江草 乗の言いたい放題
コラムニスト江草乗の日記風エッセイ
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ご愛読ありがとうございます。「江草乗の言いたい放題」は読者100万人を目指す社会派コラムです。一人でも多くの方が読んでくださることで、執筆意欲は倍増します。ぜひ、お友達に勧めて読者数UPにご協力ください。掲示板へのご意見の書き込みもお願いします。
2014年06月30日(月) |
危険な運転は即座に死刑にしてください |
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脱法ハーブを吸引して運転していた馬鹿が歩道に突っ込んで歩行者をはねとばす事故が池袋で起きた。飲酒運転にしても覚醒剤でおかしくなったシャブ中の馬鹿の起こす事故にしても日本では「殺人罪」は適用されずにかつては「業務上過失致死罪」という驚くほど軽い罪名で裁かれていたのである。そのためにアル中の馬鹿が酩酊運転で追突して子ども二人を焼死させても検察側の求刑の懲役5年に対して、一年割り引きの懲役4年という判決を下すほど裁判官も大甘だったのである。
もしももっと早い段階で、「こんなものは殺人と同じですね」「車は走る凶器、飲酒運転は殺人と同じ」という解釈でどんどん殺人罪が適用され、犠牲者の多い場合は即座に死刑ということになっていれば、少なくとももっと飲酒運転などは減っていたような気がするのだ。もしもそういうルールなら「飲んだら乗るな」という交通標語は「飲んで運転したら死刑」という表記に改められていただろう・
脱法ハーブも覚醒剤もきわめて習慣性が強く、一度はまるとなかなか抜け出せない。中毒から抜け出せなくなった廃人はもう基本的に世の中の役に立たない存在である。しかもそいつが中途半端に金持ちならそのゼニはヤクザの資金源になるわけでろくなことがないのである。また貧乏な人間が中毒になると,手に入れるためには人殺しでも強盗でも平気になってしまうわけでこれもまた始末に負えない。何度も逮捕される芸能人や元スポーツ選手を見ていると「一度やったらもう終わりだな」と思うのである。
覚醒剤使用中の運転や脱法ハーブ吸引運転は「市民に対する無差別テロ」だとオレは思っている。それは刃物を持って秋葉原で暴れることと基本的には同列だ。そして、そういう異常者には間違いなく死刑が言い渡されるわけで、だったら自動車の運転にも適用してもいいとオレは思うのだ。
もちろんそれらの脱法ハーブを無責任に売ってる業者は厳罰を受けるべきだと思うし、その客が起こした事件や事故に関しては販売した店に責任を取らせるというのも一つの解決法だと思う。変な客に売ったために自分が死刑とかいうことになれば、全く割に合わないビジネスということになってしまうわけで、それで業者が壊滅するのならばそれはそれでいいことである。
酒やタバコという嗜好品は一応世の中で認められていて、なぜ覚醒剤や脱法ハーブはいけないのかとなると、その線引きにはいったいどのような根拠があるのかオレにはわからない。オレはタバコを吸わないし、覚醒剤や脱法ハーブはもちろん知らない。世の中には「マリファナは害が少ないから合法化しろ」と主張する人々もいる。そもそも世間の多くの人はマリファナなんか知らないわけで、それを客観的に判断する材料には乏しいわけである。アメリカでは飲酒運転と同じくらいにマリファナ運転が起きていて、事故につながってるのだろうか。そのあたりも知りたいのだが、ただアメリカではそうした運転による事故で人を死なせた場合の罰は日本とは比べものにならないほど重い。
それにしても薬物中毒とかで世間に迷惑を掛けるようになった連中の更生や社会復帰のためのコストは一般の納税者が負担させられ、それらを売って稼いだ連中は税金など払わないというのもオレには納得がいかないのである。全くもって理不尽な話である。そういうクソどもが稼いだ利益はすべて没収して国庫に入れ、もちろん死刑なども適用して「犯罪は引き合わない」ということをわからせてやるべきだ。そんなことをあれこれとオレは考えているのである。薬物の影響で廃人になった人を社会復帰させるためには莫大なコストがかかる。そのコストは、それらを売って稼いだ連中のすべての財産を没収してあてるべきだとオレは考えるのだ。死刑にして、その死亡保険金でまかなわせるもの一案である。もちろんそんな暴論が認められるわけもないことも承知の上である。いやその前に、そもそも死刑になった時にも死亡保険金なんてものは支払われるのだろうか。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 投票博物館
2014年06月23日(月) |
自民党のセクハラ都議を除名せよ |
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今日本が直面してるもっとも大きな問題は「少子高齢化」である。この問題は政治家の誰もが真剣に取り組まないといけない。しかし東京の都議会議員はみんなクソだったようである。晩婚化や晩産化の対策について質問した女性都議に、議場から「自分が早く結婚すればいい」「産めないのか」といったヤジが飛んだ。議員だけではな舛添知事も笑みを浮かべていたということである。少なくともこの連中は今の少子高齢化について何も考えてないし、変えようとも思っていないということがよくわかる。それだけではない、女性を蔑視し、「少子高齢化」という国家の一大事を、一人の女性の問題にすり替えてしまったという点でその野次を飛ばしたクソ野郎の罪は万死に値する。
ところが自民党の側は、発言者を特定することもなくこの問題をうやむやに済ませようとしている。もしもこのままうやむやにされてしまったら、これは都議会だけの問題では済まなくなる。日本という国家の姿勢が世界から問われているということがわからないのか。このような大きな問題を不問に付すということは、日本では女性に対するセクハラ発言をしても全くお咎めなし、人権意識の低い情けない国家ということになってしまうのだ。世界に対して顔向けできなくなってしまうのである。
なぜ働く女性が子どもを産めないのか。それは保育所の不足や産休・育児休暇の取りづらさ、不安定な雇用形態などがある。東京都のような大都市でも保育所に入れない待機児童が解消しない。既得権益を離したくない連中は新規の保育所の建設を妨害する。そいつらは政治家とつながっているわけで、これらは実は政治家の利権問題なのである。だからこそ自民党の都議は少子化対策などしたくないのである。そんなことに触れてもらいたくないから汚い野次で問題をすり替えるのだ。
第1子出産時の平均年齢は東京がずば抜けて高いのはなぜか。その結果、晩産化による不妊治療を受ける女性が増加しているという事実を他の都議はどの程度理解しているのか。そして、不妊治療を受けて出産しようとしている人たちをなぜ東京都はもっとサポートできないのか。全くそんな気はないし、票にならないことなどしたくないのである。選挙で勝つために有効なのは必ず投票に行ってくれる暇な老人票であり、老人たちにとってこうした問題など基本的にどうでもいいのである。
発言者は未だ特定されていない。もちろん声紋分析などをすれば明らかになるだろう。ここでなぜそのクソ議員は自己の発言の不明を恥じ、都庁舎の前で土下座して都民に詫びる等の行動を起こさないのか。幸いに自民党本部がかばってくれているのでこのままバレなかったらいいか!とそのままシラを切り通すつもりなんだろうか。これは都議として恥ずかしいどころか、人間としてクズである。バレなかったらいいという発想はひき逃げ事故などを起こす飲酒運転野郎と基本的に同じだ。そこまでのクズが都議にいることが驚きなのである。そんなクソ野郎を選んでしまうという点で、そこまで東京都は民度が低いのかとあきれてしまうのだ。その都議を選んでしまった区の住民も同罪である。
議会というのは議論する場である。そこで大切なのは発言者の主張に真摯に耳を傾け、そしてその意味を考えることではないのか。そんな基本的なルールをおまえは学ばずに都議になったのか。塩村文夏都議の発言を静聴するのではなく、罵声を浴びせて妨害したその行為は議員としてというよりは、むしろ人間として恥ずべきことである。そのような発言をするカスをかばった時点で、自民党には自浄能力はない。全員がカスの集まりと言うことになる。カスの集まりだから仲間のカスをかばうのだろう。どうしてそのクソ野郎のクビを差し出してお詫びするということができないのか・・・というと、おそらくその発言者は他の若手議員が逆らえないような重鎮なんだろう。
塩村文夏議員は、フェイスブックで「都議会でのセクハラ発言」を報告し、「他の議員や傍聴をしていた方からのお話を聞くと一致しているので、『お前が結婚しろ』と言った議員はほぼわかっています」と明かしたという。ただ、「それ以外のヤジを飛ばしている方は、あちこちにいますが、大声ではなく私の位置からは会派は分かっても、特定までできません」という。みんなの党の両角穣幹事長は、取材に対し、「セクハラヤジ」を飛ばしたのは、すべて男性議員で、最低でも2、3人はいたと説明した。だれかについては、「まだ分かっていません」とだけ述べたという。
「誰が言ったかわからない」というオチで逃げ切ろうとするクソ議員の卑怯な行動はまさに「ひき逃げしてもつかまらなかったらOK」という犯罪者の論理である。そのクソ野郎を特定して断罪し、二度と社会に顔向けできないようにとことん糾弾することこそが今必要ではないのか。そして、自民党はそのようなクソ議員をかばったことの責任を取って、全員が議員辞職するべきだろう。一人のクビを差し出して他の議員を守るか、あるいは連帯責任でみんな辞めるか、どちらかしかないとオレは思っているのである。それにしてもこの議員はどうしようもないクソ野郎である。きっと「男の論理」でしか物事を考えない下半身暴走野郎なんだろう。そんな馬鹿は都民の前で全裸で土下座させてもらいたい。
事態が一転、ヤジ議員が判明したので記事を引用したい。こいつ、自分がどれだけ問題発言をしたのかちっともわかってないなあ。反省してる人間の発言ではなく、自己弁護に終始しているじゃないか。土下座だろ土下座!生卵もちゃんと顔で受けてみろよ。
セクハラやじ問題 鈴木都議の事務所に大量の生卵投げつけられる フジテレビ系(FNN) 6月24日(火)0時14分配信 東京都議会でのいわゆる、セクハラやじ問題。自民党の鈴木章浩都議(51)が23日、自らの発言と認め、謝罪した。 その鈴木都議の事務所に、23日夜、大量の生卵が投げつけられているのが見つかった。 都議会でのやじ発言で問題となっている鈴木都議の東京・大田区の事務所に、生卵が投げつけられた。 地面には、卵の残骸が散らかっていた。 壁に投げつけられ割れた、いくつもの卵。 セクハラやじ発言に抗議したものとみられる。 目撃者は「看板がへし折られてた。卵が20個ぐらい、投げつけられてた状態」と話した。 誰がやったのかは、わかっていない。 鈴木都議は「別に、塩村さんに早く結婚すればいいんじゃないかと言ったつもりではなかったんですけれども」と述べた。 渦中にある鈴木都議に、大島 由香里キャスターが直接話を聞いた。 鈴木都議は「(晩婚化して、結婚していない人たちに対しての発言だった?)そうですね。ただ、そこには、さまざまな事情に対する、本当に配慮が行き届いてなかったということは、申し訳なく思ってます」と述べた。 配慮が欠けていたと話すやじは、18日の都議会での発言。 みんなの党Tokyoの塩村文夏議員(35)が「厚生委員会で、この件についての充実をお願いをしてきました」と述べると、「早く結婚した方がいいんじゃないか」とやじが飛んだ。 それらの発言に対し、鈴木都議は19日、「わたしじゃないですよ!」、 「わからないと思いますよ、きっと。やじなんて、いちいち聞いてる人、いないですから」と述べていた。 また、鈴木都議は20日、「わたしではないです。本当に昨日も否定しましたけど。寝耳に水でびっくりなんですけど」と述べていた。 完全否定していた鈴木都議だったが、23日、やじの一部が自らの発言だと認め、謝罪。 鈴木都議は午後3時すぎ、「塩村議員および東京都議会、都民の皆様に、多大なるご心痛、そして、ご迷惑をおかけしましたことに、本当に心からおわび申し上げます」と述べた。 自民党の会派離脱を表明したが、議員辞職はしない考えを示した。 この会見に先立ち、塩村都議に直接謝罪した。 塩村都議は「今考えても、あの発言はなかったと思いますし、(やじは)鈴木さんだけではなかったと思います。しっかりと、話し合うきっかけにしていただきたいと思っております」と述べた。 セクハラやじ発言から、5日。 「わたしではない」としていた鈴木都議は、なぜ、今になって発言を認め、謝罪したのか。 鈴木都議は「うそをついたことになってしまう訳ですけれども、本当に、自分自身、まだ気持ちが固まってない中で、ああいう発言になってしまったというのが、現実です」と述べた。 そして、ほかにもあったやじについて、鈴木都議は「(鈴木都議の『早く結婚すればいいじゃないか』以外にも、『まずは自分が産めよ』だとか、『子どもを産めないのか』というやじも飛んだっていうふうにおっしゃっていたが、これは鈴木都議のやじではない?)はい。(ほかの議員で、そういう発言をした人がいるということ?)(いる)と思います。(そういった議員に対して今、どういうふうに思われている?)私も、これだけの騒ぎを起こしてしまった者の1人として、早く都議会というのを正常化するべきだと思っていまして、ほかの発言を発した方は、多分自覚されていると思っていますので、名乗り出てもらえればいいのかなとに思います」と述べた。 塩村都議の所属するみんなの党は、さらなる調査を求めていて、事態の収束は、いまだ見えていない。. 最終更新:6月24日(火)0時17分
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2014年06月19日(木) |
行く価値のない大学をどんどん廃校にせよ! |
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大学は増えすぎた。選ばなければどこかに入れる大学はある。定員を割れてるところがいくらでもある。そこにはほとんど、いや全く勉強しなかった受験生が入学してくる。高校どころか中学の学習もおぼつかないレベルの学生が大量に入学してくるのである。大学の中には日本橋学館大学のように中学英語のやりなおしのようなシラバスを公開しているところもある。他の定員割れ大学の中味もおおむね似たようなものだろう。以前に分数のわからない大学生が話題になったが、今は九九のできない大学生もかなりいるらしい。理系の学生が微分積分がわからない程度の話じゃないのである。
もちろんそうした大学に行くのがゼニの余ってる金持ちの馬鹿息子なら全然問題ない。むしろオレは所得の再配分を喜ぶだろう。 オレが問題だと思うのは、そうした偏差値の低い大学に子弟を通わせる親たちの多くが、収入の低い家庭であるということである。以前に偏差値の高い大学の親の年収も高いことが話題になったが、その逆、つまり偏差値の低い大学ほど貧しい家庭の子弟が通うという状況が今生まれているのだ。
貧しい家庭にとって、行く価値のない大学に授業料を払うことは新たな搾取と同じである。そのために利子付きの奨学金を申し込む者もいるわけだが、もちろんそういう低偏差値の大学は就職事情もあまりよくない。
貧民のゼニを搾取する装置としてはパチンコ屋を思い浮かべるが、低収入の家庭から大量の学力の低い学生を集め、授業料を取り立てる大学というのは実際のところ同じような機能を果たしているのである。年収300万程度の家庭の子弟が、私立大学に入学して年間に100万円近い授業料を払って中学英語の復習をしていることがいかに馬鹿馬鹿しいことであるかオレが書くまでもないだろう。
本来なら中卒、高卒で働いて土木・建築や製造業の現場で働いていたはずの人たちが、ろくに学習習慣も身につかないままに高い授業料を払って大学に行き、大学卒だからとホワイトカラーの一般事務職での就職を希望する。就職活動のミスマッチというのはそういうことである。 しかもそれらの教育困難レベルの大学には、大量の国の補助金がつぎ込まれている。貧民のゼニを搾取するだけではなく、国富も奪っているのである。いったいどれほど多くのゼニがそこに無駄に費やされてるのだろうか。4年間学生は遊びまくり、卒業しても就職できずニートやフリーター、引きこもりとなって巣立っていく。奨学金という借金を数百万背負ってる者もいる。これが搾取と言わずしてなんと呼べるのだろうか。
オレはかつてこの日記で日本の住宅政策を批判した。国民に良質の賃貸住宅を提供せずにマッチ箱のような粗悪な建て売り住宅を「持ち家」として買わせ、35年ローンで半分近くが利子の支払いに消えるような銀行を肥らせる仕組みを作り、母親をパート労働させることで家庭からお母さんのぬくもりを奪った。その住宅ローンでの搾取がもはや困難になった今、新たな貧しい人々からの搾取の手段が大学授業料なのだ。5割以上の人が大学や短大に入学するようになった今、そのレベルが劇的に低下するのは自明の理である。しかも小学校中学校が教育の場としてほとんど機能せず、勉強の中味をほとんど塾に丸投げしている今、基礎学力のない若者が大量に生み出されているという現実に対して政府は何の対策も講じていないのである。
教育困難レベル、つまり学生の学力が中学生以下のような大学はすべて廃校にすべきだ。ただ、そこに来るレベルの若者には教育が必要である。だから看板を掛け替えるべきだ。「大学」ではなくて「再履修校」や「大人義務教育施設」と呼び、そこで小学校・中学校の内容のやりなおしをさせるのである。
小学校中学校の義務教育が年齢によって決まるということもこの際見直すべきだ。中学校修了程度の学力が身についてない人の留年制を真剣に考えるべきである。授業中に静かにできないで立ち歩くようなレベルの生徒は懲罰の対象にすべきであり、大阪市が指導困難な生徒を隔離する方針を出したことはオレは正しいと思っている。
必死で勉強して高い学力を身につければ、必死で勉強した人たちの通うような勤勉な学生の集まる大学に入学できる。全然勉強しなかったら、全然勉強しない学生が集まるような大学にしか入れない。それは至極当然の結果なのだ。勉強はしたくないけど、偏差値の高い大学には入りたいというのは、ゼニを持たずにものを買いたいという馬鹿の発想である。
今日本は景気が良くなって空前の人手不足である。若者よ、大学に行って搾取されるのではなくて、主体的に自ら世に出て働くことで自分の価値を発見しようじゃないか。吉野家の社長は二代続けて高校生アルバイトからスタートした人だった。人手不足に悩み、後継者不足に悩む多くの中小企業や日本の伝統産業の中に、学力だけではない人の価値というものを大切にしてくれる企業がきっとあるはずだ。きみたちが身につけるべきは中学英語の初歩ではなくて、匠の技や人間関係を構築する技術、そして日本の風土を愛する心である。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 投票博物館
2014年06月17日(火) |
日本は安易に外国人労働者に頼るな |
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人手不足である。その結果どんどん賃金は上昇し、居酒屋とか牛丼屋の時給は東京の深夜労働の場合は1500円にもなっている。フリーターや学生アルバイトにとってはまことにいい状況が生まれているのだ。
今ここで大量の外国人労働者を単純労働に従事させるために受け入れればどういうことになるだろうか。せっかくの賃金上昇の流れは水を差される結果となり、低賃金も厭わない外国人のために逆に時給が下がってしまうかも知れない。もちろん企業にとってはそれは好ましいことであり、経団連が自民党に政治献金してなんとか外国人単純労働者の入国緩和をしたがってるのはよくわかる。ただ、その結果最終的に誰が困るのかということを考えてもらいたい。企業がもうかっても、国民は決して豊かにならないのである。
今ここに二つの選択肢がある。一つは外国人単純労働者を大量に受け入れる道、もう一つはあくまで国内の労働力を活用するという道である。前者の場合、今のブラック企業はそのまま温存され、せっかく上昇しかけた賃金は再び下がり、日本人が選ばない「3K」と呼ばれる産業には大量の外国人が従事するようになる。日本の人口の中で外国人の占める割合は年々上昇し、いずれ日本人の人口を中国人が追い越すだろう。
もう一つは、あくまで外国人単純労働者の受け入れを拒み、自前でなんとかするという茨の道である。そこで活用しないといけないのは国内にいる、ニート、フリーター、ひきこもりといった人たちである。平成25年版の「子ども・若者白書」によれば19歳から34歳の年代にこういった人たちは320万人もいるのだ。
今、外国人単純労働者を導入しなかったら、人手不足に悩む企業はどうにかして国内でその人材を確保することになる。どうしても人を集めたいときはどうすればいいのか。給与水準を上げたり、待遇を良くしたりするしかないのである。
ずっと非正規雇用の状態で、働いても働いても給料が上がらないワーキングプアの人たちにとって、条件の良い職種に転職できるならどんどんその選択肢を選ぶだろう。バブル以降の失われた20年間で、労働者の賃金水準はずっと下がり続けた。しかし、もうその流れは終わったのだ。景気が回復基調になったとき、少子高齢化によって人手不足が深刻化すれば給料を上げざるを得ないのである。これまで非正規雇用だった人たちを正社員にしたりして待遇改善をはかるしかないのだ。
トヨタ自動車は組み立て工場で働く期間従業員の待遇をよくして、必死で従業員を確保しようとしている。有効求人倍率が日本で一番低い沖縄には各企業の採用担当者が押し寄せている。こんないい流れができているのに、どうしてその流れに水を差すのか。なぜこのまま待遇改善させてやらないのか。
我々の社会はどちらの未来を選ぶべきか。3Kと言われる職場に若者は集まらず、製造業や土木建設業が外国人の出稼ぎ労働者によって占められ、その一方でニートや引きこもりの若者、大量の非正規雇用者たちは無収入や低収入のままに老年を迎え、結婚もできず人生設計もできずに空しく死んでいく暗黒の未来なのか。今、外国人労働者を大量に受け入れるというのはそういうことなのだ。本当にそれでいいのか。
しかし、もしも外国人単純労働者を受け入れなければどうすればいいのか。それでも東京五輪やリニア新幹線という公共事業を成功させ、復興事業の遅れを取り戻すためには、それらの分野で働く人たちの待遇を劇的に改善することで「高収入であこがれの職業」として認識させ、人が必ず集まるようにしないといけないのである。結果としてこの世からブラック企業や3K労働が追放され、しんどい・きつい仕事はそれに見合った高い賃金が得られるというまことに好ましい状況が実現するのである。かつて「ワーキングプア」と呼ばれた人たちは、「労働貴族」と呼ばれるようになるかも知れないのだ。我々が目ざすべきはそうした社会ではないのか。
高度成長の時代、働く人々はいくらでも確保できた。大企業にはいくらでも人が集まった。しかし、今はもうそんな時代ではない。少ない労働者を奪い合う時代なのである。せっかくこんないい時代がやってきたのだ。どうして日本人は目覚めないのか。
パチンコ屋の前には平日の朝から長蛇の列ができる。失業を理由に生活保護を受給する人たちの多くはそのゼニをパチンコや酒に費やす。福祉で甘やかしてダメになった人たちを働かせるのは困難だ。日本人の代わりに外国人を単純労働につかせると言うことは、そうした堕落した人たちを増やすことなのである。仕事はたくさんあるのに、仕事をしない人たちはあまりにも多い。どうすれば彼らが働くようになるのか。国家の政策はそれをまず考えるべきである。その問題を安易に片付けてはならないのである。
若者よ、ガテン系に目覚めよ。そこには多くの宝物が眠っている。日本の土木工学の技術は世界最高水準である。今こそその価値を見直すべきである。
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2014年06月12日(木) |
自衛隊をナイジェリアに派遣せよ! |
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オレは自衛隊の海外派兵を可能にする憲法解釈の変更に反対の立場である。しかし、その理由は「アメリカの思惑通りに使われる」からである。日本が独自の判断で海外派兵するのはかまわないと思っている。
今、ナイジェリアでは「ボコ・ハラム」という連中が、やりたい放題に住民を虐殺したり女子学生を拉致したりしている。政府軍もほとんど何もできない状態で、無法地帯となった地域では住民が自警団を作っても全くなすすべもないのである。
オバマ大統領は「憂慮の意」を表明した。しかしそれだけである。別に米軍が動くわけではない。諸外国の首脳も口だけである。ようするにこいつらは利害関係でしか動かないのである。そこに資源があるとか、そこが外交的に重要だとか、そんな理由でしか動けないのである。「住民を救いたい」という理由で行動を起こす政治家はアメリカやヨーロッパにが誰もいないのだ。だからルワンダ内戦で100万人以上の人が殺されたときも、アメリカもフランスも動かなかったのである。国連の平和維持軍は自分たちの安全のために引き上げたのである。なぜ生命の危機にある人たちを簡単に見捨てるのか。彼らには「義」という精神が存在しないからである。「義」は武士道の中にあるものであり、西洋人の道徳にはない。今こそ日本は世界に向けて「義」を訴えるべきではないのか。そこに日本の自衛隊が派遣されるならオレは両手を挙げて賛成する。
日本の自衛隊の海外派兵は常に「義」のために行われる。 平和を実現するために我々は命を捨てて戦う!
これは強制ではない。自衛隊の中で、ナイジェリア派遣を希望する者を選抜し、同時に日本の若者の中で、義勇軍に入隊したい志願者を募ればいいのだ。そして戦闘訓練を行った上で部隊を派遣すればいいのである。平和維持軍だが、相手はならず者だからもちろん征圧するためには殺すこともいとわないという戦いになる。その戦いをオレは積極的に支持する。
そして世界の紛争地域や内戦地域にいつも自衛隊が駆けつけて、その地に治安を取り戻し、ならず者どもを殲滅して住民に平和な日常を取り戻すのだ。それを続ければ「日の丸」は世界の紛争地域で「平和の象徴」として受け入れられるだろう。アメリカ軍のように「ゼニのために動く」「国家間の利害やイデオロギーのために動く」というものではなく、常に「人命救助」のために動くのが日本の自衛隊であると世界にアピールするべきなのである。
もちろん自衛隊員の安全も考えないといけない。そこでオレが提案するのは「モビルスーツ」の開発である。今、介護用品として研究が進んでいるが。これをもっと軍事目的研究開発するのである。戦う自衛隊員の身を守るための「モビルスーツ」、いわゆる「バトルスーツ」の開発である。銃弾や地雷の衝撃くらいではびくともしないモビルスーツを着て戦うことになれば、自衛隊員の安全を確保できるだけではなく、テロリストやさまざまなならず者たちにとって、絶対に勝てない敵ということになって征圧しやすくなるだろう。彼らはきっとこう叫ぶだろう。「ガンダムには勝てない!」そうなると姿を見ればそれだけで降参するはずだ。
なぜ日本の自衛隊なのか。それは利害関係が無いからだ。何の見返りも利権も求めず、ただ「困った人を救いたい」「生命の危機にさらされている人たちを守りたい」「ならず者を許さない」という単純な価値観だけで行動できる正義の軍隊として存在できるのは、ずっと平和憲法を遵守してきた日本の自衛隊だけである。日本にはその資格がある。そしてこの海外派兵はきっと日本国民の支持を得るはずだ。世界中の人々の称賛も受けるだろう。日本には「サムライ」がいるということが世界にアピールできるのである。
そうして海外派兵されるということは、もちろん生きて帰れない可能性も高い。しかし、政府はそうして殉職した自衛官や義勇軍の兵士のためには最高の礼を尽くしてその崇高な犠牲を讃え、靖国神社に祀ることにすればいい。靖国神社がそうして「平和のために戦った戦士たち」の聖地であるということになれば、中国や韓国からのとらえ方もかわるだろう。またこの義勇軍には、日本人以外の参加も可能にすればいい。西欧の人たちの中に日本の武士道精神を理解していて、同じ気持ちで「義のために戦う」という人もいるだろう。そうした人たちもメンバーとして受け入れて、義勇軍を作ればいいのである。もちろんその中にアルカイダの一味とか変なテロリストが潜入するのだけは阻止しないといけないが。
自衛隊の海外派兵、安倍晋三総理の頭の中にはこのような「義のための戦い」は全く想定されていないだろう。オレの考える崇高な理想を理解するような政治家は残念ながら日本にはいないのである。
この日記へのリンクは http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=41506&pg=20140612 のURLでお願いします。できることならどんどん拡散させて、多くの方々にこの意見を広げてもらいたいと思っております。
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2014年06月10日(火) |
ニートをどんどん働かせよ! |
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2013年度の「子ども・若者白書」の中では15〜34歳の若者で、仕事に就かず、学校にも行っていない「ニート」が2012年は63万人に達し、同年代の人口に占める割合は2.3%で、統計を取り始めた1995年以降最も多かったことを報告している。フリーターは180万人。15〜24歳では前年から減少しているものの、25〜34歳の年長フリーター層(103万人)は2009年以降増加が続く。若者の雇用をとりまく情勢は依然厳しく、各政党も参院選で若者の雇用対策を掲げた。
その一方で土木・建設業には人が集まらず、せっかく仕事を受注できても工事ができずに倒産するという「労務倒産」というケースも増加している。文部科学省がどんどん大学の設置を認めてしまったために5割以上の若者が大学や短大に進学するようになった。その結果、昔は高卒で就職したような人たちが大量にFランク大学に進学し、そこで4年間遊んで卒業してからニートになってしまうのである。Fランク大学の多くは高い授業料で貧しい人たちから搾取し、4年間遊ばせることで人間をダメにし、結果として大量のニートやフリーターを生み出しているのである。大卒者の就職内定率が7割といっても、ちゃんとしたところは9割以上の学生が内定をもらっている。内定率がこういう平均になるのは、就職難民があふれる「入学してもゼニのむだ」という大学と、偏差値が高く賢い学生が多い大学を一緒くたにしているからである。
260万人と言われる生活保護受給者の中には、高齢者や傷病者という働けない人がたくさんふくまれる一方で、失業を理由に受給している若者や、母子家庭で受給している人がいる。母子家庭の場合はちゃんと子どもを預ける環境が整備されれば働けるわけだし、失業で受給している人たちはどんどん就職してもらわないといけない。そういうわけで今の日本には活用できる潜在労働力がかなりあるということがわかるだろう。
アベノミクス効果で景気が回復してきた結果、何が起きているかというと先に述べた土木・建設業以外にも飲食業、介護産業などで極端な人材不足になっている。「すき家」がアルバイト不足を理由に100以上の店を閉鎖して「選択と集中」という戦略をとっていることからもわかるように、今の「人手不足」は本当に深刻なのである。首都圏の深夜帯の時給はどんどん上昇して、今や1500円出す店もあるほどだ。そうなると報酬が法律で定められている介護産業にはますます人が集まらないことになってしまうのだ。
この人手不足を解消するために政府は外国人労働者を大量に受け入れようとしている。確かに労働意欲の高い外国人を受け入れればすぐに効果は現れるし、企業にとっても好都合なのかも知れないが、そもそもこのような労働市場のミスマッチが起きたのは政策ミス、文部科学省の間違った方針のせいではないのか。今必要なのはFランク大学を出た多くの就職浪人やニートの若者たちを、現業部門の仕事につかせることではないのか。もしも彼らがこのまま低収入のニートやフリーターのままで放置されてしまうと、将来の日本に大きな禍根を残すことになるのである。
ニートやフリーターの若者はなかなか結婚できない。非正規雇用も含めて、今の日本の若者の独身率が上がってる理由は、正社員が減って不安定な身分の若者が極端に増えてしまったからである。男性の場合、正社員できちっと働いていれば既婚率がぐんとあがるのである。だから今ここで外国人労働者を大量に受け入れて、国内にいる大量のニートやフリーターを放置することは、そのまま彼らが大量の結婚難民となり、将来は無年金の老人となって生活保護のお世話となり、国家の財政を圧迫することにつながるのだ。一時的に人手不足が解消しても、将来にもっと大きな禍根を残すような安易な「外国人労働者の受け入れ」は行ってはならないのである。
今ここでニートやフリーターたちの就職支援を積極的に行って彼らが正社員として安定雇用されるようにすることは、将来の無年金者や生活保護受給者を減らし、また結婚できる人を増やすことにもなるため少子高齢化対策の内容も併せ持つのである。どうして政府はその重要さに気づかないのだろうか。現在の若者を救うだけではなく、将来の日本も救う一石二鳥の政策なのである。その問題を放置して安易に外国人単純労働者の受け入れを行ってしまえば、日本の若者の就業機会を奪うだけではなく、彼らが将来無年金者となって生活保護を受給し、国家の財政負担を増やすことにつながるのだ。
この「子ども・若者白書」によると、ニートの若者のうち、就業を希望しているにも関わらず、求職活動をしていない理由は、15〜19歳では「学校以外で進学や資格取得などの勉強をしている」と「病気・けがのため」が多く、20〜24歳と25〜29歳ではそれらに加え「知識・能力に自信がない」が多い。これらの若者に対して、積極的な就職支援を行って自立させないといけないのである。それが将来の日本を救うのだ。土木建設業や飲食業の現場では人手不足のために賃金水準も向上しているし、仕事のイメージも昔のような極端な「3K」ではなくなってきている。つまり、ニートにとっての環境は不況から抜け出しつつある今はかなりよくなってきているのだ。
安倍首相は2013年5月7日の参院予算委員会でニートや引きこもりの若者に対し、「『頑張って自分の足で立っていこう』と思ってほしい。どうか自分の力でその可能性をつかみ取ってほしい」と訴えたそうである。オレも全く同感だ。とにかく周囲がなんとかしてくれるという甘えを捨てて自立するしかないのである。
先日オレは「世界の日本好きの若者を受け入れよ!」ということをこの日記で書いた。そこで書いた内容と、今日の記事の内容は矛盾するかも知れない。しかし、オレが言いたいのはその両者を同時にやれということである。一定数の外国人の若者を受け入れることで国内の労働市場に新たな競争や活気が生まれることは間違いない。その一方で、外国人に職を奪われないように日本の若者にもぜひとも奮起してもらいたいのである。老人やオッサンではなく、この国を変えていくのは若者しかないのである。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 投票博物館
2014年06月05日(木) |
京都「ホワイトハウス」の思い出 |
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オレはオムライスが好きだ。おっさんなのにオムライスが好きということはなんだか変かも知れないが、とにかく好きなのである。大阪にはオムライスのおいしい店が3つある。「北極星」「明治軒」「中央公会堂食堂」である。この3つはそれぞれに味も違うし、それぞれの個性があるので是非とも食べ比べて欲しいのである。
「北極星」がすごいとオレが思うのは、中に入ってるケチャップ味のごはんの部分を注文の都度作ってるところである。白ごはんの状態から具材を入れてフライパンでいためて中味ができあがるのだ。しかもカウンタータイプの店では目の前で調理しているところを見ることができるのである。ついついその職人的な技に見とれてしまうのである。とにかくオレの一押しは北極星だ。どうして失敗しないのか、どうしていつもおいしく作ることができるのか不思議なのだ。ただ、値段の割に少し小さいと思うこともあるのだ。それが欠点と言えば欠点だが、店によって大きさは微妙に違うのかも知れない。淀屋橋で喰ったときには「ええっ、小さい!」と思ったのである。
「明治軒」と「中央公会堂食堂」はどちらもよく混んでいる。そしてどちらも車をどこかに駐めてからいかないといけないので(これは「北極星」も同様だが)、ちょっと面倒なんだが、やっぱり「久しぶりにオムライス喰いたいな」と思ったら行ってみたくなるのである。
ファミレスのメニューに出てくるオムライスはみんなだめだ。何よりオレが許せないのは、中のごはんがちゃんと玉子で包まれてないということなのである。上に平べったい薄焼き玉子をのっけてあるだけのものをオレは「オムライス」とは呼びたくない。そんなものには「オムライス」を名乗る資格などないのである。オレは「オムライス」の定義として、「上も下もきちんと薄焼き玉子に包まれていること」というのを提案したい。つまり、お皿の中で中味のごはんが直接お皿に接触してるものはオムライスと名乗ることを禁止すべきなのである。そういうのは「玉子乗せピラフ」とか「玉子乗せ焼きめし」というふうに名前を変えるべきである。
また京都には「オムラハウス」というオムライス専門店があって、季節のオムライスということで松茸のオムライスや竹の子のオムライス、湯葉のオムライスなどがあるが、値段もかなり高い。そういう贅沢なのは確かにたまに食べるにはいいが、ふだんの食事で食べるものではないのである。なんだか違うのだ。オレが求めてるのは、もっとありふれたオムライスなのである。
子どもの頃、家族でレストランに行くと、好き嫌いの多かったオレが必ず注文したのが「オムライス」だった。その頃から食べ続けているわけだから、オレはもう50年近くオムライスを食べ続けていることになる。その中には涙が出るくらいにおいしかったオムライスとか、当時の恋人と食べた思い出のオムライスとか、学生時代の空腹を満たしてくれたオムライスとか、いろんなオムライスがある。
京都で一人暮らしをしていた頃、近所にあった「ホワイトハウス」という名の定食屋でよく注文したメニューもオムライスだった。店主のおじいさんが作ってくれたその味は絶品で、大学を卒業してからも何度か食べに行ったことがある。たぶんオレが一番好きな思い出のオムライスはその店のものである。腹が減ってるときは、トンカツ定食とかハンバーグ定食を食べることもあった。いつもごはんを超大盛りにしてくれたこともなつかしい。そして、店はあまりはやってなかったのでお客はオレ一人ということも多かったが、そんな時は珈琲を出してくれて、ゆっくりと店主の加藤さんと話をしたりした。奥様とお二人でお店をしておられたのである。
それから長い月日が経ち、京都に行った折に久しぶりにその店のあった場所を車で通ると、もうそのレトロな雰囲気の建物は存在せず、そこにはふつうの一戸建ての家が建っていて、その表札は店主のおじいさんの姓だった。「ああ、もう誰もこのお店を継がなかったんだな」とオレはせつなくなったのである。最後に店に行ったのはもう20年近く前である。かつて京都大学に通い、農学部のすぐ北側の下宿密集地域に住んでいた人ならあの「ホワイトハウス」という定食屋に行ったことがある人も多いはずだ。
もし、オレと同じようにあの店のオムライスを食べたことのある人がいれば、その思い出をぜひ語ってもらえればと思ったのである。なつかしいあの店の記憶を共有したいのである。
同志社大学の近くにあった「わびすけ」も閉店し、名物の「いもねぎ定食」も消えてしまった。時が流れ、かつての思い出の味がどんどん失われていくことの寂しさを思うと、オレが今こうして愛している「オムライス」たちもいつまでこの味が存在するのだろうかとなんだか複雑な気分になる。
「わびすけ」のもうひとつのランチメニューだった「きつね丼」もけっこう好きだったのだが、あの甘辛い味のしみこんだお揚げさんはもう二度と喰えないのである。なんとも悲しい話である。
こちらに「ホワイトハウス」の写真と、店主の加藤さんの写真があります。同じ気持ちを共有した方に出会えて本当に嬉しいです。
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2014年06月01日(日) |
世界の若者は日本を目指せ |
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安倍総理は外国人労働者を導入して今の建設業やサービス業の人手不足を解消しようとしている。日本は単純労働者に労働ビザを発給しないため、そうした職業に就く若者が日本に来てくれない現状を改め、ビザの発給要件を緩和しようとしているのだ。
オレが不思議に思うのは、なぜ発給要件に「なんらかの専門の職業技術」を入れようとするかである。そんなものよりも、「とにかく日本が好きだ!」「日本で暮らしたい!」「日本の女の子と結婚したい!」「日本アニメ愛!」という理由でもいいじゃないか。
外国人が日本に来て困るのはやはり「コトバの壁」である。だったらそれのみを労働ビザの発給条件にしたらどうか。つまり、日本語を使える外国人ならOKというふうに、海外で実施されている「日本語能力検定試験」で一定の成績をとることで、日本での単純労働を含めた労働ビザを与えてしまうのである。
海外の多くの若者に対して、日本語を学んでから日本に来て居酒屋やコンビニで働き、ゼニを貯めて日本の大学に入って技術や知識を身につけ、さらなるステップアップを目指すという「ジャパニーズ・ドリーム」の機会を与えるのである。
アジアの諸国だけではない。若者の失業率の高いスペインやギリシャというEUの貧乏国からもうまく募集すればきっと希望者は集まるだろう。もちろんアフリカやインドからもやってくるだろう。日本語を学習する意欲があるということは日本が好きであるということだ。そういう若者にこそぜひ日本に来てもらいたい。ゲームばかりしているニートや、生活保護をもらって朝からパチンコ屋に行ってるようなヘタレが、真人間になって働くなんてことは期待できない。そういう連中は最初からあてにならないのである。そして人口の中の一定の割合はそうした「ヘタレ」である。(この「ヘタレ」は、昔は「穀潰し」と呼ばれた。昔からちゃんと存在するのである。)
そうしたヘタレたちも、とりあえずまっとうに働く人がいるから生きていける。そのおこぼれで命をつないでいるのである。なぜ単純労働に人が集まらないのか。ろくに漢字も書けず、分数もわからないし英語もできないのにFランク大学に入ってとりあえず大学卒となって、そして事務職での就職を希望する「勘違い野郎」の意識を変えるのは、労働意欲の高い外国人の存在である。
ただ、オレはあくまで「日本が好きな外国人」に来てもらいたいと思っている。どこかの反日国家からはあくまで入国を拒むべきだ。そうした国の人がもしも労働ビザの発給を求めれば、ちゃんと「尖閣・竹島は日本の領土です」「わたしたちの国は間違っています」という宣誓書に署名捺印させ、「反日的行動をとった場合はいかなる罰も受けます」という誓約書を出させるというふうに「敵国条項」を付帯条件として決めておけばいいのである。習近平やパククネがまちがった反日教育を謝ってこない限り日本は譲る必要は無い。それに中国や韓国の人はすでに日本に十分に来ている。もうすでに多すぎるのだ。これからは他の国の若者にどんどん来てもらえばいい。
日本は長いことほぼ単一民族の国家だった。琉球人やアイヌは日本政府の同化政策のために彼ら自身の文化や言語を失った。それはきわめて残念なことだったとオレは思っている。しかし、今から過去に戻ることはできない。そして「日本人」の概念も時代と共に変化していくのである。これからは日本好きの外国人の若者をどんどん増やして、彼らに「日本人」として同化してもらうことを日本の政策にするのだ。
世界のいろんな国の若者がこの国で暮らし、この国の風土や文化を愛して「日本人」となることに誇りを感じるようになった時、日本文化は新たな成熟と迎えるとオレは思っている。彼らの中には農業や林業をするために過疎の村で暮らすことを選ぶ者も出るかも知れない。漁業を選ぶものも出るかも知れない。海女になる若い女性もいるかも知れない。外国人が第一次産業にどんどん従事するようになったとき、日本はどんな国になっているのだろうか。残念ながらオレが生きているうちにそこまでの変化は起きないと思うのだが。山村が放棄されて無人の廃村となってしまうよりも、そこで暮らす人々が外国の若者になって、また村がよみがえることをオレは願うのである。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 投票博物館
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