2006年07月31日(月) |
すべてのパトカーは武装せよ |
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独身の男女が夏休みに帰省していると「いつになったら結婚するんだ!」と親からネチネチ言われるなんてことがあるかも知れません。そんなこと大きなお世話なんですが、ひまつぶしに「結婚チャンステスト」なんてお試しになってもいいかも知れませんね。一度ごらんになってください。
目の前に暴走車がいても止められないパトカーになど意味はない。頑丈なバンパーを前後に装備して体当たりで暴走車を止められるようにするべきだ。頑丈にした分だけ重くなった重量をものともしないで走らせるためにエンジンもいじって出力UPしろ。それでも逃げるクルマを逃がさないように武器を装備して、機銃なんかを装備して助手席から簡単に操作して逃走車を破壊できるようにしてくれ。
破壊ついでにドライバーが死んでもかまわない。死刑にする手間が省けるからだ。危険運転致死罪でも最高刑はたかだか20年で死刑にはならない。危険な運転で何十人殺しても殺人罪が適用されることはない。そんな理不尽な法律に委ねるのではなく、その場で警察官が正義の鉄槌を浴びせることが悪を撲滅させる唯一の方法だ。
暴走車をどんどん破壊して乗員もろとも吹っ飛ばすパトカーが出現すれば、暴走族はたちまち壊滅するだろう。土曜の夜になるとオレの住んでる所の近くにも暴走族がたくさん出現して道路を占拠して我が物顔に走り回って、他の車に迷惑をかけている。あんなのはいちいち丁寧に取り締まらなくていい。みんな射殺、死体はそのまま放置してネズミにでも喰わせてやれ。社会のゴミを一掃できてその分治安がよくなるだろう。どうせ生かしていてもろくなことをしない連中だ。
7月30日午前2時5分ごろ、静岡県浜松市で、飲酒検問を突破してパトカーに追われていた磐田市のコンビニ店員清水雅敏容疑者(35歳)の暴走させている乗用車が、信号無視で交差点に入って浜松市の会社員越川優さん(32歳)の乗用車と衝突した。助手席にいた越川さんの妻の亜沙美さん(25歳)が全身を強く打って間もなく死亡、越川さんと後部座席の男性(39歳)が胸の骨を折るなどの重傷を負ったのである。この事故の原因を作った清水容疑者は胸に軽いけがで済んでるという。こんな理不尽なことがあるだろうか。警察に追われた暴走車のせいで、罪もない市民が殺されたのである。
清水容疑者は道交法違反(酒気帯び運転)の現行犯で逮捕されたが、取り調べに対して「酒を飲んでいたので逃げた」と供述しているという。この事故が起きた際、パトカーは清水容疑者の車のなんと200メートルも後ろで、のんびりと赤色灯をつけサイレンを鳴らして追跡していたのである。そんな悠長なことをしていたからこんな悲劇が起きたのだ。なぜ体当たりでもしてこの暴走車を食い止めないのだ。パトカーをぶち当てて自分たちが犠牲になってでも市民を守るのが警察官のつとめではないのか。
浜松中央署の山路忠親副署長は「追跡は適正な職務執行と考えている」と語っているという。アホか。そんな役に立たない追跡は断じて「適正な職務執行」などではない。「事故を起こす前にこの暴走馬鹿をぶっ殺せなかったことを遺憾に思います」くらいのコメントをなぜ出せないんだ。
飲酒運転で暴走する馬鹿に対して、善良な一般市民は全く無力である。せいぜいパジェロやランドクルーザーのように頑丈なクルマに乗ってぶち当てられた時の衝撃を緩和する程度のことしかできない。耐衝撃性に劣る軽自動車に乗っていて暴走車にぶち当てられた時は悲惨である。ほとんどぺちゃんこにされたクルマの中で無惨にも乗員が押しつぶされた事故の写真を目にする度にそう思う。そのような悲劇を未然に防ぐためにも、すべてのクルマには飲酒運転検知装置を取り付けて、呼気にアルコールを検出すればエンジンがかからないようにするくらいの対策は立てて欲しい。
仙台育英高校のウォークラリーの列に突っ込んだ馬鹿も飲酒運転だったが、多くの人を犠牲にした悲劇的な事故は飲酒運転が原因で起きているものが多い。いますぐにすべての国産車にアルコール検知装置の標準装備を義務づければ、どれだけ多くの人命を救うことができるだろうか。
飲酒検問を突破されたとき、なぜその場にいた警察官は後ろからそのクルマを撃たなかったのか。相手は逃げようとしているのである。悠長にパトカーで追いかけてるヒマなどないだろう。飲酒検問時は後ろに拳銃を構えた警官を待機させて、「逃げたら撃つぞ」と威嚇するくらいの準備は必要だろう。飲酒運転など絶対にしないオレは、そうやって規制強化することを全面的に支持する。道路は常にオレのような善良なドライバーのためにあるのだ。
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2006年07月30日(日) |
大阪府警、オレに一言言わせろ! |
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通販マウス専門店「マウスヲタク」の商品をいくつか追加しました。ひまつぶしにごらんになってください。
どうでもいいことをまるでマスターベーションのごとく取り締まり、取り締まらなければならない緊急のことを放置する、それが警察の日常である。昨日もオレはそんな体験をしたのである。そんな連中がオレの払った税金で雇われているのかと思えばつくづく頭に来るのである。
オレは土曜日の朝、地下鉄御堂筋線の上を走る「あびこ筋」を北上していた。平日の朝は通勤ラッシュでこの道路はかなり混雑する。その混雑を避けるためにオレは朝早く家を出ることを常としている。しかし、土曜日は通勤ラッシュと言えるほどの混み方をしないのでオレはゆっくり家を出たのだった。交通はスムーズに流れていたので順調に大和川を越え、あびこ、長居を過ぎて西田辺に差し掛かったとき、その渋滞は始まった。そこからあべの区役所前まで普通なら5分で通過できるのになぜか25分もかかってしまったのである。
朝の20分は昼間の1時間に相当するくらいに貴重だ。なぜこんな渋滞が発生するのか。オレは前日のことを思い出した。金曜日もオレは同様の渋滞に出くわして大幅に職場への到着時刻が遅れてしまった。朝のラッシュにぶつからないように時間を遅らせて移動したのだが、やはり西田辺駅付近から渋滞が発生していたのだ。やっとのことで渋滞を抜けた瞬間、オレはその迷惑な渋滞の発生原因が2車線のうちの片方を完全にふさいで駐車してある大型トラックのせいであったことを知った。確か前日の金曜日もその位置に迷惑駐車が3台もあったのだが、クルマの特徴までは覚えていなかった。
土曜日に駐まっていたのは市川運送株式会社(腹が立ったのであえて名前を出す。もしも該当する社の方がごらんになったのなら、大勢のドライバーに迷惑を掛けたことを猛省して欲しい。同じことを繰り返すならばオレは警察に通報して直ちに検挙してもらうだけである。渋滞にまきこまれた大勢のドライバーの失った時間的損失を金銭に換算すれば駐車違反の反則金の100倍くらいはあるだろう。)と書かれた大型トラックだった。文の里のロイヤルホストの北側にあった洋服の青山が取り壊されていて、その取り壊し工事に関係する車輛だったのかも知れないが、とにかくその付近にどどーんと迷惑駐車してあったのである。
6月1日以降緑の服を着た民間監視員の方々が駐車違反をどんどん取り締まってくれていて、それで大阪の違法駐車はかなり減ったようだが、このように実際に交通を阻害してる車輛を取り締まって欲しいものである。さて、その渋滞を抜けて天王寺バイパスの高架を経てから右折して玉造筋に入ったオレは、遅れた時間を取り戻すべくスピードを上げるところだが、そういうわけにもいかない。玉造筋の直線部分、NTT西日本大阪病院の手前は速度違反取り締まり、俗に言うネズミ捕りの名所だからだ。土曜や日曜の朝は特に要注意である。
案の定、歩道の所にレーダーを設置して座ってるオッサンがいる。オレは速度を40キロに落として、苦笑しながらそのオッサンに向かって挙手の礼を行って通り過ぎた。道路には堂々と警察車輛が数台も違法駐車されており、そこから横に入った道では運悪く捕まった善良な市民が取り調べを受けていた。オレは玉造筋の直線部分で速度を上げてもすぐに信号に引っかかることを知っている。信号のタイミングが悪すぎるのである。だからそんな場所で馬鹿みたいに速度を上げるのはふだんそこをあまり走らないよそ者や、休日でたまたま通りかかったドライバーであり。オレは大阪市内で取り締まりのある場所を熟知しているのでそんなヘマはしない。
ネズミ取りの関所を通り過ぎてからオレは無性に腹が立ったのである。このネズミ捕りにいったい何の意味があるのかと。意味もなく乱立した次の信号にすぐ引っかかるのでせいぜい60キロくらいしか出せない道路で、40キロという理不尽な制限速度を超えたからといってドライバーを次々と捕まえる行為に何の正義があるのかと。そんなことをしているヒマがあるなら、あの迷惑な駐車違反を取り締まれと。もっともネズミ捕りをしていたのは天王寺警察署で、駐車違反の行われていたのは阿倍野警察署の管内だから管轄は違うわけなんだが。
管内の交差点に監視カメラを置いて交通状況を逐一監視していれば、渋滞の発生原因となってる迷惑駐車くらいすぐに見つけられるだろう。それこそ緊急に取り締まって、駐車違反の罪だけではなく交通妨害罪とか罪状を増やして100万円くらいの罰金をむしり取るべきだろう。どうして駐車違反で取り締まられるのはじゃまになっていない所に駐めたクルマばかりで、スピード違反で検挙されるのは運の悪い人ばかりなんだ。オレにはどうも納得がいかないのである。そんな恣意的な取り締まりの理由について、ちゃんと説明して欲しいのである。
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2006年07月29日(土) |
そんなひどい踏切があっていいのか・・・・ |
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踏切事故の報道を聞く度にオレは思っていた。「なんで電車が来てるのに渡るんや!」そしてこうも思っていた。「電車は決まった方向から来るんや。」とも。一方から電車が来ても、それさえやり過ごせば渡りきれるはずである。それともはねられる場合というのは両方から同時に電車が来て避けようがない瞬間の現象なのか。生身の肉体で試してみたことはないが、遮断機が下りてから電車が来るまでにはどこも少し時間に余裕を持たせてある。オレのように敏捷な人間ならたかだか10mほどの踏切を数秒で駆け抜けることは不可能ではない。そう、ちゃんと左右を見ながら遮断機をくぐるとすれば電車を避けることができる。しかし、他の人が渡るのにつられて渡るという場合、渡れるかどうかと言う判断の基準を他者に預けてしまってるため、自分でちゃんと左右を確かめないということが起きてしまう。そうでもなければ踏切で電車にはねられるという理由が分からない。
じゃあなぜ遮断機が上がるのを待てないのか。それは遮断機が下りている時間が長すぎるからである。そんなことになるのは鉄道会社の方に責任がある。オレはJR長居駅の北側にあった踏切をよく利用していた。高架工事がはじまって、まず上り線が完成したので踏切は下り線のみとなった。一方向にしか電車が走らないということは、劇的に遮断機が下りている時間が減少するはずである。ところが実際は、遮断機の下りている時間は3割程度減っただけで、相変わらずその踏切のところでは渋滞が発生した。単線と同じなのである。
一方向にしか電車が通行しないのになんでこんなに待たされるかとオレはいつも腹を立てていた。歩行者は遮断機をくぐってどんどん渡っていた。さすがにクルマで同じことをするわけにはいかないのいで、時には15分くらい待たされることもあった。その15分間ひっきりなしに電車が通過したわけではない。電車なんか来ないのに遮断機は下りているのである。そしてやっと電車が来たかと思ったら、とてつもないノロノロ運転で踏切を通過したりするのである。そのたびにオレは脱力していた。
電車が通過する時間はわずかなのに、どうしてこんなに長く遮断機が下りたままなのか。もっとてきぱきと進めて欲しいのである。必要以上に遮断機の下りている時間は長すぎるのである。しかし15分ならまだいい。7月21日に遮断機をくぐって渡ろうとした母子が死傷した東京都豊島区の東武東上線踏切は、事故発生の直前の70〜80分間遮断機が下りたままだったらしい。一時間以上も下りたままの踏切はどれだけ迷惑なことか。そんなに長いことひっきりなしに電車が縦横無尽に走り回るのか。そのほとんどは信号待ちとかでノロノロ運転になった電車がゆっくり通過するのを、遙か離れたところで関知して遮断機を下ろしてしまうように設定されているからじゃないのか。
踏切から1キロのところに電車が来たら遮断機が下りるという設定であるとして、時速60キロでその電車が来るとすれば1分間待つだけだが、その電車が時速15キロのノロノロ運転をしていれば4分間待たないといけないことになる。それではあまりにも理不尽である。なぜ速度から到達時間を割り出して、常に踏切は電車通過の1分前に下りるというふうにできないのか。電車に「通行権」があるとすれば歩行者にも同様の権利は存在する。不必要に長い踏切での拘束時間は、道路という公共財の一方的な占拠であり、待ち続けるストレスに耐えきれなくなった人を精神的に荒廃させてしまう。
強引に渡ろうとしてはねられた母子を責めるのではなくて、電車の通過する時間と比較して不当に長い時間踏切を閉じたままにして地域の交通の阻害要因となってきたJR線の踏切問題に関して我々は抗議の声を上げなければならない。私鉄の踏切よりもJRの踏切の方が下りてる時間が長いとか。
この日記を書いた後、事故現場の近くに住むという方からメールをいただいた。ホーム一つ分遠回りをすれば地下道があること、子供を連れて遮断機をくぐった行動に対する疑問、踏切に隣接する形で東上線のホームがあり、ホームの幅の分だけ線路が離れてるので、一瞬立ち止まれば轢かれずに助かったということなどがそこには語られていた。メールの主と同じく私も、無惨な形で母を亡くした幼子が、一日も早く健康を回復してその痛みを乗り越えることを願っている。
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2006年07月28日(金) |
大幸薬品、おまえはせこすぎるのじゃボケ! |
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正露丸といえば腹痛の薬の代名詞である。10社以上がこの名称の薬を製造しており、もはや「正露丸=腹痛薬」として普通名詞化していると考えても差し支えない。もともとは日露戦争の時に「征露丸」という名で兵士たちに配給されたことからはじまるのである。オレはそのことを以前にこの日記(2005年11月26日(土) ホンモノの正露丸はどっちだ?)で書いた。その裁判というのは銭儲けのために名称を独り占めしようとして他社を訴えていたせこい薬屋、大幸薬品のまるで言いがかりのような訴訟だったのである。
今回その判決が大阪地裁であった。大阪地裁といえば馬鹿裁判官の宝庫である。もしかしたらトンデモ判決が出るのではないかとオレは少し恐れていた。しかし、7月27日に出た判決は、全く大阪地裁らしくないオレを満足させる公平な判決だった。あの裁判所もたまにはまともな判決を出すんだとオレは大いに驚いた次第である。
田中俊次裁判長は、社名とマークを除く箱のデザインの類似性は認めたが、「(識別のポイントとなる)ラッパとひょうたんは似ておらず、混同の恐れはない」として大幸薬品側からの6400万円の損害賠償請求を棄却した。判決は、「正露丸」「SEIROGAN」の名前を使用している医薬品メーカーは2社以外に少なくとも10社以上あり、オレンジ色の箱の正面中央に商品名を赤で縦書きする各社共通のデザインは1955年ごろに定着したと判断。「大幸薬品が独占的に使用してきた事実はない」という事実を述べたのである。
そういえば大幸薬品のCMでは「正露丸」の名称よりも「ラッパのマーク」の方を強調していたことを覚えている。要するに店頭で選ぶときに(安い)他社製品ではなく、ラッパのマーク付きの(高い)自社製品を買って欲しいということである。つくづくせこい会社である。買って欲しかったら他社と同じ値段にするか、他社よりも安い値段にすればよいだけの話である。違いというのはただ箱にラッパのマークがあるだけのことなのである。そんなもののために倍近いゼニを払うのはよほど気前のいい人たちで、少なくともオレはそんなもったいないことはしない。オレが常に買うのは安く売られている和泉薬品工業の製品であり、こちらはひょうたんマークが入っている。正露丸を買いに来たときは、ちゃんと箱を確かめてぼったくりのラッパのマークではなく、良心的な価格で売られているひょうたんマークの方を選ぶのが賢い消費者なのだ。
ただ、判決理由は大阪地裁らしいおかしな内容だった。「『ラッパ』と『ひょうたん』は類似しない」ことが理由だそうだ。やっぱり裁判官は馬鹿である。そんなこと当たり前だろう。その程度のことなら小学生でも言える。司法試験を合格したのならもっとまともな判決理由を下しやがれ。みんなが使っていた名称を不当に独占しようとした大幸薬品に対して、くだらない訴えで裁判所に余計な仕事をさせたことを激しく非難し、逆に製造中止などの処分を下すくらいの良識を示したらどうだ?裁判官は歴史的な背景をちゃんと理解してるのか。正露丸の歴史についてちゃんと学んでから判決を下しているのか。
判決後に記者会見した和泉薬品工業の古下悦朗社長は「当然の結果だ。裁判を乗り切れたことに満足している」と話したという。一方大幸薬品の側は「消費者の立場に立った判決とは思えない。判決文を検討した上で控訴する予定。」というコメントを発表している。くだらないCMにゼニを使い、その分を不当に上乗せした価格で正露丸を販売する行為が「消費者の立場に立った行為」なのか。ふざけるのもいいかげんにしろ。逆にオレは消費者に向かって言いたい。「こんなせこい会社の正露丸は買うな。ラッパのマークを間違って買わないようにしましょう。」と。大幸薬品よ、文句があるならこの日記の掲示板に反論しにやって来い。いつでも受けて立つぜ!
薬の通販サイトではケンコーコムが便利です。大幸薬品以外の正露丸も扱っています。
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2006年07月27日(木) |
これで決まりだ!究極の万引き対策 |
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日本中のコンビニやスーパー、本屋や家電量販店が万引きに頭を痛めている。コンビニの中にはその被害で店をたたまないといけない所もあるという。犯人はたいてい中学生高校生のクソガキどもなんだが、「万引きなんて誰でもやってる」という感覚でそういう連中の親たちも「ゼニさえ払えばいいんだろう」というレベルの馬鹿ばかりである。
以前に万引きを見つかった馬鹿が逃亡して電車にはねられて死ぬという事件があったが、その時も「たかが万引きで」とほざく馬鹿親が多かった。親が馬鹿だから子どもも馬鹿になるわけで馬鹿の連鎖はずっと永遠に続くわけだ。そんな連中がはびこったら日本中が馬鹿に埋め尽くされてオレのようなまっとうな人間は確実に迫害されてしまうぜ。
そういうカスどもに正義の鉄槌を浴びせ、しかもコンビニの経営を救う究極のアイデアをオレは持っている。名付けて「万引き新法」である。法改正によって窃盗罪に罰金刑が導入されたのは最近のことだ。その効果を出すためには被害に遭う店の側がもっと積極的に捕まえたくなるような仕組みにしないといけない。そこでオレはこんな方法を提案する。つまり、万引き犯人を検挙した場合、犯人が支払う罰金の大部分が被害を受けた店側に入るようにするのだ。一本1200円の整髪料を万引きしても罰金は50万円、そのうち10万円が国庫に納入され、残り40万円が店の取り分になるようにすればいい。一日に一人万引き犯を捕まえればそれだけでコンビニの経営が成り立つようにすればいいのである。
万引きを検挙するために店側はバイトを増やせるし、それは雇用の拡大につながる。また監視カメラなどの需要も拡大するだろう。それでも世の中には馬鹿が多いから、捕まることがわかってるのに軽い気持ちで万引きするだろう。そして捕まって親が呼び出され、その場で50万円の納入を求められる。払わなかったらガキは返さないで留置場へ直行だ。留置場は警察署の前にガラス張りにして設置すればいい。親が罰金を払いに来るまでそこでさらし者になるのだ。
こんなことを書くとすぐに人権がどうだとか少年法がなんたらとか文句をつけてくるヤツがいるだろうが、被害を受ける店にとっては死活問題なのである。そのために借金が返せずに一家心中する人もいるのだ。盗む側には罪の意識などなくただのゲーム感覚であったり、盗品を売り飛ばして小遣い稼ぎをしているのである。こんなことは全くもって許せないのである。一人一人の万引き犯が得るのはわずかな物品だが、被害を受ける側の店にとっては莫大な金額だ。それを捕まえたからといって店側に何かプラスになるようなことはなく、逆恨みされて放火されたり店長が刺されたりすることもある。説教するのは時間と労力の無駄だ。どうせそういうクソ野郎は説教しても真人間になるわけがない。すでに腐ってるのである。釈迦に説法である。だから店側も万引き対策に消極的だったわけである。
捕まえれば店にとって大きな利益になるということになれば店側も気合いが入るだろうし、何より悪いヤツにはちゃんとやったことに対して「責任をきちっと取らせる」ことが必要だ。それが罰金であり、留置場での拘禁である。この万引き新法を施行すれば、コンビニには莫大な利益がもたらされることになり、万引き犯が急激に減少することは間違いない。中には「息子の罰金が払えないのを苦にして自殺」なんて親も出るかも知れないが、たかだか50万円のゼニで死ぬ必要などないのである。まだ自殺する親がいればまともだ。どちらかというとふてぶてしく開き直る馬鹿が多いはずである。まあ、万引き犯人の親なんてものはたいてい子どもの頃には万引き常習者なんだろう。子どもは親程度のモラルしか身につけられないものである。子どもがクソ野郎であった場合、たいていその親もクソ親である。
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2006年07月26日(水) |
日経新聞、インサイダーはおまえだ! |
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日記の下にあるオレンジ色のランキングボタンは個人サイト、株式サイト、ネットショップサイトそれぞれのランキングです。最近どのランキングも少し下がってきたので、日記をお読みになられたついでに一日一回ぜひクリックしてくださるようお願いします。
週刊誌に株の記事が出るといつも発売直後に推奨された銘柄が大きく上昇する。それをオレはいつも不思議に思っていたのである。「こんなもん、記事になってから買っても遅いんじゃ!」それはゲスの勘ぐりかも知れないが、発売前に週刊誌の記事を知りうる立場にある連中がそれらの銘柄を事前に買っておいて、そして発売直後に値上がり時に売り抜けているのではないかと。
もしもオレがその記事内容を知ることの出来る立場にいたならば、絶対にその情報を活かして売買しただろう。自分が取引するとバレるので、例えば外国に住む友人にメールで銘柄を教えて、利益の何%かを自分に回してくれという姑息な方法を使って小遣い稼ぎをしただろう。そういう手段で稼いでる人間がただの一人も存在しないと言えるのか?おそらく誰かはそうやって稼いでるはずである。ただ検挙のしようがないから放置されているだけである。もしもインサイダー取引がものすごく重い罰則になってるのならそんなせこい行為は引き合わないが、実際はほとんど検挙されることもなく、屁のような罰則しかないこともまた事実なのである。
東京地検特捜部は7月25日、日本経済新聞に掲載される法定公告の内容を事前に知り、公告企業の株を売買したとして、証券取引法違反(インサイダー取引)容疑で日経新聞東京本社広告局の笹原一真社員(31歳)を逮捕した。売買したのは5銘柄計約9万4000株に上り、約3000万円の不正な利益を得たとされる。笹原容疑者は昨年12月13日から今年1月20日までの間に西松屋など5社の法定公告の内容から株式分割(この直後に株が値上がりする可能性が高い)の情報を入手、それぞれの銘柄を公告掲載前に買い付け、公告開示後の値上がり時に売り抜けたという。
営業担当でその記事を本来なら知る立場にはなかった笹原容疑者は、社内のネットワークを介して公告内容を閲覧したのである。つまり日経新聞社の社内ネットワークはそんなことが簡単にできちゃうほど杜撰なのである。日本経済新聞社は「個人的な犯罪だが、会社として不正を防げなかった責任を痛感している」などとする談話を発表して笹原容疑者を懲戒解雇する方針だという。つまり、これは個人的な犯行であり社の問題ではないということである。しかし、本当にこんな社員は一人だけなのか?オレにはどうもそうは思えないのである。
重要なニュースが流れて株価が大きく動くとき、なぜかその先行指標とも言える小さな動きが発生してることが多い。ニュースが漏れてるとしか思えないような事前の動きが必ずあるのだ。そんなインサイダー情報を流すのはいったい誰か。企業の中の人間が裏切って流す場合もあるだろう。しかし、株式市場に関する最も多くの情報を手に入れることが可能な立場にある日経新聞の社員の中に、ただの一人だって裏切り者がいないと言えるのだろうか。
社員の株取引はきちっと禁止されているのか。日経新聞は株価に影響を与える記事を出すことが可能である。ある社員が特定の銘柄を値上がりさせようとしてその銘柄を推奨するような記事を書けば、それを読んで信用して買う人も当然のように出現するわけで、相場に対して大きな影響力があるのだ。オレが書いてる一日500人程度のお客さんが来る銘柄情報掲示板とは桁違いの影響力なのだ。どんなボロ株クソ株でも、日経新聞で推奨されれば上がるのだ。おまえたち日経新聞社の社員は株の世界では常に飲サイダーじゃなかったインサイダーであり専制君主なんだ。自分たちが安値で仕込んだり、証券会社が大量に保有していて処分に困ってる銘柄を「推奨銘柄」としていかにも暴騰間違いなしのような記事を書けば、あーら不思議どんどん上昇して簡単に処分できてしまう。そんな絶対的な優位をてめえら日経側は持ってるんだ。そして証券会社は情報を個人投資家よりも先に日経側から直接に手に入れることができる。そんなアンフェアな戦いを個人投資家はさせられているんだ。
7月6日に75200円をつけてから8営業日連続で22%も値下がりして58500円になっていた楽天が、7月20日に大幅反発していきなりストップ高で63500円まで上昇したので大量の個人投資家が群がって買ったのに、それから今度は三日連続の暴落で54000円まで下げたんだ。なんでこんなことが起きるんだ。株価が乱高下するのは日経新聞が企業の業績に関するニュースを恣意的にしか出さないために株主が振り回されてる状況だろう。おまえらどうせ証券会社と八百長タッグを組んで、個人投資家を高値で買わせてハメこむために作戦を練ってるんだろう。
日本に本当にフェアな株式市場などない。情報量という点で個人投資家は圧倒的に不利な立場に置かれている。そしてインサイダー取引に関する罰則も驚くほど軽い。村上世彰やホリエモンはおそらく罰金刑で済むだろう。実刑判決にならない公算が強い。そこが日本とアメリカとの一番大きな違いである。今回の事件が本当に「個人的犯罪」であるのなら、綱紀粛正のために日経全社員そして家族友人すべての株取引を禁じてしまい、ルールを破った者は懲戒解雇、不正に得た利益はすべて没収して国庫に寄付させるべきだろう。まさか、「インサイダーじゃない株取引はOK」とでも社内で許してるのじゃないだろうな。日経新聞社という組織がまるごと投資の世界のインサイダーなんだ。おまえらは圧倒的に有利で卑怯なことがやり放題の立場にあるんだ。そんな連中が牛耳ってる株式投資の世界で、何の武器も持たずに素手で戦ってるオレが苦戦するのも当たり前だぜ。
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2006年07月25日(火) |
「みられまくっちゃ」ってどこの言葉だ? |
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本日も暴言日記をお読みくださりありがとうございます。読んだ後のついででけっこうですから日記の一番下にあるテキストリンクもぜひご訪問ください。お役立ちサイトもあります。方言に関するアドバイスなどいくつかいただいて日記を一部手直ししました。
シャープ製の携帯電話に重大な不具合が発見されたのである。特定の文字を入力しようとすると、携帯電話の画面が固まったり再起動したりするという。その危険な文字列がなんと「みられまくっちゃ」だそうだ。いったいこれはどこの地方の方言なんだ?少なくともオレは一度も「みられまくっちゃ」などという文字列を携帯で打ったことがない。
この不具合が発生する該当機種は計27機種、総計1047万台に上るというから莫大な数量である。おそらくシャープが販売してる携帯電話の全量に匹敵するような台数に思えてしまうのだが。この不具合を最初に発見したのは誰だろうか。そして、その時入力していた文字列が不具合の引き金になったことをどうしてわかったのだろうか。オレはそのあたりを詳しく知りたいのである。こういう欠陥は利用者の訴えからしか判明しないだろう。それだけに発見の経緯に興味が湧くのである。そんな文字列を入力する場面をあれこれ考えてみた。
「見られまくった」ならわかる。「私は混浴露天風呂でハダカをみられまくった」という短文を容易に想像できる。(←実はこれも文法的には少しおかしいのだが)しかし「まくった」ではなくて「まくっちゃ」なのである。いくら打ち間違えても「た」がなぜ「ちゃ」になるのか。オレは最初は思いつかなかった。すると掲示板で親切な方が教えてくれた。そのフレーズの後ろに「った」を入れて「みられまくっちゃった」とすればちゃんとした日本語の女性の話し言葉になるという。「わたし、スカート短すぎて階段でパンツみられまくっちゃった」というフレーズにすれば、その中にこの「みられまくっちゃ」が存在するのだ。なるほどとオレは納得した。
他に「かぜがなおりかけた」と入力すると再起動してしまうものが18機種もあるとか。こちらはちゃんとした日本語なのでかなり入力の可能性の高い文字列だ。それを入れるだけで再起動なのである。使ってる方はびっくりするだろう。いきなり携帯電話が全く望んでいない動作(暴走)をはじめるからである。じゃあ本当にその文字列を使用したい場合はどうすればいいのか。これも実に単純なことで、入力時に二つに分割して「みられ」と「まくっちゃ」、「かぜが」「なおりかけた」と分けて入力すると通常通りの操作になって何も問題はないらしい。
こんなふうに機械やソフトウェアに欠陥があって迷惑を被ったとき、オレは激しく製造元の企業を罵倒したくなる。幸いオレが持ってる電話はNEC系だ。ただ、NECだから安心というほどの信頼はないのだが。このニュースが流れた今夜、日本中のシャープ製の携帯電話使用者がきっと「みられまくっちゃ」とか「かぜがなおりかけた」の二つの文字列の入力を試しているに違いない。しばらくシャープの販売担当者はお日様に顔向けできないぜ。
←「みられまくっちゃ」に苦笑された方はぜひクリックをお願いします。
2006年07月24日(月) |
時によりすぐれば民の嘆きなり |
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活発な梅雨前線は九州南部や長野県に記録的な豪雨を降らせ、多くの被害をもたらした。オレはテレビで濁流が流れる映像を見ながら、その川に掛かる橋の上を平気でクルマが何台も走ってることに驚いたのである。おいおい、もしも流木でもぶつかって橋が突然崩れたらどうするんだ。命がないぞ。そんなに激しく流れているのにあんな華奢な橋桁で大丈夫なのか。と自分なら絶対にそんな橋をクルマで渡れないなあと思ったのだ。コイズミのおっさんが今回の水害のことをどんなふうに思ったかはわからないが、鎌倉幕府の三代将軍、源実朝は20歳の時に次のような和歌を詠んだ。みごとな絶詠である。
時により過ぐれば民の嘆きなり八大竜王雨やめたまへ
(恵みの雨も、時によって降りすぎると民の嘆きになります。八大竜王よどうか雨をやめてください。)
長雨に困窮する民衆のために、彼が名ばかりの将軍とは言え、為政者としての責任を果たすためにただ一心に念じた和歌である。実朝は万葉調を意識したのでもなければ、この歌がすぐれた作品であるという自負があったわけでもない。ただ心の底からあふれ出る心情を素直に歌っただけのことである。そして、天賦の才というのはそういう時に発揮されるのだ。推敲して苦心することもなくただ思いのままに和歌を吐き出せばそれが珠玉の作となる。天才とはそういうものだ。きっとすぐれたブログライターも指が勝手にキーボードの上を動くのだろう。
鎌倉幕府の2代将軍であり、実朝の兄であった頼家は、将軍になってすぐに無理に出家させられ、将軍職を弟の実朝に譲らされた後、修善寺に幽閉され祖父の北条時政に謀殺された。あるいは頼家の母親の政子がなんらかの形でこの頼家殺しにはかかわっていたのかも知れない。当時13歳だった実朝の心に、この事件が大きな陰を落としていたことは容易に想像できる。そういう背景から次の和歌を鑑賞すればどうだろうか。
物言はぬ四方の獣(よものけだもの)すらだにも哀れなるかなや親の子を思ふ
(ものを言わない、いたるところにいる獣であってさえもなんと感動的なことか。親が子を愛するということは。)
権力闘争に明け暮れ、自分の血縁の者の命でさえ平気で奪ってしまう連中に対して、実朝がこの和歌で訴えたかったことは明白である。おまえたちなどケダモノ以下の存在なのだと、彼は嘆いているのである。和田義盛、畠山重忠、梶原景時といった頼朝と共に戦い鎌倉幕府の基礎を築いたはずの御家人たちは次々とあえない最後を遂げた。
大海の磯もとどろに寄する波割れて砕けてさけて散るかも
(大海の磯もとどろくばかりに激しく打ち寄せてくる波は、割れて、砕けて裂けて、飛び散っているよ。)
雄大な自然の光景を的確にとらえ、まるでビデオをコマ送りして瞬間の静止画像を切り取ったように精細に描いた歌である。この和歌から「力強さ」「豪快さ」を単純に感じとる人もいるようだが、私にはそうは思えないのである。小林秀雄は「大海に向かって心開けた人に、この様な発想の到底不可能なことを思うなら、青年の生理的とも言いたいような憂悶を感じないであろうか」と書いている。私もその意見に賛成だ。自分の不幸を見つめながらじっと波に見入ってしまう青年の憂いがこの和歌からは感じられる。しかし、自分の意志で生きられなかった実朝には、「自殺」などは思いもよらなかったはずである。
「割れて、砕けて、さけて、散る」というフレ−ズは、鶴岡八幡宮での無惨な死をどこか暗示していたような気がしてならない。
実朝の私家集である金槐和歌集の最後には次の和歌が配されている。
山は裂け海はあせなむ世なりとも君に二心わがあらめやも
(たとえ山は裂けて海は干上がってしまうような世が来ても、わが君に謀反の心を抱くようなことが私にありましょうか、決してそのようなことはございません。)
単なるお飾りの将軍であり、政治の実権から遠い所にあった実朝にとってこんな和歌で後鳥羽院への忠誠を誓うことは無意味なことである。風雅を愛し、和歌を愛した彼に二心がなかったことは明らかだ。ただ、北条義時や鎌倉の御家人たちには二心があったかも知れないが。自分の心情と最もかけはなれた和歌を最後に提示したのは、その対極に実朝の心情が存在したからに他ならない。こうして単なる形式的作歌者に堕した彼は歌を捨てた。
実朝はこの和歌を最後に、秘められた自分の心情を語ることなく封じ込め、22歳以降、歌作をふっつりとやめてしまったようである。その後の実朝作になる和歌は散佚したのか存在しないのか、伝わっていない。彼はそれから悲劇に至るまでの6年間の日々、何を感じ、何を見つめていたのだろうか。
実朝が、鶴岡八幡宮で甥の公暁に暗殺され28歳で生涯を閉じたのは、承久元年(1219年)正月27日のことであった。拝賀の儀式を終えた実朝一行が石段を下りかけたとき、石段の脇の大銀杏の陰から飛び出した暗殺者は、「親の仇はかく討つぞ」と叫んで実朝の首を斬り落とし、つづいて後ろにいた源仲章をも斬り殺して、実朝の首を持って闇の中に姿を消した。御剣の役を北条義時に替わって勤めた源仲章は巻き添えを食って間違って殺された。あるいは事前に暗殺の謀議を知った義時によって身代わりにされてしまったのかも知れない。
「吾妻鏡」には、実朝の辞世の和歌として、次の作品が紹介される。
出でていなば主なき宿となりぬとも軒端の梅よ春を忘るな
(私が出ていってしまったら、主人のいない家となってしまうとしても、軒端の梅の花よ。春になったら美しく咲くのを忘れるなよ。)
天賦の才を持つ歌人であった実朝がまるで菅原道真の二番煎じのような凡庸な和歌を作るわけがないし、そもそも実朝は22歳以降和歌を作るのをふっつりとやめてしまっていたはずである。北条義時がこの暗殺を事前に察知していたことは間違いない。そこで殺される予定になっていたことを知らなかったのはおそらく当の実朝一人であったかも知れない。そんな不慮の死に対してわざわざ死を予感した辞世の和歌まででっちあげた吾妻鏡の編者の意図はわからない。事件の翌日に百余人の御家人が揃って出家したという。彼等の出家の理由は同じ罪悪感の共有だ。あの日の鶴岡八幡宮で実朝が殺されることを多くの御家人がすでに知っていた。みんな実朝暗殺の共犯者だったのである。
オレが知りたかったのは、一人の天才歌人がどのような想いで22歳の時にその天賦の才能を封印し、暗殺されるまでの日々を過ごしたかである。表現者としての実朝が唯一の表現方法である「歌作」という手段を放棄した以上、その心情の手がかりとなるものは何も残されていない。残された日記などもない。もちろん、「吾妻鏡」のように歴史書というよりも編纂者の手で恣意的に創作された物語に残る行動の記述から想像することは可能だが、それは真実からははるかに遠い。天才の心は天才にしかわからない。実朝に比べてはるかに凡庸なオレは、文献に残された彼の和歌をすべて読みながらただ想像することしかできない。
源実朝 関連書籍の紹介
金槐和歌集 新潮日本古典集成 第44回
朱い雪―歌人将軍実朝の死
源実朝(吉本隆明著)
源実朝(津田さち子著)
実朝を殺した男―『吾妻鏡』殺人事件
太宰治―『右大臣実朝』試論
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2006年07月23日(日) |
的をめがけてオシッコを飛ばせ! |
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オレは以前にこの暴言日記で「ど真ん中にオシッコをぶち当てろ」というタイトルで書いたことがある。関西空港のトイレの男性用小便器にダーツの的みたいな黄色いシールをはったところ、オシッコを便器の外にこぼす人が激減して掃除の人が楽になったという話である。
このシールを最初に商品化して関空に納入したのは「岸和田双陽社」という印刷会社だった。しかしこのアイデアを活かしてさらにパワーアップした飛び散り防止シールを開発した会社が出現した。大阪市中央区の印刷会社「たかアート」はダーツの的やテントウ虫、777マークを印刷したシール3種をインターネットで売り出した。すると学校や病院やビル清掃の会社から問い合わせが殺到してこれまでに約7000枚を売り上げたそうだ。価格は1セット(10枚)で3800円だから決して安くもない。
後発の「たかアート」製品の改良点は、温度で色が変わる特殊インクを使っていて、うまくオシッコを的にぶち当てるとマークが赤く変色することである。真っ白な雪の上にオシッコで文字を書くのは誰もが子どもの頃にしたことのある遊びだが、子どもも大人もやっぱりオシッコで遊ぶのが大好きなのである。シールは排水溝の上15センチにはると最も効果があるという。これは実験によって確かめられたもっとも飛び散りの少ない角度らしい。
ただオレが疑問に思うのは便器と男性自身の距離だ。オシッコをするときに便器にくっついて立つ人と離れて立つ人ならオシッコの射入角度もずいぶん違う。そんなにくっついたらしぶきでズボンが濡れるだろうと思うほどに便器に近く立つ人がいる。これは横からのぞき込まれないようにするためでたぶん大きさなどに自信がないのだろう。
話はそれるが、オレがこれまでに男子便所で見た最大の悲劇は、あるオシッコをしていた酔っぱらいのオッサンが、クビに巻いていたマフラーがはらりと便器の中に落下し、そのマフラーの上に酒臭いオシッコを浴びせてしまっていたことである。そのときのオッサンの悲しげな表情は今でも覚えている。実際のところはマフラーよりも携帯電話を落としてオシッコまみれにしてしまう人の方が多いような気がするが。
さて、この小便器の的はいずれJRの列車トイレにも採用されそうである。すでに「新型特急に採用できないか」とサンプルの提供を求めてきているらしい。揺れる列車のトイレで的にぶち当てるのはなかなか高度なオシッコテクニックを必要とする。どうせなら的への命中率で得点が表示されるようにすればどうだろうか。最初から最後までほとんど的を外さずにぶち当てれば100点。的に少しも当たらなかったら0点でペナルティとして電撃をオチンチンに喰らうというのはどうだ。なかなかスリルがあって面白そうだぜ。
このアイデア、もともとは関空側の発案によるものだが韓国旅行の時に社員がテントウ虫シールを見つけたのが始まりだという。オレが心配するのはあのパクリ大国の韓国が「日本は我々のアイデアを盗んだ!」と主張しだすことである。日本のお菓子のニセモノばかり売ってる国にそんなこと言われたくないのだが。
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2006年07月22日(土) |
尼崎市役所の変態兄弟 |
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兄が変態なら弟も変態になるだろうか。これはなかなか難しい問題である。変態的性向というのはきわめて個人的な問題であり、しかも後天的に獲得された性質であるとオレは思うからだ。もしもその兄弟が育った環境が、両親共に変態という恵まれた変態エリート養成家庭であったならば、変態兄弟が誕生してもおかしくないし、変態一家というのもまた可能性としては考えられる。
そこでさらにオレが悩むのは、変態さんと一口に言っても非常に範囲が広く、多くのジャンルを内包する概念であることだ。例えば女性のブルマをことのほか愛するオッサンはまぎれもなく変態だが、ブルマを製造してる縫製工場のオッサンは同じようにブルマを愛していても変態とは言えない。エロ本を一冊ベッドの下に隠し持っている高校生は普通だが、エロ本で部屋の本棚が埋め尽くされたオッサンは変態だ。そこで一冊なら大丈夫だが多数なら変態という線引きを行うならば、何冊以上なら変態かということになってこれもまた基準が難しい。
電車内で痴漢行為をするオッサンは変態だが、妻と痴漢ごっこをするオッサンはおそらく変態ではない(と思う)。また変態には内向型と開放型とがあり、前者がエロ本蒐集家なら、後者の代表は露出狂である。まあこういう分類もあまり意味のないことなんだが。興味のない人から見ればすべて「変態」のひとくくりで表されるわけだ。
尼崎市では健康福祉局総務部長が電車内で下半身を露出したとして大阪府警に逮捕され、懲戒免職となるという事件が起きている。オレが下半身を露出するのはトイレと風呂と、一人でビジネスホテルに泊まってるときくらいなので電車の中で露出するなんてことは想像も付かないのだが、世の中にはそういう行為に快楽を感じるいわゆる「変態さん」が存在するわけだ。その快楽は「見られている」ということによって自己の中に発生する満足感なのか、あるいは「相手がいやがっている」ということで発生する嗜虐的な快感なのか、そのいずれなのかは変態ではないオレにはよくわからない。この謎を解明するためには多くの変態さんを面接調査しないといけないわけで、そんなくだらないことにオレは自分の貴重な時間を使いたくない。尼崎といえばあの美人市長の白井文さんがいるところである。市長さんもこんな馬鹿な職員がいれば大変だ。
とまあ長々と変態論をぶってしまったが、この下半身露出部長には実は弟がいて、普通自分の兄が懲戒免職になれば恥ずかしくて居たたまれないと思うのだが、この馬鹿弟は兄を反面教師とすることもなく変態行為に邁進していた。その行為というのは、46歳の女性嘱託職員に対するセクハラであった。その女性職員がパソコンで作成していた書類をこっそり改竄して、「うんこちんちん」などの卑猥な語句を書き加えたりしたのである。イタズラをされた本人が気づかないままに書類は印刷され、市役所外部の方も出席する会議資料となってしまった。この情けない馬鹿は尼崎市教育委員会で主任ということなんだが、仕事をいったい何だと思ってるのだろう。ただもうあきれるばかりである。またこの馬鹿に対する処分は減給3カ月(10分の1)だそうだ。そんなもの、処分というにはあまりにも甘すぎる。
オレはこの「うんこちんちん」という言葉を新聞で読んだのだが、他にどんな言葉が書かれていたのか大いに興味があるのである。この言葉のどこが卑猥なのだろうか。大便と子どもの性器の俗称を並記するくらいで「卑猥」という概念を使っていいのだろうか。オレの想像する卑猥な語句といえば「太平洋」とか「ミミズ千匹」とか「カズノコ天井」とかであり、もしもそういう言葉を公的なものに書き込むならそれは立派なセクハラだ。しかし、そういう言葉は新聞には掲載してくれない。
つまり、公器たる新聞の宿命としては当たり障りのない言葉しか載せられないわけで、実際に書かれていた卑猥な語句の中にはこのオレの想像を超えたような過激な言葉が存在したのかも知れないということである。それがいったい何なのかオレは知りたいのである。世の中にはどんな卑猥な言葉があるのか、この馬鹿がその中でどんな言葉を用いたのか、どうかそれを世間に公開して、ついでにこの変態主任の顔写真と一緒に尼崎市の広報に載せてやって欲しいのである。ここは市民の知る権利を尊重すべきだとオレは考える。
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2006年07月21日(金) |
バーチャルをリアルにした男 |
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パソコン環境のためにこの日記がうまく表示されず、左右の文字が切れてしまう等でお困りの方は、日記右上にリンクしている携帯用URLのところからごらんになってください。
もう10年以上も前だが、オレはパソコンで遊ぶプリンセスメーカー2というゲームに熱中したことがある。エディターを用いてそのゲームデータを簡単に書き換えることができることを知ったのでオレは持ち金を極端に増やしたり、アイテムの能力をUPしたりしてみたが、すぐに飽きてしまい、やがてゲームそのものをしなくなってしまった。
そうして単独でプレイするゲームから大勢の参加者が集うオンラインゲームへとゲームの主流が変わってきた今、そのオンラインゲーム上で用いられる仮想通貨やアイテムが現実のお金で取引されるようになってしまい、ゲームの楽しみ方も劇的に変わってしまった。極端な話だが一日中ゲームをして経験値を増やしたりアイテムやその仮想通貨を手に入れ、それを現実世界のお金で売買して生活することも可能になったのである。これはひきこもりやニートの方々に新たな就業機会を与える可能性があるとしてオレはかなり評価している。またネット上の世界は無限大だからいくらでもそこで働けるわけだ。
ただ、オンラインゲームを運営する会社の方ではそうした行為(略称をRMT、リアルマネートレードの略)を禁止している。ゲームバランスが崩れるという理由からだ。オレはそうしたゲームを一切しないのでどのくらいの時間を掛ければどのくらいのアイテムが入手できゲーム内マネーが手にはいるのかさっぱりわからないのだが。
そのオンラインゲームの運営会社の一つである「ガンホー・オンライン・エンターテイメント」は投資家ならたいていの方が知っている。それは昨年の9月の異常な値上がりで注目されたからである。株価は一時800万円に迫っていた。いったいどんな人が買ってるのだろうかとオレも驚いたのである。しかし今年になっての新興市場総崩れの中でここも値下がりして2006年7月20日現在の株価は798000円だから一番高い時の一割ほどになってしまっている。そんなことだから個人投資家が次々破産するのも当たり前である。
それはともかく、このガンホーがネット上で運営する人気ゲーム「ラグナロク・オンライン」のシステム上に、よりによってそのガンホーの社員(今は懲戒解雇された後だから元社員だが)戸枝雅亮容疑者(26)が不正にアクセスし、ゲームのデータを管理するサーバーに不正アクセスして自分が保有する仮想通貨(ラグナロクの場合はZenyと呼ばれる)を増やしまくったあと、RMTという手段で売りまくって3000万円近くを稼いだという事件が起きた。この社員がゲーム上の不正を監視する立場の仕事をしていたと言うから恐れ入る。監視するどころか自らが不正を行っていたわけである。
経験値を稼いだりゲーム内でのお金を稼ぐには時間が掛かる。その時間を惜しむ余り、ゼニを出してでも手に入れたいという人が現れるわけだ。そんなことならいっそのことゲーム運営会社がそれを販売すればいいのにと思う。ゲーム内ではじめから現実社会のような貧富の差を発生させてしまうのである。ゼニをたくさん払えば払うほど有利にゲームを進めることが可能になり・・・なんだかつまらないぜ。そう、オレが最初にプリンセスメーカー2というゲームの話を書いたのもそこなんだ。データをいじるという反則をした結果、ゲームそのものが面白くなくなってオレはやめてしまった。それと同じように現実世界のお金をそこに持ち込むとき、もはやそのゲームの持っている輝きは失われて、くだらないゼニ儲けの手段になってしまうのだ。それはせっかくの楽しい時間をつまらなくしてしまうことである。
それにしても不正アクセスなどの犯罪ではなくて、管理する会社の社員が自分のデータを書き換えていたとは・・・これは摘発されたゲームそのものに大打撃を与えるような気がする。「そんなズルをしていたヤツがおるんか!」とまっとうにプレイしていた人は馬鹿馬鹿しくなるからである。忙しいオレははじめからそんなゲームをする余裕はないのだが・・・おっとオレだってかなりやってるじゃないか。夏休みや冬休みといった学校が休みの時は一日に6時間近く、株式投資というマネーゲームにしっかりはまってるじゃないか。いったいそのどこが違うと言うんだ!
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2006年07月20日(木) |
安藤忠雄、オレはおまえが大嫌いだ! |
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建築家というのは幸福な人種である。作品を制作するコストは全部他人持ちだ。それがどんなに贅沢で高価なものであっても、コストを度外視して作ってもらえるのである。そのコストはいったい誰が払うのか。
個人の住宅なら納得して払う金持ちが支払うのだからいい。問題は地方自治体が発注するハコモノを建設するときに、法外なコストのものが造られることである。納税者として、オレはそのことが納得いかないのである。特に腹が立つ相手が安藤忠雄、おまえだ。大阪府のような貧乏自治体にどうしてこんな贅沢なものを造らせるのだ。
大阪府立近つ飛鳥博物館なんかひどいじゃないか。来場者なんてほとんどない交通の不便な太子町の丘陵地の奥に造られた、ただ「修羅」(←木製で巨石などを運搬するのに使われたと言われる古代のそりみたいなもの)を展示保存するためだけに造ったハコモノだ。修羅以外の収納物はハリボテばかりで何の価値もない。そんな意味のないハコモノの中で一番ゼニのかかったのはおまえが造らせたその周囲に全くマッチしてないコンクリートの要塞だ。駐車場からすぐに館内には入れず、コンクリートのアプローチの部分をずいぶん歩かされて回り道させられる迷惑な設計だ。周囲の古墳群と全くマッチしてない意味不明のオブジェだ。バブル全盛の頃にこの馬鹿げた建物が計画されたために維持管理に大変な経費がかかっていて、人工のせせらぎには水が流れていない始末である。館内には来客の数よりも多いかと思われる学芸員がいる。ただの研究施設ならもっと便利なところに造ればいいだろう。いったいこれは何なんだ。
それだけじゃない。もっとひどいのは大阪府立狭山池博物館だ。いったい何のためにこんな変なものを造らせたんだ。安藤忠雄設計ということで確かに建物にはコストが掛かってるが、館内エレベーターは一番安いシンドラー社製だ。それだけでもゼニの使い方が間違ってることがわかるだろう。しかもこっちは入場無料だ。ゼニを払ってまで見る価値がないからタダにしてるのはよくわかる。それならなんでこんなものを造るんだ。てめえら建築家の自己満足のために、そして芸術作品の制作とやらのために大阪府民の税金が無駄に使われてるんだ。いったいこの馬鹿ハコモノに何百億かかってるんだ。そんなゼニ、オレは負担したくないぞ。
新幹線の駅なんか造るな!税金をそんなことに何百億も使うなと公約して嘉田由紀子さんは滋賀県知事に当選したが、大阪ではこういう無駄遣いが府民のチェックも受けずに放置されてるのだ。オレは絶対にこんなものを造らせた馬鹿どもを許さない。オレが大阪府知事なら絶対にこんな計画は認めない。ゼニはもっとまともなことのために使うべきだ。ほとんど誰も見に来ないような博物館や記念館を建てて公務員の失業対策や天下り場所にするのではなく、もっと生きたゼニの使い方があるはずだ。
維持するだけで多大な税金を浪費し、周囲の景観を破壊するこんなぶさいくなオブジェを、オレの払った税金で造らせた馬鹿野郎、安藤忠雄をオレは断じて許さない。いったいこの設計でてめえはどれだけ稼いだんだ。原広司氏の設計によるあの巨大な京都駅も醜悪な建築物だが、あんたが設計したこの大阪府立の二つの博物館もそれに負けず劣らず醜悪だ。オレはこんなものに価値を全く感じない。オレが価値を感じるのは真に生活者のために造られた住宅であり、歴史の重みを受け止めた建築物だけだ。残念ながらおまえの設計したものにそんなものは皆無だ。ふざけるのもほどほどにしやがれ。
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2006年07月19日(水) |
こんなクソ野郎はいますぐ死刑にしろ |
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2005年2月14日、寝屋川市立中央小学校にやってきた17歳の無職少年(精神科通院中)が職員室の場所を案内した鴨崎満明先生を背中から刺し殺した事件を覚えているだろうか。バレンタインデーの惨劇として話題になった事件である。通報に警官が駆けつけた時、この少年は2階の職員室で血のついた刺し身包丁を左手に持って立ち、悠然とタバコを吸っていたという。「刃物を捨てろ」との呼びかけに応じて包丁を手放した直後、署員に取り押さえられ、大阪府警は現場で刃渡り21・5センチの刺し身包丁を押収した。オレがもしもその場に居合わせた警官なら即座に射殺するね。そして「向かってきたから撃った」と白々しく答えるだろう。そんなヤツは生かしておいても意味がないと思うからだ。
その少年の公判が、日本一おかしな裁判官の集うあの大阪地裁(横田信之裁判長)で7月18日に行われた。そこで行われた被告人質問で「今回のような事件を二度と起こさない気持ちがあるか」と問われ、少年は「そういう気持ちはあるが、自信は正直ない」と説明。理由については「自分には凶悪な部分が一部ある」と述べ、具体的には「犯罪妄想が浮かんだりすること」を挙げたという。
このクソガキは神戸市須磨区のあの連続児童殺傷事件の加害男性(あの酒鬼薔薇少年)について「あこがれとは違うかもしれないが、はまっていた」と述べ、2000年の西鉄バスジャック事件の犯人(あのネオ麦茶と名乗った馬鹿)には「神戸の事件の次に興味があるという感じ」と話したそうである。無差別殺人を行う外道を「カッコイイ」とあこがれたりはまったりするだけではなく、自身の行動に関しても「自信がない」と更正の可能性を否定するこのド外道にいったいどんな罰を与えるのか。
どうせ日本一刑の軽い大阪地裁のことである。世間一般の常識を持たない馬鹿裁判官どもが「一人殺しただけで少年だからとりあえず5年ということで」と馬鹿判決を下すに決まってる。そして、5年後に出てきたこの野獣は、その「凶悪な部分」を発揮してまたしても無差別殺人をやらかすかも知れないのである。本人がその可能性を否定していないのだ。そんな危険なヤツを社会に出してもいいのか。こんなクソ野郎の被害に遭うのはいつも子どもや女性であり、更正していないままに釈放した刑務所も、軽い刑を下した馬鹿裁判官も、その行為に関して処罰されることはない。善良な一般市民だけがリスクを負うのである。
しかもこのクソ野郎の名前も顔もみんな知らないのである。道ですれ違っても隣に引っ越してきてもわからないのである。どうやって我々はこんなクソ野郎から自分たちの身を守ればいいのか。日本が世界一治安のいい国であることをアピールするためには、こういうクソ野郎をどんどん死刑にしてしまって、「日本にはまともな人しかいません」「他者の安全を脅かす危険な人は一人残らず処刑します」という態度を示すことである。殺人という大罪を犯しても日本ではなかなか死刑にならない。なぜ殺人罪は原則死刑、よほどの例外的な事情や本人の反省(芝居かも知れないが)があるときにだけ無期懲役(終身刑)ということにしないのか。
ただこの終身刑というのも寿命が尽きるまで刑務所で飼い殺しにするにはゼニが掛かるのである。納税者の一人として、自分の納めたゼニがそんなクソ野郎の食い扶持になるということには耐えられない。そんなのは一刻も早く処刑してくれ。税金を無駄にするな。どうしてもこのクソガキを死刑にしないのなら、そのかわり裁判をTVで実況中継して、そいつの顔を全国の視聴者に届けてくれ。そうでないとオレは自分の身が守れないぜ。
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2006年07月18日(火) |
当て逃げ野郎、おまえを許さない! |
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はじめてこちらの日記においでになった方は江草乗の簡単な経歴「うれひの年譜」からごらんになってください。
買い物をして駐車場に駐めたクルマのところに戻ってきたとき、オレはなんだか愛車FTOの左の前部にいつもと違うような光の反射を感じたのである。よく見ると、いやよく見ないでも一目瞭然だったのだが、バンパーが無惨にへこみ、左前のフェンダーの一部も変形していた。なんということだ。水平な傷が2本ついていたので、おそらくその位置にバンパーがあるようなワンボックスカーあたりが方向転換のためにバックしたときに接触したものと思われるが、少なくともオレがクルマの所に戻ったときはその馬鹿の影も形もなく、どこの誰がこんなヘマをしたのか、全くわからないのであった。オレは激しく脱力した。なんてことだ・・・
もしもその当て逃げがオレの目の前で行われていて、加害者がすぐに逃亡しようとしたらオレは絶対に許さないだろう。すぐにクルマを発進させて逃げる相手を全力で追いかけ、クラクションを鳴らしながら激しく威嚇し、相手がびびって小便をちびるくらいの恐怖を与えてやるに決まってる。しかし、相手はいないのだ。オレのクルマにこんな無惨なへこみを作った馬鹿は、どこかに去ってしまってるのだ。なんということだ。
オレはあきらめて、日頃お世話になっている自動車修理工場に電話を入れた。その日のうちにFTOを持ち込み、代車のダイハツ・ミラに乗り換えた。へこんだままのクルマになんか乗りたくなかったからである。ただ、そこでオレはさらにショックを受けることとなる。オレはいちおう車両保険に入ってるのだが、今回のように相手の分からない当て逃げの場合、オレの加入している車両保険のエコノミーAというのは使えないというのだ。なんということだ。少なくとも相手がちゃんと判明して、事故の届けがなされていないとダメだという。つまり、すべて自費で直さないといけないのである。オレはさらに落ち込んだ。修理費はどんなに安く見積もっても5万は下らないだろう。
もともと不要だったゼニがそうして修理に使われるのである。すべてその当て逃げ野郎のせいである。運転のへたくそな馬鹿のせいで、オレのように社会に貢献しているまっとうな市民の貴重なゼニが無駄に費やされるのである。こんな理不尽なことがあるだろうか。
オレは駐車場に駐めるときの原則を思い出した。これは昔オレが理不尽な車上荒らしに遭ったときに心に決めたことである。それから長い時間が経って、自分の方もきっと甘えが発生していたのだろう。世の中には犯罪者や馬鹿がうじゃうじゃいるわけだから、自分で自分の財産は守らないといけないのだ。クルマを駐めるときはできるだけ立体駐車場を利用する。どうしても平面駐車場に入れるときは、前後左右に高級車が駐まっているスペースを狙う。あるいは一方が壁になっていたりして、他のクルマに接触されにくいところを選ぶ。ファミレスに入るときはできるだけ窓から自分のクルマを確認できる位置に座る。交通整理のガードマンがいるような駐車場を選ぶ。傷ついたりへこんだりしてる見るからに運転のへたくそそうなクルマの隣には置かない。そうした原則を新たにして、こんな悲しい出来事を二度と体験しないで済むように用心しようと思ったのである。
それにしても腹が立つのはこの当て逃げ野郎だ。どうして逃げるんだ。オレの真っ赤なFTOを見てびびったのか。ヤバイと思って逃げたのか。もしもオレがヤクザや凶悪な犯罪者なら逃げた方がいいかも知れないが、この日記をごらんになればわかるようにオレは律儀に納税する善良な市民である。露鵬のように張り手で解決するのではなくてちゃんと物事を話し合いで解決する温厚な人柄なのだ。それなのに当て逃げしやがって。やいやい、どこの誰だかわからない馬鹿野郎、おまえなんか宇宙から落ちてきた隕石に押しつぶされてくたばってくれ。
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2006年07月17日(月) |
お母さん、どうして私を殺したの? |
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畠山鈴香容疑者はやっぱり自分の娘も殺していた。米山豪憲君の殺害容疑で彼女が逮捕されたとき、誰もが「もしかしたら事故死のはずの彩香ちゃんも?」という疑いを抱きつつ、さすがにそんなやりきれないことを想像したくはなかったのである。ただ、週刊誌から得られる情報は、鈴香容疑者のわが子に対する「ネグレクト」があったという証言ばかりだった。
鈴香が男を部屋に引き入れていたために、寒い冬の夜も娘を外に追い出したこと。満足に食事を作ってもらえない彩香ちゃんはカップ麺のお湯を近所の家にもらいに来たこと。風呂にもろくに入れてもらえず、いつも汚れた服をきていたこと。近所の人たちはみんなその事実を知っていた。おそらく虐待の事実も周知のことだったのだろう。学校行事にもほとんど参加せず、娘の彩香ちゃんを「疎ましかった」と供述した鈴香容疑者にとって、彩香ちゃんの存在は自分の気ままな生活のじゃまものでしかなかったのだろうか。
子どもは親を選べない。そんな母親であっても殺された彩香ちゃんにとっては大切な母親だったはずだ。どんなにひどい親であっても、子どもはその親を頼るしかないのだ。ごくまれに母親が見せた気まぐれの愛情が、彩香ちゃんにとっては宝物だったのかも知れない。彩香ちゃんが雪の中で震えているのを近所の人が見かねて家に入れようとしても、母親に気を遣って彼女はそれを拒んだという。自分が虐待されている事実も、母親を守るために必死でこらえて彼女は誰にも語らなかったのだろうか。もしかしたら仲良しだった米山豪憲君には語っていたかも知れないが・・・。
親による子ども虐待の事件の報道に触れるたびにオレは思う。なぜ隣人は救えなかったのかと。ただこの事件にはまだいくつかの謎が残る。彩香ちゃんは首の骨を骨折していたという。橋の欄干から突き落とされたのならその骨折は説明できる。しかし、当初発表された死因は「溺死」ではなかったか。転落によって死亡したのならこれは明らかに矛盾する。そして、「事故死の方がいいでしょ」と警官が言ったという話も気になる。つまり、警察は最初から母親による子殺しの線を想定しながらも、「事故死」にしておきたかったというなんらかの理由が存在したという謎だ。おそらく初動捜査のミスだろう。それを警察は隠蔽しているのである。
自分の手で殺しておきながら、捜索願を出し、ビラを配って訴えたというこの母親の行動は常軌を逸しているが、遺影を抱いて運動会にやってきて来賓席にいたというあたりはもう悪い冗談と言うしかない。世の中にはどうしようもない人間というのが存在する。それが他人ならできるだけ関わり合いにならないようにすれば済むだけのことだ。しかし自分の肉親なら逃れようがない。
畠山鈴香容疑者にとって最大の悲劇は、この世で唯一自分をちゃんと愛してくれていたはずのわが子を、自分の手で殺してしまったことである。彼女にとって真に守らなければならなかったのは一時の快楽の相手として自分を求めるくだらない男どもではなく、絶望的な状況の中でも母親を愛して健気に生きようとする娘だったんだ。何が自分にとっての宝物であるかに気づかず、逆に殺してしまったことを一番後悔しなければならないのは鈴香おまえなんだ。なんてことだ。すべて悪い冗談だったとしかオレには思えないぜ。早く死刑になってあの世で娘にちゃんとお詫びしてこい馬鹿野郎。
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2006年07月16日(日) |
いますぐ北京オリンピックを中止させろ! |
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投資入門テキスト「初心者のための株式投資入門」に「仕手株列伝6、7」を追加しました。「ハメこまれた人たちシリーズ」を改題することにしました。ぜひごらんになってください。
オリンピックは世界平和の祭典である。世界の国々が武器のかわりに鍛えられた肉体でぶつかり合い、敗者も勝者もその全力で戦ったことゆえに称賛されるそんな祭典である。だからこそオレはオリンピックの精神に賛同するわけだ。ところが今の中国にそのオリンピックを開催する資格はあるだろうか?よくあの国の外交姿勢を見てみるがいいい。どう考えても中国というのは21世紀に残存した最後の帝国主義、覇権主義国家である。オレはそのような国が存在することを許さない。日本政府はもっとその政治姿勢を断固として批判するべきなのだ。あんな国にオリンピックをやらせてはならない。IOCは緊急臨時総会を開いてすぐにその権利を剥奪し、代替地として同じアジアで設備の整った東京でオリンピックを開催させるべきである。
北朝鮮のミサイル発射に対して、日本政府が7月14日に国連に提出した「北朝鮮制裁決議修正案」に制裁措置が盛り込まれていることに対して中国が反対するのはなぜか。それは中国が台湾や南沙諸島、尖閣諸島の軍事的征圧を常に意図してる帝国主義、覇権主義的国家であり、北朝鮮の今回とったような軍事行動は中国がこれからじゃんじゃんやろうと思ってることであり、それを支持したくないからである。中国は「拒否権」の発動を宣言しているが、これは世界平和に対する挑戦である。このような行為を日本は断じて許してはならないし、世界の各国も同様だ。中国は日本からODAのゼニを受け取る一方で巨額のゼニをアフリカの諸国に援助としてばらまく外交戦略を展開し、紛争地域に武器を売りつけて荒稼ぎしている犯罪国家である。大規模な民族虐殺の背景には中国製やロシア製の武器があるのだ。世界平和の実現に対してもっとも大きな障害が中国という覇権国家の存在なのだ。日本は断固としてそのことを世界に訴えると同時に、戦後60年あまり常に平和を希求してきた日本という国家の見識を示さないといけない。
中国はチベットを侵略して数百万の大虐殺を行った歴史的事実を未だに認めていない。世界一の民族虐殺国家はドイツでも日本でもなく実は中国である。いくら否定してもこれだけの人数だ。探せばいくらでもその証拠は見つかる。実際に身内を殺された人々の証言もあるという。人民解放軍チベット侵攻を描いた映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」の内容に関して中国政府は文句を言ってきたそうである。自国の国民に国家の恥部を知らせたくない中国政府は絶対にこういう映画は国内に公開しないだろう。
今回の北朝鮮のミサイル問題に対してたとえ中国が拒否権を発動するとしても日本は断固とした外交姿勢を貫くべきだ。そして、世界に対して中国という国家の欺瞞性をアピールするべきなのである。南沙諸島では海底油田の資源確保のためにボルネオ島近くのはるか南方海上にいたるまで海軍を進出させ、無人の岩礁に勝手にやぐらを組んで人を住ませて領有を宣言している。これは日本がハワイの近くの無人島の領有を宣言するようものである。軍事力にものを言わせてごり押しするのが得意な中国にとって、北朝鮮はちっとも無法国家ではなくて自国を映す鏡である。「倭奴(ウェノム←日本人の蔑称)ごときがエラそうなことを言うな。その気になればいつだってミサイル一発で東京を破壊できるのだ。」が連中の本音だろう。
戦後60年、日本はずっと世界平和のために国連に貢献してきた。一人のおっさんが靖国神社に参拝したくらいでその方針が変わるわけでもない。その靖国神社への参拝にしたって、平和への決意を新たにするために参拝しているのである。戦意高揚のためではない。武力行使に参加できない代わりに国連の拠出金は約20%を負担している。(米国は22%ということで1位となってるが、実は米国はかなり滞納してるので実質日本が1位である)払ってるゼニから言えば日本こそが常任理事国として君臨する資格がある。
世界に旧式の武器を売りさばくどこかの外道国家なんていったいどれだけゼニを出してるんだ。てめえのところの武器で世界では紛争が起きてるんだ。それだけ国連に迷惑をかけ続けていて恥ずかしくないのか。中国の政治家よりも古典文学を教えるオレの方がはるかに論語や孟子の精神を理解してるぞ。北朝鮮への制裁決議案修正案で中国が拒否権を発動したいならすればいい。その代わり、拒否権の行使は中国に対する国際社会の信頼を失わせることだということはちゃんと自覚しておけよ。この時代遅れの帝国主義国家め。
日本時間7月16日未明に行われた採決で、修正案は日本がさらに譲歩した上で全会一致で可決された。中国が懸念された拒否権を発動しなかったのは国際社会での孤立を恐れたのだろうか。なお「日本はミサイルくらいで騒ぎすぎだ」と日本政府の対応を批判してた韓国も、この決議を受けて手のひらを返したように「これまで韓国政府は北朝鮮のミサイル発射に対し国際社会とともに厳重な警告をしてきた」と採択に歓迎の意向を示した。恥知らずという言葉を韓国政府のために捧げたい。
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2006年07月15日(土) |
ハメこまれた人たち7(JAL) |
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好評の株式投資日記「ハメこまれた人たち」シリーズはこれで7作目となりました。クリックして過去の作品もぜひお読みになってください。株式入門テキスト「初心者のための株式投資入門」もよろしく。
6月30日、株主総会を終えた二日後に突然日本航空は2000億円規模の公募増資を行うことを発表した。発行される株は7億株を超えることになる。発行株数の4割近い株式が新規に発行されることで株主価値が希薄化することは言うまでもない。この計画について株主総会の時には全く語られることはなかった。そんな悪いニュースは株主には隠したかったのである。総会のわずか二日後にこれほど重大な、そして株価を下落させる要因であることが発表されることを一般の株主の誰が予想できただろうか。
ただ、誰も予想できなかったわけでもない。そのニュースが出る直前になぜか日本航空株は400万株を超える新規の空売りがされていたのである。また、モルガンスタンレー証券が6月30日までに約1億株を(おそらく借り株によって)取得していた。この取得に関しては7月12日に大量保有報告書が提出されている。取得から発表までの約10日間のタイムラグを利用してモルガンスタンレーは大量に日本航空株を空売りした可能性が高いのである。
事前に大量に空売りした誰かも、その後の大幅値下がりを予測して借り株して空売りを仕掛けてきたモルガンスタンレーも、この公募増資に関して何らかの情報を事前に得ていたことは間違いない。インサイダー取引というのはこういうことを言うのである。
さて、週明けの月曜日である7月3日、日本航空株は寄り付きに大量の売りが出てなかなか値段が付かなかった。結局前日比−20の267円で寄りついた後、少し値を戻して273円でその日の取引を終えた。公募増資=株価の大幅下落と予想した個人投資家たちが寄り付きから大量の空売りをぶつけてきたのである。その日だけで新規に発生した空売りは2000万株近い。その日の出来高は約5000万株だったがそのうちの4割が空売りで発生したのである。しかし、空売りの多くはその日の一番安いところで行われており、寄り付きで成り行きの売り注文(つまり267円)を入れて空売りをした個人投資家たちは、その後のわずかな株価上昇によって全員が含み損になってしまったのだ。空売りによって巨利を得ることができたのは、インサイダー情報を事前に入手して先に空売りを仕掛けた一部の機関投資家とモルガンスタンレーだけで、遅れて情報を入手して売った個人投資家にはもううまみは残っていなかったのだ。
大量に空売りされたために株不足になり逆日歩が発生した。こうなれば空売りをしている人は一日あたりいくらという決まった貸株料を支払わなければならない。そのせいか日本航空株は下げ止まった。こうなると空売りをした人は苦しくなる。7月5日に発表された逆日歩は週末の三日分を含むために1.65円/株になったのである。空売りをしていた人の中にはあわてて返済して損切りする者も大勢出た。267円で5万株空売りしてしまった場合、280円に値上がりしたことで65万円も含み損になってしまう。そのままどんどん値上がりすれば損失はどこまでも拡大していく。多くの個人投資家がびびってしまったのも仕方がない。踏み上げ相場になることを期待して今度は多くの個人投資家が日本航空株を買い始めた。ただ、抵抗もそこまでだった。7月6日に280円をつけた後は徐々に下がり始め、一週間後の7月14日には株価は256円まで下がったのである。
せっかく下げ止まったのがそこから大きく下げた背景として、公募増資の13%を引き受ける予定だった日興シティグループ証券が離脱したことがあげられる。証券会社にもそっぽを向かれる増資計画ということが嫌気されたのである。それも当然すぎる反応であり、日航では安全トラブルや経営陣の内部対立が相次ぎ、乗客離れもかなり進んでいる。昨年度の国内旅客数では全日空(ANA)に逆転され、400億円を超す純損失を計上したくらいでお先真っ暗な状況なのである。2兆円も有利子負債があってもう銀行はどこもゼニを貸してくれないのである。貸し倒れのリスクが高いからだ。それで増資という方法で資金調達をはかったのである。この増資によって得た資金は機体調達に投入するという。そんな設備投資よりも高コスト体質を改め赤字解消することの方が大事だったはずだ。その道筋が見えてこない以上、日航への投資はゼニをドブに捨てるのと同じ危険な行為となってしまう。
日興グループに振られた日航は、その穴埋めとしてなんと海外での募集比率を6割にアップすることを発表した。国内、海外で3億5000万株ずつの発行予定を、海外4億500万株、国内2億9500万株に変更する。同社は変更の理由について、「海外機関投資家の旺盛な需要に対応するため」(広報部)としている。さすがに「日本人は誰も買ってくれないから」とは言えないのだ。さて、19日〜21日の間に決まる公募価格はいったいどれくらいになるのだろうか。時価よりも公募価格の方が高かったら誰も公募に応じてくれないので、たいていはその三日間の平均価格から10%くらいディスカウントした金額になる。外人に買わせるためにはさらにディスカウント率を高くするかも知れない。
空売りしていた人でも公募に応じて株を手に入れてその株を現渡しするという形で空売りの返済ができる。空売りした人は株を入手できるようになるまで毎日の逆日歩に耐えながら待てばよいのである。情報量という点で圧倒的に及ばない不利な戦いの中で個人投資家の多くが破産したり樹海行きのバスに乗ったりした。「絶対にJALがつぶれることはないと思うので持ち続けます!」と開き直ってる株主がほとんどなわけだが、この状態が続けば株価はいずれ100円台にまで落下してくるだろう。その膨大な含み損に耐えるか、あるいはさっさと見切りをつけて売却するか。いずれにしても日本航空を買ってしまった多くの個人株主たちが「はめこまれた人たち」であったことは言うまでもない。
このコラムを書いてからわずか4日後の7月19日の日本航空の株価(終値)は220円まで下がった。いっぽう公募価格は211円と発表された。その後さらに売り込まれて公募価格も割ってしまい最安値198円を付けた後は反発して、それでもわずかに公募価格を上回っただけの水準にある。2兆円の有利子負債を抱え、公募増資も予定の金額が調達できずに借入金で補うことになるわけで苦境は続く。もしも株主優待が廃止されれば、株価は50円くらいに下がるだろう。
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2006年07月14日(金) |
もうカムイワッカには入れないのか? |
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世界自然遺産に登録された北海道、知床半島にオレは大学生の時に何度も旅行していたのだが、中でもカムイワッカの天然露天風呂は最高だった。ウトロから知床林道を自転車で走って、カムイワッカ川にかかる橋のところに自転車を置いて、そこからはだしになってお湯が流れる川の中を歩きながら上流に向かって沢登りをするのである。約300m登ったところにある四の滝の滝壺が天然の露天風呂になっていて、岩の上で服を脱いでその露天風呂につかったのである。
地元のユースホステルの方の話では、女性の入浴者がたくさんいるときは一番上の滝壺を女性専用にして、男性はその下の三の滝のところに入るという工夫をしたり、勝手に上に登って女性を覗こうとするおっさんを滝壺に突き落として防衛したりということがあったらしい。信じられない話だが、若者のグループの中には男女混浴で一番上の四の滝の滝壺に入った人たちもいたとか。全くもってうらやましいのである。
オレが入った時はまわりは自転車野郎の男ばかりだったので全然つまらなかったのである。しかも降りるときに足をすべらせて滝壺に転落、持っていた一眼レフカメラ、オリンパスOM10は水没して三日後に死亡するという高い入浴代になってしまったのである。
そんな思い出のあるカムイワッカ湯の滝が、なんと今年の夏は「上流部は危険」との判断で「一の滝」周辺までしか行けないことになった。7月13日、湯の滝への唯一の交通手段であるシャトルバスが走り始め、第1便には40人余りが乗り込んでいたのだがいきなりこの規制にぶつかってしまったのである。この川は上流部ほど温度が高いため、四の滝あたりで露天風呂としての適温になるのだが、一の滝ではぬるくて温泉とは呼べないのである。30度くらいしかないからだ。こんな水温では寒くて風邪をひいてしまう。
「落石の危険」などが理由で今回の規制がはじまったわけだが、そんなことは入り口にちゃんと表示しておけばいいのである。「落石や熊出没の危険があります。自己責任でお願いします!」で十分じゃないか。ここはゼニを払ってはいる銭湯ではないのである。もしも斜里町がカムイワッカ川の入り口で入場料のゼニをとっているなら、安全のために規制も仕方がないのだが、みんな勝手に川に入って湯につかってるだけなのである。少なくともオレがカムイワッカに入った20数年前にはゼニなどいらなかった。
もちろん危険はある。この敏捷なオレが足をすべらせて滝壺に転落したくらいだから、どんくさい連中の中にはもっと大きなケガをするヤツもいるだろう。しかし、それは管理する斜里町が悪いのではなくて、そのどんくさいヤツが悪いのである。こんな規制が必要なのは、川を汚すマナーの悪い馬鹿がいたり、自分が足をすべらせて転落したのに「ちゃんと手すりや遊歩道を整備しなかった町が悪い!」などと因縁をつけてくるヤクザまがいのクソ観光客がいるからである。そんな一部の迷惑な方々のせいで、この貴重な自然遺産を体験できなくなるというのはあまりにももったいない。あの川での入浴の開放感や自然との一体感は得難いものである。
安全に気を配りすぎるあまりダメになった名所もある。知床にはフレペの滝(乙女の涙)と呼ばれるところがあって、オレのお気に入りなんだがここには展望台と柵が作られて、滝をほぼ正面から見ることができる岬の部分には入れなくなったのである。確かに足をすべらせればそのまま崖から転落してしまう危険な場所だ。そこに柵を作ったのも仕方がない。しかし、学生時代のオレは危険を冒して両側が崖になってる細い道を降りて滝を眺めたのだ。滝の下には誰かがそこにダイビングして自殺したのか、自動車の残骸が朽ち果てていた。今もあのクルマの残骸はそこにそのままあるのだろうか。今度行くことがあれば遊覧船に乗って海から確かめてみたいのである。
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2006年07月13日(木) |
ふざけるな韓国・北朝鮮! |
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7月12日、北朝鮮の平壌放送は7月9日の額賀福志郎防衛庁長官の「日本として敵基地攻撃能力保持を検討すべきだ」という発言に対して、「日本の再侵略の野望がどれほど危険な水準に至っているかを改めてはっきりと示している」と非難した。何が再侵略だ。日本人を自国に拉致し、日本の方向に向けてミサイルをたびたび発射し、軍事的に威嚇することで外交を有利に運ぼうとしてるならず者国家がふざけたことを言いやがって。
先制攻撃は侵略ではなくて防衛だ。国民の生命財産に脅威を与える隣国の軍事基地に対して攻撃能力を持つことのどこが悪いのか。もしも自衛隊が北朝鮮のミサイル基地に先制攻撃を仕掛けて破壊するなら、オレはその攻撃を支持する。先に威嚇してきたのは北朝鮮の方だ。核弾頭を国内に撃ち込まれたらもう手遅れだろう。北朝鮮が核兵器を使わない保証などどこにもない。国家主席が命令して他国の国民を拉致させるような無法国家である。核兵器を使うことに何のためらいもないだろう。そんな兆候が少しでも見られるなら先制攻撃を仕掛けて北朝鮮の軍事力を完全に無力化してしまうことをオレは全面的に支持する。そのために自衛隊が存在するのだ。
韓国の盧武鉉大統領も「日本はミサイルくらいで朝っぱらから騒ぎすぎだ」と日本の対応を批判する。たかが変な髪型のおっさん一人が都内のある神社に参拝したことくらいで大騒ぎする馬鹿どもが、それよりもはるかに重大な国家の安全保障に関わるミサイル発射について騒ぎすぎとはどういうことだ。どうやら盧武鉉大統領の価値観のモノサシはオレには理解不能な序列になってるようである。もしかしたらオレのこの暴言日記の内容が「韓国政府に対する重大な侮辱であり宣戦布告してもおかしくないほどの重大事」とされるかも知れないのである。数百万の韓国からのサイバー攻撃がこの日記に押し寄せてエンピツのサーバーがダウンしてしまうかも知れないのである。それほどあの国の物事の軽重の基準はむちゃくちゃなのである。
韓国の通信社・聯合ニュースによると、7月12日付け労働新聞では「日本の軍国主義勢力の再侵略の第1目標はわが国だ」と報じ、「日本反動支配層は米国の保護下に軍事大国化、海外膨張の野望を実現しようとしている」と強調したそうである。海外膨張というのは領海欲しさに日本の領土である竹島に勝手に軍隊を送って占領してるおまえらのやってることを言うのだ。自分たちのやってることはOKで、日本がまだやっていない、そしておそらくは永遠にしそうもないことを批判するそのむちゃくちゃな論調に対して、日本の政治家はきっぱりと「おまえらアホか?」と応酬するべきである。
そんな国に対しては一切の援助を断ち切るべきだ。たとえば日本に居住する在日韓国朝鮮人に対する生活保護費の総額は1兆円を超えるそうである。韓国政府が竹島の軍事占領をやめないのなら一切の在日韓国朝鮮人に対する生活支援を打ち切るべきである。北朝鮮にゼニを送って破綻した朝銀に対する公的支援は3兆円にのぼるが、このゼニは全く返済されずにすべて踏み倒されている。公的支援のゼニをほとんど返済した日本の金融機関とは大違いである。韓国も北朝鮮も、日本国民のゼニで助けてやってるのである。そのことをおまえたちは知ってるのか。知らないのならしっかり勉強しろ。知っていてそんな暴言を吐くのならおまえらはただの恩知らずだ。人間以下の存在だ。おまえらの同盟国の中国の古典でも読んで勉強しなおせ。
中国政府に対してもオレはふざけるなと言いたい。北朝鮮への制裁決議案に対して拒否権を発動することを公言しているじゃないか。あんな無法国家の味方をする国にオリンピックをやる資格はない。いますぐ北京オリンピックの開催権を剥奪し、代替地がないなら東京でやればいい。東京には施設は全部そろってるから新たに作る必要もないだろう。中国が拒否権を発動するなら、日本は世界に対してオリンピックのボイコットを訴えろ。代わりの大会を東京で実施することを発表して日本企業をスポンサーにつけて賞金をばんばん出して、有力選手を根こそぎ奪ってしまえ。北京にはカスみたいな選手しか行かないようにしてやればいいのである。名ばかりのオリンピックには観客も集まらず、スタンドでは閑古鳥が鳴くだろう。ざまあみろだ。
オレは今回のミサイル事件の外交決着がどうなるかを見守っている。日本の政治家が有能なのかそれともカスなのか、交渉の行方をしっかりと見ていたい。
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2006年07月12日(水) |
キノコを食べて死んだ学生の話 |
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今、関西大学では幻覚キノコ「マジックマッシュルーム」がブームなのである。関西大学以外の大学でもブームなのかどうか、寡聞にしてオレは知らないが、少なくとも2人の関大生がこのマジックマッシュルームを食べ、そのうち一人が死亡したということは厳然たる事実である。
7月10日午後11時55分ごろ、吹田市千里山西のマンションで4階の共用廊下から下の駐車場にハダカで飛び降りた男子学生がいた。すぐに病院に運ばれたが11日の午前7時半、死亡が確認された。なぜハダカで飛び降りたのか?彼はマジックマッシュルームを食べた後幻覚症状に襲われ、この奇行に及んだという。
このマジックマッシュルームというのは「サイロシビン」や「サイロシン」と呼ばれる麻薬成分を含む幻覚キノコで、食べると幻覚が起こり、気持ちよくなることが多いらしい。とにかく、普通は気持ちよくなるわけだ。ただ服用する量や体質によって気持ちよくならない場合も当然あるわけで、多量に摂取すると幻覚症状を起こしたりするし、その幻覚でハダカの美女が出てきたりしたらウハウハだがもちろん悪魔や怪獣が出てくることもあるわけだ。ネガティブな感情に陥った場合パニック症状を起こして自傷行為に走る者もいるという。その結果、高いところから飛び降りたりしてしまうわけである。
こんな危険なものでも最初は合法ドラッグだったのだが、インターネット上で通販でどんどん広がって社会問題化し、幻覚症状の馬鹿が事件を起こしたりすることが増えて平成14年6月から麻薬取締法の対象となっている。ということは手に入れた時点でこの関大生たちは法律を犯していたのである。
吹田署員が一緒にいた数人の学生から事情を聴いたところ、死亡した男子学生はサークルの部室で、友人が以前に大阪市内で購入したマジックマッシュルームを1袋4000円で譲り受けたということだった。たかがキノコに4000円も出すという時点で、それがかなりヤバイものであるという自覚はあったはずだ。オレは覚せい剤にしても麻薬にしても、それがもしも全く無害なものならば法律で規制することはないわけで、「規制があるということ=危険なもの」だと思っている。だからそんなものを摂取した時点でその危険を甘受したわけだから死んでも一切文句は言えないはずだ。
キノコを喰ったら巨大化したり強くなるのはスーパーマリオだけであり、幻覚キノコなんて喰っても見えるのは幻覚だけ、喰ったおまえの実生活がそれで変わるなんてことはありえないのである。
友人にそのキノコを売ったという学生は「自分も以前食べたが、幻覚症状はなく、合法だと思った」と供述しているという。無知とはこんな悲劇を招くのである。馬鹿であることはつくづく悲しいことだ。
幻覚症状に陥った馬鹿が刃物を振り回して人を殺しても、馬鹿裁判官は「心神耗弱」と判定して罪を減じるかも知れないし、責任能力がないと言って民事の賠償責任すら否定するかも知れない。もちろん賠償できるだけの資産もないだろうし、そういうヤツの親もたいてい人間のクズだから賠償なんて無理だ。そういうわけでこんなもの百害あって一利なしなのである。
ネット上にはこのような禁止薬物を巧妙に通信販売するサイトがかなりあるという。実はオレもさっきから検索していくつかそれらしきものを発見したのだが、ここにそのリンクを貼ることは犯罪を幇助することになるからできないのである。ただ、素人のオレでも簡単に見つけられるくらいだから、警察のハイテク犯罪対策室の方々は積極的におとり捜査でどんどんそういうサイトをぶっつぶしてもらわないと困るのである。世の中には楽しいことも気持ちいいこともたくさんある。それは本人の努力によって手に入るのである。薬物に耽溺してるようなヤツはろくな大人にならない。売るヤツも買うヤツもみんな厳罰に処してこんなものは地上から撲滅するべきである。
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2006年07月11日(火) |
若者よデートカーに乗れ! |
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かつて、自動車のジャンルにはいわゆるデートカーと呼ばれた、若者向けの安価な2ドアクーペの系譜が存在した。古くはセリカ、これはあの連続婦女暴行殺人鬼の大久保清をモデルにしたドラマで北野たけし演じる主人公がセリカLB(リフトバック)に乗っていたことを覚えている。(実際はマツダロータリークーペに乗っていたらしいが、デートカーであることは間違いない)オレが昔から愛用してきたクルマも基本的にはこのデートカーの範疇に入る。
大学を卒業してオレが買おうと思って候補に上げたのは、ホンダ・プレリュードと日産パルサーEXAだった。どちらもリトラクタブルライトを装備していて、この点灯時にライトがぱかっとカエルの目のように起きあがり、ふだんは格納されているという子供だましのことが嬉しかったのである。リトラクタブルライトこそがスーパーカーの象徴だと思っていたからである。国産車で最初にリトラクタブルライトを搭載したのはトヨタ2000GTだっただろうか。そのあたりだととても若者には買えないような究極の高級車である。それがたかだか200万もしないような価格で売られているチープな、大衆車に毛が生えた程度の見かけだけのスペシャルティー・カーにリトラクタブルライトが搭載されているというだけで、なんだかものすごく贅沢なことのように思えたのである。
結局資金的な理由でオレはパルサーEXAの方を選んだのだが、そのときに買えなかったホンダ・プレリュードはオレにとって永遠のあこがれとなった。地を這うように低く構えたボンネットフードは、座高が低くて前がよく見えないオレにも好都合だったし、まぎれもなく当時の若者の最大の人気を集めていたのである。トヨタからはレビン、トレノが発売されていた。日産にはシルビアがあった。後にプレリュードの王座をシルビアが奪うことになる。それよりもちょっと贅沢な若者はマツダRX−7や日産フェアレディを買った。とにかく若者のデートカーの定番は2ドアクーペ、そしてそれよりもややプアーな層は3ドアハッチバックのファミリアXGとかスターレットとかパルサーとかミラージュに乗っていたのである。これらは今で言うとコンパクトカークラスだ。
デートの時は二人が快適に乗れたらそれでいい。後部座席はただの荷物置き場だが、かといって後部座席のないユーノスロードスターやMR2は困る。シートが後ろに倒せないからだ。なぜデートカーのシートが後ろに倒れないといけないかは、ちょっと考えればすぐにわかるだろう。プアーな若者たちにとって、時にそのクルマは動くラブホテルとなり、そのまま朝まで過ごす宿となり、事故の時はそのままあの世に行く棺桶にもなったのだ。ファミリアXGのセールスポイントが「フルフラットシート」だったことからもそれはよくわかる。平らにしたシートで一体カップルたちは何をしようとしていたんだ。クルマを停めて七並べでもするつもりだったのか馬鹿野郎。
それがいつからだろうか。若者は就職して最初に所有するマイカーとして、このようなデートカーを選ばなくなったのである。ランドクルーザーとかパジェロとかXトレイルとか、巨大なRV車をいきなり買ったり、エルグランドやアルファードというワンボックスカーを買うようになったのだ。荷物もたいして積めず、乗車定員も少なく、そのわりには高価なデートカーは若者の支持を徐々に失い、売れ行き上位ランキングにはワンボックスカーがいくつもランクインするようになってしまったのである。
オレはこのワンボックスカーというのが嫌いだ。やたら図体がでかくて運転しにくいからだ。慣れればそうでもないわけだが、たまにしか運転しないからなかなか慣れない。ドライバーであるオレを無視して乗員たちは勝手に盛り上がることが多い。ワンボックスカーとはつまり、ドライバーの幸福を犠牲にして他の乗員が快適に楽しく過ごせることを意図して作られたクルマなのである。
このような若者の趣味嗜好の変化を自動車メーカーもすばやくキャッチして、そのカタログラインナップから次々とデートカーは消えていったのである。オレが今所有している三菱FTOは2000年8月に生産が打ち切られた。オレが日常の足にしてるのが、その生産終了直前に登録された最終型のFTOである。もう代わりはないから大切に乗らないといけない。そんなオレが次に買うデートカーとして候補に入れていたトヨタ・セリカがなんと生産中止という報道を知ってオレは大いに驚いたのである。なんということだ。絶版車好みのオレの血が騒ぐのである。ここは無理してセリカを手に入れるべきだろうか。
前にも少しためらったためにいすゞPAネロを入手し損ねている。しかし、FTOが健在なのに今ここでセリカを買わなければならない必然性などどこにもないのである。もしも買ったとしてもFTOと同じような用途にしか使えないのなら全く意味がないのである。ということは買えないということなのである。いきなりFTOを廃車にするわけにもいかないし。都会で二台分の駐車場を確保して二台分の税金や保険を払のにいったいどれほどの経費が掛かるかわかってるのか?よほどの大金持ちでないと現実には無理なのである。クルマは所有するだけでゼニが掛かる。車検を通すにはお金を払わないといけないのだ。
多くの自動車メーカーがデートカーの開発には見向きもしなくなり、恋人たちは軽自動車の狭すぎる車内で身体の向きや姿勢を工夫して無理にいちゃつくという若者らしい工夫をせず、自動車メーカーの陰謀に乗せられてなんでもできるでかいクルマを買う羽目になり、エルグランドのような巨大なワンボックスカーが逆に人気を集めるようになってしまったのである。
もはやデートカーに乗るのが恥ずかしいような年齢のオッサンであるオレは、そんな時代の流れを振り返りながら、かつて所有したりすれ違ったり、友人から借りて運転させてもらったり、レンタカーとして借りて運転したりしたいくつものクルマのことを思い出していた。
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人間とは堕落する生き物である。一日8時間の受験勉強に取り組んで必死で大学に入学しでも、入ってからは遊びほうけて留年したり女のヒモになったりただの馬鹿になってしまったりというのはよくある話である。大恋愛の末に結婚したカップルが一ヶ月も経たないうちに離婚したりすると世間の人々は驚くが、「堕落する」という人間の本質から見れば驚くには当たらない。結婚というゴールに到達したことでもはやその大恋愛の目的は終了し、後に待っていたのは怠惰な日常だけだった・・・というときに、その怠惰な日常の中でどんどん人間が堕落していくのは自明の理である。夫婦それぞれが新しい恋人を作ってしまったりするのである。
堕落しないためには常に緊張状態を必要とする。生きるか死ぬかの必死の日々を過ごしていれば堕落のしようがないわけだが、そんなストレスの多い毎日を過ごしていれば人はすぐに死んでしまう。時々緊張を解いてやらないと伸びきったゴムみたいになってしまう。時には堕落してみることも必要だ。
そんな堕落の勧めを説くオレはやはり坂口安吾の「堕落論」を勧めたい。きみはこの「堕落論」(坂口安吾)を読んだことがあるか?今年は坂口安吾の生誕100年である。堕落論発表からはちょうど60年だ。もしもまだ「堕落論」を読んだことがないのならぜひ一読をお勧めする。この生誕100年を記念して、世田谷文学館(東京都)では、坂口安吾をモデルにした「文豪Tシャツ」を発売するそうである。税込み4410円はかなり高いが、なんと先着300着には「堕落バッジ」がおまけでついてるそうだ。もしかしてそのバッジをつければ堕落できて放蕩無頼の生活が送れるのだろうか。オレのようなすでに堕落したオッサンはどうすればいいのだ。
堕落論の中にはこのような一節がある。
特攻隊の勇士はただ幻影であるにすぎず、人間の歴史は闇屋となるところから始まるのではないのか。未亡人が使徒たることも幻影にすぎず、新たな面影を宿すところから人間の歴史が始まるのではないのか。そして或は天皇もただ幻影であるにすぎず、ただの人間になるところから真実の天皇の歴史が始まるのかも知れない。
敗戦のあの混乱の中で、来るべき時代を予感して書かれたこの部分を読むと、坂口安吾という作家の価値観の軸が終始一貫してブレなかったことに気がつく。「人は必ず堕落する」それを食い止めるにはものすごく大きなエネルギーを必要とするのである。理想に燃えて大学に入学しても、その中で受験生時代のように勉強する習慣を失わないでいるものはほんのわずかで、大多数の学生は毎日を遊び暮らすことになる。それが人間の本質だからだ。「堕落論」の最後で安吾はこのように語る。
戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるであろう。だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。
「正しく堕ちる道を堕ちきること」とは至言である。下げだした株が反発するには、とことん下げて底打ちすることが必要だし、放蕩無頼の生活にあこがれるなら、実際にそれがどんな生き方か体験すればいい。そこでボロボロになってみてはじめて人は気づくのだ。失敗からしか人は学べないからこそ、一度はとことん墜ちきることも必要なのである。そうすれば人生に於ける挫折のほとんどが実はたいしたことではないことがわかるだろう。些細なことで死にたくなったり実際に自殺したりする人が、もしもその前にこの「堕落論」を読んでいれば、もしかしたら思いとどまったかも知れないのである。
オレが「堕落論」をはじめて読んだのは高校1年生の時だ。その影響で成績は急降下し、まさにとことん堕ちきったことを思い出す。オレはクラス席次45人中44番というとてつもないところまで堕ちた。その時に気になったのは「あと一人オレよりも馬鹿なヤツが居るのか?」ということだった。今思うと本当になつかしい日々である。ネットで見つけたこの「安吾Tシャツ」、値段の高さは不満だが、オレはとにかくその「堕落バッジ」が気になるのである。いったいどんなバッジなんだろうか。
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2006年07月09日(日) |
オレはETCが苦手だ! |
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ETC車載器を装着してから約半年、今はその便利さにすっかりなじんでしまって、高速道路を通行する時には重宝してるのだが(たまに対応していない有料道路があると頭に来る!)未だにETCレーン通過時には速度を20キロくらいに落として、「通過」という電光掲示板の表示を確かめてから加速することにしてるのである。速度を落とさずにそのまま通過するような勇気はオレにはないのである。しかもETCを通過すればすぐに他のレーンからのクルマと合流するわけで、オレは左右のレーンから出てくるクルマに激突するのではといつもヒヤヒヤしながら通過してるのだ。乱暴なドライバーの多い大阪ではみんなが速度を落とさずに通過してるわけである意味危険極まりないのである。
ドライバーが全員オレのように高度な運転技術を修得してるのならいいが、なかにはとてつもないヘタクソがまじってる。交通事故の現場を見るたびにオレはその馬鹿馬鹿しさを見て感じるのである。
「おまえなんでそんなところに突っ込んでるんや!」
阪神高速の環状線で恵美須町を過ぎてから右にゆるやかにカーブしてなんば出口を過ぎ、なんばパークスの脇を通過するあたりのゆるいS字カーブがあるのだが、そこでスピンしたのか進行方向逆向きにとまってエアバッグを膨らませてケツを大破したシルビアが停まってるのを見たことがある。いったいどんな運転をしたんだ馬鹿!とオレは巻き添えにされなかったことにホッとしたのである。そんなヘタクソで忘れっぽい馬鹿が運転してるわけだからある意味ETCほど危険なものはない。オレがよく走る阪神高速だけでも昨年度のETC絡みの事故発生件数は約1万2000件。1日当たり33件も発生しているのである。
事故の原因は実にくだらない。カードを車載器に挿入し忘れたり、期限切れのカードをそのまま挿していたり、ETCを搭載していないのにETCレーンに入ってしまったり、ETCを搭載してるのに非ETCレーンに入ってしまいそうになってあわてて車線変更したら隣の車線のクルマに激突したり、カードの入れ忘れでバーが開かないので急停止したら追突されたり、確かにETCは装着してるのだが、料金所のゲートの感度を実験すると称して時速100キロ以上で通過しようとする命知らずの馬鹿がいたりするのである。そういうクルマはバーをへし折ってそのまま走り去るのである。そんなクルマは料金所から対戦車砲でもぶっぱなして破壊して欲しいものである。無法者は路上から永久追放してくれ。
要するにこれらのETC絡みの事故の原因はすべて「人間側の不注意」なのである。シンドラー社のエレベーターみたいにはじめから故障を前提としたものではなく、日本の高速道路に設置されたETCシステムは世界一の精度を誇る究極のメカニズムであるとオレは信じている。ところがドライバーのレベルが年々低くなってきてるのだ。ここに認知症の老人ドライバーが加わればいったいどんな怖ろしいことが起きるだろうか。
「じいさんや、このETCというのはなんでしょうね」
「何か楽しげな門じゃのう。こっちから入らせてもらうで」
「なにやら怪しげな棒が通せんぼしていますよ」
「ええい、じゃまじゃじゃまじゃ。わしがへし折ってやるわ!」
こんな連中はこれからも増える一方だろう。それを防ぐにはやはりETC車載器の義務化しかない。新車には必ず車載器を組み込むことを義務づけ、走行中にはカードを挿入しないとエンジンがかからないようにすればいい。そんなことを提案すると必ず「破産してクレジットカードを作れない人はETCカードも作れません!」と反論する人が出てくるわけだが、破産して人に多大な迷惑をかけたのにそれでも贅沢にもクルマに乗ろうというのが間違ってるのである。そういう人はバスや電車を使えばいいのだ。バスも電車もないような田舎なら自分の足で歩けばいいのである。
どんな便利な仕組みも使う人間がボンクラなら却って危険なものとなる。オレはそれを知るからせめて運転免許取得条件を今よりもずっと厳しくして、覚せい剤中毒者や精神異常者、殺人を趣味とする者、突然意識をなくす病気の者、睡眠時無呼吸症候群で居眠り運転の常習者、そして極端な馬鹿には決して運転させないようにしてもらいたいのである。「おまえは馬鹿だから免許はあげない!」と断固宣言してもらいたいのである。馬鹿に免許を与えてその馬鹿が交通事故で人を殺せば、その責任はそいつに免許を授与した都道府県の公安委員会の責任だとオレは思うのだ。すでに多くの料金収受員がETCレーンを横切ろうとしてはねられて死んでいる。これなども速度を落とさずに一気に通過しようとする無法者のせいであり、渡ろうとした方が悪いのではないとオレは思うのだ。
今すぐにできることと言えば、とりあえずバーの強化くらいだろう。もっと鋭利な刃物にして回転式の刃をつけて、無理やり通過するクルマがあればそのままドライバーもろともスライスされてまっぷたつになるようにしてやれ。みんな死にたくないから徐行するようになるぞ。
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2006年07月08日(土) |
夏の夜の蚊帳インターネット |
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夏になると冷房をガンガン入れてる我が家だが、夜に外に出ると涼しい風が吹いている。その涼風が網戸からは入ってきてくれないのでやむなく冷房を入れているわけだが、自分が外に出れば涼しいじゃないかとふと思った。
30年前、ここに越してきた頃は周囲には田んぼが広がり、いつも涼しい風が吹き抜けて冷房要らずだった。それがいつのまにか田んぼは埋め立てられて青空駐車場になり、その青空駐車場のオーナーは新興宗教に入れ込んで土地を売ってゼニを寄進し、おかげでその土地は3階建ての建て売り住宅に化け、おかげで我が家の周囲はとても風通しが悪くなってしまった。しかし、二階のベランダに出るとそこはひんやりとしている。ここなら快適に過ごせるはずだ。そんな思いつきからオレはベランダのテーブルの上にノートパソコンを置いてネットにアクセスしてみたのである。屋外インターネットだ。
無線LANはベランダにもちゃんと電波が届く。少し手元が暗いけど、ブラインドタッチできるから大丈夫である。これならエアコンの電気代も節約できるので一石二鳥だ。オレは自分の思いつきのすばらしさに驚いた。しかし、欠点が一つあった。それは虫である。液晶モニターの明るさにひかれて、羽虫のような小さい虫が集まってきたのだ。もちろん蚊もやってきてオレの貴重な血液を吸おうとする。なんということだ。悩んだあげく、オレは我が家に「蚊帳」があることを思い出したのである。「蚊帳」これをちゃんと「かや」とみんな読めるのだろうか。中にはそれがどんなものか知らない人もいるかも知れない。
我が家には確かに蚊帳があったはずだ。小さい頃に蚊帳の中で寝た記憶があるからだ。しかし、いったいどこにしまわれたのかわからない。ベランダの上には屋根があって、そこに蚊帳をつり下げて固定することは可能である。オレはこのアイデアを実行したくなった。蚊帳くらいたいした値段じゃないだろう。わざわざ探し出さなくても買えばいいのである。ベランダでの蚊帳インターネット、こんなことをやってる酔狂な人はいったいどれだけいるのだろうか。それでオレは「蚊帳」「インターネット」と入れて検索をかけてみたのである。残念ながらオレの考えたように蚊帳の中で屋外インターネットしている人はいなかった。代わりに蚊帳の通販サイトが出るわ出るわ・・・いろんな種類の蚊帳がそうして買えることがわかったのだ。しかし、どれも高いのである。直方体型で、足元にもファスナーがあってムカデ除けにもなる立派なものは10万円近い。一人用の安い蚊帳で5800円というのがあったが、これは小さすぎてオレと机を覆うには無理がある。蚊帳ってそんなに高かったのか。
今の家庭で蚊帳を持ってるところは少ないだろう。オレのように夏の暑い夜、蚊帳インターネットをしたいと思ったらまず蚊帳の入手からはじめないといけないのである。そうなるとかなり贅沢な行為になる。ただ、エアコンをがんがん入れて地球温暖化を促進するのではなく、自然の涼風を味わいながら夜の闇の中でネットにアクセスするのは悪くない。蚊帳インターネットを普及させ・・・日本発の環境に優しい住居アイテムとして世界にアピールするべきだとオレは思ったのである。実際のところサハラ砂漠以南のアフリカ諸国では、住友化学が開発した樹脂に殺虫成分を練り込んだ蚊帳が、WHO(世界保健機構)を通じて配布され、マラリアを防ぐのに大いに役立ってるのである。
琵琶湖からの涼風の吹き抜ける滋賀県あたりなら、蚊帳インターネットという試みはかなり現実味があるのではなかろうか。環境に優しいエコライフを標榜するなら、ぜひこの蚊帳インターネットにチャレンジしてみるべきだろう。
←蚊帳をちゃんと「かや」と読めた方もはじめて知った方もクリックをお願いします。
2006年07月07日(金) |
オレは滋賀県民を見直した! |
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7月2日に行われた滋賀県知事選挙で、自民・公明・民主3党が相乗りで推薦した現職の国松知事は落選した。無節操な開発に反対する市民派の嘉田由紀子氏を県民は支持したのである。嘉田さんは新幹線の新駅建設に関しても「計画凍結」を訴えた。二束三文の土地が値上がりする一攫千金のイナカモンドリームを夢見て土地を買い、それを栗東市に転売してぼろ儲けをたくらんだ連中の野望は見事に打ち砕かれたのである。
いや、土地転がしはすでに成功したからイナカモンドリームは実現している。区画整理と用地買収にすでに150億円も使ってしまった栗東市がこれから困るだけだが、どうせJRA関係の高額所得者の多い自治体で住民税もかなり潤沢にありそうだからそれくらいの借金は大丈夫だろう。栗東市長は「いまさら凍結と言われても困る!」と吠えてるそうだが、在来線との接続のために草津線に作られる新駅から400m、徒歩5分も離れてる南びわこ駅をわざわざ利用するくらいなら米原か京都に出た方が乗り換えも楽ではるかに便利である。そんな意味のない駅を自己満足とてめえらの土地転がしのために作らせて税金を無駄遣いする方が馬鹿げてるのである。栗東市長こそ、見込みの不確定な事業に市のゼニを無駄遣いした特別背任で訴えられるべきだ。おまえの私財を投げ出して弁償しろよ。
オレはこの選挙の結果を聞いてから改めて嘉田由紀子さんがどういう方であるのか調べてみた。そしてその経歴に驚いたのである。実際にアメリカの田舎に住み、アフリカに行って現地の生活を体験し、帰国してからは研究の対象である琵琶湖周辺をくまなく歩き回って滋賀県民の生活を肌で理解しているそんな草の根レベルの地域研究からスタートしたお方だったのだ。移動はいつも黒塗りの公用車、料亭で接待を受けては支持者や土建屋と悪巧みの相談(という悪いイメージをついつい持ってしまうのだが)という国松知事とは大違いである。知事選に出馬を決めた嘉田さんのことばが、彼女のWEBサイトにあったのでその全文を引用したい。
○なぜ知事選に出馬をきめたのか:かだ由紀子の想い
私は埼玉県生まれですが、琵琶湖と滋賀県が好きで、この土地に住み着きました。過去30年にわたって、滋賀県内の隅々を歩き、調査をさせてもらいました。その中で滋賀の未来を思い、論文や書物を出版し、また政策づくりにもかかわってきました。しかし、残念ながら、今の滋賀県政は、旧来の「大規模開発事業」からぬけだすことができず、一貫性のない政策がひろがっています。そして、住民や県職員の間にも言い知れぬ不審が深まっています。
私は「政治は未来をつくるもの」だと思っています。今の滋賀県政は、未来に対して大きな負債をのこし、大きな事業の維持管理の課題をのこし、そしてそれらは子どもや若者たちの未来にフタをするものです。
このような息苦しい状況を打破するには、私自身の研究のモットーでもあった「琵琶湖の環境保全」「住民参加」「対話」「子どもや若者の生きる力を育てる」という理念を生かした、新しい政治が有効であろうと判断しました。また滋賀県はもとより、日本各地や世界の環境研究をしてきた研究者としての視点を行政に生かすことで、世界の中での、長い目でみた琵琶湖の環境保全や滋賀県の地域づくりに貢献させていただけるのではないかと考えています。
とはいえ、私が勤務している京都精華大学には2回生から大学院生まで40名をこえるゼミ生がおります。私のゼミを選び、私とともに歩みたいと思ってくださったゼミ生の進路変更が、教育者として最も苦しいことでした。研究者としても、まだまだやりたいことがあります。
幸い、同僚教員の協力もあり、学生さんの行く先のメドはつきつつあります。
私自身は、子どもふたり、孫が3人います。家族と静かに楽しく暮らしたいという願いもあり、政治の世界にでたら日常生活での余裕がなくなるのでは、という不安もありました。
本当にいろいろ悩み、なかなか決心がつきませんでした。それでも滋賀と琵琶湖を愛する気持ちから、今回、自らの命をかける覚悟で知事選への出馬を決意いたしました。
大学教員として、研究者として静かな日々を送っていた、孫もある年齢の女性が政治というやくざな世界に飛び込む決心をしたことをオレは応援したい。「自らの命をかける覚悟」なんて軽々しく言える言葉じゃない。今の時代に命をかけてる政治家なんかいるのか。
阪神大震災の時に自分の足で壊れた街を歩き回って確かめるのではなく、迎えの公用車が来るのを自宅で悠然と待っていた貝原俊民みたいな傲慢なオッサンが知事というもののステレオタイプだとオレは思っているが、嘉田さんよ、どうかそんな馬鹿どものマネはしないでくれ。同じ女性の知事だからと大阪府知事の太田房江や千葉県知事の堂本暁子なんかと仲良くしなくていい。こいつらもみんな税金を無駄な公共事業にばらまくことしか考えていないクソだ。太田房江なんて大阪の借金を増やすために送り込まれた魔女だ。オレはこんなおばはんは絶対に支持しない。春場所の土俵に上がりたかったらまわしをしめて出てこい。
さて、自公民相乗りの現職知事を倒した以上、議会を敵に回しての県政運営は困難が予想される。ちゃんと嘉田由紀子知事をサポートするスタッフはそろっているのかね。政策立案、議会運営、そして財政改革、教育改革、こういったひとつひとつのことを私利私欲を排除して公平無私な心で推進できるブレーンがちゃんといないと、たちまち旧来の利権を手放したくない連中の妨害工作で苦境に立たされるだろう。オレならいつだってお役に立ってやるぜ。危険な賭けだがオレを副知事に任命してくれるなら喜んでお手伝いしよう。ただ、オレはそんなことよりももっと得意なことがあるんだ。「資金運用部」という部門を新設して、そこで滋賀県のゼニをオレに任せてくれ。株式投資でじゃんじゃん増やして、県の財政を豊かにしてやるぜ。滋賀県を代表する企業である平和堂の株価もばんばん上げてやるぜ。そうなるとまた新たな批判も起きそうだがなあ。
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2006年07月06日(木) |
クルマではねてもOKですか? |
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もしもあなたが突然、意味不明なことばをつぶやきながら刃物を手にして襲ってくる変な男に路上で遭遇したらどうするだろうか。手近なところに武器になるものがあれば、自分の身を守るためにそれを手にとって戦うだろう。じゃああなた以外の人がそんなヤツに襲われてるその場にたまたま自分がいたらどうするだろうか。下手に止めにはいると巻き添えを食った自分が殺されるかも知れない。だったら見捨てればいいのか。
そのときに一人一人の市民が正義のために戦えるように、ちゃんと法整備しないとだめだ。「拡張正当防衛法」とでも名付ければいいのだろうか。目の前に無差別殺人を行おうとしている外道がいた場合、即座にそいつを殺しても何の罪の問われることもなく、国家から報奨金を与えるという制度である。正当防衛の範囲を自分だけではなく、自分の周囲にいる人にまで広げてしまうのである。こんな事件の場合はどうすればいいのか。
ベビー用品店にくわ男、主婦追い背中殴りつける 大阪 2006年07月05日23時24分
5日午後3時55分ごろ、大阪府高槻市郡家新町のベビー用品店「西松屋高槻郡家店」の駐車場で、くわを持った男が同市の主婦(21)を追いかけ、店内に逃げた主婦を後ろから殴りつけた。主婦は背中に10日のけが。男性店長(33)らが男を取り押さえ、駆けつけた高槻署員が傷害の疑いで現行犯逮捕した。
逮捕されたのは、住所不定、無職の男(39)。調べでは、買い物に来た主婦が車を降りて振り向くと、縦横約20センチの刃がついた長さ約80センチのくわを持ち立っていたという。男は支離滅裂な供述を繰り返し、精神科医が「妄想状態にある」と診断したため、同署は男を釈放。府が措置入院させた。
この事件の約15分前にも、同店から西へ約200メートル離れた路上で、小学2年の女児(7)が男に追いかけられており、同署が関連を調べている。<アサヒコムからの引用>
いつも思うことだが、このような無差別殺人の加害者はどうして女性や子どものように自分よりも確実に弱そうな相手を狙うのだろうか。ベビー用品店を襲うあたり、そのあたりの分別がありすぎるという感がある。なぜ乱入する先が大学のラグビー部の合宿所じゃないのか。
もしもオレが駐車場でこの光景に出くわしたら、オレはどうやってそのくわ男から主婦を救えばよいのか。おそらく咄嗟にクルマを発進させてそのくわ男をはねるだろう。運転の得意な自分にとってそれがもっとも確実な戦い方だからだ。しかし、襲われていた本人ではなく無関係の自分がその殺人を行い、クルマでわざとはねるという残酷な方法であるがゆえに、オレの行為は崇高な人命救助ではなくて、薄汚い殺人行為とみなされてしまい、懲役を喰らってしまうのである。なんということだ。
精神科医が「妄想状態にある」と判定したこのくわ男はそのまま措置入院させられたわけだが、その医療費も公費で負担されてるのである。オレの払った税金がこの人間凶器のために使われるのだ。こんな人間に果たして生きている価値があるのか。その無差別殺人が「妄想という病」のせいであり、悪いのは病気であってその人間自体が悪いわけではないとおそらく精神科医は主張するであろう。かくして精神科医は死ぬまで国家が面倒を見てくれて医療費を払ってくれる金づるを手に入れることになる。
そのまま死ぬまで入院していればいったいどれほどの税金がその人間凶器のために費やされるのか。だったら外に出せばいいのか。この39歳の男は「住所不定・無職」だったわけである。外に出して果たして世の中の人のために何かが出来るのか。いやそもそも、周囲に迷惑をかけずに平穏な市民生活が送れるのか。そんな可能性はほとんどないだろう。だったらその場で取り押さえた人たちの手によって「処刑」してしまってもOKというルールにしてくれ。そうでなきゃあまりにも犠牲になった人がいたたまれないじゃないか。
かなり危険な思想だが、オレは犯罪形質は遺伝すると思っている。だから無差別殺人者の遺伝子はできるだけこの世から消し去るべきなのだ。そういう連中を排除することによって、平穏な市民生活を望むおだやかな人たちで構成された社会が実現するのである。このくわ男が事件を起こしたのは高槻市である。ということは大阪地裁でこの刑事事件が処理されるのだ。これはかなり危険なことである。日本一の馬鹿裁判所がこの事件を裁くという不運。オレが望むのはただ一つだ。どうか「無罪」なんて決着だけはつけないでくれ。もしもこのくわ男が無罪ならば大阪地裁など市民の手で打ち壊してしまえ。
←くわ男の死刑に賛成する方はクリックお願いします。〜5位転落、なんでや!
2006年07月05日(水) |
書評 『ミーナの行進』 〜小川洋子 |
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1972年(昭和47年)、新幹線は新大阪から岡山まで伸び、ミュンヘンオリンピックでは男子バレーボールが金メダルを獲得した。この小説はその年に親元を離れて一年間、伯母の神戸の超お金持ちのお屋敷で過ごした中学1年生の少女、朋子の物語である。
小川洋子と言えば映画にもなった「博士の愛した数式」が有名だが、この『ミーナの行進』もそれに劣らない素敵な物語である。作品中には「フレッシー」という清涼飲料水が登場する。そう、朋子が一年間居候するお屋敷の主は、フレッシーの製造で財を成したということになってるのである。オレは当然のように、子どもの頃によく飲んでいた「プラッシー」という米屋のオレンジジュースを思い出した。ちょっと酸味があって甘すぎず、かなりお気に入りだった。どきついオレンジ色をしたバヤリースオレンジの強烈な甘さが苦手だったオレは、色も薄い黄色で甘さ控えめのプラッシーを好んでいたのである。作品中に登場するきわめて重要なアイテムであるこのフレッシーをオレは自分がよく飲んでいたあのプラッシーに置き換えて読んだのである。
「博士の愛した数式」同様にこの「ミーナの行進」も淡々とした日常を丁寧に描き出す。「博士」にあたるのが、朋子の一つ年下でありお屋敷のお嬢さんである「ミーナ」だ。病弱なミーナは巧みな想像力でマッチ箱の挿絵の物語を紡ぎ出す。シーソー象の物語、タツノオトシゴの物語、流れ星の物語。わずか一年間の芦屋での生活は朋子にとっては宝物のように貴重な日々となった。時は流れても、思い出はそのままに色あせた写真と共にある。 いつでもそれを思い出すだけで幸福になれる、そんな宝物のような時間を所有できることは人にとってもっとも大切なことかも知れない。
「博士の愛した数式」を読み終えた後ですぐにもう一度最初から読みたくなったように、オレはこの「ミーナの行進」もたちまち二度目の読みに突入した。映画を二回見ると一度目には気づかなかった伏線がいくつも理解できるように、小説も二度読むと作者の丁寧な描写に改めて感嘆させられる。そしてこの作品の魅力は最後まで一気に読ませるその展開の巧みさもさることながら、食欲をそそるいろんな食べ物の描写に尽きるのである。六甲山ホテルのディナーからお弁当のおかずに至るまで説明は細部にわたる。料理を作る人の気遣いがそのはしばしに感じられるのである。
そんなに気に入れば当然映画化を期待したくなるところだが、現実世界を見渡したとき、ヒロインのミーナのように魅力的な少女がいったいこの世のどこにいるだろうか。このお屋敷の住人のように誇り高く上品な人たちがどこにいるだろうか。オレはそんな意地悪なことを思ってしまうのである。かつて確かに存在し、今はもうそこにはない失われたものへの哀惜、それが作品中の重要なテーマである。つまりこれは喪失の物語なのだ。誰もが心の中にそうした宝物を持っているからこそ、この作品は心に強く訴えるのである。今年読んだ本の中のマイベストはまぎれもなくこの一冊である。
『ミーナの行進』←の表紙を見る人はクリック。
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2006年07月04日(火) |
人間凶器は死刑にしてください |
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全く何の理由もなく、すれ違った相手にいきなり暴行を加えたり傷つけたりする馬鹿、いわゆる人間凶器と呼ばれる困ったチャンがこの世には存在する。そういう属性は通常は出なくても酔ったときに発揮されたりするから怖い。ただ、そういう人間凶器に殺されても、日本の裁判官のほとんどは馬鹿なので、酩酊状態にも「心神耗弱」なんてのを適用したりするから殺され損である。酒に酔っているときに乱暴なヤツは酒のせいで乱暴になるのではなくてもともとが乱暴なのであり、そういうヤツはたいてい人間のクズなのである。
オレが大学のサイクリング部に在籍していた頃、合宿の時の打ち上げコンパで先輩に無理矢理飲まされてる一回生がいて、かわいそうだったので「もうそれくらいでいいんじゃんないですか」とその一回生をかばったらいきなりオレの顔面を殴ってきた馬鹿が居た。酔っていたせいもあってあまり痛くなかったので殴り返すこともなかったが、そいつが日頃オレの容姿や頭の良さや人間性のすばらしさに嫉妬していたことがたまたま酒の力で爆発したことはよくわかったし、馬鹿の相手をすればこっちも馬鹿にならないといけないわけで、金持ちケンカせずとオレはこらえたのである。
<プロレス技>通行人にけが…タクシー運転手逮捕 神奈川
すれ違いざまプロレス技の「ラリアット」のように首に腕をかけて倒し、見知らぬ通行人にけがをさせたとして、神奈川県警伊勢佐木署は3日、横浜市中区松影町2、タクシー運転手、高師(たかし)良市容疑者(55)を傷害容疑で現行犯逮捕した。
調べでは、高師容疑者は3日午前2時5分ごろ、同所の市道で、前から歩いてきた近くに住む無職女性(36)とすれ違いざま、首に左腕をかけて倒し、腰の骨を折るなど1カ月の重傷を負わせた疑い。高師容疑者は酔って歩いて帰宅中で、「覚えていない」と容疑を否認している。
目撃して110番した近くの住民は「いきなりだった」と証言しているという。2人に面識はなく、酔いがさめた高師容疑者は「なんでおれの腕が痛いのか分からない」と話しているという。【稲田佳代】
(毎日新聞) - 7月3日18時16分更新
この事件などはまさにその人間凶器が引き起こした事件である。こういう馬鹿はこれからもこの種の事件を起こすだろうし、今回被害者が一ヶ月の重傷で済んだのはまさに僥倖であって、打ち所が悪かったら死んでいたかも知れない。馬鹿裁判官はそれでも「殺意はなかった」「突発的、衝動的な行為で計画性はない」などと思いつく限りの情状酌量を適用して微罪に持ち込むだろう。被害者の気持ちなど何も考えていないのである。「いきなりラリアットをぶちかます」という行為は、ナイフでいきなり刺すのとどう違うのか。オレから見れば両者は全く同レベルであり、殺人未遂罪を適用してもおかしくないのである。
そして、殺人と殺人未遂の間の量刑の差が限りなく大きいこともオレには納得できない。同じ罪を犯して被害者が死ぬかどうかは偶然によるところが大きいわけで、確定的殺意を持っていても死ななかったら殺人未遂、脅そうと思っていてもうっかり死なせれば殺人というのは不公平である。殺人未遂は殺人とほぼ同じ量刑にして、死刑もありにするべきだ。そうしないとこのような人間凶器を市民社会から排除できないのである。
刑務所でタダ飯を食わせるにも経費がかかる。こんな外道にゼニがかかるのははっきり言って税金の無駄遣いであって、どんどん処刑して臓器を活用すればいいのだ。死刑囚の臓器を売買できるように法律を改正し、その代金を被害者救済にあてればいいのである。もちろん「渇しても盗泉の水は飲まず」という高尚な精神でそのような臓器の提供を受けることを拒否する方には移植しなくてもいい。そんなこと気にしないで命が助かればそれでいいという人もきっと多いだろうし、役立たずのクソ野郎がそんなことで役に立つのだから、それは却ってよいことなのである。
ちなみにオレは義を重んじる昔気質の人間だから、そんな臓器で助かるくらいなら死んだ方がマシだと思うのだが、おそらくオレの友人知人親戚は、「この際あきらめろ」と言うだろう。命が助かるのならどんな臓器でももらえと言うに決まってる。結果的にオレのような善良な市民に移植されればきっとその臓器の細胞一つ一つも喜ぶだろう。やっとまともなご主人様に出会えたと狂喜乱舞して細胞質を揺らすかも知れないのだ。
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オレはこの日記で何度か少子化対策について書いてきた。3人以上の子供を持てば年間100万円の育児手当を支給するとか、子供の数だけ税金を控除してもらえるので金持ちほど子供が多い方が得なようにするとかである。しかし、この流れがどうしよもうない日本民族の意志であり、歴史のもたらす必然ならば、もはや小手先の政策でそれを変えることはできないわけだ。だったらいっそ開き直って、少子化の結果国がもっと豊かになれるような方向を目指さないといけない。名付けて「少子化国富論」つまり「少子化になればなるほど国家が豊かになる」という社会を実現すればよいわけである。
そもそも国家の所有する富とはいったいなんだろうか。それが土地や現金、貴金属などの財産なら、分母である人口が減れば減るほど、一人あたりの持ち分は勝手に増えるわけで、そうなると少子化は実によいことになる。国家の財産をそのような不動産ではなくて動産、つまり国民が労働によって毎年生み出すものであると考えれば労働人口の減少によって毎年生み出される動産は減ることになるが、一人あたりの生産額を増やすことができればこれもまた少子化の影響を受けずに済むことになる。そう考えれば果たして少子化によって国家は滅びるのかと新たな疑問がわいてくるのだ。却って豊かになるのならばその少子化は逆に歓迎すべきじゃないのかと。
オレが少子化開き直り政策として実行するものは大きく次の2点だ。まず、1番目の政策として新たな居住用土地の開発を禁じる。これから人口は減っていくのだから、居住用に必要な土地もどんどん減っていくのである。それなのに大規模なニュータウン開発なんかされたら困るのである。農地は農地のまま、それを住宅用にすることを禁じ、逆に住宅地を農地や緑地に変えることは無制限に認め、その場合は固定資産税も安くすればいい。
それでも土地が余りだしたらそこをすべて緑化し、居住環境の向上に努めるのである。そうすると従来の住宅地の質が向上するために値上がりが期待できるかも知れない。新たに開発して供給できないのだから土地価格を少なくとも安定させるのには役立つだろう。続いて2番目の政策は相続時の財産没収だ。結婚しない男女が増えていると言うことは、死んだときにそれを相続する子や孫がいないということになる。そんな場合は100%を国が召し上げて、国庫にどんどん入れてしまう。そうやって国の資産を増やしていくのである。
人口が減っていくということは社会インフラを強化する必要がなくなるわけで、新たな鉄道も道路も増やさなくてもいい。電力や水道の需要ももう伸びないのだからダムも発電所もいらない。国は公共事業費を大幅に削減でき、その分のゼニはどんどん国家の歳出から削減できるわけだ。拡大を続ける一方だった財政規模をどんどん縮小する方向に変えていけるのである。この傾向が続いて30年も経てば人口も今より2000万人くらい減ってしまうだろう。食糧も国内生産だけで自給可能な状況が生まれているかも知れない。結果的に中国やアメリカから輸入される農薬まみれの危険な農産物を買わずにすむわけだ。
大都市ではマンションやアパートの空き室が増える。家賃を大幅に下げないと入居者がなくなる。賃貸が大きく下がれば、マンションを買う人が減ってしまうのでマンションの販売価格も値下げしないといけなくなる。そうした好循環が発生してますます土地や住宅の価格は下がるのである。値下がりすれば今所有する物件を手放して、より広くて快適な家やマンションに移る者も増えるだろう。これまで政策的に高くつり上げられていた都市や住宅の価格が暴落することによって、より良質の広々とした家やマンションをみんなが手に入れやすくなり、結果的に居住環境が向上して豊かになっていくのだ。これが「豊かになる」ことでないわけがない。右肩上がりに生産量が増大して売り上げが向上するというこれまで普通だったビジネスモデルが崩壊する代わりに、売り上げ個数は減少しているのに金額は増えていく、つまり高級品が売れるようになるというふうに、人々がより豊かさを享受する社会を目指せばいいのである。
もしもそんな世の中がやってくるのなら、長生きしないと損である。人口が減れば減るほど、社会の中で自分に分配される富が増えていくと単純に考えればいいのである。なんの工夫も考えられない馬鹿政府は、税額控除の撤廃や消費税の税率を上げるという方法で今の財政危機を乗り越えようとしているようだが、オレはただ「あほか!」と思うだけである。政府が対策を怠ってのんびりしすぎているうちに、事態は取り返しのつかない方法へ進んで行く。30年後には合計特殊出生率はたぶん1.0を割ってるだろう。そのときに豊かな社会を実現できていなかったとすれば、政府には馬鹿と、責任をとりたくない卑怯者しかいなかったということの証拠である。
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2006年07月02日(日) |
社長さんはハダカがお好き! |
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横綱朝青龍の全国後援会会長と言えば、徳島市内で和田林業の社長である和田友良サマである。他に福祉施設や自動車教習所の経営なども行う大実業家でお金もたくさん余ってるので、お相撲さんのタニマチ活動なんかもしちゃう余裕があるのだ。
このタニマチ活動にはとにかく金が掛かる。強い力士ならなおさら掛かる。一番強い朝青龍の後援会だから金の掛かり方も半端じゃないわけである。優勝すれば祝い金500万円、化粧回し300万円、一場所で1000万以上掛かることもあるという。ひいきの力士が若手力士を引き連れて飲み歩く時はその費用も全部負担しちゃったりして大変なのである。普通の金持ちならそれだけでかなり苦しいはずなんだが、大金持ちの和田サマはそれでもまだまだ援助したりなかったのか、お相撲さんだけではなく女子中学生や高校生まで援助しちゃったのである。
派遣型の売春クラブの会員となって、中学生コースや高校生コースに申し込んじゃったのである。東京出張のたびに、ホテルの部屋に中学生や高校生の女の子を呼んで少なくとも80回はタニマチ活動に励んじゃったのである。そんな非合法の売春クラブ、どうやって知ったのかと思ったらちゃんとスポーツ新聞に三行広告を出してるところらしい。どうしてオレはこのスポーツ新聞に売春防止法が適用されないのかいつも不思議に思うのである。広告を見ればたちどころにそれがその種の行為を業としてることなどわかるだろうに。そんなものを掲載した時点で新聞社も幇助行為を行ったと言えるだろう。
相撲取りのタニマチと女子高生買春のどこに共通点がと感じる方もいるかも知れないが、どちらもハダカのおつきあいという点では同じことであり、この社長さんはハダカのデブもハダカの少女もどっちも好きだったということである。社長さんの自宅からは少女の全裸写真が100枚以上押収されており、筋金入りのロリコンだったということがわかる。
ロリコンといえば幼女を誘拐して性の対象にした後で殺すという事件が後を絶たないが、それが凶悪犯罪になるのはいやがる相手を無理矢理性の対象にして結果として殺してしまうからで、この社長さんのようにたんまりお金があれば相手の少女も喜んでハダカになるし、セックスも合意の上でできるわけで、要するにお金があったかなかったかの違いだけなのである。
この和田社長、ライブドアの堀江氏が朝青龍後援会を立ち上げようとした時に「その男は信用できない」と反対したこともあったという。よほど自分の下半身を信用していたのであろう。ネットや週刊誌に散見する情報によれば堀江氏もロリコンの世界ではかなり名の通った遊び人だったそうだから、この両者は実は肝胆相照らす間柄だったわけだ。同好の士として手を取り合って進めばよかったのである。
今回押収されたというその顧客名簿、さぞかし政財界の要人たちが数多く登録されていそうである。この際洗いざらい中味を公開して、政治家や芸能人などみんな暴露してもらいたいものである。ただ、オレはそこに登録していた少女たちも「少年法」「更正の可能性」なんて美辞麗句で守ってやる必要はないと思っている。このクソガキどももはっきり言って世間を舐めてるのだ。股を開いたりハダカの写真をとらせるだけで男はホイホイゼニを出すものだと決めてかかってるわけで、そのまま大人になってもろくな女にはならない。どうせハダカを売り物にしたり高級売春婦で世間を渡っていきたいと考えてるに決まってるんだ。こんな女どももみんな名前も写真も公開してしまえ。
「娘の将来に傷が付くからどうか名前は出さないで」とこの売春娘の親たちはきっと思っているだろう。傷なんて将来ではなくてもうついた後じゃないか馬鹿。それを「お嬢さんでござる」とだましてどこかの青年実業家の嫁にでももらってもらいたいと思ってるのか。その方がかえって詐欺じゃないか。まだ開き直って「中学生のうちから四十八手を修行して参りました床上手の娘でございます!」と売り出す方がはるかに良心的だろう。それにしても情けない事件である。いきなり後援会を解散させられた朝青龍がかわいそうだが、彼は後援会会長がロリコンだと知っていたのだろうか。酔っていつも大暴れしていた真の理由は何だったんだろうか。
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2006年07月01日(土) |
ゼニを借りるのになぜゼニが要るのか? |
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振り込め詐欺に多くの人が慣れてきて、ひっかかるお人好しも減ってきた一方で、最近は新たな詐欺が増加しているらしい。それが「融資保証金詐欺」である。もっとも昔から「借金を一本化します。その融資を受けるためには保証金が必要です」と言って多重債務者から保証金をだまし取る詐欺は存在した。それ以外にも「事業資金を融資します」などの名目で保証金を振り込ませ、肝心の事業資金はいくら待っても振り込まれずにだまされたことに気がつくというパターンがよくある事例である。
ただ、オレにとって解せないのは、ゼニがないから借りるはずなのに、だまされて振り込むゼニがあまりにも巨額なことである。それだけのゼニがあるのならどうして借りるのか。わざわざ電話を掛けてきたりFAXしてきたりしてゼニを貸そうとする、いわゆる借金の押し売り野郎にろくな業者はいないのである。どうせ借りるなら天下公認のまともな業者のところで借りればいいわけで、そういう業者は利率も低いし、ちゃんとした収入があってきちっと返せる相手には年利率8%くらいの無担保融資をしてくれる。株式投資の利益で十分に返せるような利率である。なぜそんなまともなところで借りようとしないのか。オレにとっては不思議で仕方がないのである。もしもまともなところでゼニが借りられないような状況に陥った人なら、さっさと破産して人生をやり直せばそれで済むことである。
この「融資保証金詐欺」を検索していると信じられないような事例にぶち当たる。たとえばこんなの事例があるWEBサイトにあった。
雑誌の融資広告を見て電話したところ、「パソコン、デジカメを購入して郵送すれば、融資する。」と回答があり、早速パソコンとデジカメを購入して郵送したところ、その後、相手と連絡が取れなくなり、パソコンとデジカメを騙し取られた。
その「パソコン、デジカメを購入して郵送すれば融資する」というのを本当に信じていたのか?オレにはとうてい理解できないお人好しである。こういう犯罪者が野放しになる背景の一つには、引っかかる側の落ち度が大きすぎるということがあるとオレは思っているのだ。次に引用するのもその信じられないほどお人好しの被害者の実例である。アサヒコムの記事より引用する。
振り込め詐欺、だまされ続け446回1600万円
2006年06月30日21時29分
次々とかかってくる親切な電話の男の融資話を信用して、1年半の間に、計446回、1600万円以上を振り込んだと、宇都宮市内の50代の女性会社員が30日、県警宇都宮南署に被害届を出した。同署は、女性の銀行口座や振り込み記録などから振り込め詐欺事件とみて捜査を始めた。
調べでは、最初に女性に電話があったのは04年12月末。金融会社を名乗る男が融資話を持ちかけ、女性は50万円の融資を申し込んだ。最初に「登録料が必要」と言われ、3万3000円を指定された口座に振り込んだ。その後、「融資の申込金が必要」「申請書の作成料が必要」などと言われ、05年3月ごろまでに、計約500万円を振り込んだ。
一向に貸してくれないため、同年4月に解約を申し込んだところ、今度は「解約手数料が必要」などと新たに振り込みを要求され、1000万円以上送金したという。振り込み回数は1回当たり最高で約29万円、計446回に達し、計約1660万円を都内22の銀行口座に振り込んでいた。
6月中旬に、相手の携帯電話にかけると不通で、だまされたことに気づいたという。女性はこの1年半、毎日のように振り込まされていた形だが、「電話の男の語り口は常に丁寧で、信じてしまった」「知人に借金をしたり金融機関から借り入れたりして金を工面した」などと話しているという。
50万の融資を申し込む人が、なぜ1600万円もだまし取られるのか。オレには理解できないのである。尋常な判断能力があれば、それが詐欺であることくらいすぐにわかったと思うのだ。なぜこんなに取られ続けたのか。オレの理解をはるかに超えているのである。そしてオレが心配するのは、ゼニというのは善人が持っていれば善意のゼニだが、悪人の手に渡るとそれがさらなる悪事のために利用されてもっと大きな悲劇を生み出すということである。つまり、この方は詐欺師に活動資金を援助したことによって、さらに多くの犯罪が間接的に引き起こされる可能性をもたらしたわけである。
かつて「M資金詐欺」と呼ばれる融資保証金詐欺の古典的手口があった。今でもそれに引っかかる資産家がいるらしい。そういうのに引っかかる人はゼニに困ってる人ではなく、ある程度の資産がある人で、それならなぜそんな話に乗るのかオレにはわからないのだが、もしもオレに「1兆円融資しますから保証金を10万円入れてください」と持ちかけてくる人がいれば、1兆円もあれば日本の株式市場を思い通りに牛耳っていくらでもゼニを増やせるとオレは引っかかるかも知れない。しかし、その前にそんなゼニをオレに貸してくれる相手がいるということにうさんくささを感じるべきなのである。
もちろんオレもゼニが欲しい人間の一人だ。しかしオレは株式投資というまっとうな方法で資産を増やしたいと思っている。時間はかかるだろうがが、いつかきっと夢を叶えるつもりだ。正々堂々と増やしたいのである。
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