやれそうもない政策をほざいて国民をあきれさせるお笑い政党としてやっていけばいいのかも知れない。
民進党がこうしてコケた今、日本には自民党に対抗しうる野党は共産党と日本維新の会のみになってしまったのである。
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2016年09月19日(月) |
マスコミはなぜ稲田朋美のインサイダー取引を許すのか? |
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インサイダー取引とは何か。少なくとも政治家にはこの言葉はちゃんと理解しといてもらいたい。その昔、菅直人という馬鹿総理がいた。彼の不用意な発言のたびに為替相場は大きく動いた。その時に思ったのだが、「こういう発言をすれば為替はこう動く」ということがわかってるのなら、菅直人には黒幕がいて為替取引で莫大な利益を得てるのじゃないか・・・ということだった。
もっとも後で彼がただの馬鹿だったことがわかってオレの心配はただの杞憂だったわけだが。金儲けのためにあの発言をしていたのなら尋常ならざる策士なのかも知れないと当時のオレは本気で疑っていたのである。
政治家がもしも株取引や為替相場で儲けようと思ったら、どんな発言でどんな株が動くかを予測したうえで、あらかじめ先回りして買ったり空売りしておけばいいのである。政務活動費の領収書をごまかすとかいうセコい方法ではなくて、確実に数十億のゼニを合法的に稼げる方法である。しかも日本ではインサイダー取引はやり放題である。たまに検挙されてる人がいるが、あれは証券取引等監視委員会が「いちおう仕事はしていますよ」というアリバイつくりのためのただの生贄であり、本気で取り締まるには人員も熱意も全く足りない。
オレがこの日記で過去に取り上げた大規模なインサイダー取引疑惑、たとえば新興不動産のジョイント・コーポレーションの破綻劇とか、アーバン・コーポレーション倒産にからむBNPパリバの増資疑惑とか、明らかに投資家を食い物にした犯罪としか思えない事件はこれまでに多く起きている。インサイダーの規模も数億や数十億だ。しかし、それらについて取り上げた大手マスコミは一つもなく、すべてがスルーされたのである。新聞記者たちに株取引の裏側まで理解する知識が欠けていたということも大きい。信用倍率のことや逆日歩のこと、増担保のことなど記事にしても読者も理解できないだろう。
オレのようなただの個人トレーダーが見ていて明らかにおかしい取引であってもマスコミはいつもスルーなのだ。きっと世間には巧妙に隠蔽されたインサイダー取引は無数にあるだろうし、日本ではアメリカのように巨額の罰金を科されることもない。たとえば防衛大臣の稲田朋美の夫が、自衛隊にかかわりの深い三菱重工や川崎重工業の株主であることは明らかに問題である。防衛大臣の発言ひとつでこれらの企業の業績は大きく変化するのだ。それをなぜ許してるのか。これはもしもアメリカなら政権が吹っ飛ぶような問題なのである。どうして日本はそれを問題視しないのか。
防衛大臣就任がわかったのならば、仮に株を取得した時にそんな可能性があるとは思っていなかったとしても、防衛関連の株は即座に売却してしまうのが政治家としてのただしい身の処し方である。どうしてそうしなかったのか。それがインサイダー取引であるという認識が全く欠けているからであるし、政治家は決して訴追されないという傲慢さが見え隠れするのである。
日本のマスコミには正義や良心などない。いくら東芝が会計上の不正を行っていても絶対に「粉飾決算」とは書かない。きっと「広告料がもらえない」とか「電通には逆らえない」とか思ってるのだろう。NTTドコモが「dマガジン」というサービスをはじめてわずかな月額料金で雑誌が読み放題というサービスを始めたが、あんなものがビジネスモデルとして通用するのは雑誌がそもそも売り上げに頼っていないからである。今の出版業界は雑誌本体の売上冊数よりも、その雑誌が公称何部売れてるかということで入ってくる広告収入をあてにしてるのであり、広告業界には絶対に逆らえないのである。
大手新聞もすでにページの半数以上が広告で埋まっている。全面広告を打つ連中の中には投資詐欺の輩まで混じっている。もちろん広告の中身に決して新聞社は責任を持たない。以前に「SPF」(スイスプライベートファンド)という詐欺集団が元本保証年7%という全面広告を読売新聞などに出していたが、連中が検挙された後も新聞社は広告を出したことの責めを受けることはなかった。オレのような個人投資家が「こんなの絶対ウソだろう」と思って疑うようなものでも新聞社は金さえもらえれば掲載して読者に金銭的な被害を与えてきたのである。
政治家にも逆らえないし、もちろん広告業界にも逆らえないくそマスコミは、稲田朋美をインサイダー取引だと追及することなどない。せいぜい芸能人の不倫ゴシップを報道したり、有名人のレイプ疑惑や覚せい剤使用を報道する程度のことしかできない。オレはかなり前に新聞の購読をやめてしまった。職場にあるから朝日新聞や毎日新聞を読むことはできるが、それはマスコミの馬鹿さの程度をはかるために読んでいるのであって、こんなものにゼニを払う価値などないと日々改めて感じているのである。
NHKの朝ドラ「とと姉ちゃん」の中で唐沢寿明演じる出版社編集長は「記事の内容を左右されたくない」と広告の掲載を断固拒否する。あんな信念を持った真のジャーナリストはもういないのだろうか。正義や良心はネットの中にしか存在しないのか。
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2016年09月16日(金) |
覚醒剤常習者には必ず実刑を! |
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大量の覚醒剤を所持していた高知東生容疑者の判決が、懲役2年執行猶予4年となったわけだが、オレはこのような判決を聞くたびに腑に落ちないものを感じるのである。清原和博も執行猶予だった。「覚醒剤の初犯は執行猶予」というお約束を見直す必要があるのではないか。そもそも20代の頃から常習のオッサンに対して「執行猶予」をつける裁判官はどうかと思うし、野球の世界で多くの人に夢を与えてきた清原選手に「執行猶予」をつけるのもどうかと思うのだ。「あなたのしたことは他の一般人とは意味が違うのです。野球を愛するすべての人たちを裏切ったのです!」と言って実刑判決を下して欲しかったのである。
フィリピンでは麻薬や覚醒剤の流通に関わった人間がどんどん処刑されてるという。そのやり方に対して異論を差し挟む人も多いが、オレはそもそも麻薬の売人なんかはみんな死刑にすればいいと思ってるので基本的にそのやり方に賛成だ。そしてあまりにも罰則の軽い日本でも、せめて再犯を防ぐためのなんらかの方法を取り入れて欲しいと思ってるのである。
覚醒剤の常習者であるか、それこそ生まれて初めて使ってみただけであるかということは調べればすぐにわかる。「執行猶予」というのは前者を救うためのものであり、20年も覚醒剤を使い続けてきたDQN野郎が「捕まるのははじめてだから」という理由で「執行猶予付き」の判決になるということは、司法側の怠慢以外の何ものでもない。常習者か初犯か、それは大きな違いなのだ。
飲酒運転の取り締まりは無作為に通行するクルマを駐めて行われる。こういう形で覚醒剤検査も無作為に行ってみたらどうか。芸能人の薬物汚染がひどいのならば、芸能人は率先して薬物検査を行って、検査を拒否するヤツは仕事をやらなかったらいいのである。大阪市はバスや地下鉄の乗務員だけではなく、全職員の尿検査を実施すればいいだろう。公僕として公務を執行する者がシャブ中では困るのである。
国会議員も全員を検査すべきだ。多くの職業で「薬物検査」を実施して包囲網を狭めていき、使用者を撲滅していけばいいのである。警察は「おとり捜査」などを行って、買い手のふりをしてネット上にいる売人に接触していけばいい。空港で密輸犯を見つければ中味をすり替えて捜査に協力させるのだ。もしもそれに応じなかったら懲役20年とかぶち込んでやればいい。「中味が何だか全然知りませんでした」とほざく女子大生も20年くらい刑務所にぶちこんでやれ。そういう連中を無罪にする裁判員どものせいで薬物汚染はますます広がってしまうのである。オレなら絶対にそういう言い訳は認めないだろう。
大阪府警が本気で麻薬や覚醒剤の撲滅をしようとしないのは、おそらく警察の幹部に暴力団とつながりがあって捜査の手を緩めて「共存共栄」をはかってるからだろう。もしも警察と暴力団のズブズブの関係が暴露されたら大変なことになる。それを隠すのが「組織の論理」なのである。高知白バイ事故とかからもわかるように、嘘をついてでも組織を守ろうとするのは連中のいつもの行動原理である。一般人がカローラで路上駐車してると駐車違反の切符を切られるが、ヤクザがパチンコ屋の前に堂々と駐めている黒塗りのベンツは取り締まられないのは大阪の日常である。
西成では生活保護受給者がもらった福祉マネーの多くが覚醒剤の購入資金にされている。支給日の直後は売人がたくさん路上にうろついている光景を見かける。オレの様な一般人でもそのことに気がついてるのに、放置してる警察にはどういう意図があるのだろうか。オレはそれが不思議で仕方がないのである。大阪というのはもしかしたらとんでもない闇を抱えているのかも知れない。
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2016年09月12日(月) |
認知症の徘徊にどこまで対処すればいいのか? |
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以前に認知症の男性が線路に入り込んで列車にはねられた事故で、鉄道会社が家族に監督責任があるとして賠償を請求した訴訟があった。この訴訟では結局家族には賠償責任はないということになったが、どこか割り切れないものが残ったのもまた事実である。認知症の男性が高速道路を逆走したりして起こした事故も責任が問えないのだろうか。仮に家族が認知症を知っていて放置した場合はどうなるのだろうか。オレはまだ全然問題ない母親から運転を取り上げ免許を返納させた。もしも事故を起こしたら・・・と思うと心配だったからである。
認知症の女性が勝手に抜け出して徘徊し屋外で死亡していた時、施設は管理責任があるのだろうか。逃げ出さない様に鎖で縛り付けないといけないのか。毎日新聞の次の記事を読んでオレは複雑な気分になった。
<認知症>徘徊し女性死亡 通所先施設に賠償命令 福岡地裁 毎日新聞 9月9日(金)22時59分配信 徘徊(はいかい)癖があった認知症の女性(当時76歳)が通所先のデイサービスセンターから抜け出し、そのまま死亡したのは施設側の責任として、女性の夫ら遺族3人が施設を運営する社会福祉法人「新宮偕同(かいどう)園」(福岡県新宮町)を相手取って計約2964万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、福岡地裁(平田直人裁判長)は9日、施設側の過失を認めて計約2870万円の支払いを命じた。 判決によると、女性は2012年11月にアルツハイマー型認知症と診断され、13年12月から施設に通い始めた。14年1月23日昼ごろ、施設非常口から抜け出し、3日後に施設から約1.5キロ離れた畑で死亡した状態で見つかった。司法解剖で死因は凍死と判明した。 平田裁判長は「施設職員は女性に徘徊癖があることを認識しており、見守る義務があるのに違反した。施設は職員を指導監督するべきだった」と指摘。施設側の「抜け出しても死亡までは予見できない」との主張を退け、「徘徊すれば独力で帰ることはできず、低体温症で死亡することは十分あり得る。義務違反と死亡に因果関係がある」と結論づけた。【吉住遊】
この事件で裁判長は遺族側の請求をほぼ全額認めて2870万円もの支払いを命じている。オレはこの判決には全く納得できない。仮に施設に落ち度があったとしてもそれは抜け出すことを防げなかったことだけであり、それでも1.5キロも歩けるような元気なお年寄りが徘徊してるのだから畑で凍死していることなど全く予想もできないと思うのだ。そしてこの訴訟を起こす遺族に対してもオレは納得がいかない。もしもオレがこの遺族の側だったとしたら何を望むのか。施設の外に逃げ出さない様に拘束していたらそれで満足するのか。世間ではそれを「虐待」として扱うだろう。
徘徊して帰れずに死亡してしまったということは不幸な出来事だ。しかしそれはあくまで不幸な事故であり、誰かに責任を求めて賠償させるという意味のものではないはずだ。いなくなったことに気がつき、一緒になって探してくれた施設の職員が見つかった老女の遺体の傍らで「見つけられなくてごめんね」と涙を流していたら、もしも亡くなったのがオレの母であったとしてオレはその職員を責めることなどない。誰の責任でもなくそれは不幸な事故だからだ。どうしてこういう出来事にまで「誰かの責任」を求め、そして「賠償金」を要求するのか。どうして悲しみを静かに受け入れるというだけで済ませられないのか。
その老女が一家の大黒柱でその収入に家族が支えられていたわけでもないのに、その過大な賠償額はいったいどういうことなのか。オレはこの訴訟の目的がわからないのだ。オレが施設側の人間ならばこのような裁判を起こされたことについてものすごく残念に思うし、もう認知症の人を受け入れたくないと思うだろう。そこまでのリスクを負うくらいなら断った方がいいと思うだろう。こんな判決を出すことでどれだけ世間に影響が出るのか、この裁判官はわかっているのだろうか。
オレの父親は死ぬ直前まで意識がはっきりしていて最後まで普通に会話ができた。自分の近親者の認知症に悩まされたことは一度もない。伯母は最後は認知症になったが、オレが最後に対面したときはまだ意識ははっきりしていて普通に会話ができた。だから認知症のことを語れるほどの体験があるわけではない。オレのこの文章を読んできっと反論する方もいるだろうし、そうした意見があれば傾聴に値するとオレは思っている。
今回の判決を受けて施設には賠償責任が発生する。2870万円ものゼニを賠償させられる施設にオレは深く同情するのである。
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2016年09月09日(金) |
おにぎり100円セールの欺瞞について |
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オレはよくセブンイレブンやローソンなどのコンビニを利用する。そこで買うのは主に軽食としてサンドイッチやお好み焼きやおにぎりなどである。おにぎりの100円セールがあるとけっこう喜んで買っていたのだ。しかし、その100円セールの内幕を知って、自分が大きな勘違いをしていたことに気づいたのである。あの100円セールというのはコンビニ本体は全く損をせずに、下請け業者を一方的に搾取して赤字を背負わせる悪魔のような仕組みなんだと。そして日本のコンビニの利益というのが、経営者個人を過労死させたり破産させることで生み出されてきたものであったことに激しい怒りを覚えるのである。
今の「コンビニ」という仕組みは、もうかってる元締め以外をすべて不幸にするシステムに他ならないということをオレは訴えたいのだ。バイトも、納入業者も、コンビニオーナーも、流通業者も、すべてを犠牲にして元締めだけが莫大な利益を上げているという実態をなぜ問題にしないのか。どうしてどう考えても違法な契約が放置されているのか。コンビニオーナーの家族を奴隷のように労働させることのどこに正義があるのか。
たとえば原価70円のものが売価100円(粗利益30円)で販売されているとする。その100円のものを80円に値下げセールするとすれば、普通なら30円の粗利を10円にしていると思うだろう。しかしそれではコンビニ本体の利益は減ってしまう。それで値下げセールを行う時は仕入れ価格も値下げさせるのである。20円値下げするなら、納入価格も値引かせ、つまり70円で納入していた商品を56円で納入させられるのだ。
ぎりぎりまで経費を削って製造していたものが、こうしてさらに値引きさせられたら納入業者の中には赤字になるところも出るだろう。常識で考えて欲しい。そうして値引きさせられてるのに、セールならたくさん売れるからさらに赤字は拡大する。そして粗利はそのままだから、本来下請け業者が得られるはずの利益がまるごとコンビニ元締めのものになってしまうのである。こんなひどいことがあるだろうか。このようなひどい仕組みのおかげでセブンイレブンなどは大きく利益を上げてきたのである。
このようなひどい商慣習をいつまでも放置していることが正義だとはオレは思わない。どこかにまともな考えのコンビニチエーンの元締めが居て、そしてバイトもオーナーもみんなが幸せになれるけど元締めはあまりもうからないという仕組みを構築するならどれほどすばらしいことだろうかと考える。日本には多くのコンビニチェーンがある。それらのコンビニの中で、、もっともオーナーのことやバイトのこと、下請け業者のことを大事にしている思いやりのある元締めはどこなのか、それをオレは知りたいのだ。これからはそのコンビニで買おうと思うからだ。できるだけ悪徳でないコンビニが生き残って欲しいと思うからだ。
百貨店が衰退し、大手スーパーが衰退して、今はコンビニが隆盛を極めているがいずれそれも通販に取って代わられるだろう。そうして世間の勝ち組はどんどん移り変わっていく。しかし、オレは百貨店には百貨店のよさがあると思うし、スーパーにはスーパーのよさがあると思う。それぞれの業態が守備範囲を守りつつ、上手に棲み分けていけばいいと思うのである。そして今のコンビニ元締めが行ってる搾取の構造を是正できるのは国の指導しかない。
巨額の政治献金を受けている自民党は決してこのような法整備をしないだろう。だったら司法の場で今の構造の問題点を叩き、裁判官は理不尽なその仕組みを訴えたコンビニオーナーたちの叫びに耳を傾けるべきだ。ゼニのある人間の味方をするのが普通のこの世の中で、正義を実現できる力を持ってる人たちが、ちゃんとその力を行使することでしか弱者は救われないのである。
参考文献 コンビニ値引きセールの実態
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2016年09月06日(火) |
JR東海の卑怯なやり方 |
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井戸を掘って大量の地下水を取水すると地下水位が低下して地盤沈下につながる可能性がある。最近はスーパー銭湯とかの目的で深い井戸を掘って温泉として利用してる様だが、その被害がどれくらい出てるのか、被害があった時になんらかの補償がなされているのかオレはまだニュースで見たことがない。日本中にたくさんあるスーパー銭湯の中には地盤沈下の引き金になってるところもきっとあるだろう。
JR東海が鳥飼車両基地の中に井戸を掘ろうとしていて、その敷地は摂津市と茨木市にまたがっている。摂津市とJR東海の間には環境保全協定が結ばれている。これは50年前に地下水のくみ上げすぎで地盤沈下が起きた時に締結されたものらしい。ところがJR東海は茨木市とはそうした協定を結んでいないようなのである。それで卑怯なJR東海は、敷地の中のある茨木市と摂津市の境界ぎりぎりのところ(いちおう茨木市側)に井戸を掘ろうと考えて、それで摂津市が抗しているというのだ。確かに井戸のその場所は茨木市だが、隣接の摂津市にも影響があるのではないかというまっとうな抗議である。
境界ぎりぎりのところに迷惑な施設などを作ってしまい、その被害を隣接自治体に押しつけて知らんぷりというのはよくあることだ。たとえば建設工事中の大間原発の隣接自治体は函館市になるわけだが、海峡を隔てているせいか函館市民の強い反対は無視されっぱなしなのである。大阪市も巨大なゴミ焼却場を大和川の南にある飛び地のようなところに建設し、今は絶賛稼働中である。阪神高速で三宅出口のところを通ると、燦然と夜空に排気筒の照明が輝いている。この大阪市のゴミ焼却場で燃やした煤煙は、ほとんどが周辺の松原市の方に落下する。もちろん風向きの関係で大阪市の方にも流れるかも知れないが、迷惑施設を隣の自治体に押しつけたという事実は否定できない。ただ、自前で焼却施設を持たない松原市から大阪市がゴミ処理を委託されてるという関係でもあるので、一方的に迷惑施設を引き受けてるということにも当たらないわけだが。
JR東海はなぜ「井戸を掘る」という方法に至ったのだろうか。一度掘ってしまえばあとはその水を永久にタダで使えるという算段なんだろうか。もちろん大量の水をくみ上げればなんらかの異変が周辺で発生する可能性があるのは当然のことで、その因果関係が証明されなかったら被害を受けた住民は行政を訴えることになるかも知れない。摂津市がJR東海に対して異議を申し立てるのは当然のことであり、茨木市がその問題をスルーしているのはただ行政側がボンクラなのか、JR東海との間になんらかの裏取引があるのかどっちかだと思うのである。
JR東海はこれからリニア新幹線の工事を行う予定である。その工事で必ず地下水脈がズタズタに切断され、名水が消滅する一方で関係ないところで水が出たりなどのことが起きるだろう。掘り出した土砂はどこに捨てるのだろうか。すでに起きている山梨の実験線でのさまざまな周辺での被害に対してきちっと賠償してるのだろうか。
これからの未来は人の移動を不要にする社会である。レジャー以外の人の移動がどんどん不要になる中で、新幹線をもう一本建設することの意味がどこにあるのだろうか。オレはそんなことを思うのだ。もしも輸送容量が不足するのならば、こだまを廃止して在来線に料金の安い特急を走らせればいい。三河安城とか岐阜羽島とかいう利用者の少ない駅は廃止すればいいのである。在来線を切り捨てる形で地方に広がる新幹線網は、短距離の鉄道利用者をさらに減らしてしまうという結果を常に生んできた。
JR東海がリニア新幹線の建設ではなく、軽井沢→名古屋間に中部新幹線を建設して東海道新幹線の補完路線の役割を果たさせようとしていたならオレはその計画に賛成しただろう。諏訪、中津川に中間駅を設けてそこで在来線と乗り換えできればそれは観光にも大いに役立っただろう。かかる費用も工期もリニアに比べれば驚くほど安く早く、しかも大地震の被害も心配しなくてもよかったのである。
オレが生きてる間にリニア新幹線は完成しないと思うが、もしも完成したとしてもそれは中央構造線の地殻変動でそんなに長くは持たないだろう。リニア新幹線運行中に地震で大きな断層が発生し、リニアの軌道を直撃するならば、時速500キロで移動中の乗客は一人も助からないだろう。史上最悪の鉄道事故が起きることは確実である。
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2016年09月03日(土) |
水害はどうやって防げばいいのか? |
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台風のために東北、北海道で大きな洪水被害が起きた。このような被害が起きるといつも話題になるのは「治水工事の有用性」である。台風の多い西日本に比べて、そうした災害のための対策をしていなかったから今回、北海道や東北の被害は大きかったのだろうか。答えは否だと思う。予測を超えた大雨やそれによる洪水被害を100%防ぐために完璧に治水工事を行って、堤防をかさ上げし、川をコンクリートで固めればいいかというと決してそんなことはない。必要なのは情報が行き渡って避難できることであり、今回の洪水被害も犠牲になったのは避難できなかった高齢者たちではなかったか。
雨量が多ければ徐々に水量は増す。これだけ降ればこれだけ水が増えるというのは予測可能な数値だ。雨量計と連動して避難対策が行われればいいわけで、そこで無理に「洪水が起きない様に治水工事を完璧に」なんて考えない方がいい。ダムによる治水対策は、そのダムが地震などで決壊する可能性を考えれば絶対に行うべきではないとオレは考えている。日本中にこれだけ多くのダムが存在しながらやはり水害が起きるということ、そして過去にはダム本体を越水による破壊から守るために放流した結果.下流で甚大な被害が起きていることを思えばやはり「ダムでは水害は防げない」ということは立証されている。
今ここで警戒しないと行けないのは、与党議員の中の土建屋とつながりの深い連中が「台風被害からの復興」という名目で予算を引っ張ってきて、その一部を自分たちへの献金に変えてフトコロにいれてしまうことだ。迅速に復興予算をつけることと同時に不正なゼニのやりとりがおきてしまうのである。水害被害という痛ましい出来事を、自分の金儲けのチャンスとしか考えてない外道政治家が、残念なことに日本にはたくさんいるのである。そういうクズによって日本の政治は動かされているのである。
洪水の起きた地域の上流の山林はどうなっていたのだろうか。豊かな森林が洪水を防ぐとオレはいつも思っている。崩れた箇所はどういう場所だったのだろうか。そうした検証無しに復興はありえないと思っている。
もしも土建屋にばらまくゼニがあるのならば、そんなことはせずに農業被害の補償にあててもらいたい。農業をしていた方々が被害の大きさに復興をあきらめて廃業してしまうということをできるだけ防ぎ、収穫前に洪水で失われた分を金銭補償してあげてほしいのである。そこを安易に輸入で補うなんて考えないことだ。農業という産業を保護することは我々の社会が持続可能な発展を遂げるためにも絶対に必要なのである。そこにゼニをかけないようではこの国の未来は暗いとオレは思うのだ。
三大鍾乳洞のひとつと言われる岩手県の龍泉洞の地底湖が溢れ、内部の水が激しく噴き出すという状況になってるのをオレはニュースで知った。あの激しい水流で内部の鍾乳石はどれだけ破壊されてるのだろうか。観光資源として価値の高い場所であったことを思うと、鍾乳洞マニアのオレとしてはとても悲しいのである。あの透明度の高い神秘の地底湖が元通りになることを強く願うのだ。
水害はどうやって防げばいいのか・・・と書いたが、実際は防ぐことなんてできない。防げないものだから、起きてからどうするかと考えるしかない。地震以外のすべての自然災害は起きてしまってからなんとか復興を考えるしかないのかも知れない。起きてから考えるというのが間違ってるのは原発事故だけである。国土が永遠に失われる可能性のある原発など、絶対に増やしてはならない。近隣に原発を立地させるということは、事故の時に永久に故郷を失うというリスクを背負うことである。そんなリスクを背負ってまで受け入れないといけないことを原発関係者は誰も教えてくれなかった。
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