江草 乗の言いたい放題
コラムニスト江草乗の日記風エッセイ
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2009年01月31日(土) |
株価をどんどん上昇させる方法教えます! |
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日立が7000億円の赤字、NECが2900億円の赤字、トヨタが4000億円赤字というふうに日本を代表する企業が次々と赤字に沈んでいる。株価もそれを反映して日経平均はまたしても1月30日に8000円を割ってしまったのである。これ以上の円高になればますます企業業績は悪化するだろう。しかも外国人は保有する日本株をせっせと売ってくるのでますます株価が下がるのである。
この下がる一方の株価を必ず上昇させられる秘策がある。金利を少しばかりいじるとか、金融機関の保有する国債を買い入れるとか、そんなみみっちい方法ではなくてもっと劇的に、しかも100%確実に株価を上昇させる方法があるのだ。やろうと思えばいつでも可能であり、その効果が絶大であることは間違いない夢のような方法があるのだ。それは株式の売買益を一切非課税にすることである。この発表がなされれば、金持ちは争って株を買い始めるだろう。また暴力団などが覚せい剤の密売などで稼いだブラックマネーも一斉に株式市場に入ってくることになる。一度証券会社というフィルターを通過させてしまえばもう無関係なのである。世界がマネーロンダリングの中継地として日本を利用するようになるだろう。非課税にしたから税収が減るなんて心配はない。どうせ2008年度の売買益が黒字で納税しないといけない投資家はろくにいないからである。どうせ期待できないものならいっそあきらめて、そのかわりに景気対策になるようなことをどーんとやればいいのだ。株式市場を政府公認の賭場にしてしまうのである。
もちろんバクチにはイカサマがつきものだ。昨年もオリックス関係者によるジョイントコーポのインサイダー取引疑惑など、誰もが見ていて怪しいことがわかるような状況でありながら全くなんの摘発もされなかった例がたくさんある。そうした類は厳重に取り締まってもらって、安心して遊べる賭場を目指せばいいのである。しかもいくら勝っても納税なんかしなくていいとなればもうパチンコや麻雀なんかよりもはるかに大きな利益がねらえるわけだ。カジノなんかわざわざ作らなくてもいい。ネット取引がこれだけ普及した今、世界中から参加できる公認賭博場として東証や大証を開放して、じゃんじゃんゼニを賭けてもらえばいいのである。
しかし、非課税にしたことで失った税収の穴埋めはどうするんだ?と突っ込まれそうなのであらかじめ答えておきたい。国もその相場に参加すればいいのである。今のように底値になってる時期にせっせと株を幅広く買い集めて、それから「非課税」の発表を行えばいいのである。50兆円ぶんくらい株を買い集めて、2倍くらいに値上がりしてから売却すれば50兆円のキャピタルゲインが手に入ることになるわけで、そうして得られる収入は政府の一年間の税収よりも多いのである。
日銀や財務省が今のうちに株を仕込んでおいて、その株を値上がり時に売却すれば莫大なキャピタルゲインが得られる。しかも今仕込むと言うことは株価の下支え効果を生み、底堅いとなれば個人投資家に安心感を与えることになる。その結果として国民の株式投資への参加を促すことができるのだ。何もかもうまくいくじゃないか。外人が過半数を保有していて思い通りに株価を操られてきたことを思えば、今こそ東証を日本人の手に取り戻すチャンスなのである。外国人投資家が投げてしまった国際優良株をせっせと拾い、十分に値上がりしてから今度はそれを高値で外国人投資家に押しつければいいのである。それだけで国民資産を大きく増やすことができるのだ。しかもそのゼニは外国からかき集めたのと同じことになる。
これだけ連日株価が下がるニュースが流れると個人投資家たちも買い控えという流れになるわけだが、逆に言えば今が優良株を安く仕込む最後のチャンスかも知れないのだ。個人投資家たちがまず手始めに、円高で今後の利益がふくらむ可能性が高い「電力各社」あたりに狙いを定めてみるのはどうだろうか。そこから「食品」「低価格外食産業」など、不景気でも業績がさほど悪化せず、利用を減らすわけにはいかない業種を狙ってみればいい。そうした銘柄は実際、ここ数ヶ月の暴落相場の中でも堅調に推移してるところが多いのである。そうした慎重派の投資家もこのマネーゲームに参加させたいのならば、やはり全面非課税しかない。おそらく香港や台湾のマネーも一気に流れ込んでくるだろう。東証がNYやロンドンを抜いて、世界一の市場になることをオレは願ってるのである。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2009年01月30日(金) |
書評『旅する力(深夜特急ノート)』〜沢木耕太郎 |
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最後に一人旅をしたのはいつだっただろうか。1988年の夏、オレはシンガポール航空でフランクフルト往復の南回りのチケットを手にヨーロッパ放浪の旅に出た。その旅の記録をオレは 「白夜特急編」というタイトルで自分のWEBサイトに置いてある。中学生の頃から自転車で遠くに出かけるのが好きで、夏休みや春休みはユースホステルに泊まって九州や信州をサイクリングした。大学生になってからはサイクリング部に所属し、その傍ら一人で長期の旅に出ることが多かった。就職してからも教師という長期の休みが取れる仕事だったので相変わらず旅を続けた。そうして国内ばかりを旅していた自分が、海外放浪を思いたったのは沢木耕太郎氏の著書、「深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)」を読んで影響を受けたことが大きい。沢木氏が26歳でその旅に出たように、オレは27歳の時にヨーロッパ放浪の旅に出た。
それから20年経った。その頃よりもはるかに円高になり、海外旅行はしやすくなった。ところが一人旅をする若者は昔に比べて減っているという。国内のユースホステルの利用者も昔に比べて激減したらしい。かつて、礼文島の桃岩荘に代表されたような安宿で見知らぬ旅人たちとの交流を求めるような旅のスタイルは廃れ、今の若者は旅をしなくなったと言われる。国鉄の時代には「均一周遊券」(後にワイド周遊券)という切符があって指定された区間内・期間内なら乗り放題だった。学生時代のオレはそれをフルに活用して旅をしていたことを思い出す。北海道を旅するのに、自転車と鉄道を組み合わせて回ることができた。天北線も標津線も当時はまだ廃止されていなかった。
沢木氏の著書「旅する力」の中では、「深夜特急」の旅をはじめるまでのさまざまなエピソードが描かれる。「深夜特急」ファンの私は、その一つ一つをたまらなく愛しいものとして味わった。紀行文でありながら単なる観光ガイドではなく、自分が見たものを通じて自分の内面を見つめるそのスタイルは、オレが自分の紀行文である「白夜特急」でそのまま拝借したものである。
今のオレにはもうかつての体力はない。27歳の自分だったからあの旅ができたのだと言えるし、沢木氏が「深夜特急」の旅をしたのも26歳だったから可能だったのだろう。ただ、オレがその本の中に感じる物足りなさはそのストイックな部分なのだ。海外旅行をして知り合った美女とめくるめくような甘美な時を手に入れることを夢見て、かつてのオレは旅立ったのではなかったのか。
旅にはハプニングがつきまとう。ザルツブルグからウィーンに向かうときにオレは間違えて反対方向の列車に乗ってしまった。最初に停まった駅で降りて引き返そうとしたらまたまたトラブルがあって列車に乗り遅れた。その結果地元の人々が乗っている乗り合いバスでザルツブルグまで戻ることとなった。見慣れない東洋人をバスの他の乗客はみんなじろじろみていた。そこにまだ20歳くらいかと思われる美しいシスター姿の女性が乗ってきた。何の気まぐれか、彼女は視線が合ったオレの隣に座ったのである。彼女と意志を疎通するためには自分のドイツ語能力はあまりにも貧弱であり、いきなり「Ich liebe dich 」と告白するわけにもいかず(一目惚れに近い状態だったが)、オレは持ち物の中で奇跡的に残っていた不二家のミルキーを彼女にあげた。バスを降りてから、名前も聞かなかったことを激しく後悔した。 オレが旅で学んだのは、美しい景色を眺めることよりも、名所旧跡に行くことよりも、自分が知らない国の人々の日常を眺めること。そこに暮らす人々と語り合うことの方がずっと楽しくて意味のあることだということだ。そんな当たり前の発見を、沢木氏もまたその著書の中で書いているのである。
オレは「深夜特急」の読者として旅立った。しかし、もしもオレの方が先に生まれていたら、そして同じように海外放浪をしたいと思っていたならどうなっていただろうかと思うのである。沢木氏よりも先にオレが「深夜特急」を書いていた可能性だってあるのだ。読んでいてオレはそこに自分と同類の匂いをかいだ。オレがしたかったのはこんな旅だと思った。大学生の時にオレが海外放浪の面白さを知っていれば、もしかするとそのまま日本に帰ってこなかったかも知れないような気がするのである。 いつかたっぷりの自由な時間を手に入れたら、またオレは海外放浪の旅に出てみたい。そんな気持ちを新たにさせてくれるような読書体験だった。海外への旅を考えている人に、そしてまだ旅をしたことがない人に、これは是非読んで欲しいと思う一冊である。
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2009年01月29日(木) |
生活保護を食い物にする連中 |
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「無料低額宿泊所」なるものをご存じだろうか。ウィキペディアでは次のように説明されている。
無料低額宿泊所 無料低額宿泊所(むりょうていがくしゅくはくじょ)とは、社会福祉法第2条第3項に規定されている第2種社会福祉事業の第8号にある「生計困難者のために、無料又は低額な料金で、簡易住宅を貸し付け、又は宿泊所その他の施設を利用させる事業」という記述に基づき設置される施設である。 特徴 都道府県知事への届け出により開設できる。設置者は民間のNPO団体が多いが、個人でも開設できる。バックに企業がついていることが多い。サービス形態としては、「宿所の提供のみ」、「宿所と食事を提供」、「宿所と食事に加え入所者への相談対応や就労指導」がある。入居者のほとんどは生活保護を受給しており、生活保護受給が前提となっている施設が多い。そのため、利用料(家賃)は施設の規模・設備にかかわらず、生活保護における住宅扶助の最上限額に設定されている施設がほとんどである。近年、東京都内の宿泊所が急増し、平成15年6月末で届出総数148、定員5073人となっている。野宿生活者(ホームレス)に生活保護を申請させて入所させているケースが多い。
この施設の中には、入居者の預金通帳やキャッシュカードを預かり、給付された生活保護費をほとんどピンハネしてほんの小遣い程度しか渡さないところがあるという。ところがその実態調査はきちっと行われてないのである。そして、これらを運営するNPO団体の中には暴力団が関与してるところもあるという。中には摘発を受けて報道されてる施設もあるが、それは氷山の一角である。
大阪・釜が崎にはホームレスの生活保護受給の支援をして、謝礼として支給された保護費の10%を謝礼としてピンハネすることを生業にしている「似非」善人が多数存在すると知人が教えてくれた。たとえ一人1万円でも100人斡旋すれば100万円になる。それだけの不労所得が発生するのだ。この連中の側にも「本来行政がやるべきことを代行してやっている報酬だ」という大義名分があるんだろう。しかし、納税者の一人としてどうもオレは納得がいかないのである。
行政がホームレスを支援する方法として、「生活保護を受給させる」以外の方法を何一つ用意できていないのがオレには納得いかないのである。なぜもっと別の、そして安上がりの支援方法を考えないのか。たとえば空き缶拾いをしている人たちが回収した空き缶の買い取り価格が上昇するように回収業者に補助金を出すとか。そうやってその労働の対価に見合うだけの収入を保証するのである。家賃の高い民間のアパートや、ぼったくりとしか思えない無料低額宿泊所ではなく、公営住宅の空き部屋を提供すれば生活保護費を支給する必要はなくなる。ちゃんとした住むところとほんのわずかな定収入があれば、多くの人がそれで十分やっていけるのだ。
悪いのは生活保護費をピンハネして稼ぐ連中だけではない。その搾取を許している入居者たちも悪いのである。自分たちが不当に搾取されてることを理解せず、現状を改善しようとする意欲もない。ただ漫然と日々を過ごしているだけなのである。なぜ怒らないのか。なぜ自分たちがもらえるはずのゼニを不当にかすめ取る連中の存在を放置するのか。失われた自分たちの権利を取り戻すためになぜ戦わないのか。家や財産を失ってホームレスの境遇になってしまったとしても、人間としての誇りまでも失ってはいけないのである。入居している方たちを一個の人格として尊重せず、ただの金づるとしか考えてないクソ野郎どものインチキ施設をどんどん内部告発して崩壊させてやることがあなた方入居者に課せらせた使命なのだ。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2009年01月28日(水) |
甘えるなよ奨学生! |
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ヤフトピでこんなニュースを読んで、どうもオレは納得がいかなかったのである。奨学金を返さないといけない学生たちの経済的な苦しさはよくわかる。しかし、あまりにも甘えていないかと思うのである。以下、記事を紹介しよう。
奨学生、苦しさ訴える 京でデモ 滞納者情報通報に抗議1月26日10時59分配信 京都新聞 景気後退で就職・雇用情勢が悪化するなか、奨学金を返済できない若者らの立場をアピールする街頭活動が25日、京都市中京区などの繁華街で行われた。学生たちがプラカードを掲げて行進し、「滞納者の『ブラックリスト化』反対」「学費を無料に」と訴えた。 奨学金を貸与している日本学生支援機構が先月、金融機関でつくる個人信用情報機関に滞納者の情報を通報する方針を正式発表したのを受けて、京都市内の学生有志が街頭活動を呼びかけた。通報されると銀行ローンやクレジットカードの利用にも影響する可能性があるため、学生たちは「滞納者のブラックリスト化につながる」と主張。四条河原町付近を行進しながらビラを配った。 同機構によると滞納者は年々増え、2007年度の未返還額は660億円。街頭活動を呼びかけた京都精華大4年の山田史郎さん(24)は「卒業後に正社員になれればいいが、フリーターや派遣社員では返したくても返せないのが実情。そもそも日本は学費が高すぎる。若者の学ぶ機会を保障すべきだ」と話していた。
奨学金を滞納している者は年々増えている。平気で踏み倒してる連中も多い。返せるような経済的余裕があるのに踏み倒してる連中がかなりいるのだ。そうした「悪意の踏み倒し」をきちっと取り締まることは、奨学金の原資をきちっと確保することであり、利用者にとってもプラスになることである。それなのにどうして反対するのだろうか。ちゃんと返済する「正直な利用者」にとって、滞納者情報が通報されても全く関係ないことである。極端な例だが、飲酒運転に対する処罰がどんなに厳しくなってもオレは平気である。オレは決して飲酒運転などしないからである。月に2万くらいの返済、生活を切りつめてしっかりと返すのが奨学金を受けた者の義務だとオレは思うのである。上記の「フリーターや派遣社員は返したくても返せない」という部分は、オレには「フリーターや派遣社員で収入が少ないから奨学金の返済よりも遊びに回すゼニの方を優先させます!」と聞こえてしまうのである。
「学費が高すぎる」と主張するなら、どうしてこの山田史郎さんは私立大学の中でも授業料が高い方である京都精華大学に入学したのか。学費の安い国公立に入れるように努力すればよかったのじゃないか。しかも24歳で4年ということは2浪か留年かしている可能性もあるわけで、逆に言えばそれだけ余裕があるのである。(もしも病気などで遅れたのなら話は別だが)その2年分、きちっと現役で大学に入って4年で卒業できるように頑張れば少なくとも数百万円は浮いてくるのだ。その数百万を浪費してしまったのはひとえに自己責任ではないのか。その自己責任を棚に上げて「学費が高い」とは全く筋の通らない発言であるとオレは思うのだ。
学費の安い地方の国公立大学は年々易しくなっている。入学試験の偏差値50以下の国公立大学がかなり増えてきている。ところが学生は田舎の国公立よりも都会の私立総合大学の方に入りたがるのである。自分の親の年収が低く、とうてい学費を賄うことができないことがわかっていても、親不孝なヤツほど私学に入りたがるのだ。その学費を納付するために親がどれほど苦労してるか理解してる者がどれだけ居るだろうか。中には破産する親もいるのだ。多くの馬鹿学生どもは親の苦労を尻目に遊びほうけて覚せい剤や大麻に走り、パチンコや麻雀で日々を過ごすのである。馬鹿ばっかり集まるような大学の講義は、昔は私語が多くて騒然としていたという。今の学生は静かになったらしい。メールを打ったりDSやPSPで遊んでるからである。底辺の大学の実態というのはそんな惨状なのだ。そうしたレジャーランドに通う連中にまで奨学金が貸与されることの方がオレは問題だと思うのである。そんな連中が「踏み倒し予備軍」となるのは当然とも言える。
滞納情報がブラックリストに載れば、銀行ローンやクレジットカードが利用できなくなるという。しかし、銀行ローンやクレジットカードを利用すると言うことは大きな買い物や贅沢品を購入すると言うことであり、奨学金を返すよりも先に車を買ったり家を買ったりすることにゼニを使いたいということなのである。つまり彼らの心の中の優先順位では奨学金返済ははるかに下位におかれてるのだ。その甘えこそが間違ってるのではないのかとオレは思うのである。別に銀行ローンを組めなくてもやクレジットカードを使えなくても通常の社会生活には全く問題ない。
「借りたモノは返す」これが世の中のルールだと思う。その借りたモノを一斉に踏み倒すアメリカの貧乏人どものせいで世界恐慌が起きたことを忘れてはならない。そんな無責任さを日本にまで広めて欲しくない。借金を返さないことを「学費が高いせいだ!」と開き直るような恥知らずをオレは嫌悪する。少なくとも私立大学に入学する時点で学費が高いこともすべて承知の上だったはずである。入試要項に書いてある入学金や授業料、施設整備費などの諸費用を払うことをあなたは承諾したからその大学に入学したのではなかったか。だったら石にかじりついてでもそのゼニのために働いて返すのが約束を守るということではないのか。「正社員になれなかったから返せない!」とほざくヤツに限ってろくに資格も能力もないくせに仕事を選ぼうとするのである。
「接客は苦手ですから」 「体力がないので外回りはしたくなくて」
冷房の効いたオフィスで、パソコンの前に座ってときどきネットで関係ないサイト見たりしながらのんびり過ごし、土日はきっちりと休んでボーナスはどっさりもらえる、そんな職場でなかったら働きたくないという。 「甘えるなよ!」とオレは怒鳴りつけたくなるのだ。
収入の多い仕事に就くためには努力が必要である。せっかく大学を出たのにフリーターや派遣社員としてスタートするのは、多くは本人がその選択をしたからである。外食産業のように不況にあまり関係ない業種はこうした機会に優秀な学生を確保しようとして正社員の採用を拡大してるが、学生の方は冷ややかである。「土日に休めない」「仕事がきつい」という理由で最初から眼中にないのである。
大学を卒業するとき、オレには「ちゃんと就職する」という選択肢しかなかった。たまたまオレは大阪府の教員採用試験に合格していたから、企業に就職するのではなくてそちらに進んだが、もしも教員採用試験に合格していなかったら、おそらく正社員として自分を採用してくれるところになりふり構わず就職しただろう。それがどんな業界であろうとオレはベストを尽くしたはずである。商社であろうと百貨店であろうと小さな出版社であろうと関係なく、その業績に貢献しようと必死で頑張ったはずだ。それが自分の給料を増やすことにもつながるのだから。貧乏なわが家にはごくつぶしを養うだけの余裕はなかったし、働くようになってすぐにオレは家にゼニを入れないといけなかったのである。
奨学金の返済は踏み倒すくせに、携帯電話はちゃんと持ってるしDSも持ってる。ドラゴンクエスト9は予約したという優先順位をはき違えた連中をオレは許せない。倹約するということは我慢することである。ゼニを貯められるということは他の人にとって使って当たり前のように見える部分でゼニを使わないことである。自炊をせずに外食ばかりしてるとゼニは貯まらないだろう。パチンコばかりしてるとゼニは貯まらないだろう。オレはそうした連中が「貧困」を錦の御旗にして、弱者として振る舞い続けて最後は生活保護などの公的扶助に甘えて生きようとすることが許せないのである。時給1000円で働ける場所はいくらでもある。一日8時間、週40時間働けば16万円、それだけあれば十分生活して借金も返していけるはずである。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2009年01月27日(火) |
歩行者自転車の信号無視を取り締まれ! |
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オレは常々思うのだが、どうして信号無視で検挙されるのは自動車だけなのか。実際に信号を無視する件数では歩行者の方が圧倒的に多いはずである。もちろん中にはクルマが全く通らないので無視して渡ったという例もあるだろう。そんなものまで取り締まれとオレは主張するつもりはない。ド田舎の一日に数台しかクルマが通らないようなところに設置された信号を、いちいち律儀に歩行者に守らせようとはオレは思っていないのである。しかし、交通量の多い都会の道路で信号を無視することがどれほど危険なことであるか。ところがその危険な行為をする歩行者や自転車はほとんど取り締まられていないのである。その一方でクルマが信号をほんの少し無視すれば、つまり信号が黄色から赤に変わったときに一瞬遅く交差点に突っ込んでしまったとかいう場合は、待ち伏せしていたパトカーにやられることが多いのである。なぜ目の前の歩行者どもを捕まえずにクルマばかり検挙するのかとオレは腹が立つのだ。あの信号無視どもをどんどんしょっぴいて、たとえ一人5000円でもいいからじゃんじゃんゼニをふんだくれと思うのである。無法者どもの危険な信号無視のためにドライバーはいつもヒヤヒヤしてるのである。
今までに何度もオレは信号無視の歩行者をはねそうになって急ブレーキを踏んだことがある。そういう歩行者は悪びれることもなく平気で立ち去っていく。こちらは必死でブレーキを踏み、必死で回避してるのにむこうはそんなこと全く無頓着なのである。本当に腹が立つのである。さすがに武器を装備するわけにはいかないので、そういうときに歩行者に怒りをぶつけるためにせめて水鉄砲でも装備したいのである。後ろからケツに水鉄砲の水流を「ざまあみさらせ!」とぶつけてやりたいのである。
信号無視の自転車のせいでけが人まで出てるのだ。こんなことを放置していいのか。
バス急ブレーキで乗客15人けが 信号無視の自転車女追う2009.1.26 23:17 26日午後8時40分ごろ、東京都杉並区今川の区道交差点で、西武バスのJR荻窪駅発石神井公園行き路線バスが急停車し、乗客15人が転倒して顔などに軽いけがをした。 警視庁荻窪署によると、バスが青信号で交差点に進入した際、左からきた自転車が横切ったため、男性運転士(37)が急ブレーキを踏んだという。自転車には若い女性が乗っていたといい、同署は道路交通法違反(信号無視)の疑いで女性の行方を捜している。
このバス運転士は自転車とぶつからないように急ブレーキを踏むことで、車内の乗客には危険をもたらしたのである。一人の信号無視の馬鹿と、15人の乗客の安全とどっちを優先するべきだろうか。もしもバスがその自転車をよけきれずにはねていたとして、そういう事故に関して裁判官はきちっと運転士が「無実」と判断してくれるのだろうかとオレは心配するのだ。こういう裁判で「信号無視の歩行者や自転車ははねられても一切文句は言えない!」という判決をちゃんと出すことで、そしてその判決を大々的に報道することで「歩行者も信号を守らないと罰を受ける!」という当たり前のことを世間にアピールして欲しいと思うのである。
オレは何度か右折の時に自転車や歩行者をはねそうになったことがある。右折信号の矢印が出ていても、直進車が停止していれば、歩行者は横断歩道の信号が赤でも渡り出すのである。大阪ではそういう歩行者は特に多い。ところが右折信号の場合は速度を上げて交差点に突っ込むことが多いので、非常に危険なのだ。オレはいつも速度を落として、歩行者や自転車が信号無視しないかを確かめて右折することにしている。
もしもオレが信号無視の歩行者がはねられる事故を目撃したとしたら、たとえ急ぎの用事があってもその場に残って、ドライバーのために証言するだろう。「歩行者が信号無視していました!」とちゃんと語るつもりだ。正義を実践するというのはそういうことである。たとえ歩行者が死亡したとしても、それは自己責任というものである。上記記事の信号無視女が捕まったら、ちゃんと厳罰を与えて欲しいものである。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2009年01月26日(月) |
寒い冬こそ京都に行こう! |
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京都の観光シーズンというと春の桜の季節や秋の紅葉の時期を誰もが思い浮かべるわけだが、その時期はホテルも混雑しているし、どこに行っても人ばかりである。人気のお店も行列ばかりでせっかく行ったのにちっとも楽しめないということになってしまう。混雑を避けたかったら人の行かない時期を狙うしかない・・・というわけで寒い冬こそ京都に行くことをオレは勧めたいのである。冬に行けばどこでもけっこう空いている。秋や春にはとても入れなかったような人気のお店も、あっさりと入れてしまうのである。ホテルも比較的予約が取りやすいのである。そういうわけでオレのように京都を本当によく知る人は真冬に遊びに来るのだ。
寒い時期に食べるものといえばなんといっても「湯豆腐」である。「湯豆腐」といえば「南禅寺」である。南禅寺には有名店の「奥丹」「順正」の2軒があって、いずれも甲乙つけがたいのである。ただそれぞれの店には明確なコンセプトの違いがある。 「奥丹」の方が湯豆腐だけのメニューで直球勝負なのに対して、 「順正」の方はメニューも豊富であり、より大衆化を狙っていると言えよう。孤高の存在の「奥丹」に対して、湯豆腐道の覇権を狙うのが「順正」なのかも知れない。ちなみにオレはどっちも好きだ。湯豆腐そのもののおいしさでは「奥丹」だが、それ以外の精進揚げや香の物、田楽、胡麻豆腐といった総合評価なら「順正」に軍配が上がるかも知れない。まあこれに関しては個人の好き好きなんだが。
京都の食べ物屋の常として、「奥丹」も「順正」も駐車場がない。南禅寺拝観者用の駐車場(2時間1000円)の所に駐車するしかない。手前には1時間500円というコインパーキングもあるわけだが、湯豆腐を食べて南禅寺の方丈(国宝)を拝観するには1時間では足りない。そういうわけでクルマで行くならちょっと贅沢な出費になるわけである。しかし土日はどちらの店も混雑していて昼食時間の12時頃には行列ができてることもある。予約なしで確実に待たずに入るためには11時くらいに行って早めの昼食にするのがベストである。京都で本場の湯豆腐を食べるという体験のためにはそれくらいの周到な準備が必要なのである。休日にこの両店の前に行くと、次々とタクシーが停まって客がはき出される。おそらく京都駅でタクシーに乗った観光客が「湯豆腐屋さんに行ってください」と言うとここに連れてこられるのだろう。間違いない。
ただ、「奥丹」も「順正」も湯豆腐を食べるには最低でも一人3000円以上の出費が伴うのである。「たかが豆腐に3000円も出せるか!」と文句を言う方もいるだろうし、確かに肉や魚なしでこの価格なら高く感じる方もいるだろう。そういう人たちを「風情のわからない野暮なヤツ」だと否定するのはたやすいが、実際にランチで3000円を越えるのはやはり高い。貧乏な学生の旅行者なら二の足を踏む価格である。
そういう方たちのために安く湯豆腐を提供してくれるのが、北野天満宮の門前にある「とようけ茶屋」である。ここではなんと1000円程度で湯豆腐が食えるのである。どうしてこんなに安いのかというと、ここは豆腐屋なのである。豆腐を製造・販売してる方が本業なのである。そういうわけで安いのである。しかし、その安さがあまりにも有名になってしまったために、店の前にはいつも長蛇の列ができている。食べたいと思っても2時間くらい待たされてしまうともはや空腹を通り越して湯豆腐なんかどうでもよくなるのである。北野天満宮の東側には数軒の湯豆腐を提供している店があるが、そっちはたいてい空いているのである。2時間も待つくらいなら値段が倍でもすぐに食える方がいいとオレは単純に思ってしまうのである。どうしてあんなにいつも並んでるのだろうかとオレは不思議に思うのだが、オレが知ってるのは休日の行列だけでありもしかしたら平日には空いているのかも知れない。もしもあなたが「とようけ茶屋」にアタックするならば平日に行ってみよう。
さて、食べることばかり書いたが冬の京都の観光についても触れておこう。南禅寺で湯豆腐を食った後、あるいは食う前だがもしも時間が許せば山門に登ってみよう。石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな」と語ったという有名なあの山門である。確か入場料は400円だったかと思う。入り口にめちゃんこ急な階段があるのでスカートの女性は中味を見られることを想定して勝負パンティで行こう。この場合連れの男性にとっては「絶景かな、絶景かな」になるのである。上がるときは靴を脱ぐのだが、そのときに板張りの廊下を歩く時に感じる足の裏の冷たさが最高である。氷の上を歩くような冷たさを感じて歩くのがここの醍醐味なのである。その冷たさを「ひょえーっ」と味わえるのが冬の京都の良さなのである。
京都に泊まりがけで来ているならば、雪の朝に遭遇するかも知れない。そんなときはすべての予定をキャンセルして迷わず金閣寺に行こう。急がないと日が昇って温度が上昇し、せっかく金閣寺に積もった雪が溶けてしまうかも知れないのでとにかく朝イチに行くことである。屋根に雪の積もった金閣を眺められるというラッキーな体験ができるからだ。せっかく冬の京都に行くのならそういう瞬間を逃してはならない。
さて、冬の京都の魅力についていろいろと書いたが、いちおうオレは自分のサイトの中で 秘密の京都(京都裏デートマニュアル)というページを作っていて、そこは今でもときどき文章を追記して更新中である。完成までにはまだまだ時間が掛かるのだが、もしもあなたが今京都観光を考えているのならばぜひ参考にして欲しいのである。宿泊先を決めていないのならば 京都ホテル案内のページをぜひ参考にして欲しい。そうやって京都を紹介するのはなによりもオレが京都のことが好きだからだ。学生時代の4年間を過ごした街としてオレは京都の魅力を多くの人に発信したいと思っているのである。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2009年01月25日(日) |
高速道路料金を下げればどうなるのか? |
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高速道路料金の深夜割引をまだオレは使ったことがない。深夜に走ることがないからである。しかし、もしもまだオレが大学生で時間がたっぷりあって、クルマで旅行するのが大好きだったならば、その割引をフルに活かして「移動は夜」というふうにしていたと思う。もっとも大学生当時のオレは高速代を浮かしたくて一般道路を深夜に走ることが多かったのだが。国道2号線を走って九州へ行くとか、国道8号線を走って北陸・東北へ行くとかである。
現在行われている高速道路の深夜割引を運送会社のトラック運転手が使った場合、その浮かした分は自分のフトコロに入るとオレは思っていたが、どうやらまちまちのようである。中には必ず深夜割引を使えと指示している会社もあるとか。読売新聞の記事でその内情を改めて教えられたのである。
ETC深夜割引にトラックが行列、目立つ路肩の違法駐車 高速料金が半額となるETC(ノンストップ自動料金収受システム)の深夜割引を受けようと、料金所手前で時間調整しているのだという。背景には、経費を少しでも削りたい運転手の厳しい現状があった。 ◇ 19日深夜の東名高速道路上り線「海老名SA」(神奈川県海老名市)。大型車約100台の駐車スペースは満車で、駐停車が禁止されている出口の加速車線の路肩に十数台の大型トラックが列をなしていた。先頭に駐車していた運転手の男性(62)は「危ないのはわかっているけど。怒られたら出て行くよ」と語った。 「割引開始を待っている。だいたい8時間ぐらいかな」。翌20日、同SAの駐車スペースで、茨城の運送会社に戻るという運転手の男性(55)がそう言って時計を見た。25キロ先の東京料金所で高速料金が半額になる午後11時まで1時間あまり。岐阜の得意先から茨城の運送会社まで昼間の正規料金では片道1万6950円だが、深夜割引を使えば8920円で済む。 割引で浮かせた高速料金の50%は会社から月収30万円の給料に上乗せしてもらえる。それだけで月6〜7万円。3世代8人暮らしの家計には、ばかにならない額だ。昨年秋から徐々に仕事が減り始めた。「本当は待たずにさっさと家に帰って、2人の孫と遊びたい。でも仕事があるうちに少しでも稼がないと」と言う。 海老名SAで待機中だった運転手の男性(60)の場合、給料の中から高速料金を払うため、正規料金で走るとその分手取りが減る。男性は「一般道を使えば、節約できるけれど、睡眠時間が削られ体がもたない。深夜割引があるから運転手を続けられる」と打ち明けた。 ◇ 深夜割引を待つトラックの車列は割引率が5割に拡大された昨年10月以降、都市部周辺の高速道路で目立つ。中日本高速道路によると、東京料金所に近い海老名SAや港北パーキングエリア(PA)では、30台以上のトラックが路肩に違法駐車する「異常事態」という。 一般のドライバーからは「本線に入るため加速しようにも、トラックで車線が狭まり、ぶつかりそうになる」と不安の声が上がる。神奈川県警は平日深夜の巡回を増やし、一晩で約60台を移動させることも。中日本高速道路の長谷川周三広報担当部長は「高速料金を削りたい気持ちはわかるが、危険な行為。事故が起きてからでは遅い」と訴える。 一方、全日本トラック協会によると、2008年に倒産した国内の運送会社は、前年の倍以上となる333社。景気悪化の荒波にさらされる業界にとって、深夜割引を利用できる高速料金は、格好の経費削減対象になっている。 兵庫県三木市の運送会社は昨年秋以降、運転手30人に「会社のために深夜割引を使え」と厳命している。受注は減り続けているが、月額700万円を超えていた高速料金は割引利用で約450万円まで圧縮でき、社員の給料カットを回避する一助になった。運転手60人を抱える名古屋市の運送会社は、「深夜割引が始まるまで料金所を出るな」と指示しているという。幹部は「生き延びるためには、違法駐車でも待つしかないんだ」と話した。(山田正敏)(2009年1月25日03時10分 読売新聞)
料金支払い時に深夜割引が適用されるまでの時間を稼ぐためにSAで待つわけだが、SAの駐車スペースがいっぱいになってるので路肩で待つのである。オレは「路肩で待つ」ことが駐車違反して注意を受けることよりも、「SAの駐車スペースが足りない」ことの方が問題であると思うのである。なんのためにSAがあるのか。それは運転中に疲れたドライバーが休息を取ったり食事を摂ったりするためであり、安全確保のために不可欠な施設である。その施設のキャパシティが足りないのなら、それは高速道路を整備する側の問題であり、深夜割引によって時間待ちするトラックが増えてSAやPAが混雑するのなら、その解消のために駐車スペースを増設すべきではないのか。オレはそう思うのである。ここでの問題点は、利用するクルマの台数に比して、あまりにも駐車スペースが足りないことなのではないか。
そしてインパクトにおいてはこの深夜割引どころではないのが第二次補正予算に盛り込まれている地方の高速道路の1000円均一料金である。これが実施されればどうなるのか。それを利用するためにどんな混乱が起きるのかとオレは気になるのだ。もちろん平日に一切運送会社のトラックが走らなくなるということはないだろう。指定された納期に運ばないといけない時は平日・休日を考える余裕はない。しかし、金曜や月曜に移動する場合、時間を調整してそれを土日にする動きは起きるだろう。その結果週末の高速道路が異常に混雑するという現象が起きるかも知れない。どうやってそれを防げばいいのだろうか。混雑して大渋滞が発生すれば今度は逆に時間が余計に掛かるようになってドライバーたちの負担は増すのである。こうしたマイナス面を何も考えずに麻生首相はこの「1000円均一料金プラン」を出してきたのだ。
それからもう一つ心配なのは、1000円均一料金というのは途中下車しない場合であり、途中下車しないでできるだけ遠くまで行くためにはSAの役割がさらに重要になってくるのである。利用者数に比べてどちらかというとキャパシティ不足の状況にある今のSAの貧弱な施設をそのままにして、料金の割引だけを行った場合どのような混乱が起きるのか、オレはそれを不安に思うのだ。
地方の高速道路の均一料金が実施された場合、それを利用して旅行する人が一気に増加するだろう。
「讃岐うどんを食いに香川に行く!」 「会津に行って喜多方ラーメンを食いに行く」
などというドライブデートもコストがかなり下がるのである。利用者が増えないわけがない。クルマを使う人が増えればCO2排出量も一気に増えて地球温暖化を加速することになる。もっとも昨年から落ち込んでいたガソリンの売上高が回復することは一時的には石油業界に寄与するだろうが。
現実にどんな混乱が発生するのか。何が起きるのか。そんなことをろくに検証することもなく思いつきで次々と政策は実行され、その結果現場の人は対処に苦しむことになるのである。オレはそれを今から憂うのである。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2009年01月24日(土) |
景気回復の切り札教えます |
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麻生太郎は「最初に日本が景気を回復させる」とほざいてるが、どうすれば景気が回復させられるのかわかってるのだろうか。方法もわかっていないのに何をエラそうに語ってるのだとオレは言いたくなるのである。今は「デフレ」なのだ。それも「悪いデフレ」なのである。どんどんあらゆるものが値下がりするから、現金を持ってるのが一番有利と言うことになってみんなゼニを使わないのである。土地価格も下がるしマンションも下がる。だから焦って買う必要などない。それなのに供給過剰なのである。在庫が多いから資金が回転しない。だから不動産はバタバタつぶれるのである。一度底を打たないとどうしようもないわけだ。
その状況を劇的に変える方法がいくつかある。これは「劇薬」である。だから今の日本の政治家にそんな「劇薬」を使えるような度胸があるとは思えないし、それ以前に政治家はこんな方法を絶対に思いつかないだろうと思うのだが。それが「資産税」の導入だ。これは金持ちほど課税されるわけで、貧乏人にとっては痛くもかゆくもないものである。
「ゼニを使わないでため込む」という状況を変えたかったら、使わないと損だという風にすればいいのである。たとえば預金金利をマイナスにするのだ。年率1%とかで減っていくとか。だったらタンス預金にされてしまうわけだが、それも防ぐ方法がある。古い紙幣の流通価値を強制的に下げてしまうのである。タンス預金にも課税してしまうのだ。今の流通紙幣がすべて一定期限後には使えないことにしていまえばいい。現行の1万円札は4月からは9900円の価値しかないことにするとか。そうすれば新券と旧券の両替時に課税可能である。両替時に1%抜いてしまえるのだ。毎年それを行い、2年前の札は2%目減りするとかいうふうにすれば、タンス預金からもちゃんと課税できるのである。もちろん流通時に1%減額して使用させればそのままでも流通するから混乱も防げる。ようするに今の1万円札はある日から9900円札になりますということにするのだ。新札は課税後の銀行預金を引き出すときにATMから出せるようにすればいい。
この資産税という方法を用いれば、日本人の所有する金融資産1400兆円の1%、つまり14兆円の税収が毎年新規に発生するのである。この税収増は大きい。
しかもゼニをそのまま持っていたら損ということになると、そのゼニは消費に回ったり株を買ったりする方向に投資されるのだ。外貨預金する人が増えれば円がそれだけ売られることになり円安になる。100兆円くらいが株式市場に流れ込んだら株価は今の倍くらいになってしまうだろう。外資に恣意的に動かされた株式市場を日本人の手に取り戻せるかも知れない。今、外資はどんどん日本株を売っている。その売られた株を日本人が取り戻すチャンスである。世界の金融システムは崩壊したが、製造業まで崩壊したわけではない。原材料を輸入して、付加価値のある製品を作り出してそれを世界に売るというビジネスは不滅である。今の世界恐慌はむしろ製造業の価値を見直す契機ではないのか。そして製造業こそ日本が世界に誇れるものではないのか。
円高で日本製品が売れないという。しかし、日本製品のクオリティの高さを考えれば、高くてもやっぱり売れるという状況を目指せばいいのではないか。アメリカで価格競争なんかしなくていい。GMやフォードよりも高く売ればいい。「いいクルマだから高くて当然」と思われれば、日本メーカーは高い利益率を守れるし、その一方で「安いけどそれなりの品質のクルマ」を作るメーカーとしてGMやフォードも生き残れる。アメリカの自動車産業を延命させてやるには日本車を高く売ればいいのである。
資産税の導入によって株式市場にゼニが流れ込み、一方で消費が活発になれば内需が拡大する。そうして日本の企業をよみがえらせるのである。名案じゃないか。どうしてそんな方法を今の政治家は提案できないのか。
オレは今の世界恐慌を食い止めるには、ゼニではなくてモノに価値を回帰させることが大事だと考えている。持ってるだけのゼニには価値がないのだと。そのゼニを何かに変えないと価値は生み出せないというふうにみんなに思わせないといけないのだ。そのきっかけになるのが「持ってるだけで価値が目減りする」という資産税なのである。ゼニの形で持っていたら価値が減るが、モノに変えれば増えるかも知れない。そう人々が思い出すと下落しまくった不動産価格も下げ止まるだろう。値下がりさえしなかったらそれで十分である。それだけで現金よりも価値があるものになるからだ。
何十億も現金資産のある大金持ちというのは、資産税導入によって毎年高額の税金をぼったくられる哀れな存在にされてしまう。貧乏人から見ればそれは痛快なことである。現金預金が一億あるだけでも年間に100万円課税されてしまうのである。たった10万円しか預金がなかったら1000円払うだけでいい。まさに貧乏人バンザイの税制度だ。平等そのものじゃないか。
「定額給付金」をばらまいたところで全く効果がない。それはオレが断言する。アメリカだって昨年減税して小切手ばらまいたじゃないか。その効果なんか皆無だったわけだ。そういう政策では今の状況はどうにもならないのである。劇的に状況を変えられる唯一の方法がこの資産税の導入である。
大量の金融資産が株式市場に流れ込み、多くの人がそれによってキャピタルゲインを得れば、今度はそこから多くの税収が国に入ってくる。株式市場の時価総額が100兆円増えるならば、売買益の10%に課税されるわけだから10兆円の増収ということになる。毎年時価増額が100兆円ずつ増えれば毎年10兆円だ。それに資産税の14兆円を加えれば合計24兆円の新たな財源が生まれるのである。この税収増があれば消費税なんかいつでも廃止できるぜ。
いろんなブログや経済関係の本を見ると、オレと同じように「資産税」を提唱している方は他にもいる。だからこの考えも全くのオリジナルではなく、そうした意見を読みながらオレが具体的な導入方法をアレンジしたものである。実際に行うならばもう少し改良が必要かも知れない。しかし、基本となるコンセプトは変えなくていい。日本が率先してこういう劇的な改革を世界に先駆けて実行することで、世界経済の牽引役として評価されることをオレは願ってるのだ。アメリカやヨーロッパの連中の思い通りにされるのではなく、日本が新たなる世界経済の中心となって世界をリードすることをオレは企んでいるのである。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2009年01月23日(金) |
ネットで選挙運動してどこが悪いのか? |
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鹿児島県阿久根市の竹原信一市長は、ほぼ毎日更新されるWEB日記の書き手でもある。彼の 阿久根時事報という日記は2006年7月から書かれていて、オレが日頃ここでこき下ろしている田舎議員どもと戦う竹原市長の姿がいきいきと伝わってきてなかなか面白い。
「政治家がブログを書いて自分の言葉で政治を語る」
なんとすばらしいことだろうか。最近はブログを書いてる政治家も増えたがまだまだ一部である。オレはもっと多くの政治家がこういう形で自分の思想信条を語って欲しいと思うのである。できれば全国会議員に自分の手でブログやWEB日記を書くことを義務づけたいくらいである。その程度のことができないヤツは議員を辞めてもらうというのもいい。そうすれば、ろくに漢字を知らない馬鹿とかは議員にはなれないようになるかも知れない。ひらがなばかりのブログなら馬鹿丸出しだからなあ。
その竹原市長が、なんと選挙期間中のブログの更新で告発されてしまったのである。告発したのは鹿児島県会議員や阿久根市会議員の連中である。鹿児島県警はこの誣告(ぶこく)を受理する方針らしい。選挙期間中のブログ更新で逮捕・立件された例は日本では初めてである。アサヒコムの記事を引用しよう。
「選挙中にブログ更新」市長を刑事告発 鹿児島県議ら 2009年1月22日20時45分 鹿児島県阿久根市の竹原信一市長(49)が昨年8月の市長選期間中にインターネットの日記(ブログ)を更新し続けた問題で、県議や市議ら28人が22日、竹原氏を公職選挙法違反(文書図画の頒布)の疑いで阿久根署に刑事告発した。県警は近く受理する見通し。警察庁によると、これまでブログの更新によって同法違反容疑で逮捕、立件された例はないという。 竹原氏はこの日、記者会見を開き、「ホームページの更新は文書図画の頒布にあたらず、法律に違反していない。捜査していただいてよろしいのではないですか」と述べた。 市長選は昨年8月24日告示、同31日投開票の日程で実施された。 県議らは告発状で、竹原氏は市選管から注意を受けたにもかかわらず、24日以降もブログを更新し続け、少なくとも29日まで自らの宣伝や政策を主張する場として使った、と主張。竹原氏が29日付のブログで「ホームページの公開は文書図画の頒布ではなく、いわば選挙事務所内の資料室の公開である」などと説明したことなどについて「現行法では告示後のホームページ更新は明確に禁止されており、その規制に従うのが義務」と指摘した。
オレは問いかけたいのである。告示後のホームページ更新はなぜ禁止されているのか。いちおう候補者は政見放送という形のお仕着せのフォーマットで語る機会が与えられている。しかし、あまりにも短い時間と定型のパターンで本当に語りたいことがすべて伝わるとは思えない。ところがブログを使えば、有権者との政策に関する議論も可能であるし、何より有権者が投票前にさまざまな問題に関して候補者に質問することができる。ネットを使えば双方向のコミュニケーションができるのである。
ネットが使えないために候補者は選挙カーで騒音を流し続け、聞きたくもない名前を連呼する不毛の選挙運動を行っている。そのために使われるガソリン代、その騒音のために周辺の学校などが被る迷惑は大変なものである。オレが授業をしている横を平気で選挙カーは大音量で名前を連呼していく。あんまりひどいときにはオレはその候補者の事務所に抗議の電話を掛けたこともある。そいつが落選したので「ざまあみろ」と思ったぜ。費用もかかり環境負荷も大きい名前を連呼するくだらない古典的な選挙運動はOKであり、費用もほとんどかからず環境にも優しいネットでの選挙運動は禁止というのはオレにはきわめて不合理なことであると思えるのだ。
小学生に情報教育を行い、へき地の学校にまでパソコン教室を作って教育のIT化を進めるのなら、なぜそれを実際の選挙などに活かさないのか。インターネットをすることがテレビを見たり電話をしたりすることと同じく日常生活に不可欠なものとなるように普及させることは、こんなにコンピューターの価格が下がった今は不可能ではないはずだ。定額給付金の2兆円があればすぐに達成できることである。もしも一気に普及をはかるとすれば、そのために生まれる電機業界の需要は莫大なものとなるだろう。くだらないバラマキよりもはるかに効果があるはずだ。日本中の全家庭がインターネットに接続できるようにすれば、そこで選挙運動もできるはずだ。どうせテレビを地デジにするのならば、その地デジテレビとしてパソコン画面も表示可能な液晶モニターを導入して一気に普及をはかればいいのである。
オレは竹原市長の戦いを支持する。 「悪法も法だ」として従うことは簡単だ。しかし、そのルールが不合理ならば変えていかなければならない。その戦いのために孤軍奮闘している竹原市長をオレは全面的に応援したいのである。国土の広いアメリカでもしも日本みたいに選挙カーで連呼していれば莫大なゼニがむだになるだろう。人口密度が高いから効果があったせいで、日本ではそんなふうにゼニと人手の掛かる選挙運動が行われてきた。しかし、もしも選挙運動がネットだけでもできるなら、貧しい若者にもチャンスが与えられるということになる。一方的に派遣を切られた労働者たちが、そんな理不尽な世の中を変えようとして立ち上がってネットカフェから立候補することも可能になるだろう。毎日ネットカフェに帰ってブログを更新するだけで選挙運動が行えるのである。オレのような日記で暴言を吐いてるだけのオッサンでも立候補できてしまうのである。そしてたった一人でブログを更新しつつ選挙戦が戦えるのだ。なんとすばらしいことではないか。
竹原市長は市会議員の定数削減も主張しておられる。人口が約2万5000人しかないのに、市会議員は16名もいるのである。どう考えても多すぎる。ちなみに人口12万7000人の松原市の市会議員は20名である。人口が1/5なら議員定数も1/5にして4人くらいにすべきである。実際は年間に30日も働かないのに、400万円以上の報酬を市会議員が受け取ることも高すぎると批判している。竹原市長の主張はどれも納得できるものばかりである。ところがこれからも市の寄生虫として議員報酬をもらい続けたい守銭奴議員どもが、目障りなこの竹原市長の追放をはかっているのである。今回の逮捕はその構図の中で生まれた事件であり、既得権益を守りたい田舎議員どもが警察とつるんで仕掛けた陰謀みたいなものである。オレはいつもこの日記で「イナカモンドリーム」ということばでそうした田舎の醜さを罵倒してきたが、今回の事件はまさにその醜さ極まれりという感じである。
竹原市長の戦いが勝利を収め、そしてブログで選挙運動ができるようになることをオレは願っている、いつかオレがその仕組みを利用する時のためにも。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2009年01月22日(木) |
1月22日はカレーの日です! |
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1月22日がカレーの日であるということを、実はオレは全く知らなかったのである。22という数字にどういう意味があるのだろうか。たとえば「29日」が「お肉の日」ならなんとなく語呂合わせでわかる。 「15日」が「イチゴの日」と言われてもさほど違和感はない。この記事の中にはそのカレーの日の由来についてもちゃんと説明されていたのだが。とりあえずこの記事を引用しよう。
ルーと相性抜群!カレー専用の米「華麗舞」発売 2009年1月20日 カレー用に作られた米、その名も「華麗舞」! ハウス食品は1/22(木)、カレーに合う新品種米、その名も「華麗舞(かれいまい)」(1.35kg/1500円・税込み)を5000セット限定で発売する。 同商品はハウス食品と、独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構の共同開発により誕生した「カレーによく合うお米」。日本人に馴染み深い「ジャポニカ米」と東南アジアの「インディカ米」を掛け合わせて作られた。内部は「コシヒカリ」並みに軟らかいが、表面の粘り気が少ないため、塊にならずカレーによく馴染むのが特徴だ。 ハウス食品では、3年前からプレゼントや景品として提供してきたが、販売は今回が初めてで、通販サイトのみでの販売となる。 1982年、全国の小中学校でいっせいにカレー給食が出されたことから「カレーの日」となった1/22。そんな記念すべき日に発売される「華麗舞」は、販売数も限定とあって、話題を呼びそうな予感。お気に入りのカレーをかけて、いつもとは一味もふた味も違うカレーライスを楽しんでみては? 【東京ウォーカー/安藤真梨】
ハウス食品からカレー専用の米が発売されたとある。名前もちゃんとそれなりのネーミングだ。 「華麗舞(かれいまい)」 「カレー」と「華麗」をかけて「米(まい)」と「舞(まい)」をかけているのである。日本語はこういう言葉遊びができるからいい。
インディカ米というと、実際の所オレは何度も食べたことがある。ヨーロッパで食べた米はすべてこの「インディカ米」だった。列車の食堂車で出たのも、ウィーンのレストランで食べたハンバーグに付いていたのも、ツェルマットのユースホステルの夕食に出たフルーツカレーについていたのも、みんな「インディカ米」だった。細長くてパラパラしていて、日本で食べる米とは全く違ったことを覚えている。なぜ日本のような米がないのだろうかと思ったが、日本で食われてる米の方が実は特殊な品種なのかも知れない。
その「インディカ米」と「ジャポニカ米」を掛け合わせて作られたというこの「華麗舞(かれいまい)」はどんな味なんだろうかと、カレー好きのオレは興味をそそられるのである。これはやはり手に入れるしかない。限定5000セットとある。どうやってそれを手に入れればいいのだろうか。通販サイトでの供給とある。オレがのんびりとこの日記を書いてる間にとっくに売り切れとなっているのかも知れない。
カレーと言えば、京都大学付属病院のすぐ東側に 「ビイヤント」というカウンターだけの狭いカレー屋があって、学生時代からオレはその店の常連だった。生協食堂のカレーが170円で食えたのに、わざわざオレは吉田キャンパスから自転車を飛ばしてビイヤントで400円のカレーを食べたのである。オレは「少し高くてもおいしいものを食べたい」という贅沢な大学生だったのだ。「ビイヤント」のカレーと、百万遍の第一勧銀の裏にあった「まどい」のチーズオムレツがオレにとって学生時代の思い出のメニューであり、今でもむしょうに食べたくなるものなのだ。
アメリカの奴隷となって国内のコメ作りを弾圧し、そのアメリカの小麦を買わされてきた自民党の馬鹿政治家どものせいで国内での米の消費量は落ち込んだ。米生産農家もかなり減少してしまった。我が国固有の食文化を守るどころか破壊しつくした馬鹿どもの罪は万死に値する。そうして変質してしまった米食文化に、新しい価値を創造しようとするこのハウス食品の試みをオレは応援したい。ハウス食品のこの「華麗舞(かれいまい)」が限定販売ではなく、日本中のどこのスーパーでもいつでも買えるようになって欲しいのである。そして、日記でこうして取り上げて宣伝に協力したオレの所にもハウス食品から「試食品」として送ってきてくれないかと期待してしまうのである。しかし、仮にこの「華麗舞(かれいまい)」を入手したとしても、そこに掛けるカレーはハウスの「バーモントカレー」や「ジャワカレー」ではなくて、グリコの「LEE」である。それが好きなんだから仕方ないだろう。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2009年01月21日(水) |
こんな馬鹿はどうすればいいのでしょうか? |
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世間にはあきれるほどの馬鹿がいる。どうすればそんな馬鹿になれるのかと驚くほどの超弩級の馬鹿というものがこの世には存在する。そういう馬鹿というのはどうやって撲滅すればいいのか。オレはものすごく悩むのである。一番いいのは馬鹿と全く関わらずに暮らしていく方法である。社会生活の中で極力馬鹿を避けて生きるのである。馬鹿の予感がしたらできるだけその相手には近づかないようにするのが処世術である。それが親族とか同僚というどうしても接触しないといけない相手だった場合は、こちらから積極的に嫌われるようにする。そうすれば馬鹿は近寄ってこないからである。
しかし、通りがかりの人を突然傘でぶん殴って逃げるような馬鹿はどうすればいいのだろうか。オレがもしもそういう馬鹿の被害に遭遇したら必ず逆襲するだろう。相手が自転車に二人乗りしていたのならダッシュしてその自転車を引き倒して、その馬鹿の顔面を変形するくらいにぶん殴るかも知れない。きっとその馬鹿の親は(馬鹿の親もきっと馬鹿だと思うが)言うだろう。「うちの息子が何をしたんですか。ちょっと傘で叩いたくらいでなにもそこまで殴らなくてもいいじゃないですか」きっと親はわが子が超弩級の馬鹿であり、存在そのものが社会の迷惑であるという事実に気がついてないのだろう。馬鹿が親になれば必ず次の世代も馬鹿になる。これは永遠の真理である。
産経新聞のWEBサイトからその馬鹿に関する記事を引用したい。
「メン」と叫び通行人殴る 中3男子8人逮捕 川口2009.1.20 18:18 埼玉県警川口署は20日、傷害と暴行の疑いで、川口市立中3年の14、15歳の少年8人を逮捕したと発表した。 少年らは平成20年夏ごろから「面打ち」と称し、自転車に2人乗りして、後部座席の少年が「メン」と叫びながら、傘で通行人の頭をたたいて逃げる遊びを繰り返していたという。 調べでは、少年らは20年12月23日夜、自転車4台に分かれて2人乗りし、川口市飯塚で、歩いていた女性会社員(53)の頭を、自転車で追い抜きざまに傘でたたき、全治1週間の軽傷を負わせたほか、通行人の男女4人の頭や顔などを、同様の手口でたたくなどした疑い。 少年らは地元の遊び仲間。調べに対し「スリルがあり、遊び感覚でやった。知らない人がいきなり殴られるときのリアクションが面白い」などと供述しているという。
この少年たちは「いきなり通行人を傘で殴打する」という犯罪行為を遊び半分でやっていたのである。もはやあきれるというのを通り越して、激しく脱力してしまうのである。いったいこういう馬鹿はどう更正させればいいのか。オレがこの馬鹿どもの担任教師だったらどうするだろうか。「おまえらみたいな馬鹿の面倒は見きれない!」としか言えないだろう。ここまでの馬鹿に果たしてこの世で暮らしていく資格があるのかと思うのだ。個人的な暴言を言わせてもらうなら、ここまでの馬鹿は死刑にしてもいい。どうせろくな大人にならないだろうし、こんなことを平気でやれるような人間を社会は必要としていないからである。
このクソガキどもに必要なのは自分たちの行為に対するちゃんとした罰である。自分たちのやったことの報いを受ける形の罰が一番望ましい。駅前なんかの人通りの多いところに手足を縛り付けてはりつけにして、そばに殴打用の傘を置いておいて「ご自由にこの傘でぶん殴ってください」とさらし者にする罰はどうだろうか。ただオレにもひとかけらの情けくらいはあるぜ。おまえたちにその罰を与えるときにはちゃんと横に注意書きを書いておいてやるよ。
「目や股間を突いたりすることは禁止します」
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2009年01月20日(火) |
おとり捜査で振り込み詐欺を撲滅だ! |
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どうすれば振り込み詐欺を防げるのか。発生しないように警戒することも必要だが、自分がうまくだまされずに逃れられても、そいつらは別のカモをまた探すだけのことである。だったらなんとか食い止めるために、自分がだまされたふりをして相手をおびき出して検挙させるというのがより社会に役立つことになるわけだ。どうせならもっと大々的に宣伝すればいいじゃないか。うまく振り込み詐欺をひっかけて逮捕につながった場合には警察から捜査協力金を出してやればいいとオレは思うのである。毎日新聞のWEBサイトの記事を引用しよう。
振り込め詐欺:「騙されたふり作戦」実施へ 神奈川県警 神奈川県警は19日、振り込め詐欺対策として、県警職員や家族らが電話に従うかのように装う「騙(だま)されたふり作戦」を2月から実施すると発表した。容疑者との接触予定場所などの通報を受け、捜査員が現場に待ち伏せして逮捕する寸法。取り締まりの強化で増加傾向にあるATM(現金自動受払機)を使わない手口への対抗手段で、全国初の試みという。 県警によると、県警職員約1万7000人や家族のほか、県警OB、防犯ボランティア団体にも協力を呼びかける。不審な電話を受けた際、相手の電話番号や現金の送り先、接触する日時、場所などを聞き出し、通報してもらう。捜査員が「お金が用意できた」などと容疑者側に電話をかけ、振込先の口座などを聞き出し、凍結することも想定している。 同県内では昨年、振り込め詐欺の件数が1988件、被害額が約31億円と、ともに過去最悪となった。小包で現金を送らせたり、犯行グループが直接現金をだまし取る手口の増加が背景にあるとみられる。県警幹部は「犯人に『神奈川で電話すると、警察官が現れるかもしれない』と思わせる」と意気込んでいる。【池田知広】
この記事では県警職員やその家族とある。しかし、どうせなら全国的にこれを広めていって、日本中で「振り込み詐欺を逆にひっかける」ことが流行すればいいのである。電話がかかってくればどうやって相手の口座を聞き出すか、どうやって相手を誘い出すか、それをみんなが考えるのだ。そうしてすぐに警察に通報する。のこのこ指定された現金受渡場所にやってきた馬鹿をその場で逮捕するという方法である。
わが家には残念ながら振り込み詐欺の電話が掛かってこない。老人だけの世帯ではないからなんだろうか。もっともうちの両親はそんなのにだまされるほど耄碌はしていないが。オレは基本的に野次馬精神旺盛なので、もしもオレの居るときにそういう振り込み詐欺の電話があればきっと老人のふりをして応じるだろう。そうして相手の口座を聞き出すか、相手との接触方法をなんとか聞き出して、警察に任せるのじゃなくてその現場にひっかかったふりをして自分が出向いて、その詐欺師野郎の写真をこっそり撮ってやるかも知れない。とにかく悪いヤツを撲滅するためには警察だけに任していてはだめだ。こっちから積極的に動いて相手をハメてやらないと面白くないのである。
振り込み詐欺と似たものに融資詐欺がある。ついこのあいだもセントラ○ファイナンスと名乗る業者から宣伝メールが来ていて、無担保で800万まで融資します。金利は6.8%とか書いてある。もしも本当にそんな低金利で貸してくれるのならば株やFXで回転させればボロ儲けである。それでオレは試しに電話してみてこいつらがどんな方法でゼニを巻き上げているのかを調べてみた。ネット上の申し込みフォームに偽名で適当なことを書いて申し込んだら、ちゃんと電話が掛かってきた。携帯電話番号だけは本当のことを書いたからである。
そこでオレはテキトーに「アコムから50万、プロミスから100万、武富士から100万・・・合計400万借りています」などと言ったら、向こうからすぐに「借り換えと言うことですね。審査が通りましたので明日400万そちらの銀行口座に振り込みます。その前に保証料ということでこちらに32万振り込んでください。32万の入金を確認次第、折り返し400万+32万をそちらに振り込みます。こちらの振り込み先の口座は直前に電話でお伝えします」ということだった。なるほど。その32万を振り込んだ途端に相手がトンズラするわけか。オレはどこまで引っかかったふりをするか迷ったが、携帯に掛かってきた電話番号を試しにネットで検索してみた。するとすぐにそれが犯罪に使われてるモノだとヒットしたのである。また相手の業者名で検索をかけると、「実在しない住所」だったのである。登録番号もデタラメだった。
翌日、相手からまた電話が掛かってきた。「これから口座をお伝えしますので・・・」と来たので、オレは思わず「おたく、登録番号デタラメですね。」と言ったらすぐに電話を切られてしまったのである。せっかく遊んでやろうと思ったのに・・・・。
振り込み詐欺を撲滅する一番いい方法は犯人グループに恐怖を与えることである。だましているつもりの自分たちが実はおちょくられているという事実は彼らを打ちのめすだろう。
「振り込み詐欺、掛かってきたらとりあえずだまされた振り!」
日本中でこの作戦をみんなが実行すれば、たちまち連中は壊滅するだろう。
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2009年01月19日(月) |
高校は義務教育ではありません! |
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高校は義務教育ではない。だから高校では勉強しない者は単位が取れないし、卒業できないのは当たり前だとオレは思っていた。中学までは勉強しなくても年齢が来れば卒業できるが(本当はそれにもオレは反対だ。小学生レベルや幼稚園レベルのやつは社会に出して欲しくないからだ。)高校には留年や落第がある。そんな厳しい世界であるということを理解せずに安易な気持ちで入学し、入ってみてからバイトや非行にあけくれて卒業できなくなってもそれは自己責任である。
もうずいぶん前のことだが、オレの住む最寄り駅で署名運動をしている方たちがいた。なんでも高校全入を求める署名だった。
「高校を義務化したら、知的障害の方も入学できますから!」
と、まるでそれがとってもすばらしいことのようにその方は語っていたので。オレはそこでかなり怒った。当時のオレはまだ公立高校に勤務していたのである。
「入っても勉強しない者はどうするんですか?義務教育にしたら誰でも入れるから勉強しない者も入ってきますよ」
オレのその質問に対して、相手はすごく驚いた表情だった。ようするに何も考えていなかったのである。そんなことをすれば、現場の教育がめちゃくちゃに破壊されることなどちっとも理解していないのだ。大阪府の公立高校の中には卒業までに生徒が2割、3割と辞めてしまう学校が現実に存在する。そんな状況で義務化したらどうなるのか。義務教育にするということは、全く勉強しない生徒にも卒業を保証してやらなければならなくなるのである。高校が「勉強して単位を取得した者にだけ卒業を認める」場所ではなくなってしまうのである。そうなると高校の教育現場はますます荒廃するだろう。学級崩壊も進むだろうし、予備校みたいな高校しか生き残れないということになってしまうのである。
高校の教科書はかなり難しいとオレは思っている。少なくとも高校レベルの数学や理科を日本中の高校がちゃんと授業できるとは思えない。小学生レベルの算数もおぼつかない生徒しか入学してこないような高校もあるという。分数の計算を理解できない生徒に高校数学なんか無意味である。そういう意味では今の高校進学率も高すぎるくらいだ。オレは大学を増やしすぎたことを批判したが、同様に今の高校の状況にも大きな問題があると思っている。大学生の学力低下の前には明らかに高校生の学力低下が存在するからだ。
社会が障害者に対して門戸を開くのは結構なことだ。しかし、こんな主張をする方々にオレは賛同できない。それは平等を通り越して「不公平」というものである。アサヒコムの記事を引用しよう。
知的障害者も普通高へ 2009年01月16日 ●配慮を求め要望書 知的障害者が県立の普通高校へ入学できやすくするよう特別の配慮を求める要望書を15日、知的障害者の家族会が県教委に提出した。入試の問題を知的障害者でも解けるように一部変更するなどの特別措置を求めている。 要望したのは「愛媛・知的障害児の家族と理解者の連絡会」 (白石勇代表) 。県教委によると、知的障害者も県立の普通高校を受験できるが、現在は入試の筆記試験の得点への配慮はしていない。ただし、知的障害者の受験者は「特別措置願」 を提出し、別室での受験や中学校の教師が介助者として入試に同席することなどは出来る。 しかし、同会は「知的障害者に中学時代の仲間がいる地元の普通高校へ通わせてあげたい」 として、入試の際は、筆記試験の内容を記述式から選択式にしたり、課題を与えられて書く作文に自分の受験に対する思いを書いてもよいようにしたりするなどの特別措置を求めている。 白石代表は「生徒たちは懸命に努力しているが、健常者と同じテストでは点を取れない。点数以外の部分も評価してほしい」 と訴えている。 これに対し、県教委は「これまで、知的障害者にだけ筆記試験の内容を変えるのは公平性の確保につながらないと判断して認めてこなかった。今後は高校長と協議して判断したい」 (高校教育課) としている。(鈴木洋和)
入学しても授業内容を理解できず「お客さん」となって教室で授業時間を過ごさなければならないことは知的障害を持つ方たちにとって「苦痛」ではないのか?こうして一部の生徒を特別使いすることの方が差別につながるのではないのか。もしも入学を認めれば、他の生徒と同じように試験をして単位認定して・・・ということが不可能になるわけである。点数が足りずに留年する生徒が出たとして「どうしてぼくたちは留年することになったのに、成績が悪くても進級できる人たちがいるのですか?」と訴えればどう答えるのか。公平性の原則が守られなくなってしまうのだ。
障害を持つ方に対して社会が一定の配慮を示すことは大切なことである。しかし、平等を推し進めるということが行き過ぎると、それは既存のさまざまなルールを破壊することになる。そしてこの世は決して平等な社会ではない。それは障害者であるか健常者であるかということとは無関係である。たとえばすべての人に結婚する権利があるという主張が認められたら、結婚相手が見つからない人にも全員結婚相手を保証しないといけなくなってしまうじゃないか。たとえば「障害者でも恋愛をする権利がある」という主張は確かに正論だ。しかし、恋愛というのはそもそも勉強やスポーツと違って努力の結果必ず手に入るものでもないし、周囲が与えられるようなものでもない。知的障害者の高校入学の問題も同様である。入学試験を受ける機会は保証してもいい。しかし、その試験で不合格になる健常者がいる一方で、やさしくしてもらった試験問題で合格する知的障害者がいるという不平等を果たして社会は容認できるだろうか。不合格になった受験生がその不公平を許せるのだろうか。オレはそんなことを考えてしまうのである。
高校は義務教育じゃない。そこは高校生活を楽しみつつも大学受験や将来の進路のために勉強をするための場所である。それぞれの高校の示す基準に達しなかった場合には容赦なく留年させられるものであるとオレは思っている。出席日数、定期試験の得点、そうした基準を満たしているからこそ卒業証明書が授与され、大学を受験することが認められるのだ。オレには知的障害を持つ方たちを差別する意図はない。ただ、高校入学させよという運動をする方々は平等の意味をはき違えてるのではないかと思うのである。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2009年01月18日(日) |
阿部野橋はもうすぐ沈没します! |
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2007年8月9日の日記「きみは阿部野橋を知ってるか?」でオレは、近鉄がそこに建設しようとしている高さ300mの日本一の高層ビルのことについて書いた。まさかその計画を立てたときにはこんな世界恐慌になるなんて近鉄の人たちは思ってもみなかっただろう。だったらそんなむちゃ計画は中止したらいいのに、着々と工事は進んでいるのである。オレは駅ホームの電車の発着位置が移動してるのを見て「ホントに建てるんだ!」と驚いたのである。近鉄は破滅に向かって走り出したのである。高層ビルの完成と同時に倒産するなんてことになればそれこそ笑いものだろう。ここは中止する勇気こそが必要だとオレは思うのである。大阪市内のオフィスの空き室率はどんどん上昇している。それなのに次々とビルが完成してオフィスが供給されるのだ。これからますます景気が悪くなのに、4、5年前の景気が良かった頃に計画された物件が次々と完成する。ところが誰も借り手はないのだ。そんな時期に超高層ビルを建てて、いったい誰が入ってくれるんだ。
ところが阿部野橋再開発の参加者はまだ居たのだ。アサヒコムの記事を引用しよう。
大阪・阿倍野の大型商業施設着工、東急ハンズなど出店 2009年1月13日 大阪市と東急不動産は13日、JR天王寺・近鉄大阪阿部野橋両駅前の再開発地区で、市内最大級となる延べ床面積約18万4千平方メートルのショッピングセンターの建設を始めたと発表した。核テナントとしてイトーヨーカドーと東急ハンズが出店し、11年春開業の予定だ。 施設は地下2階、地上6階建てで、内部に吹き抜けのある開放的な作り。両駅と空中通路で結び、14年に新ビルが完成予定の近鉄百貨店と向かい合う。ファッション、飲食、エンターテインメントなど約250店が出店し、洋食の老舗(しにせ)「グリルマルヨシ」など、元々敷地内にあった店も入る予定という。 建設に合わせ施設の東側を走るあべの筋を幅24メートルから40メートルに広げるほか、敷地の南端約0.6ヘクタールを公園として整備する。同再開発は94年、そごうを核テナントとする都市計画が決定されたが97年に同社の撤退により頓挫。02年には米系の商業施設開発会社を主体に計画を練り直したが、再び頓挫していた。 三度目の正直となる建設開始に、大阪市都市整備局の担当者は「日本一の高さとなる近鉄百貨店と合わせ、阿倍野地区が大きく変わる。大阪全体に与える経済効果も大きい」と期待している。
なんと、東急ハンズとイトーヨーカドーもやってくるのである。なんてことだ。そんな見込みのない場所で競争なんかしてどうするんだ。そもそもこの2社はどうしてそんな誰も見向きもしない場所に進出してくるんだ。そごうも撤退したし、ウォルマートも敬遠したあの場所でうまくいくはずがないだろう。そんなこともわからないのだろうか。オレはこの無謀な計画にあきれ果てたのである。
大阪にはすでに東急ハンズが2店ある。一軒は江坂にあるので阿部野橋には無関係だが、もう一軒は心斎橋にある。阿部野橋からは地下鉄で10分ほどである。新しく完成する予定の東急ハンズまで陸橋を渡って歩いて移動する時間程度で心斎橋まで地下鉄で移動することは可能だ。だからこんなところで作ってもただ客が分散するだけのことでありなんの意味もないのである。イトーヨーカドーの出店も同様であり、近隣には競合店となる地元のスーパーがいくつもある。不毛の客の取り合いになるだけだ。そして多くの人々にとってこの阿部野橋・天王寺ターミナルというのは単なる通過点なのである。オレが電車で出かける時もそうである。阿部野橋で寄り道する理由といえば、山ちゃんでたこ焼きを食べることくらいしかない。多くの人にとってその程度でしかない場所なのである。
このハンズとイトーヨーカドー出店予定地の南隣には 「あべのベルタ」「というすでに一部が廃墟になった商業施設がある。ほとんど客が入らず、さびれたシャッター通りのようになっているのである。そこでは地方都市のさびれた駅前通りのような光景が見られるのだ。かつて一階に入っていた「サイゼリヤ」も撤退した。180円のドリンクバーで3時間粘るような中高生の客しか来ない場所で、郊外型のファミレスがまともに収益を上げられるわけがないのである。その失敗を目の当たりにしながら進出しようとしている東急ハンズやイトーヨーカドーには果たして勝算はあるのだろうか。どんな好条件で誘われたのかはわからないが、オレからのアドバイスは一言「無理するな」である。やめられるのなら一刻も早く撤退しろ。たとえ違約金を払うことになってもいまならまだ撤退できる。一度建設工事が始まってしまったらもうどうしようもないだろう。
今回の開発計画の登場で、阿部野橋界隈は交差点をはさんで「JR天王寺駅」「近鉄阿倍野橋駅」「東急ハンズ・イトーヨーカドー」と3方がかためられたわけだが、残る一方向、つまり北西側には天王寺公園とホテル街が広がってる。その場末のホテル街の周辺にはかつては美人だったのかも知れない老いた街娼たちが出没する。そんなうらぶれたターミナルが果たして若者の集まるおしゃれな街に生まれ変われるのか。オレはその将来を限りなく危ぶんでいるのである。そして不幸な結末を予想するのだ。「阿部野橋は沈没する」というふうに。果たして3年後4年後のこの街はいったいどうなっているのだろうか。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2009年01月17日(土) |
円高のいまこそFXで不労所得だ! |
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昨年夏、オレはこの日記で「めざせスワップ長者」というFXによるスワップ金利で稼ぐ方法について書いた。しかし、その直後に襲ったとてつもない円高のために、このオレも早い段階での撤退を余儀なくされたのである。しかし、早めに撤退してよかったとも言える。オレは主にユーロ(EUR)と豪州ドル(AUD)を取引していたのだが、どちらもオレが撤退した後もどんどん値下がりした。もしも資金をつぎ込んで耐えようとしていればオレは破産していたかも知れない。そういう意味ではその後の暴落劇を傍観者の立場でいられたことは幸運であった。
さて、円高は行き着くところまで進んだ感じがする。などとオレが書いたらさらに円高になったりするのだが、とりあえず進んでもあと少しかなと思いつつここは考えていきたい。そして、撤退を余儀なくされたFX(外貨証拠金取引)でリベンジするには好機到来という気もするのだ。
昨日(1/15)、瞬間的にAUDは58円台半ば、そして米ドル(USD)は88円台半ばまで下げた。しかし、今日になって大きくどちらも値を戻してAUDは61.58円、USDは90.75円まで反発したのである。その一番下げた瞬間にAUDやUSDを大量に買っていれば、たった一日で大きな利益を手にすることができたということになる。わずかな資金でそれを可能にするのがFX(外貨証拠金取引)である。もっとも多いな利益を手にする機会があるということは大きな損失をする可能性もあるわけだが。とりあえずオレが口座を開いている業者を3つ紹介しておく。オレがメインで使ってるのはサイバーエージェントの外貨exである。画面が見やすくて操作性に優れるからだ。しかしチャートはちょっとわかりにくいので、他の口座から見ればいいだろう。使いやすさというのは人それぞれなので、必ず口座は複数開いて画面を見比べることをお勧めしたい。
たとえばサイバーエージェントの外貨exでAUDを10万ドル買う場合、レバレッジを100倍にすれば必要な資金は8万円で済む。約600万円分のAUDがたった8万円の証拠金で購入できるのだ。そして購入したその日からスワップポイントと呼ばれる金利がつくのである。AUDを10万ドル分購入すれば、一日あたり約700円のスワップポイントがもらえることになる。8万円に対して700円だから一日あたり0.875%、年利率に換算すると319%という率になってしまうのである。それを聞いて「うわっ、めっちゃもうかるやんけ!」とすぐに思ってはいけない。リスクが存在する。それが円高、つまり購入したAUDの値下がりである。わずかな証拠金なんかすぐにふっとぶような損失が発生するのだ。もっとも円安になってAUDが値上がりしてくれれば莫大な利益が転がり込む可能性もあるのだが。
そういうわけで実際の金利はかなり下がってしまうが、安全策を考えた投資の具体例をちょっとシミュレーションしてみたい。
まずFXの口座に資金を50万円用意する。レバレッジ100倍のコースを選び、AUDを10万ドル購入する。証拠金は8万円なので、42万円の余裕があることになる。1円の円高で10万円の含み損になるが、4円ちょっとの値下がりにまで耐えられることになる。もっとも実際は証拠金率が20%とかになればロスカットが発動して強制決済されてしまうのだが。資金50万円でいくなら、AUDを60円の時に10万ドル買えば、有効証拠金が8万円の20%である16000円になった時点でロスカットされてしまう。60円でAUDを買ったとして、55.16円にまでAUDが値下がりすればロスカットされて強制決済され、50万の資金はわずか1万6000円にされてしまうのである。うっひゃ〜 大損じゃないか!
そういうロスカットが怖かったらもっと資金を用意することになる。100万円用意すれば、10円くらいの円高に耐えられることになる。100万円の資金で一日あたり700円の金利とすれば、年利率は25.55%である。決して悪くはない。4年間持ち続ければ100%ということで元金は二倍になる。もっともとてつもない円高が襲ってきてAUDが40円とか30円ということになれば用意した100万円の資金もすべてふっとんでしまうのである。
という形でFX取引の持つリスクについて説明したわけだが、株式投資をしているオレは為替相場が安定すれば、資金を株からFXに大幅に移動させようと思ってる。それは株と違ってこのスワップポイントが売買しなくても毎日自動的に入ってくるし、いつでも引き出せるという魅力なのだ。株の場合は利益を確定するためには売却する必要があるが、FXの場合のスワップポイントは業者によっては決済取引をしなくてももらえるのである。オレが使ってるサイバーエージェントなどがそうだ。600万円ほどの資金をそこに移動させて、そして30万ドルのAUDを買えば毎日2100円のスワップポイントが入ってくる。月6万円ほどの副収入だ。600万円でぼろいマンションを購入して、それを月6万で賃貸してるようなものである。マンション経営と違って家賃を踏み倒されたり部屋を汚されたりというリスクはない。もしも円安方向に進んで暴落によるロスカットの心配が薄れれば、そのときは口座から余剰資金を引き揚げることもできる。AUDが70円くらいに値上がりすれば、為替差益による含み益が30万くらい発生するし、値下がりを警戒して600万入れておいた資金のうち、200万くらいを引き上げて様子を見ることもできる。FXの便利なところは、お金を引き出したいときにいつでも出せるということである。株なら売却しても現金化できるまでに数日かかるが、FXは即日出金も可能である。そういう意味で口座を財布代わりにもできるのである。金利を稼ぎつつ、必要なときは出金するという形である。もっともある程度外貨を買ったときよりも円安になって含み益が発生していることがその条件なんだが。
ただ、もしもオレがこの考えで昨年夏の円安の時に同じことをしようとしていたら財産をすっかりと失っていただろう。しかし、そこから半値近くまでAUDが値下がりした今、リスクは大幅に軽減されているはずだとオレは思うのである。600万も用意できない人のためにそのまま規模を十分の一に縮小して考えるならば、60万円の定期預金を持つ人が、そのゼニをFXの口座に入れて3万ドルのAUDを購入する。そして毎日210円、月6000円あまりのお小遣いを得ると言うことならかなり現実感があるのではないだろうか。
余裕のある資金を用意していれば、思わぬ値下がり時に俗に言うナンピン買いで平均の買いコストを下げることができる。たとえば600万の資金で30万ドルのAUDを60円の時に買ったのに、その後50円まで値下がりして300万円の含み損を抱えてしまったという場合である。そのときに勇気を出してさらに10万ドルのAUDを買う。するとスワップポイント(もっとも円高になればこの金額も少し減少するのだが)がさらに10万ドル分増えることになり、毎日2800円入ってくるようになる。そして55円までAUDが戻した時に、50円で買ったAUD10万ドルを売却すれば50万円のキャピタルゲインを得られる。もっともその時点でまだ150万円の含み損があるので、そのうち50万を穴埋めできたのに過ぎないのだが、それでもかなり精神的な余裕は違うだろう。AUDの価値がゼロになるということはない。株券の場合は企業が倒産して紙切れになることもあるが、外貨の場合はその国が核戦争で消滅でもしない限り価値がゼロになるなんてことはないだろう。
実際にFXで稼いでる方というのは、短期の売買を繰り返してキャピタルゲインを狙っている方が多いようだが、オレのようにふだん仕事をしていて忙しい人間にはスワップ金利狙いの長期保有が適してるのである。
この未曾有の大不況時代に不労所得を得る方法として、FXはうまく相場を読めればかなりチャンスがあると思う。相場が読めなくても安いときに買って長期保有すれば必ずプラスになる。もっとも昨年の夏から秋にかけてのような大暴落が来れば一気に全財産を失うというリスクは常に存在するわけで、それを思えば「失ってもいい範囲内」の資産で勝負するに越したことはないのだが。かくいうオレも58円でAUDを購入してみた馬鹿の一人である。このまま円安になってくれればかなりの利益が見込めるのだが、もしもさらなる円高がやってくればあわてて決済して逃げ出すつもりでいる。そんな臆病な投資家がこのオレなのである。
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2009年01月16日(金) |
泡瀬干潟をどうすれば守れるのか? |
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我々の納めた税金はどうして無駄な土木工事に費やされるのか。必要のないダムを造り、海を埋め立て、誰も使わないハコモノを作るという巨大な無駄遣い、いわゆるドブに捨てるゼニのために我々は税金を納めてるのじゃない。しかし、その無駄遣いはこれまでずっと行われてきたし、今の政治体制が続き官僚支配が続く限りこれからも永遠に繰り返される。そうした破壊に手を貸した連中を「環境破壊罪」(最高刑は死刑)で訴追できないものかとオレはいつも思うのである。
南西諸島最大の干潟である「泡瀬干潟」も今破壊の危機に瀕している。ついに本格的工事が始まったというニュースがあったので、読売新聞のWEBサイトから引用しよう。
沖縄・泡瀬干潟埋め立て開始…「暴挙」と抗議集会も 南西諸島最大の干潟とされる沖縄県沖縄市の泡瀬(あわせ)干潟(約290ヘクタール)の埋め立て事業は15日、第1区域(約96ヘクタール)の本格的な工事が始まった。 那覇地裁は昨年11月、泡瀬干潟公金支出差し止め訴訟で、県と沖縄市に将来の支出差し止めを命じ、県と市は控訴した。原告団メンバーは「埋め立ては地裁判決を無視した暴挙」と干潟近くの岸壁で抗議集会を開いた。 埋め立ては国と県が担当し、事業費は約490億円。第1区域と未着工の第2区域(約91ヘクタール)があり、埋め立て地の大部分を県と市が購入し、ホテルや商業施設を誘致して地域活性化を図る計画。 第1区域の工事は2002年に着工。希少生物の保護措置や反対住民の阻止行動で、工事は断続的に中断し、護岸整備しかできていなかった。12年度に工事完了予定で、当初計画は「第1、第2区域とも09年度完工」としていた。 この日は午前9時前に工事が始まった。干潟の北東3キロの中城湾港新港内で採取した土砂を運搬船に載せ、埋め立て地に搬送。午後からは護岸で土砂をダンプカーに積み替え、海に投じる。今後も毎年4〜7月は、埋め立て地周辺で絶滅危惧(きぐ)種・トカゲハゼが産卵するため作業を中断する。 県港湾課の平良和雄・港湾開発監は「裁判は継続中で、埋め立て工事の進展に問題はない」と語った。沖縄市の東門美津子市長は「具体的な土地利用計画を早い時期に策定し、経済的合理性を説明していくことが市長としての責務と考えている」とのコメントを出した。
この「泡瀬干潟埋め立て」だが、その埋め立て地をどうするのか。何も具体的な用途は決まっていないのである。まず埋め立てありきなのである。つまり、必要に迫られてする工事ではなくて、その埋め立て工事ををして税金を浪費することだけが目的なのである。オレがいつもこの日記で告発してきた「イナカモンドリーム」の構図がここにもある。壮大な自然破壊を行って地元の土建業者がゼニを稼ぐのだ。たとえ何の役にも立たない埋め立て地でもいい。だってその工事は政府がやらせるのであり、民間企業と違って収益なんか考える必要は全然ないのである。
この干潟破壊、いちおう埋め立ての経費はほとんど国が負担するのだが、その埋め立て地の半分くらいを沖縄県は購入する義務を負っているのである。結局地元もそのゼニを負担させられるのだ。沖縄のような貧乏な自治体は「そんなものいらん!」と突っぱねればいいと思うが、そういうわけにはいかないのだろうか。その押し売りされた土地は「マリンシティー泡瀬」として開発して、ホテルやショッピング街、情報教育の拠点、住宅地などになるという。そんなものがいったいどれだけの価値があるのか。そんなものを作りたかったら陸上にいくらでも候補地はあるだろう。土地が足りなかったら米軍基地を返してもらえばいいだろう。かけがえのない貴重な自然を破壊し、どこにでもある薄汚いショッピングモールを建て、やがて飽きられて閑古鳥が鳴くというお決まりのパターンであり、日本中の田舎で繰り返されてきた愚行なのである。そんなことが強行されようとしているのだ。
諫早湾の干拓で失われた貴重な干潟が果たしていた水質浄化の役割、そして生物の多様性を考えたとき、あのような愚行を再び犯してはならないということを我々は理解すべきではなかったのか。アマゾンやボルネオ島の熱帯雨林の保護を我々が叫ぶならば、自分たちの暮らす日本の干潟もまた保全するべきだ。自分たちの環境破壊は容認しながら、他国には破壊するなと主張するのは矛盾も甚だしいのである。我が子を虐待する親が「児童虐待反対」と叫ぶような恥ずかしい行為である。
この泡瀬干潟がなくなれば、潮干狩りなどで賑わった広大な生物の宝庫が消滅する。これから先、未来永劫に渡って多くの貴重なものを我々に与えてくれたはずの干潟が、永遠に失われるのである。それがどれだけ大きな損失であるのか気づいていない人が多いのである。
今世間はものすごい不景気である。新しくビルを建ててもテナントが埋まらず、観光客の減少で経営不振となったホテルが廃業に追い込まれるといった状況は沖縄でもかなり発生しているはずだ。そんな時期になぜこの開発計画が強引に推し進められるのか、オレにはとうてい納得できないのである。どうしてもその壮大な無駄遣いをしなければならない国や県の事情というのもがあるのか。それをどうやって阻止すればいいのか。社民党出身で沖縄市長の東門美津子さんはこの事態をどう考えておられるのか。何も考えずにいるのなら、そんな市長はさっさと辞めて引退してくれ。なぜ命をかけて反対しないのか。あんたは何のために市長になったのだ。
泡瀬干潟のすぐ北側にはかつて川田干潟と呼ばれた干潟が広がっていた。ところがその川田干潟は2170億円かけた「新港地区埋立事業」によって大部分が破壊されて消滅してしまった。しかし、その埋め立て地はほとんど活用されずに遊休地だらけである。その埋め立て事業は全くの無駄だったのである。このことからはっきりわかるように、泡瀬干潟を埋め立てても、その造成された土地は全くの無駄になることが最初から予測されるのである。しかし工事の目的は埋め立て地を手に入れることではなく、埋め立て工事をすること自体が目的なのである。川田干潟を埋め立ててしまったから今度はお隣の泡瀬干潟を埋め立てるというだけのことなのだ。
もしも干潟を元通りにする工事をするなんてことが可能ならば政府はそんなことのためにまた予算をつけるかも知れない。国土交通省なんてお役所は巨大な税金の浪費システムでしかない。常にどこかで土木工事をして、常にゼニをドブに捨て続ける、これが国土交通省の存在意義なのである。オレに言わせればそんなところでゼニを無駄遣いさせてる官僚どもはみんな国賊であり。その工事を地元に誘致させて利権をむさぼる議員どもは国家の寄生虫みたいなものである。おそらく沖縄にも寄生虫みたいなクソ議員どもがいるのだろう。泡瀬干潟ではなくてこの連中をみんなまとめて埋め立てて欲しいくらいである。そうすれば国民の財産に被害を与えることもないだろう。
その工事に費やされるゼニは、もっともっとまともなことのために使えるはずのゼニだったんだ。そのゼニの本当に1/10でも1/100でもいい、ちゃんと生きた使い方ができれば多くの人の命が救われ、死にたいと思うほどの絶望に打ちひしがれている人たちに希望を与えることができるのだ。税とはそんなふうに使われるべきものではないのか。公共の福祉のためにこそ税金というゼニは使われるべきであり、イナカモンドリームを実現した寄生虫どもが山分けするためにあるのではない。そんな寄生虫どもは即刻この日本から駆除してくれ。国土を破壊しまくった馬鹿事業を見直し、その責任者を一人一人告発して今からでも遅くないからどんどん死刑にしてくれ。一人でも見せしめに処刑してやれば、馬鹿事業の責任者には誰もならなくなって、自然とこんな愚行は止むだろう。
そしてもう一つオレが訴えたいことは、この諫早湾干拓や長良川河口堰にも匹敵する馬鹿プロジェクトの全貌が、国民にほとんど知られていないことだ。どうかオレの日記を読んだ方でこの趣旨に賛同されるは
http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=41506&pg=20090116
のURLをコピペして、いろんなところで宣伝して欲しい。巨大掲示板に貼ってくれてもいい。メールで友人に知らせてくれてもいい。とにかく一人でも多くの方に読んでもらいたいのだ。巡り巡ってこれを読んでくれた国会議員がいれば、どうかこの馬鹿事業をなぜ中止しないのか質問して欲しい。すぐ隣にほとんど使われていない巨大な遊休地となった埋め立て地があるのに、なぜ新たに泡瀬干潟を埋め立てないと行けないのか、その理由を説明して欲しいのである。
沖縄には働く場所がないので失業率が高いという。この馬鹿プロジェクトも「雇用促進」に役立つのだと言われる。だったらその事業費のゼニをそのまま失業者たちにあげてくれ。そうすれば環境破壊しないで済むからだ。10万人の失業者に一人200万円ずつあげても2000億円で済む。そのゼニをみんなが浪費すればかなりの経済効果が生まれるだろう。パチンコだけは禁止にして欲しいが。
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2009年01月15日(木) |
カブトエビを田んぼに復活させよう! |
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オレが子どもの頃に住んでいた長屋のそばには田んぼが広がっていた。そこには多くの生き物がいた。カエル、アメンボ、ミズスマシ、ホウネンエビ、そしてカブトエビがいたのである。すばしこいホウネンエビのことをオレは子どもの頃はカブトエビの幼生だとばかり思っていた。ホウネンエビはカラダの一部が透明で、瞬間的にものすごく早く動くので、捕まえようとしてもなかなか捕まえられなかったことを覚えている。それに比べるとカブトエビは容易に捕獲できた。もっとも捕まえてもその寿命は短くて数日も経たないうちにみんな死んでしまうのだが。田んぼでカブトエビが元気よく活動してるのもせいぜい1、2ヶ月で、いつのまにかすっかりと姿を消しているのだった。それが寿命だったのか農薬のせいだったのかはわからない。
読売新聞のWEBサイトでこんな記事を見つけた。
人気上昇中!カブトエビ、有機農法の新たな担い手に カブトエビという水中の生き物が人気上昇中だ。 姿は、天然記念物のカブトガニに似ているが、子どもじゃない。水田を泳ぎ回り、有機農法の新たな担い手として注目されている。山形県酒田市で先月5日、第1回カブトエビシンポジウムが開かれた。2005年に県内の有識者や農家が発足させた「カブトエビ研究会」(五十嵐敬司代表)が主催し、県内外から約150人が集まった。 「卵が孵化(ふか)し、繁殖すれば何も手間がいらない」「労力が少なく、多角経営に取り組むことができる」。農家や研究者がカブトエビを使った農法について熱く語った。 カブトエビは大きさ2〜3センチほどの甲殻類で、世界に4種類、日本にはアメリカカブトエビなど3種類が生息する。東北から九州の水田で普通に見られたが、農薬が盛んに使われるようになり、姿を消した。 「田の草取り虫」と呼ばれ、水田の雑草を食べるほか、泥を巻き上げて泳ぎ回るので水が濁って光が遮られ、雑草の生育を抑える。カブトエビ農法はこの力に頼り、除草剤をやめてコメを作ろうというものだ。 雑草を食べたり、水を濁らしたりする生物を使う有機農法は、アイガモやコイが有名だが、トンビなどの外敵から守るために水田に柵を設置するなど費用がかかる。カブトエビの場合は不要で、悪臭や騒音もない。 問題は、生態が完全には解明されていないことだ。繁殖方法が確立しておらず、水田で飼育しても孵化率は約10%と低い。東京農大の長島孝行准教授(昆虫利用学)は注意点として、農薬を使わない、卵で過ごす冬は田を乾燥させる、卵が孵化したら田から水を抜かないなどを挙げる。 栃木県益子町の高橋丈夫さん(57)は約2ヘクタールの水田に取り入れている。「繁殖するには水温27〜28度が理想。気温が高いと水田の水を掛け流し、寒いと水を止めるなど水温を一定に保つ工夫をしている」と話す。福岡県前原市の藤瀬新策さん(58)は「夏は稲作、冬はキャベツ栽培をしている。畑にして土を乾燥させ、土壌に有機物を含ませることが重要」と言う。 食の安全が叫ばれる昨今。農薬に弱いカブトエビがすむ水田のコメは、「安全」の保証付きといえる。高橋さんは収穫したコメを無農薬米「紅カブトエビ米」として販売し、人気を呼んでいる。日本生まれの新農法に、「究極の除草法」と関係者の期待は大きい。 (山形支局 米山裕之)(2009年1月13日19時27分 読売新聞)
農薬を撒けば確実にカブトエビは死ぬ。そういう意味ではこれほど確実な生物指標も他にないだろう。ただ、カブトエビが棲息してることで本当に収量がアップするのかどうか、きちっと解明されていないだけに今後の研究の結果を待ちたい。
コメを売るときに、少しでも高く売るためにはなんらかの付加価値をつけないといけない。その付加価値として考えた場合、この「カブトエビの棲む田んぼ」という付加価値はかなり安価に実現するものであり、貧乏な農家でもすぐに達成可能である。問題はその「紅カブトエビ米」が美味しいかどうかである。もしもオレにそのサンプルを贈ってくれるのならばなんらかの味に関するコメントを述べることも可能だが、現時点ではなんともいえないのである。
それにしてもこのカブトエビという生き物、卵の状態では乾燥にも強く、田んぼに水が張られる環境になるまで何年も耐えるというからすごい。「生きた化石」と呼ばれるそうだが、そうやって環境の変化に耐えられる性質を持っていたから、現代に至るまで絶滅しないで生き残ってこられたんだろう。学研の『科学』では毎夏カブトエビ飼育キットのおまけがついていたそうである。日本中の水田にその卵を撒けば、一気に増やすことも可能かも知れない。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2009年01月14日(水) |
定額給付金は全く無駄である |
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今朝の朝日新聞で、国民の63%が「定額給付金など欲しくない」と答えてるというアンケート結果が紹介されていた。「欲しい」(麻生太郎が言うところのさもしい人たち)は28%だそうである。この定額給付金、タダでもらえるものであるからオレも欲しくないと言えばウソになる。くれるものはもらいたい。しかし、その目的が単なる選挙対策であり、税金を使った買収であるということを思うと実に馬鹿馬鹿しいのである。しかもそうやってくれたゼニも2011年からの消費税増税で何十倍にもして返してやらないといけないわけで、実にアホらしいのである。この定額給付金に反対した自民党議員がたった2名しかいなかったそうだが、残りの自民党議員は全員「思考停止」の状態にあるのだろう。個別の政策について自分の頭で考えることなどできず、ただ単に党利党略のためにコマとなって党の方針に従って投票することしかできない。オレは松浪健太議員は嫌いだが、今回の投票を欠席したというその良心の部分は評価したいと思っている。
どうすれば景気回復になるのか。そのためにはゼニをばらまいても意味がない。おそらく今回の2兆円の定額給付金のうち、4000億円くらいはパチンコ代に浪費されるだろう。アホにゼニを持たせてもそんな使い方しかできない。悲しいかな、国民の2割くらいはそんな馬鹿馬鹿しいゼニの使い方しかできないレベルの連中である。だからこんなに日本中にパチンコ屋が隆盛なのである。パチンコ店が賑わってもその収益はどんどん脱税されて北朝鮮に送金されるだけだから日本の景気には何の関係もない。かくして2割は無駄になる。じゃあ残りの8割は有効活用されるのだろうか。
そもそも景気が良くなるとはどういうことなのか。消費行動が盛んになってみんながゼニをばんばん使うということが景気が良くなると言うことなのである。そのためにはゼニを配るだけでは意味がないのだ。そのゼニをみんなが使いたくなる仕掛けが必要である。残念ながら麻生太郎のあの歪んだ顔を眺めていても全然そんな気にはならないのである。かえって使う気など失せてしまうのである。
江戸時代、幕府の財政は窮乏していた。8代将軍徳川吉宗は度重なる倹約令を出して財政再建を図るのだが、倹約しすぎてますます江戸市中の景気は悪化する。そのころ尾張の殿様だった徳川宗春は逆に贅沢を奨励し、自分も派手な格好をして人々を驚かせ、遊郭を誘致したり祭をやって庶民がどんどんお金を使うように仕向けたのである。その結果尾張の城下町は栄え、税収も増えて逆に財政は豊かになったのである。(その顛末は清水義範の小説「尾張春風伝〈上〉 (幻冬舎文庫)」に詳しい。ぜひ一度お読みになることをお勧めする。麻生太郎も読め・・・と言いたいが漢字を読めないから無理だ。)麻生太郎に徳川宗春ほどの人格を求めるのは酷だが、少なくとも今麻生太郎が打ち出してる政策がみんなにゼニを使いたくならせるようなものであるとは思えない。たかだか一人当たり1万2000円から2万円を配ったところで、その程度でたいしたものも買えないし、おそらく今まで通りの消費行動をして、その分の余ったゼニを貯金するだけだろう。結局何の効果もないのである。景気を良くするということは、よけなぜ二を散財させないといけないのである。使う気もなかったゼニを使わせる、これが景気対策だ。
たとえば人はデートにかなりのゼニを使う。だったらどんどん男女が出会ってデートするような政策を打ち出せばいいのである。つまり定額給付金ではなくて恋愛奨励金として使えばいいのだ。そんな政策を取れば「老人には関係ない」と怒る人もいるかも知れないが、最近の老人はなかなか元気で精力絶倫のじいさんも多い。70代の女性が若い男性といちゃいちゃするのもなかなかいいだろう。
映画館のカップル割引を拡大するとか。ラブホテルの建設基準を緩和するとか。恋人のいる従業員には企業がデート手当を支給するとかだ。もちろん、彼女がいないのに替え玉を使ってだまそうとする卑怯者もいるかも知れない。まあ、そんなのは大目に見てやれ。替え玉がいつのまにかホンモノの恋人になるかも知れないからである。
不景気だからとみんなが消費を手控えようとする中で、首相自らグルメ番組に出て「おしいものをじゃんじゃん食べ歩きましょう!」とアピールするとか、日比谷公園の派遣村をそのまま巨大な屋台村にして、行き場のない派遣労働者たちが開いた露店でいろんな食べ物が楽しめるということで多くの観光客が押し寄せて、その収益を彼らの生活再建にあてるとか。いろんな工夫ができたはずである。麻生太郎よ、あんたにはそんなアイデアの一つでもあるのか。国会議員にまで給付金を受けとれだと?アホかおまえは。そんなものもらわなくても麻生、おまえのような金持ちは10億円くらいパーッと散財できるだろう。そうやって景気回復に貢献しろよ。
昔公明党がやった「地域振興券」という馬鹿政策があったが、性懲りもなくまたまた繰り出された馬鹿政策。日本の政治家はいつまでこんな愚かなことを繰り返すのだろうか。多くの国民が心の中で「おまえらアホか!」と思ってることにも気づかないのだろうか。」
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2009年01月13日(火) |
キンタマを蹴る少女 |
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オレは「時をかける少女」というアニメの映画が好きである。筒井康隆の原作も好きだし、その昔の原田知世が出た作品も好きである。しかし、「ときおか、ける少女」は嫌いだ。オレの友人の時岡くんを蹴る少女のことは断じて許したくない。おっと、話が滑った。こんな駄洒落のことを話すのじゃなかった。ここで書くのは車掌を蹴った少女の話である。これは時岡くんを蹴る女ではなくて、キンタマを蹴る女の話である。産経新聞のWEBサイトの記事を引用しよう。
大トラ19歳少女が車掌の股間蹴る 2009.1.12 14:02 このニュースのトピックス:変な事件 11日午後11時50分ごろ、山陽新幹線小倉駅のホームで、博多発小倉行きこだま774号から下車した乗客の少女(19)が、30代の男性車掌に「態度が気に入らない」などと詰め寄り、股間をけった。車掌にけがはなかった。少女は酒に酔っていたという。 JR西日本などによると、少女は20歳くらいの男性と一緒に乗車。車内で靴をはいたまま座席に足を上げているのを車掌にとがめられ逆上。乗務員室に立ち入ろうとするなどのトラブルを起こしていたという。 下車した後、ホームを巡回していた鉄道警察隊員にも詰め寄り始めたため、車掌がなだめようとしたところ、股間をけった。 少女は福岡県警小倉北署に保護され、家族に引き渡された。
19歳で酔っぱらっているということがそもそも法律違反なのだが、靴を履いたまま座席に足を上げるなど、とってもお行儀の悪いお嬢さんなのである。きっとろくなしつけを受けていないのだろう。そんなことは幼稚園の時にちゃんとわかっておくべきことである。それを19歳になってもまだわかっていないのである。それにしても車内での態度を注意しただけで絡まれて乗務員室に乱入されそうになるとは車掌さんも大変である。そんな馬鹿女は新幹線の窓から外に捨ててやりたくなっただろう。
こういう事件の時に酔っぱらってる時の行動だから大目に見てやろうという方がいるかも知れないが、被害にあった方から見ればたまらない。キンタマを蹴られた車掌さんにしてみれば本当にタマらないだろう。こんな馬鹿女は罰として酔っぱらいのゲロ掃除を一週間くらいさせてやるべきである。自分のような酔っぱらいがどれだけ世間に迷惑をかけてるのかをわからせないといけない。
こんなことで警察に呼び出されて引き取りに来る家族も情けないだろうなあ。そんな馬鹿娘はもういりませんと言いたくなるだろう。ただ、この馬鹿女と一緒にいた20歳くらいの男は、自分の連れが演じた醜態をどのように見ていたのだろうか。オレはそれが気になるのである。もしかしてその連れの男もキンタマを蹴られるのが怖くて沈黙していたとか。もしもそうならなんとも恐ろしい女である。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2009年01月12日(月) |
待機児童をなくしてください |
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たまたま夜に見ていたテレビ番組で、日本初の24時間保育の認可保育所を運営する女性が紹介されていた。保護者の中には仕事の関係で通常の保育時間では対応できない方もいて、その場合は無認可保育所でかなり高額の保育料を払わなければならない。ところが認可保育所になると保育料がかなり安くなるのだという。月に8万円も掛かっていたのが1万円に減ったということが番組では紹介されていた。
希望する人がすべてそうして子どもを認可保育所に預けることができるならば、子育てをしながら働く母親の負担はどれほど軽減されるだろうか。しかし、希望しても保育所の定員に空きがなくて、順番を待ってるいわゆる「待機児童」が2006年4月現在で、全国に約2万人いるという。この中にはあきらめて無認可保育所に預けた数や、保育所に預けるのをあきらめた数は含まれない。だから待機児童の実数ははるかに多いのである。少子化によって子どもの数が減ればそれだけ保育所に空きができて待機児童の問題は解消するかと思われたのだが、実際はそうではなかった。子どもを預けて働きたいという親はむしろ増えているのである。幼稚園の中には子どもが集まらずに閉園するところがかなり出ているのだが、保育所の需要は逆に増しているのだ。
少し前の日記で、小さな子ども3人を抱えた母親が生活保護を受けていてそのもらったゼニをパチンコに使いまくり育児放棄していたことを取り上げたが、働かずにゼニだけもらえる仕組みは制度的欠陥であるとオレは思っている。もしもその母親にちゃんと仕事をしてもらって、そして3人の子どもたちは保育所で預かるということになっていれば、生活保護費を支給する必要もなく、働いていて忙しいのでパチンコに行く暇もなかったということになる。警察利権がからんでる上にパチンコ業界からの政治献金も巨額なので、今のクソ政治家どもはパチンコ屋を日本から追放する気は全くないわけで、この業界を壊滅させるためには人々のモラルを向上させ、そんな愚かな娯楽に行かせないようにしてパチンコ屋を自滅させるしかないとオレは思っている。この忌まわしい産業を消滅させる方法は唯一、教育以外にないとオレは思ってるのである。
待機児童をなくすことは、生活保護費として支給される金額の総額を減らすことにつながるだろう。そのために必要な金額はどれくらいなのか。仮に日本中に10万人の待機児童が存在するとして、そのすべてがやむなく無認可保育所に通ってるとする。一人当たり年間100万円の保育料がかかるとすると、総額で1000億円である。もっとも国が認可保育所を増やしていけば、今まで無認可保育所に入っていた子どもたちも認可保育所にシフトするだろうから、費用はもっとかかることになるだろう。それでもせいぜい3000〜4000億円程度であろう。たったそれくらいのゼニで、働くために子どもを預けたくても預けられないという問題はあっさりと解決するのである。
例えば東京都には独自の制度で「認証保育所」というのがある。設置基準が厳しい認可保育所よりも緩和された基準で設置しやすくする一方で、13時間以上の保育や0歳児保育などを行って都民のニーズに応えているのである。この仕組みによって東京都は待機児童の問題に対処してるのだ。もちろんまだ完全になくせたではないが。こうした工夫を全国に広げるとともに、保育料が安くなるように施設に公的補助を出せばいいのである。東京都の認証保育所にはA型(駅前基本型)とB型(小規模、家庭的保育所)の2種類があって、利用者のニーズに応えているのである。なぜこんな制度を全国規模で広げられないのか。
日本中に保育所を20万人分増やすとする。子ども10人あたりに保育士が1人必要と考えれば1万人、そして24時間保育と考えればその3倍、ということで3万人というのはかなりおおざっぱな計算だが、仮に新規雇用される保育士が5万人と考えればかなり各施設に定員の余裕が生まれるだろう。そうすればミスマッチ、つまり自分の住んでる地域や便利な場所に空きがないとう事態がかなり防げるのではないか。
5万人に年収400万円を保証するとすれば2000億円、これもたいした金額ではない。やってもおそらく全く効果はないとオレが考えている定額給付金2兆円なんかに比べてはるかに少ない金額で、はるかに働く人々の役に立つことができるのである。保育士の資格を持ってる人は世間にいくらでもいる。私立の幼稚園には若い女の先生が多いが、10年も働かないうちにどんどん入れ替わっていく。結婚する場合もあるが、長く勤められて給料が上がって欲しくないから早く退職するように仕向けてるのだろう。40代50代の女性で、保育士の資格を持つ方はかなりいるはずである。だから新規雇用するにしてもいくらでも人材は眠っていることになる。65歳以上の高齢者を保育士として雇用することができれば、定年退職後の再就職の場として活用できる。
この政策のために必要な予算が5000〜6000億円ということになるわけだが、もしも実施すれば母子家庭で生活保護を受けている世帯の保護費を減額できる。年間3兆円近い保護費のうち、一割でも削減できるならこの予算の半分は捻出できることになる。そしてこの政策がもたらす経済効果はかなり大きなモノになるはずである。
政府がこの政策を大々的に発表すれば、民間企業の中にはそれを大きなビジネスチャンスと見て参入してくるところがあるだろう。介護事業に力を入れている「ワタミ」なんかが全国チェーンの保育所経営に乗り出してくるかも知れない。競争が起きればサービスも向上するはずである。利用者の利益につながることは間違いない。麻生太郎の2兆円バラマキよりもよほど意味のある政策である。景気回復のためになりふり構わず何かをしなければならないときに、こんなアイデアをどうして政治家どもは思いつかないのだろうか。オレはそれが不思議なのである。きちっとした経済対策を行って不況から脱出させ、リストラされた派遣社員や失業者たちを救うことよりも、間近に迫ってきた選挙で自分がいかにして当選するか、つまり私利私欲のことしか考えていない連中が政治を動かしてるのである。国民にとってこれはなんと不幸なことなのだろうか。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2009年01月11日(日) |
きみはみえけんジャーを知ってるか? |
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旅行から帰ってきた知人から、ネタにしてくれと言わんばかりの土産をもらった。もうこれは日記で取り上げるしかないと思って今回書くことにしたのである。それはこのド派手な箱のキャラメルである。土産戦隊みえけんジャーと箱には書かれている。みえけんジャーというのはなんとも情けないネーミングである。ここで誤解して欲しくないのは、オレは「三重県」のことを情けないと言ってるのではない。「みえけんジャー」というその珍妙なネーミングに対して「情けない」と思っているのである。
箱の絵を見ると、その5人の戦士たちの名前が三重県の名物にちなんで付けられていた。
高級松阪牛ゴールド パールピンク ドルフィンブルー 伊賀忍者ブラック 伊勢海老レッド
ちゃんと三重県の名産品の宣伝になっているじゃないか。すごいぞ。それでさっそく箱を開いた。しかし、そこでオレは激しく失望したのである。なんじゃこりゃ〜 キャラメルの味は一種類じゃないか。
オレが期待したのは、松阪牛の味のキャラメルとか、伊勢エビの味のキャラメルがいったいどんな奇怪なモノになるかということだったのだ。たとえば北海道に行くといろんな変わり味のキャラメルが楽しめる。塩バターキャラメルとか、ハスカップとか、夕張メロンとかいろいろである。中でもまずくて有名なジンギスカン風味のキャラメルはよく罰ゲームの商品にされるという。つい先日も北海道帰りの生徒から「ススキノ夜の誘惑キャラメル」というのをもらって食べたが、これはなかなかおいしかったのである。
しかし、この「みえけんジャー」のキャラメルはなんの変哲もない、ただのふつうの味のキャラメルだった。食べてみたが普通のキャラメルだった。真珠の粉も入ってなければ、伊勢エビのしっぽも入っていない。ただのキャラメルだったのである。この情けないキャラクターに関係があるのは、外箱とおまけシールだけだったのだ。しかし、こんなおまけシール、いったいどうすればいいのか。今使ってるノートパソコンにでも貼ればいいのか?いや、それではあまりにも情けないのである。
この みえけんジャー とはいかなるものなのか、オレはさっそく検索してみた。すると、この5人の戦士の携帯ストラップが売られていることがわかった。箱に書かれてる5人の戦士が携帯ストラップにくっついているマスコットの人形になってるのだ。どうやらそっちが本家であり、このキャラメルは同じキャラを利用して作られたお土産用の商品であるということが判明したのである。
三重県には他にもいろんなローカルヒーローがいるようである。こういう企画を楽しもうとする県民性があるのかも知れない。他にも、「ブレイク戦隊ヘンタイジャー」(桑名市)とか「ツヨインジャー」(津市)「イセシマン」(伊勢志摩)などが存在するようである。こういう名前をもしもお役所の方々がまじめに考えたのならなかなか笑えるのである。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2009年01月10日(土) |
しんにょうの点は一つか二つか? |
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オレは漢字というものに関してはけっこう保守的である。だから難しい漢字を規制してやさしい文字に書き換えることには反対だし、子ども向けの本でも漢字ひらがなの混ぜ書きではなくて、難しい漢字にはルビをふればいいと思っている。 「汚水」を「お水」と書かれたら「おすい」なのか「おみず」なのか全然わからないじゃないか。「お水」で手を洗つもりが「汚水」で手を洗ってきたらどうするんだ。日本語には同音異義語が多い。それをちゃんと漢字表記するから意味がわかるのである。「ちかん」と言っても「痴漢」と「置換」では全く違うのである。
明治のあの大文豪と言えばやはり森鷗外である。それを森鴎外と書かれるとどうも調子が狂うのである。 石川啄木もそうだ。やはり啄木の「啄」の文字には点を打ってほしいのである。かなり昔のまだ公立高校に勤務していた頃、文学史の問題で啄木の名前を書かせるときに点を打ってないものは×にしたことがあった。中には「石川豚木」などと書いてある論外の答もあったが。今こうして日記を書いていて「鷗外」はパソコンでちゃんと表示できたが、点のついた方の「啄」の文字はないのだ。そういう固有名詞に関してはやはり文字を簡単に変えたくないのである。「芥川龍之介」は芥川「竜」之介ではダメなのである。固有名詞の文字は絶対に変えてはダメだ。オレは文字に関してはこだわるオッサンなのだ!
ところが辻や道の部首である「しんにょう」に関してははっきり言ってどうでもいい。もともとこの左上の点は二個だったのが整理されて一個になって、なんでも常用漢字に取り入れたものは全部点が一個になったのに、入らなかった分は2個のままで、その2個のままのものがパソコンで使用する文字として登録されたりしてということだから話がややこしいのである。昨日も新聞にある広告でこういう文字を見たのだが
謎という文字の造りの部分にあるしんにょうの点が2個になっている。だったらこの「謎」という文字の点は正しくは2個ということなんだろうか。オレは今までに何百回となくこの「謎」という文字を書いてきたが、一度たりともそのしんにょうの点を二個書いたことなどないのである。この点を全部一個にするとか二個にするとか、文字によって書き分けるとか、そんなことはどうでもいいのである。オレが気がつかなかったくらいだからそんなことは別にどうでもいいじゃないかと思うのだ。ダブルスタンダードでもなんでもなく、その二つの違いを設定することの意味をオレは感じていないだけである。
漢字というのは優れた文化である。お隣の中国はその優れた文化を「簡体字」なるもので台無しにしてしまったが、分家の日本はそんなお馬鹿な部分をまねなくていい。ちゃんんと古い漢字も日本で使い続けて守っていけばいいのである。顰蹙とか憂鬱とか、オレのような漢字オタクのオッサンでもない限りおよそ書けそうもない字でもパソコンのおかげですぐに書ける。だったらもっと使える漢字を増やしてもいいと思う。 「碍」の文字が常用漢字になくて「障碍者」と書けないから「障害者」と書き、そして「害」の文字を嫌って「障がい者」と書く居心地の悪さよりも、ちゃんと元の形である「障碍者」と書くことをオレは望むのである。もっともあの漢字が読めない麻生太郎から見れば、オレのようなオッサンの存在は実に鬱陶しいだろうが。麻生太郎の読める難しい漢字は「矜持」くらいだろう。ただ可笑しいのはついこの間まで金持ちが給付金を受け取ることを「さもしい」と言っていたくせに掌を返したように今度は「国会議員が率先して受け取りましょう」と言っているわけで、もっとも「矜持」の意味を知らないのがあの男なんだが。
しんにょうの点が一個であろうと二個であろうと、そんなことどうでもいい。そんなことどうでもいいからもっと小中学生が漢字をきっちりと読めるようにしてくれ。そしてろくに漢字も読めないような馬鹿芸能人どもに、テレビで盛大に馬鹿自慢をさせることをやめてくれ。オレはあの番組を見ていると腹が立ってきて仕方がないんだ。あいつらは小中学生の国語の時間にいったい何をしていたんだ。
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2009年01月09日(金) |
がんばれ渡辺喜美、自民党をぶっつぶせ! |
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渡辺喜美氏の父である渡辺美智雄氏の発言でもっとも有名なのは「日本人は真面目に借金を返すが、アメリカには黒人やヒスパニックなんかがいて、破産しても明日から金返さなくても良いアッケラカのカーだ」という暴言である。この暴言は今のサブプライム問題を奇しくも予言していたと言えるかも知れない。総理になりたいという野望を抱きながら病に倒れてその夢を果たせなかった彼の意志をついで、その息子の喜美氏が政界再編のカギを握るのも必然かも知れない。
麻生太郎首相の政策を批判し、早期の衆院解散を要求するその態度は、今の大衆に支持されるだろう。彼がかつて小泉純一郎が行ったような「劇場型政治」を望むならばうってつけの舞台が用意されたと言えるかも知れない。今なら自民党の分裂を誘って、小沢一郎に対して「自分を首班指名するなら民主党と組む」と交渉することができるのだ。千載一遇のチャンスじゃないか。
解散総選挙の時の獲得議席によっては公明党抜きでの政権奪取も可能である。自民党からどれだけ引き抜けるかわからないが、自民党議員の中にも「政権政党に入りたい」という理由で後から離脱する者が出るかも知れない。オレは乱世が好きなので、こういう政界再編は大歓迎である。産経新聞のWEBサイトから記事を2件引用しよう。 渡辺氏「13日にも離党」 2次補正への対応は未定 自民党の渡辺喜美元行革担当相は8日、国会内で記者団に対し「麻生太郎首相では天下り根絶は無理だ。離党のタイミングは今日、考える」と述べた。13日にも離党するとみられる。 渡辺氏は9日に麻生首相に対して、(1)国家公務員の天下りの「渡り」の完全廃止(2)首相が天下り斡旋(あつせん)を承認する政令の撤廃−の2点を求める質問状を提出する。 一方で、13日に予定されている平成20年度第2次補正予算案の衆院本会議での採決への対応について渡辺氏は「まだ決めていない」と述べるにとどめた。 渡辺氏は8日の衆院予算委員会を急遽傍聴し、国家公務員制度改革に関する首相の答弁に対し、「麻生さんでは天下りの根絶は無理だとわかった。自民党で一生懸命やっても首相があの調子だ。役人答弁と同じで官僚専制政治に手を貸している。お手上げだ」と強調した。 渡辺氏は、各省による公務員の再就職あっせんを首相が承認する仕組みの撤回などの「霞が関改革」を含めた7項目の提言を首相あてに提出し、実現されない場合「速やかかつ真摯(しんし)に検討されない場合、離党する」としていた。
自民党党行革本部が「天下り政令」で政府側に抗議へ 2009.1.8 23:07 このニュースのトピックス:国会 自民党行政改革推進本部の公務員制度改革委員会(委員長・石原伸晃幹事長代理)は8日、党本部で会合を開き、政府が昨年12月、首相の権限で国家公務員の天下り斡旋(あつせん)の承認を可能とする政令を党内手続きを経ずに決めたことに対し厳重抗議することを決めた。中馬弘毅・党行革本部長らが河村建夫官房長官らに申し入れる。石原氏は会合で「さっぱり意図が分からない政令だ」と批判。他の出席者からも「行政上必要かもしれないが、衆院選で自民党議員の心臓を止めてしまう」(衛藤晟一参院議員)と不満が噴出した。
数年ごとに巨額の退職金をもらっていく「渡り」が問題視されていて、それを根絶しようとして渡辺喜美氏が取り組んでることは正しいとオレは思っている。ところが麻生太郎にはそれを無くそうという気は全くないのである。いや、麻生だけではなく自民党の多くの議員たちにそんな気はない。今まで通りの官僚との蜜月関係を維持したいからである。渡辺喜美氏の「麻生さんでは天下りの根絶は無理だとわかった。自民党で一生懸命やっても首相があの調子だ。役人答弁と同じで官僚専制政治に手を貸している。お手上げだ」という指摘に対して誰が反論できるだろうか。
天下りの官僚どもがこの国をダメにしてるとオレは思っている。いや官僚組織そのものがこの国のガン細胞みたいなものだ。道路行政にしても、無意味なダム建設にしても、官僚の多くは税金をいかに無駄遣いすることと既得権を守ることしか考えてない。その権限を大幅に縮小し、政治家がきちっと税金の使い方を決定できるような仕組みを作らないと行政の無駄はなくならない。退職金など民間以下で十分だ。民間企業と違って倒産などのリスクがないのだから、報酬が安くても我慢しろよとオレは思うのである。
渡辺喜美氏が自民党を分裂させて新党を作るのなら、ぜひオレにも声を掛けてくれないかとあきれたことをオレは思ってしまうのである。イナカモンドリームの実現のために破壊されてきたこの国を立て直したいとオレは思っている。もしも渡辺氏の政治上の主張がオレにとって共感できる内容ならば、オレはこの日記の上で応援することになるだろう。どんな成り行きになるのだろうか。オレはその行方をじっくりと見守りたいのである。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2009年01月08日(木) |
悪いのは母親かパチンコかどちらなんだ? |
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鍵を掛けられた団地の密室内で、0歳から4歳の3人の子どもが焼死したという痛ましい事故は、母親による育児放棄が主な原因だったことが判明した。オレはこのようなニュースが出るたびにいつも思うのだが、世の中には子どもが欲しくてもなかなか生まれず、不妊治療に通ったりお金をたくさん使ったり、体外授精によって出産したりと大変な苦労をして子どもを手に入れる親たちがいる。その一方でこんなふうに子どもの命を粗末にする親もいるわけである。どうしてこの世はこんなに理不尽なのだろうかと。読売新聞の記事を引用しよう。
松戸の3児死亡火災、母親は出火当時「実はパチンコ中」 千葉県松戸市の常盤平団地4階で田之口舞さん(23)方が全焼し乳幼児3人が死亡した火災で、舞さんが出火当時の6日夕、パチンコ店に行っていたことが、松戸東署の調べでわかった。 同署幹部によると、舞さんは当初、「午後3時半に家を出て、松戸市内の病院に行っていた」などと説明していたが、自宅近くのパチンコ店の防犯カメラに舞さんが映っていたことが判明。同署で改めて尋ねたところ、「6日は午前10時からパチンコに行き、午後2時40分に戻った。午後3時10分からまたパチンコに行ったが、言いたくなかった」と話した。家を出る際は、鍵を掛けていた。 遺体で見つかった3人のうち、長男の翼(たすく)ちゃん(4)と長女の海美(うみ)ちゃん(6か月)の身元は確認された。(2009年1月7日22時35分 読売新聞)
この記事には書かれていないが、母親は知人男性と二人でパチンコに出かけたらしい。そして、この知人男性とは同棲状態であるという。なぜ結婚しないのか、それは母子家庭であるという状況の方が生活保護を受けやすいからだという指摘があった。他紙の報道で「職業不詳」と書かれていたこの母親が仮に生活保護を受けていたのだとしたら、結婚していて収入のある男性と同居していると保護を打ち切られてしまうわけで、偽装母子家庭みたいな状態だったのかも知れない。ただ、そうやって公的扶助を受けてもそのゼニはパチンコ代に使われてしまう。オレは納税者の一人として、こういう人間がいることに激しい憤りを覚えるのである。生活保護を受けてる人間は少なくともそのゼニをギャンブルに使うべきじゃないだろう。そんなことに浪費するためにそのゼニは与えられているわけではなく、最低限の生活を営むために与えられてるのだから。その浪費によって何を切りつめるのか。子どもたちに満足な食事をさせてあげられるのかとオレは思うのだ。
23歳ですでに子どもが3人いるこの女がそれまでどのような生活を送ってきたのか。それぞれの子どもの父親は誰なのか。やむにやまれぬ事情があったのかも知れないし、部外者には想像もつかないような不幸な境遇だったのかも知れない。しかし、3人の幼子を家に残して男とパチンコに行く。それもパチンコ店をはしごするような生活というのがまともな人間のすることだとは思えない。これは明らかに我が子への育児放棄であり、虐待と言われても仕方がないだろう。
オレはパチンコというギャンブルを厳しく規制すべきだと常々訴えてきた。ところがパチンコ利権というのは警察と密接に関係し、パチンコの換金システムを支える組織には警察官OBが天下りするという仕組みになっていて、その結果このギャンブルは保護されてるのだという。しかし、パチンコによって多くの貧しい人間の勤労意欲が奪われ、またそのわずかな収入も奪われているというのも事実なのだ。パチンコ産業というのは貧しい人間をさらに貧しくする究極の収奪システムなのである。ところがこの業界から多くの政治献金が行われ、議員たちもまたパチンコ産業を支援している。社会党委員長だった土井たか子もパチンコを愛好する一人である。
母親が悪いのか、パチンコという悪魔の娯楽が悪いのか。オレは単純に答えが出せない。もしもオレが焼け死んだ子どもの立場で誰かを訴えることができるならば、育児放棄した母親ではなくて、母親を自分たちから奪った憎いパチンコ屋というものを訴えるかも知れないのだ。もしもそんな娯楽がなかったら、いつもお母さんはそばにいてくれたかも知れないのにと。
子どもにとって一番不幸なことは、自分が誰の子として生まれてくるかを選ぶことができないということだ。めいっぱい愛されて育てられるのか、愛情というものを知らずに大人になるのか、どんな親の元に生まれてくるかでその運命は大きく変わる。
無力なオレにできることは、不幸にしてこの世をさってしまった3人の幼な子たちの冥福を祈ることだけである。今度生まれ変わってくるときは、もっとまともな親のところに生まれて来いよ。そうしてめいっぱい幸せになるんだぞと。間違ってもパチンコ好きの親のところに生まれてくるんじゃないぞ ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2009年01月07日(水) |
きみはネットルームを知っているか? |
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ビジネスホテルよりも安く泊まれるということで人気になったネットカフェや個室DVD店だが、それよりももっとプライバシーが守れて料金も安いということで今「ネットルーム」というのが都内でひそかなブームになっているという。仕切が不完全で周囲の音が聞こえるネットカフェと違ってカギがちゃんと掛かる上に、部屋に寝袋などの寝具を持ち込んで横になって眠ることのできる広さもある。それで料金が24時間1800円ということで格安で人気を呼んでいるのだという。確かに安い。寝具を持参しないといけないのが難点だが、どこでも横になれば眠れる方にはそんなものは不要だろう。
今、 都内14エリアで70室の「ネットルーム」を運営しているツカサの担当者の話では、昨年の4月くらいから利用者が増えだして、大人気でずっと満室状態が続いてるのだという。サイトに行って部屋の写真を見たが、確かにネットカフェよりは広い。2畳の部屋には洗面台とパソコンとエアコンが完備している。パソコンの代わりにテレビしかない部屋は1500円というふうに少し安くなっている。また、3000円と少し料金は高いが、ユニットバスとベッドが付属した部屋もある。それでも24時間利用できるのならばビジネスホテルよりもはるかに割安で ある。一、二ヶ月の滞在ならば礼金や敷金を払ってアパートを借りるよりも、こういう部屋に入居して食事を外食で済ませるという方法が賢いことになる。自分がもしも大学生くらいだったら、きっと東京に長期滞在するのに利用しただろうなあと思う。昔は安宿というとユースホステルくらいしかなく、そこはプライバシーなどない二段ベッドの世界だったが、今はこういうものがあるんだなあとうらやましく思うのである。
この ツカサという業者はそうやって寝る場所を提供するだけではなくて、利用者に対する就労支援までやっているという。本来行政がやらなければならないことを、一民間業者がやってくれているのである。東京都はくだらない銀行に税金を垂れ流すのではなくて、こういう業者こそを支援すべきだろう。石原慎太郎さんはこの日記など読んでるはずもないが。
このネットルームの成り立ちだが、元々は個人向けのレンタルオフィスとして作られたものを改装したものらしい。そういう理由だからネットカフェよりも密室性が高くてプライバシーが確保されるのである。ツカサのWEBサイトに行くと、レンタルオフィスや低料金のビジネスホテルなどさまざまなサービスが用意されてることがわかる。
オレは自分の仕事専用の部屋として大阪市内にワンルームのマンションが欲しいと常々思っていたが、このツカサのような業者が大阪にも登場すればかなりの低料金でそれが実現するかも知れない。マンションを買うなら3000万円くらいはかかるかなと思っていたので、それが一日数千円や一ヶ月数万で利用できるならかなり少ない予算で実現することになるからなあ。ただ駐車場を確保するのがかえって高くつくかも知れないが。大阪市内なら駐車場の方が個人のアパートの家賃よりも高いかも知れない。その場合はクルマをあきらめて職場との往復は自転車ということになるかも知れないが。職場に近い場所で寝泊まりできてパソコンの使える部屋があるならそれはかなり便利で、家に帰りたくなくなるかも知れない。
このネットルームというサービス、ネットカフェがたちまち全国に広がったようにニーズさえあれば大阪にもすぐにマネをして開業する業者が登場するだろう。競争によって料金が安くなりサービスが向上するならばそれはよいことである。そして今、景気悪化によって都心のオフィス需要はかなり減少して空き部屋がどんどん増えている。そんな状況で新たなビジネスチャンスとしてこういうサービスが登場したのもまた自然なことかなとオレは思うのである。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2009年01月06日(火) |
日本一弱気なコンビニ強盗 |
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コンビニ強盗がやってきたら、できるだけ穏便に帰ってもらえるようにすぐに少額の現金を渡して退去してもらうようにコンビニ店員のマニュアルに書かれてるとオレは思っていたのだが、どうも大阪の一部のコンビニは違うようである。 「金を出せ!」と言う強盗に対して「無理です!」と応えるコンビニがあるらしい。もしも逆ギレされたらどうするんだろうか。産経新聞のWEBサイトの記事を引用しよう。
押しの弱い強盗犯 店員に断られ続け、自転車で逃走 2009.1.5 21:20 このニュースのトピックス:強盗事件 5日午後4時45分ごろ、堺市西区鳳西町のコンビニ「サンクス堺鳳西町店」で、男がレジの女性店員(39)にナイフのような刃物を突きつけ、「金を出せ」と脅した。店員が「無理です」と断ってレジを閉めて事務所に避難すると、男は何も取らずに自転車で逃走した。 約10分後、現場から南に約600メートル離れたコンビニ「ローソン堺鳳西町店」でも、刃物を持った男がレジの女性店員(20)を脅して現金を要求したが、店員が断ると自転車で逃げた。けが人はなかった。 西堺署は強盗未遂容疑で捜査。男はいずれも年齢50〜60歳くらい、黒っぽいジャンパーに白っぽいズボン、つばが白っぽい帽子を着用していた。服装が酷似していることなどから、同署は同一犯とみて調べている。
どちらも店員が断ると、男は何も取らずに逃げているのである。そして、一度失敗したらあきらめたらいいのに、なんと10分後にすぐ近くのコンビニで同様の犯行を行ってるのだ。そこでオレが疑問に思うのは、どうして一件目の犯行直後に緊急配備した警官が現場周辺に急行しなかったかということなのである。何も取れずに逃げた犯人がゼニに困ってるならばすぐに別のコンビニを襲うはずだ。一件目のコンビニの店員がすぐに通報しなかったのか。あるいは通報があってもすぐに警官がやってこなかったのか。直後の犯行なのになぜ捕まえられなかったのか。不思議で仕方がないのだ。
警察とは市民の安全のために奉仕する存在のはずである。ところが連中は意味もない交通取り締まり(俗に言うねずみ取り)をしたり、経団連の御手洗富士夫会長の家の回りを24時間警備したりしている。市民の安全のために存在するのではなく、一部の金持ちのために存在し、暇な時間に反則金稼ぎをしてる迷惑な組織なのである。こんな警察に存在意義があるのかとオレはつくづく腹が立っているのだ。
景気が悪くなると犯罪が増えるという。その犯罪もわずかなゼニのために他人の命を奪うような陰惨なものが増える。たった数万のゼニのためにタクシー強盗をする連中がいる。そこで奪える金額はその日の売り上げのせいぜい5、6万だ。そんなわずかな金額のために殺されるのがどれだけばかばかしいことか。そして、そんなわずかなゼニと引き替えに簡単に命を奪ってしまう行為をしてしまう連中の愚かさを思うのだ。しかし、そんな貧困な社会を作り出したのは誰だ。本当に貧しい人間の自己責任だけなのか。
2011年からは消費税が値上がりするという。その一方で法人税が大幅減税になるという。庶民からむしり取って、そのゼニを大企業のために使う。これがこの国のあり方なのである。そんな政権を我々は選んでいるのである。法人税を高くしたら企業が日本から逃げるという考えがあるが、そんなことはない。法人税を払いたくない企業はその分を設備投資に回したり研究開発費を増やしたりするだけで、結果的に景気が良くなるのである。そんな経済の仕組みもわかっていない馬鹿が、税金をできるだけ払いたくない経団連の会長の口車に乗せられて法人税減税と消費税アップをセットにして行おうとしている。 この冬、派遣を切られて行き場のなくなった人たちは日本中でどれだけいるのだろうか。トヨタのカンバン方式とは、部品をジャストオンタイムで納入させるだけではなく、人間までも部品の一つとして必要な時だけ使うという仕組みだったのだろうか。人格を無視して単なる部品のように扱われた人々の怒りの声はどうやって政治家に届ければいいのか。
学生紛争の吹き荒れる中、東大の入試が流れたことがあった。安田講堂には次のような落書きがあったという。
「人間が人間であることを主張する」
オレは、日本一弱気なコンビニ強盗さんが、「無理です」と言われて奪うのをあきらめた、その人間性の部分に一縷の救いを感じる。彼が更正して真人間となって働くようになることを願っている。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2009年01月05日(月) |
せっかくガソリンが安くなったのに・・・ |
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今年に入ってはじめてガソリンスタンドに行った。オレが給油した価格はハイオク103円だった。レギュラーは95円で売られていた。レギュラーはとっくに100円割れしていて、もしかしたらハイオクまで100円割れというありえない価格にまで下がってきたのである。こんなに安かったことってあっただろうかとオレは昔を振り返った。
オレが学生時代に最初のマイカーとしていすゞジェミニを買ったとき、ジェミニにはディーゼル車があってかなり迷った。出たばかりのディーゼルの中古車はまずなかったので、その場合は新車を買わないといけない。そうすると100万以上はかかってしまう。一方中古車なら50万くらいで買える。結局オレは中古のジェミニを買って学生時代の2年間乗ることになるのだが、もしもそのときにディーゼル車を買っていたらきっとそのあとの自動車の買い替えサイクルがすっかりと変わっていただろうと思うのである。いや、そもそも走りを楽しむとはほど遠い動力性能のディーゼル車を「経済性重視」だけで選んでいたら、その後のカーライフが根底から揺らいでいたと思うのである。きっと今のオレの愛車は三菱FTOではなかったと思うのである。中古ジェミニをたった2年で乗り換えたからこそ、その後パルサーEXA、2代目日産EXA、三菱FTOというサイクルになったのである。
レギュラーガソリンが95円にまで下がった今、もしも遠くに旅行するとしたら高速道路を使わないかぎりかなり安く移動できることになる。東京大阪間は約550キロ、大阪から長野県の諏訪は400キロ、これを安くするために昔のオレはよく真夜中に車を走らせた。高速道路を走らないで一般国道を走るのである。大阪を深夜に出ても朝までには十分に諏訪に着くことができた。まだ就職したばかりでそれほど収入も多くなかったオレは、そうやってガソリン代だけで長距離移動するというパターンでいつも旅行していたのである。たとえ徹夜で運転しても、当時の体力なら2、3時間仮眠したら十分だった。
今、これほどガソリン代が安くなったからといって「自動車で旅行しようぜ」という風潮はまず生まれないだろう。高速代の方がガソリン代よりもかなり高いし、若者の多くはクルマを捨てて他のものを買うようになった。かつての若者にとっての必需品であった「デートカー」はもはや存在せず、クルマで何日もかけて旅行するなんて余裕もまたなくなったのである。そんなに長期間は休めない。昔の自分が夏や冬の長期休暇にクルマで長期間の旅行に出かけたことが本当に夢のようである。もっともそれは結婚して子どもができて、旅行といっても一人旅ではない分かなりのゼニがかかってしまうようになったという理由もあるわけだが。
麻生首相が「高速道路を均一料金に」という無茶な公約をしたが、ガソリン代がこんなに下がってもその結果としてクルマで旅行する人が増えていないということを思えば、高速代の値引きが旅行を増やすとも思えないのである。旅行をするにはゼニと時間が必要だ。いくら高速代が安くなったとしても、その先にあるホテルや旅館はきっと高くつくだろうし、その旅行をするために休みを簡単に取れるわけでもないからだ。
「せっかくこんなにガソリンが安くなったのに、それを享受する者たちがいない・・・」
というのが今の状況なんだろう。政府は住宅ローン減税を拡大したりして消費拡大に躍起となっているわけだが、その減税が功を奏して住宅に対する需要が回復するとはオレには思えない。すでに土地や住宅価格はどんどん下がっていて、焦って買わなくてもこれから値下がりするからという状態である。今は運転資金の融資を受けて乗り切っても、その借金はいつかは返さないといけないわけで、家やマンションが売れなかったらその借金も返せない。
資本主義経済というのは好況と不況を繰り返す。景気が循環することはこのような経済システムの宿命である。現政権が巨額の財政出動で不況を乗り切ろうとしてることはわかるのだが、そうやって作った借金の負担を減らすためにはインフレを発生させるしかない。2011年に予定された消費税の値上げはその布石かも知れない。
いろんなものがせっかく安くなっても、それを享受できないほど窮乏した大衆がいるわけで、これから先いったいどうなっていくのだろうかとオレは思うのである。こんな円高になってしまって、日本はどう乗り切っていくのだろうかと。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2009年01月04日(日) |
おめでとう!東洋大箱根駅伝初V |
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駅伝の2大イベントと言えば、全国高校駅伝と箱根駅伝である。京都で行われる高校駅伝の方は何度か観戦したこともあるし、関西人のオレにはかなりなじみがあるのだが、もう一方の箱根駅伝はテレビで見ることしかなく、実感がわかなかった。大阪府の教員採用試験に合格したときに健康診断で知り合った体育教師の方が東海大で箱根駅伝を走ったランナーだったことを知って驚いた記憶がある。自分でも持久走にはかなり自信があって、大学生の頃は1500mを4分30秒くらいで走れたので、マラソンや駅伝にはかなり興味がある方だ。サイクリング部のトレーニングで鴨川縁をランニングすることも多かったからなあ。東北地方を旅行したときは円谷幸吉選手の生家を訪問したくらいである。遺品の中にあった血染めの遺書は今でもしっかりと覚えている。
箱根駅伝には関西の大学が出場できない。そういう理由で高校駅伝で活躍した高校生ランナーの多くが箱根駅伝に出られる可能性のある関東の大学、それも出場実績を積み重ねてきた大学に進学を希望するために、関西にはいい選手が残ってくれない。そんなことをオレは残念に思っていた。あんなに注目されるレースである。西日本からも出場する機会を与えてやって欲しいとオレは思ったのである。
その箱根駅伝に出場する権利を得ていた東洋大の陸上部員が、痴漢で逮捕されるというこのニュースは大きな衝撃だった。産経新聞の記事を引用しよう。
女子高生の下半身触る 東洋大陸上部の男逮捕 2008.12.2 20:12 このニュースのトピックス:性犯罪 電車内で女子高生の体を触ったとして、警視庁高島平署が、強制わいせつの現行犯で、東洋大経済学部2年で陸上部に所属する小林和輝容疑者(20)を逮捕していたことが2日、分かった。「欲求不満だった」などと供述している。 同部は来年1月の第85回箱根駅伝に出場する予定。大学側は小林容疑者を1日付で退部処分にした。 調べでは、小林容疑者は1日午前8時20分ごろ、東武東上線上り電車内で、女子高生の下半身を触った。女子高生本人が取り押さえて、成増駅で駅員に突きだした。小林容疑者は、埼玉県内の自宅から通学途中だったという。 東洋大によると、関東学生陸上競技連盟などと協議し、箱根駅伝への出場を含め今後の対応を決定するという。 陸上部の川嶋伸次監督は「被害者の方にご迷惑をかけ、心からおわびする。今後このようなことがないように部員の指導を徹底する」とのコメントを出した。
監督が責任をとって辞任するということでとりあえずの決着を見たわけだが、一人の馬鹿のために、もしも出場辞退などということになれば部員たちの気持ちはどれほど傷ついただろうか。このような不祥事の場合オレは思うのだが、それが「個人」の問題なのかそれとも「集団」の問題なのか。それを区別して考えて欲しいのである。
たとえばアメフト部の部員が数人で輪姦行為をしたということがあれば、「集団」の問題であることは誰もが認めるだろう。そのような部の体質が事件につながった可能性が高いからだ。しかし、「個人」の痴漢行為や万引きなどは、あくまで「個人」の犯罪であるとオレは思うのである。その責任は「個人」が取ればいいことであり、「集団」には基本的にその累を及ぼすべきではない。これは高校野球の甲子園出場の場合も同様だと思う。
もうかなり昔のことだが、愛知県の享栄高校が甲子園大会の期間中に宿舎で部員たちが集団で喫煙してるところを盗撮したカメラマンがいて、写真雑誌に掲載されたことがあった。享栄高校は出場辞退にも不戦敗にもならず、その次の試合で負けた。あの事件に関してはいちおうお咎めはあったがそれは大会後だったと思う。しかし、オレは少なくとも「みんなで喫煙してる野球部」なんて甲子園に全然ふさわしくないと思うし、それが発覚した時点で出場停止半年くらいの処分を即座に行って、甲子園では不戦敗にするくらいの処罰が適当だったと思うのだ。もしも開き直って勝ち進んだらどうするつもりだったのだろうか。
明らかに「個人」の罪でありながら「連帯責任」という名の美名で全く無関係な者たちの長年の努力が水泡に帰したとして、ではその事件を起こした者に責任が取れるのだろうか。それこそ罪を償って死んだとしても、それによって事態が回復するわけでもない。事件を起こした者だけではなくその家族までもが針のむしろで暮らすことを余儀なくされるのである。
だからオレは東洋大が箱根駅伝の出場を辞退せずに済んだことに対しては率直によかったと思うし、無事に出られることになった部員はその喜びをかみしめて全力を出し切って欲しいと思った。しかし、この好成績を誰が予想しただろうか。再び産経新聞の記事である。
【箱根駅伝】東洋大、チーム一丸V 若手中心の布陣 2009.1.3 19:45 このニュースのトピックス:陸上 肩を組んで待ち受ける仲間のもとへと向かう東洋大アンカーの高見に思わず笑みが浮かんだ。そしてゴールテープが目に入ると、タスキを握りしめる。「全員の汗と気持ちを感じ、泣きそうになった」。出場67回目にして初の栄冠は、昨年12月に部員が逮捕され、チームの基礎を築いた川嶋伸次監督らが辞任するという衝撃をチーム一丸で乗り越えてつかんだまさに“汗の結晶”だった。 「無名の選手たちが結束して戦うことができた。(事件で)苦しかったが、選手が耐えて、力を発揮してくれた」とは佐藤監督代行。事件後、「走れることに感謝しよう」を合言葉に臨んだ選手らは、一列に並び深々とした一礼で、レースを締めくくった。 高校駅伝で活躍した選手はいない。「山登りの柏原が注目されたが、ウチのチームらしかったのは(復路)後半のつなぎ」と佐藤監督代行が語った通り、チーム一丸の走りが光った。 7区区間賞で、早大との差を詰めた飛坂が「もうちょっと後を楽させたかったが、最低限の仕事はできた」と話せば、8区でトップを奪い返した千葉も「勝負どころの後半で粘れた。自分の役割を何とか果たせた」。メンバーの誰もタスキをつなぐことに徹した。 そこには「流れと折れない心」を訴えた川嶋前監督の思いが確かに引き継がれていた。「柏原の頑張りで優勝が実感となり、みんながトップでつないでくれた。この思いを無駄にできないと思った」と高見。気持ちを一つにする大切さを知ったメンバーに、ルーキーの柏原が刺激を与えての栄冠。復路だけでも2年生が4人という布陣をみれば、この日が東洋大時代の幕開けとなるかもしれない。(金子昌世)
奇跡というのは本当に起きるのだろうか。4区までは9位だったのに山登りで5区の柏原がごぼう抜きしてまさかの往路優勝。それだけでもありえないような展開なのに、並み居る強豪校を抑えてなんと復路でも一時は失ったTOPの座を奪い返し、みごと優勝に輝いたのである。もしも東洋大をあっさりと出場辞退させていればこのドラマは起きなかったのである。しかし、もしも事件が起きなかったら東洋大は勝てただろうか。そんな不謹慎なこともオレは思うのだ。駅伝というメンタルな競技の中で、川嶋伸次監督の無念を晴らすために絶対に勝つんだという部員たちの強い意志が、この奇跡を起こしたのではないのか。オレはそんなことを想像してしまうのである。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2009年01月03日(土) |
年賀状を読みながら思うこと |
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今年もオレの所には200通を越える年賀状が届いた。生徒から届いた分の返信を書いたりして元旦は過ごしたのだが、届けられる年賀状を読んで思うことがある。オレが過去に批判したせいか、さすがにペットの写真だけを載せる年賀状は今年は一枚もなかった。もっともそれはイヌ年だからたまたまペットを年賀状の写真にしたということだったのかも知れないが、オレは以前に「オレには犬の友人などいない」と書いたことがある。それを覚えてる人はペットの写真を載せることは避けるだろう。また同様に「オレには赤ん坊の友人などいない!」と宣言してるつもりだが、今年も大きく引き延ばした赤ん坊や幼児の写真というパターンの年賀状があったのである。そんな写真を見ても誰だかさっぱりわからないのである。中には住所も名前もなくて「さて、わたしは誰でしょう? この子に心当たりありますか?」と赤ん坊の写真を載せている年賀状もあるのだ。こんなものが妻に見つかったらどんな誤解を受けるかわからない。冗談もほどほどにしてもらいたい。
さて、もっともつまらない年賀状というのは、ありきたりの印刷されたイラストに住所氏名が書かれた事務的なものである。何年もそればかり送ってくるヤツもいる。はっきり言ってそういう儀礼だけの年賀交換ならもうやめたほうがいと思う。そんなのは郵便料金の無駄遣いである。オレにそういう賀状を送ってきてる方で、この日記を読んだ方は来年からもう送ってこなくていい。そんな意味のないことはよそうじゃないか。
オレがもらってうれしいのは、やはりちょっとした近況報告が書かれているものである。 「息子が高校受験です」とか「7番目の子供が生まれました」とか「課長になりました」とか、そうしたこの一年間の出来事が書かれてるものがいい。もっとも「妻に浮気されました」とか「息子が痴漢で捕まりました」とかいうことなんかは書かなくていい。何もそこまで正直になることはないぜ。もっともそんな変な年賀状はないけど。
あと、困るのは印刷された文字が小さいものだ。実はオレの視力は急速に衰えているのである。老眼が進んでるのだ。小さな文字が読めないのである。薬のビンに書いてある小さな文字が読めないくらいに老眼が進んでるので、印刷文字が小さいと全くわからないのである。いちいち老眼鏡を書けて読まないといけないのはめんどうである。だから普通の大きさの文字で書いて欲しいのである。
生徒からの年賀状によくあるパターンが、「試験に出るところ教えてください」「年賀状が当たっていたら点数をオマケしてください」という類である。オレのような正義感のかたまりの教師がそんな不正を許すわけがないのである。しかし、オレも人の子である。採点をしていて、微妙なところで点数をやるかやるまいか迷ったときに、「そういえばこいつ、わざわざ年賀状送ってきていたなあ・・・」とふっと考えることはある。しかし、そんなことで断じて手心を加えるなんてことはあってはならないのである。
昔の教え子から届いた年賀状を読むとなんだかいつも嬉しくなる。卒業して何年も、時には十数年にもなるのに、自分のことを忘れずにちゃんとそうして賀状を書いてくれて、そこにちょっとした近況報告が書かれてるのを読むと、なんとも言えず嬉しくなるのである。 「今の自分があるのは先生のおかげです」などと書いてくれてると、たとえお世辞でも嬉しいモノである。しかし年賀状を送ってこない生徒の中には「おまえのせいで人生台無しだ!」などとオレのことを思っている輩もいるかも知れない。「おまえなんかに教わったから大学に落ちたぜ!」と思われてるのならなんだか悲しいのである。
プリンタの性能が向上した結果、年賀状に印刷される写真もみんなきれいになった。ただ、きれいな写真と言うことはそれだけ「写実的」に現在の状況を正確に伝えるものである。時の流れは残酷だなあと思う場合もある。もっともその時間は自分の上にも同様に流れているわけで、おそらくオレからの年賀状を受け取った相手も同様に「おまえもジジイになったなあ」などと写真を見て思っているのだろう。
最近の若者は年賀状を書かないのだという。メールだけで済ませるものや、そのメールも「あけおめ ことよろ」の8文字だけで済ませる手抜きのヤツらもいるのだという。確かに携帯もメールもある時代に「ハガキ」なんて前近代的なものは忘れ去られていく運命なのかも知れない。しかし、年に一度でいいからこの機会に、日頃疎遠になっている友人との交流をして欲しいとオレは思うのである。大量の年賀状のあて名を「筆まめ」で印刷しつつ、「昔はこれを全部手書きしていたんだなあ」とオレは改めて思ったのである。もう二度とその時代には戻れないのである。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
2009年01月02日(金) |
もちはこんにゃくゼリーの100倍危険である |
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オレはこんにゃくゼリーが好きだ。あのぷるぷるとした弾力がたまらない。そんなオレの大好物に対して不当な弾圧を加えた野田聖子をオレは絶対に許したくない。そして、度重なる弾圧にたえて再発売にこぎつけたマンナンライフの努力を応援したいのである。それにしてもどうしてあんなにこんにゃくゼリーは悪者にされたのか。危険度という点では餅の方がはるかに危険じゃないか。お正月に必ず報道される次のようなニュースを読むたびにオレはそう感じるのである。
もち詰まらせ…1人死亡、5人重体 2009.1.1 23:50 元日の1日、都内ではもちをのどに詰まらせる事故が相次ぎ、午後10時半までに13人が病院に搬送された。東京消防庁によると、このうち男性1人が死亡、男女5人が心肺停止の重体。 調べでは、1日午前7時ごろ、東京都目黒区の施設で、入所者の男性(60)が食堂で雑煮を食べていたところ、意識を失ったという。男性は病院に運ばれたが、心肺停止状態となったという。 また、同日午後6時ごろには、八王子市の住宅でもちを食べていた男性(88)が、もちをのどに詰まらせて死亡した。 東京消防庁は、もちは小さく切り、お茶や汁物と一緒に食べるなど注意を呼びかけている。
東京都内だけで一日に6人の犠牲者が出ているのだ。全国で統計を取ればこの10倍は出るだろう。それもたった一日のことである。そして犠牲者はたいてい老人である。これまでに一度も餅を食べたことのない人などはいないだろう。つまり、全員が餅という食べ物の性質について熟知しており、その上でこれだけの犠牲が出てるということである。
そこでオレが出せる結論というのは一つしかない。それは「餅禁止令」である。「もち」というのは本質的に危険な食品なのだ。何十年も食べ慣れた人でさえも突然にのどにつかえて死ぬこともある。そんな究極の危険食品なのである。死んだ人もまさか自分の大好きな餅に裏切られるとは思ってもみなかっただろう。呼吸できない苦しさの中で、まさか自分が餅のせいで命を落とすなんて思ってもみなかっただろう。しかし、餅の危険性を考えればこのような可能性はすべての人に存在するのである。その危険性をゼロにするためには、法律で規制するしかないのだ。
命と餅を食べる権利とどちらが大切かと言われれば、それは命に決まってるじゃないか。こんなに犠牲者の出ている食品を放置しているのは食品行政の怠慢に他ならない。やい、野田聖子、なんでおまえはこんにゃくゼリーをすばやく禁止するのに餅は放置してるのだ。不公平じゃないか。今すぐ餅を食べることを禁止し、コンビニに置かれてる「サトウの切り餅」などをすべて撤去させ、一般家庭で行われる餅つきなどの密造現場を徹底的に取り締まるしかない。
それにしても餅というのはなんてうまいのだろうか。妹の家で餅つきがあって、母がその手伝いに行った関係でわが家には今、大量の餅が今存在するのだ。焼いて食べるとおいしくてついつい食べ過ぎてしまうのである。「規制が必要だ!」と書いたが、オレは餅が大好きなのである。しかし、人の命には換えられない。だからオレはあえて涙をのんで、こんなに好きな餅をあきらめようとしてるのだ。餅禁止令に備えて今必死で喰いまくってるのである。あんまりたくさん食い過ぎてのどにつまりそうである。
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2009年01月01日(木) |
学ぶことの価値はなぜ失われたのか? |
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かつて「勉強すること」というのはそれ自体に価値のある行為ではなかったか。何故その価値がこれほどまでに貶められたのか。なぜ「無知」を売り物にする芸人たちが闊歩するようになったのか。そして一国の首相までもが「無知の王」として君臨しているのか。「知」の価値がこれほどまでに失われた時代がかつてあっただろうか。オレはそれを嘆かわしく思うのである。
いまもしも「バカのままでも東大に入れる!」という本を出版すれば爆発的に売れるだろう。世間が求めているのは「東大に入れるような知」ではなくて「知なんかを身につける努力なしに東大に入る方法」である。つまり、世間が必要としているのは「東大に入った」というキャリアであって、「東大に入れるほど勉強した」という事実ではない。受験勉強というものがすべてそうした形で変質してしまった結果、真に「知」を求めるような学生はどんどん競争から脱落し、最低限の学習時間で要領よく受験をパスする者たちが生き残り、さらに彼らの多くが「知」そのものに対して価値を感じていないという事実が事態を悪化させるのである。
受験生の学力レベルはどんどん低下しているという。そんなことは当たり前で大学の定員が変わらないのに18歳人口が減少してるからで、人口が200万から100万に減れば賢い受験生の実数も半減するのが当然なのに、東大や京大の定員は20年前とほとんど変わらない。地方の国立大にまで優秀な学生を行き渡らせることは実際の所無理になってしまったのである。今、日本中の大学を支配しているのは「無知の集団」である。どうして人口の減少に合わせて大学の定員を減らさなかったのか。なぜ国立大学の定員をたとえば18歳人口の5%というふうに制限しておかなかったのか。今や日本の大学生は「世界一お馬鹿な若者の集団」と成り果てているのである。
オレは昨年末に駿台予備校の主催する研究会に出席した。京大、阪大、神戸大を志望する受験生の動向と、駿台の出題した実戦模試を通して来年の3大学の入試を考えるという内容だった。そこでも少し話題になったのは、最近の受験生のお馬鹿ぶりだった。たとえば京大実戦模試の記述式問題の解答例(誤答例)がいくつか紹介されていたが、京都大学を志望する前に中学の勉強をやり直せよといいたくなるようなものもあった。
数年前だったか、センター試験で古文の係り結びの問題が出題されたことがあった。ラ行変格活用の「侍り」という動詞を活用させて空欄に補うという基本問題だが、係助詞の「ぞ」「なむ」が前にあれば連体形の「侍る」、「こそ」が前にあれば已然形の「侍れ」というふうに基本形から活用させればいいわけで、そんなことは高校で古典を勉強した者は100%知ってることだとオレは思っていた。しかし、実際の現役受験生平均得点率は「ぞ→侍る」が約50%、「こそ→侍れ」が33%というところだったという。駿台予備校の説明では、この問題の駿台生の正解率がそれぞれ67%、55%と向上しているということだった。しかしオレは「浪人して駿台予備校に行ってもまだ係り結びさえわかっていない馬鹿が存在するのか」ということに驚きを禁じ得なかったのである。
係り結びのわかっていない者は「仰げば尊し」の歌詞の意味はわからないだろう。「今こそ別れめ」の「め」は、前に「こそ」があるから「め」なのだということなど想像したこともないだろう。古典を読むということは、そんな基本知の積み重ねなのである。そうしたことを正確に理解することの果てに「源氏物語」のような難解なものが読めるようになるのだ。しかし今の受験生が求めるのは「文章の意味なんかわからなくても要領よく点数が取れる方法はありませんか」ということなのである。
大学生の英語力が弱いから小学生に英語を教えるという。早期教育で解決するような問題ではないだろう。オレは日本人の英語力が劣ってるとは思っていないし、もしも日本の英語教育に本当に問題があるのなら、世界で活躍するビジネスマンも出なかっただろう。馬鹿まで大学に入れるから英語のできない連中も増えるのである。小学生のうちから英語なんか教えたらますます学力格差は拡大するだろう。もっとも文部科学省の目指す未来というのが受験生の格差拡大にあるのならば、英語の早期教育は実によい狙いである。中学に入ってからやってくる挫折を先に与えることができるからだ。東大や京大の英語の問題が求めてる能力は、英語力というよりはむしろ思考力や国語力である。日本語で読んでも難解な抽象的な内容を英語で読ませたりするのである。ふだんの生活で英語で考えるような生活を送っていない以上、そんな問題に対処する方法とはいかに意識のレベルを常に高次に位置させるかということに他ならない。今指導要領を改訂して小学生から英語を教えるとしても、そこで伝えられるのはテレビに出てるお馬鹿芸人が話してる内容レベルでしかない。そんなことではとうてい「知」は伝えられないのだ。
どうすれば「知」を尊ぶ風土を作ることができるのか。逆説的だがもっと競争させればいいのである。センター試験の成績上位者の出身校や名前はそれこそ発表してやればいい。甲子園球児たちがヒーローとしてもてはやされても、センター試験戦士たちの名前が報道されることはない。しかし、そこに価値はないのか?学びによって頂点を目指そうとすることがなぜ世間では「ダサい」こととされ、勉強のできる子がむしろいじめの対象とされてしまったりするのは、それこそテレビの「羞恥心」などのお馬鹿芸人に代表される馬鹿礼賛の風潮の表れではないのか。
文部科学省は大学院の定員を闇雲に増加させ、その就職口としてのお馬鹿大学を日本中に増殖させ、そこで教える多くの大学教員たちは薄給にあえぎながらも生活の糧を得るために馬鹿の相手をしている。学生たちは講義の内容などてんで理解する気はなく、隠れてメールを打ったりPSPやDSに興じたりしている。それが今の大学生の平均値的な姿である。本来安い労働力として労働市場に流出すべき若者は、大量のごくつぶし階級として親のスネをかじり続け、結果として社会全体を貧しくしてしまう。馬鹿しかいない大学のためにどれだけの補助金が支出され、どれだけの親たちのゼニが授業料や仕送りとして消えているのか。日本中に増殖した、誰でも全く勉強しないで入れるFランク大学というのは、「知」の意味をはき違えた文部行政の作り上げた巨大な不良債権なのである。おそらくそこには認可行政にまつわる利権が存在したと思われるが。
しかもそのFランク大学はもう一つの弊害もたらしている。それは大学の偏差値が下がれば下がるほど、そこに学生を通わせる親の平均収入も減るということである。偏差値の高い大学ほど親が金持ちであるということはよく知られているが、逆もまた真なのである。授業料という名の収奪が、貧しい親たちをさらに貧しくする。これは巨大な格差拡大システムなのだ。オレは子どもを無理してFランク大学に通わせるために破産した親たちを数多く見てきた。そんな大学が最初から存在しなかったら、これらの悲劇もまた発生しなかっただろう。
大学の価値が下がれば、大学生の価値も下がる。そうやって失われてしまったものを我々はどうやって取り戻せばいいのか。いかなる方法で大学生は「知」を取り戻すことができるのか。
世界恐慌が到来して日本経済もまた空前の不況に襲われることとなったこの2009年、おそらく労働市場は当分の間は冷え込んだままであろう。就職希望者にとっては大変な一年となることは間違いない。そこで求められるのは何か。就職というパスポートが得られないということになっても、学生たちは学ぶ意欲を失わないでいられるのか。就職するためだけに受験勉強をしてきた者たちにとって、それまでの努力がすべて否定される瞬間でもある。しかし、オレは彼らに言いたいのだ。
「もしも汝らが真の学びをこれまでにしてきたのであるなら、その結果がたとえ就職につながらなくても何ら悲しむことはない。むしろ学ぶこと自体が目的であったことを誇るべきである。」と
破壊の跡にしか創造はない。今必要な「知」というのは、これまでの体制を支配してきた連中が、自分たちの都合の良いように作り上げてきた社会のシステムの問題点を一つ残らず暴き立てて破壊するための道具として役立つ「知」である。この社会の欠陥を見抜き、それを改善するための「知」である。環境破壊を食い止め、アメリカに侵略戦争を止めさせるための「知」である。そうした「知」を手にするために、我々は何をなすべきなのか。賢者は過去の歴史から学ばないといけない。かつて孔子は「温故知新」という言葉を使ったことがある。なぜ今のような状況に陥ったのか、過去の歴史を検証しながらその矛盾がどこから発生し、どこから拡大したのかを我々はしっかりと解明しなければならない。過去の歴史を学びながら、その中で未来への指針を得ること、それが今の我々に求められているのであり、今必要な「知」である。
WEB社会の片隅に棲息する一人の日記書きとして、そして大阪のある高校で教壇に立つ一人の名もない教員として、オレは自分がこの社会にどれほどの影響を与えることができるのか、己のその無力さを嘆く。しかし、その嘆きを嘆きのままに終わらせることはできない。空しい行為であると理解しつつも、オレはこうして日々日記を書き、教壇で生徒に正義を訴える。自分の努力がほんの少しでも社会をよりよくすることに役立つことを願い、夢をあきらめたくはないからである。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館
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