不思議なメールが来た。題名は「犬」差出人のアドレスは***whitebell14@docomo.ne.jp となっている。ドコモの携帯のアドレスである。しかし、パソコンから大量に送られたメールでもアドレスをこのように偽装できるから、おそらくそのアドレスから実際に送られたものではないだろう。それはこのような内容のメールだった。ここから先はアダルトな内容を含む可能性があるので、18歳未満の方はこの先を読まずに右上の×印をクリックしてこのページを閉じて欲しい。18歳以上で性に対してまっとうな価値観の持ち主だけが以下の文章を読む資格があることを断っておく。
わたしの家には1匹の犬がいます。
わたしが14歳の時にこの家に養子にもらわれてきた時はその犬は仔犬だったのですが、
どんどん大きく成長していって今ではわたしの背ほどもあるくらいに成長しています。
とても懐いているのですが、最近この犬の行動が変なのです。
今朝、起きたときの話を聞いて下さい。
朝のまだ薄暗い頃、半分夢の中にいたわたしの耳元で物凄い息遣いが聞こえることに気付き、ぼんや
りと目を開けるとわたしの体をを両足で抑え付けてわたしの股間にこの犬は自分の股間をこすりつけ
ていたのです。
「やめてっ!」と言って無理矢理押しのけてやめさせたのですが、犬の股間を擦りつけられたわたし
のあそこが無意識のうちに濡れている事に気がつきました。
でも、こういうことは今朝だけではなくこれまでも何度かあったのです。
養子という事もあり、自宅に彼氏呼ぶといった行為がどこか後ろめたいように思えて今まで好きな人
も作らず処女のままこの家で生活をしていたのですが、この犬の行動がわたしの中の女の部分に火を
つけてしまったのか・・・最近では体が疼いてしまって・・・。
もう、この犬にわたしの体を好きなようにさせて、いっそのこと交わってしまえばとすら考えるよう
になってきているのです。
でも出来る事なら最初は人間の男性としたいという願望が捨てきれません。
犬に犯されるよりも先にわたしとしていただけませんか?
生活させて頂いているこの家は比較的裕福で毎月のようにおこづかいも下さるのですが、今まで使っ
た事も無いので少しはお礼なり出来ると思います。
あまり大金を期待されてもご希望には添えないとは思いますが・・・。
お近くの方ならすぐにでもお会いしたいです。
もし、わたしの小さな欲望を満たしていただけるなら、もう少し詳しいお話がしたいので
********@yahoo.co.jpへお返事下さい。
こういった家庭の都合上、本名はすぐにはお伝え出来ないのですがわたしの事は伏姫と呼んで下さい。
オレはこういう下らないメールはすぐに削除するのだが、なぜかこのメールは何度も読み返してしまった。それは最後の一文にある次のフレーズのせいである。「わたしの事は伏姫と呼んで下さい」オレは思わず唸ってしまったのである。「伏姫」の意味は里見八犬伝を読めば分かる。そして、このエロメールの作者のその文学的センスに対して思わず敬意を払いたくなったのである。
このメールの内容にはいくつかおかしな点がある。まず、飼っている犬に襲われるという部分だが、「体をを両足で抑え付けてわたしの股間にこの犬は自分の股間をこすりつけ」というくだりは、「仰向けに寝ている女性に覆い被さって」というふうに想像される。しかし、そもそも犬は正常位で性行為を行うものだろうか。オレがかつて目撃した犬の交尾の場合は少なくともそうではなく、後ろから行っていたはずである。
次に不思議なのはこの女性の心理である。「出来る事なら最初は人間の男性としたい」とあるが、最初は人間とするが、その後はその愛犬とするということなんだろうか。確かに犬となら避妊の必要はない。そういう意味では恋人が居ないというこの女性の性欲処理方法は間違っていないのかも知れない。しかし、人間とすればその後も普通は人間とするだろう。なぜ「最初は」と断るのか。それもかなり不可解である。
この女性は自身の性体験がない理由を「養子なので自宅に彼氏を呼びにくい」というふうに書いているが、街にはいくらでもラブホテル等があるわけで、そんな中でわざわざ自宅に呼んでそういうことをする方が今はめずらしい。ラブホに行くゼニもないようなよほど貧乏な男と付き合ってるのなら別だが。自宅でHというパターンは一人暮らしの男女のすることであって、普通は自宅以外の場所でそういうことをするはずだ。
そして肝心のことだが、このメールの中には女性の現在の年齢が記されていない。14歳以上であるということしかわからないのである。その時に子犬だった犬が立派な成犬となっているということで20歳くらいかなと思えるのだが、もしかしたらかなり長寿の犬で女性の年齢も40歳くらいという可能性もないとは言えない。相手をするとお小遣いを呉れるという部分から考えて、若い女性ではないという推測も成り立つのである。この謎を解き明かすには指定されたメルアドに返信してみるしかない。しかし、こういうところに下手にメルアドを教えると、ものすごい量のスパムメールが届くようになるのである。それはやっぱりできないのである。オレは伏姫さんのことがかなり気になったのだが、最終的にはそのメールを削除したのだった。
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2006年09月29日(金) |
オタク狩りに注意せよ |
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昨日の日記を修正加筆しましたのでごらんになってください。
秋葉原で最近頻繁に起きているのが「オタク狩り」と呼ばれる恐喝事件である。いわゆる「アキバ系」と呼ばれる中高生を狙って、金品を奪うという犯罪だ。オレはこの「○○狩り」という言葉が嫌いである。「オヤジ狩り」と称して中年男性を襲う悪質な行為をなぜ「路上強盗」と呼ばないのか。この言い換えはあたかも「売春」を「援助交際」と呼ぶことでその罪の意識を薄めてるのと同じ効果がある。それに「狩り」という言い方には、そこに獲物があってそれを手に入れているだけだというふざけた正当化が感じられるのだ。
今回オレは「オタク狩り」と便宜的に書くが、その言葉自体を認めてるわけではない。そんな悪質な行為を行う連中はみんなサファリパークに全裸で投げ込んでやって、逆に狩られる恐怖を体験させるべきだと思っている。
恐喝をする側にとって、獲物の条件は「ゼニを持ってる」「弱い」の二つである。ゼニを持っていなかったら話にならないし、強かったら返り討ちに遭ってしまう。アキバ系の中高生はこの「ゼニがある」「弱い」の2条件を満たす存在である可能性が高いと一般的に思われているわけだ。それで恐喝をする側の不良少年たちは秋葉原に繰り出してはオタク少年たちを襲ったわけである。
加害者である少年グループもいくつか検挙されているが、このような犯罪を根絶することは不可能である。だったらどうすればいいのか。オタク少年たちが身を守る防犯グッズを開発することしかない。まず防犯ブザーの携帯である。危険を感じたらポケットの中でスイッチを押す。すると大音響が成り響いてたちまち相手は逃げ去るだろう。しかし、そんなものでは面白くないのである。
ここでオレは不良少年たちが泣いて逃げ出すような真の防犯グッズを提案したいのである。名付けて「トラップ財布」というのはどうだ。財布ごと相手に差し出すと見せかけて、その財布を開いたとたんにバネじかけで指が挟まれ、はさまった部分には金属製の細かな針が突き刺さって激痛が走るというのはどうだ。もちろんすぐに相手の逆襲があるだろうが、「針には毒が塗ってあるので病院に行かないとあなたは死にます」と言われれば逆襲どころではない。殺人能力のあるトラップ財布で自分の身を守るのだ。「万年筆型火炎放射器」はどうだ。胸に挿してある万年筆を相手に向けてスイッチを押せば、中に貯えられた高圧のガスが燃えながら吹き出して相手の顔面を襲う仕組みだ。こんなのがあれば一瞬で相手の戦闘能力が奪えるはずだ。
しかしこういう防犯グッズでは不十分だ。アキバ系のオタク少年には、やはりそれなりにふさわしい武器があるはずだ。アニメグッズでありながら防犯グッズにもなあるものはいったい何だ。うーん、考えてもなかなか答えが出ない。そうだ、やっぱりここは美少女フィギュアだ。フィギュア型手榴弾だ。アニオタにとって命の次に大切なフィギュア、絶体絶命の時はそのフィギュアのピンを抜いて相手に投げつけ、一時的にでも相手の戦闘能力を失わせることができればいいかも知れない。この方法の唯一の難点は、そんな大切なお宝を彼らは爆発させるには忍びないとためらってしまうことである。
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2006年09月28日(木) |
杉浦正健、ちゃんと人を殺せ! |
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法務大臣の大切な仕事の一つが死刑執行命令書にサインをすることである。死刑廃止を訴える人もいるが、日本にはちゃんと死刑制度が存在し、死刑に値する極悪人も次々と発生する。だから死刑を執行しないといけないわけだが、昨年10月に法務大臣に就任した杉浦正健は、就任会見の時に死刑執行について「私はサインしない」と明言し「心の問題、哲学の問題」と説明していたのである。1時間後にこの発言は撤回されたが、その後一年を経て、ついに一人も死刑執行をすることなくその任期を終えたのである。
法務大臣の大事な仕事を放棄してその任期を終えたこのオッサンに。報酬がちゃんと支払われてるのはオレには納得がいかない。また「死刑廃止」という信念を持ったオッサンを法務大臣に起用したということも納得いかない。「私は仕事しない主義です」と言ってるのに「OK、あんたを法務大臣にするよ」と許可したようなものである。どうしてちゃんと在任中に死刑を執行させて悪人を殺してくれなかったのか。
誰かがその仕事をやらないといけないのである。法務大臣としてその崇高な任務が与えられてるのである。その仕事をしないでいたおまえは一年間の報酬を返上すべきだろう。法務大臣がちゃんと職務を果たさない結果、どういうことが起きているかというと、2006年9月15日現在で未執行の死刑囚は89人もいるという。年間の執行数が3、4人に減ってしまっている今のペースで行くと、永久に死刑囚は減らないのである。死刑囚のほとんどが天寿を全うできることになるのだ。
1967年10月13日、当時の法務大臣だった田中伊三次は新聞記者の前で23人分の死刑執行命令書に次々とサインしたそうである。彼がサインしなかったのはまだ存命だった帝銀事件の平沢貞通のものだけで「これは冤罪だろ」と言ってそれだけは署名を拒否したという。法務大臣として死刑を執行するのは当然であるとして、貯まった命令書を一挙に片づけた法務大臣は後にも先にも彼しか居ない。真の法務大臣とは田中伊三次のような人物のことだ。彼は1980年のハプニング解散の時、大平首相の下では戦えないと自民党を離党、無所属で当選しその後1983年に政界を引退した。当選回数は14回だった。
田中伊三次の立派さに比べればただのヘタレとしか呼べないこのサボリ野郎、杉浦正健に対して退任が目前となったこの夏、説得工作も行われていたらしい。早く死刑を執行して人を殺せという説得だ。「職責を全うした大臣が終身刑の創設を法制審に諮問するなら重みが違うが、今サインしなかったら逃げているだけだと思われますよ」という内容だったらしい。法務当局は3人の死刑確定者をリストアップして杉浦法相に概況説明したのだが、法相は「自分で記録を読む」と言い出して「キャビネット一つ分」あるという書類を大臣室に持ち込むよう指示したという。本当にその書類を読んだかどうかはわからないが、とにかくやる気がなかったことは確かである。
こんなやる気のない大臣の話を聞くとオレはいらいらする。なんでこんなヤツらにまかせてるのかと思うのだ。オレを法務大臣に起用してくれれば、貯まってる死刑をすべて執行して89人全員を一気に地獄に送り込んでやるぜ。それにしても大臣というのはなんと気楽な職業であることか。他のどんな仕事でも就任時に「ぼくは仕事しません」と宣言して許されるということはないはずだ。ところがこの杉浦正健はそのわがままが許されて仕事をしないまま任期を終えられるのである。その仕組みがオレにはどうも納得できないのである。9月上旬に杉浦法相は自らも門徒である浄土真宗大谷派の幹部から「執行拒否の信念を貫くように」と激励文をもらっていたという。てめえら坊主は人が死んでこそ稼げる商売だろう。それが死刑反対だなんて笑わせるなよこのウソつきどもめ。
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2006年09月27日(水) |
兵庫県知事は飲酒運転の味方です! |
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クルマはいつでも歩行者を殺すことができる凶器である。ちょっと脇見運転すれば幼児が集団で歩いているところにブレーキを踏まずに突っ込んでなぎ倒すという惨事につながるのである。注意して運転していても事故を100%防ぐことはできないのである。だったら少しでも事故につながらないように努力するしかない。たとえば飲酒してる者は絶対に運転させないとか、過去に違反をくりかえした者からは免許を剥奪するとかである。
ところがそんな常識が全く分かっていない馬鹿知事がいたのでオレは大変驚いている。兵庫県の井戸敏三知事は9月26日の定例記者会見で、職員の飲酒運転を厳罰化する自治体が相次いでいることについて「飲酒運転をしたから直ちに免職というのは、行き過ぎているのではないか」と述べ、疑問を示したそうだ。飲酒運転以外の処分案件と比較した場合に「懲戒処分としてのバランスをあまりにも欠き過ぎている」と説明したという。同様に静岡県知事も「懲戒免職は死刑と同じで重すぎる」と発言している。あほかおまえらは。クルマではねられて殺された方はどうなるんだ。事故にならなかったらOKなんてものじゃないだろう。
この馬鹿、いや井戸敏三知事は、飲酒運転はそれほど悪いこととは思っていないという本音をうっかり口にしてしまったのである。こんなヤツに知事をする資格はあるのか。オレが兵庫県民なら絶対にこんなクソ知事は許せない。飲酒運転で身内を殺された被害者に対して、井戸知事は土下座して謝罪するべきだろう。
飲酒運転するということは、抜き身の日本刀を振り回して人混みの中を歩くような蛮行であり、周囲のすべての自動車歩行者を危険に陥れる行為なのだ。事故を起こさなかったとしてもそれはたまたま運が良かっただけである。公務員がそのような行為をしたら即懲戒免職というのは当たり前である。税金から給与をもらっている以上、公務員により高いモラルが求められるのは当然じゃないか。兵庫県では職員が飲酒運転で事故を起こした場合の懲戒処分の基準を明文化していて、
死亡事故=免職
重傷事故=免職〜停職
軽傷、物損事故=免職〜減給
という4段階と定めている。いちおうすべての場合に「免職」は含まれるのだが、実際は免職になるのは人を死なせた場合だけで、重傷ならば停職、軽傷ならば減給で許すというのがルールのようだ。しかし、オレはあえて言いたい。飲酒運転の結果が死亡事故につながらなかったとしてもそれはただ単に運が良かっただけであり、その行為が悪質なことという点では全く違いはないのだと。殺人者にならずに済んだのは単なる僥倖だと。
それにしても兵庫県知事というのはどうしてこんなにカスばかりなのだろうか。阪神大震災の時の知事は貝原俊民という馬鹿だったが、こいつは地震で街が壊滅してるのにお迎えの公用車が自宅に迎えにくるのを待っていたお目出度い野郎だった。県庁まで歩いても30分で行けるのに、ただクルマが来ないからと家でのんびりしていて、昼前に悠々と出勤したそうだ。知事としてまともな人間なら、街に出て自分の目で惨状を確かめるだろう。自分の住んでる街が壊滅していたのに、まるで東京都民のごとくにテレビの前で他人事のように地震報道を見ていたのだ。
井戸敏三も今回のこの発言で貝原に負けず劣らずの馬鹿であることが判明した。兵庫県民にはその不幸をお悔やみ申し上げる次第である。井戸敏三は飲酒即懲戒免職という処置が他の処分案件と比べて重すぎると感じてるそうだが、それは立脚点からして間違っているのだ。そういう場合は他の処分案件が軽すぎるからバランスを欠いたことになってるといういうことにちゃんと気づくべきである。その程度のことがわかっていない馬鹿、井戸敏三。次の選挙でこいつに投票する兵庫県民=馬鹿の数である。
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2006年09月26日(火) |
3353億円のゼニはどこへ行った? |
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総工費3353億円をかけた「徳山ダム」の試験湛水が始まった。総貯水量は約6億6000万トンと国内最大である。これがどれくらいの水量かというと浜名湖の2倍ということだからその大きさが想像できるだろう。この無用の長物は1957年に計画が持ち上がり、当初は発電目的だったが、1973年には治水、利水を加えた多目的ダムに変更された。木曽川水系の水資源開発基本計画(フルプラン)が策定されて1976年には事業実施計画が国から認可されたのだが、旧村民の移転補償交渉の長期化などで着工は2000年まで遅れたのである。
この移転交渉の時には派手にゼニがばらまかれたらしい。原野を田という名目で10倍の値段で買い取ってもらった者もいたりして、買収交渉を有利に進めるためにどんどんゼニが使われたのである。どの家にも数千万のゼニが入ったのだ。その後水没した旧徳山村は1987年に廃村になったのだが、全466世帯、約1500人が離村したのである。もっとも離村したはずの村人の中には水没しない高台に家を建てて再び村に戻って来た人もいる。その家を建てるための電気や水道のインフラ整備にも莫大なゼニがかかっている。ダム建設でゼニがばらまかれてウハウハというイナカモンドリームはここでもしっかりと実現したのだ。再び村に戻ってきた村民の中には、再度補償金がもらえることを期待する人もいるという。そこまで行くともうただの物乞いと同じである。
なんでこんなものを作ったのか、どうして貴重な税金をそんな無駄な事業のために使うのかとオレはあきれるのだが、どうしてもそこにゼニをばらまいてゼネコンにも儲けさせないといけない深い事情が存在したのだろう。
さて、そうやってゼニをばらまいて建設したこのダムだが、今のところ使い道が本当に決まっていないのである。利水目的のはずだったが下流の自治体はみんないらないと言っている。水需要がそもそも存在しないからである。考えたら下流には長良川河口堰というやはり利水目的で作られた堰があるのだが、そっちの水もほとんど利用されていない。河口堰も別に必要だから作ったのではない。ただ工事がしたかっただけなのである。なんの意味もないコンクリートの巨大なオブジェのために数百億、数千億という税金を使うのがこの日本という国の公共事業のお約束である。官僚が5億円のお小遣いを手に入れるために500億の無駄な工事をさせるくらいならば、最初からそのお小遣いの5億円だけ官僚に与えて工事なんかやらせない方がマシである。政府は1%の支出で済むからだ。
なんとかこの馬鹿工事をやめさせようとして立ち上がった市民団体は国を相手取って事業認定の取り消しを求めて訴訟を起こしたのだが、今年7月の名古屋高裁は1審に引き続いて住民側敗訴の判決を下した。この馬鹿工事をやめさせることができる唯一の存在が我が国の司法制度だったのである。しかし、馬鹿裁判官どもは自分たちがそんな貴重な役割を果たしていることなど思いもよらない。それも馬鹿だから仕方がないのだが、連中の頭の中にあるのは正義を実現することではなくて「判例」の文字だけだ。
さて、できあがってしまった徳山ダム。使いたくてもそのいずれにもゼニが掛かるのだがそのあてがない。水利目的のはずなのに取水口がまだ一つも作られていない。水力発電用に使う予定も今のところはない。ダムが計画された50年前と今とでは世の中の仕組みがガラリと変わったのである。水はしっかりと余ってるのだ。もしも何か役立つとすれば50年に一度の大雨に襲われたとき、下流を洪水から守るためにダム本体がしっかりと水を貯えてくれることくらいだ。このムダのカタマリである徳山ダム、今から50年後くらいにはどのように評価されているのだろうか。たぶんオレはそれを見届けるよりも前に寿命が尽きるだろう。オレのような根っからの野次馬にはとても残念なことであるのだが。
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2006年09月25日(月) |
安倍晋三、おまえには世界の将来が見えるか? |
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今日の日記はかなりの長文です。先に断っておきます。
安倍晋三さんよ、遅ればせながら自民党総裁就任おめでとう。父親の安倍晋太郎氏の悲願だった自民党総裁就任=総理大臣をほぼ達成できてさぞ満足だろう。これであんたの描いた夢は完結したのか、それとも「改憲」ということまで含めて夢の完結なのか。確かに今の日本国憲法は米国押しつけの憲法だ。それを変えたいというのはわからないでもない。しかし、押しつけの憲法ゆえにその高邁な理念は存在したのではないか。オレはどちらかというと右よりの思想の持ち主だが、少なくとも憲法の持つ精神、「国際紛争解決の手段として戦争を用いないという」部分は大いに評価している。
武力を行使することに正義などない。そこに存在するのは無辜の民の死だけだ。自衛隊を軍隊として認め、場合によっては核武装も辞さないという方向に踏み出したとき、日本はその高邁な理想をかなぐり捨てて普通の国家になる。それはまぎれもない事実だ。普通の国家になるということがよいことなのかわるいことなのか、現時点ではオレは判断できない。ただ、普通の国家になれば、将来起きるであろう大惨事じゃなかった第三次世界大戦のときに、連合国か枢軸国か、イスラム教圏かキリスト教圏か、西欧かアジアか、いずれかの陣営に属して戦うことになるのは自明の理だ。そんなことまで考えてるのか。戦争をするということは国民の命を為政者が勝手に担保に取るということだ。そこまでの覚悟があって発言してるのか。代々政治家の家系に生まれ育った、いわゆる「貴種」と言ってもいいお前の血筋なら、国民の一人一人なんてゴミくらいにしか思っていないだろうが。
お隣の韓国や中国に対して強硬姿勢で臨むというその方針はどうだろう。これまでの政府があまりにも弱腰過ぎたことを思えば多少はそういうことも必要かも知れないが、ここで考えておきたいのは連中は普通の国家ではないということだ。人間同士の関わりには必ず「信義」というものが存在する。ところが韓国や中国の政府にはおよそ「信義」というものが存在しない。平気でウソをつくし捏造するし約束は破る。ロシアもそうだ。そしてロシアや中国は基本的に今でも帝国主義国家であるということだ。そのことを忘れてはならない。
チベットで数百万人規模の虐殺を行っておきながらそれを認めない中国が、スーダンに武器を輸出してダルフールの虐殺を生み出し、西欧諸国を出し抜いてかの国の石油利権を手にしようとしてるのをおまえはちゃんと理解してるのか。相手は自国の繁栄のためなら人が何百万人死のうと平気な国家だ。尖閣諸島沖の海底油田問題で悠長に対応してる場合じゃないだろう。ほっとけば尖閣諸島には中国軍が上陸していつのまにか占拠されているはずだ。竹島を放置した日本政府は中国が尖閣諸島を軍事的に占領してもおそらく米国に泣きつくことしかできないだろう。
ロシアがなぜ環境問題を口実にサハリンの油田開発のストップを言い出したかわかってるのか。膨大な設備投資を日本の企業にさせておいて、やっとそこから利益が出そうになったらそっくりそのままロシアがいただきという寸法なのだ。日本の商社はロシアの司法当局に訴えると息巻いているが、ムダだからやめておけ。契約書が有効なのは相手が信義を同じように持っている場合であり、ロシア相手にそんなことが通用しないのは8月15日に戦争が終わった後に住民を虐殺して北方領土を占領した経緯からでも明らかだろう。樺太から小樽への引き揚げ船が撃沈されたのは8月22日だ。ロシアはそのとき北海道への軍事侵攻を予定しており、引き揚げ船撃沈もその作戦の一環だったのだ。
安倍晋三、お前が総理大臣として日本国家の舵を取るということは、こういう煮ても焼いても食えない連中に舐められないで国益をしっかりと守ると言うことなんだ。そのことをちゃんとわかってるのか。外務大臣にはいったい誰を起用するつもりなんだ。ブッシュの走狗となってアメリカの石油利権を拡大するためのイラク戦争を支持したコイズミをお前は基本路線で支持するそうだが、ではイランに対して対決姿勢を強める今のブッシュもまた支持するのか。少なくとも日本はイランとは対立関係にはなかったはずだ。あのアメリカという暴走国家に追随し続けることが日本の国益になると本気で信じてるのか。
平和憲法を持つ日本だからこそある意味アメリカの愚かさを語る資格があるのではないか。第三次世界大戦になれば、それは局地戦ではなく世界同時多発テロ戦争となるだろう。日本も例外ではなく東京や大阪といった大都市では無差別テロが起きる。多くの無益な死が発生するのだ。そのもともとのきっかけがくだらない石油利権獲得や面子の問題であったとしても、最終的には数百万、数千万という犠牲につながることになる。そのことをおまえは果たして理解しているのか。
日本を建て直しておまえの語るその「美しい国」にするためにまず教育を見直すそうだが、おまえたちブルジョワ階級の意図した「ゆとり教育」の成果はすでにしっかりと現れてるじゃないか。その上何が不足なんだ。国民の平均学力は低下して公教育の崩壊を招き、学力格差はそのまま所得格差となって格差社会を支える根幹となっていく。大学の数を増やせばそれだけ馬鹿が増える。そんなこと当然だろう。全部おまえたちの望んでいたことじゃないのか。
狭き門だからこそ大学は努力しないと入れない聖地なのだ。誰でも入れるようになれば馬鹿ばかりになる。低学力の学生ばかりのクソ大学に補助金をじゃぶじゃぶばらまいてゼニの無駄遣いをして、その馬鹿学生がニートにしかならない状況を作り出したのはいったい誰だ。無秩序に大学を増やせばこんなことになるというのは自明のことだ。大学という入れ物を作れば勝手に若者は勉強するのではない。勉強する若者を作るには、そこに至るまでの長い仕掛けが必要だ。家庭教育やしつけが崩壊した今、バウチャー制で学校を自由に選べるようにするくらいの小手先の改革で何が変わるのか。今必要なのは小学校くんだりから学校間格差を作って勝ち組負け組を鮮明にすることではないはずだ。少なくとも義務教育段階は均質のものを保証すべきじゃないのか。本人の努力で変わるのはそこから後だ。
新制度の司法試験の合格発表があったが、誰も合格者のいない大学もいくつかあった。次回からはさらに合格者が絞り込まれてその差は顕著になるそうだが、補助金の分配基準はどうなってるんだ。成果を出すところにちゃんと重点配分されてるのか。そして、その新制度によってどれだけ馬鹿裁判官を減らせるのか。国旗、国家に敬意を払わなくてもいいと公言する馬鹿裁判官を罷免してまともな裁判官をちゃんと増やせるのか。
なぜニートが増えたのか、それは人間の無能さと社会とのギャップなんだ。無能なままの人間が食べていけるような職場がどんどん消えていき、どんな職場もある程度のスキルを必要とする。終身雇用制が崩壊したこともその一因だ。そして限りなく人間は怠惰になった。今、義務教育段階での遅刻や欠席は20年前の10倍くらいに増加している。ニートと呼ばれる連中には、朝ちゃんと起きるという職業人にとってお約束の行動ができないからそうせざるを得ないというヤツが多数含まれているのだ。ただ、それは学校の責任ではなく、ネグレクトや甘やかしを常とする家庭の責任だろう。
そうしてヘタレになってしまった人間をまともにすることはほとんど無理だ。社会はそうしてヘタレに埋め尽くされていく。ヘタレは国民年金も掛けないし税金も納めない。そのくせ犯罪率は異常に高い。そのヘタレがやがて多数となっていく社会を想像したとき、安倍晋三よ、おまえはどんな対策を用意してるのだ。教師の言うことを聞かない生徒に対して「ケツ叩き機」などの安全な体罰グッズを設置して身体でわからせるなんて方法をおまえは思いもよらないだろう。
小学生が女教師をババア呼ばわりして跳び蹴りを食らわせてケガさせてもたいしたお咎めはなく、逆に教師が体罰を行えば人権侵害だと言われる。しかし実際に現場には存在そのものが害毒でしかないクソガキはいるし、そのクソガキの行動を正当化するクソ親もいる。そんな連中に対して「公権力がペナルティとして与える体罰もどき」は必要だ。だからオレはすべての小学校に「ケツ叩き機」の設置を希望する。注意に従わなかった子供はその機械に固定され、ケツをまくられ、そこに容赦なく鞭を受けることになる。体罰を個々の教師に委ねることで問題が起きるのなら、そうしてシステム化してしまえばいいだけのことだ。文句を付ける親も一緒にケツを叩いてしまえ。いや、子供が問題を起こせば親も一緒に「ケツ叩き機」に載せられることにすればいい。体罰は親子で同時に受けるのである。
全国の小学校にこのケツ叩き機を設置すれば、学級崩壊は一気に解消するだろう。教室はたちまち秩序を取り戻すはずだ。50分間静かにすることも出来ないクソガキはどんどんケツ叩きの刑にすればいいだけのことだ。宿題をやらなかったらケツ叩き、掃除をさぼればケツ叩き、学校には屈強なスクールポリスを常駐させ、教師からの通報があればすぐに出動して罰を与えればいい。公立の小中学校から非行は一掃され、公教育はたちまち蘇るだろう。
オレが語る方法はすべて暴論ばかりかも知れない。しかし、暴論であってもオレはいつも具体案を語っている。具体的にやるべきことを語り、何もしないことの愚を訴える。しかし、オレの訴えはいつも一笑に付されるだけである。安倍晋三、おまえはどんなことができるのだ。自民党の総裁にありがちなただの調整役ではなくて、おまえが総理だったからこそ実現した何かを歴史に残せるのか?教科書に名前が乗るようなことを何かできるのか。オレはさしておまえには期待していないのだが、もしかしてオレの予想が外れておまえが国民を真に幸福に出来るような宰相であるという奇跡が起きることを期待しないでもない。
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2006年09月24日(日) |
市バスの運転手はこんな低レベルなのか |
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江草乗の個人日記「何か買ってください」もよろしく。日記読者の皆様のご協力をお願いします。お勧めリンクに「極東ブログ」を追加しました。みなさんぜひ訪問なさってください。
9月22日の夕方のことだ。時間は確か18:50頃だったと思う。オレは天王寺区小橋町の交差点に北から侵入して右折するために交差点内に停止した。対向車線を大阪市営の赤バス(100円の均一料金で乗れる低床式のバス)が方向指示器を出さずに進んできたので、直進するものだと思って右折待ちのオレは停止していたのである。
ただ、オレは一瞬疑問を抱いた。赤バスは大阪赤十字病院の方向からやってきて、近鉄のガードをくぐって小橋町交差点に来ればそこで右折するというコースのはずだ。それなのに右折の指示器を出していない。それでオレは「もしかしたら直進かな」と思って待っていたのである。その間わずか5秒ほどだろうか。もちろんたった5秒と思うかも知れない。しかし、オレのような忙しい人間にとってはわずか5秒もかなり貴重な時間なのである。
ところが、右折待ちのオレの気持ちはその赤バスによって踏みにじられたのである。赤バスは指示器を出さないままあろうことか右折していったのである。オレはあまりのことに呆然として見送った。だったら最初から右折すると指示器を点灯していてくれれば、オレも安心してすぐに右折することができ、わずか数秒を無駄にせずに済んだのである。「方向指示器を出さない」というマナー違反の態度に対して、世間はもっと厳しくならないとだめだ。
赤バスの運転手は、大阪市交通局所属の通常の市バスとは違って、たいていが嘱託で雇用されたバス運転手OBらしい。だったらなおのことベテランらしい堅実な運転をして欲しいのである。指示器も出さずに曲がってくる市バスなんて悪い冗談じゃないか。さて、このような手抜きドライバーにはどんな罰が与えられるのだろうか。どうやらそれだけでクビにするのは無理であるようだ。しかしその前にオレが感じる疑問は、この赤バスというものがそもそも存在意義があるのかということである。見たところほとんど乗客が居ない。乗客ゼロで走らせることになんの意味があるのか。客なんか誰も乗っていないからいちいち指示器は出さないのか。本当にそんなにムダなものならとっとと廃止してしまえと思うのである。
赤バスが不人気なもう一つの理由は、速度がのろくて時間が掛かりすぎることである。目的地までの最短距離を走ってくれることはかなりマレで、必ずとてつもない遠回りをさせられるのである。しかも停留所にやたら長時間駐まっていたりするのである。こんなバスに乗れるのは時間がいくらでもある老人だけである。オレはやっぱりこんなものには乗りたくないのだ。大阪市が仮にこの100円市バスの全路線を無料開放しても、乗客はさほど増えないだろう。速度ののろい乗り物に乗せられることは関西人にとって最大の苦痛であり、屈辱なのだ。各駅停車がどんなにガラガラで空いていても、超満員の急行や新快速に乗ってぎゅうぎゅう詰めを耐えるのが関西人の心意気なのだ。遅い乗り物は関西では罪悪である。こう思ってるのはオレだけではないはずだ。
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2006年09月23日(土) |
ソフマップはもう再起不能か? |
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オレは長いこと日本橋のソフマップを行きつけの店にしていた。ソフマップカードをいつも持参して、お買物をするとそこにルピーと呼ばれるポイントを貯めていたのである。行きつけにしていた理由はやはり安かったからである。近所にある上新電機テクノランドやニノミヤなどと比べて安い上にポイントがつく。そのポイントも私の場合は「ソフマップティーチャーカード」という教職員専用のカードがあってさらに優遇されていたのである。通常のカードの倍のポイントがつくようになっていたのである。
また、ソフマップには豊富な中古品が並んでいた。その中には激安品も多く、未使用のものが新品から2割くらい安い価格で置かれてることもあった。そういうわけでオレにとってソフマップは欠かせない存在だったのだ。同僚に「パソコン買うから一緒について行ってくれ」と頼まれても、いつも行くのはソフマップだった。「大阪でパソコンを買うなら日本橋に行く」というのは一つのお約束だったのだ。
ところがいつのまにか大阪にもコジマやヤマダ電機、ビックカメラ、ヨドバシカメラなどという大型店が進出してきた。たちまち和光電機、マツヤ電機などの弱いところが淘汰されてしまった。そんな中でソフマップのとった戦略は、日本橋から外に出ること、つまり天王寺や梅田という大阪の南北のターミナルに進出してそこで迎え撃つという方法だった。これは最大の過ちだったとオレは思う。ソフマップはヨドバシと梅田で正面対決することで、その品揃えの貧弱さと価格競争力のなさを露呈して敗れ去ることになったからだ。
ヨドバシの方が店がはるかに広い。その結果多くの種類の商品を並べることができてはるかに有利である。また価格もヨドバシのポイントを含めればほとんど差がない。中にはヨドバシの方がソフマップよりも安いものもある。なぜこんなことになってしまったのだろうか。オレは以前はソフマップの株主だったが、このままではジリ貧だと思ってその株を手放した。たった100株(9月22日現在の株価なら430円×100=43000円)持ってるだけで、株主優待のお買い物券3000円分がもらえるのはなかなかお得だったが、株価の値下がりでそれは帳消しになりそうだったからだ。
どうすればソフマップは生き残ることができたのか。ソフマップという店は梅田に出てヨドバシと対決するのではなく、日本橋というディープな場所に客を誘い込んでこそ真価を発揮できたと思うのである。わざわざ相手の土俵に出かけて勝負する必要などなかったのだ。初心者はそういう店に行ったとしても、マニアはちゃんと日本橋で買うというイメージを守るべきだったのだ。ギガストアと称してターミナルに進出したのは戦略的誤りだった。丸紅から見放されたソフマップはビックカメラの傘下に入ることになったが、業績が好転したという話はきかない。
数日前、オレは同僚から「パソコンを買うからついて行って欲しい」と頼まれて日本橋に出かけたが、そこでオレの向かった店はソフマップではなくてパソコン工房だった。お目当ての安いノートパソコンを買うにはソフマップよりもお買い得品に出会う可能性が高かったからだ。店頭にはたった8万5000円で液晶15インチ光沢液晶、CPUはセレロンM(1.40GB)、HDDは80GB、512MBメモリ、スーパーマルチドライブ搭載のノートがあった。オレは一言「これにしましょう」とアドバイスしたのである。ソフマップには残念ながらその価格帯にそこまでのお買い得ノートパソコンはなかったはずである。
ソフマップがかつての栄光を取り戻す日はもうないだろう。日本橋がもうかつての日本橋じゃなくオタクたちの集う異空間になってしまった今、パソコンショップとしてのソフマップはもはや不要な存在なのかも知れない。
オレがはじめて立ち寄ったソフマップは、雑居ビルの2階であやしげなソフトウェアのレンタル店だった。そこで借りたソフトウェア(メディアは5インチのFD)を持ち帰って複製し、翌日返却するという形でオレは手持ちのパソコン用ゲーム資産を増やしていったのだ。おそらくこれは著作権法違反にあたるのだろう。そういうわけで、オレの部屋にはもう骨董品となった大量の5インチFDのゲームソフトがある。初期の頃の三国志や信長の野望などが鎮座している。しかし、それらのゲームで遊ぶことはもうないだろう。そんな時間はオレにはないからである。
大量のゲームは今はただ棚に並んでるだけだが、いつかは処分しないといけないだろう。それを動かすパソコン自体がもう部屋にないからである。オレのパソコンライフと共にあったソフマップが、大手家電量販店との競争に敗れ去って退場する日もさして遠くないのかも知れない。オレはまだソフマップカードにルピーポイントが残ってることを思い出した。早く使わないと・・・
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2006年09月22日(金) |
もうMSオフィスは買わなくていい |
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そんなものをいったいどういう人が買うのかと不思議に思うのだが、Office Professional Edition 2003 をアマゾンで買うと53000円もする。少しでも安く買えるものをと探してアカデミックパックなどを選べば多少は安くなるかも知れないが、それでもかなりのぼったくり価格なのである。一太郎を絶対に日本標準のワープロにしたくないビル・ゲイツの陰謀で、パソコンを買うときにOffice はプレインストールされてることが当たり前となり、いちいち買うことがないのでその高さが意識されていないのだが、実際に買うとなるととてつもなく高いのである。
違法コピーは犯罪だが、この高価格も一種の犯罪であるとオレは思っている。必要なものを理不尽な価格設定することで、違法コピーという犯罪を誘発してるような気がしてならないのだ。もしも価格が今よりもずっと安かったら、みんな正規品を購入するだろう。
通勤帰りによく立ち寄るアウトレットショップでSOTECのノートパソコン(新品)が55000円で売られていた。かなり安いのに驚いたのだが、もっと驚いたのはその激安ノートパソコンにOffice 2003がプレインストールしてあったことである。オレはその時に思った。「一太郎使いのオレはOfficeなんかいらんのじゃ。その分15000円くらいまけてくれて40000円のノートにしてくれば買うのになあ。」と。
パソコン本体の価格に比して、ソフトウェアの価格はぼったくりという不満をオレはいつも感じている。そんなオレのようなケチな人間を喜ばせてくれるものが売り出されたのである。中国キングソフト社の日本法人キングソフトは9月21日、マイクロソフトオフィスと操作性やファイル互換性を限りなく近づけたワープロ・表計算・プレゼンテーション資料作成ソフトを来年1月からマイクロソフトオフィスの約10分の1の4980円で販売すると発表した。なかなか豪快な値段を付けたものである。これならかなりの客が乗り換えてくるだろう。この「Kingsoft Office(キングソフトオフィス)2007」にはワープロの「ライター」、表計算の「スプレッドシート」、プレゼン資料作成の「プレゼンテーション」の3つがセットされている。それぞれが「ワード」「エクセル」「パワーポイント」にあたるのだ。
さて、これで価格破壊が進むと思うのは早計である。このようなまねっ子ソフトウェアをあの卑怯なマイクロソフト社が容認するわけがないということである。おそらく何らかの方法でその販売差し止めを狙ってくるに違いない。おそらくOSとの抱きあわせ販売などで売り上げ減少を防ぎつつ、訴訟によって類似品の販売差し止めに追い込むことが予想される。絶対にそういう卑怯な手を使ってくるのに決まっているのだ。それがマイクロソフト社の基本方針であり、ビル・ゲイツという男のやり方なのだ。
安売りのパソコンを売るメーカーの中に、勇気を持ってそれまで搭載していたOffice 2003をやめて、このKingsoft Office搭載マシンを売り出すところがあるだろうか。そんなことをすれば「おまえの会社にはWINDOWS売ってやらないぞ!」というイジメが行われるのに決まってるのである。今や、安くて便利なものの普及を阻む抵抗勢力に成り下がったマイクロソフト社はもうその存在価値を失った。こいつらが進歩を妨害してきたのだとオレは声高に主張したいのである。とりあえず来年発売される予定のビスタなんかオレは絶対に買わないぜ。まだWINDOWS98も使ってるくらいだからなあ。
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2006年09月21日(木) |
日本一ケツの穴の小さい男 |
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ケツの穴を話題にした日記一覧
国民新党の代表である綿貫民輔氏は衆議院議員に13期当選し、衆院議長も務めた立派なお方である。富山県東砺波郡井波町で父・綿貫佐民、母・かずの長男として生まれ、砺波中学校(現・富山県立砺波高等学校)を4年修了した後に藤原工業大学(現:慶應義塾大学理工学部)に入学、慶應義塾大学経済学部卒。鐘ヶ淵紡績(現カネボウ)入社ののち、1955年に28歳の若さで家業である砺波運輸(現トナミ運輸)社長に就任。瀕死と言われた砺波運輸を立て直し、上場企業へ昇格させるなど経営手腕を発揮したというくだりがWikipediaには記載されている。その彼がトナミ運輸社長時代に行ったある行為が、一人の男の人生を無惨なものにしたことを忘れてはならない。
綿貫民輔のために人生をめちゃめちゃにされた悲劇の男の名は、串岡弘昭さんである。その会社人生の大半を窓際族として過ごし、静かに定年退職を迎えた方である。彼が窓際族になったのは、すべて当時の社長であった綿貫氏の差し金であったという。それから30年間、定年退職するまで報復人事は終わることがなかった。内部告発されたことを根に持ってここまで過酷ないじめを行わせた綿貫民輔は、おそらくオレの知る中で最もケツの穴の小さい男だと思われる。
串岡弘昭さんはトナミ運輸での30年間、一度も昇進しなかったという。給与は新入社員程度の18万円でずっと据え置かれ、生活に余裕のない中、家族旅行にも行けなかったという。2人の子供は大学まで進んだが、その教育費は妻の実家からの援助に頼った。そんなクソ会社、辞めてしまえばよかったのにとオレは思うのだが、串岡さんには意地があったのだ。
運輸会社の闇カルテルを新聞社や公正取引委員会に告発するという正義の行動を取った串岡さんに対して、トナミ運輸は突然の転勤を命じた。第一線の営業マンだった彼は遠く離れた研修所の四畳半の一室に押し込められて、他の社員から完全に隔離され、空き地の草むしりをさせられたという。その草むしりが16年あまりに渡って会社が与えた仕事だったのだ。そんな目に遭わせれば自分から辞めるだろうと画策したのである。しかし、串岡さんは辞めなかった。もしもそこで辞めてしまえば自分は会社のいじめに屈したことになる。自分が耐えることが、そしてその状態で頑張ることが、トナミ運輸というクソ会社のその実態を世間に訴えることであると信じて彼は耐えたのだ。
串岡さんへのいやがらせは本人だけにはとどまらず、家族親族へも及んだという。暴力団員を使ったおどしや脅迫もあったという。その指図をしていた黒幕はいったい誰なのか。そんなもの、その企業のトップに決まってるじゃないか。権力を握った人間とはこんな醜いものなのだろうか。
オレは衆議院議員の綿貫民輔がかつて社長をしていて、今は息子にその社長の座を譲り、ゆうパックを扱って郵政公社とも深く癒着するこのクソ会社の行った犯罪的行為に対して慄然とするのである。(ちなみに綿貫が郵政民営化法案に反対したのは、息子が社長をしている企業が郵政公社から業務委託を受けているという個人的な理由であり、公私混同も甚だしいのである。)
企業が人事という名のもとに行ったあきらかなこの「いじめ」に対して、2001年1月串岡さんは損害賠償と謝罪を求め裁判を起こした。ところが裁判を通じて会社側は「嫌がらせや報復はなかった」としらじらしく主張したのである。判決は会社側にたった1360万円の支払いを命じるものであった。富山地裁は、内部告発は正当な行為で法的保護に値するとして、会社側の人事が報復であると認定した。この時「良心に基づいて内部告発する人に対して企業は報復人事を行ってはならない」という重要な判決が下されたのである。30年間の不当な処遇に対する賠償がたったの1360万円というのはオレには到底納得がいかないのだが。
トナミ運輸は東証一部にも上場する企業である。こんなひどい人事を行うクソ会社でも一人前に上場できるのである。もっともライブドアのように粉飾決算をする企業や、社長が覚せい剤で捕まるダイナシティのような暴力団のお友達企業も上場してるので上場企業が必ずしもまともであるとは言えないわけだが。
日本一ケツの穴の小さい男綿貫民輔、せめてこのジジイが串岡さんの退職の日に、自分が行った報復人事のために30年間不遇の人生を送らせてしまったことを謝罪しに行くくらいの勇気を見せればオレも少しはこのド外道を見直してやったのだが、ケツの穴は相変わらず小さいままだったという。そんな恥ずかしい人間には死んでもなりたくないとオレは思ったのである。
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2006年09月20日(水) |
ぼくたち、北朝鮮に経済援助しています! |
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日記才人のメッセージが全く受け取れません。今日もメッセージを送ってくださった方が居たのですが、読もうとしても受信不能です。どうか連絡は日記下のメールフォームかミクシィの方にくださるようお願いします。
9月19日午前、政府は北朝鮮に対する金融制裁の実施を閣議了解した。大量破壊兵器開発に関係していると疑われる15団体・1個人を対象に、金融口座からの預金引き出しや海外送金を許可制とし、事実上禁止するという措置を即日発動した。同様の制裁をオーストラリアも行い、ニューヨークで開かれる国連総会でも各国に同調を呼びかけるという。経済制裁自体は前からやるぞやるぞと言われてきたことで、こうして金融制裁が発表されても「やっと今頃実施するのか」と遅きに失した感じが否めないが。
この措置は外為法に基づく制裁で、対象となった北朝鮮の貿易会社や金融機関が日本国内の金融機関に設けた口座からの預金引き出しや海外送金を受ける場合は許可制とし、大量破壊兵器開発と関係ないことが証明できなければ認めないという。証明の困難さを思えばこれは事実上の禁止措置であり、北朝鮮の貿易会社や金融機関にしてみれば、自分のゼニが引き出せないという資産凍結状態に置かれるのである。
北朝鮮が国民を餓死させながらも軍備に力を入れ、まともな話し合いにも応じない国家であることは周知のことだが、こうして金融制裁を加えることでジリジリと追いつめていくことが狙いなのだろうか。もしも軍事行動に暴発してくればいったいどうするんだろうかとオレは正直心配なのである。なにしろ相手は国家元首の命令で他国の国民を拉致したりする犯罪国家なのだ。何をしでかすのかわからない国家であることをわかった上で、万全の準備をして小泉内閣がこの制裁を発動したとは思えないのである。
北朝鮮の政府は今回の金融制裁を「我が国への宣戦布告と見なす」ととらえているようだ。相手がその気持ちでいる以上、こちらも場合によっては応じないといけない。自衛隊は戦力の大半を日本海側に展開して、北朝鮮からの奇襲攻撃に対応できるような準備をした上でのこの「金融制裁」なのだろうか。どうもオレにはそう思えないのである。相手がいつ核弾頭ミサイルをぶっ放してくるかも知れないのに、政治家どもがあまりに悠長な態度であることにオレは正直言ってあきれてしまう。
もう一つ、オレの感じる大いなる矛盾は国民、特にパチンコを趣味とする貧民どものの情けない行動である。経済制裁を支持するのならどうしておまえらはパチンコ屋に行くのか。30兆円産業といわれるパチンコ業界の1/3は北朝鮮系の経営者の店だという。そうなると10兆円分だ。そのうち4割が粗利とすれば、年間4兆円の経済援助を与えてるようなものである。4兆円もあれば十分に北朝鮮の国家予算くらいの規模だろう。中には勝って勝って勝ちまくって経済制裁をしっかり与えて帰ってくるきっこさんのような猛者もいるだろうが、たいていはボロ負けして、望むと望まないとに関わらず、しっかりと経済援助させられるのである。貧乏人の財布の中からさらに搾取されたゼニが北朝鮮への経済援助となってるのだ。
覚せい剤も北朝鮮の資金源だ。多くの日本人が覚せい剤の常習者となっているが、その覚せい剤の主な輸出元は北朝鮮である。新聞で芸能人が覚せい剤使用で逮捕されるたびにオレは思う。「こいつらが覚せい剤を使えば使うほど北朝鮮にはゼニが入るのか?」そう、パチンコに入り浸る馬鹿や、覚せい剤使用をやめない馬鹿によって北朝鮮という国家の外貨収入は支えられているのである。本当の意味の経済制裁を行うのなら、まずその二つは断固取り締まるべきだろう。まず日本国内の馬鹿を撲滅することからはじめないといけないのである。パチンコを非合法化し覚せい剤の流通をゼロにできるなら、北朝鮮がこれらの産業から得ている巨額のゼニが根本から絶たれるのである。オモテでは「経済制裁実施しま〜す」と言いながら、ウラではせっせとゼニを貢いでいるというのがこの日本という国の情けない実態なのだ。
オレはパチンコもしないし覚せい剤なんかもちろんやらないので北朝鮮に対する援助は全くしていないのだが、オレがいくら拒否してもオレの支払う税金は間接的に「人道支援」なんてものに形を変えて使われてしまうのだ。オレはそれが悔しくてならない。高額の税金をぼったくっておいてそれをそんなことに使いやがって全く気分悪いぜ。
声高に「経済制裁」を叫ぶ連中にオレは言いたい。本気でそう主張するならパチンコ屋には一切行くな。覚せい剤を使用するということは北朝鮮に経済援助することと同じなんだという認識を持ってくれ。経済制裁、やるのなら本気でやってくれとオレは言いたいのだ。
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2006年09月19日(火) |
かつて、そこには風呂屋があった・・・ |
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暴言日記セレクション、お勧めリンクの2つを更新致しました。
オレがまだ物心ついたばかりの幼い子どもだった頃、オレの家族が住んでいた長屋にはもちろん内風呂はなく、母に連れられて徒歩5分ほどの風呂屋に出かけた。母に連れられてだからもちろん女湯に入ったわけである。残念なことにその頃に見た女湯の光景はほとんど覚えていない。オレはかなり記憶力には自信があるのだが、そういう肝心なことを覚えていないことが残念なのである。
少し大きくなると(たぶん小学校低学年くらいだと思うが)、学年が一つ上の兄と二人で男湯に入るようになった。テレビでウルトラマンや巨人の星をやっていたころだ。子供の風呂代は確か30円くらいだったと思う。男湯にはなぜか女の子も入っていた。たぶんお父さんに連れてこられたからだろう。同じクラスの女の子も入っていたのだが、そんなにびっくりした記憶もない。それが至極普通の日常だったからである。今、男湯に娘を連れて入る父親はいるのだろうか。
その頃からだろうか、バスオールと呼ばれたユニットバスのお化けみたいなやつが普及し始めて、そいつを設置すれば簡単に内風呂を作ることができた。そういうわけで我が家にも風呂が登場することになった。たぶん小学校の高学年くらいだったと思う。それで風呂屋との縁はしばらく切れてしまうことになった。中学3年のときに我が家は引っ越して長屋から念願の一戸建てに移るわけだが、もちろんそこには最初から風呂があるわけで、大学生になるまで長いこと風呂屋には行かなかったことになる。
大学の四年間住んでいたアパートのそばには複数の風呂屋があって、二日か三日に一度通っていた。さすがに毎日通うには風呂代がもったいなかったからである。2時間ほどで実家に帰れたこともあり、週に2度は家庭教師のアルバイトで実家に帰って泊まっていたからそのときに風呂に入っていた。だから銭湯に行くのは実際は週に一、二度くらいだったが、それでも4年近く通っていたことになる。今でもあの地蔵湯や高原温泉はあるのだろうか。今は学生用のアパートでも風呂がついてるのが当たり前だからもう銭湯に行く人はほとんどいないだろう。そう、銭湯という文化が存続できたのは、風呂が付いていない家に住む多くの人がその周囲に居住している必要があったのだ。
オレが中学3年の時に転校してきた時、同じクラスに風呂屋の息子がいた。多少色気づいていたオレは、彼が風呂屋の子と知ってかなりうらやましかったことを思い出す。きっと風呂屋には秘密の覗き穴などがあって、そこからばっちり女湯や女湯の脱衣室が監視できるのだと想像していたからである。その風呂屋の近くには市営住宅が広がっていて、もちろんその市営住宅には風呂がついていなかった。住民はその風呂屋を利用するしかなかったのである。
ところが平屋建ての市営住宅はいつのまにか高層住宅に建て替えられ、もちろん風呂がついてることになった。それから何年経ったのだろうか。その風呂屋はなぜかそこに存続していたのである。もちろんオレも入りに行く必要がないから行ったことがなかったが、その前はよくクルマで通過するので「まだやってるんだな」と思っていた。しかし、とっくにビジネスとしては成立しなくなっていたはずである。なぜ市営住宅がなくなってからも10年近くその風呂屋は存在し続けたのだろうか。高齢者が多い住民たちは相変わらずその風呂屋を利用し続けたのだろうか。いや、そんなことはないだろう。
今日、自転車でその風呂屋の前を通ったとき、オレは風景が一変しているのに気づいた。そこにあるべき建物はもうどこにもなかった。真新しく黒々と舗装された駐車場に白線が引かれて、21台分の駐車スペースが整然と区画されていた。その奥にはやはり真新しい家が建っていて、その家の表札は、風呂屋の息子である彼の苗字だった。何もかもすっかりなくなってしまったのだ。
かつてそこには風呂屋があった。同じ曜日の同じ時間帯には必ず同じ客がいた。風呂上がりにフルーツ牛乳を飲むときには必ず腰に手を当てて直立不動の姿勢で飲むのが作法だった。プラッシーも売られていた。そう、風呂屋に置いてある飲み物はなぜか駄菓子屋に並ぶ飲み物とは違ったのだ。瓶に入ったリンゴジュースも懐かしかった。親と一緒に行ったときは必ず飲み物をねだったものだ。京都に住んでいた学生の時も風呂上がりによくリンゴジュースやプラッシーを飲んだことを思い出す。ブロック崩しのゲーム機もあって、風呂上がりのハダカのままの兄ちゃんがフリチンで遊んでいたことを思い出す。
かつてそこには風呂屋があった。存在したのは風呂屋だけではなく、そこに集まる多くの人々と、そこにだけ存在する文化があった。入浴時には他の客に迷惑を掛けないようにするためのさまざまな守るべきマナーがあった。風呂屋がなくなるということは、そんなすべてのものが同時に消え去るということである。風呂屋の文化を記憶にとどめるオレたちのような世代が死んでしまえば、もう永遠に失われるということなのだ。
かつてそこには風呂屋があった。オレは駐車場になってしまったその場所に立ちつくしながら、なぜその風呂屋が廃業する前に一度でも入りに来なかったのかと深く後悔したのである。
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2006年09月18日(月) |
がんばれ東京スター銀行! |
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オレは銀行ATMを利用するとき、必ず自分の口座のある三菱東京UFJのATMを利用する。オールワンという口座にしているので時間外や休日の手数料が完全に無料だからだ。幸いオレの通勤する経路上にはこの三菱東京のATMの設置されている場所が4ヶ所も存在し、そのいずれにも簡単に立ち寄ることが出来る。それで全く不便は感じていないのである。コンビニに設置されているATMも使ったことがない。そんなところで余計な手数料を払いたくないからである。
この手数料の仕組みだが、たとえばオレが自分の持つ三菱東京UFJのカードを使ってりそな銀行のATMで引き出したとする。するとオレは105円の手数料を支払うことになるわけだが、このオレが支払った手数料105円以外に、りそな銀行はオレの本来の預金先である三菱東京UFJからも105円のATM使用料を受け取る。つまり210円もうかるわけだ。他行のカードを持つ人間が自行のATMを利用してくればしてくれるほど銀行は儲かるようにできてるのである。世の中にはオレのように105円を惜しむケチな人間ばかりがいるわけではない。気前よく手数料を払いまくる太っ腹な金持ちも多いのである。
それにしてもこの210円という金額はでかい。はっきり言って銀行はたかが手数料なのにぼったくりすぎである。人間が時給いくらで働いてるわけではない。機械がゼニを出し入れしてくれているのである。それなら半額にしても十分にやっていける。というわけで東京スター銀行は、この他行カード所有者が自行ATM利用時に徴収できる合計210円を半額の105円にするという値引き策を実行したのである。具体的に説明すると、ATM利用時に発生する利益を
「利用者から105円+他行から105円=合計210円」
↓
「利用者から0円+他行から105円=合計105円」
というふうにしたのだ。一回ごとに入ってくる手数料は半分になるが、利用者が増加すればその分手数料収入は増えるということである。
さて、利用者から見れば105円の手数料がかからないということで、東京スター銀行を積極的に利用することになる。東京スター銀行のATM利用者が増えるということは、その分他行のATMを利用する人が減るということになり、東京スター銀行だけが手数料収入を多く稼げることになるわけだ。なかなか賢い戦略である。
それに対して、三菱東京UFJがいちゃもんをつけてきたのである。利用者の手数料を無料にするのはケシカラン!というわけだ。もちろん東京スター銀行にも言い分がある。弱小銀行には弱小銀行なりの戦略があるわけだし、三菱東京UFJのATMで東京スター銀行のカードが使用されたときはその分手数料を支払っている。だから「お互い様」だという主張だ。もちろん実際は有料の所と無料の所では利用率に大きな差ができるのでこの「お互い様」という理屈は破綻してるわけだが、それでも東京スター銀行は、メガバンクに対してケンカを仕掛けたのである。
さて、三菱東京UFJはここで、東京スター銀行に対してATMを相互利用する契約を10月1日から解除すると言い出したのである。それだけではない。他のメガバンクもこれに追随する動きを見せているのである。なんということだ。せっかくぼったくり手数料を是正すべく(と言えば聞こえがいいが、実は自行だけ薄利多売の手数料で稼ごうというせこい戦略)立ち上がった東京スター銀行が、大手の圧力の前につぶされるのである。弱いものいじめである。これは利用者の側としてはなんとしても阻止しないといけない。残された時間はあと10日あまりしかないのである。オレは三菱東京UFJのカードをいちおう持っているが、この問題に関しては東京スター銀行の味方だ。
もしもここでこんな不心得者が登場したらどうなるだろう。三菱東京UFJに大打撃を与えるイタズラだ。それは、9月30日までの間に、三菱東京UFJのキャッシュカードを東京スター銀行のATMで使いまくるということである。それも少額ずつ出しまくってそのたびに手数料を払わせるのだ。5万円を引き出すのに1000円ずつ50回にして引き出せば、三菱東京UFJは5250円の手数料を東京スター銀行に支払うことになる。引き出したゼニはまた東京三菱UFJのATMで入金する。もちろん手数料はかからない。それをまた東京スター銀行のATMで引き出す。これを無限に繰り返されれば三菱東京UFJは大打撃である。
もちろん、わざわざ時間を費やしてそんな不毛のイタズラをする知能犯、いや馬鹿がいるとは思えないが、もしもこんなことをするヤツが何万人もいれば三菱東京UFJはかなりのダメージを受けるということになる。ただ、これは場合によってはこれは威力業務妨害にも問われかねない行為である。ここにオレが書いたからと実際にされれば困るのである。オレには犯罪教唆の意図はないことを断っておきたい。
これはうがった見方だが、東京スター銀行の社員やその家族の立場としては、手数料収入による社の収益を少しでも上げるためにわざわざ他行に預金しておいて、それを東京スター銀行のATMから引き出すような忠誠心の強い者がいて、実際にこんなことをやっているかも知れないぜ。
とりあえずオレも三菱東京UFJに対して105円のささやかな打撃を与えたくなって、ネットで東京スター銀行のATMが大阪にあるかどうかを検索してみるとなんと57件もあったのである。その中にはオレの通勤経路に近いものもあった。ただ、残念なことはこの引き出し手数料が無料になるのは平日8:45〜18:00、土曜日9:00〜14:00だけなのだ。その時間帯にはオレは仕事をしてることが普通なので引き出しにはいけないのである。せっかくオレが義侠心を発揮して、弱き(東京スター銀行)を助けて強き(三菱東京UFJ)をくじく英雄的行動を起こそうと思っても、そんな余裕がないのである。さて、10月1日までにこの件にはどのような決着がつくのだろうか。
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2006年09月17日(日) |
新庄剛志、オレと組んで政治を変えるんだ! |
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答える度に楽天スーパーポイントが貯まる!登録だけでも【モレナク】50ポイント進呈。
暴言日記セレクションを更新しました。
自民党が日ハムの新庄剛志外野手に来夏の参院選出馬要請をしたそうである。人気者を使って票を増やそうという姑息なやり方なのはミエミエなんだが、おそらく出れば当選する可能性は高いだろう。自民党が多数派を維持するためにそうやって卑怯な手を使ってくること自体はこれまでも行われていたし、投票する国民のレベルも推して知るべしだから別にオレは新庄の参院選出馬自体はなんとも思わない。プロレスラーをどんどん議員にして国会をプロレス化(八百長化?)してしまうことにだって、これまでの政治がそもそも茶番なんだから大差ないと思っている。
ただ、新庄が国会議員になることで、彼が自分が見たおかしさを周囲に何の遠慮もなく率直にぶちまけることで、政治という世界の不毛さを国民に示すことには大きな効果があるだろう。
さて、問題はここで政界デビューを果たす新庄剛志の周囲にどんなスタッフがいるかということなのだ。そこでオレは提案する。このオレを政策秘書に雇ってくれということだ。マスコミへの露出を計算しつつ、効果的に現行の政治の仕組みの問題点を罵倒しながら誰も思いつかない新たな政策を立案する、そんなスタッフとしてオレが協力するぜ。とりあえず緊急にやるべきこととして、食糧自給率の向上なんかはどうだ。新庄はハムを喰わないそうだから「ハムを喰わずにコメを喰え!」とでもキャンペーンを打ってもらって、米の消費を拡大すれば自然に自給率は上昇する。減反政策を廃止し、今や人口の2%くらいになってるという生活保護受給世帯への保護費を減額してその分は米を現物支給するようにすればいい。食糧自給率を向上させるだけでなく国内農業の振興を図ると同時に生活保護費をパチンコ代に使えなくする一石三鳥の提案だぜ。
他にもたくさんの政策上の提案をこれまでオレはこの暴言日記に書いてきたが、いきなり国会議員になれるには知名度の足りないオレにとって、新庄の政策秘書でまずデビューすることはまだ可能性のありそうな選択肢だぜ。(この暴言コラムの読者数が100万人くらいになって、「WEB日記=江草乗」と誰もが連想するようになれば国会議員になれる可能性はあるかも知れないが、そのためには今の200倍くらいに読者を増やさないといけない。かなり困難な道のりだ。)
オレが国会デビューするためにはまず膨大な政治資金と支援者を手に入れないといけない。そのためにはやはりこの日記の読者を増やして、今入ってくる広告費やネットショップの売り上げが今の100倍くらいになるようにしないといけない。などということを書くと妄想野郎と笑われてまた2ちゃんねるにスレが立てられて祭られてしまうのだが、オレは半ば本気でそれを目標にしてるのである。サイトからの収入だけで喰っていけるようになれば、オレは膨大な時間を手に入れることができる。それを武器にして本を書くこともできるし、政治活動に全力投球することも可能になる。アマゾンで本を買うときは必ずこの日記にあるバナーから入ってくれて、アフィリエイト研究室やマウスヲタクでもお買物をしてくださる、そんな方々にオレは支えてもらってることにいつも深く感謝しているのである。
もっともオレが新庄剛志の政策秘書になれて政界にデビューできたとしても、ずっと書き続けてるこの暴言コラムをやめる気は全くないので、時間を作って書き続けようと思ってる。その時には念願の一日100万アクセスも達成して日本一の暴言コラムとなってることは間違いない。
オレには資金も人脈もないが、政策に関するアイデアはいっぱい持っている。というかオレの財産はそれしかないのだ。オレがこれまでの45年の人生の中で自分の頭の中に詰め込んだ知識と、そこから得られた発想の数々をひっさげてオレは社会を変えたいと思うから毎晩こうして微力を傾けて日記を更新してるのである。オレの暴言や妄言を読んだ一人一人が、自分にはどんなアクションが起こせるだろうかと前向きに考えて欲しいから書いているのである。裁判官を罵倒するのは正義とは何かをわかって欲しいからだし、イナカモンドリ−ムばかり夢見てる地方議員を罵倒するのは、田舎に住む人にこそ国家としての将来を考えて欲しいからである。おっと、今日はかなり本音を語ってしまったぜ。
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2006年09月16日(土) |
誰が高松塚を台無しにしたのか・・・ |
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奈良県明日香村の高松塚古墳石室内が、来年の解体を前に報道陣に公開され、国宝壁画の最新写真10枚も文化庁から提供された。新聞に掲載された写真をオレも早速見てみたが、1972年の発見当時に比べて「飛鳥美人」など壁画はいずれもカビで黒ずみ、描線が消えたり薄れたりしてさらに劣化が進んでいることがはっきりわかる。中でも白虎は、目や首などのごく一部を残してほぼ消失してしまっている。もしも発掘されてこの壁画が知られることがなかったとしたら、地中で永遠に美しさを保ったままだったかも知れない。そう考えると文化財の存在意義とはいったい何なのかと思ってしまうのである。1972年の発掘当時は壁画表面のしっくいは真っ白だったという。それが黄変し、さらにカビに覆われてひどいことになっている。なんでこんなひどいことになっちまったんだ。
今回公開された写真は、東と西の壁にそれぞれ描かれた男子群像と女子群像、西壁の白虎、東壁の青竜、北壁の玄武、天井近くの日像や月像、天井の星宿図である。奈良文化財研究所が9月5日に石室内で撮影し、文化庁が9月14日に報道陣に提供したものである。石室内は南側にある盗掘穴からのぞく形で同日公開された。どうして発見されたときにもっと空調や壁画の保存方法について考えられなかったのか。こんな貴重なものを台無しにしたのはいったい誰の責任なのか。保守点検のはずの作業中に過失によって破壊された部分もあるという。かつて日本史を専攻した学生であっただけに、オレは今回の件で激しい怒りを覚えるのだ。文化財の保護ということはもっとも大切なことではないのか。
今回の件に関して百橋(どのはし)明穂・神戸大教授(美術史)は「白虎は輪郭がほとんど消え、青竜も上下が分からないほどになった」と話し、発見当時を知る猪熊兼勝・京都橘大教授(考古学)は「壁画は全体的に見るも無残という印象。極彩色壁画としての状況を保っているものは一つもない。劣化はこの数年の方が速い」とそれぞれの見解を述べておられる。ところが肝心の文化庁は「絵が薄くなった原因は経年劣化とカビの影響が考えられるが、はっきり分からない」とふざけたことを語っているだけだ。確かなことは2001年に石室上部が壊れた際、その修復工事がずさんな方法で行われたために大量のカビの胞子が外部から持ち込まれ、携わった作業員も文化財に対する意識がかなり低かったということである。
どうすれば壁画を発見当時のままにずっと保存できるのか。そのことにはもっとゼニを掛けて研究させるべきだったのだ。まさに「国宝」であるこうした貴重な壁画を守るためにはろくにゼニを使わず、その一方で明日香村の丘陵地を切り開いて建てた「万葉文化館」などという子供だましのハリボテを並べたハコモノには惜しげもなく何百億もゼニを使う。そんな情けない文化財行政の犠牲になったのが高松塚なのである。
明日香村には大勢の観光客が訪れる。その観光客が本当にそこで見たいものは、飛鳥時代を紹介するアニメでも、当時の人々の生活を知るハリボテの模型でもない。万葉の時代と同じ景色を眺めることであり、かつてその地に生きた多くの歴史上の人物の痕跡に触れることなのだ。極端なことを言えば「ここが明日香村なんだ」と思って歩く、それだけでもいいのである。ところが竹やぶは手入れされないままに雑草が伸び、変な土産物屋が出現し、ことごとく観光客の期待を裏切っているのである。観光客は亀石や石舞台という単なる「石」を眺めに来るのじゃないんだ。明日香村という一つの空間を楽しみにやってくるのだ。そんなことがちっともわかっていない馬鹿しかいないから「万葉文化館」という馬鹿施設を作るのである。オレが明日香村の村長ならこんな下らないものは断固として作らせなかっただろう。どうせウラでゼニでも動いてるんだろうとオレはゲスの勘ぐりをしてしまうぜ。その予定地の山林を売ってぼろ儲けしたヤツもいるんだろう。イナカモンドリームもここに極まれりというところだろうか。
高松塚に行っても実際の壁画は見られない。しかし、そこに石室があり、壁画があるのを想像することで人々は歴史のロマンに触れることができたのである。その石室も壁画も来年春には失われる。高松塚は解体され、修復できるのかどうかはわからないがカビだらけの国宝は本格的な治療を受けて復活の日を待つことになる。
天智天皇の第七皇子であった志貴皇子は飛鳥宮から藤原宮に都が移された時の気持ちをこのような歌に詠んだ。
采女(うねめ)の袖ふきかへす明日香風都を遠みいたづらに吹く
(采女の袖を吹き返す明日香風よ、都が遠いので今はむなしく吹くばかり。)
采女というのは諸国から献上されて天皇に近侍した女性のことである。かつての都であった飛鳥で、その采女たちの美しい袖が風で翻った光景を回想しているのだ。その同じ風に吹かれることで、明日香村を訪れる人は長い歴史を思い、かつてその地に生きた人々のことを考えるのである。雷丘から眺める風景はすっかり変わってしまっていても、そこに吹く風だけは変わりない。人類がこの地に登場するはるか昔からずっと変わらず吹いていた明日香風である。
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2006年09月15日(金) |
植草教授、痴漢の本を出せ! |
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今や日本一有名な変態となった元早稲田大学教授の植草一秀氏がまたまたやってくれたのである。前回は古典的な手鏡を使った覗きだったが今回は痴漢、もうこれで筋金入りの変態である。しかも前回も今回もターゲットは女子高生、植草教授は女子高生が大好きなのである。だったら大学教授じゃなくて女子校のセンセイになればよかったのである。職業選択を完全にミスしたのである。
前回の覗き事件というのは植草容疑者が早稲田大大学院教授を務めていた2004年4月のできごとで、JR品川駅で女子高生のスカートの中を手鏡でのぞこうとしたとして逮捕、起訴されて罰金50万円の有罪判決を受けたものである。植草容疑者は「無実潔白だ」と主張したものの控訴しなかったのである。なんとも矛盾したお方である。本当に「無実潔白」なら最後まで戦えばよかったのに。
その「無実潔白」という主張を大きく揺るがせたのが今回の痴漢事件だ。もしもこんなことがなかったら、100人に一人くらいは「もしかしたら植草教授は無実だったかも知れない」と思ってくれたのだが、今回痴漢で捕まったことで100人が100人とも「植草は変態」で一致することになるのは間違いない。今回の痴漢行為も植草教授のテリトリー内と思われる京浜急行の車内で起きたのである。
蒲田署によれば、植草容疑者は9月13日午後10時10分ごろ、京浜急行品川―京急蒲田駅間を走行中の下り快速電車内で、女子高生(17歳)の後ろに立ち、スカートの上からケツを触った疑いだという。触られた女子高生が「やめてください」と声を上げて発覚し、乗客の男性2人が植草容疑者を取り押さえ、京急蒲田駅で同署員に引き渡したのである。植草容疑者は酒に酔っていて「覚えていない」と供述しているという。植草教授といえば手鏡、手鏡といえば植草教授である。今回もおそらく手鏡で覗きたかったはずだが、実は前回の事件の時に50万円の罰金と同時に手鏡没収という罰を受けていた植草教授は、直接自分の手でケツを触るという方法に出てしまったのである。鏡で覗くのと直接触るのとは大違いである。だったら手鏡で覗く方がまだマシだったのだろうかとオレは思ってしまうのである。
それにしても植草教授に限らずなぜ酔っぱらいというのはこうして大胆に痴漢行為に及ぶのだろうか。以前にオレはJR大阪環状線の車内で、泥酔したオッサンが若い女性の乳をむんずとわしづかみにしたのを見たことがある。すぐに通報されて下ろされて連行されていったが、ただ酔うだけでどうしてそこまで理性のたががはずれてしまうのだろうか。オレのような善良な人間にはとうていわからないのである。
さて、これで名古屋商科大学での職も失ってしまった植草教授だが、もうどこも教員としては雇ってくれないだろう。そうなるとあとの進路は何か自営業をするとか、農業とかが考えられるのだが、ここは開き直って本を出せばどうかとオレは提案する。題して「植草一秀の痴漢入門」である。変態としての己のこれまでの生き方を赤裸々に語り、そして「相手に気づかれずに痴漢行為を働く方法」「相手の抵抗を封じる方法」などを自己の体験をまじえて面白おかしく書けばいいのだ。おそらく空前のベストセラーになるだろう。(もっともその売れた分だけ痴漢になりたい男女がいるという不名誉なベストセラーなんだが。)他にも「植草一秀の手鏡活用法」「植草一秀の女子高生観察日記」などの題名で一連の痴漢シリーズを書けばいいのだ。もちろん、そんな本は公序良俗に反するということで図書館には置いてもらえないだろうし、買うだけで変態のレッテルを貼られそうなんだが。話題性は十分である。
そして、オレがこんなことを書くと多数の日記読者の方が、「あなたはふざけすぎている!」とお叱りのメールをくださるだろう。そんなこと言われなくてもわかってるのである。オレはいつもふざけてこの暴言日記を書いてるのだ。まっとうな神経では取り上げたくないような情けない事件やお下劣な行為が日々、日本のどこかで行われているのである。それをさらにふざけた視点で再検証するのがオレの役割である。
それにしても大学教授まで勤め上げた男が、なんで痴漢なんかするのだろうか。そんなに痴漢をしたかったら、痴漢ごっこプレイのできる風俗店にでも行けばよかったのに。そんな程度のゼニなら植草氏はいくらでも持ってるだろう。とにかく彼には数少ない痴漢界の権威として、これから登場する新たな痴漢やその振る舞いについて国民に常にタイムリーな解説ニュースを流して欲しいのである。
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2006年09月14日(木) |
駐車違反を減らせば経済効果が出た! |
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駐車違反を話題にした過去日記
6月に施行された改正道路交通法で駐車違反の取り締まりが民間委託されて大幅に検挙数が増加したことにより、放置駐車が激減して渋滞が減少したという効果が出ているらしい。渋滞が発生することで起きる時間的、体力的、経済的損害の莫大さを思えば、それが解消されればその逆の経済効果があるのと同じことだ。なぜもっと早くそのことに気づいてくれなかったのかと思うのである。警察庁では交通の円滑化による経済効果を年間1810億円にのぼると試算している。
確かにオレがふだん走ってる大阪の道でも明らかに駐車してるクルマは減っている。国道25号線の寺田町駅前付近といえば違法駐車と違法駐輪で4車線が2車線しか使えないために必ず渋滞が発生する場所だったが、そんなところが最近はやけにスムーズに走れるのである。これはやはり「取り締まりの民間委託」の効果が発生してるということだ。駐禁取り締まり員が緑の制服を着て自転車で回ってる姿を大阪市内でもよく見掛ける。オレのような善良なドライバーから見れば、このような取り締まり強化は大賛成だ。
経済効果に関してだが、同じ距離を移動する所要時間が増えればそれだけ仕事の効率が悪くなるだけではなく、燃費も悪くなる。それだけCO2の排出量が増えて地球温暖化の原因にもなる。それだけじゃない。渋滞がよく発生してる道路沿いの店の収益にも影響するのである。運転者の心理というのは不思議なもので、道路が混雑していると「寄り道なんかしていられない」と先を急ごうとするが、道路が空いていて余裕があると「ちょっとラーメンでも喰っていくか」となるのである。渋滞を解消すれば必ず道路沿いの店も繁盛するのである。警察庁の発表してる経済効果はたったの1810億だが、おれはそういうものすべてを含めれば1兆円くらいの効果が発生すると思っている。民間駐車場の利用が増える分もかなりあるだろうし、実際のところ大阪市内にあるタイムズ24などのコイン式駐車場はかなりどこも混んでいる。
最近は飲酒運転による事故が多発していてその取り締まりがやっと強化されるようだが、飲酒、駐禁の取り締まり以外にオレがやって欲しいと感じるのは、交差点で指示器をきちっと出さないクルマの取り締まりである。オレが右折しようとして交差点に進入するときに、対向車線のクルマが直進するのか左折か右折かはかなり重要なことである。だからオレは指示器を注視しつつ右折レーンで待つのである。ところが最近、指示器を全く出さずに右折左折するクルマがやたら多いように感じるのである。オレのようにMT車を運転していて両手が忙しい人間でもちゃんと指示器は必ず出すのである。今はたいていのクルマはAT車だから片手(左手)は常に余ってるはずである。ところがその余ってる左手にはハンドル、右手には携帯電話が握られているのだ。
前からやってくる対向車線のクルマが指示器を出さないので「直進か」と思って待ってると左折していくということが多い。そんなときは100%近く、ドライバーは電話で話しながらであり、こちらには目もくれずに左折していくのである。もしもちゃんと指示器を出していてくれればオレもそのタイミングに合わせて右折できたのに、向こうは直進するものと思っているからオレは曲がるタイミングを逸してしまうのである。全くもって許せないのである。そういう迷惑なヤツをガンガン取り締まってくれ。
指示器を出さずに右左折したクルマは反則金を5万くらい取って、ついでに携帯電話で通話中ならさらに10万くらいふんだくってやれ。それにしてもオレが不思議に思うのは、携帯電話を掛けつつ助手席に乗った女の乳を揉んだりしながら運転している馬鹿のことである。そうやって両手を使ってしまったらどうやって運転するんだ?もしかしておまえは念力でハンドル操作ができるのか?
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2006年09月13日(水) |
ノートパソコンの王様 |
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日曜日、大阪・梅田にあるパソコンショップ、ソフマップに立ち寄ってノートパソコンを見ていたオレは、DELLのコーナーにやたら馬鹿でかいノートパソコンが置いてあることに気がついた。とにかくでかい。なんと液晶が20.1インチもある。オレが自宅で使ってるデスクトップの液晶は17インチだから、ノートのくせにそれよりもでかいのである。値段は36万5000円となっていた。どっひゃ〜である。安いノートが4台くらい買えてしまうじゃないか。
せっかくなので陳列されてるそいつを少し触れてみることにした。20.1インチの横幅があるということは、それだけキーボードもでかいということである。なんとノートパソコンの分際で独立したテンキー部分まで付いてるフルキーボードなのである。なんという横幅だ。ネットに接続できることがわかったのでさっそくヤフーJAPANにアクセスしてみて、そこからユーモア・お笑い部門の登録サイトであるオレの本サイト「教師EXAの秘密の部屋」を見てみた。この暴言日記も開いてみた。横長のワイド液晶で見るとかなり文字のバランスが悪い。これからはワイド画面で見る人が増えるだろうからちょっとレイアウトを考えないといけないなあと反省した。
そうしてついでにいろんなサイトを見ていると後ろから店員が寄ってきて「おうかがいしましょうか?」と話しかけてきたのであわててその場を離れた。こんな馬鹿でかいノートを買うわけがないだろう。
帰宅してからオレはその巨大ノートがいったいどんなスペックなのか、DELLのサイトで調べてみることにした。すぐにそいつがXPSTM−M2010という型番であることがわかった。選択できるCPUの中で最強のものを選ぶとCoreTM2 Duo プロセッサー T7600(4MB L2 キャッシュ、2.33GHz、667 MHz FSB)になっている。構成を選んでカスタマイズして見積もることができるので、買うつもりなど全くないのだが試してみた。
まずOSを選択するようになっていたので、TVチューナーが内蔵されてることを考えてWindows(R) XPは Media Center Edition にした。4年間出張無料サービスも希望してみた。プリンタはいらない。CPUはもちろん最強の CoreTM2 Duo 2.33GHzだ。メモリは最大4GBまで積めるということなのでもちろん4GBを選択した。多ければ多いほど操作が快適のような気がしたからだ。HDDは200GB (100GB x2台) SATA HDD RAID 0 (7200回転)にした。240GBも選べたが、そちらは5400回転だったのであえて200GBにしておいた。それにロジクールのG5のレーザーマウスやオフィス2003、フォトショップ、一太郎などにチェックを入れてみてその構成価格を見ると960781円となっていた。どっひゃ〜!ソフマップで見た36万どころの騒ぎではないのである。軽自動車よりも高いのである。なんということだ。
どうしてこんな値段になってしまったのだろう。いったい何が高かったのだろう。オレは自分がチェックを入れたオプションをもう一度眺めてみた。もしかしたらメモリのせいかも知れない。オレはメモリを4GBにしてるのを2GBに減らしてみた。するとたちまち価格は603781円に下がった。ということは、メモリ4GBと2GBの差額が357000円もあるということになる。メモリだけでパソコンが何台も買えるような金額なのだ。それにしても高い。
本当にメモリってこんなに高価なのだろうか。オレは気になってconeco.netでメモリの価格を調べてみた。するとDDR II SD-RAM(2GB×2)の価格は26〜36万である。それがDDR II SD-RAM(1GB×2)になると11万円程度になっていた。価格差は約15〜25万である。DELLで注文した場合の差額はそれよりも明らかにぼったくり価格になっている。本来の価格差は15万程度なのに、DELLで注文する場合の価格差はその2倍以上になってることから考えて、DELLが増設用のメモリの販売で不当な利益をあげていることは明らかである。それを安くするなら話は分かるが、逆に高くしてぼったくっていたのである。なんとも卑怯なやり方である。
オレは今度は一番安いベーシックパッケージというヤツを一番安い構成にしたらどうなるかを確かめた。オプションはとりあえずマウスだけは付けた。307855円になった。それでも十分高いし、そんなに高いのにCPUはシリーズ中一番ショボイCoreTM2 Duoプロセッサー T5600 (2MB L2キャッシュ、1.83GHz、667MHz FSB)でメモリは512MBしかない。はっきり言って使えないマシンである。それでも30万を超えてしまう。なんということだ。いったいこんなのを誰が買うのか。よほどものの値段の相場がわかってない馬鹿が買うのか。オレには到底理解できなかったのである。
そこそこ使えるノートパソコンは今は10万円以下でもかなりの選択肢がある。オレのサイトに設置した通販のためのページ、パソコンヲタクでもいちおう売っている。そんな中で金を惜しげもなく投じてこのDELLのお化けノートを買うのはどんな客だろうかとオレは改めて気になったのである。同じ性能でもかなり安いデスクトップを買えばいいのにと思うし、そもそもこんなでかいノートは机の上でもじゃまになるだけだろうと。オレが使うならやっぱりフェラーリのノートの方がいいぜと思ったのである。それにしてもデカいノートパソコンだぜ。こんなの重くて持ち運べないじゃないか。
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2006年09月12日(火) |
オシッコを我慢すれば勝てるんだ! |
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覚せい剤を話題にした日記一覧
覚せい剤を使っているかどうかは、オシッコを調べればわかる。ということは、オシッコを調べられない限りその証拠はつかめないと言うことであり、警察に留置されてるときにオシッコが「出ない!」と言って我慢し続けて釈放されれば逃げ切れるということになる。警察にしてみればそんな逃げ得は許されないし、それ以前に覚せい剤をやってるような頭のおかしいヤツは見ればわかるそうだから、見た感じで「やってる」と判定してもいいのだが、裁判に持ち込むためには物的証拠が必要なわけで、そのためにもオシッコは大変重要なのだ。
さて、覚せい剤取締法違反で服役中の男が、逮捕される前にオシッコ待ちで拘束されたことに対して「違法な捜査で精神的苦痛を受けた」と慰謝料100万円を求める訴訟の判決が札幌地裁で7月11日にあった。竹田光弘という馬鹿、いや裁判長はその男が当初は提出を拒否していたオシッコを提出させるまでに掛けた約3時間半の拘束が「社会通念上許容される任意捜査の限界を超える身柄留置で、違法」として、北海道に10万円の支払いを命じたのである。
こんな犯罪者に甘い裁判官がいるから覚せい剤は撲滅できないのである。こら竹田光弘、なんでおまえはそんなに覚せい剤を使ってる男に好意的なんだ。もしかしておまえもやってるのかと勘ぐりたくなるぜ。もしもこの馬鹿裁判官の主張通りに「3時間半の拘束は違法」ということで、この覚せい剤男を釈放していれば、一つの犯罪を見逃すだけではなく、またこの馬鹿はどこかで覚せい剤を入手するだろうし、もしかしたらその影響で無差別殺人などの事件を起こすかも知れないのだ。
オレの考えは極端だが、覚せい剤をやってるという時点で死刑にしてもいいと思ってる。昔、「覚せい剤やめますか?人間やめますか?」というCMがあったが、覚せい剤をやったヤツは即座に生きてることをやめさせるべきだとオレは思っている。江夏豊は偉大な投手だが、覚せい剤をやったというその汚点がある以上、オレは彼の記録は一切認めたくない。阪神ファンのオレは、覚せい剤を使ったということで江夏が輝かしいタイガースの歴史を汚したことが許せないのである。
覚せい剤を使う人間の権利など守らなくてもいいのである。こんな正義をわきまえない馬鹿裁判官がいるだけで、裁判の権威がどれほど失墜してるかわからないのだろうか。
判決によれば、この服役中の男性は2003年4月24日未明に札幌市内の知人宅で暴れ、(おそらくそのときの目つきがいかにもシャブ中特有のイッてしまってる様子だったのだろう。)覚せい剤取締法違反の疑いで札幌西署に任意同行された。(当然だ)ところが男性は任意の採尿を拒否して(バレたくないからなあ)取調室の床で寝るなどしたうえ、昼前に起きてそのまま帰ろうとしたが、署員が行く手を阻み、取調室にとどめた。(当たり前だ)この男が寝てる間に警察が請求した「強制採尿」の令状請求は却下されていたという。これではまるで捜査妨害である。
令状請求が却下されるとなると任意でオシッコを提出させるしかないわけで、任意ということは拒否されちゃうこともあるわけで、覚せい剤をやってる男としては当然拒否したいのである。警察がこの悪人を捕まえるためには、証拠のオシッコが出るまで拘留するしかない。このオシッコ待ちの我慢比べの状況を竹田光弘(こんな馬鹿は裁判長とは呼びたくない。呼び捨てでけっこうだ)は違法な捜査であると認定し、北海道に10万円の支払いを命じたのである。結局男は任意でのオシッコ提出に応じて、すぐに覚せい剤の反応が出て緊急逮捕された。
この男の刑事裁判の一審判決では「強制採尿の令状請求を却下した判断は不適切」という指摘と共に、男に実刑判決を言い渡したのである。今や覚せい剤はヤクザや芸能人だけではなく、主婦や学生にも広がってるという。北朝鮮の大きな輸出産業という側面も見逃せない。それを撲滅するにはどんな卑怯な手段を用いてもおとり捜査を用いてもOKだとオレは思ってる。手段が多少卑怯であっても、覚せい剤を撲滅するという大義名分の方が優先するからだ。どうせなら覚せい剤の撲滅と一緒にこんな馬鹿裁判官も一緒に撲滅して欲しいのだが。
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2006年09月11日(月) |
国民皆生命保険制を提案します! |
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サラ金はゼニを貸すときに、客を生命保険に入れる仕組みになっている。これは客が返済不能になったときに自殺でもすれば全額回収できるという残酷な仕組みである。このやり方が理不尽だと怒る方も多い。中には客を追い込んで自殺させて回収するというサラ金も絶対にありそうだからだ。しかし、死ぬことによってマイナスがチャラにしてもらえるのは、ある意味合理的だと言えなくもない。残された家族は少なくとも借金からは解放されるとも言える。
そんな「勝手に加入させられる生命保険」なんだが、いっそのこと国民すべてがこの生命保険に加入させられる仕組みにすればどうだろうか。だったらサラ金もさほど批判を浴びずに済むからである。この国民皆生命保険制度の利点はただ一つ「死んだら責任が取れる!」ということである。すべての人が生命保険に加入することによって、すべての国民が万一の時に死んで責任をとれるようにするというむちゃくちゃな仕組みが完成するのである。
ここでオレが疑問に思うのは、自殺でも保険金が払われるということは死刑でも払われるのかということだ。ここまで書くと賢明な読者の方はオレの言わんとすることがもうおわかりだろう。つまり、犯罪の被害者救済に、死刑になった外道の生命保険金を充てることができないかということなのだ。国民皆生命保険制にすれば、それが実現する可能性が生まれる。
凶悪犯罪者に巨額の賠償を命じる判決が下っても、刑務所にいる犯罪者には収入の術がない。だから殺人犯に対して損害賠償の民事訴訟を起こしても結果として一円もとれないのだ。ところがこの皆保険制を実施すれば、どんな凶悪犯も生命保険に加入しているわけだから、死刑にすればその生命保険金で賠償できるということになる。どうせならただ死刑にするだけではなく、臓器移植に必要なパーツをみんな取り出して十分に国民のお役に立てさせてから死刑にするのがいいのだが、「そんな臓器はもらいたくない」という反発も多そうなのでだったらこういう案はどうかと思ったのである。
自動車を所有するときは自賠責保険に加入するのは義務である。それがないと車検を通してくれない。(とオレは認識してるのだが・・・)それは自動車が走る凶器だからだ。だったら人間も同じである。すべての車が交通事故で加害者になる可能性を考えて自賠責保険に加入しているように、すべての人間が殺人犯になってしまう可能性を考えて生命保険に加入するというのはどうだ。すると「殺人は故意だが交通事故には不可抗力という場合もある」という反論が来そうである。しかし、そもそも殺人を犯す連中は四六時中人を殺したいと思っていたわけではない。故意に交通事故を起こす馬鹿が居るように、気がついたら人を殺してしまっていたなんていうありえない場合も考えておかないといけない。そんな突発事故に備えるための保険なのだ。
よく人殺しに対して「死んでお詫びをしろ!」と罵る正義感の強い方がいる。しかし、ただ死ぬだけではお詫びにも何にもならないわけで、お詫びといえばゼニ、そのゼニをもたらすものは保険しかないのである。正しくは「まず生命保険に入って、それから死んでお詫びしろ!」というべきなのだ。そういうわけでオレが考えたこの国民皆生命保険制度、生まれたときに生涯分をまとめて先払いするとしたらいったい掛け金をいくらに設定しないといけないのだろうか。実現にはまだまだ克服しないと行けないハードルが多そうである。
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2006年09月10日(日) |
ヘタレ試論(〜なぜこの世にヘタレは存在するのか) |
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この世の中には大勢の「ヘタレ」と呼ばれる人たちが居る。彼らは「勉強をしない」「仕事もしない」「やる気がない」「努力をしない」という多くの人間としての悪条件を兼ね備えた存在である。オレは基本的にこのヘタレと呼ばれる人種が苦手なのだが、この世には無駄なものなど一つもないというのがオレの持論なので、このヘタレについてもとりあえず考察してみたい。
予備校や中学、高校には大学受験という目標をもって必死で頑張る多数の生徒がいる一方で、寝てばかりで宿題もろくにやらず、携帯ゲーム機を持ち込んだりメールを打っていたりという生徒も存在する。社会人の中にも職場でろくに働かずにネットでエロ画像ばかり見ていたり勤務時間中にマンガを読んでるヤツもいる。そういうヘタレを撲滅することは必要だろうか。答えは否である。
オレは思うのだが、もしもこの世がちゃんとしたまじめで努力できる人間ばかりなら、逆に社会に混乱が生じるような気がするのである。格差というのはすぐれた人間と劣った人間の両者が存在することによってはじめて発生するのだ。ヘタレが居るからこそ、ちゃんと努力をした人間の価値が輝くのである。大勢のヘタレの存在によって、一部の選ばれた人間に富や名声が集まるのだと言える。もちろん犯罪に走るヘタレというのは困りものだが、そんなのは刑罰を厳しくして本当に撲滅してしまうしかない。
貧富の差というのは資本主義社会においては必要悪の一つであり、ヘタレたちが低収入の生活に喘ぎ、社会の下層を形成することでこの世は安定するのだということも言える。もしもヘタレたちが高額の生活保護費などを受け取って優雅な生活を送れるようにしてしまったらこの世の秩序は崩壊する。(実際、制度の盲点をついてそういう身分を手に入れた許せないヘタレたちもいるのだが、そんなのは詐欺罪で検挙して欲しい。) 努力をしなかったヘタレの方が、努力をして自分の資質を向上させてきた人たちよりも富を得るというのは間違った現象である。断じてそのような状況を発生させてはならないのだ。
分数の計算もできない馬鹿大学生がいることを嘆く必要はない。もしも自分に分数の計算ができる程度の智恵があるなら、自分がまともな大学生に見えてくるからである。馬鹿の存在があるからこそ、そうでない人は安心感を得られるのだ。新聞には毎日のようにさまざまな犯罪の記事が掲載される。それらを読む大多数の人は「世の中にはとんでもないヤツが居るぜ」と思うわけだ。飲酒運転をして死亡事故を起こす無法者を見れば「サイテーだな」と思うし、痴漢行為で捕まる警察官を見れば「こんな馬鹿は死んでくれ」と思うだろう。しかし、そう思えるのはあなたがサイテーでもないし馬鹿でもないという自覚があるからである。世間のそうしたヘタレどもは、大多数のまっとうな人たちに「あんな馬鹿にはなるな!」という指針として存在するのではないだろうか。
もちろんこの世にはさまざまな貧しさが存在し、ワーキングプアと呼ばれるようにいくら働いても貧困から抜け出せない人たちもいる。ただ、「ワーキングプア=ヘタレ」ではない。がんばって働く人はヘタレではないからだ。その状況を解決できるような政策は必要だ。そのカギは住宅政策にあるとオレは思っている。少子化によって大量の賃貸住宅の空き家が発生してるはずなのに家賃水準が下がらないのはなぜか。本当ならもっと暴落してもよい土地価格を高値安定させているのは誰のせいなのか。これらはすべて政治的な理由から仕組まれているだけなのだ。ワーキングプアという状況が改善されれば、同時にヘタレたちもかなり救われることになる。
ヘタレが無理せずにヘタレのままで生きていくことができれば、それも一つの安定社会の理想だとオレは思っている。つまり、世の中にチープな公営住宅や食い物屋を存在させ、能力を持たないヘタレたちが稼げる収入でもちゃんと食べていけるようにしてくれということなんだ。一人暮らしでも月収が20万円ないと生きていけないような社会を作ったのは誰だ。ワーキングプアを問題にする前に、5万円もあれば生活していけるような社会が実現すればそれでいいんじゃないか。
誤解を招きたくないので言っておくが、オレはヘタレを否定するのではない。ヘタレというのはもしかしたら究極のスローライフであり、人間本来の生き方に素直な存在なのかも知れないと思うのである。自分のやりたくないことを一切やりたくないと宣言できた幸福な人たちがいわゆる「ヘタレ」かも知れないのだ。一切を捨てた無我の境地に到達してヘタレになるという思い切った生き方が出来ず、中途半端に受験勉強し中途半端に働いた結果が今のオレなのかも知れない。そう考えればヘタレで居られることはある意味幸福なことである。オレはもしかしたら悩みやストレスとは無縁のヘタレたちがうらやましいのかも知れない。
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2006年09月09日(土) |
貧者たちの祭り(〜キムラタン悲話) |
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江草が運営する株式銘柄情報掲示板では、次に来る銘柄はどこかという予想をたてています。ぜひごらんになってください。
2006年2月、秋篠宮紀子さまご懐妊のニュースを知った投資家たちが考えたことはただ一つ「ご祝儀相場の到来」だった。「ベビー関連銘柄」として主なものは4250和光堂、7545西松屋チェーン、7645日本トイザらス、7935コンビ、7956ピジョン、8107キムラタン、8113ユニチャームなどである。これらの銘柄が一斉に動きだしたのである。
しかし、出産予定日まではまだ半年以上の時間があった。出産予定日のXデーに向けて、これらの銘柄は劇的な動きをすることが予想された。中でも多くの投資家の関心を集めたのは大証一部の代表的ボロ株、子供服メーカーのキムラタンだったのである。2月7日には高値58円をつけた。そこからいったん40円近くまで下げたが、4月3日には瞬間的に67円をつけたのである。40円で買ったものが67円になれば実に5割以上の上昇率である。しかもこの価格水準なら最低単位の1000株が小遣い程度で買えてしまうのだ。一株40円ならたったの4万円で1000株が買える。多くの零細個人投資家がこの株に群がったのも当然である。
しかし、夏になるとそのニュースも忘れられたのか再びこの株は低迷し、6月15日には31円、7月19日にはなんと29円をつけて安値を更新した。日経平均が大きく下げた時期でもあり、ボロ株代表のキムラタンも同様に下げていたのである。しかし、ご出産予定日が近づくにつれて、再び貧者たちの祭りが発生し、この株もジワジワと上昇してきたのである。8月22日の終値は42円、29円をつけてからわずか一ヶ月あまりで44%も上昇したのである。たった一ヶ月で44%も値上がりする株は滅多にない。一日の出来高もせいぜい100万株程度だったのがどんどん参加者が増えてきて、8月28日にはなんと2500万株、株価もこの日瞬間的に50円を超えたのである。
「100円まで上昇する」と強気で予想する人も出現したが、オレが気になったのは、時々落ちてくる「爆弾」と呼ばれる数十万株単位の売り注文だった。個人が小さな単位でせっせと買いあがったその努力をあざ笑うかのように、大口の売り注文が個人を蹴散らした。それでも株価は徐々に上昇していったのである。
出産予定日は9月6日と発表され、あと一週間の戦いということで出来高はさらに増加し、一日の値動きも激しくなった。参加してる誰もが「9月6日には絶対に暴騰する」と信じて、それよりも少しでも早く買えば間に合うと信じてすでに十分上昇していたこの株を強気で買ったのである。
さて、投資に勝つ人と負ける人の違いはどこにあるのだろうか。個人投資家というのは一般に損失と利益とどちらを優先するのだろうか。ヘタクソと達人の違いはまさにそこにあるのだ。ヘタクソトレーダーは、少しでも買った株が値上がりすると、その利益に耐えられなくなってすぐに売却して利益を確定してしまうのである。ところが値下がりしたときにすぐに売れば傷が浅くて済むのに、なかなかその勇気が出ないでズルズルと損失を拡大させてしまうのである。投資の達人というのは負けを小さくできる人である。勝つときはとことんどん欲に勝ちをむさぼるが、失敗だと思ったらすぐに撤退できる勇気があるのが投資の達人なのだ。30円台でキムラタンを買えた個人投資家の多くは、5円も値上がりすればすぐに手放し、さらに上がってからあわてて買い直すというふうに落ち着きのない投資スタイルの者が多かった。
そして運命の9月6日を翌日に控えた9月5日、突如キムラタンの株価は大きく下げたのである。あと一日を我慢できなかった個人投資家が利益確定の売りを入れたのか、あるいは大口の機関投資家が安全策をとって一日早く売ってきたのか、もしくはこの日大証金が発表した信用取引規制(キムラタンの信用取引に関わる証拠金率の引き上げ)が影響したのか、前日の終値56円から大きく下げて50円で引けたのである。9月6日を待てずに早々と値崩れしてしまったのだ。さて、もうここからは上がらないだろうとオレは思って、自分の運営している株式銘柄情報掲示板にも「終わりましたね」と9月5日の夜遅くに書き込んだ。
しかし、最後のチャンスに賭ける人たちも多かったのである。いわゆる「リバ厨」と呼ばれる人たちである。これは大きく下げた株の一瞬の反発を狙って、落下中の株を拾おうとする勇者たちに与えられた名誉ある称号である。多くのリバ厨が群がった9月6日、キムラタンの出来高はなんと7822万8000株もあったのである。しかし終値は無情にも前日比9円安の41円、上昇前の水準に戻ってしまったのだ。この日、リバウンドを期待して買った人たちはほぼ全滅したのである。後に残ったのは、一攫千金の夢を見て勝負を挑んだ多くの零細投資家たちが死屍累々と横たわる荒野だけであった。貧者たちの祭りはこうして幕を閉じた。キムラタンの株価が再び上昇するのは何年先だろうか。その祭りをずっと傍観していたオレの抱いた感想はただ一つ
「ボロ株だけは絶対に手出しするんじゃねえ!」
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2006年09月08日(金) |
神戸空港はやっぱりダメだったよ! |
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過去に神戸空港を話題にした日記一覧
「そんなことに使うゼニがあるのならもっと別のことに使ってくれ!」と30万人の署名を集めた住民の反対を無視して強引に建設された神戸空港だが、開港して半年、やっぱりだめだったことが明らかになった。8月末までの平均搭乗率が63.7%しかないのだ。このまま推移すれば開港後一年間の推定利用者数は260万、目標とした319万人の達成はまず不可能である。
計画を強引に推進した矢田市長が「達成可能」と強調してきた数字は、実はとうてい無理な数字だったのである。こんなことでは建設費の償還は不可能であり、借金で押しつぶされそうになっている神戸市に、さらに大きな金利負担がのしかかるのである。まあ、オレは神戸市民ではないただの野次馬だから、その借金の結果がどんな無惨なことになっても高みの見物をしてるだけである。オレの期待する自治体破産がみられるかも知れないのである。
今のところはっきりと「破産や!」と言えるのは北海道夕張市くらいで、まだ放漫財政の地方自治体の中には自分たちの危機を自覚している者は少ない。ここいらで人口100万を超える都市が一個破産してくれば、全国の地方自治体に警鐘を鳴らすことができるのである。神戸市民にはお気の毒だが、この際神戸市には人柱になってもらい、自治体破産による市民の苦しみを全国に報道することで、改めて地方自治のあり方を考え直してもらうことができるからだ。
消費税を値上げして、その値上げ分を地方の財源に充てるという案を主張する自民党総裁候補もいるようだが、入ってくるゼニが増えたらその分を無駄遣いしたがる痴呆、いや地方議員や功無員、いや公務員もいるわけでそんなことよりも大切なのは税金の無駄遣いをなくすことである。この神戸空港みたいに3500億かけてただの借金のかたまりを作るのをやめることである。神戸空港を採算ラインにのせるためにはどれだけの利用者があればいいのだろうか。そうした数字の検証と、それが可能なのかどうかというシミュレーション、それらが十分に吟味されていたとはオレにはとうてい思えないのである。
この神戸空港は市が管理運営しているわけで、いちおう神戸市営みたいなものである。現在は国内7路線1日28往復便が運航している。8月末までの貨物取扱量は約1万2000トン。こちらは開港1年間の取扱量を4万1300トンと想定していたのである。あまりにもサバを読み過ぎだ。半分もいかないじゃないか!いったいその過大な予想を建てた馬鹿はどこの誰なんだ。その馬鹿の勧めに乗って空港建設に邁進した市長や神戸市会議員どもの責任は限りなく重い。オレはこういう大型公共事業のたびに思うのだが、事業が失敗した時には計画に関わったすべての人たちの財産を没収して、事業の廃止とそれに伴う支出のために充てればいいのじゃないか。
失敗すれば自分が責任をとらされると思うならば、馬鹿地方議員どもだってもっと慎重になるだろう。本当にその事業がうまくいくのか必死で調査するだろう。変なものを作ってしまってその結果自分も連帯責任を背負わされるわけでそのうち政治家のなり手がなくなるぜ。失政の度に議員や首長に責任をとらせ損害賠償を請求できるようにすれば、政治家なんて最も悲しい職業になっちまうだろう。どうだ、名案だろう。まず生け贄の第一号は、矢田神戸市長である。この借金の責任をどうやってとるんだ。なんだ、何も考えていないのか?おまえはサイテーだなぁ。三宮の駅で通行人に向かって「神戸空港をどうか利用してください」と土下座して訴えてみろよ!
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2006年09月07日(木) |
愛子さまを女帝にする方法教えます |
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秋篠宮紀子妃殿下に男児誕生!
これで皇室典範を改正する必要もなくなったし、皇位を継ぐ男子が無事に産まれて一件落着めでたしめでたしというムードなんだが、男女同権とかいう主張で愛子さまを女帝にすることを主張していた連中はどういう反応を示すのだろうか。もうこれで愛子さまが女性天皇として即位することは100%なくなったとでも思ってるのだろうか。
そんなことはないのである。愛子さまを即位させ、しかも男系の天皇を維持する究極の方法が一つだけあるのだ。しかも現在発生している問題点も解消できる一石二鳥のすばらしいプランなのである。こんなことを考えつけるのはブログライターが大勢いる中でたぶんオレくらいのものだろう。日本の歴史に詳しいオレだからこそこんな裏技を思いつけるのである。
それは、愛子さまと今度ご誕生になられた親王殿下を結婚させるという方法である。年齢差が5歳くらいの姉さん女房ならいくらでもいる。どうだ!これなら愛子さまを即位させることもできるし、男系の天皇を維持することもできるのである。まさに究極のプランである。叔父と姪や、叔母と甥という組み合わせは民法上の規定で結婚できないことになってるが、いとこ同士ならOKなのである。皇室典範を変えてまで女帝を即位させたかった人たちも、Y染色体がどうたらとわけのわからない主張をして男系天皇を維持させたかった人たちも、この方法なら誰も文句を言わないのである。あとはその二人がお互いに好意を持つように、周囲がうまく策略を練るだけだ。簡単なことじゃないか。
皇室の中で結婚するということは、お互いが価値観を共有できるわけで逆にメリットであると言える。もしも愛子さまに自由に恋愛の相手を選ばせたとして、とんでもない遊び人やただのスケコマシ野郎に引っかかってしまったらどうするんだ。大学で出会う「ご学友」の中にどんなヤツが居るかはわからないのである。今の時代、学習院大学は受験勉強をすればよほどのアホでない限り入ることが出来る。オレのようなガラの悪い暴言野郎でも、京都大学ではなくて学習院大学を受験していたら入学できたかも知れないのだ。このままではかなり得体の知れないおかしな連中も「ご学友」として愛子さまに接する可能性が出てくるのである。危険極まりないのである。
そういう連中を一切近寄らせないためにも、変な虫がつかないように予防する意味でも、早い段階で結婚相手を決めておく必要がある。その相手として最もふさわしいのが今回秋篠宮紀子妃殿下からお産まれになった親王殿下なのである。家柄はとにかく申し分ないのである・・・と暴論を今日も書いてしまったが、考えたら生まれ落ちた瞬間に自分の人生がすでに決定されているというのは一つの悲劇かも知れない。自分の生き方を自分で決めることができない唯一の人間がここに存在するということだ。それはおそらく不幸なことだと思うのだ。
自分の結婚相手を自由に選べないということは人として生きる上で最大の悲劇であるとオレは思うのである。オレは貧乏人の子として生まれた。そのおかげでどんな職業に就くのもどんな相手と結婚するのも自由だった。今この暴言日記を書くこともオレに許された自由の一つである。日本という国家の象徴として、生まれた時から国家に奉仕することを義務づけられた皇族の方々に対して、オレは限りない感謝と畏敬の念を捧げたい。オレにはとてもそんな堅苦しい生き方は無理だからだ。
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2006年09月06日(水) |
オレはプレーオフに反対だ! |
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プレーオフを話題にした日記一覧
2007年度のプロ野球は交流戦が減らされ、さらに両リーグでPSG(ポストシーズンゲーム)が導入されるという。1〜3位までの3チームによって日本シリーズの出場権をかけて争うわけだが、その結果としてリーグ優勝ではないチームが日本シリーズに出てくることになる。パリーグは昨年も一昨年も2位のチームが日本シリーズに出てきたのである。
せっかくペナントレースで1位になっても、たった数試合で裏切られてすべてが無になってしまう理不尽な仕組みにオレは最初から反対だった。なんとその馬鹿馬鹿しい仕組みを来季からセリーグもやるらしい。なんということだ。オレは断じてそんなことを承服できない。中日が独走し、ほぼ優勝を手中にした今、阪神ファンの中には「プレーオフがあったらいいのに」などとほざいてる情けないヤツもいるという。なんて恥ずかしいんだ。優勝できなかったらあっさりあきらめて来季をがんばればいいだろう。どうして2位以下のチームに敗者復活のチャンスを与えるんだ。そんなことをするとリーグ優勝するということの価値が下がってしまうじゃないか。
もしも日本シリーズが両リーグの3位同士の対戦になったらどうするんだ。もしもそんなことになれば、ペナントレース1位同士のオープン戦を同じ頃に別に開催して、そちらは真・日本シリーズと銘打ったらどうだ。絶対に観客動員では勝つぞ。
昔パリーグが前期後期制になっていて、それぞれの優勝チームでプレーオフをやったとき、前期優勝した野村監督率いる南海ホークスは、後期に阪急ブレーブスに13連敗したのである。エースの西岡は一度も登板せず、どう観てもわざと負けてるとしか思えなかった。ところがプレーオフでは南海が勝って日本シリーズに出たのである。ひどい話である。前期後期を通算すればダントツで阪急が1位だったが、それでも阪急は日本シリーズには出られなかったのである。
オレは子供心に「これでは阪急がかわいそうすぎる」と思っていた。こんな制度を導入すれば「プレーオフに出場する資格さえ取れれば、後は試合に手抜きする」ことが常態化してしまい、卑怯な行為が平気になってしまうような気がする。ただでさえ野球の世界には「記録のためにする八百長プレー」が多いのである。王貞治のホームラン記録を抜かせないようにするためにわざと敬遠の四球を与えたりするのはその最たるものだ。
もっともこのPSGを強く推進する人たちの中には、「3位までにチャンスが与えられるので消化試合が減る」というメリットを主張する方もいる。ほとんどすべての試合が、3位までに入れるかどうかということに関わるからだという。本当にそうだろうか。オレは逆に「絶対にリーグ優勝しなければならない」という呪縛からの解放は、ペナントレースすべての試合の重みを消化試合並に軽くしてしまうような気がしてならないのだ。
オレのような真のプロ野球ファンの夢を奪い、野球そのものをつまらなくするこの制度、来季からの導入が正式決定だという。もう食い止めることはできないのである。交流戦のために観客動員が減ったことで危機感を抱いたセリーグのチームが、その分の収入を取り戻すためにこのPSGを活用するのだという。プロ野球をダメにするこの新しい仕組みに、我こそは真のプロ野球ファンと自認する者達は立ち上がって反対しようじゃないか!
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2006年09月05日(火) |
精子だけでは父親にはなれないそうです |
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この裁判に関しては、地裁判決の時も取り上げています。その日の日記「精子の叫びに耳を貸せ」も併せてお読みください。
死んでゆく男性が「自分の精子を凍結保存して子孫を残したい」と考えることがある。今の生殖医療の技術ではそれは十分に可能となっている。ちゃんとDNA鑑定すれば親子関係の有無もはっきりとわかる。だから残された妻が、保存していた夫の精子から産まれた子どもを「これは亡き夫の子です」と主張するのは当たり前だし、そこに親子関係があるのは厳然たる事実である。ところが誰もが認めるこの事実を認めない人たちがわずかに存在する。それは裁判官という日本一馬鹿な人たちである。
ほとんどの裁判官には常識がない。どんな本を読み、どんなテレビを観て、どんな人と友達になればそこまで馬鹿になれるのかというトンデモ世界に暮らしているのが裁判官である。だから飲酒運転で子供を虐殺する外道に対しても「業務上過失致死で懲役4年!」という判決を平気で下せたのである。どう考えても更正の余地のない婦女暴行殺人鬼に対しても「殺したのはたった二人だし、まだ19歳だから」と死刑判決を下さなかったのである。「裁判官として法的なものの考え方ができるようになる=馬鹿になる」ということなのだ。ここでオレが主張する馬鹿というのは、人間としてのまっとうな常識が欠落した無神経なヤツのことである。
父親の死後に凍結した保存精子を使った体外受精で生まれた男児が、民法上の父子関係の確認(認知)を国に求めた訴訟の上告審で、最高裁第2小法廷(中川了滋裁判長)は9月4日、父子関係を認めた2審判決を破棄し、請求を棄却した。判決理由は「立法がない以上、法的父子関係は認められない」との判断だった。
オレは大笑いした。こいつらは正真正銘の馬鹿だ。つまり、これからとんでもない事件を起こしたヤツが居て、そいつの行為が常識にあてはめてどう考えても有罪であったとしても、それを罰する法律がないという理由で無罪になるということなのだ。法律に規定されていないことならどんな悪事でもやってもいいということなのだ。これが裁判官的な思考法なのだ。目の前の事実を観ようともせず「法律にない」で逃げる。おまえらなんのためにそこにいるんだ。血の通った人間ならば、そこできちっと自分で判断して、判例という形での見解を示して、社会正義を実現するのがそれが裁判官の役目じゃないのか。おまえらいったい何のために裁判官をしてるんだ。最高裁まで行っても所詮その程度なのか。何が「法律にないから」だ。おまえらは司法修習生じゃないんだろう。少なくとも日本に一つしかない最高裁判所にいるということは、日本の裁判官のピラミッドの頂点にいるんじゃないか。それがなんというざまだ。
民法などの規定によると、父母が死亡している場合でも、死後3年以内なら国に認知を求めることが出来る。だが、死後生殖で生まれた子供の認知の可否については規定がなく、死後生殖を禁じる法律もない。これは法律が出来たときに精子を凍結保存するような技術がなく、死後数年経ってから子供が生まれるなんてことが想定されていなかったからである。ただ、自分の精子を凍結して保存したという時点で、それが使用されて子どもが産まれるということに同意してるわけであり、少なくとも「認知」の部分は満たしているとオレは考える。だから高松高裁は2004年7月に「認知には血縁的親子関係と父の生前同意が必要」との基準を示し、この2つの要件を満たしているとして、一度は請求を認め、父子関係を認定したのである。高松高裁お見事!である。
ところが最高裁第2小法廷は「父は死後に親権者になり得ず、男児は監護、養育、扶養を父から受けることはなく、相続人にもなり得ない」と判断して「親子関係を認めるかどうかは新たな立法によって解決されるべき問題」と指摘し、現行法では父子関係は認められないと結論付けたのだ。この判決は4人の裁判官全員が一致だったという。
親権者になるどころか監護、養育、扶養の義務を放棄して逃げ回る男どもでも戸籍上の父親にはなってるぞ。そんなことが理由になるのか。戸籍上の父親になるには血縁関係が認められればそれで十分じゃないか。この男児の非嫡出子としての出生届はすでに受理されていて、男児は亡父の戸籍に入っているが、父親欄は空欄になっている。昔で言えば「私生児」という扱いである。そして最高裁で敗訴したということで、この欄は永遠に空欄となることが今回確定したのである。せっかくわが子をこの世に遺すことができたのに、父親はこの裁判所に仕打ちに対してあの世で悲しんでいることだろう。
←この最高裁判決は間違いだと思う方はぜひ投票をお願いします。
ご協力ありがとうございました。私が8月30日の日記で何もせずに2000円もらえる方法を紹介したことで今日までに25名の方が私のリンクを通じて楽天カードに入会し、楽天に実に2000×25=50000円分の損害を与えることに成功しました。みなさまの協力に感謝致します。
アサヒコムで次のニュースを読んだ。
ワゴン車がスタンドに突っ込み出火 1人死亡1人重傷 2006年09月03日21時13分
3日午後2時20分ごろ、和歌山県岩出市中迫の国道24号沿いの「山本石油岩出バイパスサービスステーション」の敷地内にワゴン車が突っ込み、バイクの給油待ちをしていた同市根来、左官業里宗次郎さん(64)をはねた。ワゴン車はさらに店の給油機をなぎ倒し、敷地を約30メートル横切って、店が置いていた軽トラックに衝突して止まった。里さんは頭を強く打ち約6時間後に死亡した。また、倒された給油機付近から一時出火した。給油機は近くで作業中の同市内のアルバイトの女性店員(18)に当たり、女性店員も右足骨折とやけどの重傷。岩出署は、ワゴン車を運転していた同市金屋、警備員中辻章智容疑者(62)を業務上過失傷害の疑いで現行犯逮捕した。中辻容疑者から呼気1リットル中0.25ミリグラム以上のアルコール分が検出され、同署は飲酒運転の疑いでも調べている。中辻容疑者は調べに対し、ほとんど話をしていないという。
また飲酒運転か・・・とあきれたのだが、大分県でも県職員の43歳のオバハンが飲酒運転で当て逃げの事故を起こしている。先日の福岡での幼児3人死亡の悲劇が全く教訓として活かされてないことにオレはあきれてしまう。ただ、和歌山のこの事件、ガソリンスタンドに突っ込んで給油機をなぎ倒し、出火したということを知ってオレは唖然としたのである。一つ間違えば大惨事になりかねない。いや、少なくともガソリンスタンドの客を殺して従業員に重傷を負わせた時点で十分に重大事故である。これは事故ではなく、飲酒運転という方法で巧妙にカモフラージュした無差別テロであったとも言える。容疑者が現時点で何も語っていない点から考えてもテロの可能性は捨てきれない。
かつて「キ○ガイに刃物」ということわざがあって、危険極まりないことのたとえだった。ところが言葉狩りで「キチ○イ」という語が使えなくなってしまい、この由緒あることわざが使えなくなってしまった。言葉狩りによって死語になったことわざは他にもたくさんあるが、この「キチガ○に刃物」だけは適切な言い替えの語句がなく、それだけにオレは不自由を感じていたのである。しかし、上記引用文みたいな事故を知ると、もうかわりのことわざはこれしかないと思うようになった。すなわち「飲酒にクルマ」である。
いんしゅにくるま 【飲酒に車】 周囲にたいへんな危険や被害をもたらす状況のこと。「あんな馬鹿を総理大臣にするなんて、まるで―――だよ。」2006年8月に福岡県で発生した飲酒運転の暴走車によって幼児三人の命が奪われた事件を契機に、言葉狩りによって使われなくなった「気違いに刃物」に代わって定着したことわざ。
というふうに辞書に掲載してくれればいいのである。ことわざにすることによってこの行為の危険さが広く国民に定着し、小学校低学年の頃からそれがいかに危険な行為であるかという認識を深めることができるからだ。警察は一時的に飲酒運転の取り締まりを強化してるそうだが、時間が経てばすぐにふだんの状況に戻るのだろう。そしてまた飲酒運転のドライバーによる悲劇が発生する。
どうやって事故に巻き込まれるのを防げばよいのか。まず飲酒運転の事故のほとんどが、深夜から早朝にかけて発生していることを考えて、その時間帯にはクルマに乗らないという方法がある。日本ではまだ朝から酒を飲むという習慣はない。以前にドイツを旅行したとき、夜行列車から早朝に降り立った駅のカフェテリアで、客のほとんどがジョッキでビールを傾けていた光景にオレは度肝を抜かれたことがある。その中でオレはコーヒーを飲んでいたのだが、みんながビールを飲んでる中でコーヒーはオレたちだけだったのである。
まだ日本では朝から飲酒する習慣はない。飲むのは夕方から夜にかけての時間帯が基本であるから、日中に運転しておれば飲酒運転のドライバーに遭遇する可能性は低いと言える。それ以外の対策としては、「対向車に突っ込まれないように必ず中央分離帯のある道だけを走る」「自分の身を守るために前と後に友人のクルマを走らせる」「ぶつかられても被害が少ないようにハマーなどのものすごく頑丈なクルマに乗る」などが考えられる。しかしこれらの対策は完全ではない。最初に書いた事故は昼間に発生している。もしも自分がそのガソリンスタンドに給油に来たときに飲酒して暴走するクルマに突っ込まれればもうオシマイである。そうなるとやはり前の日記でオレが書いたように「ドライバーが飲酒しているとエンジンがかからないクルマ」を自動車メーカーから出してもらうしかないのだ。ただ、この「アルコールを検知する」クルマの最大の問題点は、車内で酒をこぼした時にクルマが使用不能になるということである。開いた窓からビールをぶっかけられればもう動かせない。何か名案はないだろうか・・・
こういうバカにふさわしい罰死刑に出来ないのならせめてこれくらいのオプションはつけろ!
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2006年09月03日(日) |
日本一金儲けのへたくそなスーパー |
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8月29日(火)、オレは甲子園球場に足を運んだ。その日に開催された阪神−中日戦を息子と観るためである。たまたま一人6500円でオレの住む街からバスで送迎してくれるという入場券+弁当付きのツアーがあって、それを使って阪神ファンの息子にナマで試合を見せたいと思ったからである。試合は9−2で阪神が快勝した。中日の先発は阪神に対して今季負け無しの中田、一方阪神はいつも期待を裏切る井川。この組み合わせを知った瞬間に敗北を覚悟していただけに、勝利は嬉しかった。
8回に突然降り出した集中豪雨のために全身濡れ鼠になって財布の中のお札までベチョベチョになったくらいだが、それもまあいい夏の思い出だ。同じツアーのバスに乗っていた松原市在住の高校球児がバスの中でタバコを吸ってる馬鹿だったことは気分悪かったが。
当日オレが一番驚いたことは、バスでその横を通過した甲子園球場の近くにある商業施設、ららぽーと甲子園のことである。3000台くらいは置けそうな広大な駐車場にほとんどクルマの影が見えずに閑散としていたのだ。イトーヨーカドーを併設するこのショッピングモールは、阪神パークの跡地に作られたのだが、その広大な敷地の大部分を駐車場が占めているのだ。その広大な駐車場が、野球開催の日であるにも関わらず閑散としていたのである。オレはその状況に唖然とした。なんて馬鹿な経営者なのだ。
もしも一台1500円で野球観戦者に車を置かせれば、3000台の駐車があったとして450万円のゼニが勝手に入ってくるのである。しかも野球を観る人はお茶や軽食類を先に買ってから球場に足を運ぶはずだ。ということは店の売り上げ向上にもつながるのである。なぜこの広大な駐車場にクルマを駐めないのだろうか。広い駐車場がただの空き地になってるのか。どう考えても不思議である。
オレはその謎を解明するためにさっそく「ららぽーと甲子園」のWEBサイトを見に行った。駐車料金を確認してオレは仰天したのである。なんと、野球開催日は特別料金となっていて、3時間を超えれば6000円の料金が課せられるとなっていたのだ。なんということだ。これなら野球を見る人は絶対にここにはクルマを置かないだろう。あまりにも法外な値段である。一昔前の駐車違反の反則金以上の額である。通常時の駐車料金は1時間以内は無料で、以後は30分ごとに200円。お買い上げ金額の合計が2000円以上なら2時間まで無料。5000円以上なら3時間無料となっていた。この計算方法だと何も買い物をせずに4時間クルマを駐めた場合、駐車料金は1200円ということになる。野球観戦のためにクルマを駐めれば最低でもこれくらいの時間は置くことになるだろう。
ところが「野球観戦の目的の駐車はお断りさせて頂きます」とはっきり明示され、本来の1200円ではなく懲罰的な6000円という料金をぼったくるのである。その6000円を回避するためには3時間以内でクルマのところに戻らないといけないわけで、途中で観戦をあきらめるか、途中から観るかのどちらかにしないといけないのだ。あまりにも野球ファンをないがしろにした料金設定である。しかもこの仕組みは買い物客をも馬鹿にしている。買い物をしていて3時間を超えた場合も野球開催日なら自動的に6000円の懲罰的駐車料金が発生してしまうのだ。もしも大量の買い物で3時間を超えた客が、たまたま野球開催日だったということで6000円を請求されれば怒り狂うだろう。オレはそうしたトラブルの発生を心配してしまうのである。
ただ、阪神電鉄側としては、このショッピングモール側が馬鹿であることのおかげで野球観戦者のほとんどが阪神電鉄を利用してくれて助かるのである。もしもまともに金儲けのことを考えている経営者なら、野球観戦の5万人の客のうちどれだけを店の客として取り込めるかというふうに考えるはずだ。広大な駐車場を遊ばせているららぽーと甲子園と、野球終了が遅くなったときは0時を過ぎていても臨時列車を走らせる阪神電鉄、どちらが金儲けに関して前向きかは比較しなくても明らかだろう。
オレは子供の頃に阪神パークに行ったことがある。かなり園内は広かったと子供心に覚えている。その敷地を利用して広大な駐車場を併設することができたのに、その武器をちっとも活かせない馬鹿が経営してるららぽーと甲子園。客に飽きられて閑古鳥が鳴くようになればやっと気がつくのだろうか。どんな店も客が来てナンボなのである。どんな動機の客であろうと、泥棒でない限りどんどん呼び込めばそれがビジネスチャンスにつながるのだ。梅田のヨドバシカメラの駐車場がいつもクルマで埋まってるのは、お買物さえすればそこが梅田地区でもっとも安い駐車場になるからである。大阪駅の隣という絶好の立地でありながら、電車で来る客以外のこともちゃんと考えていたヨドバシの戦略は大成功したわけである。オレはソフマップの味方なのでヨドバシは嫌いなんだがなあ。
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2006年09月02日(土) |
ハローキティのパソコンなんか買うな! |
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職場で使うノートパソコンが、会社から支給されたものならそれがどんなに気にくわないものであっても我慢して使うしかない。いくらおっさんくさいDELLやHPのただ安いだけのノートパソコンであろうと他の選択肢はない。せいぜい自分の好きなマウスに付け替えて楽しむくらいしかできない。
ところが自分の私物のノートパソコンを職場に持ち込めるのなら、かなり大胆な選択が可能である。そこで例えばキティちゃんのノートパソコンなんてものを選ぶとしたらどうだろうか。いい年をしたオッサンが、サンリオから9月1日に発売されたB5サイズのノートPC「ハローキティエプソンノートパソコン」(←クリックすれば写真が見られます)を買って職場に持ってきたらどうだろう。「まあ課長、すてきなご趣味ですね!」と女性の同僚からうらやましがられることはないだろう。気色悪がられるだけである。いったい誰がこのハローキティのノートパソコンを買うのかとオレは不思議に思うのである。
価格は18万9000円でインターネット通販サイト「サンリオ・オンライン・ショップ」と携帯通販サイト「サンリオモバイルショップ」のみで販売されているのだが、スペックなどを調べてみるとあまりの低レベルさに驚いた。18万9000円もするのである。もっとまともなものを出さないと笑われるのである。CPUはインテルの「Celeron M」超低電圧版423(1.06GHz)で、メモリが512MB、HDDは40GB。ディスプレイは12.1型TFTカラー液晶。CD-R/RWとDVD-ROMのスリムコンボドライブ、100Base-TX/10Base-T対応ネットワーク機能を搭載するが無線LANは載っていない。サイズは幅28.1×奥行き23.7×高さ3.5センチで重さは約1.27kg。バッテリー駆動時間は約5時間。別売りでハローキティのパソコンバッグも2940円で販売するとなっているがそんなことはどうでもいい。今時DVDの書き込みも出来ない上にHDDもたった40GBしかないし、しかもかなり非力なCPUが搭載されている。この貧弱なスペックのパソコンにどうして18万9000円もぼったくるのか。
このキティちゃんパソコンのベースとなってるのはEndeavor NA101 White EditionということなのでさっそくCONEKOネットでそいつを価格調査してみた。すると最安値11万8000円(これは特別な例だからあまり意識する必要はないが)、エプソンダイレクトでの通販価格が14万8000円となっていた。なんと4万1000円もの価格差が存在するのである。キティちゃんの壁紙や本体外装だけでそんなにぼったくるのか。あまりにもそれはひどすぎるのである。製品価格のうちの21%がそのライセンス料に占められるのだろうか。ひどいぜサンリオ!
18万9000円も出せばバッテリで12時間駆動のレッツノートW5さえも買えてしまうのである。デザインがかわいいからとうっかりこのハローキティノートを買えば、使えない性能でしかも高かったという二重苦をいきなり背負うのだ。そんな悲劇からオレはパソコンユーザーを救いたいのである。「かわいいから使わずに部屋に飾っておくの!」という馬鹿が買うのならいいが、それで何かをしようと思ってる人に購入させるのはかわいそうである。
さて、ではオッサンが職場でカッコよく使うのはどんなノートパソコンがいいのか。少し前の製品だが、日本エイサー株式会社から発売されていたフェラーリF1をイメージした※ノートPC「Ferrari F3400」(←クリックすれば写真が見られます)なんかはどうだ。こないだヨドバシで17万ほどで売っていたぞ。付属のマウスもフェラーリレッドで、エンブレムが入った専用のマウスとなる。CPUはAMDのモバイルAthlon 64 3000+、チップセットはVIA ProSavage K8T800、ビデオチップはATI MOBILITY RADEON 9700(128MB)、512MBメモリ、80GB HDD、最大4倍速DVDスーパーマルチドライブを搭載するとなっていた。ディスプレイは15型1,400×1,050ドット(SXGA+)TFT液晶。本体サイズは330×272×31mm、重量は約3kg。机の上にさりげなく置いておくだけでオシャレじゃないか。オレなら迷わずこちらを選ぶぜ。
どんなクルマに乗るかが一つの自己主張であるように、どんなノートパソコンを使うかも自分をアピールすることにつながるんだぜ。仕事の出来る男はどんなに間違ってもハローキティエプソンノートパソコンなんか買ってはいけないんだ。たぶんそんなおかしな野郎はどこにもいないと思うが。
※現行モデルはACER Ferrariベーシックモデル 15.4"ワイド画面ノートPC Ferrari4000 ブラック FR4002WLMIになっています。
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2006年09月01日(金) |
亀田興毅、今度の八百長はうまくやれよ! |
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前回に亀田興毅を話題にした日記「ローソンで八百長弁当を見た!」もよろしく。
八百長といえば亀田興毅、亀田興毅と言えば八百長と日本中で有名になったあの大阪の恥、亀田興毅がなんと10月18日に因縁の対戦相手であるファン・ランダエタ(ベネズエラ)との初防衛戦を有明コロシアムで行うと正式に発表したのである。前回の八百長試合を上回る高視聴率になることは間違いない。ボクシングにはさして興味がないオレも、この八百長だけは興味があるのである。きっと空前の視聴率になることは間違いない。そういう意味では前回の八百長タイトルマッチはある意味成功だったと言えるかも知れない。
さて、今回も亀田興毅は強気である。ローソンでは亀田弁当が不人気で撤去されてるそうだが、巻き返しは果たして可能なのだろうか。前回の八百長がうまくいかなかったのは、ランダエタからみて亀田興毅があまりにも弱すぎたからだと思っている。これはあくまでオレの勝手な憶測だが、「最後まで戦って判定で負ける」という条件で八百長を組んだのに、いきなり1ラウンドで亀田がダウンしたので、ランダエタはその弱さに仰天しながらなんとかKOしてしまわないように必死で八百長試合を演じたのではないだろうか。今回は亀田の弱さが分かってるのできっと前回よりもうまくやるはずである。そして今回の八百長内容はおそらく「ランダエタが亀田にKO負けする」になっていそうな気がする。あくまでこれもオレの憶測なんだが、「どうだ、KOしただろう!」とアピールしないと前回の疑惑は晴れないからである。ランダエタの方も、前回の八百長の謝礼以上の金額を再度もらえるわけで、こんなオイシイ話はないのである。そんなストーリーを疑い深いオレは想像するのである。
試合に関してこれまで沈黙を守ってきた亀田興毅は、「とりあえずアイツだけは許せん。アイツごときにああいう試合をしたことに納得していない。とりあえず次はつぶすよ」と豪快にKOを宣言した。おそらくこの言葉の中には、「八百長の約束を破った卑怯者」に対する怒りが含まれてると思われる。その怒りを今度の試合にぶつけるというのである。前回亀田興毅が弱かった理由として「減量苦」があげられたが、「一回やったから分かっている。今回は違う調整でやるしな。この前は最悪だったし、あれ以下はない。減量がうまくいったらあいつ死ぬな。ベネズエラまで吹っ飛ぶよ」とコメントしたという。
相手をベネズエラまで吹っ飛ばすとはすごいパンチである。どおくまんのあの名作マンガ、「熱笑!!花沢高校」には獣田という強者が登場し、相手を50m吹っ飛ばす「50mパンチ」という必殺技を持っているが、ベネズエラまで吹っ飛ばすということはその比じゃないのである。
しかも亀田興毅は「オレはオレのボクシングをやるだけ。寝てても勝てるよあんなヤツ」と語っている。前回も「ダウンしても勝てた」わけだからあながち外れて居るとも言えないが、「寝てても勝てる」というのはやっぱりすごい。睡眠学習法というのは聞いたことがあるが、睡眠必勝法というのはオレもはじめて聞くのである。そんなすごい技があるのなら前回どうして「疑惑の勝利」だったのかと突っ込みたくなるのである。
亀田興毅は多くの金の亡者たちにとって期待の星である。テレビ局は言うに及ばず、さまざまな亀田グッズで一儲けしようとしてる連中や、興行権を持つヤクザ、チケットを扱うダフ屋など多くの悪人たちのゼニのためにも勝たないといけないのである。他の泡沫チャンピオンとは背負ってるものが違うのである。ここまで宣伝に投下した金額を思えば、その何十倍もこれから回収しないといけないのである。ここで終わってしまえば投資の元が取れない。だから今回の八百長はなんとしても成功させないといけないのである。
とまあ暴言を書きまくったが、今度の試合はオレも実は期待している。亀田興毅にとっては前回の疑惑を晴らす最高の舞台が用意されたわけだ。もしも彼が真のチャンピオンであるという見事な戦いを繰り広げれば、勝ち負けに関わらずオレはこの日記でその健闘をたたえたいと思っているのだ。だからいちおうオレも期待してるのである。10月18日が楽しみだぜ!
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