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あるこのつれづれ野球日記
あるこ
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2005年04月23日(土)
惚れたぜ、京教大!【工事中】


 佛教大園部グラウンドで、京滋大学のリーグ戦を野球友達と観戦。簡単ながらスタンドができており、トイレもきれい。もちろん、グラウンド(というより球場。ふつうに京都大会できると思う)も、よかった。友人は、しきりに「いいグラウンドもってるなあ」と言っていた。

 スタンドは、幅の大きな階段みたいのが三段。保護者を中心に窮屈でもなく、閑散しているわけでもないほどの観客が集まってた。バックネットには某旧ネットよりやや色が濃く太めのネット。ここがフェンスでないのは結構珍しいと思った。(フェンスだと打球が当たったとき、“ガシャシャーン”と人生が終わったようなガラスの割れた音がする)第二試合は、前試合を終えた選手も見ていた。

 第二試合のはじめだったか、前の試合終えた選手が制服に着替え、試合を見ていた。ペタンとコンクリートの上に座り、手にはペットボトルジュース。ふ〜んと思っていたが、ふと。「ああ、彼はあの小さくて硬いボールを14メートル強も投げることができるんだ…」。そんなことを思った。

 2試合見たが、特に印象に残ったのは、京教大(京都教育大学)。昨秋はリーグ最下位と決して強くないのだけど、試合を見ていて、思わず「がんばれ!」「あーあ、残念!」「やった、やった!!」と声をあげていた。なんか雰囲気が楽しい。思わずほほえんでしまうのだ。それを象徴しているシーンの一つが、自チームのバッターがヒットかエラーか微妙な打球を打ったとこのベンチの反応だ。スコアボードの判定のランプがともるまでのあいだ、みんなで“ヒット、ヒット〜”コール。そして、ヒットだと大喜び、絵エラーになると、「あー」と声を出し残念がる。ベンチ内選手の表情まではわからなかったけど、きっといい顔してるんだろなと思った。そんな私を見た友人は、「京教、好きになった?」と聞いてきた。

 

 



2005年04月21日(木)
サイン


 我が職場の我が部署は、“ダメな人”選抜部隊らしい。どうりで居心地がいいと思った。こんばんは、あるこです。

 確かに、おかしいというかマニアックは人がようけいる。アニメにプロレスに…。ちなみに私は、職場では野球よりお笑い好きで通っている。そんなマニアックの一人が、サイン君。大のプロレスファンである彼は、あちこちの試合に行って、選手のサインをもらっている。そのコレクションはもう3桁!私はプロレスには興味ないけど、マニアック血をかぎつけられてか、よく話を聞かせてくれる。

 そんな彼には申し訳ないけど、私はサインにあまり興味がない。それなら写真を一緒に撮ってもらった方が、その人に接したよりリアルな証拠になるような気がして(とはいえ、何枚かは持ってるけど)。それと、サインをもらうことに、テンションが下がったのはある光景を見たからだ。

 ある日、ファームの試合を見に行った。友人につきあって出待ちとしていたら、側にいた人が通りかかった某選手に応援ユニフォームを差し出した。選手は、取材の最中だった。それでも、差し出したユニフォームに気づいたのか、さらさらと書いた。取材に答えながら、ファンの目も見ずに。それでもそのファンは嬉しそうにお礼を言った。最初は、「あの選手、態度わるっ」と思い、次に「でも、忙しい中でも断らずにサインをするのは悪いことではない」と考え直し、ほな「そんなときにサインを求めるファンってどうよ?」「そうは言っても、チャンスないもんなあ」となった。誰も悪くないのに、関係ないことなのに、胸にひっかかった不快感のいようなむなしさをどうすることできなかった。もし、私がそのファンの立場だったら、興ざめと申し訳なさでちっさなトラウマになるかもしれない。

 このように、一ファンである私がサインの話をするとなれば、もらうサインのことに終始してしまうだが、実は過去にサインを“した”ことがある。書類の署名とかじゃないよ。居酒屋でバイトしていたとき、酒の入ったお客さんに、なぜか「サインして、サインしぇ〜」と言われたのだ。突拍子のない話、適当にあしらうこともいできず、結局彼の手帳に名前だけ書いた。翌朝手帳を見た彼は前日のことなんてまるで覚えておらず、「ん?誰これ?」と首を傾げているかもしれない。それはちょっといやだ。有名になってやる。
 



2005年04月19日(火)
プロ野球チップスシーズン到来。


 なんです。スーパーやコンビニによく売っている1袋63円くらいのポテトチップス。その中に入ってる選手のカードで、相方と勝負しています。 今年で何シーズン目だろう?とにかく、先週日曜日開幕しました。ここ2,3年は私が勝っています。

 遊び方は、コンビニで任意に選んだプロ野球チップスを購入。どっちのかわかるように、私は先を折ってレジに持ってきます。そして、店を出たらいざ開封。勝ち負けはどうやってつけるか。単純にいうと、好きな球団の選手は勝ち。嫌いなチームの選手は負け。ほか10球団は選手の成績や知名度などを吟味して勝敗を決めます。好きな球団の選手の中でも、メジャーな選手、好みの選手、あるいは活躍の度合いで決めます。そんな好カードは滅多とないのですが、今回ですよ。

 先に開封した相方が、「いえ〜い」と久々にテンションのあがった声。いきなり阪神当てたのかな?負けたかも。と少し不安を覚えながら自分のを開封しすると。井川カード。オ〜、イエ〜イ。オレのオレの勝ちや、オレの勝ち。

 いざ、オープン。
 井川。
 赤星。

 負けたぁ〜。しかも、光ってるし。「井川で負けるなんて。井川で負けるなんてぇ〜〜〜!!!」。開幕早々痛い黒星である。




2005年04月18日(月)
約束は、守ってもらいます!


 いつになく、京都学園の部員をよく見かけた今日。よりにもよって、なんで今日なんだよぅ…。こんばんは、あるこです。(ちなみ、通勤帰宅途中すれ違う高校野球部員TOP3→1,京都学園 2,東山 3,近江)


 ちょうど1年前のこの時期だったと思う。父は、「メジャーリーグ観たいなあ、メジャーリーグ観に行こう」と言った。ほぼ毎朝BSでメジャーリーグの中継を観てる父だけど、そんなに熱心だとは思わなかった。過去、隠岐を始め何度かの裏切りを経験しているので、「はいはい。行こうね。行こうね」と適当にあしらっていた。ところが、今回はパンフレットを取り寄せるだけではなく、本や雑誌やインターネットにと熱心だった。具体的に何日に行こうかという話までついていた。

 ところが、気づけば2度目の春。娘をナメんな、口約束侮るな、二度とないチャンスやしメジャーリーグ観てみたい…。というわけで、3月あたりから毎日のように「アメリカいつ行くの?どうすんの?どうすんの、どうすんの?」と催促したおした。内心は、たぶんあかんやろと思っていたけど、からかい半分だったのかもしれない。

 でも、父にとっては、それがプレッシャーになったみたい。今朝、「写真撮ってこい、パスポートの申請するぞ」。メイク落ちのない出勤前に証明写真の箱に入った。今日は半日仕事。仕事着のまま、父と姉の3人で駅ビルにある旅券事務局(??)に行った。野球にそれほど興味のない姉。「なんでこうなったかわからん」とばかりだった。父と娘2人のアメリカ旅行。独身最初にして最後の父親孝行…となるかな??

 パスポートの申請書類を出した後は、お茶してから旅行会社へ。私がツアーで取り扱っていないマイナーリーグを観たいと言ったばかりに、申し込みまで2時間かかった。色白美人のカウンターのお姉さんの笑顔が疲れてた。「あー、疲れた。やっと約束果たせた」父は、やれやれとばかりにそう言った。え、私が悪いの?

 



2005年04月17日(日)
実は…


 今日は4月17日。待ちに待った公式戦なのに、行きませんでした…。公式戦を「見なかった」のは、ホント久しぶりです。93年秋以来ですかね?なんで、「見な」かったんだろ。元々、4月17日に、試合会場にいる自分をあまり想像できなかったんですよ。今朝出かける用意しながらも、「私、本当に(会場校の)グラウンドに行くのだろうか?」と不安に思ってたくらいですから。

 あと、このごろ、体調はよくないんです…。休みになると、なぜか頭が痛くなるんです。そんな頭痛を放っておいた先週は、球場で吐き気と戦う羽目になってしまいました(でも、試合が終わったらころっと治った)。今朝も、そんな感じで頭が痛くて。結局、大阪で遊んでいたのですが、しんどかったです。

 家に帰って、ネットで結果を見たら、負けていました。応援しているチームが負けるとどっかで自分のせいと思ってしまうのに、勝っても自分の応援が少しでも貢献したとは思えません。

 なんで、行かなかったのかな。



2005年04月16日(土)
結局何がしたいんだ、私。


 このごろの自分の傾向からして、今日は何もしないでゴロゴロ、無駄な一日を過ごすのだろうと思ったら、本当にその通りになったしまった。とりあえず、頭が痛い…。
 
 昨年の終わりから、スコア書き欲がで出てきて、試合をたくさん見ようと考えていた。野球ファンとして果たしたい夢の記録『年間100試合観戦』を目標にすえ、今シーズンの到来を楽しみにしていた。

 ところが、ふたを開けてみると、遍路終了後は、ほとんど動いていない状態。100試合観戦を思うと、焦る。でも。体は動かない。100試合という目標が早くも足かせになったか?

 エンジンのかからない自分にやきもき…



2005年04月15日(金)
ホームラン


 ホームランは、やはり野球の基本の一つであり、魅力でもあると思う。

 まだ野球を一人で見ることのできなかったころ、父や姉と一緒に観戦したことがある。

 初めて甲子園で阪神を見たときは、父と一緒だった。プロ野球観戦といえば、ビールと思っていた私にとって、ひたすらカメラばっかりの父が不思議でならなかった。冷静に考えれば、父は普段ビールをあまり飲まない。でも、せっかく甲子園にきたんやからいっぱいやりながら、野球を見たいという気持ちがあった(注:当時私は未成年)。だから、父に「ビール飲まへんの?」と訊いた。すると、「新庄がホームラン打ったらな」。当時、新庄は調子がよくなく、ホームランなんてとてもとてもって感じだった。あれは、体のいい断り文句だったのか、。本当に新庄が好きだったのか…。

 姉と行ったのは、夏の甲子園。高校時代は姉も甲子園に熱かったので、誘うとノッてくれた(「そやな、行ってみよか」くらいのノリだけど)。真夏の暑い日。試合はたいした内容ではなかったけど、姉は凍らせたシャーベットドリンク(?)が気に入ったみたいで、「もう一度、アレ食べたいわあ」と言っていた。手応えアリ。「じゃあ、次いついこ」と言うと、「福留くん(当時PL、現中日)のホームランが見たい」とかえってきた。じゃ、次の試合で勝ったら行こかということになったが、結局PLは負けた。姉とはそれきり甲子園には行っていない。もし、あのときPLが勝っていたら…とふと思うときがある。



2005年04月12日(火)
♪そんな阪神タイガース

 
 仕事休み。相方と甲子園で今季初の阪神観戦。朝からずっと雨が降っていたのに、一向に中止になる気配がない。球場に向かう車のフロントガラスについた雨粒を見て、テンションが下がった。中止になってくれへんかな…。

 ところが、そうもいかないらしい。今日は、阪神鉄道の始まった日。おまかに客がようけ入る巨人戦。濡れながらの観戦となった。でも、9−1のボロ勝ちだったので、ひゃっほ〜い!赤星は、やっぱり『赤星さま』やなと思った。

 ところが、応援についていけなくて、時代に取り残された気分になった。今シーズンからほとんどの選手の応援歌が変わっている。同士からも(阪神ファンの友人)も「新しい応援歌のCDないですか?」という問い合わせがきた。相方が持っていた歌詞を見たけど、覚えるまでには当分時間がかかりそう。矢野と桧山の応援歌が変わってなくて、うれしかった。桧山は途中で代打で出た。スタンドが一番盛り上がったと思う。ファンが桧山に寄せる期待の大きさでもあるけど、やっぱり慣れ親しんだ応援歌を歌えるのは嬉しい(特に桧山の応援歌は人気があるみたい)。

 試合が終わったら、雨があがっていた。ファンはご機嫌で六甲おろしや応援歌を歌う。球場を出る階段を下りていたとき、若い兄ちゃん2人が聞き慣れない応援歌を歌っていた。新しい応援歌かもと耳を澄ましていたら、最後は♪きむら〜たくや〜。広島かいっ!

 そのことを相方に言うと、「そやな、俺も困ったときは広島の歌歌うな。阪神ファンは広島好きやねん」とのこと。確かに、試合後に大勢のファンの中で目立ちたいなら、必要かもね。(試合後、応援歌を歌っているファンが多いのだけど、なぜかどんどんマイナーな選手の応援歌になっていくので…)

 帰り、相方がポツリと言った。「明日から、仕事がんばろ」。かわいいこといいやがって。思わず笑ってしまった。





2005年04月06日(水)
月日が経てば、人も変わる。


 事務所で社内報を見ていたら、昔うちの支社にいた社員さんのインタビューが載っていた。入社から3,4ヶ月しか一緒に仕事をしていないけれど、なんか怖いというか話しづらい雰囲気があった。はっきり言って、苦手だった。だから、当時はわからないことも聞けず、ずいぶん遠回りをしたと思う。

 そんな彼がインタビューの中で、こう言っていた。「前の支社にいたときは、自分でなんでもしようとしていた。それでうまくいかないと、『なんでみんなわかってくれないんだ』といらだっていた。でも、今の支社で人に相談することを覚えて、成長したように思う」。

 そっか、そうなんだ。そのときふと思ったのが、野球部の監督のこと。成功した指導者が雑誌やTVで取り上げられる。成功までの道のり、その人の半生を振り返るのが主な内容だが、昔と今とでは考えも違うし、失敗もしている。そんなことが淡々と書かれていたりする。サクセスストーリー、嫌いじゃないけど、その過程にいた部員たちの心境を思う。当時その人に対してどう思っていて、成功した今どう思っていて、これからはその心境がどう変わっていくのだろう。『自分たちの時代の監督がそんな考えを持っていてくれれば…』『僕たちの時代があったからこそ、今の監督があるんだ。それならそれでいいじゃないか』『それでもやっぱり自分とはあわなかっただろな』などなど。そこが私にはわからなかった。それを少なくとも自分レベルで知っておかないと、ずっと小さいな棘のような抵抗感を抱いたまま、サクセスストーリーを読まなければいけない。そして、野球をしていない私にその経験ができるとは到底思えなかった。

 ところが、その経験がこんなところに転がっていたのだ。自分が今その立場にいる。すると、よかったと思える。自分がちょっとでも関わった人が、人間的に大きくなったことって、やっぱりうれしいことだと思う。けれど、今彼が目の前にいたら話ができるかっていえば、それは別の話。




2005年04月05日(火)
すみません、私は元気です…


 すっかりご無沙汰しています。あるこです。気づけば選抜が終わり、もうすぐ京都でも春の大会が始まります。遍路日記が2日目で止まっていたため、「大丈夫?」メールをくださったみなさま、ありがとうございました。そして、ご心配をおかけして申し訳ございません。3日目の宿が山の上にあり、バリバリの圏外。それからはやはり疲れてしまって、バタンキュー状態でした。

 今日は仕事が休み。取引先の都合で火曜日が休みになることが多いです。来週も休みです。ですが、アマチュア野球ファンの私にとって、火曜日の休みはありがたくなかったりします。火曜日って、あんまり試合がないんですよね。だから。

 ま、でもせっかくの休み。PCと格闘しました。にっちもさっちもいかない現PCを見切り、父愛用のDVD観賞用PCを出動。半日かかって、やっとネットが見れる状態になりました。久しぶりに見たメールにはおびただしい量のウイルスメール。即削除しましたが、ビビリましたね。HPに画像やテキストのファイルもない状態ですし、HP作成で必要なソフトのインストール、ウイルス対策などなど、まだしなければならないことがあります。また、新しいとはいえ、いつPCがおかしくなるかわかりません。完全復活宣言は後ほどにします。



2005年04月04日(月)
今日は仕事。


 会社から連絡がなかったので、今日休みかと思っていたら、朝になって電話が。どうやら事務員さんが連絡を忘れていたらしい。いやですわ。仕方ないので、午後から出勤することに。会社はどうでもいいけど、現場にいる人が困っているだろうと思って。

 もし、ホントに仕事がなければ、東山の遠征を見に行こうと思っていました。遍路後の週末。わざわざ野球を見るためにあけておいたのに、曖昧な天気に消極的になり、結局1試合も見れませんでした。それが、心の奥底にこびりつくような悔いになっていたんです。でも、今日は仕事。縁がない。しゃあない。思いの外あっさりあきらめることができました。

 時間に余裕があったので、会社まで歩きました。遍路が終わってから、前にもまして「歩きたい」と思うようになったのです。道中最大の山場は、御陵から蹴上間の坂。黙々と歩いていると、自転車でグラウンドへ向かう東山部員と何度かすれ違いました。一人で黙々と自転車をこぐ子もいれば、2人でなにやら話しながら向かっている子もいました。もし、遠征を見に行けたら見れなかったんだろうな。ふとそう思いました。