江草 乗の言いたい放題
コラムニスト江草乗の日記風エッセイ
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2011年07月31日(日) |
女子校のままでいいじゃないか |
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男子校には男子校の、女子校には女子校の良さがあるとオレは思うのである。もちろん共学が好きなら共学に行けばいい。ただ、男子校女子校というのはたいてい私立学校であって、特に東京や大阪のような大都市では公立で男子校や女子校というのは珍しい。ただ地方に行けば浦和第一女子高校、前橋女子高校、前橋高校(男子)などがある。地方ではまだ公立であっても男女別学のニーズが存在するということかも知れない。
オレが高校3年生だった頃、教室で国立大学の中の女子大のことが話題になった。奈良女子大の入試要項には「男子の受験を禁ず」とは書いていないということで私は級友たちから「おまえは女装して奈良女子大を受けろ!」と言われた。合格してから男だということをカミングアウトして、そこで「国民の税金で運営されている大学は広く門戸を開く義務がある。たかが性別などで入学希望者を差別してはならない」と主張すればニュースになったはずである。何度か模擬試験で志望校のところに「奈良女子大・理学部」を書いてみたが常に合格可能性はA判定で、いつも全志願者中の1位だった。オレには受験したとして成績では絶対に落とされることはないという自信があった。しかし、オレは奈良女子大を受験することはなかった。そのくだらない冗談企画のために人生を賭けるのも馬鹿馬鹿しいと思ったからである。
熊本県にある熊本県立第一高校は、男女共学なのに元が女子校だったということで志願者が全員女なんだという。これは奈良女子大と同じケースのような気がするのだ。門戸を開いているが結果的に女子のみになってしまっていて、それで世間では「女子校」として認知されているというパターンである。だったらそれでいいじゃないかと思うのである。読売新聞の記事を引用しよう。
女子しかいない34年…共学高が男子獲得作戦 男女共学をPRする熊本県立第一高のポスター 男女共学なのに女子しかいない――。
熊本県立第一高(熊本市、1086人)で、そんな状態が34年も続いている。戦前、女学校だったイメージが根強いことが要因。2年後の創立110周年を控え、学校や同窓会は中学校を訪問して受験を呼び掛けるなど異例の“男子獲得作戦”に乗り出した。 同校は戦後の1949年度に女学校から共学化された。男子は少しずつ増え、52年度には全校生徒の約2割の約300人に。しかし、それをピークに減少し、77年度に3人が卒業して以来、ゼロとなった。 同窓会役員は「女子校のイメージに加え、54年度に学区が広くなり、ほかの学校を選びやすくなったことも影響したのでは」と言う。 男子獲得の取り組みは、2010年春に赴任した森塚利徳校長が同窓会役員と学校運営について話す中で浮上。「男女はそれぞれ良さがある。共学を実現し、互いに刺激しあいながら活性化を図ろう」と一致した。 同窓会は同年11月、男女共学推進委員会を設置。奨学金制度(各学年定員5人)に、12年度から男子限定枠(同2人)を新設することを決定。さらに、100近くの学習塾をまわり、受験を要請した。 一方、学校側は今年度、中学校に受験を直訴する初めての要請行動を計画。森塚校長や同窓会役員が今月、熊本市内を中心に中学校約50校を訪ね、国公立大学への進学率が高いことや、市街地に立地し通学の利便性がいいことなどをPR。同窓会の奨学金制度の拡充についても説明した。 (2011年7月30日17時55分 読売新聞)
入学者が女子しかいないことのどこが困るのだろうか。その方がいいじゃないか。女子しかいないからと安心して入学してきた女生徒も大勢いるはずだ。そんなところに不潔でむさ苦しく屈折した煩悩のかたまりのような馬鹿男子生徒を入学させる必要など全くないのである。そんなことをすれば同窓生たちが怒るだろう。そもそも大勢のOGたちは男子の入学を願っているだろうか。
男女共学という建前はあっても実際には女子しか入学していないというのは稀有の状況なのであり、わざわざそれを変える必要などどこにもないのである。中途半端な人数の男子が入ってきたとしてどうやって体育の授業などをするのか。まさか一緒にやるわけにもいかないだろう。その結果教員配置の点で新たな問題が出てくるのだ。男子が5人しかいなくても女子と一緒に体育実技をするわけにはいかないので、教員を増やす必要が出てくるのである。
オレは女子校が好きだ。女子校というのはこの世に残された最後のパラダイスだ。できることなら女子校に移籍したい。女子校の教員になりたい。目の前にいるそのブサメンが女子校の教員と言うだけでオレは許せない(実は羨ましい)と思うのである。その貴重な楽園が「学校経営」というつまらない問題のためにどんどんつぶされてしまっているのである。こういう流れは断固阻止しないといけない。
熊本第一高校は女子校のままでいいじゃないか。それが伝統である以上、その伝統を貫かせればいいのである。誰も何も困らないのである。むしろ困った事というのは中途半端に男子の入学者がやってきた時に起きるのである。伊達や酔狂で受験するオレのような変人が熊本県にはいなくて、みんな良識的な判断を下すからこういうことになっているのである。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2011年07月30日(土) |
伊良部秀輝とは何者だったのか? |
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宮古島と2012年に橋でつながる予定の伊良部島という小さな島がある。オレはその島を知ったときにその名の「伊良部(イラブ)」という響きに、2003年の阪神タイガース優勝に貢献したあの怪腕投手、伊良部秀輝のことを連想した。しかし、彼が宮古島の生まれであったことを知ったのは今回の訃報に接して改めてウィキペディアなどで読んでみたからだった。
元ヤンキースの伊良部さん死亡 ロス近郊の自宅で
プロ野球のロッテ、阪神や大リーグのヤンキースなどで投手として活躍した伊良部秀輝さん(42)が自宅のある米カリフォルニア州ロサンゼルス近郊で亡くなったことが28日、わかった。ロサンゼルスの捜査当局などによると、27日午後4時すぎ、伊良部さんと連絡が取れなくなった友人らの通報を受けて自宅を調べたところ、遺体が発見された。自殺と見られている。 伊良部さんは1987年秋のドラフト1位指名で尽誠学園高(香川)からロッテに入団。93年には当時日本最速の球速158キロを記録した。97年に大リーグのヤンキースに移籍。エクスポズ、レンジャーズでプレーした後、2003年に阪神で日本球界に復帰し、18年ぶりのリーグ優勝に貢献した。04年に戦力外となった後は日米の独立リーグ球団にも在籍した。通算成績は、日本のプロ野球で72勝69敗11セーブ、大リーグで34勝35敗16セーブ。(ニューヨーク=村上尚史)
野球選手というのは野球ができなくなったときに死を考えるものなのだろうか。彼が最終的に自殺という選択をしたことがオレは残念でならない。少なくとも彼がロッテのエースとして活躍し、ニューヨークヤンキースでも活躍した経験から得た知識や野球理論の中には多くの宝物が含まれていたような気がするのである。
2003年の阪神タイガースの優勝を支えたのは誰か。下位球団中心に20勝した井川慶か、つなぎの3番打者として本塁打を捨てた金本知憲か、抑えで活躍した左腕のジェフ・ウィリアムスか、さまざまなに語られるが前半戦に驚異的なペースで勝ち星を重ねた伊良部秀輝の活躍が大きかったのは言うまでもない。ただ、夏を過ぎてからは明らかに伊良部の調子は落ちていた。打たれて早々と降板することあった。その伊良部をなぜ星野監督は日本シリーズで2度先発させたのか。ヤンキースのワールドシリーズ制覇に貢献した彼が、日本シリーズでも登板するということに星野監督は何らかの意味を感じていたのかも知れない。しかし甲子園で3連勝した勢いで乗り込んだ福岡ドームでの第六戦、伊良部は3点を奪われて早々と3回で降板した。ダイエーの川崎が一回にはセフティーバントで出塁し、3回にはあっさりと盗塁を決めるなど足で揺さぶりをかけられて伊良部は崩れた。
戦後のプロ野球の名勝負と言えば何を思い浮かべるだろうか。村山実と長嶋茂雄、江夏豊と王貞治、掛布雅之と江川卓とオレが想像するのは阪神の選手ばかりなのだが、伊良部秀輝と清原和博の対決もまた世に語り継がれるものであった。伊良部は158キロという当時日本最速の球で清原に真っ向勝負を挑んだ。
消えていった多くの選手たちと、現役引退後も監督やコーチとして球団に残り、野球の世界に身を置く人たちとはどこが違うのだろうか。なぜ伊良部秀輝はアメリカに住むことを選んだのだろうか。
パリーグの試合をほとんど観なかったオレにとって、伊良部秀輝の全盛期の姿というのは記憶にない。阪神に入団した2003年、父とテレビを観戦しながら「今年はすごいピッチャーが来たな」と話したことを思い出す。今オレは、ネット上に残されたいくつかの彼の映像を観ながら改めて彼がどんな投手だったのかと思いを馳せるのである。最後まで彼は野球がしたかったのじゃないかと。5年契約で大金をもらいながらずっとファームにいても平気な井川慶の図太さが伊良部秀輝にあれば、おそらく自殺することなどなかっただろう。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2011年07月29日(金) |
小松左京さま、日本はどうなるのでしょうか? |
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小松左京さんが亡くなった。享年80歳である。中学生のオレを本格SFの世界に拉致して行き、二度とまっとうな人生に戻れない放蕩無頼の世界に誘ったのは他でもないあなただった。「好きな作家は誰か?」と訊かれるとオレはいつも「小松左京」と答えた。あなたが京都大学文学部の大先輩であることがオレの誇りであり、『果てしなき流れの果てに』が日本SFの最高峰と信じるオレにとって大きなショックである。中学生の頃のオレは、「SF作家になりたい」という夢を持っていた。しかし、今思えばその夢の本質は、博覧強記の天才であった小松左京さんへのあこがれではなかったか。自分は「SF作家」ではなくて「小松左京」になりたかったのではなかったか。そんな気がしてならないのである。だから高校生の頃の自分は、今読み返すと恥ずかしくてその場で破り捨てて100万光年先まで逃げていきたくなるような少女趣味のSFを書いていたのだった。ああ、なんて恥ずかしいんだ。オレにとって消し去りたい過去だ。
訃報を伝える朝日新聞の記事を引用しよう。
小松左京さんが死去 「日本沈没」「復活の日」 「日本沈没」「復活の日」などのベストセラーで知られ、日本SF界を代表する作家、小松左京(こまつ・さきょう、本名実〈みのる〉)さんが、26日午後4時36分、肺炎のため大阪府箕面市の病院で死去した。80歳だった。葬儀・告別式は親族で行った。 1931年、大阪市生まれ。京都大文学部卒。在学中にモリミノルの筆名で漫画を描き、同人誌などに小説を発表。作家の故高橋和巳とは学生時代からの同人誌仲間だった。ラジオのニュース漫才の台本を執筆する一方、米国のSF小説に大きな影響を受けた。 61年、「SFマガジン」誌のコンテストで「地には平和を」が入選。以後、生物兵器ウイルスと核戦争による人類滅亡を描いた「復活の日」や社会性の強い「日本アパッチ族」、超能力者スパイをめぐる活劇「エスパイ」、第6回日本SF大賞受賞作「首都消失」、自ら映画監督も務めた「さよならジュピター」など多くの話題作を送り出した。 中でも、当時の地球物理学の最新研究を織り込み、地殻変動で日本列島が海に沈む「日本沈没」(73年)は400万部のベストセラーに。危機に直面した国家と日本人の姿がセンセーショナルな話題を呼び、ドラマ、映画化もされ、一大ブームを起こした。
日本のSF作家をオレが勝手に5人選ぶとすれば、小松左京、筒井康隆、星新一、矢野徹、豊田有恒となるだろう。しかし、小松左京さんは他の4人とは別格の存在だった。自分のような平凡な者はいくら努力してもとうてい近寄れない高みのように思えたのである。
小松左京さんの新作が出なくなって長い時間が経ってしまい、久しぶりに新聞で見た写真はすっかり別人になっていて驚いたのだが、今こうして訃報を聞くと改めてなんとも言えない気持ちになってしまうのである。あなたにもしも出会わなかったら、きっとオレの人生は全く違った方向に進んでいましたよと。少なくとも文学部には入って居ませんでしたよとオレは文句の一つも言いたかったのである。
彼の代表作は『日本沈没』ではない。たまたまあの本はベストセラーになって映画にもなって多くの人に知られることとなったが、オレが最高傑作と認めるのは『果てしなき流れの果てに』であり、『復活の日』であり、『継ぐのは誰か』などの本格SFなのだ。そうした作品に対して文壇の評価は低く、彼の本格SFと呼ばれる作品群はどれも「直木賞」の候補にも挙がらなかった。
もしも40代の頃の精力的に活動していた小松左京さんが現代に蘇れば、その奇想天外な発想で混迷した日本を救う方策を何か示してくれたような気がするのである。作品の中に次々と登場した、誰にも思いつけないようなそのアイデアの数々こそがオレを魅了したのだ。
『果てしなき流れの果てに』には、失踪した恋人の残した数式で埋まったぼろぼろのノートを大切に保管しながら年老いていく女性が出てくる。世界のどこかにそうして自分の帰りをずっと待ち続けてくれる女性が現れることを、まだ恋をしたこともない中学生のオレはずっと夢想していたのだ。オレは何度その本を読み返してそのたびに切ない気持ちになったことだろうか。それでもまたもう一度、読み返したくなったのである。
果しなき流れの果に (ハルキ文庫)
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2011年07月28日(木) |
ウルトラセブンのマスクを盗んだのは誰か? |
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この世にはいくら高値が付いても売ってゼニにできないものがある。それはたとえばこういう品物である。盗品だということがすぐにわかるじゃないか。毎日新聞の記事を引用しよう。
ウルトラセブン:マスク盗まれる ダン役俳優は「返して」 特撮テレビ番組「ウルトラセブン」の撮影に使われたセブンのマスクが、モロボシ・ダン役の俳優、森次晃嗣さん(68)の経営する神奈川県藤沢市のレストランから盗まれていたことが27日、分かった。県警藤沢署が窃盗容疑で捜査している。 森次さんは「マスクは本物で、私の分身。店を訪れるファンのためにもすぐに返してほしい」と訴えている。 藤沢署によると、25日昼ごろ、店内の棚に飾ってあったマスクがなくなり、空のプラスチックケース(縦60センチ、横40センチ)だけがテーブルに置かれているのを森次さんが発見、110番した。店は定休日で、セブンのフィギュアなどがほかに約50点あったが、無事だった。 森次さんは「親交のある俳優の京本政樹さんから贈られたマスク。テレビの鑑定番組で500万円の値が付いたこともあったが、お金には換えられない。とても悲しい」と話している。 毎日新聞 2011年7月27日 23時03分
この盗人はテレビの鑑定番組の結果を見て、それが500万のゼニに見えたのだろうか。そのゼニを手に入れる時には盗んだという事実も明らかになるわけで、それ自体全く意味のない窃盗だったのである。もっとも蒐集が目的の犯罪ならば、盗んで手に入れたことで十分に満足できるのかも知れないが。
このような「お宝」というのは、無関係な第三者が所有していても何の意味もないものが多い。特別な思い入れがある人が所有していてこそ価値があるのだ。それを盗む人間というのはそうした「想い」を理解できないクソみたいな連中である。高価な美術品であっても文化財であっても、金銭に換算しての価値しか考えないヤツなのだ。
オレは子どもの頃、テレビで「ウルトラマン」も「ウルトラセブン」も観ていた。「ウルトラマン」と違って「ウルトラセブン」のストーリーにはどこかもの悲しいものが多かったような気がする。ただ単に悪い怪獣を倒して・・・というパターンではなかったような気がするのだ。だからなんとなく「ウルトラセブン」の方が好きだったのである。
このニュースを読んでオレはずっと昔のことを思い出し、いろいろとネットで「ウルトラセブン」のことを検索してみた。子どもの頃に観たテレビ番組というのを今でもよく覚えているのはなぜだろう。その後に観た数多くの番組よりも、なせか記憶の中の「ウルトラセブン」は鮮明なのだった。今回のマスク窃盗犯がこっそりと元の場所に返してくれることをオレは願っている。どうせ売れないのだから返してやれよ。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2011年07月27日(水) |
セシウム牛のひみつ |
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「この外に出してる稲わら大丈夫ですか?」 「避難区域から100キロも離れてるし、大丈夫ですよ。」 「でもなんだか心配ですわ。」
「どっか稲わら余ってませんか?」 「えっ?こんなんいるんですか。」 「その代わり、値段は相場の半値で引き取りますけど」 「それは・・・」 「後から放射性物質でややこしいことなるよりもさっさと売りましょう。どうせ堆肥用にしか使いませんし」
かくして、大量の汚染稲わらは闇のブローカーの手に落ちた。
「なあ、この稲わらどんどん牛に食わせるんや!」 「なんでや。なんかええことあるんか」 「これセシウム入りや。」 「アホか!そんなん食わせたらアカンやんけ」 「いや、だからこそ食わせるんや。あとでその理由は教えたるわ」
かくして、大量のセシウム牛が生産されたのである。
ここで我々はあの食肉偽装事件を思い出そう。食肉業者が国の買い上げシステムを利用して、大量の関係ない牛肉を国に買い取らせたということがあった。今回もまた放射性セシウムに汚染された大量の肉を国が買い取る動きがある。それによって誰が得をするのか。そして、汚染地域の稲わらを大量に買い付けした闇のブローカーはいったい誰だったのか。そうした問題に関してマスコミは何も報道しない。それはなぜか?その問題が日本の政治の抱える闇の部分に深く関わるからである。なぜ政治家と暴力団のつながりは切れないのか。なぜ警察は覚醒剤を本気で取り締まらないのか。それは、覚醒剤の売買によって得られたゼニが暴力団から政治献金に還流しているからだとオレは推測している。アメリカがアフガニスタンを攻撃したのは、タリバン支配地域が麻薬の生産地域であったからというのはよく言われることである。
「セシウム牛」は、実は金のなる木であった。それに気が付いた悪人たちが、汚染稲わらをすばやく集め、それを日本中にばらまいたのだ。「どうせ国が買い上げてくれるから心配するな」かくして大量の汚染牛肉が日本中で生産された。こんな単純なことがなぜ阻止できなかったのか。簡単である。阻止されては困るので悪人たちがうまく情報をコントロールしたのである。
福島第一原発から180キロも離れた場所でさえ、国の基準値を遥かに超えるような汚染が起きていたのである。基準値=安全値ではない。そして稲わらだけが汚染されるのではなくて地上に存在するあらゆるものが汚染されるのである。空気さえもそうなのだ。その地で生活してその空気を吸っていれば、必ず体内に大量の放射性物質を取り込むことになる。そのリスクと共存しつつこれから住民は暮らさないといけないのである。
今回報道されている「セシウム牛」以外のあらゆる今後の可能性に対して、東京電力や政府が対処する能力があるとはオレには思えない。そして、その対応能力のなさにつけこんだ悪人どもは今後も甘い汁を吸い続けるだろう。いつの時代も悪人の方がはるかに知恵が働くのである。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2011年07月26日(火) |
1兆円の無駄なオモチャですわ! |
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外交問題を武力で解決するのかそれとも話し合いで解決するのか。前者の方法は憲法で禁止されている我が国は後者の方法を取るしかないのだが、どうも前者の方法を捨てきれない方々が居る。「抑止力としての軍事力」を信奉している方々である。それはそれで100%はずれているとも言えないし、南シナ海をすべて侵略しようとしている中国の脅威を観れば、こういうものがないとダメだと不安になる人たちが出てくるのも事実だ。しかし、本当に必要ならば自国で開発すればいいわけで、アメリカからぼったくりの言い値で買わされるのもどうかと思うのである。東京新聞の記事を引用しよう。
FX飛ばさず選定へ 防衛省 1兆円の買い物なのに… 2011年7月24日 朝刊 開発が遅れるF35戦闘機(ロッキード・マーチン社のホームページより)
次期戦闘機(FX)の選定をめぐり、防衛省が実機による飛行審査を省略し、書面だけで決めようとしていることが分かった。未完成の米ロッキード・マーチン社のF35戦闘機に有利に働く可能性が高まり、関係者から「不公平だ」との不満が出ている。東日本大震災で巨額の復興資金が必要とされる中、不透明な選定により、巨額の税金を投入すれば「無駄遣い」との批判を浴びるのは必至だ。 (編集委員・半田滋) FXは老朽化したF4戦闘機の退役に伴い、約四十機の導入を予定している。総額一兆円の巨額な航空商戦となる。 防衛省に正式に売り込みを提案したのは、F35のほか、米ボーイング社のF/A18、英BAEシステムズ社のユーロファイターの三機種で、年内に決定する。 外国メーカーから購入する戦闘機の選定は、実際に飛ばして運動性能を比較検討してきたとされる。今回、飛行審査を外した理由について、防衛省幹部は「飛行審査で分かるのは操縦士の感覚的なもの。必ずしも行う必要がない」と強調するが、書面などで示されるデータだけでは、必要な運動性能があるのか確認できない。 日米共同開発した航空自衛隊のF2戦闘機の場合、完成後に主翼の強度不足などの欠陥が次々に判明、机上のデータと実機の性能との落差が際立った。 かつて航空自衛隊はレーダーに映りにくいステルス機のF22戦闘機の導入を追求したが、米議会が輸出禁止を決定。ゲーツ前米国防長官から「(F22後継の)F35はどうか」と進言され、今日に至っている。 そのF35について米政府監査院(GAO)は今年四月、「飛行試験で能力の4%が証明されたにすぎない」と苦言を呈するほど開発が遅れている。 他国での導入実績もある残る候補二機種を含めて、防衛省が飛行審査を選定条件にすれば、F35は脱落しかねない。そこで飛行審査が消えたとの見方が関係者から示され、「FXは出来レース」との批判が強まっている。
どうやらまだ完成していない戦闘機を、データだけで書面で審査して購入を決定したという。もしもそれが欠陥機であってもすでに購入を決定した後というわけで、なんというリスク満点の買い物かと思うのである。
ロッキード社とボーイング社が防衛省の幹部にどんな売り込みを仕掛けたのだろうか。以前にこうした交渉の過程で賄賂を受け取ったということで罷免された方もいたなあ。1兆円という買い物だからその手数料というか賄賂の金額もやはり1億円は超えるだろう。不透明な決定の過程には必ず明かされない何かが存在するとオレはにらんでいる。
この1兆円があればどれほど多くのことができるだろうか。1兆円という巨大なゼニを国民のために使ってくれればどんなに多くの人々を幸せにできるだろうか。しかし、そのゼニはロッキード社に支払われるのである。賄賂をもらったオッサン以外は誰も喜ばない兵器の導入にこの巨額の税金は浪費され、しかもその買い物の中味がまともなものであるかどうかは買って導入してみないとわからないのである。
1兆円もするこの無駄なオモチャはなぜ「事業仕分け」の対象ではないのか。政治家たちは防衛費の中味まで踏み込むことを恐れているのだろうか。今のような国家の非常時にこの浪費があっさりと決まってしまうのならば、オレは政治家どもの優先順位の基準はなんとめちゃくちゃなことだろうかと憤慨するのである。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2011年07月25日(月) |
列車事故なんかなかったことにしようじゃないか |
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中国政府というのは歴史の改ざんが得意である。過去の歴史の中の都合の悪い部分はみんな教科書から消してしまう。中国の現代史の闇の部分はみんなそうして消されてしまうわけだが、もしかしたらこの列車事故さえもなかったことにしようとしているのじゃないかとオレはびっくりしたのである。この朝日新聞の報道にオレは唖然としたのだ。
事故車両の運転席、当局が現場の穴に埋める 中国浙江省で23日夜に起きた高速鉄道の追突・脱線事故から一夜明けた24日早朝、中国当局は、追突したとみられる車両の運転席部分を、現場に掘った穴に埋めてしまった。事故から約半日後の24日午前4時半過ぎ、現場に入った記者が一部始終を目撃した。 夜明け前。現場では、落下した1両の車体が、一部は地面に突き刺さり、高架に寄りかかるように立っていた。わきの地面の上では、追突した後続列車とみられる先頭車両が、真っ二つになっていた。切断部分は鉄板や部品がめくれ、後ろ半分は原形をとどめていなかった。 空が明るくなり始めた午前6時ごろ、7台のショベルカーがすぐ横の野菜畑に穴を掘り始めた。深さ4〜5メートル、幅も約20メートルと大きい。午前7時半過ぎ、ショベルカーがアームを振り下ろし、大破した先頭車両を砕き始めた。計器が詰まっている運転席も壊した。そして残骸を、廃棄物のように穴の中に押しやってしまった。(温州=奥寺淳)
なぜ後続車両は追突したのか。計器類には衝突直前の状況に関する何らかのデータが残されていたはずである。それを調査して原因を解明することもなく、さっさと証拠を隠滅してしまったのである。これが中国流のやり方なのだ。どうやら最優先されているのは「運転の再開」らしい。
日本の新幹線にはATC(自動列車制御装置:列車の速度を自動的に制限速度以下に制御する装置)やATS(自動列車停止装置:列車が停止信号に接近すると、列車を自動的に停止させる装置)があり、前方に停止している列車があれば自動的にブレーキがかかって停止するはずである。日本製(川崎重工製)の車両を改造して導入したという中国版高速鉄道は、日本のそうした安全技術をどの程度導入したのか。あるいは切り捨てたのか。それが今回の事故と大きく関わってるとオレは思うのである。
「落雷でシステムが停止した」ということならば、日本ならば全列車が停止するだろう。これは大きな地震などを感知したときに自動的に全列車が止まるようになってることで安全性が立証されている。これまで新幹線は何度か大きな地震を経験したが、それによる大事故は起きていない。もっとも阪神大震災のように高架橋が破壊されたような場合にはその限りではないが。もしも新幹線が走ってる時間帯に阪神大震災が起きていれば、崩落した高架橋を通過していた列車が大事故に巻き込まれたことは間違いない。
では問題は落雷程度で停止してしまう脆弱なシステムにあったのか。あるいはダイヤ通りの運行優先で強引に走らせようとしたために起きたヒューマンエラーではないのか。追突してきた車両の運転士は死亡しているし、運転席部分は粉々に破壊されて証拠は隠滅されてしまったのである。これでは原因解明どころではない。どのような通信記録があったのかもわからない。
オレはここで気が付いたのだ。中国政府はこの事故のことを忘れたいのである。こんな事故なんかなかったことにしたいのである。だからさっさと現場を片づけることを優先したのだ。関係者をクビにして責任を取らせ、なぜ事故が起きたのかなんてことはどうでもいいことだと判断したのである。なかったことにしないと外国に新幹線技術を売り込めないのである。日本では「新幹線」というのは運行システムなどと一体となったものだが、中国側の感覚としては「ただの速く走れる列車」でしかなかったのだ。だから通常の事故と同じ感覚で片づけてそれでオシマイなのである。
いくら事故そのものをなかったことにしようと思っても、世界中の人々があの無惨な映像を見てしまった。今回の事故の報道と同時に、高速鉄道建設に関する多くの汚職事件も人々の知るところとなった。賄賂を払うためにコスト削減をはかった部分はどこにしわ寄せされたのだろうか。一年も完成を早めたために何が犠牲になったのだろうか。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2011年07月24日(日) |
中国高速鉄道は安全ではなかったのか・・・ |
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日本やドイツの技術を寄せ集めながら「独自技術」と自国民には宣伝して開業した中国の高速鉄道で、起きてはならない大事故が起きて死者が出てしまった。読売新聞の記事を引用しよう。
中国高速鉄道が停止中の列車に追突、11人死亡 【北京=関泰晴】新華社電などによると、中国東部・浙江省温州で23日午後8時半(日本時間同9時半)頃、北京発福建省福州行きの高速鉄道列車が、止まっていた浙江省杭州発福州行きの別の高速鉄道列車に追突、杭州発の列車の2両が橋から川へ落ちた。 新華社は、この事故で11人が死亡、89人が病院に運ばれたと伝えた。上海の日本総領事館は日本人が事故に巻き込まれていないかどうか調べている。突貫工事が続いた中国の高速鉄道は、安全性をめぐって不安の声が出ていた。 中国中央テレビによると、事故当時に付近で落雷があり、信号システムが故障した杭州発の列車が線路上で止まっていたという。追突された列車は満員で、1300〜1400人の乗客がいたとの情報もある。落下した車両に乗客が閉じ込められている模様。現場で消防当局の救急隊員が乗客の救出にあたっている。 (2011年7月24日01時46分 読売新聞)
今回の事故原因は「落雷で信号システムが停止した」ことにあったという。昨今の列車衝突事故の原因はたいていこうした信号トラブルである。しかし、日本の新幹線のように集中指令室で全列車の運行が制御されているシステムならばこのような事故は起きただろうか。もちろんオレは中国の列車運行システムを知っているわけではないのだが、中国政府にとって今回の事故は大きなショックだっただろうと思うのだ。そして、これまで順調に発展を遂げてきた中国経済に、この事故によってなんらかのブレーキが掛かることをオレは危惧するのである。
毎日新聞にはこういう記事があった。どうやら今回の事故が起きた路線というのは、専用の高速鉄道路線ではなくて、在来線の線路上に高速鉄道の列車を走らせている区間で起きたということらしい。
中国高速鉄道:中国当局に衝撃 「新幹線」に不安も 【北京・工藤哲】脱線した高速列車の一部車両は高架橋に引っかかったまま直立し、うち2両が落下して地面に直撃した。中国浙江省で23日起きた事故は、これまで鉄道の安全性を強調してきた中国当局に大きな衝撃を与えた。開業したばかりの高速鉄道・北京−上海間(中国版新幹線)でもトラブルが相次いでおり、不安の声が高まるのは必至だ。 中国中央テレビ(CCTV)などによると、事故当時、車内はパニック状態に陥り、乗客の一部は脱線の衝撃で車外に投げ出された。車両が陸橋にぶら下がる危うい状況の中、駆けつけた救急隊員が乗客の救出活動に追われていた。 平均時速が50キロ未満だった中国の鉄道は、97年に高速度化に着手。07年には在来線で時速200キロを超す高速列車を本格導入するとともに、並行して「高速鉄道」(中国版新幹線)の建設も主要都市間で進められた。 今回事故のあった路線は今年6月末に開業した北京−上海間のような「高速鉄道」とは異なり、在来線を利用して高速鉄道と同じ「和諧号」と呼ばれる、時速200キロ以上で走行可能な別タイプの列車を走らせていた。 いずれも車両は白地に青いラインを基調とし、胡錦濤国家主席が提唱する「和諧(調和)社会」にちなんで「和諧号」と名づけられた。 ただ、北京−上海間ではトラブルが相次ぎ、工事の過程では鉄筋の強度不足の疑いも浮上。構造に見合った速度設定がなされているのか疑問視する意見も出ていた。10日には山東省で雷雨のため架線が故障、12日にも安徽省で電力供給設備が故障して緊急停止した。 また、元鉄道省幹部が地元紙に対し、技術的な裏付けのないまま「世界一」にこだわり、最高時速を時速350キロに設定したと証言。開業直前になって300キロに下方修正された経緯もあった。
鉄道事故と自動車事故、どちらが遭遇可能性が高いのだろうか。オレはクルマを運転していてよく思うのだが、ちょっとした運転ミスでいつでも大事故につながるクルマに比べれば、鉄道の方がはるかに安全な交通機関であると思うのだ。それは絶対的な事実だ。しかし、中国の場合、そもそも自動車事故の件数が日本とは比較にならないくらいに多いのである。日本では年間の交通事故死亡者数は5000人以下(平成21年度は4914人)である。ところが中国は年間に10万人以上の死者が出ているという話である。そうした情報はなぜか外には出てこないのである。
日本の修学旅行生(高知学芸高校)が上海郊外で大規模な列車事故の犠牲になって多くの死者が出たということがあった。その事故の時、当然賠償がなされるものだと思ってた学校側は、中国にその概念が存在しないことを知って唖然としたという。「死んだらそれでオシマイ」というのが中国の価値観であり、死者に対しての賠償など不要という答えが返ってきたのだという。信じられない話である。オレが中国を旅行するとしたらやはりそこが不安なのだ。
今回の列車事故で高速鉄道側がどんな賠償を行うのかがオレは気になるのである。また、中国で大量に起きているはずの交通事故の補償はどうなってるのか。日本のような自賠責システムが中国には存在するのだろうか。そうしたことを含めてオレは今回の事故の経緯を見守っている。「安全」を軽視している社会なんてろくなもんじゃないぜ。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2011年07月23日(土) |
踏切を強行突破するクルマに天誅を! |
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グーグルやヤフーで「遮断棒破損」というキーワードで検索を掛けると、かなりの記事がヒットする。毎日のように踏切を強行突破して遮断棒をへし折るバカがいるからである。しかし、そのためにダイヤが乱れて通勤客が大いに迷惑しているということは、ドライバーには知られていない。朝のラッシュ時にクルマを運転している連中というのは、電車通勤をしていない人たちだからである。通勤客にとってダイヤが混乱することはどれほど迷惑だろうか。そのせいで不必要に混雑したり混雑に便乗する痴漢が出たり気分が悪くなったり腹が立ったり会社の始業に遅れたりと散々な目に遭うのである。それに引き替え突破するクルマの側のリスクは、もともと下手くそが乗って傷だらけにしているボロ車にちょっと傷が付く程度である。これではあまりにも不公平ではないか。もっと何か工夫をして欲しいのである。
それではあの「遮断棒」をトゲトゲにして、鬼が持ってる金棒みたいにすればどうだろうか。もちろん強行突破するクルマはかなり大きな傷がクルマに付くということだが、それだけでは阻止できないかも知れない。また、そのトゲトゲに接触した歩行者がケガをするということで文句が出るかも知れない。悪いのはあくまで接触する歩行者である。それでも文句を言うバカとか、人権派の弁護士がいるから厄介である。
ただ、迷惑を掛けられた乗客にしてみればクルマに傷を付けてやり返したところでなんら解決にはなっていない。相手のクルマを特定し、その犯人が誰かということを知ることの方が重要である。折ったヤツがいったい誰なのかがわかれば、その相手に対して個人的に損害賠償の訴訟を起こすことが可能になるからだ。強行突破で遮断棒を折ることで、一気に数十億円の賠償が発生するような仕組みにすればいいのである。
遮断棒の中に特殊な塗料を仕込み、折ったときにそれが周囲にはじけ飛ぶようにすればどうだろうか。その塗料がクルマにべったり付着すれば誰が見てもわかる。その塗料の種類を何種類も用意すれば、どの踏切の遮断棒を折ったヤツかということが容易に判別できるようになるし、クルマもまた逃れられないということになる。塗料の付着したクルマはすぐに通報されて、折った迷惑野郎は検挙されるということになるわけだ。銀行強盗とかに投げつけるカラーボールというのがあるが、あんな時の塗料で使われる成分を仕込んだらいいのである。これで確実に検挙できるようになり、迷惑野郎も激減するだろう。
今遮断棒をへし折るバカが多いのは、その行為に対するリスクが限りなく小さいからであり、わずか数分早く目的地に着けるということの方がメリットに感じられるからだ。多少クルマに傷が付いても気にしないというバカにとって、数分を待たなくてもいいということはメリットに思えるのだろう。電車の乗客のことなど全く考えてないわけだ。こんな連中には天誅を浴びせるしかない。
天誅という意味ではオレは最初にもっと過激なことを考えていた。遮断棒の中に爆薬を仕込むという案である。棒が折れたら爆発してクルマを破壊するという案だ。しかし、そんなことをするとクルマが走行不能で踏切内で停止してもっとダイヤが混乱するかも知れない。巻き添えで踏み切りのところにいる歩行者がケガをするかも知れない。だからそれは採用できない。そうすればやはりこの「特殊塗料」しかないかと思うのである。
多くの踏切を抱える鉄道会社の方はこの「塗料入り遮断棒」をぜひ導入検討してもらいたい。それによって踏切強行突破という愚行は減るだろうし、相手が特定できることで法外な賠償金を分捕ることも可能になるわけだ。確実に検挙できるならば導入費用などすぐに取り返せると思うのである。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2011年07月22日(金) |
橋下、平松対決は11月27日に決定! |
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大阪市長選挙の日程が決まった。橋下知事はこの市長選挙の日程に合わせて知事を辞職して知事選挙を行うと明言している。府知事、大阪市長のW選挙になるわけだ。橋下氏が大阪市も支配下にできるのか、あるいは平松市長が巻き返せるのか。いずれにしても注目度の高い選挙になることは間違いない。読売新聞の記事を引用しよう。
大阪W選11月27日投開票、「都構想」争点に 大阪市選挙管理委員会は21日、任期満了(12月18日)に伴う市長選を11月13日告示、27日投開票で行うと決めた。 大阪府の橋下徹知事は市長選に合わせて辞職し、同時に知事選を行うと明言しており、ダブル選の日程が事実上、確定した。橋下知事が唱える「大阪都構想」を軸に、大阪の将来像が大きな争点になる。 今後は、知事率いる地域政党・大阪維新の会や既成政党による候補者選びが焦点だ。再選に意欲を示す平松邦夫市長はこの日の記者会見で、「出るなら完全無所属とは言っているが、(態度表明の時期を)具体的にいつ、というのはまだない」と明言を避けた。 ただ、ダブル選については「民主主義や住民自治を守るため、ペアで(選挙を)やる形が模索出来れば、かなり大きな力になる」と述べ、反「都構想」で共闘できる知事選候補者を模索する方針を初めて示した。 一方、維新の松井一郎幹事長は「大阪都構想実現への最終決戦。やるべきことをやっていく」と強調。「市長選は大将戦にしたい」と述べ、橋下知事にくら替え出馬を促す考えを示した上で、知事が20日の記者会見で「非常に難航している」と述べたダブル選の候補者選びでは、「覚悟のある政治家はいっぱいいる」と強気の構えをみせた。 (2011年7月22日00時08分 読売新聞)
もしも大阪市長選挙に橋下氏が出馬した場合、オレは負けると予想している。それは大阪市民が改革を望まないからである。さまざまな仕組みが急激に変えられることで既得権益を失う層がかなり出てくるわけで、その人たちは平松陣営を支持するだろう。
大阪市民は多くの特権を得ている。高齢者は市バスや地下鉄に無料で乗れるパスをもらっているわけだが、橋下氏は当然ながら合理化や経費節減の名の下にこれらを廃止しようとするだろう。また日本一高い率の生活保護支給率にも徹底的に審査が入るに決まっている。不正受給者が一掃されるだろう。このようなことが予想される場合、高齢者と生活保護受給者は既得権益を維持したいために反橋下に回ることが予想される。
実は平松市長も高齢者の地下鉄、市バス無料パスには反対で、一人あたり年間たった3000円の自己負担制度を提案したのだが、これは議会で反対多数で却下されている。橋下知事なら維新の会を使ってうまく議会を動かして成立させただろう。さまざまな既得権益がそうして破壊され、これまで甘い汁を吸ってきた連中が困るようになるわけだ。それが改革である。
橋下知事の大阪市支配に抵抗する勢力はかなり存在するとオレは感じるのだ。大阪市内の新聞の折り込み広告でオレは何度か怪文書を目にした。その内容は橋下知事への個人攻撃である。一目見るだけでうさんくさいことがわかるのだが、そうやってなりふりかまわずに橋下知事を攻撃している所をみると、かなり焦ってることもわかる。
11月27日に決定した大阪決戦、試合開始までに両者のどんな駆け引きがあるのかもオレは楽しみなのである。おっと、これじゃあただの野次馬だぜ。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2011年07月21日(木) |
おい平松市長、火力発電所を今すぐ造れよ! |
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大阪市は五輪誘致に失敗してただの空き地となった巨大な埋め立て地「夢洲」をかかえているが、なぜその土地を使ってゼニを稼ぐということを考えないのだろうか。遊ばせている限りそこはただの空き地だが、そこでゼニを稼ぐ施設を建設すればそれは市民の財産となるのである。今一番ゼニの稼げる施設はなんといっても「火力発電所」だ。いくらでも関西電力が買ってくれるじゃないか。
関西電力に発電した電気を売ってる大口の企業として、神戸製鋼と大阪ガスがある。神戸製鋼は神戸に140万KW、大阪ガスは堺泉北臨海工業地帯に110万KWの発電能力の規模の火力発電所をそれぞれ所有している。電力需要が逼迫しているこの夏にこれらの発電所の存在がなければ関西電力は夏を乗り切れないことは明らかだ。
神戸製鋼の「神鋼神戸発電所」は最新の技術が導入された石炭火力発電所である。その売電事業の売り上げは毎年確実に利益を出して親会社である神戸製鋼に多大な貢献をしている。海岸部に広大な土地を所有する重厚長大産業が、その土地を有効活用して確実に利益のあがる事業に投資するというのは正しい戦略である。
だったらなぜ大阪市も同じことをしないのか? 何もしないで借金に押しつぶされるのを待つのではなく、積極的に事業展開していけばいいじゃないか。さまざまなビジネスの可能性の中で確実に利益が出せる事業が「発電」なのである。関西電力よりもほんの少し安い価格を設定して企業や学校などの大口の事業者に売り込めばいいじゃないか。
神戸製鋼の「神鋼神戸発電所」は2000億円かけて建設された。100万kw級の原発一基を建設する費用が約3000億だそうだからそれに比べれば安いコストだ。しかも原発はきっと住民が反対するので大阪湾岸には造れないが、火力発電所はすでにたくさんあるわけで反対する理由が乏しい。だったら大阪市にとって建設しない理由など無いはずである。それともまだ五輪誘致の夢をあきらめていなくて、「夢洲」は必要な土地だと思ってるのだろうか。今の大阪市民にとって必要なのは五輪という夢か、電気という実需かどちらなのか。そんなこといちいち考えるまでもないだろう。
最新の技術を導入してLNG発電所を建設し、ついでにその余熱を利用する施設もじゃんじゃん周辺に建設すればいいじゃないか。神戸製鋼はそうやって発電所を利用しているのでそれをマネればいいだけのことである。ただ、高給取りのくせにろくに働かない大阪市の職員をそこに天下りさせてもダメだ。役にも立たない連中にゼニをやる必要はないのである。
多くの原発が停止させられ、再稼働の見込みが立たない今こそチャンスである。それなのになぜ大規模な火力発電所を建設するという新規計画がどこからも出てこないのか。東京電力でさえもそうした発表がないのはなぜか。オレは理解に苦しむのだ。少なくとも福島原発が使えないとなると東京電力は必要な電気を自前で調達するためには新規に火力発電所を建設するしかない。そのためのゼニは増資や銀行からの借り入れでしのぐことになるわけだが、10年先、20年先の賠償問題が片づいている時にはまた国民にじゃんじゃん電気を使いまくってもらって売り上げを伸ばしたいはずだ。その時になってから慌てて火力発電所を造ろうとしても遅いのである。なぜ今すぐに行動を起こさないのだろうか。ぼーっとしている間に勝手に解決するような問題じゃないだろう。
橋下知事に攻撃されてたじたじの平松市長の関心事は、次の選挙で「大阪維新の会」の擁立する候補に勝てるかどうかということだけである。市民にとっての利益ではなくて自分の選挙のことしか見えてないのである。この「節電の夏」を体験しているくせに将来の大阪市の発展を考えたなんのプランも導き出せていないのである。
電気は消費地近くに造った方が送電ロスを減らせる。だから福井県なんかに造るよりも大阪湾に造った方がいいに決まっている。ところが大阪湾に原発は造れない。橋下知事みたいに「安全な原発を大阪湾に造れ!」などという暴言は言えない。ならば平松市長の戦略は「夢洲への火力発電所の建設」というビッグプロジェクトで対抗すればいいのである。それが市長選挙の再選にもつながるのがわかっていないのだろうか。政治家という連中はその多くが自前のアイデアのかけらも持たないボンクラ揃いである。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2011年07月20日(水) |
ひき逃げは気がつかなかったら無罪なのか? |
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ひき逃げ犯人はたいてい都合が悪いから逃げる。飲酒運転がバレることを恐れてとか、無免許運転だったりとかである。事項現場からそうして逃げた結果、被害者の救護が遅れて助かる命が助からなかったりする。しかも逃げるヤツは「捕まりたくない」から逃げる場合も多い。そういうわけで「ひき逃げ」犯の罪が重くなるのは当然だ。しかし、大津地裁の澤田正彦裁判官は「ひいたことに気づかなかった!」という加害者のいいわけを信じて、ひき逃げに関して「無罪!」と宣言できる不思議な方なのである。軽自動車が大人二人をはねとばしてフロントガラスが割れて、それでも「気づかなかった」なんてことがあるのだろうか。それを「気づかなかった」いう加害者の主張を認めて無罪にできる澤田正彦裁判官の判断はオレには「救いようのないアホ!」としか思えないのである。即刻罷免すべきだろう。なぜ裁判員制度が導入されたのか。こういうアホ裁判官のせいで正義が実行されないことがたびたび起きるのでまともな市民の目でチェックするためである。
しかし、「ひき逃げ」が「無罪」では被害者側も黙ってはいられない。そういうわけでこの理不尽な無罪判決に対して、被害者の遺族が控訴したのもまた当然のことだ。大阪高裁が一審の大津地裁の判断を覆して有罪を認定したのもこれまた当然の結果である。もしも日本が三審制ではなくて一発で決まる仕組みならば、アホ裁判官の愚かな判決がそのまままかり通っていたのである。逆転有罪を報じる読売新聞の記事を引用しよう。
夫婦死傷事故 2審で逆転有罪…大阪高裁 滋賀県草津市で2009年11月、総三保二(そうざやすじ)さん(当時69歳)ら夫婦が車にはねられ死傷した交通事故で、道路交通法違反(ひき逃げ)に問われた古島美和被告(32)(自動車運転過失致死傷罪で受刑中)の控訴審判決が19日、大阪高裁であった。上垣猛裁判長は、1審・大津地裁の無罪判決(求刑・懲役1年)を破棄し、懲役6月の実刑判決を言い渡した。 この事故では、大津地検が、総三さんを死なせたなどとして古島被告を自動車運転過失致死傷罪(禁錮2年判決確定)で起訴。ひき逃げは一度、不起訴(嫌疑不十分)としたが、遺族の陳情を受けて再捜査し、昨年7月に改めて起訴した。1審判決は、古島被告に人をはねた認識はなかったとしたが、上垣裁判長は判決で、「被告は、フロントガラスにひびが入り、大きなものにぶつかったと感じていた。周囲に物はなく、人をはねた可能性があると思っていた」とひき逃げを認定した。 (2011年7月19日 読売新聞)
上垣猛裁判長は一審の「ひき逃げに関しては無罪」の部分を破棄し、改めて懲役6月の実刑判決を言い渡したわけだが、それでも軽いとオレは思うのである。この加害者である古島美和被告が「人をはねたと気づかなかった」とウソをついた時点で即座に量刑を10倍くらいに重くする仕組みは導入できないものか。ウソをつくということはすなわち反省していないということである。こんな見え透いたウソがまかり通る社会になってはいけないのだ。日本は絶対に「誰がどう見てもおかしいウソ」をみんなが堂々と主張しているどこかの大国のようになってはならないのである。大津地裁の澤田正彦裁判官は己の愚かさを恥じて即座に辞職すべきである。
この「ひき逃げ女」の古島美和被告は死亡事故に対してはいちおう禁固2年の刑が確定している。死亡ひき逃げで最低でも10年はぶち込まれてもらいたかったところだが、それを「ひいたことに気づかなかった」と白々しくウソをついたおかげでたった2年の禁固で済んだのだ。こんな理不尽なことがあるだろうか。被害者の遺族が怒るのも当然である。
今回、半年の実刑判決が出たわけだが、それでも2年半というのはあまりにも軽い。この不誠実なオバハンがもしも上告したら、最高裁ではきっちり20年くらいの刑を課してもらいたいのである。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2011年07月19日(火) |
救急車を運転したかったアホ |
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新聞などでニュースを読んでいると、この世には救いようのないアホがいるのだなあと時々驚くことがある。「HEAVEN」という海外面白ニュースのサイトで中国の事件などを見るとなおさらそう思うのである。人はなぜアホなことをするのだろうかオレが敬愛する筒井康隆先生はその謎について「アホの壁 (新潮新書)」という本を書いておられる。類似した書名の「バカの壁」という本があったがこちらの方がはるかに物事の本質をとらえた名著である。
大阪には特にアホが多いと言われる。確かに何かどうしようもない情けない事件があるとよく聞かれるのは「また大阪か」「やっぱり大阪か」「いつも大阪だな」という心ない罵倒文句である。しかし、大阪には実際にアホが多い。オレのような立派なオッサンも確かに大阪にはいるのだが、その一方でアホもまた多いのである。まともなヤツとそうでないヤツの人間の幅が広いと言えばいいのだろうか。ひったくり日本一(最近千葉県に抜かれた)や人口あたりの犯罪日本一と言われる大阪でアホが多いのは当然と言えば当然なんだが。
その大阪でまたまた香ばしいアホが出現した。オレはさっそくその記事を紹介したくなったのである。朝日新聞から引用しよう。
搬送作業中、救急車盗まれる 大阪 18日午前11時ごろ、大阪市住吉区遠里小野6丁目の民家で、80代の女性患者を救急搬送しようとしていた同市消防局の救急隊員から「救急車が盗まれた」と110番通報があった。 その数分後、住吉署のパトカーが救急車を発見したが、救急車は信号無視を繰り返しながら逃走。午前11時10分ごろ、民家から約4.2キロ北東の同市東住吉区駒川3丁目の交差点付近で信号待ち中に数メートル後退し、パトカーに衝突した。 同署は救急車から降りてきた同市住吉区の無職の男(39)を公務執行妨害の疑いで現行犯逮捕した。調べに対し、「救急車を乗り回した」と話しているという。救急車に乗っていたのはこの男だけで、けが人はなかった。
この39歳無職のアホは、たまたま道路に駐まっている救急車を見てムラムラと運転したくなったのである。それで勝手に運転してしまったのだ。なんというアホだろうか。さすがにこれだけのアホはなかなかいないのである。超弩級のアホだ。こんなアホは日本にはいらないので北朝鮮にでも輸出して将軍様への贈り物にしてやって欲しいのである。
しかし、アホの中には天下無敵のアホもいる。いわゆる「認定統合失調症アホ」というヤツである。この代表があの宅間守という無差別殺人野郎で、彼は「病気である」というお墨付きをもらって堂々と犯罪をしまくった、どちらかというと「アホ」ではなくて「カス」に認定したい男である。病気でもなんでもないのに詐病で罪を逃れようとしたサイテー野郎である。実際に彼は学校の用務員だった時に「お茶に毒を入れる」という事件を起こしながら、詐病で巧妙に罰を逃れているのだ。
今回の救急車強奪野郎はなぜか朝日新聞には名前が出ていない。どうもこれは宅間守同様の「認定アホ」のような気がしてならないのだ。つまり、そのアホな行為で周囲は迷惑をかけられるのだが、それが何らかの卑怯なからくりで放置されているという例である。こうなるともう天下無敵である。
どうすればアホを阻止できるのか。今回の場合、そのアホは勝手に救急車を運転して暴走したわけで、たまたま信号で止まってくれたからよかったものの、止まらずに歩行者をなぎ倒して暴走する可能性もあったのである。その場合どうすればいいのか。そういうアホは無差別に射殺してくれよと思うのだが、もしも本当に射殺すれば人権派の弁護士とかがいちゃもんをつけてくる。「アホにも人権がある!」という主張だ。
アホであること自体はいけないことではない。自分がアホであると思ったらそれを自覚してつつましく生きていけばいいのである。そして大多数のアホはそうやって世間に迷惑をかけずに暮らしているのだ。ただごく一部のアホが暴走するのである。そのアホが巧妙にお墨付きを手に入れて暴れまくるのが一般市民を最も困らせるのだ。
この救急車暴走アホに対して、果たしてどんな罰が与えられるのだろうか。そのために搬送が遅れた女性は無事だったのだろうか。もしもそのために手遅れになってしまうなんてことがあれば十分にその行為は「殺人罪」の要件を満たすとオレは思うのだ。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2011年07月18日(月) |
中国はなぜダライ・ラマ14世を恐れるのか? |
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遅れてやってきた帝国主義国家、中国は第二次大戦が終わって世界の枠組みが決まった後も侵略戦争を継続してきた。チベットに人民解放軍を送って数百万の住民を虐殺して侵攻したこともその一つである。そこでどのような残虐行為が行われたのか、映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」ではほんの少し映画の中でこのチベット侵略について触れている。しかし中国政府はこの映画さえも激しく抗議の対象としている。「これは事実ではない」と主張するのだ。ウソをつくことが恥でも何でもなく、ものごとを自分たちに有利に進められるのなら、あるいはその方が金銭的に得になる場合はウソをついてもいいというのが中国の人々の価値観である。これは政府も人民も同様だ。だから約束や契約を平気で破れるのである。政府という「上」がそうだから「下」まで同じなのである。そんな無法国家が強大な軍事力というパワーを手に入れたのだから南シナ海で好き放題しようとしているのも当然である。モラル無き力の暴走ほど世界にとっての脅威はない。
読売新聞の記事を引用しよう。
ダライ・ラマとの会談、中国が米に強く抗議 【北京=大木聖馬】オバマ米大統領がダライ・ラマ14世と会談したことに対し、中国の崔天凱外務次官は17日未明、在北京米大使館のロバート・ウォン臨時代理大使を呼び出し、「米国は中国の厳正な申し入れを顧みずに、頑なに会談を設定し、中国の内政に干渉し国民の感情を傷つけた」として、「強烈な憤慨と断固たる反対」を伝えた。 同日午前にも、外務省の馬朝旭報道局長が「米国が直ちに悪影響を取り除くよう求める」との非難談話を発表した。 未明の呼び出しは異例の対応で、胡錦濤政権の強い不満表明だ。ただ、胡政権は、今年夏のバイデン副大統領訪中や、胡氏の後継者に内定した習近平・国家副主席の訪米を控え、米国との決定的な対立は望んでいない。23日にインドネシアで開かれる東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラム(ARF)や、25日に広東省深センで行われるクリントン米国務長官と戴秉国・国務委員との会談などの場で強く抗議しつつ、米国の出方を見据えながら、問題の沈静化を図っていくとみられる。 (2011年7月17日19時27分 読売新聞)
オバマ大統領が、亡命中のチベットの一宗教者と会うことが中国政府にとってなぜ困ることなのだろうか。それは彼が中国の国家的犯罪を告発できる立場にある生き証人だからである。会談の中で「チベット侵攻」「チベット住民大量虐殺」という事実に触れられることを恐れているのだ。中国はあくまでチベット侵攻の問題を中国の「内政問題」にしようとしている。そこがかつて独立国家であったという事実さえも否定しているのである。
しかし、百歩譲ってそれが中国の内政問題であったとしても、その地で起きた住民への虐殺、宗教施設の破壊、人民解放軍兵士による尼僧への集団レイプなどの残虐行為が許されるものでないことは誰にでもわかることだ。それらの事実を中国は「なかったこと」にして歴史の闇に葬ろうとしているのである。
いつから中国はこんな情けない国になってしまったのか。歴史の事実を事実として伝えられないウソつきの国になってしまったのか。この国にはかつて司馬遷という偉大な記録者が存在したのではなかったか。彼は武帝の怒りに触れて死刑を宣告されたときに、「史記」を編纂するという大事業のために自ら性器を切断されることを受け入れた。歴史の真実を伝えるという大事業は一個の人間の生死よりも優先されると彼がこだわったからではなかったか。
尖閣諸島の沖合で日本の巡視艇に中国の漁船が体当たりしてきた事件があった。中国政府はその映像が公開されるまでは頑なに「日本の巡視艇の方から体当たりしてきた!」と主張していたが、公開後はたちまち沈黙した。この情けないウソつき国家を黙らせられる唯一の方法は証拠となる事実を示すことなのだ。
南シナ海の領海問題でなぜ中国は2国間交渉を基本にしたいと主張するのか。一対一の交渉ならば約束を平気で破れるからである。ウソをついても2国間の力関係で押し切ってしまえると思っているからだ。アメリカが主張する多国間の話し合いでは自国が一方的に悪者にされるのは明らかである。そうした不利な交渉には加わろうとせず、あくまで自国にとって有利な形で決着させ、南シナ海のすべての海底地下資源を総取りしようとしているのである。
オバマ大統領は日本政府のような腰抜けとは違ったからダライ・ラマと会談した。中国のブラフなんて別に気にするほどでもなかったからである。レアアースの禁輸などをチラつかされるだけで菅直人ならビビリまくるだろう。世界一の無法国家に対して命を賭けて堂々と正義と人権の擁護を主張するダライ・ラマ14世の戦いにオレは惜しみない賛辞を贈りたい。
チベット動乱 中国はいかにチベットを侵略したか セブン・イヤーズ・イン・チベット [DVD]
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2011年07月17日(日) |
危険なのは稲わらだけではない! |
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福島原発から65キロも離れた場所で屋外に置かれていた稲わらから高濃度の放射性セシウムが検出され、その稲わらを食べた肉牛がすでに出荷されていた事件が報道されている。読売新聞の記事を引用しよう。
汚染稲わら使用、郡山などの5戸も…84頭流通 福島原発 福島県の畜産農家で高濃度の放射性セシウムに汚染された稲わらが肉牛に与えられていた問題で、同県は16日、新たに郡山市2戸、喜多方市2戸、相馬市1戸の計5戸の畜産農家でも汚染された稲わらが与えられ、計84頭がすでに出荷されたと発表した。 3月28日から今月13日にかけ、同県内に19頭、東京都に53頭、埼玉県に8頭、山形、宮城県に各2頭がそれぞれの食肉処理場に出荷され、うち1頭の肉の一部は、愛媛・松山市で販売され、完売していた。 15日に行われた福島県の立ち入り調査でわかった。同県内でこれまでに判明した南相馬市の17頭、浅川町の42頭と合わせると、汚染された疑いのある牛の出荷は計143頭になった。 喜多方市は福島第一原子力発電所から約100キロ・メートル離れている。また、郡山市の1戸の稲わらから検出されたセシウムの最高値は、1キロ・グラムあたり50万ベクレルに上った。牧草の規制値は同300ベクレルで、水分を含んだ状態に換算すると規制値の379倍に相当する。 5戸の農家では、原発事故後約3週間〜2か月間、稲わらの一部を自宅近くの水田など屋外に置いたままにしており、この間に放射性物質が付着したとみられる。喜多方市の1戸を除く4戸からは、事故後も屋外に置かれていた稲わらから規制値を超えるセシウムが検出された。喜多方市の1戸では、全て使い切ったためサンプルが採れなかったが、約1か月間屋外に置いていたことから、県は「汚染された可能性が高い」と判断した。 (2011年7月17日01時40分 読売新聞)
稲わらは震災直後の屋外に長期間おかれていたために汚染されたということなのだが、屋外に干している洗濯物とかふとんはどうなのだろうか。洗濯物は外に出さずに乾燥機に入れるか室内干しにするようにという注意はあったのだろうか。オレはそれが気になるのである。今回は出荷された肉牛のことで大騒ぎしているわけだが、どうせ偽装の得意な食肉業界である。他の肉と混ぜてミンチにしてごまかしてしまうのだろう。知らずに売ってしまったとしてもどこからも咎められるものでもない。すでにその多くが胃袋に収まったあとかも知れない。
本当は危険なのに、住民がパニックになることを恐れて政府は情報を小出しにしているような気がしてならないのである。稲わらを屋外に放置すれば高濃度の汚染が起きるなんてことは誰が考えてもわかったはずだ。ところが農家がその備えをしていなかったのは、政府が正しい情報を与えて注意を促すことを怠ったからだとしか思えないのである。
長期間屋外に干してあった衣類はどの程度放射性セシウムに汚染されているのか。それを着用したときにどの程度被曝するのか。そうしたデータはこれから発表されるのだろうか。あるいは隠蔽されるのか。オレはそれが知りたいのである。
「事実を公表すれば住民はパニックになるから・・・」という理由で、大切な情報が隠蔽されてしまい健康被害が拡大するのならば本末転倒である。たとえ住民をパニックにするような事実であっても、すべて公表するのが政府の取るべき対応ではないのか。知らせてもらえないことでさらに住民は不安を増幅し、ますます風評被害にさらされるのである。大切なのは「何も隠していません!」ということである。日本政府が情報を小出しにしていて、知らせるべきことまで知らせない態度を取っていることで西欧のメディアにどれほほど不信感を与えているだろうか。今まだ隠されている情報があるとすればそれはいったい何だろうかとオレはあれこれ推理しているのである。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2011年07月16日(土) |
ぼったくり更新料は悪しき習慣である |
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バブル崩壊後の20年、さまざまなものの価格破壊が起きた。給料も増えなくなったが物価も下がった。株価も下がったしドルも下がった。パソコンも驚くほど安くなった。牛丼の値段もマクドナルドのハンバーガーも下がった。100円ショップが隆盛を極め、たいていの日用雑貨がそこで手にはいるようになった。下がらなかったのは大学の授業料と家賃くらいである。そう、なぜ家賃の価格破壊は起きなかったのか。オレはそれが最大の疑問だったのである。日本には700万戸の空き家があるという。それならもっと価格破壊が起きていてもおかしくはないはずなのに下がってこないのである。これはもしかしたら貸し主が不当なカルテルを結んで家賃を高止まりさせているとしか思えないのである。きちっと市場原理に基づいて価格を決定させるべきだ。激安物件が出ないようになんらかの作為があるとしかオレには思えないのである。
その家賃を高止まりさせている元凶の一つである「更新料」という悪辣なぼったくりシステムを容認する判決が最高裁で出た。最高裁は金持ちの味方だったというただそれだけのことなんだが、オレはこの判決に絶望したのである。貸し主が圧倒的に強かった時代はもう終わった。今のような大量空き家時代にこの判決が妥当だろうか。「契約書に書いてあったから有効だ!おまえはそれを知って契約したんだろう!」ということなんだが、1年ごとに2ヶ月分もぼったくられる更新料がそもそも公序良俗に反したものであり、家主を不当に儲けさせていることは誰もが感じていることだ。それをきちっと判決の形で示すのが最高裁の役割ではないのか。「なに、一年ごとに2ヶ月分だと? しかも借り主の事情で年度の途中で退去になっても返さないだと? ふざけるなよこの強欲ジジイめ!」と市民感覚に即した判決をなぜ出さなかったのかとオレは思うのである。
なぜ京都と東京に更新料があるのか裁判官はわかってるのか。京都と東京はもともと学生の多い土地柄で、2年くらいで入居者がどんどん入れ替わってそのたびに家主には新規の入居者が発生して礼金とかが儲かるわけだ。ところが入居者の中に4年も5年も住んでるヤツが居ると儲からない。それで長期間住んでいる入居者からもゼニをどんどんぼったくれるようにと考え出された仕組みがこの「更新料」なのである。そういうふざけたぼったくりシステムをお上は容認すべきではなかったのだ。入居時に一時的にゼニが居るのは、前の入居者が汚した部屋の清掃とか、畳を替えたり壁紙を変えたりして新しい入居者のために部屋をきれいにして準備するという性格があったはずである。だから長期間住んでいる人間から途中でゼニをふんだくることには正当な理由など無いのである。この更新料というぼったくりシステムのおかげで家主は不当に利益を上げることができて、入居率が低くてもやっていけたのである。コストに対して倍の価格を設定することによって、入居率50%でもやっていける仕組みが完成したのだ。
家賃の価格破壊が起きなかった原因はこれだけではない。もう一つ、政府の住宅政策の大きな誤りもその元凶である。公営住宅やURの賃貸住宅がもしも低廉な家賃で提供されていれば、それに合わせて民間賃貸住宅の家賃も下がっただろう。しかし、現実には地域で一番高いぼったくり家賃なのがURの賃貸住宅なのである。河内松原駅前にあるアーベイン松原の家賃をネットで調べてみるとその家賃のぼったくりぶりにびっくりする。3LDKで10万円以上だ。しかし、そのマンションは中古で1000万円ほどで買えるのである。利回り12%の物件なのだ。いかにぼったくりであるかがわかるだろう。
家賃が高止まりしているために、国と地方自治体がが支出する生活保護費の多くがその家主に還流し、金持ちをますます金持ちにするのである。派遣社員や非正規雇用で収入の少ない若者が高家賃を負担させられるために若者はますます貧しくなるのである。そして家主たちはたいてい高齢者だ。若者からぼったくられたゼニはそのまま流動性のない預貯金となって貯め込まれて市場で流通することなく、結果的にますます景気が悪くなってしまうのである。入居者にいっそ住宅ローンを組んだ方が得だと思わせるような高家賃が果たして妥当だろうか。低賃金の若者が収入の半分近くを家賃に巻き上げられる状況を放置していていいのだろうか。
更新料を「ぼったくりすぎ!」と認定し、取りすぎた分を返せ!という判決が出ればこれまでぼったくりで甘い汁を吸っていた家主たちは震え上がるだろう。「こんなもの払わなくてもいい」ということになれば入居者たちは大喜びだろう。
強欲家主の側は「契約時は更新料を了解していたはずだ!」と主張するだろうが、だったらサラ金の過払い金を見てみろよ。あれだって借りるときは了解していたのに、後から決まったルールが過去の貸出金にすべて適用されてるじゃないか。もっともそのせいでサラ金がバタバタつぶれているわけだが。家主もつぶしてやれよ。どんどん破産させてやれよ。それではじめて市場原理が働くのだから。
高すぎる家賃が暴落して、人々が住居費に無駄なゼニを使う必要が無くなったとき、国民は真に豊かな生活を享受できるようになるのだ。オレは以前にこの日記で「かつて家にはお母さんがいた」という論考を書いた。間違った住宅政策が国民を貧しくし、今の情けない世の中を作ってしまったのである。いつから日本はこんなみじめな国になってしまったのか。どうして家族は崩壊したのか。すべては政府のこの間違った住宅政策に原因があるのだ。誰もこのことに気がついていないのである。このことをまともに主張しているのはオレの日記だけだ。
高度成長の頃の日本は確かに貧しかった。でも街には大量の「文化住宅」という低家賃の賃貸住宅が存在した。大卒の初任給が3万円くらいのときに、わずか3000円ほどの家賃で住める住宅があったのだ。家族5人が2DKで暮らすというつつましい生活であっても、そこには濃密な家族の絆があり、幸福な営みがあったのである。
一人暮らしの老人が月々10万円近い生活保護を受けとり、その半分以上が家賃として吸い上げられる今、一番裕福なのはそのゼニで肥え太った家主どもである。国と地方自治体が支出している生活保護費3兆円の半分近くが家賃として消えているのだ。ここで家賃の価格破壊が起きれば、生活保護費を削減することも可能になるし、若者の貧困も解消するのである。一部の家主どもが破産してもそんなことは全体にもたらさせる利益からみればたいしたことではないのだ。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2011年07月15日(金) |
放射能ビジネスにだまされるな! |
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放射性セシウムに汚染された稲わらを食べた牛の牛肉が出荷され、すでに消費されたということが事件になっている。しかし、このようなことは今後も起きるだろう。すべての食品がチェックされているわけではないからだ。そして、個人レベルで防衛しようとして放射線を測定する機器が飛ぶように売れているという。それだけではないのである。そうした人々の不安につけ込んでぼろ儲けを企む連中も増えているのだ。
とあるマルチ商法の老舗の業者が販売している「放射能分解水」というものが、12本2万1000円で売られているという。ただの水に対してなんというぼったくり価格だろうか。ただの水がガンやアトピーに効くという触れ込みで売られていることさえ十分に怪しかったのに、今度は「放射能を分解する」なんてありえない能力が宣伝されているのである。そして、不安におびえる人たちの中にはそんなものにゼニを使う人も出てくるのだ。
お年寄りを狙った訪問販売とかの詐欺連中も、放射線を防ぐとかいう商品をこれからじゃんじゃん登場させてくるのだろう。シロアリ除去よりも放射線除去の方がタイムリーである。別に放射線を浴びる浴びないに関係なく余命わずかな高齢者に対して、高額商品を売りつけてそのゼニをむしり取ろうとする悪辣な連中がうじゃうじゃいるのだ。
どうすればその詐欺商法の連中を取り締まれるのか。一人暮らしの高齢者の場合、入ってくる情報が少ないので訪問してきた相手が詐欺師であることを見抜けない可能性が高いのである。つまり詐欺師にとっては「だましやすい」相手なのだ。しかもこれまでの詐欺商品とは違って「放射線を防ぐ」なんてのは全く新しい分野なのである。だまされる高齢者たちのレベルもきっと「放射能はウイルスみたいにうつる」と勘違いしているような人たちが多そうだ。そうなると詐欺師たちはだまし放題なのである。ネット上でもきっと怪しい商品は売られているはずである。しっかりと取り締まって詐欺師どもを撲滅してもらいたい。
あの豊田商事の事件の時から今に至るまで、高齢者をだましてゼニを巻き上げるビジネスは常に存在してきた。いくら摘発されても新たなビジネスを産み出してはそのたびに多くの人々をだましてきた。正常な判断力があればひっかかからない馬鹿げた内容であっても、認知症になった高齢者をだまして契約させる奴等も多いのである。
詐欺商法自体はなくならなくても、個々の詐欺師は捕まえて処罰することが可能だ。怪しいビジネスを見つけたり、怪しい訪問販売があれば必ず通報して検挙につなげないといけない。お年寄りをだますクソどもはまとめて刑務所にぶち込んで欲しいのである。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2011年07月14日(木) |
高速鉄道という入れ物があっても・・・・ |
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北京・上海間の中国版「新幹線」が日本の技術「自主開発!」と堂々とパクる形で開業した。その高速鉄道についてさっそくトラブルが報告されているようである。読売新聞の記事を引用しよう。
中国の高速鉄道、開業2週間で緊急停車3件 【北京=幸内康】中国の2大都市、北京と上海を結ぶ高速鉄道で13日午前、江蘇省の鎮江南駅で車両が緊急停車した。華僑向け通信社「中国新聞社」(電子版)が伝えた。北京―上海線は6月30日に開業したばかりだが、緊急停車は3回目。 最初の緊急停止は今月10日、雷雨と強風により架線が故障したことから起きた。12日の緊急停止は電力供給設備の障害が発生したことによる。 国営新華社通信は13日、同日の停車にはふれず、「(10、12日は)故障発生後、車両は自動停止し、事故を回避して乗客の安全を確保した」と、安全性を強調する中国鉄道省の談話を配信した。 北京―上海線は、当初、2012年に開業する予定だったが、中国共産党創設90周年(7月1日)の前に大幅前倒しされた。そのため、突貫工事や手抜き工事が懸念されている。 (2011年7月13日22時31分 読売新聞)
日本で明治時代に鉄道が開業したとき、駅員の態度は横柄で乗客のマナーは悪く、窓から放尿するものがいたりして大変だったという。およそ現代からは想像もつかない話である。今のように利用者のマナーが向上して快適に利用できているのは長年の教育の成果なのである。
ところが中国ではどうだろうか。いくら高速鉄道という入れ物を整備しても、乗客のマナーが日本に追いつくには100年くらいかかるとオレは思うのである。いや、追いつければいいが、そんな日は永久に来ないかも知れないのである。今回の「緊急停止」はこうして読売新聞で報道されたが、報道されない目を覆うような実態が中国の高速鉄道にはあるのだ。その具体例を紹介しよう。
たとえば日本では車内が「禁煙」であれば乗客はみんなそれを守っている。しかし中国ではそんなことにはおかまいなしである。そして吸殻をそこら中に投げ捨てたり、座席に押し付けて焼け焦げを作ったりするのである。そこは公共の場所であって自分の家ではないわけで、公共の場所を大切に使うという文化の存在しない国で車内環境が荒廃するのは当然である。
備品の持ち去りも多いらしい。トイレットペーパーを持ち去るなんてことは日常茶飯である。しかし、紙がなかったら利用者は困ってしまう。「もしもこの紙を持ち去ったら他の人が困るだろう」なんて発想はない。公共心なんてものが身につくほど教育は成果を上げていないのである。外せるような備品はどんどんなくなってしまうのだ。
2等の切符しかないのに1等車に勝手に乗り込み、他人の指定席であっても平気で勝手に座っている。「ここは私の席です!」と券を示しても簡単には譲ってくれずに逆ギレする。そして座席は汚し放題だ。ごみをきちっと捨てに行かずに通路に投げ捨てるのである。いちいち捨てに行くのが面倒だからそうするわけだが。
中国人はなぜマナーが悪いのか。おそらくそうした大人の行動をずっと見てきたからそれが当たり前だと思うのだろう。報道されていないので推測するしかないのだが、きっと中国では交通事故がかなり多いと思うのである。事故を起こしたドライバーがそのまま逃げることも多いだろう。クルマが普及しても運転マナーがすぐに向上するわけではない。信号を人々がきちっと守るわけでもない。
そうした個人レベルのマナーの悪さはきっとこれからも直りそうもないからどうでもいい。しかし、マナーが悪いのは個人だけではなくて政府も同様なのである。他国の領土である島をいきなり実行支配して「歴史的にも我が国の領土だ」とウソをついたり、人民解放軍の兵士を漁船員に仕立てて日本の巡視艇に体当たりさせたりして平気なのである。政府が堂々とウソの見解を発表できる恥ずかしい国は他にあるとしてもアフリカの独裁国家くらいだろう。それを堂々とやってしまうのが中国政府の傍若無人さである。日本やドイツからの借り物の高速鉄道の技術を、中国は世界で「独自開発!」と主張して特許取得に乗り出すらしい。宿題を出すときに友達のレポートを丸写ししたのに「自分で考えました!」と開き直る馬鹿みたいなものである。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 投票博物館
2011年07月13日(水) |
そこは日本海だ!東海ではない |
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韓国の連中が世界で「日本海」を「東海」と呼ばせようとして暴れていることに関して、日本政府はきちっと正式に抗議し、そのような行為が続くならばその報復を行うべきである。日本国内で保護されている在日韓国人の特権を即座に剥奪すべきだ。その蛮行を辞めること、不法占拠の竹島から即座に撤退すること、その二つが履行されない場合は「在日韓国人への生活保護費の支給停止」「日本国内でのキムチの販売禁止」「韓国人経営のパチンコ屋の営業権剥奪」くらいのことはしてもいいとオレは思うのである。それにしてもこれはいったいどういうことだ。週刊ポストの記事を引用しよう。
"米アパレルブランドのJ.CREWが震災後、日本を支援するチャリティーTシャツを発売したところ、韓国から非難が殺到した。 日本と東アジア周辺地図の東北地方に、ハートマークと「がんばれ日本!」が記されたデザインだが、地図中に「SEA OF JAPAN(日本海)」と明記されていたことから、韓国のネットユーザーたちが反応。竹島や日本海問題に関しネットを中心に活動するNGO法人「VANK」がスパムメールを送るとホームページで宣言するなど、ネットで総攻撃を加えたのだ。 J.CREWは4月6日、フェイスブック上で、「この問題に関する多くのメールを頂戴した」結果、デザインを改めるため販売を取り止める旨を発表した。 こんなときぐらい、やさしく日本を支援してもらえないものだろうか。 ※週刊ポスト2011年7月15日号"
この「VANK」というネットテロ組織が「攻撃予告」を行ったために、販売元は販売を取りやめたという。スパムメールを送るとホームページで宣言するなどという蛮行に対して、何らかの法的な措置があってもいいとオレは思うのである。このような「サイバーテロ」やその予告に対しても、通常のテロ同様に即座に関係者を逮捕して死刑にすべきだとオレは主張する。こんな連中を野放しにするなと。
韓国がしつこく「日本海」の名称を「東海」だと世界で宣伝していることに対して、日本はなんらかの政府としての対抗措置をとるべきだ。そうでないと平昌で行われる冬季五輪で世界に「東海」という呼称を定着させられてしまうのである。これは断じて阻止しないといけない。
「日本海」は日本が存在するからこそ「日本海」なのである。もしも日本列島が沈没したらそこは太平洋の一部となるだけである。「日本列島の存在によって太平洋から仕切られた海域」が「日本海」なのである。「韓国の東にある海域」という意味ではない。だからそこを「東海」などというおよそ固有名詞とは思えないヘンテコな名称で呼ばせようとする愚行に対して、日本政府は正式に抗議すると共に、世界で韓国人が行ってるくだらない工作活動に対してきちっとしたペナルティを課すべきなのだ。日本に居住するすべての韓国籍の人に対して不利益が発生するようなペナルティを宣言して、その愚行を阻止すべきである。
こんなことを書いたら、オレの日記にも激しいサイバーテロが行われるのだろうか。もしもそんなことになればこの「VANK」という連中がただの犯罪集団であり、人間のクズの集まりであることが証明されるだけのことなんだが。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2011年07月12日(火) |
大阪府の公立高校に未来はあるか? |
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大阪府の公立高校の入試制度は大幅に変わった。そして私立高校に通う生徒への授業料の助成制度もスタートした。その結果どうなったのか。成績上位層が公立高校に戻ってきて、その一方で偏差値の低い公立高校は定員割れし、その生徒たちは私学へと流れたのだった。「どうせタダになるんやったら私立に入れるわ」という大阪らしい発想である。「うちの子、勉強嫌いやし府民の税金使わせるのもったいないわ」と思う人は少なかったのだ。ふだん出席している生徒が定員の1/4しかいない公立高校も出ている。新聞にはこういう記事があった。
橋下知事は「校長や教員が努力して生徒を集めないといけない」と語る。しかし偏差値30〜40といった公立高校にどのような努力ができるのだろうか。どこまでなりふり構わずに個性化できるのだろうか。
たとえば極端に校則を緩くすると言うのはどうだろうか。タバコや飲酒くらいでは停学にもならず、制服もなく、どんな髪型でもどんな服装でも自由にして、顔中にピアスの穴が開いていたり、肩に刺青があってもOK、バイクや自動車での通学も可なんてことにすればその自由さを選ぶ生徒が集まるかも知れない。しかしそんな学校で教える教員は大変だろう。ドラマ「ごくせん」に出てくるワルたちは義侠心溢れる魅力的なツッパリたちだったが、現実のワルたちはただの傍若無人なアホばかりである。そういう生徒を集めた学校を作れば犯罪者養成所になることは間違いない。
授業が午前中しかなくて、午後からはみんなバイトに行けるような学校はどうだろうか。コンビニコースや外食コースなどを設けて、外でバイトしている時間も「職業体験」などの科目ということにして単位認定するのである。経済的に苦しい家庭の子弟も堂々とバイトで生活費を稼ぐことができる。午前中の時間を職業教育にあてればなお効果が上がるかも知れない。
留学生を多数受け入れて多国籍化をはかるというのも面白いかも知れない。ただ、その費用をどこから出すかということになる。ゼニを出してもらえなかったら実際のところ何もできないのである。校長や教員がいくら知恵を出したところで、何かをするには必ずゼニがかかるのだ。個々の教員の努力だけではなんともならないのである。
生徒が集まらなかったらどうなるのか。その学校は統廃合の対象となる。「生徒が来ない」=「魅力がない」ということになり、どんどん廃校にされてしまうのだ。その結果橋下知事の狙い通りに「公務員(教員)の削減」ということが実現するのである。ストレスを抱えて病気になり、辞めていく教員も多い。しかも橋下知事が給与をどんどん引き下げたので、報酬が仕事のハードさに引き合わないという状況になってしまった。そうなるとますますいい人材が集まらず、学校の魅力はなくなってしまうのだ。それではどうすればいいのか。どうにもできないのである。
公立高校の上位校でトップ10に選ばれた高校はどこも人気を集めた。高い競争率でレベルの高い生徒が集まったのである。これまで大学進学の意欲の高い生徒を専願で確保できた私立の上位校はかなりの生徒を公立上位校(トップ10)に奪われることとなった。その一方でこれまで生徒集めに苦労していた私立の低位校は、公立が定員割れしている分の生徒を分捕ることに成功したのだ。今後、私立高校が生徒を確保して生き残るためには、成績の低い生徒もなりふり構わずかき集めるという方針を持つしかなくなったのである。橋下知事は成績上位層→公立、成績下位層→私学という棲み分けを狙ってきたのである。
この改革が成功するのかどうかオレにはわからない。私立高校に通う生徒への授業料補助という政策がいつまで維持できるのかということもある。結果が明らかになった頃にはオレはもう停年退職しているだろう。かつてオレが通った頃の高校には人間的な魅力に溢れるすばらしい教師がたくさんいた。すべてを左右するのはやはり「人」なのである。教育を制度や入れ物やゼニの問題としか考えてない橋下知事のやり方をオレは危惧している。しかし、府民の圧倒的多数の支持を得た彼の独裁はまだまだ続くのである。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2011年07月11日(月) |
SF作家にあこがれた頃 |
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まだ中学生だった頃、オレはSF作家になることにあこがれていた。小松左京、星新一、筒井康隆、半村良、豊田有恒といった方々の作品をむさぼるように読みあさり、そして自分でも書いてみたりした。中学3年の時にちょっとした事情で転校するのだが、その転校先の中学校にはたまたま文芸部があって、そこでSF小説の習作を発表したりしていた。受験勉強をしなければならないのにそんな余裕があったことが不思議である。
高校生になってからはSF以外の小説も読むようになった。渡辺淳一とか、安部公房とか、北杜夫とか。そうして医学部出身の作家が多いことを知って、また受験勉強の頂点が医学部なんだと単純に思っていたこともあって、自分もなんとなく医学部→医師→作家というパターンを目指そうと思い、ただ小説ばかり読んでいて勉強をさぼったせいで成績が低迷したオレは地方の医学部を目指していたのである。信州大学医学部が第一志望だった。高校2年の夏頃までは。夏になるといつもサイクリングで信州に出かけていたからだ。
ところが信州大医学部の受験科目がなぜか生物必修になった。物理と化学の2科目が得意で大きな得点源だったオレは困った。必ず点数が取れる得意科目を一つ捨てて、ほとんど勉強していない科目の勉強を新たに始めないといけない。そんな単純な理由からオレの信州大医学部受験は挫折した。
だったら地元の大阪市立大や阪大の医学部を受験すればいいのか。オレは無謀にも一時期、京大の医学部を受験しようと思っていた。家の経済状態から絶対に現役で合格しなければならないオレにとってそれはかなり無理なことだった。もしも浪人してもよいという選択肢が自分にあればそのプレッシャーを乗り切れたかも知れない。しかし、オレは「美少女に片思いする」という間違った形で自分を鼓舞しようとしたのだ。それが破れた時にどうしようもない閉塞状況に陥ることも思い至らずに。高校3年の秋、オレは失意の中で医学部をあきらめ、小松左京や大岡昇平や高橋和巳の後輩となるために京都大学文学部へと進むことを選んだのである。
SF作家になる夢は捨てていなかった。しかし、筒井康隆の著書を読む中でSF作家というものが作家の中でも一段低いカテゴリーに分類されていて、芥川賞・直木賞といった文学賞では相手にされていないことを知った。筒井康隆は何度も直木賞の候補になりながら落選していた。もっとも彼は「日本列島七曲がり」みたいなハチャメチャな作品を書いていたので偏見も強かっただろう。小松左京の「日本沈没」もベストセラーになったが、直木賞の候補にもならなかった。ただ、当時読んだ筒井康隆の「乱調文学大辞典」の巻末付録に「あなたも流行作家になれる」というのがあって、そこで歴史小説や時代小説というジャンルがねらい目だとあったのでオレは大学の専攻を迷わず国史専攻に決めたのである。その国史専攻の学生が集められた顔合わせの時に、重鎮だった岸俊男教授の前でオレは「歴史小説を書きたいのでこの専攻にしました」などと平然と答えていたのである。今考えるとただのアホである。
その後オレは多くの歴史小説、時代小説を読み、そこで出会った隆慶一郎を「時代小説の神」とあがめるようになった。すばらしい作品に出会えば出会うほど、自分のような凡人にはとてもこんなものは書けないという気持ちになった。そのうちオレは大学を卒業して田舎教師になってしまった。いつしか、SF作家へのあこがれはどこかに逝ってしまったのである。
そうそう、大学生の頃はペーパーバックで海外SFもむさぼるように読んだ。ロバート・A・ハインライン、フランク・ハーバート、アイザック・アシモフといった作家たちである。そんなところで受験勉強は役立ったのである。 フランク・ハーバートの『デューン』を知るオレは、「風の谷のナウシカ」がそのパクリであると信じて疑わない。SF小説を読めば読むほど、そしてその深淵に触れれば触れるほど、自分からSFは遠ざかっていったのだった。
一方、何かを書いた結果名前入りで自分の書いたモノが世に出ることに小さな喜びを感じたオレは、その後朝日新聞の投書欄の常連投稿者となり、やがてパソコン通信上で駄文を垂れ流すようになるのである。ただ、書いていてわかったことが一つある。それは大きな一つの勘違いが修正されたことだ。作家になれば大金が手に入ってウハウハだと思っていたことである。そうして潤っている人たちはごく一部であり、しかもその収入というのはきわめて不安定なものでしょせん零細自営業者なのだということ。そして資産をどんどん増やしたいならば投資の方が遥かに確実だということである。
先日、オレはこの日記で「蚊がもしも人類との共生を選んでいたら・・・」ということを書いた。かなり頭の中味は老化して衰えたが、そうしたくだらないことを思いつく部分はまだ健在なのかも知れない。オレのWEBサイトにはこれまでに書いた多くの駄文とともに唯一の長編小説『イノコ』も置いてある。これからもオレは書くことを続けるだろう。自分の行き着く先がどこなのかもわからないままに。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2011年07月10日(日) |
テキスト庵の解散とテキストサイトの終焉 |
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オレがネット上で最初に発表した文章は、NIFTYのパソコン通信の頃にUPした「100万回生きたねこ・試論」である。その後オレはNIFTYの掲示板#8(スピリットのコーナー)の常連掲示者となって「教師EXAの悩み」「チョコレート革命・試論」、「白夜特急編」などのテキストを書いたのだった。パソコン通信の世界でオレは多くの読者を獲得することができて、「参照王」などと呼ばれて有頂天になっていたものである。
そのうちインターネットの時代となってパソコン通信は徐々に衰退し、オレも活動の拠点をインターネットに移した。電話回線に56kのモデムではエロ画像を表示するのにやたら時間がかかったりして、ストレスを感じるだけの日々だったが、そのうちオレは「さるさる日記」というサービスに出会い、そこで日記を書くようになった。2002年の11月のことである。しかし読者が増えない。カウンターが回らない。パソコン通信の時は一日で1000人を超えた日記の読者が、せいぜい5〜10人なのである。どうしたら読者を増やせるのだろうかとあれこれ調べてみたオレは日記のリンク集である「日記才人」にたどり着き、そこで徐々に読者を増やすことに成功した。また熱心に他の日記書きと交流するようになってオフ会にも出席した。日記の一日のアクセス数が5000を超えるようになったのは「日記才人」のおかげである。
「日記才人」に比べると登録者(更新報告者)はそれほど多くなかったが、「テキスト庵」にもオレは登録していた。日記がブログへと進化し、テキストサイトが次々とさまざまなブログサービスへと引っ越ししていく中でも、テキスト庵はなぜか手動で更新報告するというスタイルのままだった。日記才人が閉鎖された後、オレは「テキスト庵」にだけ更新報告をするようになったが、同時にそこはオレにとって上質な読み物に出会える場でもあった。オレは書くことも好きだが、他の方が書いたものを読むことも好きだったからである。テキスト庵10周年のオフ会にも出席し、多くの書き手のみなさんと直接交流できたこともオレにとっては楽しい瞬間だった。
オレの書いている文章のスタイルは基本的にパソコン通信時代と変わっていなかった。しかし、世間の動きはそうではなかった。改行ばかりでほとんど中味の文章のない芸能人ブログは大勢の読者を獲得していたが、オレの日記の読者は徐々に減少していった。いつしか人々はボリュームのあるテキストを書くのではなくて、短いフレーズをつぶやくようになった。無数のつぶやきがネット上を飛び交い、それがフォローされて新たなつぶやきを生み、いつのまにか我々は「新しいテキスト」を探す必要がなくなってしまった。言葉は我々の目の前をどんどん流れていった。テキスト庵の参加者たちも徐々に日記やブログを書くのではなく、ツイッターでばかり発言するようになった。
そして「テキスト庵」は突然解散した。七夕の夜のことだった。解散に至る経緯に関しては何人かの方がまとめているのでオレがいちいちここに書くまでもない。きっかけとなった事件そのものについて触れる気持ちもない。ただオレは悲しかった。いつまでも「日記書き」のまま進化できない自分がホームグラウンドとして活動できる場所が「テキスト庵」であり、そこで知りあえた多くの日記書きさんたちとの交流がオレにとってネットで得られる最大の楽しみだったからである。
とりあえずオレは何人かの「テキスト庵」参加者に協力を依頼すると同時に、新しく作成した「はてなアンテナ」にテキスト庵で更新報告されていたテキストを登録して、これまでテキスト庵経由で読んでいたテキストをこれからも同じように読めるように準備をした。そのリンク集は「テキスト庵」の精神を引き継ぐつもりで「テキスト餡」と名付けた。
「テキスト庵」のおかげで多くの上質なテキストと出会えたこと、そして「テキスト庵」経由で多くの方がオレの日記を読んで下さったことを思えば、オレは11年にわたって無償でテキスト庵の運営をに携わってくださった【な】さんに恩義を感じている。今回すぐに「テキスト餡」を作ったのも、自分が受けた恩を少しでも返したいということと、自分や他のネットユーザーが「新しいテキストと出会える」場を無くしたくなかったからである。
つぶやきで伝えられることには限界がある。人にちゃんとした形でまとまった意見や考え方を伝えるためにはやはり一定のボリュームのあるテキストが必要だ。そして、オレのようなおっさんはいずれ退場するが、どんどん若い書き手が現れてすぐれたテキストをUPしてくれるだろう。それを多くの人に伝えるための場として、まだ「テキスト庵」的なものは必要だと思うのである。だからオレは今回「テキスト餡」の運営を買って出たのである。
オレは時代遅れのオッサンなので、いつまでも新しいものにはなじめない。取得したツイッターのアカウントでつぶやくこともほとんどないし、パソコンはいまだにXPだし、仕事で使う一太郎は何年も前のバージョンのままだ。これはネットの事とは関係ないが、クルマも今年で11年目である。
かつて「テキスト庵」という不思議なコミュニティサイトがあった。そこで出会えたテキストにオレはどれだけ癒されたことだろうか。なんてすてきな文章を書くのかとオレはある人の文章を何度もため息をついて読み返したことがあった。暴言を垂れ流すことしかできないオレは自分にないものを持つ人たちにあこがれた。問題点を整理して語るその明晰な思考や分析にいつも感動したものである。
オレが毎日こうして書いている日記もいつか終わりが来る。それは10年後かも知れないし、明日かも知れない。ある日突然更新が終了し、いつしか忘れ去られる。書き手の死によって突然中断された日記やブログをオレはいくつも知っている。もちろん死ぬ前に終わりが来るかも知れない。誰にも読まれなくなってひっそりとその更新を断つかも知れない。テキストサイトの最後の砦だった「テキスト庵」の終焉は、オレに遠からず訪れる自己の運命を感じさせるものだった。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2011年07月09日(土) |
まだスーパーフリーの残党が居たのか? |
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2003年に起きたスーパーフリー事件を覚えているだろうか。早稲田大学にあったイベントサークル「スーパーフリー」が、泥酔させた女子学生を次々と輪姦していた事件である。主犯格のサークル代表者は確か懲役14年の実刑判決を喰らったはずだ。しかし、末端の連中はかなり軽い刑だった者もいて、すでに出所しているはずである。
あれから8年経ったが、まだ早稲田大学にはそうしたイベントサークルがあり、女性を酔わせて襲うという伝統もまた健在だったようである。朝日新聞の記事を引用しよう。
集団準強姦未遂容疑 イベントサークルの早大生ら逮捕 女性を酔わせて強姦(ごうかん)しようとしたとして、警視庁は8日、早稲田大学教育学部4年八木佑樹(22)=埼玉県川越市=、千葉大学工学部4年中山雄介(23)=東京都板橋区=の両容疑者を集団準強姦未遂容疑で逮捕し、発表した。ともに容疑を否認しているという。 捜査1課によると、2人は昨年9月下旬の夜、中山容疑者の自宅で、10代後半の女性にアルコール度数の高い酒を一気飲みさせて泥酔させ、性的暴行を加えようとした疑いがある。両容疑者は同じイベントサークルのメンバー。女性とはサークルの活動で知り合ったという。
逮捕された容疑は「準強姦未遂」である。またこの二人はその容疑を否認しているという。「未遂」だからやってないと言いたいのだろうか。あるいはあくまで否定しようとしているのだろうか。さっさと罪を認めて示談に持ち込んだ方が裁判官の心証もよくなるということがわかってない連中である。
オレは以前から「レイプするヤツは死刑」と主張してきた。だから今回の容疑者たちに対しても同様の感想を抱くのである。レイプしてから殺した市橋達也容疑者が死刑であることは当然だと思うし、被害者のリンゼイさんの父親も極刑を望んでおられる。被害者の無念を晴らせる場が他にない以上、被害者の遺族の感情がここでは最優先されるべきであり、オレはこの早稲田大と千葉大の2人に関しても最低でも10年くらい刑務所にぶちこんでやれと思っている。未遂でも既遂でも同じことである。襲おうとした時点でアウトだ。
輪姦サークル「スーパーフリー」の残党は広告業界などに進んだりしているらしい。きちっと罪を償わずに逃げ切った奴等も大勢居るのだろう。こういう破廉恥な罪を犯すヤツはそれこそ強制労働させて、一日中自転車でもこがせて人間発電機にしてやれと思うのである。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2011年07月08日(金) |
九州電力の姑息な裏工作バレました |
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「節電」だけで果たしてこの夏を乗り切れるのか。電力会社はどうやって事態を打開しようとしているのか。休止中の原発を再稼働させたい電力会社と、不安を感じている周辺住民との間で話し合いを持つことが各地でこれから行われることになる。その時に少しでも電力会社の側が有利になるように「市民が再稼働を支持している」と一般市民になりすまししたメールを送るようにと九州電力の幹部(?)が社員に指示していたことが明らかになった。この件で社長は辞任するようだが、いったい誰の指示だったのかというのがオレは気になるのである。そんなセコい作戦を企画立案したヤツは誰なのかということだ。読売新聞の記事を引用しよう。
九電がやらせメール指示、社員らに「賛成意見送れ」 原発 九州電力玄海原子力発電所(佐賀県玄海町)2、3号機の再稼働問題で、九電の真部利応社長は6日記者会見し、経済産業省が6月に県民向けの説明会を開いた際、同社が子会社4社と一部社員に対し、一般市民を装い、再稼働に賛成する意見を電子メールで説明会に送るよう指示していたと発表した。真部社長は「説明会の信頼を損ねる形になり、心からおわび申し上げる」と謝罪した。 説明会は6月26日、佐賀市で開かれ、国が選んだ県民の代表7人が出席。質疑は番組としてケーブルテレビとインターネットで生中継された。メールとファクスで意見や質問を募集し、一部は番組で紹介された。 九電によると、指示は同22日、九電本社原子力発電本部に在籍する課長級の男性社員のメールアドレスから、子会社4社と九電の3事業所(玄海原発、川内原発、川内原子力総合事務所)の社員各1人にメールで出された。「発電再開を容認する一国民の立場から、県民の共感を得るような意見や質問を発信」するよう求め、自宅からネットに接続することも指示した。4社の社員は計約2300人、3事業所の社員は計825人。メールが何人に転送されたかは今後調査する。 (2011年7月7日 読売新聞)
この姑息な工作メールに従って、なりすましメールを送った社員はどれだけいたのだろうか。届いたメールやFAXは番組中で紹介されたわけであり、いかにも一般市民の意見のように発表されたのだろうか。当該番組を見ていないのでなんとも言えないが、いずれYOUTUBEなどに出てくるだろう。
今回のやらせメール事件の首謀者というか、その姑息なたくらみを企画したのが九州電力の執行役員とか、かなり上の方の人たちであることは間違いないわけで、今更それを「課長クラスが勝手にやった」などと言い逃れることもできないのである。なんでも「賛成メールを出せとは言ってない」などと未だに事件をごまかそうとしている破廉恥野郎がいるようだが、そんなカスはとっとと役員を除名して、これまで九州電力からもらって得たすべての財産を震災復興のために寄付させるべきだろう。
真部社長は謝罪したそうだが、謝罪よりも大切なのは「誰がこんなことをやらせようとしたのか」「誰がそれをチェックしてGOサインを出したのか」という2点である。もしもGOサインを出したのが社長ならばあきれてモノも言えないのである。日本を代表する大企業のトップがそんな馬鹿であったということにオレは脱力するのだ。なんでそんなアホがこれだけの大企業の舵を取ってるのか。もっとも日本の舵を取ってる方もどうしようもないレベルなのでどっこいどっこいなんだが。
今電力業界はその「信」を国民に問われているのである。検査データをねつ造したり、トラブルがあっても隠蔽していたりというこれまでの体質が今回の福島原発の事故の遠因になったと言っても過言ではないのだ。その事故の結果、多くの国民に健康被害が出てしまうかも知れないのである。これはもう取り返しがつかないのだ。今国民が直面しているのはそんな大きな事態なのに、姑息な工作メールの指示をしている九州電力の幹部は全員出家して頭を丸めて、博多駅前で土下座でもしてお詫びするしかないだろう。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2011年07月07日(木) |
運転中の携帯電話に関しての私見 |
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クルマやバイクや自転車を運転しているときに携帯電話を操作していると違反になる。これは安全運転に支障を生じるからであり、そうしたルールが存在すること自体に関してはオレは納得している。ただ、その取り締まりというのは警察の専売特許である「弱い者いじめ」や「だまし討ち」ではなくて、きちっと交通に支障を生じさせているものを取り締まって欲しいのである。
オレが大きな交差点で右折待ちしているときに前方から来るクルマが左折なのか直進なのかということは大変重要だ。もしも直進ならばその通過をオレは待つわけだし、左折ならばオレはすぐに右折できる。だから指示器を点灯させて左折という意思表明をしてくれるととても助かるのである。
しかし、世の中には左折なのに指示器を操作しない輩がいる。特に天王寺区小橋町の交差点では多い気がする。オレはその交差点でよく右折待ちするのだが、前方から来るクルマがぎりぎりまで直進なのか左折なのかわからずにやきもきすることが多い。そして指示器を出さずに左折する馬鹿には共通する特徴がある。それは「携帯電話で話しながら運転している」ということなのだ。片手がふさがってるので、指示器を出すことができないという事情なのである。おかげでオレは右折のタイミングを逃してしまうことになる。これは些細なことかも知れないが、オレにとってはまことに重大なことである。いつもはじゃまに感じる警察の取り締まりもぜひそういうときにはがんばって検挙して欲しいと思うのだ。日頃ネズミ捕りでせっせとノルマを稼ぐ天王寺警察の方々にオレは伝えたい。小橋町の交差点で張り込めばいくらでも携帯で話しながら運転している人を捕まえられるし。しかもこの交差点は坂道にあってドライバーからは死角になってるので、見つからずにじゃんじゃん検挙できますよと。近鉄のガード下から出てくるクルマには交差点の状況は全く見えないので捕まえ放題だよと教えてやりたいのである。
さて、弱い者いじめが好きな警察の取り締まりが、携帯を操作しながら自転車に乗ってる女子高生を検挙したらしい。さっそく読売新聞の記事を引用しよう。
自転車で携帯、初摘発は女子高生…警告4回無視 神奈川県警平塚署は4日、自転車に乗って携帯電話を使用していた平塚市内の高校1年女子生徒(15)に交通切符を交付したと発表した。 5月1日施行された改正県道路交通法施行細則で、自転車に乗りながら携帯電話で通話したり、イヤホンで音楽を聴いたりする危険な「ながら運転」が禁止されたが、施行後の摘発は初めて。女子生徒は5万円以下の罰金が科せられる。 発表によると、女子生徒は3日午後9時半頃、同市追分の路上で、携帯電話の画像を見ながら自転車を運転。事故処理車に乗車していた同署員が見付け、マイクで「自転車に乗りながら携帯電話の使用は禁止されています」と、4回警告したが無視したために交通切符を交付した。 女子高校生は「自転車なのでつかまらないと思った」と話しているという。 (2011年7月5日07時00分 読売新聞)
「自転車ならつかまらない」と思ってルールを無視する迷惑な連中が本当に多いのである。おかげでオレのような善良なドライバーがどれだけ困っていることだろう。自転車の信号無視でオレは何度肝を冷やしたことだろう。自転車も罰金というルールはこのようにすでに施行されている。少し前の新聞記事も引用しておきたい。
自転車運転中の携帯電話、5万円以下の罰金…三重 4月施行 三重県警は8日、自転車を運転中に携帯電話での通話やメールを禁止する改正県道路交通法施行細則を4月1日に施行すると発表した。 違反した場合は5万円以下の罰金が科される。県警交通指導課は「運転中の通話やメールは危険なので、絶対にやめてほしい」としている。 県警は県内全域の交通安全協会に依頼して、昨年9月から約半年間、自転車に乗る人のマナーなどを調査した。対象となった3万5969人のうち822人(約2・3%)が通話やメールをしながら乗っていた。 現在、全国24都府県が自転車乗車中の携帯電話の使用を禁止している。細則の改正でイヤホンやヘッドホンの使用も禁止した自治体もあるが、県公安委員会は今回は見送った。 (2011年3月9日 読売新聞)
オレは何度か携帯電話を操作しながらちゃんと前を見ないでオレにまっすぐに突っ込んで切る馬鹿と遭遇したことがある。そのたびにクラクションを鳴らし急ブレーキをかけて難を逃れたわけだが、もしもそのときに油断していればはねていたことは間違いない。事故の場合はクルマが不利になることが多いわけで、いくらオレが「この馬鹿は携帯操作していて全然前を見ていませんでしたよ!」と主張しても単なるいいわけとしか受け取ってもらえないだろう。だからそういう迷惑な自転車乗りから罰金を取り立てるということに関しては大賛成だ。じゃんじゃん捕まえて取り立てて欲しい。
ただその罰金に関しては、本人のお小遣いで払えるような金額にして欲しいのである。1000円か2000円くらいにして欲しいのだ。金額がでかいと「どうせ親が払うから」となって効果が無くなるのである。金額は小さくても、高校生にとって自分で払う罰金1000円は痛いだろう。ただ、小橋町の交差点で携帯電話しながら運転していてオレに迷惑をかけるドライバー(たいていはオッサン)に関しては、10万円くらい罰金を取り立てても構わない。ぜひともすぐに、できれば今日から警官を張り込ませて常に取り締まってもらいたいくらいである。四天王寺の東側での朝のネズミ捕りなんかよりもはるかに意義があるぜ。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2011年07月06日(水) |
菅直人は松本龍に何を期待したのか? |
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政治家の中には自分自身は全く仕事しないくせに周囲を恫喝していろんなことをやらせて、さもそれが自分の手柄であるかのように錯覚している馬鹿がいる。ヤクザの組長の息子が自分は偉いと思い上がって勘違いしているようなパターンである。3世議員の松本龍、養祖父にあたる松本治一郎氏はかなりの大物だったようだが、3代目ともなればこんな劣化コピーになってしまったのかとただあきれるばかりだ。「知恵を出さない奴は助けない」というのは「そっちで全部考えろ。ゼニを出すかどうかはオレが決める」という意味である。仕事はいつも人任せ、手柄はいつも自分のもの、そんなやり方でこれまでは乗り切ってこれたのかも知れない。
オレが菅直人首相を見ていて不思議に思うのは、彼の閣僚人事が常に「不適材不適所」であることである。もっともその任にふさわしくない人間をなぜか大臣にするのだ。いったいどういう考えでそんなふうにするのだろうか。岡崎トミ子なんかまさにその典型である。
なぜゼネコンの大株主であり。人よりもコンクリートが重視される業界の人間が「環境相」だったのだろうか。そのあたりからして悪い冗談としか思えないのである。それともそれが何かの狙いだったのか。「今の最後の言葉はオフレコです。いいですか、皆さん。いいですか?はい。 書いたらもう、その社は終わりだから。」という恫喝ははっきり言ってヤクザと同じレベルである。その発言だけで「脅迫罪」で刑務所にぶちこんでやってもいいくらいだ。
防災担当相でありながら、震災以後ほとんど何もできずにいたこの松本龍の無能さを菅直人はわかっていなかったのだろうか。
年間に1800万人もの利用者がありながら福岡空港が赤字なのは、敷地の一部が私有地であり、その賃料が法外な値段のためだという。その地主というのが他でもない松本龍だそうだ。なんでも養祖父の松本治一郎が空港建設の情報を入手して土地を買い占めた結果らしい。松本一族の資産はそうやって築かれてきたのである。大金持ちの3世議員は生まれついての特権階級だった。考えるのはみんな人任せ、肥大したプライドと過剰な自意識がそのすべてであり、自分が命令して人を手足のように動かせることでその尊大さはますます増幅していったのだろう。
そんな尊大な人間だからこそ、松本龍は村井知事との会見の場で「オレの方が立場が上だ」ということをアピールすることしか考えていなかったのである。どうすれば復興が進むかという建設的な議論よりも、自分と村井知事とどっちが上かという序列のことしか頭になかったわけだ。
今一番松本龍のせいで困っているのは、B型の九州男児である。彼は自分のその欠点をすべて血液型と出身地のせいにしている。B型の九州男児というのはすべてあんなふうに傲岸不遜なオッサンなんだろうか。もしも今後、B型の九州出身者が就職や結婚などさまざまな場面で「もしかして松本龍みたいに傲慢な人ですか?」と思われて差別を受けるとすれば、その風評被害に対してどのように九州男児は対処すればいいのか。
今回の茶番だが、もしも菅直人首相が「生意気な松本龍を失脚させてやろう」と考えて仕組んでいたのならばオレはその腹黒さに賛辞を贈りたい.。そんな腹芸ができるのならやはり菅直人恐るべしである。しかし、その可能性は100%ないだろう。ボンクラな人間というものは自分以外のボンクラな人間がボンクラであることにもちっとも気がつかないからボンクラなのである。自分がボンクラであることは仕方ないとして、せめて他の人の能力くらいは評価できるようになっていて欲しいのである。
「暴言と知性について」内田樹
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2011年07月05日(火) |
いもねぎよ永遠に |
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オレがその「わびすけ」という店に初めて入ったのはまだ大学生の頃だった。同志社大学に通うある女性と何度かデートして、その時にこの店に入ったのである。オレはメニューにあった「いもねぎ」というものが気になって、その後一人で食べに来ることとなった。当時の値段で確か500円くらいだったと思う。大学の生協食堂で食べるカレーライスが140円、ビイヤントのカレーが400円、百万遍の「まどい」のオムレツ定食が440円で食えたのに、その「いもねぎ」ははるかにそれらを上回る値段だった。学生のランチメニューにしては高いと思ったことを覚えている。これがそのいもねぎである。
その後も京都に出かけたときにふとなつかしくなって、何度か烏丸今出川にあるその店に足を運んで「いもねぎ」を食べたことがあった。いつのまにか二階席は閉鎖されて、昔のにぎわいはなくなったが、それでも店は健在で、店内の水槽では金魚が泳いでいた。まさかその「わびすけ」がなくなってしまうとは誰が予想しただろうか。朝日新聞の記事を引用しよう。
京都の名物食堂「わびすけ」閉店へ 100年の歴史に幕 2011年6月29日 思い出の詰まった「いもねぎ定食」を運ぶ中井咲子さん=京都市上京区、高橋一徳撮影
同志社大のそばにあり、学生や観光客らに親しまれてきた和風食堂「わびすけ」(京都市上京区)が30日、閉店する。100年近い歴史があるが、客が減り、後継者も見つからないため、第4代主人の中井咲子(さくこ)さん(78)が「心苦しおすけど……」と覚悟を決めた。 店は、同志社大・今出川キャンパス西側の烏丸通沿いにある。町家の格子戸や使い込んだ木のテーブル、革張りの椅子が並ぶ店内は、タイムスリップしたようなレトロな雰囲気だ。 前身は、中井さんの祖父が大正初期に開いた喫茶店「中井ミルクホール」。画家でもあった父が引き継いだ後、1957(昭和32)年に店名を「わびすけ」にした。京都の寺院などでよく見かけるツバキの一種、侘助(わびすけ)からとった。 名物メニューは、オープン当初から続く「いもねぎ定食」(900円)。刻んだジャガイモとタマネギを炒めて卵でとじ合わせ、ミンチ肉を載せたもので、好みでケチャップやしょうゆなどをかける。 素朴で家庭的な味と、皿からあふれるほどのボリュームが受け、学生や近所の住民に人気が出た。元衆議院議長の土井たか子さんは法学部生だったころからの常連。ニュースキャスターの故筑紫哲也さんや、歌手の小田和正さんは京都に来るたびに顔を出した。ガイドブックにも頻繁に掲載され、観光客も訪れた。
なななんと、小田和正さんも来ていたのか。オレはこの新聞記事を読んでめちゃんこ驚いた。店で遭遇できればどれほど嬉しかっただろうか。土井たか子や筑紫哲也はどうでもいいが、小田和正さんとはぜひとも逢いたいのである。コンサートを見に行ったのは遠い過去のことだ。記事の中では「好みでケチャップやしょうゆ」とあるが、オレはいつもウスターソースを掛けた。
名物いもねぎ 最後の完食2011年07月01日 同志社大学前にある京都の名物食堂「わびすけ」(上京区)が30日、100年の歴史に幕を閉じた。別れを惜しむ人が詰めかけ=写真=、昼時には行列ができた。 ほとんどの人は、ジャガイモとタマネギの卵とじにミンチ肉をのせた名物の定食「いもねぎ」を注文。食材は多めに用意したが、昼すぎには売り切れた。 同志社大OBの塩崎健吉さん(76)=北区=は「どうしても最後のいもねぎが食べたくて。こんなにいい店が消えていくなんて、学生気質も変わったのかなあ」と残念そうだった。 食堂は建て替えられ、貸しビルになる予定。店主の中井咲子(さくこ)さん(78)は「皆さんにつぶさんといてな、と言われていたので申し訳ないですが、最後まで愛していただき本望です」と語った。
後継者がなく、店主も高齢となれば閉店も致し方なかったのかも知れない。オレが気に入って通ってる店はなぜか次々とこのような運命を迎えるのである。なんともせつないのである。もしもこのことを知っていたらオレは迷わず閉店前に出かけただろう。
この「いもねぎ」自体はそんなに難しい料理ではない。材料を用意すればオレも作ることができる。ただ、他の店がそのメニューをパクらなかったのは、もしかしたら京都人の良心みたいなものだったのかも知れない。たとえ「わびすけ」がなくなっても、オレの記憶の中に永遠に「いもねぎ」の思い出は存在する。もう「わびすけ」は無くなったのだから、ここは他の店が堂々と名物の「いもねぎ」を引き継いで提供すればいいと思うのである。店主の親族の方とか、誰か「この味を残したい」と思う人はいないのだろうか。あるいは全く血のつながりが無くてもいい。新しくできるビルにテナントとして入って、新たなコンセプトで「新・わびすけ」を開業する人はいないのだろうか。この名店が消滅してしまうのがオレはあまりにも惜しいのだ。
「わびすけ」=「いもねぎ」があまりにも有名となってしまい、他のメニューの存在が忘れられてしまったのだが、実はオレの好みは「きつね丼」だったりするのである。甘く味付けされたおあげさんがたっぷりはいったあの「きつね丼」は絶品だったよ。オレは「いもねぎ」も恋しいが、あの「きつね丼」が食べられなくなったことも残念なのである。さよなら「わびすけ」。さよなら「いもねぎ」。そしてさよなら「きつね丼」。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2011年07月04日(月) |
蚊についての馬鹿げた一考察 |
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夏は蚊の季節である。家の中の3大害虫というと「ハエ」「蚊」「ゴキブリ」だと思うのだが、最近は家の中でハエを見かけることはほとんどなくなった。たぶんそこらに腐った食品や動物の死体などが放置されていないせいだと思う。ゴキブリホイホイに代表される捕獲機の進歩と普及でゴキブリもかなり減ってるかも知れない。しかし、昔も今も大量に存在する害虫が蚊である。我が家の周辺には未だに水田が多い。どこからかやってくる蚊を阻止するために網戸があるだけでなく、最近はその網戸に殺虫機能を持たせている家もある。
そうして侵入を阻止しているはずなのになぜか家の中に蚊がいる。そして刺されてしまう。蚊に刺されたところは赤く腫れ上がってかゆいのである。人が蚊を駆除するのはこの刺されたときの感覚が不快だからだろう。そこでオレは考えたのである。なぜ蚊はこの「刺された相手はかゆくなる」という戦略を昔からとり続けてきたんだろうか。なぜ刺された人間がかゆくなる物質を注入するのだろうか。刺されても気づかないような刺し方ならば今ほど人間は不快に感じなかったはずだし、動物たちも抵抗しなかっただろう。さらにうがった見方をすれば、もしも進化の過程でその注入物質を変えて、人間が刺されてかゆくなるという物質ではなくて、人間に性的興奮や快楽を与える物質を注入していればどうだっただろうかとオレは想像するのである。
蚊に刺されれば気持ちいいということになれば、人は今のように蚊を毛嫌いすることはなくなるだろう。その快楽を求めて多くの人が「わざと蚊に刺される」という選択をするだろう。これまでは網戸などで蚊の室内への侵入を阻んできたわけだが、今度は積極的に家の中に蚊を呼び込もうとするかも知れない。そのためにはどうすればいいのか。
自分から蚊の多い場所に出かけて、露出度の高い服装でどんどん蚊に刺されようとする人も出るに違いない。全裸で夜の墓場に出かけて、全身を蚊に刺されてそのあまりの快楽に悶絶して倒れているような馬鹿もきっと出てくるだろう。絶対にそういう遊びが流行る。オレは断言するぜ。青山墓地で篠山紀信はヌード撮影をしたが、青山墓地で蚊に刺されたい男女が勝手に全裸になるということが起きるかも知れない。また、その快楽を求めて性器だけを露出して蚊に集中的に刺してもらおうとするモロだし男も出現するだろう。
もちろんわざわざ蚊に刺されなくてもその快楽物質だけを摂取できればいいわけで、蚊を研究してその物質の分離を試みる研究者も出るだろう。ただそれを取り出すことに成功したとしてもきっと値段は高いだろうし、世間一般の人々にとってはやはり「蚊に刺されて気持ちよくなる」方がお手軽である。蚊を求める人たちはどんどん外に出かけ、少しでも多くの部位を刺してもらおうとして服を脱ぐだろう。
いくらたくさん蚊に刺されたとしても、それが10カ所程度ならさして健康上の問題もないだろう。しかし、「夜中に全裸で寝ころんで」などの方法でカラダを大量の蚊の攻撃にさらした場合はどうなるのか。全身くまなく蚊に刺された場合、命の危険はないのだろうか。皮膚呼吸できないくらいに蚊に刺されれば生命の危険が伴うのではないだろうか。
蚊によって媒介される病気も数多くある。いくら気持ちよくても生命の危険が伴うならばそれを阻止する方が優先だ。しかしマラリアや日本脳炎のない土地ならばそうした心配はいらないということになる。安心して蚊に刺されることができるのだ。
人間を気持ちよくしてくれる虫ということなら「害虫」ではなくて「益虫」になる。蚊はなぜ進化の過程で「益虫」になるという選択をしなかったのだろうか。自分が刺す相手である多くの動物に対して「不快」ではなくて「快」を与えるという路線を目指していれば、きっと蚊は人間に愛されていただろう。のめりこまずに適度な快楽を得ようとする人は常に室内に数匹の蚊を放し飼いにして少しずつ刺されることを選んだだろう。
蚊はその進化の過程で人類との共生を選ばずに敢えて対決姿勢をとってしまったために現在のように迫害されているのである。ドラッグストアには各種の殺虫剤が並び、蚊の存在は忌み嫌われ、生活から排除すべきモノだという共通認識を誰もが持ってしまっている。ああ、もしも蚊がその愚かさにもっと早く気づき、そしていかにして自分に血を分け与えてくれた相手に感謝の意を伝えるかに腐心していればこんな不幸な関係は起きなかったのだ。きちっとそこにはギブ&テイクの関係が生じていたはずなのである。オレはこの蚊の不幸な運命に同情するが、かといって血を分け与えるなんてことはしない。見つければただ情け容赦なく殺すだけである。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2011年07月03日(日) |
平成版「大学は出たけれど・・・・」 |
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小津安二郎監督の作品で「大学は出たけれど」という映画がある。1929年の作品である。昭和初期の不況下では大卒者の就職率が30%という惨状だったそうで、それに比べれば今はこれでもかなりマシなんだが、この昭和恐慌の時の経済政策と各国の対応はなかなか興味深い。国会でいつも居眠りしているクソ政治家どもはこういう過去の歴史をしっかりと学んで欲しいものである。
若者はなんのために大学に行くのだろうか。きちっと勉強してそれを将来の仕事に役立てるために進学するというのが望ましい姿である。入学試験の偏差値上位の大学は基本的にそういう志願者が多数派を占めている。しかし、世間には多数のFランク大学というものが存在している。全然受験勉強しなくても、頭の中がカラッポでも、受験料を振り込んで願書さえ出せばあーら不思議、大学生になれちゃうのである。分数がわからなくても、かけ算の九九が不確かでもOKである。およそ「勉強すること」とは縁遠い馬鹿学生たちの楽園が日本には多数存在するのだ。
そういう馬鹿学生は、自分のことを「大学生」と思っている。これは甚だしい勘違いである。もっとも自分の通ってる施設に「○○大学」という間違った名称がついてるからそういう錯覚をしてしまうわけで、ちゃんと実態に合わせて「○○ニート養成所」「○○馬鹿収容所」などと名付けられていればそんな勘違いも起きなかっただろう。
こんなことを書くと、必ず「入学試験の偏差値の高い大学でも馬鹿はいる」「入学試験の偏差値の低い大学にも賢いまじめな学生はいる」と反論される方がいる。それは確かにそうで、ごくわすかなそうした例外は存在するとオレも思う。しかし、平均的に見てそれはやはりきわめてマレな例外であり、やはりFランク大学に通う学生の大多数は馬鹿なんだとオレは思うのである。オレはとあるFランク大学の前をよく通るのだが、そこの学生は漫画しか読まないし、趣味といえばパチンコやギャンブル、会話の語彙は恐ろしく貧弱で髪の毛は真っ黄色や金髪、黒髪の学生がほとんどいない。未だにズボンをずらして腰パンではいていて見るからに馬鹿丸出しである。電車の中でそいつらの会話を傍聴したことがあるが内容が馬鹿すぎてとても日本語とは思えなかった。その連中が教室の中でまともにノートを取りながら講義を聴くとは思えないのである。きっとメールを打ったり3DSで遊んだりおしゃべりしているのだろうと思ってそのFランク大学で教えてる友人に訊いてみるとそのとおりだった。
だから大学生の就職率が低下してると聞いても全然驚かないのである。そんな馬鹿な連中でもちゃんと就職できる世の中の方が異常だ。企業がまともな学生を選ぼうとしていて、選べるだけのまともな学生が居るのなら日本企業の将来は安泰だ。もしも就職率が上昇してそんな馬鹿たちもみんな就職できるようになる方が危険である。そういうわけでオレはこういう記事を見ても全然問題とは思わないのである。なんだ就職できないのは2割だけかよと思ってしまうのである。朝日新聞の記事を引用しよう。
大卒の2割、進路決まらず 朝日新聞・河合塾調査
今年3月に4年制大学を卒業した学生のうち、5人に1人は就職や進学などの進路が定まらないまま卒業していたことが、朝日新聞社と河合塾の「ひらく 日本の大学」調査でわかった。不安定な立場にいる卒業生は、少なくとも8万6153人にのぼる。全卒業生に占める割合を学部系統別でみると、最大で約5倍の格差があり、理系より文系の方が就職や進学に苦戦している傾向がみられた。 調査は、全国の国公私立大学計759校を対象に実施。558大学から回答があった(回収率74%)。 それによると、卒業者のうち、就職者は62.2%、大学院などへの進学者は16.1%だった。就職、進学者以外と、アルバイトなど「一時的な仕事」に就いた者、「不詳など」を合計した卒業生は20.8%にのぼった。
この調査に対して回答しなかった26%の大学は少し怪しいのである。 資料を見るとどういう学部に就職できない者が多いのかよくわかってなかなか興味深い。医学部を出ても6.7%はプーなのである。そう考えれば決して医学部入学だけでは安心できないことがわかる。また芸術やスポーツ科学といった分野が就職に直接結びつかないという至極当然の結果がちゃんとデータで示されたということもわかる。
大学生が就職できない最大の理由は「志望と実力のミスマッチ」である。何の能力も個性もなく、努力もしなかった学生が東証一部上場企業ばかり志望したところでそれは偶然を期待して宝くじを買っているようなものである。中小企業の多くは人手不足で困っているのだが、求人票を出してもまともな学生どころか馬鹿学生さえも来てくれないのである。もちろん馬鹿に大挙してやって来られても困るだけなんだが、来てくれないと選びようがないのである。
これだけ就職難といいながら人手の足りない業界はいくらでもある。農業や漁業は後継者がなくてどんどん産業の規模が縮小していっているわけだし、外食産業はこんなに隆盛なのにやはり人手不足だ。コンビニのバイトも足りないのかレジには外国人が立っていることが多い。近所を走る南海や近鉄のバスには大きく「バス運転手募集」の案内が掲示されている。
ただ、企業が「正社員」での採用を減らしていることは事実だ。これに関してはきちっと政府の指導を入れて欲しい。「正社員」=「雇用の安定」であり、労働者の生活の安定につながるからだ。不安定なままでは結婚も子作りもしにくい。正社員比率の低い企業は法人税率を倍にするとか、キヤノンみたいに擬装請負などのズルをする企業は社長や会長を逮捕して刑務所にぶち込むなどのペナルティが必要だ。そいつが開き直って「ルールが間違ってる!」などとほざいたら即座に全財産没収で国外追放だ。
文部科学省がいくらでも設置認可を出しまくるものだから大学生の数はものすごく増えた。昔ならとうてい大学になどは行けなかったレベルの連中までみんな大学に入れるようになった。それでも8割が就職や大学院への進学ができているのである。ちゃんと就職できないのは5人に1人しかいないのである。これはある意味すばらしいことだ。そのどこが問題なんだろうかとオレは思うのである。
農業や漁業が後継者不足に悩むのならばいっそ新規に農業や漁業に従事しようとする若者を公務員にしてしまえばいいのである。膨大な補助金を投入することに比べればかえってゼニは節約できるかも知れない。休耕田や耕作放棄地は国が強制収容してそこで公務員農民を働かせればどうか。もっとも「まじめに働かなくても給料は保証されている」という公務員の負の側面を彼らが身につけてしまうと困るのだが。なぜ人は公務員という身分を与えられたとたんに働かなくなるのか。それは東欧の社会主義国体制が崩壊したように社会の基本法則の一つなのかも知れない。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2011年07月02日(土) |
節電の夏、店頭に扇風機がない! |
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我が家では各部屋に扇風機が備え付けてある。いくら冷房を入れていてもそれだけで涼しさを十分に感じるようにするにはかなり無理がある。でも、ほんの少しでも風が有れば体感温度は違う。冷房温度を高めにして、その代わりに扇風機の風を併用するというのが我が家の節電であり、夏にはいつも繰り返されてきたことである。
今年は「節電」の夏である。お上の命令に対して従順な日本企業は「電力制限令」を守って節電に努力している。多くの国民も同様に行動していて、日本中で我が家同様に「冷房温度を高めにして・・・」という工夫が実行される成り行きなんだが、扇風機を新たに買い求める人が多くて品薄になっているという。被災地では特に扇風機が不足しているらしい。毎日新聞の記事を引用しよう。
節電:「扇風機が買えず蒸し風呂」仮設入居者、品薄に悲鳴 東京、東北電力管内で電気事業法に基づく電力使用制限令が1日発動され、「節電の夏」が本格的に始まった。各家庭でも15%削減が求められる中、人気が集まっているのが扇風機。しかし突然のニーズの高まりに供給が追いつかず、被災地では仮設住宅の入居者が悲鳴を上げている。 「電器店に行ったら、まったく売っていなかった。何とか手に入れたいのに」。岩手県大槌町の仮設住宅で暮らす男性(73)はぼやく。真夏日となった6月22日はプレハブの壁が触れないほど熱くなり、蒸し風呂のようだったという。 標準的な仮設住宅にはエアコンが1台設置されているが、外から入ってくる魚の腐敗臭や電気代を考え、使用をためらう被災者は多い。特に高齢者の場合、この男性のように「体調を崩すからエアコンは使ったことがない」人が少なくない。 しかし量販店の在庫切れは深刻だ。釜石市にある「ケーズデンキ釜石パワフル館」では、扇風機コーナーの棚が空っぽ。佐々木教雄店長(39)は「5〜6月で前年比3〜4倍の約500台が売れた。被災地に優先的に商品を回してと本社に要望しているが、かなわない」。ホームセンター「サンデー釜石店」の田中美春店長(37)も「入荷日が分からないので予約も取れない」と悩む。 両店を回って6月末、やっと店頭にあった最後の一台を手にした小笠原孝則さん(57)は「仮設入居者全員に扇風機が行き渡ればいいのに」と提案する。しかし行政側は「本格的に暑くなるまでに、どうにか自力で入手して」(釜石市広聴広報課)との立場だ。 ◇ 一方、東京・秋葉原では節電意識の高まりによる品薄が続く。「ヨドバシカメラ・マルチメディアAkiba」では1日、開店とともに多くの客が扇風機コーナーへ。東京都葛飾区の会社員、篠崎宏行さん(56)は「やっと買えた。節電のためエアコンと併用したい」と満足そう。練馬区の無職男性(76)は「自宅のエアコンは使っていない。扇風機は電気代が安いし、自由に移動させられるので便利」と話した。 今年は震災直後から電力不足が指摘され、同店では消費者の節電志向を見越して例年より早い4月に売り場を開設した。ところが5月中旬以降、2000円台のお買い得品から5万円以上の高級モデルまで、ほぼ入荷したその日に売り切れるという。担当者は「扇風機がこんなに注目されるなんて」と驚く。 エアコンの普及とともに、大手メーカーの一部は扇風機の製造から撤退。ある大手は「製造はすべて中国の協力会社に委託しており、すぐに増産できる体制ではない」と明かす。各社は海外の協力会社からの輸入を急いでいるが、それでも追いつかない。東京税関によると、5月に輸入された扇風機は過去最高の321万台。うち98%が中国製の低価格商品という。【長尾真希子、袴田貴行】
壁が熱くて触れなくなるような素材仕様のプレハブ住宅に人を住ませて「我慢」させていることからして間違ってるのだが、そこに入ってる住民が「自衛」のために扇風機を手に入れようとして入手できないという。それにしてもなぜこの「仮設住宅」はエアコンを標準装備しながら扇風機までには手が回らなかったのだろうか。どうせ業者はぼったくり価格でエアコン工事費を上乗せしているはずだ。ついでに扇風機一台ずつをおまけで無償提供させるくらいの駆け引きは仮設住宅を発注した行政側にやってほしかったのである。
5月に輸入された扇風機が321万台というのもすごい数だ。そのうち98%が中国製の低価格商品だという。残りの高級品というのはダイソンから出てる「羽根のない扇風機」なんだろうか。その高級機も入荷と同時に売り切れるのだから驚きである。もしかしたらこれから関西でも扇風機は品薄になって行くのかも知れない。
オレは職場でパソコンから電源供給するUSB扇風機を愛用しているが、オフィスの冷房温度が上昇すれば、個人個人が快適に仕事をするためにこうした「ミニ扇風機」の需要も伸びるだろう。
6月からクールビズが推奨されたオレの勤務する学校では、同僚の多くが真新しいお洒落な半袖のボタンダウンを着ている。きっと新しく買ったのだろう。衣料業界は降って湧いた特需に悲鳴を上げてるのではないだろうか。
節電で操業を制限しなければならない工場がある一方で、節電のために新たに売れるようになった商品もある。そう考えた場合必ずしも今夏の電力不足が産業に与えた影響はマイナスだけではなかったようである。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2011年07月01日(金) |
パトカーに体当たりする馬鹿は撃ってよし |
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オレはつい先日、パトカーに追われて逃げる二人乗りの原付バイクを目撃した。狭い道に逃げ込めば、その暴走小僧どもももしかしたらパトカーを振り切って逃げ切れるかも知れない。追跡するパトカーは他のクルマや歩行者の安全にも留意しないといけないので大変である。そんなときに警官は発砲することは許されないのだろうか。威嚇射撃してやれば逃げてる小僧どももあわてて停まるのじゃないか。そんな時に逃げれば射殺されても文句は言えないというのは乱暴だろうか。世間を舐めてるこういうクソ野郎は手足に撃ち込んでやれとオレは思うのである。
緊急配備中のパトカーに追われた軽自動車がそのパトカーに体当たりし、パトカーから降りた警官をひき殺そうとして向かってくるという事件があった。もしもオレがその警察官で、相手が自分に対して殺意を持ってクルマで向かってきたとしたら威嚇射撃ではなく迷わず急所を狙って撃っただろう。市民の安全を守るために無法者に対して発砲することは警官として当然の行動であり責務だ。読売新聞の記事を引用しよう。
パトカーに衝突の不審車両に拳銃発砲…少年逮捕 30日午前3時15分頃、兵庫県西宮市門戸荘の市道で、近くのコンビニエンスストアで発生した強盗事件で緊急配備中だった県警西宮署のパトカーが不審な軽乗用車を見つけた。 停止を求めたところ、軽乗用車は逃走し、約3キロ南の袋小路で、追い付いたパトカーに向かってバックしてきて衝突。同署地域課の男性巡査部長(57)がパトカーから降りると、軽乗用車はさらに後進を続けたため、巡査部長は警告したうえ、車両の右前輪に拳銃を1発発砲した。 軽乗用車は近くに駐車中の別の車にぶつかって停止。巡査部長が運転していた同市の塗装工の少年(19)を公務執行妨害容疑で現行犯逮捕した。 同署の発表によると、軽乗用車には少年と友人3人が乗っていたが、けがなどはなかった。調べに対し、少年は「捕まるのが嫌だった。警察官に車をぶつけようとしたことは間違いない」などと供述している。強盗事件とは無関係とみられるという。 同署の藤井雅実副署長は「適正な拳銃使用であったと考えている」としている。 (2011年6月30日11時41分 読売新聞)
警官が職務を遂行するために発砲することは正当な行為である。そのために彼らは拳銃を携帯することが許されているのだ。世間に迷惑を掛けているクソガキのためにやむなく発砲したことは通常の業務に過ぎない。ところが副署長さんが「適正な拳銃使用であったと考えている」といちいち言わなければならないのは、そんな些細なことにいちいちケチを付けるおかしな人たちがいるからである。緊急時だから発砲するのである。いちいちその使用の前に「ここで撃ってもいいですか?」なんて問い合わせていたら間に合わないだろう。今ここで撃たないでどうする?という差し迫った局面でしか基本的に警官は発砲していないはずだ。今回の場合もそうだったとオレは受け止めている。
もしもその軽自動車にぶつけられたという駐車中のクルマがオレの愛車である真紅の三菱FTOだったとしたらどうか。オレはそのクソガキどもを断じて許さない。発砲中の警官に向かって「クソガキどもは一人残らず仕留めて下さい!」と声援を送っただろう。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
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