天使のながばなし
maki



 意図的な心と本当ではない言葉

今日は朝から病院。
でも寝坊してしまって予約時間に少し遅れてしまった。
車を走らせながら、言い訳じみた言葉が心に浮かぶ。
怒られるわけでも聞かれるわけでもないのに、長年のクセみたいなもんかな。
今はそんな言い訳を口にすることはほとんどなく(たまには飛び出ちゃうけど)
心の中で「また浮かんじゃったよ〜」と笑っています。


息切れ動悸などは、薬の副作用じゃないようなので、
リウマチの薬を再開することになった。
そんでもって「パニック障害とゆうのがあるけど・・・」
と話をされ、薬出す?と言われたけど、「いいです〜」って感じです。
やっぱりそうゆう診断になるのかなぁ。
で、薬ってことになっちゃう。もう十分ですよ。。。




久しぶりに「ノリだよ、ノリ〜!」とゆうような人達の空間に行ってきました。
私の中のテーマは、いかにノリ空間に合わせてしまわないかってこと。
昨日書いてた「ほぉ、ここかぁ」の場所にいることです。
入った途端感じる、ものすごい違和感。完全に浮いてるな、こりゃ。

キョロキョロとお兄ちゃんをさがしてやっと見つけた。
お兄ちゃんに誘われたパーティーなので。
何だかプロダクションやらダンス関係やらなんやら、
いろんな関係の人が集まってるとのことで、
私の仕事などのネットワークが広がればとのことで。ちょっと違いましたが。

少しだけど隣の人やらと話をして、ハッキリ感じたことがありました。
聞こえてくる言葉と心の中の言葉。これがぜんぜん違う。
どんなことを意図しているのか、発せられる言葉とは関係なくわかりました。
今までだってだいたいの予想はついたり感じたりはしたし、
誰だって勘のいい人なら感じることだろうけど。
でも今日は違った。あまりにハッキリしていて。

瞬間瞬間を、誰とでも何とでも真剣に向き合うことを始めた私は、
意図的な心と本当ではない言葉を発して、向き合ってない人との会話に空しさを感じました。
ジャワティーを一気飲みして、ほんの15分ほどで帰ることにしました。
こらえ性ないのだけど、もういいかなと思って。






2004年08月30日(月)



 ほぉ、ここかぁ

昨日今日と、ゴスペルとアカペラの練習漬け。
かなりみっちりやってしまった。
窓のない練習室での酸欠と、
台風雨のもたらす湿気がキツイけど、
身体は何とか無事な様子です。


人を思いやったり、気遣ったり出来る時は、
自分に余裕のある時じゃないと思った。
心に暇があるからじゃない。
自分が充実して落ち着いた精神状態の時こそ、
心が広がって、自然とスペースが出現する。
優しさが生まれてくる。意図せず溢れる。
すっと実行する。それだけ。

愛することも、
自分が自分を愛していて、心が透明なら、
人も同じように愛せる。
独占欲や快楽や寂しさを埋める道具として、
本当の愛は使えない。

心をフラットに、風通し良く、
透明にする感覚が少し分かってきた。
その時私は何かを意図しないことに気づいた。
良い悪いとゆう判断から遠ざかる。
今日、ユニットのアカペラ曲をみんなの前で初めて歌った時、
すごく緊張して、リズムも呼吸も乱れてしまったのだけど、
その感覚へと集中したら不思議と落ち着いた。
「ほぉ、ほぉ。ここかぁ」と思いながら。
まだ下手くそだけどね。

こないだの太陽と雨ライブは、
ずっとそこにいられた気がするのでした。


2004年08月29日(日)



 想像をやめる

中学2年の時に、
「空想とゆう支えについて」とゆう作文を書いた。
空想によって芸術も生まれて、
いろんな発明がされて、世の中は支えられているんだ。
・・・といった具合に、エラそうに書いていたなぁ。

この頃には私が、
人の気持ちを察して、想像して、
次の自分の言葉や行動を束縛して、
制限するクセがついていたのかもしれない。
上手くいくように、気に入られるように、
嫌な思いをさせないようにって。
思ったことをパッと言えない性格が形成されていたのだな。

ここのところ、
なるべく人の心をあれこれ想像するのを
やめることにしている。
勝手に想像して怖れて、何も言えなくなったり、
別の行動を取ったりしないように。
そう思って過ごしてみると、
自分がいかにいろんなことを誤魔化してきたかよくわかる。
面倒くさい時、興味がない時、
その場その場が上手く適当に流れていけばいいや、
とゆう言動。その場しのぎ。
自分の言ったことは本当でも何でもないし、
大して意味がなかったりする。
それどころか、誤解されたり。
「Aとは言っても、普通はBと思うでしょ」
なんてのが伝わらなくても、あきらかに自分のせい。

なるべくシンプルに。
簡単に言うとウソつかないってこと。
善意でもウソだと混乱を導くから。
そうしていくと、
いつもすごく落ち着いているし、
物事がクリアに見えてくる。
私が抱えてきた「怖れ」の正体は、
このことだったのだと思う。


2004年08月27日(金)



 

こないだ久しぶりに「夢は何?」と聞かれた。
10代の頃はよく聞いた言葉だったけど、
最近は忘れてるくらいだった。

そこで改めて考えてみたけど、
はて、何も浮かんでこない。
今やってることがやりたいことなのだから。
「今やってる音楽や詩を書くことを
 ずっとやっていければいいよ」
と答えた。
子供は「ふ〜ん」と言って、
少々つまらなそうな顔をしていたけど。
「じゃあ何か大変なこと・・・
 例えば大きな病気になったらどうする?」
と言う。
笑いながら「もう病気だからね〜」と言うと、
またまた「ふ〜ん」と、今度は答えずらそうに。

先のことをあれこれ心配したり、
過去から抜け出せきれずにいるのはなぜだろう。
感情や思考のパターンが変わらなければ、
何度でも過去がやってくる。未来も一緒か。
どんな小さなキッカケにも反応する。

夢ってなんだろうね。
「夢」とゆう言葉はとてもキラキラ輝いて見えるけれど、
中に何かあるわけじゃない。
「今」とゆうものの価値を見失ってしまう危なさを
持ち合わせている。

大人はよく「夢を持ちなさい」と子供に言うけど、
無責任な中身のない言葉かも。
「今を大切に生きなさい」のがいいんじゃない。








2004年08月26日(木)



 泣きまくり

夢とは言い難い体験がありました。
眠っていたような、いないような。
少しの恐怖感を伴って、空間が歪んだ。
歪み続けて、心が苦しい感じ。
四次元のような感覚。
起き上がろうと思っても、身体がねじれて起きあがれず、
また水面ギリギリに顔を出して溺れそうになったり、
黒いものが出てきたり、
ねじれた空間にビックリして(初めてだったので)
ネガティブを引き寄せてしまったみたい。
30分ほど、そんな時間を過ごして、
やっと起き上がりました。
恐怖をぬぐい去って、心を落ち着けて、
光のイメージを抱いて、やっと眠れました。


最近、以前よりもよく泣く。
まぁ、前から泣き虫だったが、
悲しくて、くやしくて、苦しくて泣くことは、
少し減ったように思う。
ほとんど感動して泣いちゃう。
のび太が寝るくらい早いよ。
日曜日は新撰組で号泣です。
何にでもすぐ感動しちゃう。
とはいえ、それはすぐ過ぎ去るのだけど。
出し惜しみせずに、
気持ちいい涙をたくさん流したいものです。

2004年08月25日(水)



 必要な言葉だけ

ほぼ毎日寝てるのか起きてるのかって感じで、
オリンピックと過ごす夜。
テレビつけたまま寝てしまったりする。
また起きる時間が遅くなってきてしまった。


昨日テレビで知った本を勢いよく読んでいる。
買う前にアマゾンでのレビューを見たけれど、
対極な二つの意見がのっていた。
世の中って感じだ。



人の思いは出来事では計れない。
手出しも出来ない。
こうすべきだと言うことも出来ないし、
頑張るのは、その人自身だ。
その場しのぎの優しさふうなことを言ったり、
つまらない意見も言いたくない。
何の解決にもならないのを知っているから。

今まで私は余計なことを言い過ぎてきた。
これからは、よく考えて、また直感的に、
大切なことだけを口にしたいと思う。



2004年08月24日(火)



 その瞬間

呼吸器が雨を察知するのか、
苦しくなってきたと思ったら降り出した。

ずっと前に買ってほとんど着ていなかった、
かぎ編みの水色のワンピースを着て、少々ごきげん。
たまにお嬢チックに決めるのも悪くないね。

言葉は言葉を連れてくるのかな。
私の発信した言葉は、素敵に姿を変えて、また私へ。
みなさん、ありがとう。



今まではケースを決めて、
そこに蓄えようとしていたけれど、
そんなものはいらないんだと分かった。
自分が決めたことに従ってしまうのは、
「その瞬間」の感覚的判断を遮断することだ。
記憶をひっぱり出して比べることなんて、
禅的じゃないんだった。
ぐにゃぐにゃと動き続ける、
「その瞬間」の柔軟な空間を創っていけたらいいな。


2004年08月22日(日)



 言葉に出来ない

今日は病院のあと、練習。
ライブが終わって、一日だけボケッとして、
次はゴスペルライブだ〜
もう直前だ〜
まったく手をつけてない私は少々焦りぎみではありますが、
何とかなるでしょう。
やる、のみ。



ちらほらとライブの感想をいただくのですが、
今回のキーワードは「言葉に出来ない」なのかな。
誰より私自身がそうだけど。

とても良かった!
・・・でも、あれこれと語る言葉が見つからない。
でもすごく良かった!・・・と。

感情を超えたところにあったライブのような感じがして、
それをそのまま共有出来たのだとしたら。
限りなく普通で、
その普通がとても感動的なこと、とゆうことかな。
やっぱり上手く言えないや。

心地よい安心感を感じてもらえたことは、
私が無理をしなかったことの証なのかな。


2004年08月21日(土)



 私は自由でした

今の気持ちを上手く言葉に出来ずにいます。
上手く言葉に出来ないから、
ただそのままを書きます。

昨日は初めてのソロライブでした。
とはいえ、やっぱり、
そこにいるすべての人で創った空間だったように思う。
歌いながら、朗読しながら、
私はすっと自然になれた。
とても緊張していたけれど、
私は無理をしていなかった。
自分の束縛から自由だった。
こんなことは初めてだと思う。
今更ながら、
自分の本当に求めていたところへきたんだなと実感した。
朗読する自分も、歌う自分も、MCする自分さえも、
全部一緒だった。
余計なことは何も考えなかったし、
空間のすべてが見えたような感覚だった。
焦りや憶測や狙いもなくて、
表現することは自分の中にシンプルにあって、
それをきちんと出していくだけだった。

たくさんの人が受け止めてくれて、
私はまた出し続けた。
受け止め続け、惜しみなく出し続けた。
とても心地良く幸せな空間でした。

内側に閉じこもっていた言葉は外側へ流れ出して、
外側にこだわってしまっていた歌は内側へも充実してきた。
ちゃんと言葉を歌った。
私はひとつになれた。
私は統一した。

昨日はスタートで、これからこの場所で、
やりたいことも出来ることもたくさんたくさんある。
そして感謝し続けながら。




2004年08月20日(金)



 毎日オリンピック見ています

久しぶりに森林公園へ行きました。
身体や心の疲れを癒しに、緑にふれてきました。
出かけは曇っていたのに、
着いたら太陽ギラギラで暑く、
植物園は定休日で、
計画通りにはいかなかったけど、
広芝生を歩いたり、花や空の写真を撮ったり、
木陰で涼むだけで満足でした。
自然は、もう全部を包んでくれますね。

毎日、オリンピックを見ています。
こんなにたくさん見てるのは初めてかも。
結局は、集中力と精神力の強さが物言うね。

もうライブも間近。
ジタバタせずに、心を静かに集中させていきたい。

2004年08月16日(月)



 転んでもまた

今日でお盆も終わり。

世間の常識や感情は、無意識に攻撃的だ。
無意識であればあるほど。
体力がないときは、足をひっかけてしまう。
勘良くピョンと飛び越こせない。
つまずいて転ぶ。

私は強いけれど弱い。
私は弱いけれど強い。
そしてそれを自分で知っている。

知っていることが幸いだ。
知っていることが重要。

優しさは、
見えている範囲が狭いほど矛盾だらけで、
その分ほかの誰かを傷つける。
ピンポイントのピントのずれた優しさを乱射する人は、
自分で気づかないことが多い。
優しさのはずなのに、散弾銃みたいだ。




2004年08月15日(日)



 泥付き大根の行方

朝から身体の調子もまあまあ。
でも無理はしない程度にチョロチョロ動く。
お昼、お墓参りにに行ってから、
少しライブの練習をした。

夕方、予想外の嬉しいことがあって、
感激してこっそり泣いていました。
言葉に出来ない感謝。
何とも言えず幸せ。
じ〜んと味わっていました・・・が、
その後はずっとオリンピックにかじりつきです。


こないだオイル交換の待ち時間に読んだananが、
「運命の人に出逢うには?」みたいな特集で、
その中の美輪明宏の言葉に頷いておりました。

ありのままの自分を受け入れて!なんて、
畑の大根を引っこ抜いて、
泥のついたまま「食べて!」って言ってるようなもの。
そんなの食べれたもんじゃないでしょう。
きちんと洗って、皮をむいて、切って、
お皿にきれいに並べる努力をしなければ。

だね。
愛は努力し続けることなんじゃないでしょうか。
何にもしないで、ぐうたら寝て待ってたって、
大切な人にも大切なものにも出会えたりしないでしょう。
気づいたりしないでしょう。
それでもって料理法だけじゃなく、
土から水から研究して、
あらゆる基からの、側面からの、努力も惜しまずに。
努力って楽しいものです。




2004年08月14日(土)



 早く起きた朝は・・・

うちの犬が朝早くからワンワン吠えて起こされてしまった。
時計を見たら5:30。
ありえない〜と思いつつ、
まだまだ吠え続けそうだったし、
起きちゃうことに。
天気のいい朝。
せっかくだから、
デジカメ持って川の方へ犬の散歩に行った。
夢中になって撮っていたら1時間くらい経っていた。
またイイ写真が撮れたので、
ちょっとずつ使っていきます。

ひと休みしていたらまた眠くなってきて、
2時間くらい寝てしまった。

さて今日からお盆。
何だか人がいっぱい来て、
お昼ご飯でドタバタしてドッと疲れてしまった。
その後、右半身が全体的に痛いのが悪化して、
結局ほとんど寝て休んでいた。
最近、身体が寒いのか暑いのか、
わからない状態になることが多くて困る。
空気が暑いと苦しいけど、
部屋が寒いと身体が痛くなる。
厚着して涼しくするけど、
なんだかよくわからない状態。


今に始まったことじゃないけど、
身体のツラさには滅法弱い、私の精神。
昔から身体が辛い時は涙が出てきちゃうのだ。
その私がよりによって「痛み」の病気になった。
ずいぶん鍛えられたとはいえ、
辛さが継続してくると、
色々ひっくり返して、
泣きながら投げ散らかしたい状態にもってかれちゃう瞬間あり。
もちろん実際にはやらないけど。
その嵐が過ぎると、落ち着いたもので、
何でだろ〜ね〜と自分に問いかけている。

明日はもっと上手に自分の身体と心は自分で守ろう。


2004年08月13日(金)



 愛する人達

サマージャンボははずれちゃったけど、
スクラッチでちょいと当たって、
小躍りな昨日でした。

昨日も今日も暑くて、
倒れそうなくらい日差しが攻めてきたけど、
台風がウロウロしてた頃より湿気が少ないせいか、
身体の調子は悪くなかったです。
ライブの練習も出来たし、うれし。

夜、イトコと久しぶりにもつ鍋を食べに行って、
いろんな話をした。
恋愛から家族から人生から自分とは・・・ってなことまで。
自分に余裕がないと、
なかなか人に優しく出来ないねってこと。
分かっていても小さな失敗をくり返しちゃうけど、
何度でも自分を振り返って、
実行出来るようになったらと思う。

あぁそれから、
誰かが誰かを思う気持ち、愛する気持ちは、
変わらず大切で尊いことなのに、
どうしてそれを疎ましく感じたり、
つらく悲しく消したいと感じたりしてしまうんだろう。
それってやっぱり「独占」とゆうことからくるんだろうか。
今は前より、そうは思わない。
大切な人には、
大切な人を大切に思って欲しいと思う。
愛する人達を守って欲しいと思う。
そうして守られる心もあると思う。
必要とされているし、
必要としている人達のそばにいて欲しいと思う。
私は私で愛する人達を大切にしたいし、
愛する人達がたくさんになっていけばいいなと思う。



2004年08月12日(木)



 一番望んでいたこと

詩と歌が、
私の中でゆっくりと近づき出してから、
しばらく経った。

最近になって、
私の歌が変わったと、
いろんな人の口から聞くようになった。

そのたびに嬉しさを噛み締めて、
心は感涙にむせぶ。
そして私は、
やっぱりここに来たかったんだと確認する。
選んだ道に間違いはなくて、
本当はその道しかなくて、
それを見つけたんだと確認する。

豊橋のリーディングの時もそうだったけど、
迷いや不安はなくとも、
私以外の誰かも感じてくれていることが、
励みになったりするのだ。

毎日毎日、雲は晴れてゆくようです。
つまり、まだ雲はあるのだけど、
間違いなく晴れ続けていく。

言葉はグッと歌に溶け込もうとしている。
もう少し。もっと。
歌は言葉を包み込んで、
解き放つ手助けをしてくれる。
その懐を知り、謙虚に。
そして畏敬の念を。



ずっとずっと昔から、
私は私の中で、
言葉と音楽を同じものにしたかった。
それが一番の望みだったんじゃないかと思う。



2004年08月10日(火)



 日が落ちると少し涼しいですね

昨日はお昼過ぎからゴスペルライブのユニット練習。
着々と進化を遂げていて、楽しみです。

夜はゴスペルメンバーと暑気払い飲み会。
うちのはなれでの宴会は恒例ですが、
今回は新しいメンバーも遊びに来てくれて、
次々に差し入れがきて食べ物いっぱいで、
昔のビデオなど見ながら盛り上がりました。
自分の歌い方もみんなの歌もかなり変化してた。
いつもは大合唱が始まるけど、今回はナシでした。
私はお昼の練習でもう十分歌っちゃってたしね。

はなれにある加湿器に、人魚と魚の絵が描いてあって
(私はずっとシールが貼ってあるんだと思ってた)
多分お父さんかお兄ちゃんが作者だと思うんだけど、
その絵をキッカケにユニットの名前が決まっってしまいました〜。
何だかとても気に入ってます。

しかし、お酒が入っていかなくなったなぁ。
ビール1缶でおなかいっぱいって感じ。
お肉もちょっとは食べるけど、
どちらかとゆうといらないなぁって思う。
体も心も変わるもんだね。



昨日夜更かししたので、
今日は昼近くまで寝てた。
ここ一週間で食生活が崩れ気味。
少し胃が痛く、体がスッキリしないまま、
夕方からお仕事でした。
この夏に身体は少し疲れているけれど、
今は心は落ち着いているようで。
最近は、新しい出会いや偶然の再会や、
新しいことへの挑戦など、
自然に動き出しているように感じています。

2004年08月09日(月)



 声に出して届くもの

サッカーに思う存分興奮してから書いてます。
いや〜盛り上がっちゃったよ。

本日もほとんど外出せず、
家でライブの練習や、
友達にプレゼントしたいものを作ったりしていました。

自分の詩を声に出して読んでみると、
何だか違うもののような気がします。
自分の言葉に向かい合う時はいつも、
沈黙の中にいたので。
声に出すことなんて考えていなかった。
言葉は私の中だけに完全な形であって、
声に出してしまったら崩れてしまうような感覚でした。
私の言葉すべてがそうだったのかもしれない。
言葉に対する認識とゆうか。

声に出してみると、それはどこかに届きたがる。
だからどうやってその言葉たちを届けてあげようかと、
自然と考えるようになる。
そして努力するようになる。
今まで私はいくつもいくつも書きながら、
閉じ込めていたんじゃないでしょうか。

最近初めて、本当の言葉を歌っている気がするのは、
自分の言葉に対する認識の変化かもしれない。
閉じ込めていたことにさえ気づいてなかったから、
届けようと思って歌っても、鍵をかけたままだから、
言葉たちは出られなかったんだと思う。

開けました、鍵を。やっと。
これから声に出して(心の声も含めて)
届けていきたいと思います。





2004年08月07日(土)



 透明な鎧

お昼前テレビで「パニック障害」についてやっていた。
症状の説明を見ていたら、
小学校から続いている私の発作も同じようなもんだった。
私が不安に襲われて、例えば心療内科とか行ったら、
パニック障害って診断されるんだ。
違いますけど。
・・・って結局何かわからんけど、
そうゆう名前つけられちゃうのってやだなぁ。
私は神経痛でいいや。
ま、何でもいいや。


今日は銀行や農協にちょろっと出かけただけで、
あとはずっと家にいた。
洗濯などしてから、
ライブで歌う曲の歌詞と朗読する詩をプリントして、
ファイルに整理していた。
そして夕方は最近お決まりの息切れ・動悸の始まり〜。
パターン化か!?


夜、洗い物をしながらふと思ったこと。
今まですごく接近した友達3人とも、
絶縁同然になった。
1人目は私が中学の時、
訳が分からないまま、そのコは去って行った。
しばらくして、
「心に入ってきたから」とゆう手紙をもらった。
あとの2人は私のほうから離れたかもしれない。
今思えばみんな、
本当の自分を隠して誰にも見せない人達だったように思う。
本人がそれに気づいているかは知らないけど。
透明な鎧を着てた。
しばらくして透けて見える中身は脆くて、
だから鎧を着ているしかないと分かった。
はじめはいつも、私にはそれが見えなくて。
着ていないの、私は。
みんなもそんなもの着てないと思ってたんだよね。
だから「心に入ってきたから」
なんて言われちゃったのかなぁ。
みんな、何を守ろうとしてるんだろう。



2004年08月06日(金)



 新しく生まれくる命

新しく生まれくる命について考えていた。
以前、自分が子供を産むとゆうことについて、
少し書いたことがあったように思う。

男女の愛情のもと命が宿るわけだけど、
その瞬間、男女間の愛のかたちや状況が、
その命に影響を与えることは許されないのかもしれない。
私は妊娠したこともなければ、
出産したこともないけど、
それが真理なんだろうと思う。
どんなに考慮すべき事情があっても、
真理の前では弱さゆえの言い訳になってしまうんだろうから。



今日はライブの練習をした。
もうすぐ本番だ。
初めて自分の言葉を歌っているように感じる。
私にとっての新しく生まれくる命。声。ことば。
オリジナルを歌ったり、詩を生み出すこと、
それを粗末に扱うことなんて出来ない。
歌っていたって書いていたって、
弱さゆえの言い訳はたくさん湧いてくる。
でもそれに逃げないように逃げないように、
必死で大切なことだけを大切にする。
そうして本当のナチュラルな自分に出会って呼吸することで、
オリジナルが人生を生きてゆく気がする。
まだ生まれたばかり。


2004年08月05日(木)



 オリジナル

最近の息苦しさが少し気になったので、
昨日病院に電話して、
胸のレントゲンや心電図をとることになった。
結果は異常なしで、薬の副作用ではないみたい。
やっぱり気候とステロイド減量が原因かな。

病院の後は気功へ。
肩をほぐしてもらっている時に、
突然胸の痛みに襲われた。
実はこの手の発作は小学生の時からあって、
20〜30分もしたらおさまる。
とりあえずふとんに横になって、
胸などに気を入れてもらってて、初めて気づいたことがあった。
今までず〜っと「胸」が痛いもんだと思っていたけど、
どうやら胃の辺りが痛くなったり、背中にきたり、
首や頭にも痛みが走る。動く。
それを話したら、気功の先生は「神経じゃない?」と。
神経痛はいろんなところに痛みが走るらしい。
納得。何かそんな気がする。

ふむ〜、リウマチで神経痛か。
相当マジメだな、私。



夜はゴスペルのお友達がコーラスで出演するライブを見に行った。
とはいえ、メインで歌う人もピアノ弾く人も、
私が10代の頃通ってたボイトレスタジオ関係の知り合いで、
お客さんにも久しぶりに会う人がいて、
軽く同窓会のようでした。

何組か出演するライブで、みんなオリジナルのようだった。
なにしろ、オリジナルをやるのは大変だ。
若い女の子が歌ってるのを見て、
オリジナルな特別なかたちを表現しようとしていて、
逆にそうでなくなってしまうのを感じた。
「型」を作ろうとしてしまう感じ。
私もそうだった気がする。
ナチュラルなのが一番のオリジナルになり得るのに、
違うことしようとしちゃうんだよね。

絵を見た時も思ったけど、
一生懸命表現しようとすることは尊いなぁ。
その過程で見つけていくこともたくさんある。
純粋に頑張っているかどうかって、
触れれば感じるものだよね。


2004年08月04日(水)



 今日は昨日のことなんて忘れた

昨日のことなんて忘れた。
今日は仕事前に少し練習してて、
新しい歌う感覚を見つけられた。
とってもうれしかった。
お仕事はちょっとしんどかったけど、
何とか乗り切れた。

そうそう、そして新風舎に行って契約書を受け取ってきた。
少し考えて書きたいところもあったので、
持って帰ってきたわけです。
後日郵送します。

まだまだ大変な夏の日が続くけれど、
感謝忘れずがんばります。


2004年08月02日(月)



 明日は今日のことなんて忘れよう

あぁ、今日はほとんど歌えなかった。
貴重なゴスペルライブの練習なのに。
ここのところ苦しくても歌にあまり支障はなかったから、
ちょっとショックでした。
春頃に1ヶ月くらい歌えない状態だったけど、
そんな感じになってしまった。
ステロイドを減らしているからか、
この夏の気候のせいか、体力落ちて疲れてるのか、
はたまたリウマチの薬の副作用か。
よくわからんが、全部かもしれん。
考えてもしょうがない。
でも悲しいです。悲しいのもしょうがない。
自分のライブもゴスペルライブも近いとゆうのに。
きっと今日だけだ〜と自分に必死に言い聞かせてます。
ゆっくり休もう。
明日は今日のことなんて忘れよう。

2004年08月01日(日)
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