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あるこのつれづれ野球日記
あるこ
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2001年10月31日(水)
子供に馳せる夢(これはおそらく野球日記ではない)


 私の年子の姉は、只今ダイエット中だ。
 今年中に痩せないと、今のダーリンと結婚ができないのだとか。姉に、「あんたが先に(嫁に)行ったら、私は死ぬ(-_-)」と釘を差されているので(お姉ちゃん、年子でそれは無茶言うわ)、私としては早く痩せてとっとと行ってもらいたいところ。

 そんな姉とここのとこ、「子供が出来たら…」という話をよくする。女性の方なら、多くの方が一度や二度はしているかもしれない「理想のタイプは…」「理想のデートは…」「結婚相手は…」といった類の座談会。その一連だと思っていただいたらいい。
 
 子供の名前の話から始まる。私たちの名前は姓名判断の先生によって決められた。だから、小学校の作文で「名前の由来は?」というテーマの作文を出されたときは精神的にまいった。親がつけてくれた名前ではないからだ。今なら親は私たちのため思って、姓名判断をしてくれたのだと分かる。幸い、これまで26年、大きな不幸に遭遇していない。けれど、私も姉も自分の子供の名前は自分でつけたいと思っているのだ。しかし、「パチンコのラッキー「7」に恵まれるように」と「七恵」という名前はどうかと思う。本人には口が裂けても言えないけれど。(余談だが、私の中にある名前候補の一つは「みずき」だ。男の子でも女の子でも使えると思ったから。私個人は「男だから」「女だから」と言われるのがすごくイヤなのだ)
 
 子供は親の私有物ではない。わかってる。しかし、せっかくお腹痛めて生むんだから夢くらい見せて欲しい。
 男の子が生まれたら、とりあえず野球を好きになって欲しい。できれば、野球をやって欲しい。とりあえず、お腹の中にいる地点から洗脳する。2,3歳になったら、ゴムのボールとプラスティックのバットを買って、未来の旦那さん(絶対野球好きがいい!)と3人で近くの芝生のある公園で野球をするのだ。
 別に将来、甲子園に出場して、ゆくゆくはプロ野球選手に…なんていう青写真は描いていない。母親の運動神経と根性のなさを受け継ぐだろうから、きっと高校野球も「だるいから」とか言ってすぐ辞めそう(^^;)。
 
 でも、少年野球だけはやらせたいなあ。地元の野球好きのおっちゃんあたりが監督やってるようなチームで。なんだかんだ言っても、子供はかわいいもん。ブカブカのユニフォームに、重いバットを持って、一生懸命な子供なんてたまらないほどかわいい。他人様の子供でそうなのだから。自分の子供ならどうかしてしまうくらいかわいいだろうなあ。めちゃくちゃ親バカになる自分が目に見えてる。
 
 いいなあ、少年野球。最近、見たいなあと思う。
 
 結婚したいのかな、私(苦笑)。



2001年10月29日(月)
こんな取材がしたい


 私には到底縁がないものなのだが、「取材」というものがしてみたいと思う。もちろん野球関連のだ。それも、インタビュー方式のものではなく、ある人物やチームをマークして年単位で追いかけるものがいい。
 今日、ふと思いついた。

 高校野球の審判の取材がしたい。

 高校野球の審判。これほど闇にかくされた世界はない。あまり表に出ないが、審判の判定に不信感を募らせている指導者やファンは少なくない。
 が、今回はそんな問題はさておき、にする。

 私の知人に高校野球の監督さんがいる。その方の教え子が、今年(だと思う)から、地元の高校野球の審判をしているのだ。
 審判は年々高年齢化し、人手も不足している。そこに高校を卒業したばかりの若い子が入ってきた。地元の新聞でもちょっとして注目を浴びた。
 私は審判員としての彼を1年程度見せてもらって、取材という形で話を聞いてみたい。審判の新人はサード塁審から始めるのだという。審判で注目されるのは、主に主審だ。だから、私はサード塁審にどういう役割があり、なんで新人がやるポジションなのかをよく知らない。「簡単だから」とも言われた。でも、何故簡単なのかもわからない(打球が飛ばないから??)
 そういう無知を強みに彼を見て、サード塁審から見た野球、審判の大変さをリアルタイムで感じて、それを文章にしたら面白いかなあと思う。
 また以前、「取材はいかに相手の話したいと思うことを話してもらうかだ」と聞いたことがある。私にそんな腕があるかどうかは別として、彼の話してくれたことで内容を動かす余裕を持たらいいなと思う。物を書くには起承転結等、大体どういうことを書くのかが頭浮かんでいる。しかし、人を相手にすると間違いなく思い通りにはいかない。そこで必要なので、余裕だと思う。

 今まで何故目につかなかったんだろう、高校野球審判。私は不信派だが、それを覆ような奥深さと裏話も期待したい。ああ、どなたか取材ってどうしたらいいのか、教えてください!
 
 



2001年10月28日(日)
10周年飲み会は「王将」で。


 9月の日記「ささやかな乾杯」を覚えてくださっている方はいらしゃるでしょうか?
 OLともきちは毎日が忙しく、長らく会うことが出来ませんでした。ですが、今日昼過ぎに電話があり、ようやく会うことが出来ました。
 さあ、10周年祝いは今日するでぇ。

 カラオケでひとしきり歌ったあと、「ビールと餃子が食べたい」というともきちのリクエストに応えて、近くの王将に行った。10周年やのにムードないでやんの。でも、私ららしくていっか。

 餃子一人前と天津飯と一品物と生中2杯。
 「東山の(応援)10周年を祝って、かんぱぁ〜い!!」

 話は東山だけにとどまることはなかったが、10年、まさか本当にここまで来るとは思わなかった。10年前なら考えられなかったこと。
 むしろ不熱心だった私が東山のホームページを作ったこと、またネットを通じてOBの人と話が出来たこと、お会いできた方もいた。また多くの方に東山の話が出来たこと。分かってもらえたこと。
 携帯電話を持ったこと。まさかこの年で失業中であること。仕事を転々としたこと。もう少しマシな大人になってるはずだったのに(笑)。実は太ってしまったこと。ここまで野球にのめり込んでしまったこと。結婚していないこと。
 
 10年って長いようで短い。
 帰りしな、ともきちが、「10年のたびに(飲み会)しよう」と言った。
 東山応援20周年、その時、私とともきちはどこで何をしているのだろう。 
 わからないけど、幸せでいたいと切に思う。
 



2001年10月27日(土)
大人のファインプレー


 学生時代、道徳の授業で「大人になるとはどういうことか」というテーマで議論することがあった。結論は、「精神的・経済的に自立すること、すなわち人に頼らないこと」で締めくくられたが、私は何か釈然としなかった。大人になるって一体どういうことなのだろう。疑問が残ったまま学生時代を終えた。
 2,3年ほど前だったと思う。
 16歳のある不登校の少女が「大人について」と題して弁論をした。そのときの結論がひどく印象に残っている。
 「本当の大人は人の助けを借りることができる」
 確かそんな内容だった。衝撃的だった。人間一人では生きれない。自分で出来ること出来ないことをわきまえ、信頼できる人を見極め、素直な気持ちで助けをお願いする。全体のことを考えると必要なことかもしれない。年齢では大人である私より、その少女の方が遙かに大人だなあと感じた。以来、私の「大人」の定義はそれを拝借している。

 今日は、滋賀・守山球場で社会人野球のびわこ杯を観戦した。びわこ杯は、クラブチームを対象に行われる準公式戦だ。プロが注目するような選手は皆無。企業チームのような華やかさもない。でも、そこには一生懸命楽しくプレーする選手の姿があり、またレベルも高いのだ。昨年観戦して以来すっかり虜になってしまった。
 高校野球を主に見る私にとって、社会人野球は時として新鮮な驚きを与えてくれる。同じ野球だから、選手の体格や打球が違うのは当然と言える。しかし、高校野球ではほとんど見れないプレーにお目にかかることがある。その一つを今日の第三試合で見ることができた。通算3回目の目撃だが、いつ見ても初めて見たような新鮮さを感じる。
 打球はセカンド横に飛んだ。深いところだ。セカンドはなんとか追いついて捕球した。しかし、「そこから間に合うか?」という距離。姿勢を変えて送球じゃとても間に合わない。並のセカンドなら間違いなく内野安打コースだ。しかし、その選手、とっさの判断でショートにトスしたのだ!ショートもそれがわかってたかのようにポジションをとり、すばやくファーストへ送球。アウトかセーフか?!私は息を飲んだ。
 判定は際どいタイミングで、セーフ。横で前の試合を終えた選手が、「惜しいなあ。でもショートうまいわ。ボールが右にそれるっていうことは上手い証拠やで」とうなっていた。すばらしいプレーだった。
 一般的に、ファインプレーとは、捕れそうにない打球を捕ってアウトにしたときに使う。しかし、このプレーを敢えて「ファインプレー」と呼びたい。前述の選手はショートを誉めたが、私が注目したのはセカンドの選手だ。
 あれは、セカンドのファインプレーだと思う。セカンドの選手は、自分が投げても間に合わないことが分かっていたのではないだろうか。だから、送球しやすいショートに処理を任せたのだと思う。ゴロは基本的に捕球した人がさばく。高校野球の場合、その多くが一か八かでセカンドが送球するはずだ。それアウトが取れればいい。しかし、そうでない場合も往々にしてありゆる。その可能性を考えたプレー。私は冒険しないプレーは好きではないけれど、このプレーは好きだ。
 
 16歳の少女が言っていた「大人」を野球で表すときっとこんな感じなんだろうな。そう思った。




2001年10月26日(金)
人それぞれ


 昨日、ヤクルトの日本一が決まって、パタッと野球中継がなくなった。毎年思うのだけど、変な違和感がある。街のショーウインドウがクリスマスチックになった頃にはそれも受け入れられるのだけれど、今は「まだ野球の季節」という感覚の私にとって、野球中継がないのはやはり淋しい。
 
 この1,2年、私は野球観戦の際にスコアをつけるようになったのだが。「難しいなあ」と思うことの一つに、「内野安打とエラーの見分け方」がある。球場で試合が行われているときは、スコアボードのランプに全てをゆだねて記録している。当たり前ながら、「H」のところにランプがつけばヒット、「E」のところにランプがつけばエラーだ。
 たいていの場合、それに納得するのだが、昨日の第五戦は見事に食い違っていた。何回か覚えていないのだが、大阪近鉄のショート・ギルバート選手のところに打球が飛んできた。どうもギルバート選手は体重をセカンドベース方向にかけていたように見受けた。しかし打球は、サードよりに飛んだ。ギルバート選手はなんとかボールを捕り一塁に送球したが、間に合わなかった。テレビの実況アナウンサーが言う。
「なんでもないゴロをエラーしてしまいましたねえ。もったいないですねえ…」
 もちろん、記録は「ショートのエラー」だった。
 しかし、我が家の茶の間では、「あれがエラーか?!」論争は巻き起こった。
  また別の場面で、大阪近鉄のセカンド・水口選手を打球が襲った。打球は水口選手のグラブからこぼれ落ちた。水口選手は転がるボールをあわてて追いかけた。
実況アナウンサーはこう言った。
「あっと、セカンド・水口を襲った内野安打です!」
 我が家の茶の間の論争が、「あれこそエラーちゃうんか?!」に変わった。
 今回、私が言いたいのは、「審判の誤審がどうたらこうたら…」という話ではない。私たち家族は野球の素人である。でも、野球を見たり、人の話を聞いたりしてそれなりの「基準」を持って、判断している。それが、たまたま審判と食い違っていたけだ。
 私の「内野安打・エラーの判定基準」を書くとこうなる。
 「野手が体の正面(ゴロの場合)で捕れた打球にたいして、後逸や悪送球、お手玉等の行為でランナーをアウトに出来なかったものをエラーとする」
 正しいかどうかはわからない。むろん。間違っているかもしれない。でも、私はそういう風に野球を見ている。ルールブック系の本を何冊か読んだが、はっきりとした基準を記している本にまだ巡り会っていない。私はそんな我流の考えで今の球界を批判したりする気は更々ない。記録員と私とでは、キャリアも見ている場所も全く違う。だから、違う解釈をすることは充分にありえる。そして、球界は記録員を基準にしている。ただそれだけだ。
 
 けれど、最近こう思うことにしている。
 たとえ我流であろうと「私はこう思う」という物を心に備えておくことは悪いことではないんじゃないか、と。



2001年10月25日(木)
古田の日本シリーズ


 日本シリーズ第五戦、ヤクルトが大阪近鉄を相手に4つ目の勝ち星を手にし、見事日本一に輝いた。
 両球団のファンではない私が日本シリーズに興味を持った最大の理由は、大阪近鉄にある。シーズン中の神がかったゲームの数々、そして、大阪近鉄は12球団で唯一日本一の経験がない球団だ。そういう歴史を目撃できる可能性があるのに、みすみす見逃すもはもったいないと思った。
 結局、大阪近鉄はシーズンで見せた打棒のほんのかけらを見せたに過ぎなかった。日本一へのチャレンジはまたリセットされた。
 この5戦を通して思ったことは、「結局、古田の日本シリーズやったなあ」ということ。あのどうにも止まらないと思われたいてまえ打線に立ちはだかった「痛めた足を引きずって走るチームの要の姿」は、ヤクルトの選手の闘志を引き立てるのに充分だった。また、ファンならずとも胸を熱くした人は少なくないと思う。また、傷む足で稼いだヒット、進塁、打点は決して無駄になったなかったのがすばらしい。ここぞというときに必ず「古田」がいた。球界ナンバーワンのキャッチャーの能力でいてまえ打線を抑えたというのもあると思うが、今回はそれ以上に「痛めた足を引きずる姿」の印象が強い。
 最後の打球は、「古田さん、ご苦労さん」とばかりにキャッチャーファールフライが上がった。野球の神様は古田にシリーズを締めくくることを望んでいたようだ。古田は、しっかりキャッチすると、「よっしゃー!!」という雄叫びを上げ、全身で喜びを表現した。その雄叫びは、ブラウン管を通して、私の耳にも届いた。日本シリーズが身近になった、と思った瞬間だった。

 追伸:ここのところ評価の下がる実況アナウンサーだが、今日はいいことを言っていた。「リードした古田もすばらしいですが、それにしっかり答えた若手ピッチャーたちもすばらしいです」



2001年10月24日(水)
「下山」の意義


 今日、登山をした。
 秋晴れの一日。運動不足の私を気遣って、相方が誘ってくれたのだ。このところ体調が思わしくなかったこともあり、普段より輪をかけて運動不足だった私は、漠然と「ああ、運動せなあかんねんな」と思い、誘いに乗った。別に「登山がしたい」と心から思っていたわけでない。むしろ、登山は嫌いだ。「若いころの苦労は買ってでもしろ」と言われるが、苦労なんてできればしたくないと私は思う。運動能力に劣る私にとって、登山は苦労のカテゴリーに入る。
 登りはきつかった。坂道を一歩ふみしめるたびに、心臓の鼓動が早くなり、足が重く、腰が痛かった。坂道はいつまでも続いた。一体どこまで続くのかと思った。ほんまに「もうええわ」と思った。でも、一度登り始めた以上、ここで立ち止まるわけにはいかない。休み休みではあったが、どうにか山頂まで到着した。疲れやそれまで感じていた苛立ち・悲壮感が一気に吹き飛んだ。風が気持ちよかった。さあ、あとは下りだけだ。気を抜いたわけではないが、気楽な心構えでいた。 
 しかし、大変なのは「下り」だった。登りに比べたら楽。そういう気持ちでいた私にとっては予想以上にこたえた。急な坂、足場の悪い道…。一歩踏みしめるたびに足首にかかる負担。滑ってこけないようにすり減らす神経。辺りには大きな石や木が横たわっている。打ち所が悪かったら本当にやばい。生命の危機すら感じた。登りはめちゃくちゃしんどい。死にそうとも思う。でも、自分のペースで調整を怠らずに進めば、生命の危機といえるようなことに遭遇することはまずない。
 人生はしばしば登山に例えられる。それがよくわかる気がした。その多くが登りに重きを置いているが、実は大切なのは下りかもしれない。野球観戦に限って見てみても、下りで苦戦もしくは失敗している選手やチームは少なくないと思う。そういえば、横浜高・渡辺監督の著書にこのような一文がある。…「甲子園 無事に下山してこそ征服という」。
 人生の登山口にいる私が言うのも何だけど(苦笑)。
 
 
 参考資料:「白球は奇跡を喚んだ〜松坂大輔と青春群像〜」 渡辺元智著・報知新聞社
 



2001年10月23日(火)
Mr.Happy


 先日見たプロ野球のバラエティー番組で、新庄選手についたキャッチフレーズが「Mr.Happy」だった。努力とか根性とかいう言葉とはかけ離れた彼の言動と活躍には、まさにこの言葉がピッタリなのかもしれない。「おめでたい男」はたまた「幸せにしてくれる男」。彼を見ていると、純粋に野球の「楽しい部分」しか見えてこない。球界が抱えている様々な問題、不景気、物騒な世の中…。そんな中、明るさと笑いと希望をくれる。彼がいるかぎり、世界は平和だ。そんな気にすらさせてくれる。このキャッチフレーズをつけた番組の制作者はすばらしいセンスの持ち主だと思った。

 さて、今日日本シリーズ第三戦を見ていて、もう一人、この「Mr.Happy」が当てはまる選手を見つけた。ヤクルトスワローズ・河端龍投手がその人だ。
 河端投手について話すと、こんな感じになる。
 1976年11月10日生まれの24歳。京都府城陽市の出身で、西城陽高校3年夏に京都代表として、甲子園に出場(初戦敗退)。龍谷大学に進学し、4年春に神宮大会出場。その年の秋にドラフト5位指名で、ヤクルトに入団。1年目は数試合の登板があったが、2年目は故障のため活躍できず。3年目の今季、中継ぎとして、プロ初勝利を納めている。今シリーズ1戦目で日本シリーズ初登板。
 173センチというピッチャーにしては小柄な選手だが、小気味いい投球と肩が出来る早さがウリ。中継ぎにうってつけだ。今日は、ヤクルト楽勝ムードの9回に登板。近鉄の4番・中村選手らを抑え、ナインと勝利の握手を交わした。
 方々のマスコミが彼の人の良さを報じる。顔を見ていてもその雰囲気が伝わってくる。今日もナインやベンチの選手が迎えてくれたが、そのまなざし温かいものだったように見てとれた。
 実のところ、私は河端投手に入団当初から注目をしていた。別に「将来エースになるかも」とかそういう意味でなない。たた単に、出身地が京都であること、年が近いこと。そして、出身大学が一緒であること。それだけだった。しかし、見ていくうちにそれ以外の愛着を感じつつあった。
 テロップに出ていた同選手を紹介するワンフレーズ。
 「戸田から電車通勤」
 ― 惚れたぞ、河端!
 テロップが事実であるか否かはこの際、おいておく。彼の電車通勤の姿が想像できて、それがまたあまりにはまり過ぎている。高級車を乗り回すのもプロの醍醐味だとは思う。でも、そんな中に一人くらい電車通勤している選手が奮闘していたっていいし、おもしろいじゃないかと思う。「電車通勤が似合う」とか「面白い」とか言って、本人には失礼きわまりない発言かもしれない。でも、あくまで好感をもっての発言なので許して欲しい。神宮球場のカクテル光線の中、高校球児のようなあどけなくて凛とした表情の彼は地味ながら異彩を放ち、私はそれを見て、「幸せだなあ」と感じた。

 こうして書いていると、新庄選手と河端投手はほぼ正反対の位置にある選手だと言っていい。でも、私にとっては共に「Mr.Happy」なのだ。
 新庄選手から受ける幸せは、スリル抜群のジェットコースターや派手なクリスマスパーティー。河端投手から感じる幸せは、よく晴れた日曜日の昼下がりに河川敷なんかで手作りのおにぎりをほうばったり、のんびりひなたぼっこしているミニピクニック、あるいは冬にこたつ入ってみかんを食べているときのような感覚にも似ている。
 幸せのかたちなんて一つやないねんなあ。
 今日の第三戦を見て、呑気にそんなことを考えていた。



2001年10月22日(月)
その日が来るまで待っている。


 まだ確信できない情報を元に話を進めるのはあまりよろしくないのかもしれない。しかし、こんな時代だから今後も起こりゆることであるという推測の元、話を進めていきたい。

 先日、各球団から戦力外通告の選手の名前が公表された。我が阪神タイガースにおいては、若手を中心としたストイックなものだったなと私個人は思う。その若手の中に、寺田祐也選手の名前があった。98年、ドラフト5位で静岡高校から阪神タイガースに入団した内野手。高校通算1失策という堅守をひっさげての入団だった。課題は打力。「阪神に多いタイプの選手やなあ」、寺田選手のことを初めて知ったときはそう思った。2000年春、縁あって鳴尾浜にファームの試合を見に行った。そのとき、ショートを守っていたのが寺田選手だった。雨が激しく降りしきり、グランドはずぶぬれ。とてもゴロをさばけるような状態ではなかった。相手、サーパス神戸のバッターが打ち上げた打球がフラフラァ〜と外野に上がった。レフトの選手はあわてて、捕球位置を見定める。そんなときだった。なんの関係もない寺田選手が、ショートの守備位置でどてっとこけた。ひどいコンディションで変にハイテンションだった私は、「なんや吉本のギャグみたいやなあ」と失礼きわまりなりことを思った。でも、何故かとてもほほえましくかったし、そんな寺田選手の本来の堅守をこの目で見たいと思った。
 動機はきわめて不純だが、私は寺田選手のファンになった。でも、素人目で見ても、厳しいのは明らかだった。いつかは戦力外になる。そうは思った。けれど、まさかそれが今年だとは思わなかった。まだ入団3年目、21歳。かたや華々しく活躍する21歳もいれば、たった3年で見切られてしまう選手もいる。このシビアな現実。以前にも一度書いたが、私には球団を批判する筋合いも権利もない。気になるのは、これからの人生をどうするのだろうかということだけだった。
 今日、相方に「寺田は某大学(大学名は伏せます)に行くみたいやで。指導者になりたいねんて」と聞かされた。意表をついた進路選択だなと思った。戦力外通告をされた若手が選ぶ道。他球団にテスト入団、社会人野球の選手としてアマ復帰、打撃投手等の球団スタッフ、野球から足を洗う。私にはそれくらいしか浮かばなかった。静岡高校という進学校を卒業している以上頭はいいんだろう。来春大学に進学して、4年で卒業、2年間の教員生活を考えても、20代の間にアマの指導者として現場で活躍出来る。若いし、充分やり直しがきく。いい選択かもしれないと思った。
 ここでひとつ疑問。
 「元プロ野球選手が大学で野球部に入って選手として活動できるの?」
 今まで、元プロ野球選手の社会人野球でもアマ復帰や、社会人野球を経て大学野球の選手になった人はいる。しかし、前述の疑問を解決してくれるような例を私は知らない。もし、可能であれば、もう一度寺田選手の勇姿を見たい。応援している選手はどこにいてもがんばって欲しいし、その姿を見ていたいものである。
 しかし、こうとも思う。
 「もし、大学側が門戸を開いてくれても果たした彼は入部するだろうか?」
 元プロ野球選手、風当たりは決して優しいものではない。試合に出てもエラーしたり打てなかったりすると、とんでもないヤジが飛ぶかもしれない。また、下手したら試合にすら出れないかもしれないのだ。そのときの気持ちを考えたらいたたまれなくなる。ま、これに関しては私の考えすぎかもしれない。しかし、先日の社会人野球の試合で元プロ野球選手の孤独な姿を目にしているだけに、そういうことまで考えるようになってしまったようだ。
 どうであれ、寺田選手の第二の夢である「指導者になりたい」という夢を1ファンとして応援したい。プロで成功できなかった。その苦い経験は指導者としてなら必ず生きるはずだと信じている。
 その日がくることを心より楽しみにしている。



2001年10月21日(日)
ふるさと意識


 先日、掲示板の常連さんが、「お勧めの一冊」として、ある野球本を紹介してくださった。関東を中心として、高校野球の強豪校を各校のカラー別に紹介しているもので、学校のカラーや指導方針、チームが抱えている事等が記されており、未来の高校球児にとっては、貴重なバイブルとなりうるだろう。また、熱心な野球ファンの方々の好奇心も満たしてくれること間違いなしだ。
 私はその本を今日梅田駅前の書店で見つけ、「どんなものか」とパラパラとページをめくってみた。予想通りの濃密な内容だった。さすが「お勧め」というだけある。
 しかし、私はその本を持ってレジへ向かうことはなかった。
 理由は、本当にささいなことではあった。
 地元の鳥羽高校が紹介されていたのだが、同校の所在地が「京都府鳥羽市」となっていたのである。鳥羽市は三重県にある。京都にはそのような地名はない。度肝を抜かれるような間違いだった。正直、パッと見た瞬間は「カチン」と来た。「もう少しちゃんと調べて書いて欲しいわ!」と。でも、そんな気持ちもすぐにおさまった。人間誰しも間違いはある。また、筆者の方は関東を中心に活動されている方なので、関西の地理については疎いのもやむおえない。私だって、関東にどういう地名があるのかなんていまいちよく分からないもの。むしろ、そういう方が関西に目を向け、同校を紹介してくださることがありがたくさえ思う。だから、筆者の方や出版社に対してどうこう言う気は更々ない。
 ただ、私はどうしても購入する気にはなれなかった。
 みなさんにも経験があると思う。ささいなことが目について、ドラマや映画の感動がぶちこわしになったり、好きな異性から気持ちが離れたり。また、野球の試合でもちょっとしたプレーや選手・指導者などの仕草で一気に興ざめしたりする。強いて言えばそんな感情かなと思う。
 「京都に住んでいる」というと、多くの方から、「京都はいいところやねえ」と言われる。非常にありがたいことだ。しかし、私は「別にどうってことないですよ。夏は暑くて、冬は寒いので住みにくいですし」と返す。決して、謙遜ではない。本当にそう思っている。普段、京都を「ふるさと」として意識することは全くと言っていいほどない。私自身が、生まれてこの方この町から出たことがないのもその一因だろう。しかし、今回の一件で私の心のどこかに「ふるさと意識」があることに気付いた。
 様々な問題点を抱えながらも、甲子園大会が多くの人々を引きつけるのもわかるなあと改めて思った。

 余談だが、鳥羽高校は京都府京都市にある。住所は、「京都市南区西九条大国町1」。どこにも「鳥羽」という文字が見当たらないのが、あまりにも皮肉で…。

追伸:お勧めしてくださった方には、今回こんな形で日記を書かせていただいたことをお詫びいたします。重ね重ねではありますが、とてもすばらしし本に間違いはありません。



2001年10月20日(土)
ある幸福論

 学生時代、アルバイトをしてお金を貯めて、海外旅行へ行った。行き先はアジア方面が主で、この年はミャンマーという国に行った。旅先ではいろんな人に出会い、いろんなことを学ぶ。ここで出会った人が印象的なお話をしてくださった。
 その方は世界中を旅して回っている50代の男性だった。冬に集中して働き、春から秋はたっぷり世界を回る。はたから見たら夢のような生き方をされている方だった。当然、周りにいる50代とは顔つきから雰囲気から何もかもが違う。ミャンマーの片田舎の町にもう数ヶ月いるという。
「ここらの子は貧乏でな、生活するのが精一杯。学校にも行けずに仕事をするなんてざらな話。店にアイスクリームとか売ってるけど、高級品で、一生涯かかってもありつけない代物なんだよ。だから、僕は近所の子供を連れて、アイスクリームを食べさせてあげるんだ。みんな喜んで夢中で食べてね…」
 話しながらも目を細めてその時の光景を思いおこしているようだった。
「でもね。こういう風にいう人がいる。「一生もう二度と口に出来ないような一番の高級品の味を幼いころに知ってしまうのは不幸なのでないか。あなたはいいことをした気でいるかもしれないけれど、子供がもう普通の食べ物では満足できなくなってしまう。それが子供を不幸にしていると思わないのか」って」
 確かに一理あるなと思った。人は「今よりもっといいことがある」「もっとすばらしいものと出会える」、そう信じて生きているように思う。たとえば、「貴方にこれ以上の幸せは訪れません」と言われたら、後に待ちかまえる幸せでない日々に憂鬱にはならないだろうか。

 今日、急遽、高校野球の近畿大会を観戦しに奈良に行った。報徳学園ー天理という名門校同志の試合は、評判にたぐわぬ好ゲームになった。
 流れはずっと天理にあったが、報徳は耐え忍んでチャンスを待ち、延長にも持ち込んで、サヨナラ勝ちをおさめた。報徳の大谷投手は、にわかに注目され始めて投手だ。足腰がしっかりしていて、体格もいい。中盤はあぶなっかしかったが、踏ん張りどころの終盤では三振を獲るなどしっかり抑えていた。デジカメで投球フォームを撮ってみた。技術的ばことはわからないが、「絵になるな」と思ったし、ユニフォームがぴったりくる選手だった。終盤の粘りもあり、報徳というチームに今後の注目してみようと思った。
 また惜しくも敗れた天理だが、ここもすばらしいチーム。背番号「12」の小柄のピッチャー・中野投手を中心によく守っており、特に内野手のスローイングがすばらしかった。秋の地点でここまで出来上がっているとは、さすが近畿大会に出場するだけはあるし、またその中でも上位レベルだと思う。序盤の3つのエラーが不思議でならなかった。
 とてもいい試合だった。でも、いまいちのめりこめなかった。私は報徳のスタンドで観戦していたのだが、父兄さんは夢中だったし、制服姿の応援団は声もよく出ていて元気で好感が持てた。でも、ダメだった。そこに一種の疎外感を感じてしまう。それは物足りなさでもあったのかもしれない。
 
 これまで何度となく書いてきたが、私には長年応援している特定学校がある。公式戦はもちろん練習試合にまで見に行き、そこで泣いたり笑ったりしてきた。ありがたいことに甲子園のアルプススタンドで応援させてもらったこともある。夏は2度京都大会の決勝戦にまで進出した。応援団に混じって応援したときもある。父兄さんとともに熱くなってヤジを飛ばしたこともある。逆転につぐ逆転の試合は地元だけではなく他府県でも注目を集めるほどのものだった。ただの観客である私は、ここで「応援団と一体になること」という最高の快感を覚えてしまった。
 今日も試合を見ているとき、「もしこれが応援している学校だったら…」と考えてしまった。でも、現状では近畿大会はおろか京都大会上位進出も厳しい。もし、それが実現したとしても、今の自分の年齢や立場を考えると、あんな経験はもう二度とできないかも…と弱気になる。試合に負けたときはとても辛い。気持ちが沈む。自分は何もできないのがやるせなくなる。大会はまだ盛り上がっている。そこに入っていけない孤独感。特定校を応援しているとつねにつきまとう感情。せめて他の野球を楽しみたいのにそれもいまひとつ出来ない自分がいる。どんなにいい選手がいても、どんなに面白い試合をするチームでも、「所詮は他人事」と冷静に受け止めている自分がいる。もっとランダムに野球を楽しみたいと思うのに、あの一体感がそれを邪魔する。そんなことを感じているときに、前述のミャンマーで出会ったおじさんの話を思い出した。私はとうてい食べれないアイスクリームの味を覚えてしまった不幸なミャンマーの子供なのだろうか。

 その方の話には続きがあった。
「でも僕はそうは思わない。その子の心に「子供の頃食べたアイスクリームの味」にたいする感激や想い出は一生残るから。たとえそれが二度と得られないものだとしても知らないより知っている方が幸せなんだと僕は思うんだ」。
 そうかもしれない。
 もしかしたら、私の応援している学校は二度と甲子園には行けないかもしれない。そして、私にもいつかスタンドに足を運べなくなる日は必ず来る。それでも、今まで応援してきたことは無駄ではないし、後悔もしていない。私は幸せ者だと思う。



追伸
お久しぶりです。
ようやく日記を復活させました。
ちょっぴり新鮮な気持ちでキーを打つ自分がいます。
休んでいる間もメールをいただいたり、アクセスしていただいていたようで、心から嬉しく思います。ありがとうございます。
「野球に対する愛情」を見失うことのないように、これからの日記を書いていきたいと思います。
拙文ではありますが、今後ともおつきあいをよろしくお願いいたします。
   
管理人・あるこ



2001年10月13日(土)
一週間の充電期間をください。


こんばんわ。
いつも拙文を温かい目でご覧いただき誠にありがとうございます。
さて、誠に勝手ながら、今日より1週間充電期間をいただきたく思います。
数日前からの風邪が一向に良くならず、きちんとなおしてしまいたいのです。
「野球小僧」さんのルールでは3日以上更新を怠ったらいけないとのことですが、今回は「特別処置」をお許し願いたく思います。
心身ともにリフレッシュして、戻って参ります!

2001,10,13 管理人・あるこ

追伸:復帰は10/20になります。



2001年10月11日(木)
関西人の父兄さん


 高校野球では、スタンドが数段しかない小さな球場やグランドでの観戦機会がしばしばある。そうすると必然的に「父兄さん」と呼ばれる方々も近くにおられて、またどんなお話をされているのかが耳に入ってくる。
 「関西人、二人いれば漫才師」とはよく言ったもので、一関西人である私としてはまさしくその通りだと思う。試合中の父兄さんのやりとりは実に面白い。前なんかは、野球の強豪校相手に「あそこは勉強せんと野球ばっかりしてるからなあ…」「でもうちは野球もしてへんやん」とか、自チームのピッチャーが四球を連発し出すと「ああ、またバーゲンセールが始まったで」「もうええわ、もってけ泥棒!」とか言う。人によっては「きついなあ」とか「ガラ悪いなあ」とかいうとらえ方をされるかもしれないけれど、その陽気な口調に救われる。また、相手チームより自チームをおもしろおかしく言っているところに、気配りを感じたりする。そして、父兄さん自体も試合を楽しんでおられるかのように見受ける。
 ふと、これは父兄さんが関西人だからかなと思った。私はとってはこれが普通の父兄さんの会話なのだが、他の地方の父兄さんってどういうことをお話されているのだろう。東京では、東北では、九州では?
 ああ、遠征に行きたい。
 改めてそう思う今日このごろ。



2001年10月10日(水)
言葉〜お詫びにかえて〜


 こんにちわ。
 実は数時間前まで、ここに別の内容の日記が記されていました。ですが、ある方からのアドバイス等がありまして、「これは読者様にご覧頂くにはふさわしくない内容である」と判断し、削除されていただきました。
 つきましては、該当関係者のみなさまならびにここを開いたがために駄文を読むに至ってしまった読者のみなさまに深くお詫びを申し上げます。

 言葉というものは、本当にすごい力を持っています。昔、国語の模擬試験で出題されたエッセイに、「文章を書くことは恥をさらすことである」と書かれていましたが、まさにその通りです。書いてある内容はもとより、その作者の心をも映し出してしまいます。すばらしい作品なんだけど、いまいちしっくりこなかったり、素直に納得できない作品があったりします。物事を斜に見てしまっているのかもしれないのですが、そこにある傲慢さみたいなものが見えてしまうのです。みなさんにも経験があるかもしれません。また、逆に「作者が楽しんで書いているんだな」ということが文章から伝わってくるときもあります。そういう作品はたいてい読んでいて楽しいです。読者の方って、もしかして内容と同じくらいその行間ににじみ出ている作者の感情をも汲んで読んでおられるのかもしれません。今回ご指摘を受けたのも、その行間に私が「冷静になれないヒステリックな状態を文章に八つ当たりした」のを見透かされたのではないかと考えています。
 言葉は何もかもを包み込んでくれる温かい母の胸にも成りうるし、また人を残酷に打ちのめす凶器にもなります。願わくば私は、「母の胸」になりうる言葉を発したいと思いました。

 先日、あるテーマパークに行った際、おみやげ屋さんで「ためになる言葉」を書いてひのきの板を購入して、パソコンの前に置いてあります。しかし、早くもそれに逆らってしまったようです。今度こそは肝に銘じて。

 「言葉」

 一つの言葉で けんかして
 一つの言葉で 仲なおり
 一つの言葉に おじぎして
 一つの言葉に 泣かされる 

 一つの言葉にはそれぞれに
 一つのいのちをもっている。

 ことばは心のカガミです。
 たいせつに使い、よく聞きましょう。

 ※野球に全く関係ない話で申し訳ありません。



2001年10月09日(火)
秋季京都大会2次戦を復習する。


 昨日、平安高校の5年ぶり21度目の優勝で、秋季大会2次戦が無事終了した。
 今秋はいつになく熱い秋だった。接戦とコールドが多いというムラがあったものの、すばらしい試合が多く、またチームカラーがバラエティーに富んでいた。高校野球はどうしても画一的になりがちだが、今秋の京都は違った。「投のチーム」「打のチーム」「相手の隙をつくチーム」「土壇場に強いチーム」「足を使うチーム」「リベンジに燃えるチーム」等、じつに多彩。
 終わって見れば、平安の貫禄勝ちではあったが、夏の大会後時間のないなか試合で調整をしていき、一試合ごとにたくましくなった新チームは見事だった。昨年のチームに打力がアップした感じ。またエース・高塚に加えて、2番手・倉谷が結果を出しているのも大きい。守備は、本来のポジションに戻ったショート・今浪と中心に堅実。原田監督就任以来初の「全試合無失策」の快挙を成し遂げた(1個、危ないのがあったけど)。  
 準優勝の福知山成美は、打のチーム。しかし、決勝戦でエース・安達が力投。投手力の良さもアピールした。守備は多少荒っぽいという評判だが、ファインプレーも多く、「アンバランスな魅力」を持ったチームだといえる。ベスト4では、夏に逆転負けを喫して立命館宇治にリベンジしたのだが、この試合が地元ファンがおそらくもっとも燃えた試合だった。
 3位の京都成章高校。実は「平安を倒せるのはここなのでは?」と思っていたのだが、ベスト4で2−10と玉砕されてしまった。どんぞこからはい上がらせてら日本一。夏には十分期待出来るチームだ。
 私個人が、「センバツ出場にもっとも執念深い」と感じたのは、立命館宇治だった。素材は十分。しかし、明らかに優位な試合でも苦戦が強いられているときもあった。課題は精神的なものではないかなと僭越ながら感じた。
 その他、印象に残ったチームをいくつか。
 北嵯峨高校は、相手チームの隙を狙ったり、ミスをさそったりした、いい意味で「こずるい試合」をするチーム。2回戦では不利だと言われていたが、終盤に同点に追いつき、立命館宇治を苦しめた。新生・北嵯峨を確信した今秋だった。
 東宇治高校は、平安相手にコールド負けしなかったチームの一つ。もう一つは準優勝の福知山成美である。試合展開自体は、防戦一方だったし、守備も決していいとは言えないチームだった。しかし、投手を中心にふんばり、5失点でくいとめた。典型的普通校であるため、他校のお手本的な試合展開をしたと思う。また、投手・伊藤の来春が楽しみ。
 東山高校は、集中打で勝ち進むチームだった。初戦も洛西戦は1−0でむかえた8回裏に一気に6得点し、コールドを決めた。勝った試合は全てコールド勝ち。また、負けたのもコールド負けだった。2回戦の京都学園戦は明らかな自滅だったため、試合展開が悔やまれる。
 今秋は、秋の地点としてはレベルが高かった。また1次戦では強豪校が固まっていたこともあり、早々敗退した好チームもいるので、春や夏はまた違った展開になるだろう。
 とにかく、今秋は楽しかった。



2001年10月08日(月)
日本一の挨拶をする野球部


 高校野球部と挨拶は切り離して考えることはできない。いわゆる強豪と呼ばれるチームや名門と言われるチームはこの挨拶を疎かにしないし、しっかり出来ている。でも、非体育会系の私にとってはその「挨拶」がこわかったりする。あの独特のドスのきいたような声に、何を言っているのかよくわからない言葉。挨拶をする部員とされる人との間に一枚の鉄の壁があるような感じがするのだ。挨拶というのは、されると気持ちがいいものだ。でも、私は彼らの挨拶にそうしてもそれを感じられない。言葉は悪いが、「(上から)言われているからやる」。そんな感じなのだ。別にそれがいいとも悪いとも思わない。きっと野球部での挨拶と日常の挨拶は別ものなんだろうと思うようになった。
 しかし、今日試合で見たチームは違った。
 滋賀県立東大津高校。滋賀県大津市にある県立高校だ。特に野球が強いわけでもない。地元の子が地元の高校に進学し、普通に野球をしている。県大会では1勝か2勝レベルだ。先に「伝統校や名門校は挨拶がしっかり出来ている」と書いた。しかし、逆説が成立するわけでなはい。
 ここの部員は、挨拶をする対象人物をしっかり目線を合わせ、「こんにちわ」とはっきりした口調でいう。そこに堅苦しさはなく、思わずこちらも「こんにちわ」と返してしまう。また、女子マネの子も「こんにちわ〜」と笑顔で通り過ぎて行った。「あ、これって普通の挨拶なんだな」とふと思った。確かに、指導者がそういう教育をしているのかもしれない。しかし、そこには「やらされている」という姿勢を感じなかった。「挨拶は当然のこと」として、部員それぞれになじんでいるのだ。びっくりした。そして、ちょっと親近感を覚えた。確かに「軽い」感じがすることは否めない。しかし、挨拶される人が「こわい」と思うより、親近感を覚えるものの方がはるかに「挨拶」らしいと思う。
 このチーム、化けるなと思う。
 それが今年か来年かいつになるかは分からない。でも、あんなにすばらしい挨拶が出来る学校を勝利の女神や地元に人がほってはおかないと思う。滋賀県は今夏近江高校が甲子園で準優勝をしたけれど、まだまだ同校が他チームを引き離したとは言い切れない。また、参加校52校中20校が甲子園出場経験を持っており、群雄割拠の地域でもある。例年上位にくる学校もめまぐるしく変わる。だから、この東大津高校に決してチャンスがないとは言えないのだ。



2001年10月07日(日)
京都勢2校がセンバツに出場するには…


 今日、西京極球場で京都大会準決勝が行われ、平安と福知山成美が決勝戦に駒を進めた。この2校がセンバツ大会出場切符をかけて近畿大会を戦う。
 2校のチームカラーは正反対(場所も北部と南部だし)。平安は言わずと知れた名門伝統校。鍛え抜かれた堅実な守備が光る。小技も確実だ。福知山成美は新鋭発展途上校。甲子園には99年夏に出場しているのみで全国的にはまだ無名校だ。どちらかと言えば打撃中心のチーム。打って打って打ちまくる豪快野球でピッチャーを助ける。勢いを兼ね備えたチームだ。地元ファンから久しぶりの「京都勢2校センバツ出場」を期待する声も挙がるのは必至。そこで、その条件を考えてみた。
 まず明日の決勝戦で、
 1位・福知山成美
 2位・平安
 で通過すること。
 福知山成美は打撃のチーム。こう言っては何だが「打線はみずもの」。昔から言われていることは侮れない。他府県の顔ぶれを見ると経験豊富な強者そろいだ。「2勝しないと」より「1勝でいいんだ」の方が楽に決まってるし、選手もリラックスしてプレーできる。だから、近畿大会で「1勝」すればセンバツ出場が当確になる「1位」での通過が必須条件。2勝できるかもしれないが、「まずは1勝」に集中していただく。
 平安はおそらく近畿で2つは勝てる力を持っている。夏の経験者も多い。京都2位だと大阪1位や兵庫1位との対戦の可能性があるが、それでも対等にやれると思う。また最悪負けても善戦だろうし、出場への距離はそう遠くないはず。それに京都で楽勝試合が多すぎた。リスクを背負った時の底力みたいなものを見てみたいし、同校はそれでより強くなり更に成長した姿をセンバツで見せてくれると思うからだ。
 最後に、両校に。
 「近畿大会優勝はいらない」。
 ここ数年近畿大会優勝校はセンバツで活躍できていない。ジンクスなのか何なのかよくわからないけれど。だから、ベスト4や準優勝がベターかな、と。別に「手を抜け」とか言う気は更々ないけれど。



2001年10月06日(土)
ちょっと待った!プラス思考


 スランプというものは、足音を立てずに突然やってくる。特にこれといった原因はが見当たらないのが大半だが、私個人は実は「これ」とうものがあるのではないかと思っている。ただ、それがあまりにささいで微妙なので、分からないもしくは気付かないのに過ぎないのではと。
 どうも、私は「スランプ」に陥っているようだ。
 いつになく神経質になってみたり、妙に落ちこんでみたり、また変に開き直ってみたり…。注意力散漫で文字の打ち間違いが激しかったり、物忘れもひどい(友人知人に言わせたら「いつものことやん」、かもしれないけど(^^;))。冷静になれば、「なんてことをしてしまったのだろう」と自己嫌悪に陥る。やることなすことがドツボにはまっていくばかりで、何をやってもうまくいかない。なんか、連続エラーをしてしまった野手の心境ってこんな感じなんだろうな、と思ったみたりして。こんなときですら、野球から離れられない自分に嬉しくもあり悲しくもある。
 野球に限らないのだが、スポーツは「メンタル面」が重視される。ピンチのとき、チャンスのとき、自分はどうあるべきか、どう考えて、どういう心構えでプレーをすればいいのか。おそらくそういうものことをいうのだろうと思う。その多くが自分や状況に対していいイメージを持つ「プラス思考」に起因するのではないかと思う。確かにプラス思考で気持ちは軽くなるし、持っている力あるいはそれ以上もものを発揮できる。
 しかし、「ちょっと待った!」と思う。
 ホームページのプロフィールをご覧頂いた方ならすでにご存じだと思うが、私は教員免許を持っている。大学4年の9月に市内の女子校で教育実習をさせていただきた。そこで印象にのこったことがある。
 科目は宗教。受験に関係ないこともあって、実習担当の先生は、「1時間自由に使っていい」とカリキュラムを任せてくださった。本当なんでもよかった。そこで私は好きな高校野球を絡めて、「プラス思考の大切さ」をテーマにしてカリキュラムを作った。授業を行う前に先生のチェックが入る。実習とはいえ、やはり「教師のやる授業」である。先生にも責任はのしかかる。私のカリキュラムに一読して、先生が言った一言。
「君はプラス思考というけれど、世の中にはプラス思考になれない人もいるんだよ。性格的なものもあるし、思想的・環境的なものもある。そういう子が教室にいるかもしれない。その子がこの授業を受けたらどう思う?「プラス思考にならなければいけない」と自分を追いつめたりしないとも限らないよ」。
 びっくりした。一種の「へりくつ」かもしれない。でも、今思ったら、私はプラス思考の本当の意味を理解出来てなかったのかもしれない。先生はその甘さを指摘したのだろう。私はその先生の言葉に「そうかもしれない」と思った。かくして、私のカリキュラムは練り直しとなった。
 本当のプラス思考ってどういうことなのだろう。今でもそれは分からずにいる。楽天主義やいい加減とも違う。今の私は、あのとき私がカリキュラムに書いた「プラス思考」がどうしても出来ない。もし今の私が教室で当時の私の授業を受けたら間違いなく追いつめられていたと思う。
 人を変えるなんて簡単にできない。
 今日は野球と関係ない話になってしまった。しいていえば、指導者と呼ばれる方々に選手に応じた指導をお願いしたいということだ。けっして型にははまないで欲しい。




2001年10月05日(金)
来年のことを言うと鬼が笑う。


 昨日のヤクルト戦、善戦するも引き分けで、我らが阪神タイガースの4年連続の最下位が決定した。
 しかし、私個人はそれほどショックでも腹立たしくも、諦めの境地でもない。「それはファンとしての堕落ではないか」と言われればそれまでかもしれない。「最下位」とか「弱い」という言葉に完全に慣らされ、免疫がついているのも事実ではある。
 阪神タイガースを愛する人と、短編小説や単発ドラマが好きな人とはなんとなく似ているように思う。阪神を応援するにおいて、140試合あるペナントレースや順位や勝率をその中心におくと、ストレスがたまってかなわないし、よほどのマゾ(下品ですみません)でないと耐えられないと思う。確かに85年の日本一のようなことはありゆる。でも、一概にそれを信じるだけではファンとしてもしびれがきれてしまうのではないだろうか。実際私の周りにも、「しびれをきらせて」阪神ファンを辞めてしまった人はいる。
 私も数年前は阪神タイガースを見放しかけた。しかし、阪神を短編小説や単発ドラマなんだと考えるとこれほど面白いチームはないと思う。短編小説や単発ドラマとはどういうことか。それは、試合を「140試合のうちに1試合」ではなく、「1試合はあくまで1試合」と捉える、また「阪神タイガースのメンバーの一人」ではなく、「あくまで1プロ野球選手」として見る。そういうことだと考えていただきたい。ダントツの最下位を突き進んでても、首位のチーム相手は1タテくらわせたり、大量点差をつけてみたり、大逆転をしたり…。考えられないほどお粗末なプレーをしたり、あっと驚くプレーでファンを魅了したり…。わからないチームである。だからこそ、目を離せない。タイガースの試合を見ていると、「140分の1」という思想で試合を見ていることがひどくもったいないように思う。
 また、今年は著しく選手の育ったシーズンだと思った。最大の課題である若手は、投手では井川、打者では濱中や赤星、上坂に藤本…。また中堅なら成本や谷中など「後がない」移籍組が踏ん張っている。ベテラン勢では広澤。正直、ここまで活躍するとは思わなかった。なんと言ってもホームランを打てるのが魅力。小技系の選手が多いなか、広澤の存在はタイガース野球の個性を際だたせるために不可欠な存在となっている。若手以外は移籍選手の活躍が大きいのは多少気になるところだが、それでも何もないよりかははるかにいいわけで。移籍選手に冷たいというイメージを払拭できたのではないかと考えている。カツノリもいろいろ言われたが魅せてくれた選手の一人だ。
 個人的にはルーキー藤本選手のファンになったし、首位ヤクルト相手に9回に4点差をひっくり返した試合も見れたし、2001年のタイガースは楽しかった。
 え、若手もベテランも移籍組も来年はどうなるかわからないって?
 何言うたはるますの。ほら、ことわざでありますやん。
 「来年のことを言うと鬼が笑う」って。



2001年10月02日(火)
今日も負けられない一戦だった…

 やった!
 サヨナラ勝ちや!
 濱中ようやった!
 
 携帯電話の試合速報を見て、思わず万歳。昨日のそうだったのだが今日も負けられない一戦だったのだ。

 今日は甲子園での今シーズン最終戦。残念ながら今年は断念したが、ここ数年この「甲子園最終戦」には頻繁に足を運んでいる。最終戦はファンの特別な思いがある。試合前の先着何千人プレゼントとかいう試みも、普段なら一塁内野が中心だが、この日は外野の観客も対象になる。このところもらったのはノートに携帯のストラップ。そして、試合が終わったら、選手や監督の挨拶(といっても、しゃべるのはアナウンサーで彼らはただプレート上に並んでいるだけのなのだが)。ファンは一通り騒いでから、警備員の兄ちゃんに握手を求め、「おつかれさん」「来シーズンもよろしゅう」「よいお年を!」と一年を締めくくる挨拶をして、球場をあとにする。乱闘でも起こさないかぎり警備員とかかわることはないのだが、やはりシーズン通して、ともにがんばってきた「戦友」という意識が働いているのだろう。
 そんな特別な一戦と、ヤクルトのマジック「1」が重なってしまった。ヤクルトは今日勝ったら、リーグ優勝が決まる。反対に阪神は今日負けたら最下位が決定する。もし、ヤクルトが勝ったら、試合後に行われる一連のセレモニーはどうなったしまうのだろう。ヤクルトがさんざん優勝の喜びを分かち合って、表彰とかしてからになるんだろうか。阪神にむけられたものではない紙テープが残骸の中、シーズン終了の挨拶をするのだろうか。そこまで待ってられないし、またそんな屈辱的な場面に遭遇するのもイヤだ。今日はなんとしてでも勝った欲しかった。阪神が主役のまま21世紀最初の甲子園を締めくくって欲しかった。(ちなみに他チームの優勝にもっとも大人げないのが阪神タイガースファンだと言われてる。甲子園で優勝が決めったら、そく球場内にメガフォン等が投げ込まれる。ロッテやオリックスファンあたりだと、一緒になって拍手とかするのだろうけど。でも、そんな「おとなげのなさ」が私はたまらなく好きだ)

 とにかく勝ってよかった。私のくだらない心配事も取り越し苦労で終わった。明日はどうなるかわからない。でも、神宮やし、そろそろヤクルトに勝ってもらってもいいかなと思う。



2001年10月01日(月)
阪神ファンであることの誇り


 今日10月1日が、和田選手の引退試合なのか、長嶋監督最後の試合なのか、ただの消化試合なのかは、それぞれが持ってる野球観によって異なる。
 私は阪神ファンなので、今日は「和田選手の引退試合」だ。和田選手は1番セカンドでスタメン出場。皮肉にもこれが今季初のスタメンとなった。セカンドゴロ→ヒット→四球…そして、選手生活最後はショートゴロだった。特に3打席目の四球では和田選手の醍醐味を存分に味わえた。やはり彼はスタメンでないと…と改めて感じた。
 試合が終わったあと、和田選手の引退セレモニーがとりおこなわれた。始めに、場内アナウンスによる和田選手の経歴の紹介があった。和田選手はすでにその地点でうつむいて、肩を震わせて泣いていた。男の涙っていいものだなと思った。
 引退スピーチもすばらしかった。最後は涙声になってはいたが、はきはきした口調で、人に伝えようという意志が見えた。それはグランドでのプレーと同じだった。自分のことより、人のこと。多くの方への感謝の気持ちを述べることがその内容の大半だった。
 私たち「阪神ファン」を日本一だと言ってくれる選手は少なくない。でも、「世界一」と言ってくれた選手は彼が初めてなのではないだろうか。
 ある掲示板の書き込みで、「あの涙はもう一度優勝できなかった無念の涙だったのではないか」とあった。その通りだなと思った。スピーチ中、流れる涙を拭わずに話し続けた彼を後輩たちはどんな思いで見ていたのだろう。
 私たちは「世界一」の阪神ファン。チームが最下位でも、選手がどんくさいプレーをしても、監督がぼやいてもついていくしかない。私たちの声援でタイガースを優勝させてやろうじゃないの!不思議と元気が湧いてきた。
 ありがとう、和田選手。ひとまず今は、「おつかれさまでした」。