永久という名の瞬間
2004年02月29日(日) 妄想想像

 ありえない未来を想像するのは楽しくて。
 楽しくてやりだすと止められない。

今日は本屋さんに行き、留学案内を前に一日妄想をしていた。
 いつの間にか、人の前で堂々と喋られるようになって。
 知っている人くらいには、心臓をきりきりさせないで話せるようになっていて。
 苦手な英語も使えるようになって。
 小論も、苦労すれば書き上げられるようになっていて。
 参考資料も頑張って読める神経が戻ってきて。
 どんな環境でも、つつがなく学生生活が営めるような私を想像していた。

 現実にはありえない話。

 
 妄想終了後には激しく現実に打ちのめされる。
 まぁ、仕方無い。
 楽しめた代償くらいきっちり払わなくちゃね。

2004年02月26日(木) 何考えてるんだ?

 過食嘔吐かアームカットか。
 毎日どちらかに手をつけるのが習慣。
 たまに両方すればなんだか悪化した気がして、(止めなきゃ止めなきゃ)と焦るくせに、どっちか一方だと、もう止めようとも思わなくなってる。
 罪悪感がどっかに行っちゃった。
 習慣化とは恐ろしい。

(生きてるだけでいいや、満足満足)と思う脳も、どうにかしなくちゃ。

2004年02月25日(水) いくら高くても欲しいもの

 頭から消えてくれない考えなんだもの。
 そう思っていることは、否定できないんだもの。
 口にしちゃいけないと解っていても、知らないうちに口に出てしまっているんだもの。


死にたいって。
 

 私はそんなことを思いたくないし、口にしたくない。
 だけど現実は否定できない。
 私は年がら年中死にたいと思っていて、気がつくと「死にたい」と呟いている。

「どうしてそんなこと思うの?」って聞かれたって、知らないうちにそう思うようになったんだから、私だって知らないよ。
 大体私は「死ぬこと」自体、どういうことなのかよくわかっていない。だけど、頭がそれを望むんだから、仕方無い。

 死のうと思わないように、脳みそを矯正できるなら、お金払ってでもしたい。
 私が持っている五官の一つを失ってもいいから、私が持ってる四肢を一つ失ってもいいから、死にたいって思う脳みそを、変えてください。神様。

2004年02月23日(月) 節制を

 別におなかがすいているわけではないのに。
 他に食べるものがないという理由で、ピーナツスプレッドをスプーンですくって食べる私は、自分で気持ち悪いと思う。

 (なにやっているんだろう)という自問自答に負けて、スグ吐き出すのに。

 もう嫌だ。
 太るのが怖いとか、そういうのじゃなくて。
 気持ち悪くなるのが、なによりも嫌。

 どうか私に節制を。節制を。節制を。
 誰かが御者になって、私のエゴをコントロールして欲しい。
 この頭の中に、どうにかして御者を入れなくては。

2004年02月22日(日) 嫌なことは避ければいいのでは

 私は嫌なものを避ける。

 他人との関係はうざったくて好きじゃないから、極力減らそうとして、バイトはしないし、サークルだって入らない。
 おけいこ事だって、やりたいこといっぱいあるけど、先生とか生徒さんとのコミュニケーションがストレスになるから、やらない。

 やろうとおもったら、そりゃ、出来るだろう。
 でも、無理に欲望を満たす為に、自分の気持ちに負担をかけるなんて馬鹿げてる。私はそう思う。


 母がバイトをやれとうるさい。
 私だってお金は欲しい。
 働くのだって、べつにそんなに嫌じゃない。
 でも。人間関係が恐ろしく嫌なんだよ。
 そこで私が犠牲を払う料は、貰うお金に見合うとは思えない。

 私は他人が普通にできる、どうでもいいことを嫌がるから、いつだってマトモな人間になれない。

2004年02月21日(土) 考えたくない

「あんたこれからどうするの?」って、母親に訊かれた。もちろん進路のことだ。
 私は固まる。思考が停止。
 軽い調子で簡単に停止する私の思考回路。

 私企業なんて、どこにも就きたくない。公務員のほうがまだマシ。
 まだマシだけど、それよりなにより、私は永遠に学生でいたい。
 勉強する事を職業にしたい。
 大学院に行って。マスターとって。ドクター進んで。
 あわよくば、ドクターをとって。・・・なにかの、プロになりたい。

 ところで、何のプロになるつもり?

 自分の胸に尋ねて、私はひたすら困る。
 高校生みたいな、漠然とした夢しか描けない。
 ビジョンなんてありはしない。極めて感情的な、希望だけしかなくて。そんな頼り無いものを基盤に行動している。
 しかも私の行動なんて、「行動しない」ことだ。どうしようもない。


 学部の皆が、就活で奔走している。
 高校時代の友達も、1人はエントリーシートのせいで胃を傷めて、精神科に行った。
 もともと大した理由もなく精神科に行っていた私は、とても申し訳ない気持ちになった。
 私はなにも辛い目になんて遭っていないよ。
 遭っていないけど。


 私は思考停止して、ただ生きることに専念することにする。
 将来なんて、考えたくないもの。
(どうせ、とどのつまりは、棺おけなんだから)とか、言い訳をして。

2004年02月19日(木) 其処にいてくれて ありがとう

 高校時代大好きだった子に電話した。

 彼女とはうまく話せない。
 けれど私は、ただ、彼女と話をしているというだけで幸せになれる。
 それでも受話器を置いた後、電話をかけたこと自体に反省する気持ちを抱くのが毎回だから。辛いけど。
 (ようするに、私は彼女を自分のストレス発散に利用していることを、自覚しているから)


 彼女と私は、いい仲だったと思う。
 つかず離れずの距離が、私には居心地がよかった。
 人を不愉快にさせない、合理的な自己中の彼女は、したいことをただしていて、嫌な事は平気で拒否してきたから、私は安心して寄りかかっていられた。余計な気遣いがいらなくて、「いや」と言われたら道をどけばいいや、と思っていればよかった。だから心が軽かった。
 しかも素直な口から飛び出る言葉は、私を喜ばせるような内容ばかりで。
 嘘をつかないことがどんなに素晴らしいことなのか、彼女を通してよく解った。


 彼女は出逢った時から全然変わっていない。
 本人は「全然成長してない・・・」と嘆くけれど。
 私は、変わらないものを得ているだけ、幸せなのだ。

 彼女がこの世にいるだけでいい。 
 もう二度と近づくことはないけれど。思い立ったときに電話をすれば、彼女はきっと出てくれるという確信だけで、充分幸せ。

2004年02月18日(水) タイムリミットを越えても

 これから何年も生きなきゃいけないとおもうと、それだけぞっとした。
 そんなの、耐えらえないと思った。

 だから私は勝手に期限を決めた。
(春になったら死のう)とか、(受験が終わったら死のう)とか。適当な節目に期限を設けて、それまで頑張ろうと決めた。
 そう決心する事で、少なくとも、その期限までは生きていこうとした。

 私は最初から自分が死ねないことは分かっていた。
 だから、これはただの防衛本能。刹那的な生き方になるけど、今後もずっと生きていくことを直視して、本当の苦しさを感じているより、マシだと思った。

 私の私の本能への信頼は裏切られることもなく、今、元気に生きている。

 そろそろ、以前勝手に設定した期限が近づいてきたけれど。私はきっと、その日を迎えても生き続ける。
 何年も生きなきゃいけない事実から目を背け、新しい期限を設けて。ずっとずっと。


・・・でも本当にそんな風に、生きていけるかしら?
 私はこれからも生きていくことを、とうに知ってしまっているのに?

2004年02月17日(火) 勝者である証明

「ほっそりしているね」って、一度は言われてみたかった。

 私は中学の頃、恐ろしく太っていて、身長は変わらないのに今よりも10kgも体重が多かった。
 デブといわれたし、自分でデブだとわかっていた。
 今は標準に落としたけれど、心の底では、「やせている」くらいになりたい。

「ヒトは見かけじゃない」という奇麗事に騙されて、中学時代は与えられたものをただ、食べていた。栄養取らなくちゃいけないから、と、馬鹿みたいに量を与えまくる母に従った。太っても、拒否できなかった。
「食べる事が何よりの幸せ」と考える、戦時生まれの老人を喜ばせるために、無理に喉に食べ物を突っ込んだ。気持ちが悪くなっても「おいしい」と言うのに慣れていた。「おいしい」なんて、どんな味なのか、全然わかりもしないくせに。
「食べ物を粗末にしちゃいけない」と、農家生まれの父は、米粒ひとつでも残したら怒った。
 母は私の啓蒙のために、難民のVTRを見せて、あんたは恵まれているんだと脅した。

 私は食事が嫌いになった。

 嫌いな食事を拒否しないで受け入れる、私は謎の存在。
 それは私は、私である以前に、生物だから。
 だけど、私は食べ物を口にする度、絶望のような、灰色の気持ちになる。

 たとえどんなモノだって、嫌いなものを口にしたくない。
 やせることは、私が自分の理性が勝った証。本能を乗り越えられた、勝利の証。
 だから私は、体重が1kg減っただけで、涙が出るほど嬉しい。

 私はいつだって勝者である事を、カタチとして証明したい。

2004年02月16日(月) 身体に悪いからおいしい

 古いCDを引っ張り出した。
 懐かしさとともに、記憶の断片があらわれては、消える。

 I believe that junk food tastes so good because it's bad for you.
 
 これは高校時代によく聴いていた、savage gardenの「affamation」の歌詞。
 対訳では、「きっとね、ジャンク・フードは身体に悪いからおいしいんだ」と、綺麗な日本語になっていた。

 数年前、ふとしたきっかけでその歌詞を口ずさんだら、友達が「なるほどね」と、さも新鮮そうに納得した。
 そのときの表情は、とても素敵だった。
 だから逆に、何気なくその歌詞を呟いた私までもが、その言葉を反芻した。

「ジャンク・フードは 身体に悪いからおいしい」
 
 考えてみれば、他にもいろいろ当てはまる。

 勉強は 精神に悪いからおいしい。
 読書は 魂に悪いからおいしい。
 自傷は 心に悪いからおいしい。

2004年02月15日(日) 正しさの追求

 私はただ、自分を擁護するためだけに頭を働かせる。

「仕方がなかったんだ。だってこんな理由があったんだもの。
 だから、私の判断は無難で、当然の結末なの」


ただ、そう言うが為。
 私はくだらないことに時間と全身全霊をかけ、巧くできなくて悲しんでいる。

 もちろん心の奥では、自分の正当性なんか、これっぽっちも感じていない。裏を返せば、だからこそ、正しさを証明したがるのだろうね。

 正しさを追いかけたいなら、正しい行為を行えばいいって?
 それは、私には正しい行為がどんなものかさえ判らないのだから、結局できやしないこと。
 それなら正しいこととはなんなのか、考えればいいって??
 そんなことしたら、間違った正しさを信じ込みそうで、恐ろしいわ。

2004年02月14日(土) コンプレックス

 あるがままの自分に、自信を持っている人間は少ないだろう。
 だれでも多少はコンプレックスを持つのが普通だろう。
 だからなおさら、余りにコンプレックスに捕らわれすぎてはいけない・・・とは思う。

 自分を卑下しても何も得るものはない。
 必要なのは、強さ。
 現状を見つめて、受けいれる強さ。
 そしてそれは私がいつも逃げていること。

・・・理想はそれを打開する強さまで持つことだけど、そこまでいかなくても、ね。
 もちろんそのくらい強くなってみたいけど。

 まず私は、現状を受け入れたい。素直に受け入れたい。
 
 私は変なところにこだわりすぎるから。
凝り固まった偏見を、溶かしたいのです。

2004年02月13日(金) 嫌々ながらも

 嫌々ながらも、何かすることに、私は慣れてしまっている。

嫌々ながらも学校にいって。
嫌々ながらも布団に入って。
嫌々ながらも勉強して。
嫌々ながらも息をして。
嫌々ながらも笑って。

 今日は嫌々ながらも学校に行った。
 家を出る前、散々嫌だ嫌だとわめきたてた。

 すると帰宅してから、父は私を褒めた。
 嫌な事でもやらなくちゃいけないことをやり遂げることは、何かを乗り越えたことだと。

 私は褒められる事をしたわけでもないし、褒められても嬉しくない。
 「乗り越えた」んだといわれても、まず何を乗り越えたのだか判らないし、そんなもん乗り越えても普通のことだろうし、それを乗り越えたってどうせ次の山が出てくるだろうから、それを思うとうんざりする。
 私の中に残るのは、嫌々ながらもそれをやって、嫌な気分を味わった過去だけ。

 嫌々ながらも私は生きて。
 きっと嫌な思い出しかないままに、この一生を終えるんだろう。
 まるで水平線まで見通せるように、私は自分の未来が見える。

2004年02月12日(木) 後ろ向きな2人

 私には恐ろしく後ろ向きな友達がいる。
 彼女は人生を楽しみたいと言う。
 人生を楽しんでいる人に憧れて、人生を楽しめない自分が世界一ダメな人間でないかと愚痴を洩らす。
 努力しても楽しめないんだと嘆く。

 私は彼女と同じく後ろ向きだけれども、人生を楽しもうなんてこれっぽっちも思わないから、人生を楽しんでいない自分を、世界一ダメな人間だとは思わない。・・・莫迦だとは思うけど。
 人生を楽しんでいるように見える人は、それはとても微笑ましい事だと思う。彼らは私とは違う人種だと思う。
 人生を楽しむために努力しようとも思わないし。
 
 私と彼女の違いは、彼女はいまだに自分は人生を楽しめると信じていて、私はすでに人生を楽しむことを諦めている点にある。


 諦めたら、そこで終わりとはいうけれど。
 この場合、どっちが辛いのか考えてみれば、私は彼女の方が辛いのではないかと思う。
 私は何も努力しない分だけ、苦しみが少ないし、これからの人生に期待がないだけ、気持ちは楽だ。
 私は中身が空っぽで、思考停止している堅物だけど、ちょっとでも前に進もうと努力しようとしている人間より、痛みがない。

 これはなんということ。
 本当に苦痛を与えられるべきは、きっと、私なのに。

2004年02月11日(水) 利益のない契約

(なんでそんなことを口にするの?)
(一体貴方は私に何が言いたいの?)
 日常における他愛もない言葉のキャッチボールでさえ、私は取りこぼして、罪悪感に襲われる。
 思いやりのない私は、どんなに考えたって相手の言いたい事が判らないし、もうこれ以上、そんなことに頭を働かすのは止めたいと思う。

 私はとうに、相手に向かう私の欲求の我儘さと、相手からくる欲求の重さに疲れはてている。
 だからこう、宣言したい気になる。
『私はあんたのことなんて理解したくないから、
 あんたは私のことを理解しないでいいよ』
 と。

 このトレードは、なかなかつりあってはいる。
 でも、何かが間違っているのは明白。
 なぜならそんな契約を結んだところで、救われる人間はいないもの。それこそ、利益のない契約。

 だから私はもう一度振り出しに戻ってしまう。
 貴方のことがわからないと、その苦悩に戻ってしまう。
 そしてまた、言葉の取りこぼしに悲しむ日々が回るだけ。

2004年02月05日(木) モラトリアム

 執行猶予期間を与えられたって、結局は大人にならなくちゃいけない。
 私の望みは、いつまでも子供のままでいること。

 恩情も、何の解決には結びつかない。私の許されない我儘を助長させるだけ。

2004年02月04日(水) 歌うたい

 歌は好きだった。
 歌っている最中、頭が歌詞に、メロディに侵食されるのが気持ちいい。
 だから既成の歌を歌う。・・・自分の歌は苦しくて歌えない。

 LOVE SONGは私には不似合いすぎて、歌うのに疲れる。私が歌ったって・・・と思う。
 私の中に、愛は少ないから。行き過ぎた自己愛しか入っていない、空しいこの心。

 鬼束さんの歌は素敵で、心にしみるけど、歌っているうちに空しさに襲われる。
 結局はどこか共感しきれないみたい。ちょっと残念。


 最近は歌えるものも数少なくなってきたから、学校の聖歌隊にいた頃に配られた楽譜を、シェルフの中からひっぱりだして、モテットを歌った。
 グレゴリオ聖歌を歌った。

 グレゴリオ聖歌は感情の無いような旋律で、とびきり「いい!」とは思わないけど、好き。
 特にディエス イレの旋律は、いろいろな曲の中に紛れているけれど、見つけただけで鳥肌が立つ。
 裁きの日。それは恐怖だけど、早く来て欲しいと思う。
 私の魂が天に向かうことはないだろうと結果は見えているので、じりじり待たされるより楽なのです。・・・べつにキリスト者ではないけれど。裁きの日があれば、という仮定の上で。


 それでもSalva me.と叫んでしまう私は自己中。
 Domine, miserere nobis.と叫ぶ私は、とんでもなく勘違い野郎。 

2004年02月03日(火) 一体私にどうしろと?

 逃げられない。
 私は私が築いてきた過去から、過去のおかげで出来てしまった未来へ続く道から逃げられない。

 誰か、効く薬を頂戴。
 12時に布団についても、母が起きだす6時ごろまで寝付けないんです。
 ずっと目が冴えているんです。
 起きている間中、気が狂いそうなんです。
 たとえ寝たって、頭が冴えているんです。

 そんな状態を訴えても、「そう・・・」としか反応しない父と母を、誰か殺してください。
 それでいて「心配している」と平気で呟く口を引き裂いてください。そんな程度の愛を主張されるなら、私はお前らの愛なんていらない。

 彼らの不理解も気に障る。
「お前が「出来ない」っていうのはまだ余裕があるからだよ。追い詰められれば死に物狂いでやるもんだから」
・・・私は死に物狂いで生きているつもりで、この有様なんだけど???


 きっと私は、なにか判らない何かに追い詰められている。
 最後の最後までしがみついていた両親さえ、ありがたいと思えなくなった今。
 もう、私が掴む藁は、何も無いんだろう。

 私は私だけで、私を救えるかしら?・・・そんなの、無理。

2004年02月02日(月) 居直り!

 やはり、ものごとは成果を出さないと無意味なのは事実であって。
 どんなに頑張ろうとストレス溜めようと、出来ないものは出来ないのであって。
 逃げられないものは逃げられないのであって。

 時々その事実に、とんでもなく落ち込んだりする。

 あんまりにも面倒くさくなると、すべてを放棄してもいいとさえ思うけれど、(なんて下らないことの所為で、私はすべてを無に返そうとしているのか)と、悲しむこと多々あり。
 ふーん。どうせ私は莫迦だもの。

 でも、下らないことであっても、私にとっては大切で。そりゃ・・・人生に影響するくらい大切で。

 呆れられたって、嘲笑されたって、見放されたって、私の中には私なりの、整然とした理由がある。
 そんな理由があったことさえ判らない人間が、どう私を評価しようと、その評価には重みが無いだろう。たとえその意見が万物に当てはまる、永遠の真理だとしても。

 あー。これからどうしようか。
 もう自傷行為はやる気がおきない。
 一瞬の快楽の空しさに耐えられないし、回りの気を引こうなんていう無駄な努力は無駄だってわかっている。結局のところ、私を救うのは私しかいない。

 何も出来ない無の中に、いびつな形の力だけが溜まっていって。
 このブラックホールのような引力を消す術は、万策尽きたか、あるいはもともと無かったか。
 ・・・選ぶ道なんて、ない。
 私は静かに、その力が爆発するのを、ひたすら待つのみ。

2004年02月01日(日) 時間の浪費の理由

 今から飛び降りようかと迷う。
 それはとても簡単な事で、ぶらりと住んでいるマンションの最上階に行き、そこからぽん、と跳べばいい話。
 だから一層、それをしない自分が馬鹿かと思い。
 「飛び降りる」なんてコト自体を考える自分が馬鹿かと思う。
 毎日がそんな迷いの繰り返し。・・・無駄な思考で時間を潰している。

 もちろん自殺なんて、魂の救済にはなりはしない。
 それでも私は憧れる。憧れる。憧れてやまない。
 ただの逃避にしては、甘すぎる蜜を感じるから。

 とりあえずの現在の問題は、私は寿命まで自殺欲求を耐えられるんだろうか?ということかな。
 ・・・だから無意識のうちに、時間を浪費しているのかしら。うーん、微妙だ。

 それにしてもなんでこんなにも、死にたくてたまらないんだろう?
 別に大して苦しいことなんて経験していないのに・・・謎

「どうせあんたは耐えられないよ。結局遅いか早いかの違いなんだから、さっさと行動しちゃえば?」とささやく悪魔が、私の理性に勝ちそうで、怖い。

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photo by 東雲