初日 最新 目次 MAIL HOME


あるこのつれづれ野球日記
あるこ
MAIL
HOME

2005年11月29日(火)
存在そのものが文学な人

 
 ほんの軽い気持ちでふらっと本屋に入ると、なかなか店を出ることができません。目当ての本があるときはいいのですが、「何かないかなあ〜」なんて目的もなく行くと、泥沼にハマッてしまいます。めぼしい本がなくても、「何かあるはずだ。あるに決まってる」と買いもしないのに探し回ります。頭では「もう帰ろう」と思っているのですが、体が言うことを聞いてくれないのです…。

 今日もそんな感じで、本屋の泥沼にハマッていました。私は、ここ数年“本を読めない病”。ひどいときは、書籍はおろか、人がくれたメールすら読むことがつらいときもありましたが、今は野球以外の本だったらちょっとずつ読めるようになりました。また嬉しいことに、最近、「野球の本を読みたいなあ」と思うようになってきました。アホの一つ覚えみたいに野球の本ばかり読んでいた頃が懐かしいです(あの頃は夢のために読んでいたので、将来の自分を思い描きながら読んでいたのでしょう)。もっとも、思うだけでまだ無理なのですが、“読まないといけない”とは思っていても、読みたいと思うことがなかったので、嬉しい兆しです。

 そのとき、何の脈絡もなくふと思い出したのが、山田詠美さんの小説です。文中にこんな感じのことが書いてありました。人は、“文学を書く人”と“存在そのものが文学な人”の2種類いる。小説の登場人物に言わせている台詞なのですが、著者の詠美さんの中にもそのような考えがあると思われます。私は間違いなく、“書く側”の人間でしょう。たいしたことを書いている訳ではないのですが。身近にいる人でいえば、ともきちは間違いなく“存在そのものが文学な人”です。“存在そのものが文学な人”は有名人や功績を挙げた人である必要はないと思います。普通の人だっていいんです。“存在そのものが文学な人”は、“書きたい”とか“書かないといけない”という概念から自由になっている人です。一種の憧れの境地です。

 今、文章を(勝手に・個人的にですが)書かせてもらっていることはありがたいので、生きている間は大切にしたいと考えていますが、もし生まれ変わるとしたら(そんな願望はあまりないですが)、今度は“存在そのものが文学な人”になりたいものです。



2005年11月28日(月)
体験して はじめて 身につくんだなあ


 日めくりカレンダーの“今日の言葉”。

 今日は、集合時間を間違え、現場に30分も遅れたらいけないことを体験。近くの店だったので、会社に寄らず、家から直接店に行ったのがダメだったのか。現場によって、作業開始時間が違うのだけど、今日は開始時間が早い現場だったにもかかわらず、遅い時間だと思いこんでいた。現場近くで会社から電話がかかってきて、その事実を知り、頭が真っ白に。

 店に着いて、「すみません、すみません」とひたすら低姿勢でメンバーと合流。みなは「しゃあないなあ〜。そんなこともあるわ」って感じでさらりと流してくれたのだけど、リーダーだけはキレそうな雰囲気を全身で漂わせながら、あきれた口調で言った。「あなたは、一体何を考えているのですか」。何も考えていなかったからこんなことになったんです、なんて言ったら間違いなく逆鱗に触れるので、大人しくしていた。

 ありえないよなー、こんな凡ミス。絶対それだけはしないようにって、ずっと意識して早め早めに行動をしていたのに。慣れって怖いなあ。仕事って慣れれば成長できるものだと思ってたけど、何ひとつできなかったときですらしなかったミスを、今中堅どころになってしでかしてしまうとは。慣れは時に油断を生むんだ。経験せずともわかって生きていければいいのだけど、残念ながら私は痛い目を体で覚えるタイプ。仕事をやりはじめたとき、先輩に「これはしてはいけないよ」と言われたことはたいていやってからその理由を体で覚えている。日めくりの言葉は、私にぴったりだ。

 さて。遅刻の話。昔、遠征試合を見に行ったとき、チームのバスに乗り遅れた選手を連れていくことになった。この日は、私と保護者の2人で行く予定だったところ、別の選手の保護者が「息子がバスに乗り遅れた。どうしよう」とパニックになって、同行の保護者のところに電話をかけてきたのだ。電車で5時間くらいかかる場所。車で送っていける距離ではない。パニックになるのもやむを得ない。その保護者は、間に合わなかったから行かないでおこうかと思ったらしいのだけど、同行の保護者が「私が連れていくから、行かせなさい」と説得した。私たちは事前に指定席を取っていたので、自由席の彼とは電車は別だったけど、同行の保護者は、「あの子にごはん渡してくるわ」「のども渇いているやろ」とあれこれ面倒を見ていた。最寄駅に着いて、試合会場まではタクシーを飛ばした。私と遅刻した選手は隣に座った。彼は浮かない顔をしていた。そりゃそうだろう。

 実はこの日、彼は試合に出る予定だった。でも、慌てて駆けつけたにもかかわらず、遅刻が理由なのか、結局試合には出してもらえなかった。「これも勉強」、隣で試合を見ていた同行の保護者が言った。




2005年11月27日(日)
イメージ


 地元から四条河原町まで歩いた。紅葉もきれいだったけど、はらはらとはかなく風に舞う落ち葉もまた季節を感じさせてくれた。彼らはたた葉として生き、葉としてその寿命を全うする。悟りきったかのようなその生き様に、それに比べて自分は、はなんて愚かでちっぽけなんだろうと思った。

 昔、こんな選手がいた。
 彼はピッチャーだった。下級生の頃練習試合ですらごくわずかな登板機会。2年の終わりころ、練習中に投手陣に集合するように指導者から指示が出されたので、彼は集合場所に駆けつけた。ところが、「なんで君が来てるるの?」という指導者の言葉。ていのいい投手クビ宣告。選手の保護者から聞いた話。100パーセント鵜呑みにはしないにしろ、選手のやる気を削ぐその言葉に、「ひで〜」と思わず声をあげた。でも、彼はその年の冬に体作りをがんばり、春には別人のように逞しい体になって、外野手で、チームの頼れる主砲に変身していた。甲子園には行けなかったけど、その後も野球を続け、今もクラブチームでがんばっていると聞く。

 どうか、ダメなイメージではなく、いいイメージを持っていてください。そう言っている私が、まるで出来ていないのですが(苦笑)。



2005年11月26日(土)
トライアウト


 カシスオレンジって、小悪魔の味。
 こんばんは。あるこです。

 今日は、来春設立される大家友和ベースボールクラブ社会人チームのトライアウトを見に行きました。姉の友人が先日行われた1次選考に参加していて(落ちたけど)、そのときに「東山の服を着た人がいた」と言っていたので、一体誰なんだ?と気になって見に行くことにしました。(結局、東山のグラウンドコートを着た他校OB選手と判明)

 午前9時前に会場である今津スタジアムへ。球場入り口で、一人の若い男の子とすれ違った。「っす」と一礼。これには思わずびっくり。小柄だけど、顔つきはしっかりしている。縦縞の某強豪校のユニフォームを着ていて、手にはゼッケンが握られていた。番号は「95」。応援しよう。

 球場に入ると、運営の学生さんからパンフレット(なんたらブックって言ってた)とオリジナルリストバンドをもらう。

 広い球場の割に、スタンドが少なく、選手たちや同伴者を中心にポツリポツリと人がいた。グラウンドではすでにアップが始まっていた。見慣れたユニフォームから、見た事のないユニフォーム、練習着まで様々な格好をした野球選手がいた。リラックスした空気が流れていた。私の95番(笑)は、外野で準備をしていた。

 トライアウト開始が近づくにつれ、観客も増えていった。同伴者だけではなく、地元の少年野球チームに子どもたちや、地元の人らしき年輩の男性たちもいた。ノックのあと、紅白戦(形式。実際は試合するって感じではなく、いろんなシチュエーションでの選手のプレーを見ていたって感じ)。紅白戦では、バッターボックスの数メートル後ろで、大家GMを始め運営人がパイプ椅子に座って、フィールドの中に選手の動くに見ていた。慣れないのか、声が出るのに時間がかかっていた印象。「どうしても(ここで)野球をやりたいんだ!」という気迫というか、必死さを感じ取れる選手はほとんどいなかった。今はクラブチームが増えつつあるので、トライアウトのかけもちもしているのかもしれないけど。元気の良さをアピールすればいいのにと、何も知らない第三者は無責任に思う。

 そんな中、元気の良さを感じた選手が、ゼッケン番号7番。背はそんなに高くないけど、腕は太く、下半身はごっつい。青春のシンボルで顔を一杯にした、どことなくバットボーイズ大溝似(わかる人いるかな?)の童顔。この子、人見知りなんてしないんだろうなという印象。実はこの選手、姉の友人が連れてきた高校生。一緒に1次選考を受け、彼は落ちてしまったけど、7番の子は今日の2次選考に駒を進めることができた。私は彼(姉の友人)と一緒に見ていた。彼は、グラウンドを見ながら、ときどき「打ちてぇなあ」「やりてえ」「楽しいだろうなあ」と言っていた。

 午後1時前に紅白戦が終わった。1時過ぎの発表の間に選手は昼ご飯。興奮して、同伴者にあれこれ話す選手や、黙って淡々と携帯メールを送信する選手…。その姿は人それぞれ。でも、すでに一緒にお昼ご飯を食べる友達が出来ていて、みな緊張から解き放たれている感じだった。

 合格発表は、三塁側ダグアウト前で行われた。ホワイトボードに番号が書いてあり、裏向いていたため、選手よりもスタンドにいた私たちの方が先に結果を知ることになり、思わず声をあげた。7番の子は合格したけど、私の95番はダメだった。残念…。不合格者はゼッケンを返し、球場を後にする。

 合格者は、面接。しばしの待ち時間。スタンドで談笑している選手の声が聞こえる。
 「うかった、やった!また、お金かかるなあ(笑)」「グローブ、新しいのにしよう。何色がいいかな?」。そう言って、使い古したグローブをパチンと音をたてて叩いた。

 合格発表が終わること。それは別れでもある。面接待ちのため汚れたユニフォームのまま待機している選手に、不合格ですでに私服に着替え、その面影もない選手が一声かける。「やったな」。合格した選手が答える。「ありがとうございます。一緒に野球したかったっす」。「またいつでもできるよ」、軽く握手をして、私服の彼はさらりと球場を後にした。トライアウトを通じて、仲良くなったのだろう。そんな様子を見ていた別の合格選手が彼に言った。「おまえ、そんなんじゃプロでやれへんで。他人を押しのけるようでないと」。彼は、こう返した。「オレ、ここでは優しいこと言ってるけど、(野球を)やってるときは冷酷やから」

 私はここで帰ったのだけど、面接が終わったら、メンバーが決まるだろことう。いいものを見ることが出来た。“必死さをあまり感じなかった”とは言ったけど、元気に活躍する選手だけではなく、緊張で堅くなってしまった選手までも、素敵に見えた。今日初めて野球を観たという、姉の友人のツレの女性が、トライアウトが終わったあと感想を聞かれ、ひと言「かっこよかったです」と言ったけど、それはかなり真実だと思う。彼らはプロではない未熟な選手たちだけど、その懸命さにお金を払ってもいいと思った。

 最近ちょっと気持ちが冷め初めていたけど、知り合いのツレも合格したことだし、やっぱり注目していこうと思った。



2005年11月25日(金)
WAKUWAKU シーズンオフ


 オフです。私たち野球ファンにとっては、試合が見れない寂しい時間が続きます。たかだか2,3ヶ月なのですが、とても長く感じるものです。

 ところが今年の私、何故かテンションが上がりきっています。シーズン終盤の10月あたりから、気持ちが高揚し始めました。もうすぐオフだ♪

 試合のない時期をシーズンオフと言いますが、実際冬場にグラウンドへ行っても、練習は見れます。それを今年体で実感しているので、寂しさよりもう一つの楽しみが勝っているのでしょう。練習を見に行くにしても、試合のない冬の方が遣う気の度合いが違います。取材を再開しようかしら。

 物事に表と裏があるように、私がオフになってテンションが高いのには裏の理由もあります。それは、今シーズンにやり残したことやシーズン途中に思いついたやりたいことに向かっていけるから。また、野球を観ていて感じるマイナス思考を感じる必要がないから。頭の中で野球シーズンを楽しめるんですね。病んでるかも(笑)。

 毎年くじけているけど、来シーズンも目標は“100試合観戦”。とりあえず、コピー屋さんでスコアの下書き用紙を100×2枚コピーしに行こう♪ 野球のために無理に休みを取ったりせず、社会人として普通にカレンダーに色がついている日のみの観戦で達成したいです。そのためには、くじけやすい自分の心のコンディションと天候が大事になってきます。

 福井大会、最重要。御世話になった学校の試合も引き続き見て行きたいし、東山の試合もあります。クラブチームの試合も1回くらいは見ておきたいです。またまだ行ったことのない都道府県の試合も少しづつでいいから行きたいです。残り30都県。春・夏・秋で1大会ずつ。10年かけて楽しむ。30代はそんな感じで過ごそう。

 ここ2,3日同じような内容になってしまって、すみません…。




2005年11月24日(木)
独断と偏見の“2005・心に残る試合5”


 11月5日で、2005年の私の野球観戦は終了。計56試合(内訳・高校野球37、東山6、練習試合2、大学野球4、プロ野球(日本)4、(アメリカ)3)。ぐっと減りましたねえ。

 そんな中でも、心に残る試合。過去は接戦や延長戦に弱い私でしたが、傾向がちょっと変わってきましたよ。

1位 7/15 高校野球滋賀大会1回戦 八幡商業4x−3能登川(延長11回サヨナラ)
→ふらっと見に行った試合で、普通のチームが強豪校相手に大健闘(過去に何度か対戦しているらしい)。かなり理想的。ピッチャーって、マウンドにいるだけでかっこいいなと思った。私の高校野球好きの8割くらいは、“ピッチャーというポジションに恋してる♪”で出来ているのかもしれない。

2位 8/13 甲子園・選手権大会2回戦 京都外大西12−10関西
→す、すごすぎる試合…。真っ赤に染まるスコアを早く清書したい。

3位 7/23 高校野球京都大会3回戦? 紫野4−1西舞鶴(延長14回)
→今年、生で見た最長の試合。予備知識なしでのめり込める試合なんてすごいよ。1イニング4奪三振の珍しい記録も。

4位 4/1 春季香川大会準決勝 高松商業9−1尽誠学園(7回コールド)
→高松商業のいわゆる“高校野球らしい”攻撃の魅力が、素人の私にも伝わってきた。復活!と思ったのだけど。

5位 10/9 秋季和歌山大会準決勝 智弁和歌山17−3伊都
→普段なら気にも留めない大差ゲームだけど、何故か思い入れのある試合。



2005年11月23日(水)
2005年も終わり


 今日は、恒例のともきち&相方の3人で忘年会。ともきちの新たなる旅立ちをつまみに飲もうぜの巻。また一人、新しいスタートラインに立った。正直、ともきちとはいつまでもバカやっていられるような感覚に陥っていたから、今も実感出来ずにいる。遠い異国へ行くわけでも、喧嘩したわけでもないからこれからも遊ぶけど、“私は一生このままなんじゃないか”という気持ちは一層強くなった。じゃあ、自分はどうなりたいのかと言えば、それは全くわからない。スタートラインに立った人の中には、それが喜ばしい人もいれば、思わぬ出来事な人もいる。この日記を始めた頃抱いていた“夢”は、夢のままで終わるなあと最近思うようになった。才能がないことより、やる気が出ない自分がイヤ。じゃあ、私は何故日記を書くことを止めないいんだろう?わからない。でも、きっとそうある状態が必要だから与えられているものだろう。そう思わないとやってられないし。昔はこんなことばかり書いてたっけ?そりゃ、毎日書けたわ(苦笑)。アホな話をして笑いながらも、頭の片隅でそんなことをぼんやりと考えていた…。“冷酒を大人な感じで飲む”と目標にしているのに、この2人が絡むとアホみたいに酔っぱらうしかなくなる。また酒に呑まれてしまった…。

 というわけで、今シーズンもとい今年も終わり。今年は、スコアつけをとても楽しめた1年だったけど、それがアグレッシヴさを削いだようで、観戦数もぐっと減ったし、グラウンドへ突撃することも出来なくなってしまった。そして、初っ端から球場で気分が悪くなって吐くことが立て続けで、それが出鼻をくじいてしまった感じ。用心しすぎるようになった。20歳のときも、今年と同じように球場やグラウンドでの観戦中に体調を崩すことがしばしばあって、「体力落ちたなあ」と思ったけど、30歳になった今年は、それに加えて、心の衰えも感じた。40歳になったら何が衰えるのだろうか。考えるだけで恐ろしいので、考えない。



2005年11月22日(火)
旅の思い出 北海道・帯広


 北海道の旅の中盤、帯広に立ち寄った。JR帯広駅に着いたのは、ちょうどお昼時。駅前の豚丼屋さんで昼ごはん。高いだけあって、カルチャーショック的うまさ!だった。

 午後から行動開始、馬の資料館を見たあと、バスで目的地・帯広三条高校へ向かった。2001年友人を見に行った甲子園で、偶然試合を見ていて、三条という名前が気に入った友人は熱心に応援をしていた。空はどんより、小雨がパラパラ。あまり期待せずに学校内へ足を運んだ。                                    
 グラウンドはとてもいい雰囲気だった。敷き詰められた黒土。外野には芝生が植えられている。グラウンドの横にはクリスマスツリーのような木々(木の名前を聞いたけど、失念)が並木道を作っていた。春、沖縄に行ったときも思ったけど、ここには異国がある。

 グラウンドでは練習が始まろうとしていた。グランドに入ろうとしていた指導者らしき男性に「練習を見せてもらっていいですか?」と了解を取り、フェンス前で見ていた。

 すると、背後で車の止まる音がした。ふり向くと、漆黒の品のいい車が止まっていた。素人の私でも“いい車”だとわかる。中から、人が出てきた。年輩の男性だった。偉いさんかな?私は逃げ出すことも出来ず、成り行きに身を任すことにした。すると、その男性が私に気づいた。「こんにちは、どなたですか?」。私は挨拶をすると慌てて、グラウンドに来た理由を答えた。すると、その男性は「そうですか」と行って、私をネット裏にある高床式の建物に案内してくれた。この人、何者?私はオドオドしながら後に付いていった。中には女子マネージャーが2人いて、男性と私にコーヒーを入れてくれた。こういうことはよくあるのだろう。マネージャーの手慣れていた。砂糖とミルク入りのコーヒーを飲みながら、部屋の窓から練習を見た。窓は広く、グラウンドが一望出来る。グラウンド内を飛び交うボールは白くて大きい気がした。雨天練習用のボールを使っているとあとで聞いた。

 男性は、前の監督だった。私は2001年の甲子園での試合を見ていたと言うと、「ちょうどボクが監督をしていたときだね」と声にトーンが少し上がった。「ここでこうして出会ったのも何かの縁だね」と、野球の話から人間とは何か、人を育てるとはどういうことかという教育的な話まで聞かせてくれた。後ろに控えていたマネージャーが聞き取れないほどの小さい声で何かを囁きあっていた。「またいつものが始まった」って感じかな(笑)。彼女たちが、このテの話をしんみり聞き入るようになるには、まだもう少し月日が必要かもしれない。

 20分ほど話したあと、グラウンド内を案内してもらった。甲子園に出てから作ったトレーニングルームや、並木道にリスがいて、監督をしていた頃には小屋を作って餌をあげていたことなど。これ以上にないグラウンド見学をさせていただいた。本当は、帯広には2日前に来ようと思っていた。ところが、予定していた日はイベント開催のためすでにどこのホテルも満室。やむなく、プランを変え、この日にしていた。思えば不思議な縁。目に見えるものと目に見えないものに感謝。

 帰りは、漆黒の品のいい車でホテルの側まで送ってもらった。用事で近くに行くからなんだけど。地元の豚丼やお菓子の話、観光スポットの話など、世間話もした。でも、やはり根本にあるのは野球。恥ずかしながら私は無知で、「高校野球の監督を何年くらいされたんですか?」と聞いた。すると。

 「34年。長くやりすぎたね。ん。長くやりすぎた…」

 返す言葉がなかった。私が生きてきた時間より長いんだ。年月って重い。

 グラウンドで話をしているとき、彼は私にこう言った。
 「何かあったときにね。なんていうか、人の情けとかそういうものを思ってもらいたいんだよ…」 

 自分の勝手な思いこみや不運で野球を嫌いになりそうなとき、いつもこの言葉を思い出す。
                 



2005年11月21日(月)
『生協の白石さん』


 という本を今、読んでいます。これは、東京都内のとある大学生協のひとことカードのやりとりが書かれたもので、今やベストセラー。この大学ではひとことカードのやりとりが盛ん。学生からの思わず吹き出してしまうようなくらだない質問に、回答担当の職員・白石さんが仕事に限りなく忠実であろうとまじめに答えているて、ここでクスクスと笑えてくる。一冊で2種類の笑いが楽しめる代物。

 気持ちを緩くしたくて買った本だけど、ここでも何故かかなりの頻度で登場する野球。「中日は今年も優勝しますか?」と質問する学生。「プロ野球チップスの売り上げが芳しくないのは、見本が土橋(ヤクルト)だからでしょうか?」と質問から決して脱線しない程度にコメントする担当者・白石さん。その後、「プロ野球チップスを買い占めました」「見本を土橋から上原(OR松坂)に代えてはいかがでしょう?たぶん売れます」という学生の質問(コメント?)が返ってきたり。このひとことカードのおかげでプロ野球チップスの売り上げが飛躍的に伸びたとあとがきにありました。全く意図ナシ手にした本で野球に出会うとは。野球がソレだけ人々の日常にしみこんでいて、この本を手にした野球好きの私は、当分野球からは逃れられないなと思う次第。

 さて、大学生協と言えば、うちの母校にもあり、何かと御世話になった。食堂はカレー以外はみな美味しかった。生協で大量に菓子を買い込み、3時間ぶっとおしで食べ、お菓子を食べ過ぎると視界が朦朧とすることを学習した。また、大学4年間で熱くなったのは、プリぺードカードで残り一桁を作ること。残り残金を0〜9まで10枚集めるため、あれこれ計算して買ったり、お金を補充したり。その熱意が伝わったのか、友人から偶然できた残金一桁プリぺードカードをもらったころもあった。結局、3円と8円をどうしても作ることができず、夢破れたり。思えば、頭のネジがちょっとゆるんだパーチクリンな学生生活を送っていたものだ…。



2005年11月20日(日)
福井名産


 マイブーム・冷酒。つい3日前からだけど。

 相方との夕食、今日は飲みに行った。魚の美味しい和風の、客の年齢層がちょっと高い純日本な居酒屋が最近の希望なので、それに近い店に入った(頼むもの頼むもの品切ればかりで、キレかけたけど)。食べ物も、昔みたいにガバガバ頼むのではなく、魚を中心にしたあっさりしたもの数品でゆっくり酒と素材を味わう。そんな大人な飲み方がしたいもの。今日も1杯目はビールだったけど、2杯目からは冷酒。


 食べるものを選ぶため、相方がメニューを見る。メニューには、「島根浜田 かれいの一夜干し」みたいな感じで、素材の産地が書かれている。その産地をみて、「あ、浜田高校があるところや」といらんことで胸をときめかした私。

 相方が聞く。「ほっけ食べれるか?」。ほっけの焼いたのは好きなので、「うん、それ頼もう」と答えると、「カレイあるで、カレイ。越前カレイ(実際に、越前カレイたるものはメニューにはありませんでした)。自分、福井(県)好きやから、これにするか?」とあっさり前言撤回。私は野球でよく福井県へ行くし、相方もそれにつきあわされたことがあるから故の発言だろう。でも、カレイってあまり好んで食べないんだよね、私。へしこも食わず嫌い。福井の名産(主に敦賀)は、高校野球だけで充分ッス。



2005年11月19日(土)
旅の思い出 北海道・函館

 昨年秋の初め、北海道をまわった。昨日の日記で、「旅番組みたいにきれいなものじゃない」などと書いた私だけど、旅の序盤の函館で、“旅番組みたいな”経験をした。

 旅4日目。それまでは移動が多く、心をグッと動かす出来事に出会っていなかった。こんな感じでなんとなく10数日間が過ぎて行くのかなー。そんな思いが漠然と脳裏によぎっていた。

 この日は函館大有斗高校を見に行こうと、路面電車に乗った。車両に女性のガイドさんらしき人がいたので、道を聞いて、最寄り駅と言われた場所で降りた。ところが、行けども行けども、学校は見えない。どうやら間違えて教えられたようだ。ついてない。もう一度電車に乗り直すのも癪だし、ヤケになって歩き始めた。

 すると、軒先に洗濯干しにイカが干してある魚屋さんを見つけた。丸形で洗濯ばさみが付いていて、そこに開いたイカが挟んであった。まるで子供の靴下を干してあるようなその様に、町の日常を見た気がして思わず、シャッターを押した。すると、ひょっこりと店主らしきおじさんが顔を見せた。「イカってこうやって干すんですか?」と聞いた。おじさんは、「今朝摂れたばかりのヤツだよ」と言った。そして、何がどうなったか知らないけど、店の中に案内された。

 近所に住む人を対象にしたこじんまりとした小さい店内で、床はアスファルト。濡れていて、ほんのり生魚のにおいが残っていた。壁には古いポスター、有線からは演歌。店内にはテーブルがおいてあり、隣の果物屋のおじさんや野村サッチー似のおばさんがくつろいでいた。こういう光景が常で、ちょっとしたたまり場になっているという。店は私を中に入れてくれたおじさん夫婦が切り盛りしている。二人とも人なつこい取っつきやすい顔つきをしていた。落ち着いたとき、おじさんは私に「姉ちゃん、産地はどこや?」と聞いてきた。すると、おばさんが「産地って、アンタ。魚じゃないんだからー!」と陽気に笑っておじさんの肩をパーンと叩いた。おじさんはちょっと天然入っていて、2人の会話はまるで掛け合い漫才のようだった。近所の人が集まるのも分かる気がした。

 ここで、今朝獲れたばかりというイカを刺身でよばれることになった。1杯(イカを数える単位はこれでOK?)300円で、ご飯・お茶・しょうゆ・イカみそ(刺身しょうゆに入れると大人の味。私はミソ系が好かなくて食わず嫌いだったけど、コレはいけた)付き。テーブルクロスも古く、昭和の家庭の台所を思い起こした。お昼前の買い物には早い時間。店内に買い物客はおらず、みなで世間話。私は北海道を一人で回っていることを知ると、おじさんは「そりゃ、気楽でいいや。ハハハ」と笑った。野村サッチー似は、「函館に来たら、夜景見なきゃ嘘よ」と言った。イカはとにかくおいしかった。新鮮なイカは色がなかった。忘れられない味になった。それは、店の雰囲気や私に接してくれた店の人や近所の人たちの心地よい空気を含めて味わったからだと思う。

 お昼前にお礼を言っておいとました。北海道の旅はこの出来事をきっかけに好転した。続きはまた後日に。

 実はこの日、台風の話をしていた。「遠い昔に大きい台風があったけど、今はそんなに…」と言っていたおじさん。この数日後、北海道を大きな台風が襲った。おじさんも、おばさんも、お店も無事でいてくれたらいいのだけど。



2005年11月18日(金)
旅の思い出 沖縄・那覇

 昨春行った九州の旅最終日に見たのは、沖縄・首里高校のグラウンド。モノレールに終点「首里」駅から徒歩数分。学校とは離れてた場所にあるので、探すのに大苦戦した。道路標識に『首里高校野球場』と書いてある(一高校のグラウンドが普通の道路標識で案内されているのを初めて見て、カルチャーショック)ものの、聞いても聞いても地元に人からは、反応が返ってこなかった。結局、その日は諦め、午後には京都に帰る飛行機に乗る日の朝、同じ場所をウロウロしてようやく見つけた。

 ところが、前日からもう新学期が始まっていて、朝10時のグラウンドは無人。フェンスの隙間からのぞきこむことしかできず、練習を見ることはかなわなかった。「それならせめて写真だけでも」と、フェンスの前でデジカメを構えた。赤い土で覆われているけど、外野部分に芝のような草のようなモノが生えている。無人だからか、より広く見えた。フェンスに巻き付くように生えている朝顔にような薄青紫色の花や、フェンスの下にはタンポポに似た黄色い花が咲いていた。通りすがりの人に“怪しい”と思われないよう、花を撮影しているかのように見せかけた。すると、花を入れて撮るアングルがすっかりきにいってしまいバシャバシャ撮っていた。 

 すると、「芸大の学生さん?」という年輩の男性の声が背後に突き刺さった。“やば”と思いながらふり向くと、側にはいつのまにか停車している黄色いタクシー。麦わら帽子にTシャツのおじさんはドライバーだった。近くの芸術大学があるらしい、学生に振りしてりゃよかったよ思ったのはあとのこと。素直に、京都から来ている野球好きだと告白した。

 すると、おじさんは、「ここ(首里高校)にはねえ、春になるといろんな高校は試合をしに来るんだよ。こないだも○○高校や××高校は来てたよ。京都だったら、平安も来てたかな?」。おじさんが挙げる高校名はどれもこれも超有名校。道路標識はそのためか。私が、「へ〜、すごいですね〜」と呆けていると。おじさんが言った。

 「どことやるかじゃないよ。大切なのは、子供たちの気持ちだよ」。おじさんは自分の胸をドンと一回叩いて見せた。すると、車内の無線から応答と求める声。「426番行きます」。おじさんはそう答えて、仕事に行ってしまった。




2005年11月17日(木)
こうでもしなきゃこないところ


 夕飯と言えば、天一。相方と遊ぶ日のシメは天下一品へ行くのが定番になった。ひとしきり遊んだあと、「今日は、どこの天一に行く〜?」。この頃は、大阪市内を攻め、もうそろそろ制覇する。私はそうではないのだけど、相方は行く店行く店で、「スープは酸っぱい」とぼやくいている。同じスープの素を使って同じ時間帯に作った同じメニューなのに、味が違う。そういうことも得てしてある。

 ふと思ったのは、「ああ、こうでもないとここには一生こなかったかもしれない」ということ。大阪市内は、やはりキタやミナミで遊んだり買い物をするのが大半で、行っても球場やグラウンドだ。これといった観光スポットのない郊外の住宅地には、極端に言えばそこに知ってる人が住んでいない限り、足を運ぶことはない。それが、天一のおかげで人よりも多くそういう場所に足を踏み入れることが出来ていると思う。新鮮な驚きや意外な出来事に遭遇することなんて皆無だ。ただ、見知らぬ誰かか今日も生きているこの場所を目にすることだけで、十分価値があるんじゃないかと思う。

 高校野球の旅を初めてもう4年になる。初めて行ったのは石川の輪島だったっけ?海を目の当たりにした寂しいような壮大な自然。電車が廃線になり、バスも一日数台しか走らない。1泊しても、現地には2.3時間しかいることができない。高校野球がなければ、間違いなくくることはなかっただろう。また、旅先で野球を見ることは、それがたとえうまく行こうがそうでないかろうが、観光では見れないその町を日常を見ることに似ているかもしれない。最近、そんなことを考えるようになった。特に学校なんて、そこへ続く道は日常のためにあると言っていい。もちろん、がっかりすることもある。旅番組のようにきれいなものじゃない。けど、旅先で珍しいものを見たい、やってみたいと思う気持ちは多くの旅人が持っているモノ。知らない町の日常を見ることに飽きる事はないだろうと思う。

 というわけで(どういうわけで?)、もう間もなく野球シーズンも終わることですし、これからしばらくは過去にした旅の話を書いていきたいと考えています。本当なら、旅した当時の日付の日記として書くべきなんでしょうけど、日付を戻すと、気持ちが後ろ向きになってしまうような気がして。読み物として楽しんでいただければ幸いに思います。



2005年11月16日(水)
究極の夢


 “人のために何かをするなんて偽善もいいところやわ!”とずっと言ってきた私だけど、もしかしたら最終的に人は人のために何かをするように出来ている生き物かもしれない。

 人がそれぞれ持っている“夢”。中でも、某教育誌が『14歳くらいで諦めさせなければならないもの』としている夢、歌手になりたいとか野球選手になりたいとか、小説家になりたいとか。そういう夢は、その人がその立場になることで叶えられる。もちろん、書きたいテーマを書くこと。ベストセラー作家になるなどさらに高い目標を持っている人もいるけど。じゃあ、そこで夢は終わりなのだろうか?夢は現実になってしまうのか。私があれこれ模索して、そして模索しすぎたが故に自分の“夢”が何かわからなくなってしまっている間に、周りの友人知人たちは、どんどん自分の夢を叶えている。スポーツライター、旅行業界に勤めること、高校野球の監督…。そんな彼らを見ているとふとそんな思いがよぎった。

 ところが、その考えは変わった。
 私の友人で、ライターになりたいという夢を持つ人がいる。最近、編集関係の仕事を始めたばかり。そんな彼と久しぶりに会ったとき、何故か将来の夢の話になった。「早く自分の名前で文章を書きたい」「本を出したい」…彼からはそんな答えが返ってくるのかと思っていたら、違った。

 彼は、「球場を作りたい」と言った。子供達に使ってもらうためのものらしい。別の友人は、「よりよい環境で農業ができるようなシステムをつくりたい」と言ってたっけ?2人とも、大きなところに目標があるのに驚いた。私は笑っちゃうくらい自己チューだから、そんな夢、考えもつかない。だから、せめて“球場作り”の応援団になれたらと思う。



2005年11月15日(火)
プードルソレイユさま


 今ではもうそんなこともないけど、春から夏にかけて、「痩せたんちゃう?」と人から言われることが、わりと頻繁にあった。嬉しい話だけど、まるで身に覚えがない。むしろ最近は太ってきているのに、「はて?」と思っていた。

 思い当たるフシが一つだけあった。化粧品である。この春、限定品という枕詞に踊らされて、“プードルソレイユ”というフェイスパウダーを購入し、メイクの締めくくりに使っていた。ベージュとブロンズの2色のパウダーで顔に魔法をかける。ベージュはハイライトに、ブロンズはフェイスラインに塗り、シャドウを作り、顔をいくぶんか小さく見せることが出来る。開口一番「痩せた?」と聞く人は、顔を見て判断していたのかもしれない。ファンデーションや口紅などはっきり色に現れるものしか信じていなかった私だが、こまかいメイクも結構モノを言うんだあと思った。

 ところが、夏の終わりのある日、アホなことに化粧したつもりで外へ出たらすっぴんだったってことがあった。そのときも、「痩せたんちゃう?」と言われた。家に帰ってすっぴんに気づいた私、「おかしい」。そう思いながら、夜の洗顔マッサージをしていた。すると、二の腕がだるくになっていくのに気づいた。「洗顔って、二の腕に効くんや。名付けて“二の腕ダイエット”〜♪」などと独り言を言っていて、そんな自分の言葉にハッとした。」

 これかもしれない。毎日これをしていて、顔の輪郭がホントに小さくなったのかもしれない。毎日見ている自分だから気づかないけど、時々しか会わない人なら、顔が小さくなってる=痩せたと思ってしまうのかな?侮れぬ日常動作。そういえば、昔の野球選手なんかでも、家の農業や漁業を手伝ってて、足腰を鍛えたっていうエピソードはよくある。無意識にトレーニング出来てたって、ある意味幸運だ。

 でも最近、洗顔料変えて、その方法も変わったから、もうそんな効果は期待出来ないだろうな。



2005年11月14日(月)
素振りは、午後10時まで


 練習が終わるのが大体午後9時くらい。学校の練習グラウンドから近いところに住んでいるので、家に着くのは9時15分くらい。その後、夕飯を食べ、外で素振りの練習。でも、それも10時で終えなくてはいけない。

 彼の近所にはおばあさんが住んでいる。そのおばあさんが、彼がバットを振る音を聞くと、心臓がバクバク言って眠れなくなるから、「やめてくれ」と言ったのだ。彼が悪いんじゃない。でも、坊主頭に、金属バット。最近の青少年犯罪の事情を考えると、おばあさんが心ではなく、身体で怖がるのは仕方ないことかもしれない。これが、ある一人の高校球児を取り巻く環境。

 私は、人からこの話を聞いて、一生懸命になれる環境っていう言葉を思った。親や周囲の環境が全面サポートした思う存分練習に励むことの出来る選手もいれば、彼のように制限のある中練習を続ける選手がいる。グラウンドの環境と練習量について考えたことはあるし、話を聞いたり、本に書いてあったりする。でも、この練習グラウンドを出てからの練習については、情けなくなるほど何も考えていなかった。
 



2005年11月13日(日)
あの日、小さなパン屋の前に


 日本シリーズで、阪神がロッテに4タテくらった次の日、私は京都府向日市内で仕事をしていた。昼食を食べる場所を探すため、駅前をウロウロ。結局飲食店は見つからず、ずいぶん歩いて、コンビニでお弁当を買うことなったのだけど、途中、小さなパン屋さんの前で興味深いものを見つけた。

 店舗は畳2、3畳分しかないくらい小さく、個人経営っぽかった。最近よく見かける感じで、店の前にボードが置いてあり、パステルカラーにペンでなにやら書いてある。

 【千葉ロッテマリーンズ 日本一おめでとう】。びっくりした。関西でコレを掲げるのは、相当根性いるのでは?関西という世界で、千葉ロッテの日本一を祝えるのはロッテリアだけだと思ってた。店の人、熱心なロッテファンなのかな?阪神ファンに襲われなかったらいいけど。そんなことを思っていると、まだ下にも何か書かれていることに気づいた。

 【祝MVP 今江敏晃選手 寺戸中学出身】そっか。地元の子だったのね。これで、【千葉ロッテマリーンズ 日本一おめでとう】に納得。今江選手がPL学園OBだとは知っていたけど、京都出身とは知らなかった。前に少年野球の監督をしていた人が、「PLに行った今江は、当時(少年野球をしていたころ)から別格やったわ〜」とため息混じりに言っていたのを耳したことはあったけど、詳しい出身地まで聞いてたわけではなかった。阪神が負けたのは残念だけど、相手チームながら京都出身の選手が活躍したんだから、いっかと思った。

 ちなみに、ボードに一番下には、【パン焼きたて】。
 って、安売りせえへんのか〜い!
 



2005年11月12日(土)
入場券、奥深し!


 目覚めのいい休日。窓から差し込む日差しに、「今だ!入場券撮影日和!」と、さっそくデジカメを持ち出し、撮影開始。『入場券』のコーナーを久しぶりに更新しました。日差しを全然活かせていない写り具合ですが。

 きっかけは、これだったと思う。今回、入場券をくれた知人が、「富山大会は、1回戦から決勝戦まで全部色が違うのです」と教えてくれた。これは新鮮な驚きだった。福井に行くと、その年ごとに券の色が違うのだけど、同一大会でも違うところがあるとは知らなかった。

 私は、これはどこどこの入場券、それはここの入場券と、ワンパターンしかないと思いこみ、49枚の券があればいいだろうと思っていたのだ。そもそも地元京都の一般入場券がいつも同じだから。どこもそうだと思っていた。知人に教えてもらったことをふまえ、同じ府県の大会にもう一度行くと、やはり前と色が違ったり、大会によって色から大きさからデザインがまるで違うところもあった。

 一度気になるととことん気になるもので、「49校の入場券を制覇しよう」という私の淡い計画をあざ笑うかのように真実が続々と。県大会と地方の大会で色や大きさなどが違うとさっき書いたが、他に特別な券を発行しているところもある。京都では、招待券たる関係者しかもらえないもの(これは毎年色が変わり、ちょっと厚手の紙)があることは知っていたが、どうもそれとも違うらしい。

 そもそも入場券はいつから売り始めたのか、値段の基準はなに?もぎりは誰がやっているのかなどなど、素人はふらっと球場へ行ってもわかるはずないことが一杯。手に負えないよぅ。高野連に聞くしかないないんだろうな。学生なら、論文や研究という言い訳が出来るけど、個人の趣味で公の機関を使うのはなんだかなあ。ああ、気が重い…。それですっかり萎えていた。

 でも、今日の日差しを見たら、そんなことは頭からいっさい飛んでしまっていた。ま、とりあえず出来ることをしよと思う次第。



2005年11月08日(火)
芸人養成所かっ!


 閑散期はまだまだ続く。
 今日は一日家でゴロゴロ。ビデオを見ていた。今日見ていたのは、『10カラット』という深夜のコント番組。野球ネタをするコンビもあったので、何度も何度も見てしまった。

 見ていてふと思った。場面が変わり、芸人たちが一斉に映るとき、彼らは思い思いのポーズをしている。誰一人としてかぶらない。もちろん芸人だから意識的にやっているのかもしれないけど。

 ふと思い出したことがある。
 中学生のとき、地元の塾に通っていた。いわゆる進学塾で、もう勝ち組であるはずの私立中学生もさらにいい学校へ進むため、がんばっていた。英語も数学も超詰め込み教育。英単語は毎週100個覚えさせられたし、数学も中学2年でもう中学の全課程を終えていた。

 ところが、国語の授業はちょっと変わっていた。月に1回の作文があったのだ。作文が好きな私は、他の課題はやらなくとも、作文だけは仕上げて提出していた。それから、何かの拍子に先生の若い頃の話をしてくれたり、(初体験は行きづりの女性だったとか。そんなことまで)とにかくこんなのが、高校受験にどう役立つのか疑問に思うようなことばかりやっていた。もう顔まではっきり覚えていないけど、たぶん暑苦しい顔。熱血漢だった。

 そんな先生がある日突然。「机を全部後ろにさげろ」と言った。みな、何が始まるんだろと思いつつ、言われるがままにした。教室の前半分がガランと空いた。生徒はみな、右端の壁の前に並ぶように言われた。先生は向かい壁沿いに立っていった。

 「今から、一人づつここまで来てもらう」

 なんだそんなことか。みなが安堵にした空気が小さなざわめきになった。ところが、先生は続けていった。

 「ただし、前の人と同じ格好をして来てはいけない。前の人が普通に歩いたら、スキップするとか、ポーズをとるとか。とにかく工夫しなさい」

 先生の言いたいことを飲み込むのに、若干の時間がかかった。私たちはもじもじしてなかなか一歩が踏み出せない。

 「何してんだー。早くやった方が楽だぞ。あとになるとどんどん追いつめられるからな」

 そんな先生の声に押されたのか、クラスでもわりと目立つ活発な男の子が歩いてだした。すると、一人二人と向こう岸へ行く。増水した川の向こう岸へわたるかのような勇気がいった。私はかなり最後の方だったと思う。勇気がなかったのもあるが、私が先に行ったら後の人が「パターンが減るやんか」と思うのではないかと怖かったのだ。今思えばしょーもない取り越し苦労だけど。確か、メガネをハズして普通に歩いたはず。恥ずかしくて、逃げるように歩いた。先生が、「こいつ、何がしたいの?」という目でジロジロみていたから怖かった。

 先生は、「自我」の話をよくしてくれた。これもたぶんその一環だろう。でも、今、ふと思うと、どっかの芸人養成所でやってそうなカリキュラムだなあ。



2005年11月07日(月)
岡崎市民球場行きシャトルバス


 愛知・岡崎球場は市内郊外にあり、交通の便はお世辞でも便利とは言えないが、試合があるときは、名鉄「東岡崎」駅からシャトルバスが出ている。しかも無料!所要時間は20分程度で、便も20分間隔程度で出ている。愛知県高校野球連盟のHPでこのことを初めて知ったときは、かなりびっくりした。

 春先のある日曜日、あちこちで行われる試合の中、愛知大会を選んだ最大の要因がこれだった。その日は、すでに夏の大会のシードが決まった後の準々決勝。東岡崎駅に降り立つと、改札を出てすぐ、「高校野球・岡崎市民球場行き無料シャトルバスはあちら→」という(はっきりと覚えてないけど、そんな感じのことが書かれていた)看板が出ていた。

 乗り場に着いたのは、普通の路線バス。普段なら、「○○様ご一行」とか「××行き」と書かれている所には、「第55回愛知県高等学校優勝野球大会」(春季じゃないんだね…。ちなみに、秋は「愛知県高等学校野球選手権大会」。トリビアや〜)と書かれていた。いの一番に同行者の相方と乗りこんだが、乗客は私たちを含む3人で出発した。たった3人のためにバスが動いてる〜。バスを出すほどだから、もっとたくさんの人が乗り込んでくるかと思っていたので、拍子抜けたような、不安なような…。

 球場では、大府ー東邦の試合を観戦。土壇場逆転で大府が勝ち、「大府、おもろいなあ」と相方と話しながら球場を出た。帰りももちろん、シャトルバス。試合終了直後のバスはすでに出てしまったが、次に出発sるバスがすでに止まっていた。大型観光バス!これに乗るの?

 おどおどしながら、最前列の席を陣取った。乗客は私と相方の2人。待てど暮らせど、乗ってくる人はいない。そのまま、出発。普段は路線バスの運転をしていて、観光バスは初めてという運転手のおじさんは、「ここからは見えないから、なになにしちゃっていいよ」と陽気に言い放った。おっちゃん…。

 こうと知ってれば、無料タクシーにすればよかったのに(MKの関空マイクロバスじゃあるまいし)…と余計なことを思った私だけど、せっかくだからと、運転手のおじさんとお話をした。トヨタ自動車の力はいかにすごいか、今日の試合はシード校が決まったあととあって。あまり盛り上がらなかったことなど。そして、このバスの話。球場まで無料バス。しかも便も多い。こんな景気のいい話、日本中どこを見渡してもないんじゃないだろうか。実際、おじさんは「今日全部で60人乗せたか乗せてないかだよ」とさらりと言ってたし。

 話を聞くと、球場を作ったはいいけど赤字で、一人でも多くの人に使ってもらうという苦肉の策。夏の大会のメイン球場にはしたかったけど、ナゴヤドームに負けたみたい。そうでないと、1日に60人も乗らないようなバスを走らせるなんて無理。市とトヨタ自動車が…。おじさんは、「観光でもして帰って行ったら?お城もあるよ」と言って、駅の側でおろしてくれた。

 秋。東海大会観戦のため、再び岡崎へ。春の感覚で考えていたら、甘かった…。乗り場の前には人だかり。大入り満員でバスに乗れなかったこともあったし、球場の停留所には誘導の先生方が3,4人いた。とくに選抜出場が事実上決定する準決勝の日はすごかった。



2005年11月04日(金)
うるおいライフ


 化粧品メーカが作っている雑誌に、心理テストがあった。イエス・ノーを矢印でたどっていくアレ。テーマは、「うるおいライフの作り方」。何のこっちゃかはよくわからなかったけど、とりあえずやってみた。

 診断結果は、「徒労タイプ」。内容を要約すると、尽くすタイプだけど、そういう愛は得てして報われないことが多い。徒労感が重なり、次第に心がくたびれてしまうのが、潤いをなくす原因です。だってさ。

 尽くすかどうかは知らないけど、今の私はそんな感じかな?と思った。野球という永遠の片思いの相手に、必要以上の愛を注いでいる状態。愛で疲れるということは、それは煩悩としての愛「渇愛」でしかない。だから、私は、“疎外感”だの“むなしい”だの言っていたのか。恥ずかしい。

 慈悲の心で野球が観たいな。



2005年11月03日(木)
究極は独立リーグ?


 酔っぱらってこけてしまい、チャーミングな広いデコに川の字の傷(おもしろくて、ずっと見てた)を作ってしまった相方と、久しぶりに会いました。

 コンビニで買い込んだスイーツ(柄にもない言い方だなあ)をパクつきながら、ダラダラテレビを見ていると、NHKで四国独立リーグのドキュメントがやっていた。気にはしていたけど、結局1試合も見れずしまいだった今季。どんな感じだったんだろと、テレビに釘付けになった。

 なんていうか。素敵だね。あの雰囲気。試合が終わると、選手が球場の外でユニフォーム姿のまま、観客の挨拶していたり、地元の子供たちにせがまれサインを書いていたり、近所の食堂のおばちゃんが選手たちの食事をサポートしていたり…。

 前に「クラブチームが、疎外感を癒してくれるかも」と書いたけど、独立リーグの方がより大きい可能性があるように思えた。もっとも、それは、私が四国に生まれ育ち、今も四国で暮らしていたら、の話だけど。



2005年11月02日(水)
高校野球に興味ない人は

 仕事の移動中、週末の天気の話になった。「5日、雨が降ったら殺す」と囁いた私にみながひいていた。が、メンバーの一人(天然という定評あり)が、聞いていた。「またお笑いか?」。以前私が、「今度お笑い見に行くんでよ〜」と言っていたのを覚えてくれていたようだ。でも。劇場に雨が関係あるのだろうか?

 否定しておかねば、天然仲間になってしまう。
 「東海大会があるんですよ」。周りは、「?」顔になる。そらそうだろ。だから、説明した。「今度の試合は選抜出場を決める大事な試合なんです」。すると、さっき「お笑いか?」と聞いてきた天然さんが、「選抜って?」と首を傾げた。

 「春の甲子園のことですよ」と言い換えると、あっさり納得してくれた。私は何とも思わず「選抜」と言ったけど、高校野球を知らない人にとっては、何のことかわからなのか…。夏の選手権は、「甲子園」って言えばすぐわかってもらえるけど。新しい発見だった。

 あと、私の過去の経験では、高校野球の試合が(大会によっては)有料ということを知らない人が多い。言うまでもなく、高校野球の場合、その野球のレベルにお金を払っているわけではない。でも、甲子園などの大舞台はともかく、地方大会あたりだと、「金払ってまで見ることはない」という考えの人も少なくない。私の周りにも、そういう人がわりといる。相方はそれを知った今も払う気はなく、入場券売り場へ近づくことすらしない。かくいう私は、阪神戦のチケット代を払うことがほとんどないのだけど。