paranoia kiss
    


サイトの写真を変えてみました。
神戸オンリーです(笑)
あと、aboutもちょこっと変えて、
momentsは161.5というのに変更。
中身は同じで、ただブログにしたかっただけ。

昨日一日中、娘は機嫌が悪く(雨のせいか、低気圧のせいか。)
ひたすらあやすのに追われる。
腕が限界に痛く、立て抱きというのに挑戦。
首が座っていないので、不安だったけど、
結構、安定するし、授乳も楽チン。

夜中、1:30くらいまで記憶にあるけど、
起きてみたら朝だった。
旦那が寝室で娘にミルクをやったり、おむつを替えていてくれたよう。
感涙。
なかなか、眠らなかったらしい。

あたしはといえば、お乳が張って目覚めたのと、
浅い眠りで長い長い夢を見ていて、目覚めてしまった。

バーで知り合った人と付き合ってたんだけど、
ふたまたが発覚して別れようと思ってた。
あたしには勿体無いくらいの男前で、
なんで、あたしとつきあうのかわからなかった。

あたしはといえば、バツイチのそれはそれは
優しいけど、どうしようもなく弱い人とつきあうことにした。
見かけは、年齢のわりにふけて見える人。
今だから言えるけど、髪の毛が少なかった。

居酒屋で彼と飲んでいるときに、元彼とばったり再会。
一緒に行ったことのないお店なのに、
なぜか、会ってしまった。
元彼は酷く泥酔していて、あたしに気づき、
タカ。ちゃん、タカ。ちゃんと声をかけてくる。
あたしは気づかないふりをして、彼と話し続けた。
彼も、タカ。ちゃんって呼ばれてるんちゃうの。と言うけど、
あたしは、知らん人やわ。と返した。

彼は本当に弱い人だから、元彼に会わせたくなかった。
ただでさえ、自分にコンプレックスを持っていたから。
背が高く、男前が目の前に現れたら、
この人は壊れてしまう。と思った。

彼は、自分と別れてまでこのオヤジと付き合うんか。と思ったらしい。

まさに、そのシーンが夢の中で再現されて、
なんともいえない気持ちで目が覚めた。

起きてみれば、和室から娘の鳴き声。
現実がどこにあるかわからなくて、
横を見れば、旦那も娘もいないしで、
あたしはかなり混乱した。

台所では旦那がミルクを作ろうとしてて、
和室には顔を真っ赤にしている娘がいた。

旦那には寝てもらって、一人になって、
昔のいろいろなことを思い出した。
悲しくなるほど、恥ずかしいほど、
無茶苦茶だったあたし。



2004年10月31日(日)




なんとかイライラしないで過ごそうと思っても、
そうもいかない時もある。

おむつを替えるとき、おむつを開いた瞬間、
水鉄砲のように、いろんなものを飛ばされて。
服を着替えさせる時。
まだまだ、手際が悪いのかぐずられて。

あたしも一生懸命やねん!と思ってしまう。
ちょっと待って!が通じない。(当たり前やけど。)
全部、あたしの都合でしかないのは、
頭でわかってても、直面すると感情が先走ることもある。

赤ちゃんは待ったなし。なのだ。
つくづくそう思う。

夜中に自分はおっぱいを放り出したまま、
娘の着替えと格闘。
女でなくて母になったと思ってしまう。

今までは何よりも自分が一番だったのに。
変わらなきゃいけない。じゃなくて自然とそうなってしまった。

月曜に実母が家に来てくれる。
何を話そうか。
ひそかな楽しみ。

2004年10月30日(土)




娘は明け方になると愚図りはじめるよう。
おかげで、早起きになってしまった。
今日も、先に自分の分だけ朝ごはん。

朝は、できるだけ起きようと思ってる。
旦那が娘と顔をあわす貴重な時間でもあるし。
別に寝顔だってかまわない。

妊娠中より、早く洗濯機を回して。
そこから、娘と少し寝る。
で、掃除。
一人なので、泣き出さないか心配だったけど、
ぐっすり眠っていてくれた。

ひさびさにからっと晴れて、暑い位。
半そでで、汗だくになりながら掃除した。
退院してから、まともに掃除してなかったし。
お姑さんがしてくれてたけど、拭き掃除まではしてくれないし(笑)

肩こりと腕の痛みがかなり酷い。
整骨院に行きたいけど、いつになるやら。

昨日、娘のベビーブレスレットをオーダーした。
シルバーで名前と誕生日が入ったやつ。
偶然、あたしがしているのと、同じデザインがあったのでよかった。
初めての誕生日プレゼント。
いつまでも大事にしてくれるとうれしいな。


2004年10月29日(金)




疲れきっているくせに、海に出かけたい。
疲れているから、海に行きたい。のか。
心も体も。引きずってでも、海に行きたい。
垂水の海岸沿いの道を走って、
大好きなカフェでお茶をしたい。

大好きな金木犀の時期は何時の間にか終わってしまって、
すっかり冬の気分。
海にでかけるには、寒い時期になったけど。
秋を感じる時間が少なかったなぁ。
金木犀が香る季節になると、
なかなか生まれてこなかったなぁ。と思い出すんだろう。

お昼間は、2人きりになって改めて疲れがたまってることに気づく。
出産してから、人に会わない日がなかったから。

入院中は誰かがお見舞いというかお祝いに来てくれて、
退院したら、義父母との生活だった。

実母も手伝いに来てくれると言ってるけど、
まだまだ気を遣ってしまう、アタクシ。
なので、娘は今のところ手がかからないから。(事実)と
いうことで、遠慮してもらってる。
どうにもこうにもならんようになったら、
ヘルプをお願いするつもり。

昨日も、義母が作っておいてくれたもので晩御飯。

体中の力が抜けてしまって、ぐったりしている。
ほっとしたというか、お産の時の気持ちの高揚も
まだ抜けきってないことに気づく。

いきなり、手伝ってもらうにはムリがあったかなぁ。
んー。絶対同居はムリやね。

娘は明け方にぐずるも、比較的手がかからないと思う。
旦那も夜中の授乳で目を覚ますことも少なくなったし。
旦那も太ってしまって、お乳が出そうな胸をしてるんやけど。
男も出て欲しい。と思う瞬間がある。


2004年10月28日(木)




昨夜はお七夜。
パパとおじいもやってきた。
おじいは溺愛。
責任がないので、ひ孫は無条件にかわいいんだと思う。

朝起きてみたら、娘のへその緒が取れていた。
乾燥させて、保存しておこう。
今日の午前中に義父母が富山へ帰った。

身も心も疲れ果てて、しばらくぼーっとしていた。
娘は眠いのに、だっこされたりでぐずりまくり。
まぁ、しばらく会えないので仕方ない。と割り切る。

何事も割り切ってしまえば、それほどでもないけど、
割り切るまでが大変。
嫁姑の間柄は永遠のテーマだと思う。
時代と環境が違うから、なおさら。

お姑さんだって、自分の旦那のお姑さんと苦労したんだと思う。
自分はああいう風にならないでおこう。と思ってても、
時代がそうさせてくれないのかもしれない。

あたしも、反面教師というか、いい部分は真似して、
自分が苦労した部分は、取り去れたら。と思う。
でも、やっぱり娘が大きくなった頃には、
嫌なおばさんになっているのかもしれない。

妊娠中は胎教に悪いと思って、
いろいろと考えないようにしていたけれど、
人間の本質なんてそう簡単に変わるわけもなく、
今までの分を取り返すが如く、
娘が生まれてからは、あれやこれやと考えてしまう。


2004年10月27日(水)




昨日は、夜中にぐずることもなく娘は眠っていた。
2時間半ごとの授乳。

今日は朝から一週間検診。
義父母と一緒にでかける。
義母に助産婦さんの話を一緒に聞いてもらえてよかった。
湯冷ましはいらないとか、着せすぎはよくないだとか。
やっぱり、直接、話を聞いてもらうのが一番。
あたしから言うと、角が立つし。
いい機会だったと思う。

娘は一日の体重が増えすぎていて、
ほんとに母乳一本でいけそうだ。
今までは、母乳がどれくらい出ているかわからなくて、
ミルクと混合だったけど。
体重の増加が激しいと、将来、糖尿病になるとか。
あぁ、こわい。

昨夜、パパに電話して叱られる。
退院して、なんで電話してけーへんねん。と。
義父母が来てるし、電話しづらかった。
今日になって、おじいに電話。
おじいも、何で、電話しといたら。って義父母もいわへんねん。と。
間にはさまれてしんどい。

うちのおじいとパパは義父母とどうもあわない。
母親も同じく。
しかも、うちの親は感情をすべてあたしにぶつけてくる。
まあ、あたしはあの人たちの子供であるから、
あたしが義父母とあわないのも、
仕方がないといえば仕方がない。
でも、旦那とはそこそこ打ち解けてる。

義父母は息子(=旦那)に似ている。とそればっかり。
いい加減にしてほしい。
嫁の前でも言っていいことと悪いことがあるやんね。
ま、それで気が済むんならいいけど。
あたしはデリカシーが欠落している人間が大嫌い。
(はっきり言ってもた。)
うちの親も、大概やけど、人前では言わないように。と
前もって教育してある。
(親に教育。っていうのもおかしいけど。)

正月にお里帰りしたら、
親戚中、旦那に似てるって大騒ぎなんやろうな。
あたしが単なる孫出産マシーンに思えてくる。
今の状態だと、あたしの味方がこの家にいないわけで、
考え方も卑屈になってきた。
旦那も親には弱いんだか、何も言わないし。
たぶん、ここ数日をうちの親たちがみたら、
孫はええから帰って来い。って話になりそうだ。

そろそろ、あたしの精神力と気力も限界が見えてきた。
旦那からも言ってもらったが、明日あたりで、
富山に戻っていただこうと思う。
あたしは、あたしのペースでやりたい。というのがどこかにあって、
というか、いづれは旦那と2人で育児になるわけだし、
ムリをするわけでもなく、自分のペースをつかみたいというか。
義父母に気を遣いながらの育児に疲れてきた。
それなら、一人でやって疲れている方がましというか。

今日はお七夜。
義父母は梅田へ買い物にお出かけ中。
一人になれる時間。
初めてのお出かけでつかれてぐずる娘もやっと寝てくれた。
眠ったら、体力は回復するけど、
気力と精神力は回復しないということがわかった。

気遣いと作り笑顔ももう限界。


2004年10月26日(火)




明け方に娘が癇癪を起こし、
左のお乳が切れてしまった。
授乳しながら痛いなぁ。と思ってたら、
切り傷ができてた。

さっそく、搾乳機なるものを使ってみた。
傷口は痛まず、快適。

沐浴も、とても気持ちよさそうで義父が写真を撮っていた。
あたしが温泉好きだからかしら。
そんなところまで、似ないか。

あたしと旦那はB型だったりするんだけど、
娘はO型だったりする。
あかちゃんの血液型って変わるらしくて、
ゆくゆくは娘も変わるかもしれないなぁ。

親ばかなんだろうけど、授乳していると
娘がニコニコしているように見える瞬間がある。

あたしが、親に反対されて家を出たような形で
結婚してしまったけれど、いつか娘にもそんな日がくるんだろうなぁ。
なんて、気が早いのもいいところだけど、
そんなことを考えたりしていた。

今までは、子供の立場でしか物事を考えられず、
なんで親は離婚したんやろう。なんて思ってたけど、
親になった今、少し気持ちがわかる気もした。
子供に手がかかる上に、相手の理解が得られないと、
自分の人生を生きてみよう。なんて思うのかもしれない。

明け方、ぐずる娘と格闘しながら、
横で大いびきの旦那を恨めしげに見ながらそう思った。
自分が苦労した分、娘には同じ経験をさせたくないけど。
まだ、母親に面と向かって離婚の理由を聞けないヘタレなあたし。

10月18日追記分より、10月22日分まで日記を書きました。
かなり長いので、お暇なとき、お茶のお供にどうぞ。

2004年10月25日(月)




金曜から義父母さんがきてくれているので、
なかなかネットに繋ぐことができず。

朝から、娘はぐずりだして旦那と2人で寝不足。
お昼からは沐浴させたりと大変。
娘は旦那にかなり似ていて、
それに機嫌をよくしたのか、旦那はかなりやる気でいてくれている。
助かる。
あたしも、褒めて褒めて、育児に参加して貰おうと必死。
慣れれば怖さもなくなると思う。
首が据わってないことにかなり怖がっているよう。

あたしはといえば、妊娠中は出なかった喘息の発作が出て、
早速、救急で総合病院を受診。
お産の疲れと、明け方の温度差にやられたらしい。
帰ってきても、娘は眠っていてくれて助かった。

日々、顔が変わってゆくのがわかる。
表情が豊かになるというか。

まだまだ半人前で偉そうにはいえないけど、
やっと、親孝行できたというか。
周りがこんなに喜んでくれるなんて。
たった数日で親の苦労がわかった。なんて、
おこがましいけれど。でも、そう思う。

明日から、昼間は義父母さんと一緒。
気を遣うなぁ。
旦那の実家が遠いせいで、盆暮れ正月しか会わない間柄。

2004年10月24日(日)




18日の日記を書いたあと、夜7時ごろに突然破水しました。
そこから、病院へいって、一晩苦しんだあと、
19日の9時46分に女の子を無事出産しました。

今日、退院してきました。
ぼちぼちと、入院生活を書いていこうと思ってます。

名前は彩葉(いろは)となりました。
取り急ぎ、ご報告まで。

2004年10月23日(土)




夜の授乳が終わって、すぐに寝てしまった。
よく眠ったと思う。
朝からまた授乳へ。
自分のおっぱいがどれくらい出ているかわからん。

検診は問題なし。
思ったほど体重が減ってなくてショック。

10:00の授乳から母乳量の測定をはじめる。
驚くほど出ていた。

11:00からエステ。
首、腰、背中とやってもらう。

サポーターで体を締めはじめた。

14:00から小児科検診。
黄疸もなく授乳量もOKで、問題なしだった。

夕方、おじいとパパがきた。
娘は昨日と違って、ずーっと寝ていて愛想なし。

夜に富山からと母親と種違い妹が来てくれた。
義母さんはずーっと娘を抱いたまま。
嬉しいのはわかるけど、周りの空気を読んでくれ。と思う。
あたしのイライラも最高潮。
あたしはやはり、母親にも抱いてほしかったから。

みんな帰ってから、母親にメールする。
妹も、母親も、嫌な人やねー。と。
そうやろな。
あたしは旦那の印象が悪くなりそうで心配。
あの人から、この旦那が生まれたんか。と思うと、
印象も変わりそうで。

第一印象から変わらない人と、
あぁ、こういう人やったんかー。と変わる場合だってある。

母親と妹は血が繋がってるだけあって、やはり感覚が似ている。
感覚が似ている人は手放せない。
あたしは、紛れもなくあの人の娘だ。と妙なところで痛感した。

結局、画数を見たらしい義父の意見で漢字が決まる。

娘も慣れない声やら、慣れない抱き方をされて泣きっぱなし。
ふー。


2004年10月22日(金)




6:00の授乳に行くも、誰もいなかった。
娘はお風呂上りで、少しミルクを飲んでいた。
お乳をあげて、げっぷをさせるとニコニコしていた。

こんなに娘がかわいいと思える日が来るとは。
本当に子供嫌いだった。
そんなあたしが母親になるとは。

腰に枕を入れて寝たので、腰痛は少しまし。
筋肉痛も、普段使わない筋肉を残してなくなる。
キズの痛みも、もうない。
普通に動けそう。

昨日の台風で世間はえらいことになってる。
今日からシャワーのOKが出て、
キズが心配だったけど、ひさびさにすっきりした。

16:00の授乳後、娘を部屋につれてきた。
パパもいたけど、娘はひたすらに泣き続ける。

夕食のバイキング後、再び娘を部屋へ。
旦那が来るも、ずっと寝たまんま。
さっきのは何やねん!

富山から義父母は明日来る。
パパとおじいも来るので、母親には土曜に来て貰おう。
ゆっくりできるのも、明日まで。

毎日、幸せだけど、大変な日が続くんだろうな。

2004年10月21日(木)




筋肉痛で寝返りが打てないほどで、ほとんど眠れず。
5:30頃起きて、体を拭いたりするも、痛いだけ。
座るのもやっと。
腰も痛くて曲げたまま。
普段使わない筋肉を酷使した感じ。
こんなに筋肉痛になるなんて、聞いてへんて。って感じ。

ようやくごはんが普通に食べられるようになる。
10:00から授乳。
果たして出ているんだろうか。
実父には、そんな頼りない乳で大丈夫か?と言われていた。(暴言)
マタニティビクスの友達が同じ日の8:00頃に出産していた。

デザートバイキングがおやつの時間にあって、
カフェにいると、おじいとパパが来た。
おじいは、ひ孫になるわけだ。
おじいがお子を見て、泣いていたのが感動的。

授乳はお子はうまく飲めるよう。
あたしの母乳も出ているらしい。よかった。

筋肉痛も時間が経てば、少しましになってきた。
台風23号が来ていて、旦那も早く来た。
デジカメで写真を撮ったり。
あたしが入院していた頃からいた人が結局、一度退院になる。
手術になるんかな?

娘も泣いたり笑ったり、感情が出てきた。

2004年10月20日(水)




ロングバージョン

破水しているので、おなかの中にもお子をあまり置いておけない。

6:00から子宮口を開かせる薬を飲むことが決まった。
横のLDR(陣痛から回復まで1つのベッドで過ごす部屋。)
では冷静にお産が進んでいる。

3:00頃から陣痛が10分間隔になるが、
まだ耐えられると思っていた。

6:00に薬を1錠飲む。
30分おきに飲むようだ。
飲んだらすぐに陣痛がきつくなった。
すぐに旦那に電話する。
タオルとお茶の追加を頼む。もう、あとはのた打ち回るしかない。

7:00前に旦那がくるも声も出ない。
さすってもらう指示も出せない。
喘息が出ないか様子を見ながら、
結局、3錠飲む。

いきみたい感じというのが、妊娠中はさっぱりわからなかったが、
要はトイレに行きたくて仕方がない感じ。
トイレから出られなかった。ずっとトイレにいた気がする。

9:00前に子宮口が全開になっていたようで、
あわててLDRが準備される。

やっといきんでいいと言われる。
此処の産院はソフロロジーという呼吸法で出産する。
ラマーズみたいな呼吸とは違って、
ひたすら、息を吐くことを意識する。

旦那はずっとトイレにいると思ったらしく、
旦那がいない。看護婦さんに呼んで貰う。
すぐにDr.も来た。

え?もう生まれるの??って感じ。
酸素をもらいながら、必死に呼吸する。
頭が見えたりするらしい。もう、必死。
できるだけ、長く息をしようとする。
9:46 3,232g で生まれた。
すぐに泣いた。
心音も0にならなかった。

旦那を見たら、顔を真っ赤にして泣いていた。
あたしは泣かなかった。というより、泣けなかった。

旦那がへその緒を切る。
血が天井まで飛んでしまって、一同大笑い。
先生も、院長に叱られるから、拭いといてー。と看護婦さんに言う。

お子がきれいになる間に処置。会陰切開の時の麻酔の痛かったこと。
聞いてへんて、そんなこと。
処置も時間がかかる。
そんなに縫うの?って感じ。
頭は妙に冷静で、先生と、
さっき生まれた子がへその緒が巻いてて大変で・・・。なんてハナシをする。

処置が終わって、旦那とお子が戻ってきて写真を撮ったり。
LDRで2時間を過ごす。
産院はめっちゃセレブな病院で、食事も豪勢。
朝食は旦那がほとんど食べた。

車いすで部屋へ。もちろん個室。
少し眠った気がする。
動けないので、介助が必要。
だんだんと傷が痛くなる。
歩けない。

旦那は面会時間一杯までいくれた。

誰もが、掃除のおばちゃんまで旦那に似ているというらしい。
それはそれで嬉しい。
でも少し寂しい。

夜に実母と種違いの妹が来てくれた。

2004年10月19日(火)




今日も検診へ。
行く気がなくて、仕事中の旦那に送ってもらう。

結果。
明日、入院することになった。
あたしの胎盤の機能が落ちているのと、
予定日を5日過ぎているのもあり、陣痛を起こさないといかんらしい。
おまけに、またお子の心拍が落ちる始末。

お子も下がってないし、子宮口も開いてないしで、
まず、子宮口を開かせる薬を飲むよう。
その薬が喘息を起こす可能性があるらしく。
(あたしは喘息もち。)

いきなりの帝王切開は抵抗があったので、まずは薬を選択した。
そこから、うまく子宮口が開けば、陣痛促進剤の投与となるらしい。

喘息が出たり、陣痛が起こらなかったら、明日の夕方に一旦帰宅。
そこから、帝王切開になるのかな。

数日中には娘と会えるはず。
しかし、縁起でもないことに今日、妊婦が帝王切開で死亡って
ニュースを耳にする。

はぁ。
今までの親不孝が今になって一気にかえってきたよ。
妊娠生活も悪阻に悩まされた以外は、
体重も順調だったし、運動もそれなりにこなしてきたつもり。
今になって、えらいことに直面してる気がする。
気がする。じゃなくて、現実なんだけどさ。

お子が無事であってほしいのと、
旦那にどうしてもへその緒を切らせてあげたい。
そのためには、あたしの喘息が出ないことを祈るだけ。

日記が更新されなくなったら、生まれたか、もしくは・・・・

-------------
<追記>
入院準備や夕食の支度をして、洗濯物をたたみ終わる。
みんなにも電話して入院の旨を伝えた。
19:00頃バツッバツッと音がした。何がなにやらわからずトイレへ。
破水だった。

あわてて、お子のオムツをあてて、やよいをゲージへ。
旦那に電話して、家の近くだったので迎えに来て貰う。
車の中で陣痛もくる。20:00に病院へ。

NST(分娩監視装置)をつけると、陣痛は2〜3分間隔。
そのうちに4〜5分に遠ざかる。
ごはんを食べているうちになくなってしまった。

24:00まで旦那に付き添って貰うが、生まれそうもないので、
帰ってもらうことにした。


2004年10月18日(月)




まだ、出てきまへん。
いい加減、うんざりというか、なんというか。
体質は母親に似る。と聞いてああ、やっぱり。と。
遺伝子って凄いよな。
母親から、あたしは予定日より10日遅れで生まれたと聞いた。
あたしもすでに40週と4日。
明日の検診まで持ちそう。

義父母さんのための布団を干したり、
散歩したりと体は動かしているんだけど。
なかなか、お産につながらない。
あたしの体が準備できてないんだろうか。
焦りとも諦めともなんとも言いがたい気持ちがある。

今から旦那のPCをリカバリ。
昨日は企画書書きのお手伝い。
旦那秘書です。
でも、ラーメンに釣られた。
単純。

2004年10月17日(日)




一日中、電話が鳴りっぱなしで、
メールの対応にも追われる。
気にしてくださって、ありがとう。
相手が違うもんだから、いちいち状況を説明するのも億劫で。

割り切ってしまえば、ただの平日で。
こうなるんだったら、予定日をもっと遅らせて周りには
報告すればよかったかなぁ。と。

初孫だし、友達内では出産するのがあたしが一番だから、
みんな気になるんだろうけど。
恐縮してしまう。

マタニティ用のカーゴをはいてるわけですが、
また洗濯できない日々が続きそう。
いい加減、いい感じに擦り切れてきた。
愛着があるというか、なんというか。
いつおさらばできるんだろう。

2004年10月14日(木)




すっかり、狼少年じみてきたけど(笑)
昨夜も母親から電話があって、
まだかいなー。と。

あたしは、どっちかというと、いらちだし、
旦那は切羽詰ってから行動を起こすタイプ。
こののんびり、おっとり具合は誰に似たもんだか。

もう、来週まで出てこないだろうと腹をくくった。
昨日は、何でなんやろう。と悲しくなったり、
いらいらしたりもしたけど。

今日前後を目安にやることを消化してきたので、
ほんとに何をして過ごしていいかわからなくなってきた。
もともと、出かけたい症なので、
出かけない生活にも飽きてきた。
近所の散歩も景色は代わり映えしないし。
昨日も、夙川から苦楽園まで歩いてみたけど。

両隣が金木犀を植えているので、一日中甘い香りがする。
大概の人は、桜が咲くと一年経ったなぁ。と感じると思うんだけど、
(なんとなく、あたしの憶測。)あたしの場合は、金木犀が基準。
涼しくなって、夜が長くなる頃に、
この甘い匂いがなんともアンバランスな感じがする。
これからの季節は、思い出すことが多くて嫌。
思い出すことのないくらいに、忙しく過ごせるといいんだけど。



2004年10月13日(水)




連休中は掃除と散歩で終わった。

昨夜は20分間隔でおなかが痛くなるものの、
まったく、間隔が縮まらない。

今日は検診へ。
10分ごとにおなかは張るものの、
お産につながる張りではないらしい。
今日も、NST。
お子は元気に動いてる。
動いてる間は、お産にはならない。とのこと。

また、一週間後に予約をとったさ。
明日が予定日だというのに。

促進剤とか、帝王切開になるんやろうか。
恐いなぁ。

あたしは待ちくたびれて、疲れてきた。
はよ、出てきて。

2004年10月12日(火)




気がつけば、もう10日になってる。

昨夜は旦那と居酒屋に行った。
お酒を3杯も飲んでしまった。
多分、あかんこと。
でも、最後かも。と思って。
最近、こればっかり。
何をするのも最後、最後。

一向に産気づく気配もなく、日々時間が過ぎてゆく。
台風はあっけなくどこかへいってしまったし、
お子も生まれてこなかった。
期待に胸を膨らませていたのに。

今日も義母さんから電話あり。
まわりをやきもきさせる子だなぁ。と思う。

ちょっと横になるつもりが、えらい昼寝。
起きてみれば、旦那が昼寝中。
平和なお休み。

2004年10月10日(日)




またまた台風接近中のご様子で。
もう、何日家を一歩も出てないか。

友達も台風に便乗して生まれたみたい。
次こそ、あたしの番か。
いっそのこと、今日明日中でもいいんやけど。

昨日、昼寝をしていたら、お子がぐるぐるっっと
2回転したのがわかった。
逆子になったんちゃうか。と焦ったんと、
あまりの骨盤の痛さに目が覚めた。
ぼすぼすと蹴っている位置が変わってないので、
逆子にはなってない様子。
まさしく、お子が降りた瞬間って感じだった。

旦那は今日から新勤務地。
早起きになってしまって辛い。
結婚した当初は、ずっと勤務地が変わらないと思って、
新居を探したのに。
今となっては、あたしの実家から仕事場の方が近いじゃん。
でも、諦めきれない神戸ナンバーと阪急神戸線沿線。

2004年10月09日(土)




ちょっとまいってる。
眠ってばかり。
ストレスの原因もわかってる。

旦那の異動が決まって、歓送迎会続き。
飲まないで帰ってくる。といっても、
なんだかんだ理由をつけて、飲んでくる。

組合の仕事もやってるから、それの会合でも。
今週はもう3日目。
酔っ払ってたら、立会いもでけへんのにね。

ましてや、夜に何かあってもタクシーでってハメになる。
あんまり、この家にいる意味ないよな。

旦那もわかってはいるんだろうけど、
多分、そんなに真剣に考えてないんちゃうかな。

あたしの血をひいたお子だったら、
旦那が居ない間に生まれてきて、ぎゃふんといわせそうな気もする。

週末の台風の時に生まれてくるかな。




2004年10月08日(金)




頻繁におなかが張るようになってきた。
今までの張る。とは違う感じ。
前までは、張る。ということがどういうことか
さっぱりわからなかったけど。
最近の張りは、痛みを伴うというか。

腰も痛いし、痛い痛いばかり言ってるので、
本番のときに相手にされなくなりそう。
特に、旦那なんかは聞き流してる感じ。

骨盤の中にどんどんと入ってくるというか、
骨盤がミシミシいう。

予定日過ぎた友達に、今日のソフロロジーは休む。とメール。
なんだか、朝から体調がすぐれない。
もう、最後になるかもしれなかったけど、
気力のようなものがついていかなかった。
やる気のある日とない日の差がどんどんでてきた。

家事もさぼっちゃえー。と思うんだけど、
運悪く、昨夜、やよいをお風呂に入れたので、
リビングは毛だらけ。

2004年10月07日(木)




今日から39週。
予定日通りには生まれないのはわかってるけど、
やっぱりどきどきする。
破水したら、どうしようとか思って、
買い物に出かけるのもどきどき。

今週からコープの個別配送が始まるので、
買い物に行くことも少なくなるけど。
家の中で、掃除したりして運動してるつもり。

涼しくなったのを通り越えて、寒くなった。
着るものがなくて大変。
あと少し。だと思って、部屋着のズボンなんて、
もう何日はいてるか。
マタニティ用の厚手のものをもってないから、
着替えもない。
なんちゅー生活や。

一時間おきにおなかが痛くなる。
その度に時計とにらめっこ。
でも、すぐに遠のいて。
そんなのの繰り返し。

2004年10月06日(水)




昨日は朝から掃除そて、午後から検診にいった。
NST(ノンストレステスト)という検査。
結果があまりよくなくて落ち込んでた。
おなかが張ったあとに、お子の心拍が落ちてしまう。といわれて。
お産のときに起きるとよくないってさ。
でも、母体側でもどうしようもなくて。

今まで、経過が順調で予定日まであと1週間って時に、
なんて問題が発覚したんだろうって悲しくなった。

昨日は担当医が違ったから、心配で家に帰ってから、
院長にメールしたわけ。
夜に院長から電話もらって、
心配だったらもう一度検査するから、明日おいで。と言われた。

今日は雨の中、朝から再検査へ。
新生児の一週間検診だったようで、赤ちゃんばっかり。
顔見知りの人もたくさんいた。
そんな中、うちひしがれるようにして再検査へ。
帝王切開になるならまだしも、最悪のことばかり考えてた。
心拍が止まるって、よほどよなぁ。とか。
胎動があるたびに、お子は苦しかったんかなぁ。とか。

夜もほとんど眠れずにいろんなことを考えてた。

そうこうしてる間に、検査終了。
今日は異常なしだと。
ほっとした。
でも、本番の時に起こるかもしれないから、気にはしといてね。って言われた。

昨日のじいちゃん先生によると、お産はまだまだ。らしいけど、
今日の婦長の言葉だと、お産は近いね。だって。
振り回されてばかりのアタシ。

家に帰ってきて、体中の力が抜けた。


2004年10月05日(火)




昨日は、あたしの冬ものと夏物を入れ替えた。
なんでも早めにやっておかんと。

今日は、台所の掃除もやっつけた。
これで思い残すことはない。
あ。あった。布団や。
まだ、夏のタオルケットのままやったりする。

旦那が異動に。
勤務地が少し遠くなる。
この時期になって嫌だなぁ。というのが本音。

骨盤が痛い。
明らかにお子が下がってきているのがわかるけど、
これが果たして目に見えるほど下がっているんやろうか。
今日もどきどきしながら、車で買い物に出かけたけど。

いろんな人から電話攻撃。
まだ、生まれてこんよー。
ちょっと、ストレスを感じる。
生まれたらこっちから連絡するから、
まだかー。みたいな電話は勘弁してほしい。
なんせ、あたしが一番わからんので困ってるんやし。

2004年10月03日(日)




とうとう10月になってしまった。
もう、すっかり待ちくたびれた感のあるあたしは、
生まれてから先のことばかり気になっているよう。
夢にまで出てくる。

学校に戻りたいわけですよ。
中途半端に単位を残して、中退したわけで。
夢で、議論してるところとかが出てくる。
でも、言語学的なこととはさっぱり無縁になっているわけで。
幼児の言語習得とかをわが子を使ってやる。というのも1つの手だけど。
ちょっと、あたしには興味のない分野かもしれん。

本人は濫読多読だと思ってるけど、
周りは偏ってる。というので、妊娠中は一切本を読まなかった。
胎教に悪そう。と親に言われたので。
考え出したら止まらない性格やし。
本が読みたくてうずうずしてる。

お子の名前。
あたしの中では、思惟(しゆい)とつけたかったのです。
もしくは、叶希(かなき)。
前者は、中学高校とあたしは仏教系の学校だったため、
そこで習った言葉。
深く考える。とかって意味があった気がする。
後者は、字の如く。
希望が叶う。ってことで。

現実は全く違った名前で、字だけがまだ決まってない。
波を入れたかったわけですよ。
旦那がウインドサーフィンをするし。
でも、義母さんが波乱万丈になりそうだから、やめて。ってさ。
顔を見てから字を考えることになりそう。
性別がわかってから、ずっと名前で呼び続けているので、
呼び方が変わることはありえへんやろうね。

2004年10月01日(金)



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