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あるこのつれづれ野球日記
あるこ
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2005年03月26日(土)
つれづれ遍路日記3日目


 今日は、今回最難関の遍路転がし十二番札所“焼山寺”に挑む日。山道が苦手な私、楽しみにしていた遍路の旅で唯一の憂鬱の種だった。朝一番に宿を出、まず十一番札所“藤井寺”へ。誰か一人くらいいてもいいのに、人っ子一人いない。びっくりした。多くの遍路は、前日に藤井寺まで参り終え、朝一番に焼山寺に向かう。私は、ちょっと的はずれなプランを立てていたのかもしれない。朝の静けさの中響く、下手な般若心経。納経所はしまっていて、何度か窓を叩くと、眠そうな寺の人が出てきて、御朱印をくれたけど、どことなくご機嫌ななめなように感じた。

 薄曇りの空。一人きりでの出発。生きてきて、山道を一人で歩いたことはない。迷ったらどうしよう。日のあるうちにたどりつけなかったらどうしよう。不安ばかりの中、一歩一歩足を進めはじめたそのとき、「お遍路さん?」と声をかけられた。見ると、身軽な格好で辺りを散策している年輩の男性がいた。地元の人で、年に一度、散歩がてらに山の登りにくるらしい。「そこまで案内するよ」と言われ、藁にもすがる思いでついていった。途中、背負っていた大きなリュックを代わりに担いで歩いてくれた。私がしんどそうにしていたら、「休もうか」と言って腰掛け、お茶をくれた。足を止め、ストレッチしながら、眼下に広がる田園風景を見ながら世間話もした。亡くなった奥さんともなれそめ話も聞いた。話題がモロ下ネタになったときは、どうしようかと思った。亡くなった奥さんとの夜の営みの話はこらえて欲しかった(苦笑)。とはいえ、彼は今日の私の御大師様(ちょっと下ネタ好きな御大師様?)。彼がいなければ、私は山を登り切れず、ギブアップしていただろう。1年に1回しか来ない人が、私を待ちかまえるようそこにいたなんて、偶然以上のものとしか思えない。

 結局彼は、中間地点である柳水庵まで同行二人してくれた。昼休憩を取っていると、おとつい出会った般若心経大好き兄ちゃんがやってきた。これも何かの縁だ。今度は兄ちゃんと同行二人。「山道だから、自分のペースでで行った方が…」と最初は口ごもっていた彼だけど、結果として一緒に歩いてくれたのは、彼が慈悲の心で私に接してくれたからか。同じ遍路でも、自分のことばかり考えて、すぐ人に頼ってしまう私とは大違いだ。にもかかわらず、再び山を昇り始めた私は、ゼエゼエハアハアとしゃべっているのかとようにはっきり口にするほど息が上がっていた。ホントは、早く進みたかったろうに、彼はその都度その都度足を止めてくれた。今となってはホントに申し訳なく思い、でもそのときは全く余裕がなく、彼の心情を察しようとすることすらできなかった。

 次の休憩は浄蓮庵で取った。そこで就職活動がうまくいかず遍路の旅に出ている大学生に出会った。同行三人になる。浄蓮庵を過ぎるしばらく下り阪。一つ目の山を降りる。山を下りきる最後の数メートル。細いあぜ道に出た。そこは段々畑になっていて、白い花の咲く木々がまるで遍路を送り出す花道のようだった。あの木は梅だったか。ツンと花の香りがした。「ひや〜すごい〜」と歓声をあげ、疲れを忘れたひとときだった。

 でも、再び待ち受ける魔の山道。終盤であるのは分かっていたので、私と大学生は、「あと何メートル」「あと何メートル」と呪文のように唱えながら歩き、もう着くだろうと勝手に思いこみ、勝手にがっかりして、疲れを倍増される。なんていう行為を繰り返していた。般若心経大好き兄ちゃんは、何も言わず黙って歩いていた。しんどいどうしようもない。そう思ったとき、般若心経を恋しがっている自分に気づいた。ああ、早く焼山寺で般若心経を唱えた。無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇…。シャワーを浴びるように、一日の心身の疲れを癒したい。

 今となっては、それから先の記憶がなく、気づいたら、アスファルトで整備された道に出て、多くの遍路とすれ違っていた。駐車場にはバスが何台も泊まっていた。朝7時から進めていた足は、15時半にようやくフィニッシュを迎えた。杉林の中にあるこれまでとは面影の違う寺の門構えを目にしても、自分があの遍路転がしを登り切ったことが信じられなかった。小さい子供が高原にあるおばあちゃんの家に遊びに来たかのように、はしゃいでしまった。疲れなんて忘れてた。3人で感激の般若心経を唱えていると、横で私たちの般若心経をおもしろおかしく真似するおばさんがいた。ムカっときた。“自分の般若心経にさぞ自信があおりなんでしょうねえ”と嫌味半分で、おばさんが唱える般若心経に聞き耳を立てた。正しいのかどうかわからないけど、下品な感じがした。この人、普段は絶対厚化粧で、くどい香水をつけてるわ。それを般若心経大好き兄ちゃんに言うと、「そんなことで怒ってたら、御大師様に会わせる顔がないよ」と逆に諭されてしまった。よく出来た兄ちゃんである。

 「もう少し足を進めてみる」と言った兄ちゃんと大学生とはここでお別れ。私は、ここ焼山寺の宿坊を予約していたのだ。夕方4時前にして本日の予定終了。宿は、普通…より昔の民家だった。畳6畳くらいの部屋がいくつかあって、そこに2人〜3人泊まる。知らない人と同じ部屋か…。ちょっと気持ちが重くなった。私の同室者はすでに到着していて、入浴中とのこと。浴室は一人しか入れないそうで、彼女があがってくるまでしばらく部屋で待機していた。十分ほど経ったか、部屋に扉が開いた。風呂上がりの同室者が戻ってきたようだ。どんな人だろう。一瞬の緊張のあと、「広子(仮名)さんじゃないですか!一緒の部屋なんですねー」と二人して歓喜の声。姿を見せたのは。昨日安楽寺の宿坊から一緒に歩いたおばさんだった。昨日、「ゆっくり歩いているから、追いかけてきて、また一緒に歩こうね」と言われ、別れたのだ。結局、会えずしまいだったのだけど、まさかここで一緒になるとは。今夜や安心して寝れそうだ。夜7時過ぎに運ばれてきた精進料理(ほとんど残した…)をこたつの上で一緒に食べると、私は眠くなって、うとうと眠ってしまった。広子さんははがきを使った絵を描いていた。(このとき書いていた絵はがきは、数日後私の自宅に届いていた。)擬似親子の気分を味わった夜だった。
 



2005年03月25日(金)
つれづれ遍路日記2日目

今日はリュックに鈴をつけて、チリンチリンいわせながら歩きました。7番十楽寺から10番切幡寺のまで。宿坊で一緒だったおばさんと関東からきた女性2人組プラスドイツから来た女の子の5人でわいわいお遍路。楽しくて、今日も距離と時間を感じませんでした。昼食べたうどんがめっさうまかったです。10番さんを参ったあとはみんなと分かれ、ホテルへ。電車に乗ったんですが、駅で電車を待ってるときに学童遠足帰りの子供に囲まれて、「修行してんの?」「名前なんていうの?」「結婚してんの?」とわいわい質問されました。明日は山登りです。キツそうだなあ


2005年03月24日(木)
つれづれ遍路日記1日目

こんばんは、あるこです。今日は遍路1日目。4番大日寺、5番地蔵寺、6番安楽寺へ行きました。道中で北海道出身、般若心経大好き兄ちゃんと同行二人。彼のリュックに付いてる鈴が歩く度に、チリーンチリーンと綺麗な音で鳴り、それが歩きを快適にしていたように思います(だから私も買った)。途中で雨に降られたので、雨宿りがてらな食堂へ。テレビではセンバツ中継が。もう始まってるんや。慶応対関西、結局どっちが勝ったんだろ?一人じゃなかったおかげで、時間が速く感じ、足のこととかに必要以上に神経を遣うことがなかったので、わりと楽に一日を終えることができました。宿は6番安楽寺の宿坊。温泉、最高!足がぽっはぽっか♪夕勤行も終え(ストーブのそばだったので、睡魔との闘いだったけど)、あとは鍵のない部屋て寝るだけです(笑)。
こないだと合わせて、6ヶ所参りましたが、駄目ですね。お経間違えたり、納経料金を払い忘れてたり…。鐘は未だ1度もついてません。慣れるまでの辛抱(自分にたいしてのね)ですね。それでは、また。



2005年03月23日(水)
センバツ前夜?遍路前夜?


 明日は、いよいよお遍路の旅へ向かう。緊張と不安の中、シャキっとしようと美容院へ行った。ここまで2年ほど御世話になっている店はすでに営業時間を終えていた。どうしようかと思っていたら、職場の近くの夜遅くまで営業している美容院を見つけた。今日切ってもらわないと死ぬくらいに気持ちが高ぶっていた私は、すっぴんにメガネ。仕事帰りの野暮ったい服装で、スマートでおしゃれな店のドアを開けた。

 ついてくれた美容師さんは、イシバシハザマの石橋をかっこよくした感じのちょっとしたイケメンだった。化粧していないことを後悔した。髪をどうしていいかわからないとうち明けた私に、オススメヘアを具体的の説明して、「それでいきましょうね」と言った。言葉は柔らかいけど、「オレに任せとけ」的な態度。よほど自分の腕に自身があるのだろうか。でも、そういう強引な感じ、嫌いではない。「それでお願いします」。黙って身を任せることにした。私みたいに自分で物事を決めれない人間にはちょうどいい。mなされるばままにされているとき、窓の下の大通りをセンバツの応援バスが走っていた。京都市のビジネスの中心街にある店。甲子園のシーズンでは、結構めずらしくない光景だ。もうセンバツ始まってるのかな?なんてのんきに思っていたけど、開幕は明日だ。ああ、謎が謎を呼ぶ。

 そんなことをぼんやりと考えていると、新しい髪型が仕上がっていた。そうそう、この髪型に出会たかったんや!と思うくらい、いいできばえだった。言うこと聞いといてよかった。明日は、すがすがしい気持ちで遍路へ向かうぞ。



2005年03月19日(土)
今シーズンもよろしくお願いします。

野球観戦の開幕です。変則Wを3試合観戦。もちろん東山絡みです。冬の名残を残す焚火がたかれている雰囲気のいいグラウンド。花粉をたわわにつけた杉の木の下で観戦(ああ、恐ろしや)。昨年のセンバツ出場校と今年のセンバツ出場校相手に1勝1敗。まずまずの滑り出しです。久しぶりに聞いたベンチの声、こんなに野太かったか?と思うほど迫力がありました。「ダッシュ、ダッシュ!」と「両目で見ろ!」という声かけが多かったように思います。ほかに印象に残ったのは、初っ端に決まったショートのファインプレー(ファーストの捕球もうまいんだけど)とバントを決めた選手をねぎらっていたところでしょうか?チームにとってはいつものことなんでしょうが、それが今日は特別に見えました。
保護者のみなさんにも新シーズンの挨拶。「今年もよろしくお願いします」って言ったけど、今シーズンの間違いですね…。でも、忘れられてなかったのでよかったです。



2005年03月18日(金)
般若心経の練習

買い物をしたのに「ありがとうございました」を言われない確率が人一倍高いあるこです。こんばんは
今日は仕事を休みました。で、何をしていたかというと般若心経の練習です。今度遍路に行くのですが、お寺で唱えなければいけないのです。実は先週、事前準備を兼ねて(遍路に)行ってきたのですが、この般若心経にかなり苦戦しました。3つの寺を回って各2回ずつ唱えたんですが、とにかくキツイ!お坊さんのような声の出し方や見慣れない漢字が並んでいるのは最初から覚悟してましたが、喉にきましたね。2つ目の寺の途中でカラオケで2時間歌ったくらいに声がガラガラ。咳との戦いの中、イマイチ集中できませんでした。それを教訓に、家にあるCDでリピートアフターミーしたのですが、日常の中で「はんにゃーはーにゃー」(私の中にあるお経のイメージ)と声に出すのは相当勇気がいります…。
練習後は、スコアの清書をしました。最近すんごくはかどります。もう対外試合も解禁。早く新しいスコアを書きたいな♪



2005年03月17日(木)
スポーツ館ミツハシ

靴や靴下や肌着。旅を来週に控え、まだ揃っていましん。あれやこれや思うとゲンナリしましが、仕方ありますん。いつもはアウトドア専門店をのぞいていたのですが、今日はスポーツ館ミツハシに行ってみました。1階から3階までびっちりスポーツ用品。野球やサッカー、バスケ、ランニングやウインタースポーツなど細かくジャンルが分かれていました。残念ながら、私の「ウォーキング」とジャンルはなかったのですが。やっぱり気になるのが野球のコーナー。なんとそこには春季京都大会の組合せ表が!PCが故障したのでどうしようと思っていたのが、まさかこんなところでわかるなんて。そのうえ、隣に備えてあるテレビでは。いつの大会か夏の京都大会平安対洛北戦が流れていた。貼ってあるトーナメント表にも洛北だけ蛍光ペンで色がついていたし。その意図は全く謎ですが、


2005年03月16日(水)
切ないね…

携帯の占いで、もう一週間くらい連続して、「運気は下降気味」と出てるあるこです。こんばんは。今日は昼からの仕事だったので、午前中は買い物しました。化粧水を切らしていたので買いに行きました。そのときにお肌チェックをしてもらったのですが、結果がよろしくありませんでした。化粧水がより肌が荒れてる人向けのそれを勧められて、ガーン。このシリーズを使う前より悪い結果に、「高めの金出してんのに!」という腹立ち半分、「肌の手入れって大変なんや」という溜息半分…。多少サボった時期もあったけど、この1年は今までで一番肌の手入れを頑張ったのに。…いや、「頑張った」というのがひっかかる。夏から秋は手入れが楽しかったけど、冬は正直言ってテンション下がっていたかも。寒いと洗面所に立つのが辛いし。でも、「頑張った」のに結果が出ないどころか悪くなるのは切ない。後になったらわかることもあるんだろうけど、高校野球もそういうところがあるように思う。


2005年03月15日(火)
ご無沙汰しています…

あるこです。ご無沙汰しています。お知らせが遅くないましたが、あれからまたPCが故障し、復帰のメドがたっていません。申し訳ございません。
たわいもないけど書きたいこと、頭にあります。そして、もうすぐ野球も始まります。ネットカフェなり携帯なりで、なんとか更新していくつもりです。
今日は仕事が終わってからネットカフェで春季徳島大会のことを調べてました。せっかく徳島に行くので、見れたらいいなあと思っています。大人に限り入場券の回数券があるとのこと。1回500円が、12回で5000円。すごくないですか?電車の回数券を上回るお得さ!前々からなんとかならんかいなと思ってた入場料ですが、高校野球のカラーを考えるとそんなことはありえないと思ってました…。これだとヘビーな高校野球ファンや保護者の負担が少しでも減るのでいいですね。



2005年03月12日(土)
プレお遍路


 夢の遍路へは、24日に旅立つ予定だけど、どうしてもいきたくて、いきたくて仕方なくなった。それで、日帰りで行ってみることに。

 昼前に一番札所・霊仙寺の最寄り駅・板東駅に到着。ホントに寺があるの?と思うくらい、普通の田舎の町並みで、ちょっと不安になった。でも、大通り出ると、寺も門構えを見つけ、白装束を来た人たちが幾人もいて、ホッとした。私の遍路が始まる。ごくっと唾を飲み込んだ。

 お参りする前にいろいろ用意するものがある。まず門前の売店で、買い物しようと中に入った。種類が多すぎて何を買っていいかわからない。訊こうにも、店の人がとても忙しそうだ。さすが一番札所だけあって、店内も混んでいる。「この計画は、やっぱり時期早尚やったんやろか」と、妙な疎外感と不安にかきたてられた。すると、住職さんらしき年輩の男性が声をかけてくださった。「こんにちは。」、その笑顔につられて、「こんにちは」。彼が視界の端っこで何をするでもなく、穏やかな顔つきで立っていたのは薄々気づいていたけど、遍路にきて初めて話したのが住職だなんて、すごいスタートだなあと思った。その柔和な顔つきに、今抱えている不安を全部ぶつけてもいいんじゃないかと思って、事情を話した。

 すると、「ここは高いから、他のところがいいよ」と耳元で囁かれた。びっくりした。そんなこと言っていいんスか?私は、言われるがままに、彼の車に乗せてもらい、六番札所・安楽寺へと向かった。車内で話していると、彼は地元にある他の寺の住職さん。たまたま霊仙寺に来ていたのだという。偶然…ではなく、これが縁なのか。安楽寺の売店で、あれこれ指南を受けながら、遍路用具一式を購入。霊仙寺で買う金額の半分程度で済んだ。彼は売店の人に顔が利くらしく、コーヒーとパンをよばれた。

 その後、彼の寺へ行き、お経の唱え方や数珠のつけかたを教えてもらう。そして、数珠をいただいてしまう。買い物しているとき、数珠を買っていないことに一抹の不安を感じていたのだけど、そういうことだったのかとあとで納得。見ず知らずの私に何故そこまでしてくださるのか。愚問だと思うけど訊いてみた。「それは、あなたが遍路で来ているからだよ。そうでなかったら、こんなことしない」。でも、彼は過去に私と同じようにやってきた若い遍路に何度となく迷惑をかけられたり、振り回されるといった経験をしている。普通なら、そこでやめてしまうはず。それが、仏に仕えている人なのか。何もできない私は、ただそのご好意を素直に受け入れるのが精一杯。

 帰りの電車の時間があるので、ゆっくりとしてられない。彼は、私を再び車に乗せ、駅に向かいながら、一番札所から三番札所まで連れて行き、お参りの指導もしてくれた。お参りのあとは、近くの駅で私を降ろし、「いつでも泊まりにきなさい」と念を押すように何度も声をかけ、開けっ放しの愛を示し、車で去っていった。もしかしたら、これが一番最初に受けた“お接待”だったのかもしれない。納札を渡すのを忘れていた…。

 四国遍路には、同行二人という言葉がある。たとえ、一人で歩いていても、いつもお大師さまと共にという意味(金剛棒と呼ばれる杖は、お大師様の分身とされている)なのだが、今日、私は人の姿を借りたお大師さまに導かれていた気がする。私でも、遍路に出ていいんだ。スタート時感じた不安を振り払うことができた。

 余談だけど、住職の寺に行ったとき、ホラ貝で出来た笛のきれいな音色を聞かせてもらった。「簡単に吹けるから、吹いてごらん」と言われて、吹いてみたけど、何度やってもダメだった。住職の指導を仰いでもダメだった。「なんでだろうね。4歳の子供でも簡単に吹けたのに…」。これを4歳の子が…。私は直径20センチ弱はあろうかというホラ貝をしげしげを見つめた。その子供より4半世紀はようけ生きてるぞ、うち。でも、ホラ貝だけに、嘘がつけない性格ってことで。お後がよろしいようで。