Desert Beyond
ひさ



 illuminated

急に9年前の韓国人の友達が韓国から来る事になり
10年前の友達との約束をドタキャンしてしまい
結果的には連絡のすれ違いで韓国人の友達と会えず
一緒に待っていた台湾人の親友とも別れて
僕は新宿の街をあてもなく彷徨う事になった。
東口の紀伊国屋と、高島屋の横の紀伊国屋と
大きい本屋に立ち寄って、スポーツショップに行って
東南口の階段を下りた広場のところで
ちょっと休んで、しばらく通る人を眺めてたり
タワレコのビルの巨大スクリーンを見たりした。
高島屋のまわりは早くもクリスマスの電飾に灯がつき
寒い空気の夕闇に良く映えた。
高島屋の近くにJRバスの事務所があって
どこまでどのくらいするのか見てみたくなって入ってみた。
奥のロッカールームから、どこか遠くから来た人達が
大きな荷物を持って次々と建物から出ていった。
バスに乗り合わせて知り合った人とさよならの挨拶をしたり
片手に荷物、もう片手に地図を持った外国人がいたり
そこの空気は空港の空気と一緒だった。
結局彷徨えども韓国人の友達からは連絡が入らず終いで
美容師の親友と西口の方の居酒屋で
京極夏彦の話やら、ブッシュの話やら、地震の話やら
サーフィンの話やらをして、23時過ぎに店を出た。
窮屈で苦痛だったけれど、ジャムパックな電車に乗って
さいたままで、ごとごとと帰ってきたよ。
そんな一日....。

明日の夜からまたボランティアに行ってきます。
ので、申し訳ないのですが
またしばらく放置状態になってしまいます。(>_<)



2004年11月16日(火)



 新潟再び

また新潟に行ってきました。
9日夜出発12日夜帰宅。
主に小千谷市へ救援物資のお届けと
後の活動に反映させるために
被災者の人達の気持ち・要望希望を聞いてきました。
実際報道でも下火になってきて
行政の配給も終了した場所が増えてきていますが
僕が感じたのは、先週と比べると
公道のひび割れや段差などに対して応急的な修復は
結構なされてきたというのはあるけれど
実質的に被災者の人達の生活に変わりはあまりないという事。
まだガスも水道も復旧しない状況の水口という地域があって
その場所では30人の村の人達が集まって
大きめのガレージで寝泊り、食事をしているんです。
罹災証明のためには公の耐震診断が必要で
それ以前に片付けなどをすると
国からお金がおりなかったりするわけだけど
その耐震診断の人達がなかなか田舎まで回ってこず
いつ頃来るかのお知らせもないらしいです。
ということはいつまでもひどい自宅を見て
気持ちは下向きのまま。
心のケアもすごく重要だと思いました。


2004年11月12日(金)



 新潟・報告

1日の夜から昨日まで
救済活動のボランティアで新潟に行っていました。
救済センターにある救援物資を
主に小千谷市の村々に配給、
被災者の人達の要望や意見や気持ちを聞いてきました。

一番大きく感じたのは
テレビで報道されているのは大変な地域のごく一部分で
まだまだ救援の手が届いていない場所が沢山あり
街の人も村の人もまだまだ困り果てている状況なんだという事。

救援物資を取りに沢山の村の人が広場にあつまって
ありがたい、って言いながら遠慮がちに物資を手にする姿。
「他の人のぶんもあるから」って沢山は取らない姿。
大丈夫なんだよ、って袋に沢山つめてあげて
重くなった袋は自宅まで一緒に歩いて持っていってあげました。
持って行ってあげた人達の家は大変な状況で
「それでもここしか居る場所がないから...」って
あるおばあさんは危険家屋って紙の貼られた自宅で生活していました。
他のおばあさんは、
「バスがまだ通ってないから病院にいけない」と。
また他のおばあさんは、家の前まで一緒に荷物を持って行くと
中を見てってください、って玄関を開けてくれた。
玄関の間の内壁の板は全部外れていて中の木やらが
むき出しに見えていて、家の中は散らばった日常品
倒れてしまった箪笥。
恐くて夜は眠れない、と昼寝をしていたおじいさんが
おばあさんに、「じいちゃん、色々戴いたんだよ」と言うと
おじいさんは荷物をかき分けた所に敷いた布団から起きてきて
「本当にありがてぇです。」と言いながら
額を床につけてお礼を言うくらい今でもひどい状況なんです。

行政の手は全体的に見ると全く行き届いてなくて
道路の車の通れないような穴の空いた場所、すごい段差、
マンホールが円柱のように突き出した場所が
放置されていました。
近くの近所の人が鉢植えなどを置いて
危険を知らせているところがやっとという状態。

村や町を一日中トラックと車の3台で走りまわり
物資を届けてはセンターに戻る、という行動をしていたけど
他に救済をしている団体とは1度くらいしかすれ違わなかった。
それでも各都道府県の水道局はかなり一生懸命回っていて
そこここで他県の給水車を見た。
神奈川県横須賀市、埼玉県松伏町、そのほか多数の給水車。

毎日思ってもみなかった経験をして
大変な目に合ってる人達を目の当たりにして
1日1日全力でボランティアをしたけれど
ボランティアをしている最中は全然疲れなかった。
毎日夜に救済センターの報告・要望書を
裏面がいっぱいになるまで書いている途中で
何回も涙が出そうになった。

帰ってきてしまったけれど
今も大変な思いをして車庫で寝泊りしたり
寒さに凍えたりしているおじいさんおばあさんがいると思うと
気持ちが辛くなる。
本当にボランティアで行って良かったし
時間が作れたら是非また行かなくてはと思う。


もう30になる歳で情けない話なんだけど
来年の春から2年間学生をやります。
先月受けた国立大学の3年次編入試験の
合格通知が今日の夕方届いきました。
夢へ向かうにはラストチャンス。


2004年11月05日(金)
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