永久という名の瞬間
2004年01月30日(金) 我慢。

 不毛なことに憧れを覚える。
 今、とても手首を切りたい。どうしようもなく切りたい欲求が湧き出る。
 ・・・切ったって、一瞬気持ちがいいだけなのに。

 とりあえず我慢我慢我慢我慢。
 我慢して今まで生きてきたんだから。切らなくたってやっていけるだろう。
 親の批難するような眼差しを思い出して、私は我慢する。
 +我慢できる間は、私は普通の人間で在れると思い込んで。

(ほんのちょっと切ったら、満足するかな?)なんて思ったらきっと歯止めが利かなくなるだろうから。
 今日は絶対に切らないんだ。これは私の意地。

2004年01月29日(木) 心に浮かぶ悪意は無視することが出来ない

 出逢った人は大切にしなくちゃいけない。
 たかが何十年の人生で、出逢える人数なんて限られているし、その中でも多く触合っていく人なんて数人しかいない。
 特に家族なんて、片手で足りる人数だ。

 だけどその人達に攻撃を仕向けたいという、私の中の凶暴な部分がある。
 どうにかしてその人を、再起不能になるまでに殴り倒してしまいたい気持ち。
 せめて、私を嫌いになるまで。
 
 なんでこんな気持ちになるんだろうなー。
 それは私が心の中で、「大切なものなんていらない」と思っているからだろうか?
 大切なのは、『私』という存在1個で充分、だと。
 正直、私は自分のことだけで精一杯で。他人なんてどうでもよくて。
 でも結局どうでもよくないから、私は私のことだけを考える事はできなくて。
 私1人だったら、とうに放棄していただろうこの人生を、続けていかざるをえなくなる。

 だから。根源を殴り倒してしまいたい・・・
 ・・・・・・・出来ないけど。

 いやだなぁ。
 一番感謝すべき対象に、私は悪意ばかり抱いている。
 ・・・こんなことに気づく時、自分がいかに下らない存在かが仄見える。

2004年01月28日(水) 記憶?創作?

 睡眠時間はたっぷりのくせに、妙に眠たい毎日です。・・・もともと睡眠が深い方ではないのですが、この頃は明け方はうつらうつらしながら寝ている状態。
 今日は仕事に行く父と見送る母との会話を、布団の中からきいていました。
 その話は私に関わる内容で、私の生活態度がだらしないという話。私は(人が寝てると思って、こそこそ悪口言うなよ・・・)と思っていました。
 
 で、ふとしたきっかけで、その聞いた内容を母に話すと。
 母は「そんなこと、言っていない」と発言。・・・なんでも「途中までは合っているけど、最後の方は全くの創作」らしい。
 要するに、寝ぼけた私が耳にした話を、勝手に作り上げた、と。
 そして「被害妄想が激しいんじゃない?」とまでいわれました。はぅぅ
 
 なんだかなー。
 私は自分の記憶力が信じられなくなっています。だって、確かに聞いた記憶はあるのに・・・おかしいわ。

2004年01月27日(火) 湧き上がる不快を隠してしまえれば

 朝から憂鬱でした。
 毎日の自殺願望がぐるぐる頭を巡り、布団から出たくなくて、それでも学年末試験当日だからそうもいかなくて、ずるずる布団から抜け出しました。
 胸がつかえて息苦しく、何度も何度も溜め息がでました。
 
 そうやってやっとこさ学校に向かったわけですが、試験は1教科だったので、私はさっさと帰ってきました。

 家に着くとまず母親は、「朝不機嫌そうだったから心配した」といいました。
そして「試験中だから仕方無いね」と続けました。
 その言葉は、向こうとしては、私を心配しているつもりで出たのだろうけど。私はとってもむかつきました。
・・・私は試験如きで不機嫌になる人間なんかじゃない。
 どちらかというと、貴女のそういう無神経な言葉の方が、私をイラつかせるんです。
 私は今朝、決して不機嫌だったんじゃなくて、ただ、苦しかったんだ。
・・・とまぁ、心の中ではこのように反発したい感情が渦巻いていたんですが、そんなことを言っても判ってくれる人間ではないので、黙っていました。

 でもその判断はどうやら失敗だったようでした。
 夜になって。彼女は父が仕事から帰ってきたら早速、報告のように、「今日の時音は、朝から機嫌が悪かったんだよ」と知らせたのです。
 このときはさすがに私もぷちりと切れまして、「何でそんなこと言うの!」と怒鳴ってしまいました。
 まず、情報が間違っているし。
 なんでそんな報告をいちいち母は父にするのか、そのセンスがよくわかりません。
 そして母は私に怒鳴られると、いかにも「傷つきました」という顔を父に見せて、ふてくされました。
 父も(恐らく怒鳴った私が、母の気持ちを考えていないということで)私に冷たくなりました。
 

 父も母も、私の憂鬱を、どこまでも理解しない。気力でどうにかなるものだと思っている。・・・気力で治るのなら、とっくに克服していますって。
 ただ私も「私はこんなに辛いんです!」っていちいち口にするほど悪趣味じゃないから、別に理解してくれなくていいとは思うけど。
 時々、酷く悲しい。

2004年01月26日(月) できないから、なおさら

 私はとんでもない怠け心を持っている子供。
 努力しないで・・・逃げることで甘い汁を吸ってしまった経験を持つ、どうしようもない子供。
 だからほおっておくと、どこまでも下に下に落ちていく、ある意味とても人間らしい人間。
 それなのに下に落ちる度、良心の疼きを感じる、えげつない偽善者。

 だから、やれることをやって、やれるだけやって、それで自己満足できたら幸せ。
 何もできないで涙を流すのは、私にとって何よりも苦痛。・・・だって、何もしないと、自分が落ちていっているのをねっとりと味わうような感覚に襲われるから。

 結果なんてどうでもいいから。
 何もしないことで後悔したくない。自分を怠け者だなんて思いたくない。ちっぽけなことで自分を貶したくない。
 だから私は、今しかできない勉強を、必死に勉強したいと思う。・・・思うだけで、身がついていっていないけど。

 それさえできない私だから、なおの事そう思う。

2004年01月25日(日) 夢の中の経験

 気分が最悪になる夢をみた。
 夢というか、夢と現実の間でうつらうつらしている間、感情だけが突っ走っていく感覚。
 その中で私は、どうしようもなく恐ろしい倦怠感に冒されていた。

 その夢のストーリーは漠然とした内容だったんだけど、あえて書けば。
 夢の私が自殺するんだけど、死んだ後の世界は肉体がただ無くなっただけで。だから魂の私は生前私が抱いた胸のつかえを相変わらず持っていて、しかもそれが余計に重くなって、まさに地獄絵巻だった。・・・だってその状態には、もはや永遠に救われる希望がないんだもの。

 だから目が覚めたとき、私は今まで知っていた苦しみ以上のものを、知ったような気がした。
 たかが夢なのに・・・苦笑です。

 希望は人を滅ぼすというけれど。 希望が無くちゃ、生きることができないのかも、と思った体験でした。

2004年01月24日(土) ただ、逃げたいだけ。

 正体不明のこの苦しさから逃げる為だったら、何だってしたい。
・・・何だってしたかったから、病院に足を運んだし、カウンセリングも受けた。
 薬だって用法用量を守って、ちゃんと飲んだし。
 オカしい方にベクトルがいった場合、自傷だって、嘔吐だってやってしまったんだ。

 それなのに。
 私は一度たりとも、逃げ出せたことはなかった。

 今のところ、この事実をどう受け止めていいのかわからない。
 ひどく絶望的な気分になるけれど、自分は少しずつおかしくなりながらも耐えていくような気がするのも本音。

 苦しさは、人生を色付ける華なのか?
 でも私は、本当は耐えたくなんてない。
 逃げられるものなら、逃げたい。そんなことは甘えだってわかっているけれど、不可能に近いって知っているけれど、諦めきれない。

 ま、いいや。
 願い事なんて、叶えられないのが普通だから。
 これからも、耐えて耐えて我慢して生きなきゃいけない事実だけを受け止めればいい。
 
 まったく。
 未来には、夢も希望もありはしない。

2004年01月23日(金) 必要性に迫られて

 やらなくちゃいけないことは、私を苦しめる。

 私は学生として必要最低限のことさえできない状態で、たとえ必要に迫られても、できないものはできない。重い身体を引きずってしぶしぶ動いてみるけれど、たとえ行動できたとしても稼動力が低いのが現実。
 そして私が今できないことは、大抵一年前の私ならできていただろう事だ。・・・だからなおさら、胸が詰まる。
 
 それでも、私にはやらなくちゃいけない事がないと生きていけないだろう。
 それはギリギリのところで、私を生かす。・・・まだ「何かやっている」という意識が、私の意識を、私がいる場所からそらすから。
 薄っぺらい集中力でも、集中している間は少しだけ、胸のざわつきを忘れられる。


 苦しみの元凶と、少しの救いは紙一重。

2004年01月22日(木) ドミノ理論

 些細な些細なつまずきが、どうしてこんなに辛いんだろう。

 私はただ適当にやって提出すればいいだけのレポートを出さないがために、この半年間遅刻せず、皆勤した授業を落とします。・・・しかも2つ。
 ノートもまとめて、一ヶ月前から準備をしていたのに、とうとう書けませんでした。ただの馬鹿です。
 去年まで、あんなにこだわっていた「フル単」を、放棄します。
 泣きながら通ったこの半年を全て無駄にするのも、ちょっと辛いな。

 2日や3日の徹夜でも、成績の為だったらやってのけた、あの固執は何処にいったんだろう・・・ もはや、私は努力する方法を忘れました。 
 怠け癖が身体に染みついていて、心を奮い立たせようとしても頭が働かないし、身体が動かない。

 集中する方法も忘れました。
 頭にめぐるのは、「このレポートが出来ないなら、死んでしまいたい」という、とてつもなく短絡的な考え。
 もう、お願いだから、そんなあほな考えは頭から消えてよ。
 なんでこの頭は、飛び降りる事ばかり考えるの?? 自分の脳みそに、怒りがこみ上げてくる。
 なんで授業の復習に夢中になれないの!

 本当に恐ろしいことは、この些細な綻びで私の頭が麻痺してしまい、他に何も手がつかなくなること。
 私にはまだ、やることがいっぱい残っているのに。
 ドミノみたいにぱたぱたと全てが倒れていく気がする。
 どこかで止めなくちゃ。どこかで止めなくちゃ・・・

2004年01月21日(水) 元の木阿弥

 風邪で胃を壊してから、二週間とちょっと位、なんと二年ほど続いた嘔吐癖が影を潜めていました。
 単純に、風邪のせいで食べる量が減ったということが要因なんですけどね。
 一生懸命我慢して嘔吐しなかったという訳じゃなくて、普通に自然に吐きたいと思わなくなったので、「ついに治ったか!」と喜んだのも事実です。

 でもこの1週間で見事にぶり返しました。涙
 やっぱり、二年間の日常は簡単には消えてくれないみたい。
 夕食を胃の中にめいっぱい詰め込んでしまいます。→結果、気持ち悪くなる。→耐えられず、元の木阿弥状態。
 その後も胃のあたりがおかしくて、太るのが怖くて、ダイエット食品に手を出してしまいます。・・・大量に飲みたくなる欲求を抑えるので、精一杯。
 しかも一度やってしまったらストップが効かず、ココ1週間程、連続しています。恐ろしい・・・

 なんでかなぁ。治ったと思ったのになぁ。
 私にとっては「学校に行くこと」それだけでストレスで、許容量以上に食べちゃうんだろうか?と、いろいろ原因を模索中。
  他人とおしゃべりするのが、自覚よりも苦痛なのかなぁ、とか。
  勉強に切羽詰っているのが要因かな、とか。
  買い食いしちゃうのがいけないのかな、とか。
 
 それでも、酷かった一時期より大分マシだから絶望はしていませんけど。
 一度、好転したのだから。
 またいつかきっと、好転するはずです。

2004年01月20日(火) 廊下の突き当たりの部屋

 以前大切だった場所に、私はもう、行ってはいけない。
 大分前からそこは、私の居場所ではなくなっていた。
 だからたとえそこにいる人に、「来てもいいよ」とやさしい言葉をかけられても、私は甘えてはいけないのだ。・・・だって、そこから去るって決めたのは、私自身なんだから。


 今日、そこに置いていた荷物を、撤収しました。
 なぜかその荷物を持ち帰ることは、最後の繋がりが切れることを意味しているような感じがして、今まで置きっぱなしにしていた荷物です。
 その部屋に人がいないことを窓の外から伺い、こそこそと、顔見知りに逢わぬようにしました。なんだか泥棒のような気分でした。
 さあ、これで私はそこに行くきっかけを全て失いました。

 一方、このおかげで何かが吹っ切れて、肩の荷がおりた感じもして。
・・・人の好意にすがるのは、実は結構、胸が詰まる行為だとしみじみ感じます。

 私は誰にも聞こえない声で、さよならをいった。
 悲しいけれど、人に届かない言葉ほど、空しいものは無い。

2004年01月18日(日) 独り言 ぶつくさ・・・

 正しい言葉が使えないのに、貴方に理解を求めようとしている私が、きっと間違っているんだ。

 貴方に『私』を伝える努力を怠っているのに、「私を理解して」なんて、なんて都合のいい話。・・・人間なんて、どんなに手を尽くしたって相手に伝わらない事も、たくさんあるというのに。

 努力に見合うGIFTはもらえないにしても、努力に順ずる何かは得られるはず。


どんなときだって、絶望するには、まだ早すぎる。

2004年01月17日(土) ああ、なにやっているんだろう・・・

 私はもっとよく生きられるはず。
 私はもっとよい人間のはず。
 私は私が感じるよりも、もっと幸せなはず。

 だけど私は、今現在の私も精一杯生きているって、自分で思ってしまっている。・・・こんな怠けを助長するような思考は、停止してしまおう。
 私はもっと頑張れるんだから。
 

 私は私の『精一杯』が、今の状態だったら、とても悲しい。
 せめて未来に期待して、今の私の思考を貶す方が、心が楽になるだろう。 

2004年01月08日(木) 私の眼は何を見ているのだろう

 きらきらしている人を見るのは大好きだ。
 彼女達と話すたびに、なんでこんなにも考え方が前向きなんだろうと驚くのも大好きだ。溢れ出すパワーが瑞々しくて、老人のように思考が乾涸びた私とは、人種が違うんだろうとしか思えない。
 そして、私がどんなにくだらない人間か、思い知らされる。

 学校に行けば、きらきらした人が大勢いて。
 しかもそれぞれ違う輝き方をしていて。・・・私は笑うしかない。彼女達の眩しさに思わず惚れて、同時に自分を嘲笑してしまう。
 私の身体は、思い切り自分を卑下できる喜びと悲しみで破裂しそうだ。
 なんたって、もう高校時代みたいに、『たとえどんなにダメな人間でもそれが個性だ』と済ますことはできないのが辛い。

 けれどもちろん私だって、やりたいことがあったほんの数年前は、そのために頑張ることができた。
 その状態が続かなかったのは・・・ただ、そこで他人よりも頑張る能力が無かっただけ。何より情熱が足りなかっただけ。
 私の微々たる努力は、努力と名付けられることもなく、消えていった。
 それからの私は、努力がふいになるのを恐れている事を理由に、頑張らなくなった。そこから私は、急速に下らない人間の道を進んでいる。
 
 私は一体何がしたいんだろう?

 早く大人にならなきゃ。

2004年01月05日(月) 心の底に、いつまでもいてよ。

 この私の指先まで浸透した自殺願望は、もはやどうやったって消えはしないんだと諦めた。
 程度は違えど、幼稚園の頃から思っている願望だもん。恐らく既に、私のアイデンティティの一部なんだろうと思っている。

 だけど私が一生抱く思いは、世の中から見れば害悪でしかない分、私はその思いを統制する必要があるんだろう。どんなに苦しくても、しなきゃいけないことなんだろう。
 ・・・それぐらいは、わかっているけれど。

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 今まで無理だったし。これからだって、できるかどうか分からない。

 だから、お願いですから、これ以上表面に上がってこないでと祈るのみ。
 そしてあわよくば、私さえ気付かないような意識の底に沈んで、永遠に眠ってしまえと思う。

 だって・・・私だって、生きることだけを見つめていたいと思うもの。毎日毎日、死後の世界に震えて生きるのは、とっくの昔に飽いてしまった。

 だから、お願い。心の底に、いつまでもいてよ。

2004年01月02日(金) からっぽ

 まずは自分の首を絞めてみることから始まる事もあるんだと知りました。

 今の私は、頭が空っぽです。
 頭痛はするけど、心は頭が空っぽの方が、楽みたい。

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 頭が空っぽで、心が楽なら、生きることが少しは楽になるもの。
 そうすれば、私が望む事からは遠ざかるけれど・・・あと1年くらいなら、死から目をそらしてもいいやと思った。

 今日の私は、いびつに前向きです。

2004年01月01日(木) 今年も一年・・・

 今日は『一年の計は元旦にあり』精神でココ十年くらい続けていた、お正月お勉強(ただ普通に勉強する事です)をやりませんでした。というのか、気が重くて、出来ませんでした。
 まるで今年も一年、生に引きずられてしまうようで。怖かったのです。

 
 両親は私が勉強さえ出来るようになれば、それでいいと思っている部分があるから、我が家には救済措置みたいなのが存在する。
それは『勉強さえすれば、この家で働きもせず、生きていい』というものだ。
 ・・・去年までの私は、少なくともテスト前位は机にかじりつける人間だったし(学生としてそれは当然のことですが)それなりに他人よりも集中して、レポートもテストにも頑張れたから、そのいびつな措置は、それなりに都合が良かった。
 そして、私が本格的に勉強に手がつかなくなったのは、半年前位から。・・・兆候は受験の時から始まっていたけれど。
 だから今みたいな私は、私の家族に居ることが出来ないという事に近い。それは私が一番分かっている。


 私は家族に見捨てられたいのかな?
 もう誰からも見捨てられているって感じるときは、癇癪起こして、私に気付け!って叫びたくてたまらなくなるけれど、どこかで私は1人になりたがっている気がする。
 それは、私には家族しかないけれど、家族という綱さえ切れれば、私が今一番望んでいるものが手に入るだろうから。
 死か。狂気か。宗教か。
 私は今年のうちに、この三つのうちのどれかが欲しい。

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 そんな姿は、私が胸に望んでいるものと相反するようだけれど、普段の私の意識の上では、なんら矛盾せず存在している。
 だけど時々軋んで、私は悲しみみたいな、やるせない苦しさに捕らわれる。
 やっぱり、どこか矛盾しているのだろうなぁ・・・
 じゃあ私は心のどこかで生きたいと、しかも『よく生きたい』と願っているのかな?・・・ほんと、そんなこと望むのはヤメて欲しいけれどな。

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photo by 東雲