心が麻痺ってないかを確認する。
そして、俺がここまでどうやって生きてきたかを。
今までの自分の浅はかさや愚かさに
うわっはーはずかしい!って思ったりもする。
でも、そう思えなかったら心配ってのもある。
気づけてるってことは、悪いことじゃない。
多様性。いろんな人がいる。クレヨン。
否定。悪口。陰口。嫌味。
何故こうも醜い感情が浮かぶんだろうな。
素晴らしいことはなかなか浮かばないのに。
俺は否定することで生きてきたんだな。
誰かを否定して、自分を肯定していたのかな。
誰かを否定することで、自分の生き方が間違っていないと、
そう、肯定したかったのかな。
でもなんか、最近、否定しそうになると、
「いやでも、それも一つの生き方と言えるかも。」
くらいに思えるようになった。
って、そんなの一般の人はとうの昔に分かってるやろ?
思うやろうし。
俺はいまだに出来ていない。コレは致命的だ。
マイミクにMASAって後輩がいる。
コイツは基本的に低姿勢なヤツだ。誰に対しても。
僕に対しても、1個先輩っちゅうことで、
丁寧なヤツだと思う。
だけど、いつもは「そうかもしれないですね」というヤツが、
絶対に譲らないことがあった。
それは、「人を見捨ててはいけない」ということだった。
実際に、彼自身見捨てると言う言葉を「諦める」に置き換えたり、
感情的になり、そうしてしまった友達や仲間もいるだろう。
しかし、彼のすごいところは
それを言葉にすることを許さないことだった。
「いや、それは・・・」
僕は学生時代、半分おもしろがって、
低姿勢ながらも僕に反論する姿を楽しんでいた。
だけど、俺はその彼の考えを否定できなかった。
むしろ尊敬さえしていた。
間違ってはいないと、そう思ったからだ。
僕はそうは思えない。そして、それが理想だとは思った。
俺もこの考え全てを受け入れることはできないかもしれないが、
コイツから学ぶことはあるなぁと、思った。
考えるに、僕は、頭ごなしに自分以外を否定しているのではなく、
否定することにも何か根拠のようなものがあるように思う。
根拠は、僕の人生経験であったり、倫理・道徳観が
それなのかもしれない。
否定は、自分の考えの中から、ソレは間違っていると判断したものだ。
人を否定して生きることも多様性で、
人を肯定することも多様性。
ならば、「正しいこと」ってのは何なんだ。
それは、誰が決めるんだ?
俺だろ。いや、社会一般の正しさは知らん。
少なくとも俺が生きていくうえで「正しいこと」を判断するのは
俺だろう。
なら「多様性を認める」ってのはどういうことだ。
それは妥協にもなりかねんだろ。
俺が正しいと思えることをしたらいいってことは分かる。
そして、俺が正しいことが他人にとって正しいかどうかは分からない。
だから、決め付けちゃいけない。完全なる否定はいけないんだ。
だって、それぞれが「正しい」と思えることを持っているのだから。
自分の正しさも認めてもらいたいなら、相手の正しさも認めなきゃ。
んー・・・「言い方」か。表現の仕方ってことか?
同じ意味でも「もってこい」と「持ってきてください」は
印象が当然違うから、やっぱり言い方なんかね。
「んー・・・」
で、ずーーーと話が止まって考え続ける人っているでしょ。
あれが何でなんかなぁと思ってたけど。
アレはもしかしたらこういうことを考えていたのかな。
俺、あんまり考えていないな。うん。
ちょっと今度から意見人に言う時、
もうちょっとコレまで以上に考えて、モノ申そう。
やっぱ俺もそろそろ色々かわらなあかんわ。
ここ数日、三重は暖かく、風もないので、
仕事が速く終わった夜は毎晩一人で50kmほど走っています。
まったり走行なので大体1時間〜2時間ほどのプチツーですけどね。
最高に、最高に、最高に。気持ちいいっす。
バイクに乗ったことのない人って世の中たくさんいますよね。
まぁ俺も世の中、知らないことたくさんあるんだけど、
バイクが好きな俺にとって、バイクを運転したことがない人ってのは
人生損してんじゃねぇのって思うほどバイクは良いです。
スピードと風の気持ちよさが丁度良い、
ZEP750は2500回転・5速・60km付近で走ってると、
ほぼ両手はグリップにのっかかってるだけで、
もう本当になんていうか眠らないんだけど、
こう・・・気持ちいいんだな。
あー・・・今すげぇいい感じ
って思うんだ。
ガルゴロガルゴロゴロゴロゴロ
ってなんつうかアナログな音がエンジンからこだまする中、
ふわーーーーーってすすむ。転がってるみたいに。
たまに意識が飛びそうになって「ハッ」ってするくらいなのよ。
あ、事故しそうとかそういう危なさじゃなくて、
なんていうか、、、これはバイク乗りにしか分からんかもしれんけど。
家を出て、暖気して、10kmくらいまでは暖かい。
だけど20km過ぎるとやっぱりまだ寒くなる。
その体温の変化や街中と山の温度差なんかを感じた時に、
なんかこうたまらん気持ちになるんだよ。
アレは車にはないわ。
バイクはかなり最高っす。
皆それを感じながら生きているのだと思う。
ずっと一緒にいれるわけなんてないし。
そうなることを望んでいるわけじゃない。
だけど、実際それを選んでいる自分がいる。
ふと、フト立ち止まれるようにはなった。
だけど、そこまでせんでもええんやないのって
そう思うようになったことも事実。
俺がこのまま連絡とらなかったら、
コイツとは連絡しないんだろうなぁ。
なんて、フト頭に浮かぶ。
それに、それが当たり前であることに耐性ができてきてしまった。
しまった?しまったのか?
「キミがしてあげたことで損をする必要はないんだ」
そんなことを他の誰かには言えても、
自分自身がそれをするのはとても難しいわけで。
「俺の結婚式にはこいって。」
なんて言うなよな。辛いんだよ。
俺はお前みたいに生きれないんだ。
ちょっとずつ削げていくんだ。
毎日の中に埋もれて気づかないように。
ふと立ち止まって見回したときに、
誰もいなかったなんて悲しいけれど。
うすっぺらさしか感じられないんだ。
いつも一緒にいなくてもいいのに。
無理している必要もないだろ?俺。
過去の俺が嫌なのか?だからか?
でも、いいじゃないか。いいじゃないか。
削り取られていく。削りとっていく。まるくなっていく。
それでいいか。いいよな。いいか。いいよな。いっか。
調和引力って言葉、知ってますかいな。
僕は今朝来たメルマガで初めて知りました。
調和引力というのは、
「成功は成功を、失敗は失敗を引き寄せる」という法則です。
消極的思考の人は消極的思考の人しか引き寄せないし、
積極的思考の人は積極的思考の人が周りに集まってくる。
類は友を呼ぶって言葉とちょっと似ているかもしれません。
まぁつまり、似ている者が周りに集まってくるよってことです。
他にも
「その人の本当が知りたければ、
その人と最も仲の良い友人のなりふりを観察すればいい。」
ってのもありますよね。
似たもんが集まるってことになります。
実際中学校や高校の教室って似たものが集まっているかもって思うし。
こんなこと思ってるの自分だけかもって思っていたことが、
なんか偉い人がそういう言葉を残していると、
何かちょっと嬉しくなるよ。
あ、同じこと思ってたの!みたいなね。
そして今、自分の周りを見てみる。
っとなると、やっぱこういうことなのかなって思う。
例えばバイクが好きでも、
結局人格とか生き方って部分が共通してないと、
結局会ったりしないものです。
また、違う見方をすれば、
自分が積極的になろうと思えば、
積極的な人の中にいなきゃいけないってことです。
確かにしんどいんですけどね。それは否定しないんだけどね。
だけどこうなんつうか爽快感あるよね。うん。ガガ!って感じだな。
俺は、誰と引力を感じているんだろう。
どんな共通項目から引力がそこに発生しているんだろう。
自分のことを知るってことは、
こういうことを一つ一つ解いていくこともそれかなと思う。
時々感じる体温があったかい。
肌に触れたらもっとあったかかった。
確かに寒い。外は。
夕日もあんなにも赤いし。
だけど、たまにはいいでしょ。渋滞の道のりも。
たまにはいいでしょ。バカみたいに手つないで歩いても。
ずっとずっと好きだなぁと思える気持ちは、
コレは神様のプレゼントなのかもってそう思う。
俺みたいにね、あんまり世の中にとって役に立たないヤツでも、
まぁその一生懸命さをかって、コイツと出会わせてやろうって
そういう風に神様が気を使って、アイツに会わせてくれたのかもしれん。
神様ありがとう。
俺にとって何よりも大切な女の子を僕の元に引き寄せてくれて。
神様、見たこともないけど、俺は信じてるよ。きっと見てくれてるんだ。
バイクの神様、ありがとう。
2つのタイヤを想像してくれてありがとう。感謝してる。
こんだけようしてもらったんやから、
生きてる間にはちょっとはええことするからね。
がんばるからね。かみさま。
東京の下町で学生時代から仲の良かった後輩と呑んだ。
同じように映像を商売としている彼とは話が合う。
伝える仕事という意味でソイツと俺とミイさんは仲が良い。
いや、別に仕事がそういうんじゃなくても仲良いと思うんだけどね。
ソイツは転職を考えていて、
もうすぐそこまでソレがやってきていた。
彼は「V」のようには生きたくないと言った。
最初は「夢と今」が近かった。
だけど今はそれが段々と離れていって、
このまま生きていけばそれが当たり前になることが怖いんだって。
俺は「×」だと言った。
「夢と今」が離れていて、それが近づいて、
また離れていきそうだと答えた。
そして今が丁度、接点じゃないのかなとも思うと。
彼はいろんなことで悩んでいた。
生きるということでも。
だけど、そのまなざしは力強く生きていた。
俺は彼より2歳年上だが、彼の年のときに
同じだけのことを考えられていただろうか?
ちょっと自信がない。
こういうやつと話していると本当に幸せだと思う。
何よりも幸せだと思う。本当に。
ミイさんと話すもとってもとってもとっても楽しいけど、
やっぱコイツと話すのも楽しい。
お互いが話に耳を傾けていた。
僕が話した、
燃料・タンク・ガソリンスタンドの話や
1日に「ありがとう」を50回言おうという話。
1%の話、
「おつかれさま」の話などをした。
んー・・・なんかたくさんはなしたよ。
そして、俺の話に彼は泣いていた。
何故泣いているのか聞いたら
「酒呑みすぎて、話熱すぎて、涙でてきたっす。
うおーーーー!」
とか叫びだした。
色々大変なんだろうな。東京砂漠で生きていくのも。
帰り際に、新宿駅で別れ際に握手した。
俺は改札を抜けようとした瞬間10年ぶりくらいに鼻血が出た。
カッコわる。まぁいいや。
名古屋までの新幹線の中で、
東京で一泊させてもらったことの感謝のメールを送ったら、
返事がきた。
「俺のガソリンスタンドもポルコさんです。
しかも、とてもいいガソリンを入れてくれますよ。
俺はできればポルコさんにもらったガソリンを
他の人に分けたいです。」
ってメールが来て、俺は少し泣いてしまった。
あーよかった。横のおばちゃん寝てて。
2008年03月01日(土) |
人の優しさに触れたとき、自分の小ささを知りました。 |
この歌詞を、
一人暮らしをしている時に壁に貼ってあったヤツがいたな。
アイツはあの頃、俺以上に人の優しさに敏感だったんだろうな。
そして、自分の小ささを知ることが出来たのだと思う。
優しさに触れたときに、
ソレまで抱いていたいらつきやむなしさが、
すっ と、飛んでいく。
あの時のさわやかな気分って、いいよね。
僕の仕事場はそんな自分の小ささに気づける場所だと思う。
会社の中でも、会社の外でも優しさに気づき、
えらそうな気持ちになろうとする自分の頭をこづいてくれる。
自分ばっかがんばってるって気持ちをやわらげてくれる。
叱ってくれる人もとても大事。
だけど、優しくしてくれる人も同時に大事。
優しくされて、初めて人に優しくありたいって思うの。
それって普通じゃないかな。
「教えてもらったこの気持ちを、
また他の誰かに伝えられるようになりたいです。」
アイツは東京の地下で呑みながら俺に言ったんだ。
俺も、優しさを人に伝えられる人になろうと思うよ。