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しもさんの「気になる一言」
しもさん
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2004年10月31日(日)
「茨城ゴルフ倶楽部」が頑張れって言っている

日曜日の午後は、スポーツ大好き人間にはテレビ観戦がいい。
東京六大学の早慶戦あり、競馬の天皇賞あり、ゴルフあり。
私だけのチャンネル争いであるのに、なぜか忙しい。
たぶん私の関心が、苦しい戦いを勝ち抜いてきた
ヒーローインタビューにあるからだろう。
今回は、日本シニアオープン(茨城GC東)をプレーオフで制した
54歳の高橋勝成プロのコメント。
優勝した瞬間、素敵なシーンを目にした。
一緒にラウンドした地元の高齢女性キャディさんの手を高々上げ、
その後、感謝の気持ちを込めて、何度となく握手したのだ。
「キャディさんのお陰げ」そんなメッセージが伝わってきた。
今年、息子さんが亡くなり、生きる支えを失った高橋プロ、
優勝インタビューの途中で、こらえきれなかったのだろう、
大粒の涙が溢れ、言葉に詰まり、帽子のつばで顔を隠した。
暫くして、涙を拭いファンに向かって、深々と頭を下げた後、
研修生時代の2年間をすごしたホームコースである
茨城ゴルフ倶楽部での苦労を思い出したのだろうか。
彼にとって、本当に辛い今年の1年を振り返りながら、
このメッセージは自然と口に出たのだろう、印象に残った。
若いうちは金を出してでも苦労しろ、とよく言われる。
その意味は、経験により人間を磨くということだろうが、
私は、彼のコメントをメモしながら、違う意味を感じ取った。
歳を重ねてからの辛さを、若い時の苦労が励ましてくれる。
今が辛い時、辛かった昔が「頑張れ」と励ましてくれている。
その時のために、若いうちに苦労しなさい、と。
とても素敵な考え方ではないだろうか。
是非、心に刻んでおきたい。



2004年10月30日(土)
これでいいいということはないが・・

思わぬゴルフの結果で大喜びの私であったが、
本音は、もっともっと練習をしてうまくなりたい。
そして安定したスコアで、彼らと優勝を争いたいけれど、
お金と時間のかかるゴルフなだけに、
他に続けているものをやめてまでは、まだまだ熱が入らない。
これが正直な気持ちである。
この気持ちをうまく表現できないものだろうか、と考えて
ぼ〜っとしていたら、部屋の片隅にめくり忘れた
相田みつをさんの「日めくりカレンダー」が目にとまった。
「これでいいいということはないが、
これがいまのわたしの精いっぱいの姿です」と。
もちろん、現状の結果には満足していないけれど、
これも私、という気持ちがうまく表現されていると思う。
ゴルフだけでなく、いろいろな場面で使えるフレーズである。
「気持ちはあるけれど、身体がついていかない」
そんなシーンには、1日何度も出くわすが、
「これも現実、認めなくちゃ」と考えることにしている。
それ以来、自己嫌悪を含めたストレスは激減。
「情けない自分を受け入れる」ことの楽しみ方もある。
覚えておいて損はない、そう思うのだが・・。



2004年10月29日(金)
まさかの下山、きせきの下山

毎年恒例の1泊2日、2日間のゴルフ大会。今年で10回目。
最長老として若者に混じって、参加させていただいている。
今年は腰痛が全治したわけじゃないので、
みんなに迷惑をかけちゃ悪いかな、と最後まで悩んでいたが
「絶対無理をしない」と心に決めて参加。
当然、スコアは二の次。思いきり振ると腰が痛いのだから。
しかし腰痛用のコルセットをしながらのプレーは、
思いがけない結果を私に与えてくれた。
なんと、ニアピンを2ホールも取ってしまったのである。
1年に1度か2度しかゴルフに行かない私が、
月に何度も出かける彼らより、ピンに近かった。
ニアピンを示す旗に、自分の名前を書き15人の結果を待つが、
自分でも驚いたので1ホール目の旗には「まさかの下山」。
そして、2つ目の旗には「きせきの下山」と記した。
結局、そのままニアピンは更新されることなく、私がゲット。
「ぎっくり腰に負けるなんてくやし〜い」と言う
上級者の声が聞こえてきそうで、楽しかった。
トータルのスコアは、恥ずかしくて紹介できないが、
「腰に響かないように、ゆっくり振るといい」ということを
自ら実感した1日となった。
もう2度とないかもしれない、初日2つのニアピン。
これは記録として、気になる一言にしようと思う。
2日目、さすがに奇跡の後は何も起こらなかった。
ビギナーズラック、そんなようなものかな。(笑)



2004年10月28日(木)
新聞投稿は、不平・不満の捨て場所じゃないからね

先週、久しぶりに投稿したコラムが地元新聞に掲載された。
「見ましたよ〜」から「私もそう思いました」まで、
反応は様々だけれど、私の想像以上に
インターネット以外の読者が多いことに驚いている。
「名前を見つけて嬉しくなりました」と言われれば、
また書きたくなるのが人情ってものであろう。
だから私の原点である「新聞投稿」をまた再開しようと思った。
さて、今回の一言は私の台詞。
「新聞投稿、また始めるんですか?」と聴かれて答えたもの。
「うん、なんだか、最近の投稿って、社会や行政に対する
不平・不満・愚痴などが目立って、読む気にならなかった」と
本音を漏らしながらも「そうだ、私が変えていこう」と素直に
思ったので、記念に残そうと思った。
同日の掲載された投稿のタイトルは
「市民サービス 公平さ欠くな」「容易な天下り 容認しないで」
「水俣病の判決 行政責任追求」などなど。
例え500字足らずの短い文章でも、
「こんな嫌なことがあった」「私は納得できない」
と書かれた感想は「論評」「発言」とは言い難いし、
どんな文でも「起承転結」の必要性を感じて欲しい。
読者が、一所懸命読んでくれているのがわかったから、
投稿する私達も、真剣に取り組み、
社会に対し出来るだけ「提言」できる内容を書いていこう、と
呼びかけていきたい。
そのためには、まず私が実践しなければ、と感じているのも事実。
こうは言ったもののうまくいくだろうか、という不安はある。
しかし今こそ「言葉の力」を伝えたい、心からそう思う。
やるっきゃない。



2004年10月27日(水)
自分は運よく解放されただけ

<イラク邦人人質>の事件を知り、私が一番関心を示したのは
今年4月に解放された5人のコメントだった。
カメラマン、郡山総一郎さん(32)は、
「今回の男性も多少覚悟はしていたはずだが、
原因を作っているのは自衛隊。自分は運よく解放されただけ。
命を救うためすぐに撤退すべきだ」と訴えた。
今井紀明さん(19)は今月8日、語学留学のため英国へ渡って
コメントはなかった。
高遠菜穂子さん(34)も
「講演会などの要請を調整している状態」でコメントはなかった。
フリージャーナリストの安田純平さん(30)は
「今回は相手が悪い。ザルカウィ氏のグループはイラク国内でも
聖職者の影響力が及ばないとされており、
基本的に人質は殺害するという印象が強い」と懸念した上で
「現地で活動する以上、こうしたリスクを伴うことは
本人も当然覚悟していたとは思うが、
日本でも自衛隊の派遣継続を再検討してもいいのではないか」。
渡辺修孝さん(37)は
「小泉首相が自衛隊は撤退しないと話したことは、
人質は殺されてもよいと受け止められても仕方がない発言で、
もっと配慮がほしかった」と語った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
おいおい、いい加減にしてくれ。
君たちの解放に、どれだけの国民の税金が使われたと思うんだ。
そんなお金があったら、台風被害・地震災害支援に使って欲しい。
せっかくメモした「気になる一言」も、彼らのコメントで
すっかり色褪せてしまった。
「自己責任」で騒がれたこと、すっかり忘れてしまったのか。
彼らはあの事件後、自分達の行動に対して本当に反省したのか、
どうも納得のいかないコメントである。
絶対に「運が良かった・悪かった」で片付けて欲しくない。
家族にも止められたけれど、発言が過激だったかな。
この感情、書かずにはいられなかった。ごめんなさい。



2004年10月26日(火)
人を信じて裏切られた時は、自分に見る眼がなかったってこと

録画してあったNHK大河ドラマ「新選組!」で、
坂本竜馬役の江口洋介さんが、呟いた。
その場面を説明すると長くなるのでしないが、
ドラマに関係なく使える台詞として、メモをした。
「いいのですか?そんな奴、信じて」と仲間は忠告する。
(あいつは嘘つきだから、きっと裏切られますよ)
そんな意味のニュアンスが含められていたと思う。
こんなシーンは、私たちの生活でも良くある。
お金を貸したり、保証人になったり、秘密をばらされたり、
トラブルのもとは、信用したのに裏切られるから起きる。
だから、裏切ったあいつが悪い、私は信じたのに・・という
フレーズが多くの方の口から飛び出すことになるのだが。
確かに、自分の人間を見る眼がなかったことを嘆く人は少ない。
そういう意味で、今回の一言には「はっ」とさせられた。
生活のいろいろな場面で当てはまるから。
相手の失敗・裏切りを嘆くより、
それを任せた・信用した自分を責める必要がありそうだ。
これだったら、ストレスは溜まらない。
自分がまだまだ甘い、と諦めればいい。
結局、ドラマの中でも裏切られないが、
坂本竜馬は居場所がばれて暗殺されることとなる。
人を信じきり、裏切りによって殺されたわけではない。
そんな結末に、脚本の三谷幸喜さんは何を伝えたかったのか、
ちょっぴりわかったような気がした。



2004年10月25日(月)
病院では「医療器具が倒れて使えない」と悲鳴

新潟の震度6強地震。
翌日の朝刊はどの新聞も当然トップ記事。
私は相変わらず「1日目のイベント打ち上げ」と称して
軽く飲んでいて、帰宅してから知って驚いた。
地震の怖さを表現するつもりなのかもしれないけれど、
私はへそ曲がりなのか、病院関係者のこのコメントをメモした。
多くの被災者を手当てするはずの病院が、
転倒防止装置をつけていなかったのだろうか、という疑問。
いざという時のために、高い医療費を払っているのに、
その「いざ」の時、倒れて役に立たないのでは困るからだ。
停電しても自家発電で対応する医療の現場、
「野戦病院」と化す可能性も秘めているのに、と思う。
非難するはずの避難場所が、地震で倒れたら大騒ぎとなる。
台風、地震と続く災害に対して、我々が出来ることは
「いざ」という時に、力になれる体制づくりなのだと思う。
そして、この恐怖を体験した人達が
トラウマにならないような精神的なフォローが望まれる。
さて、こんな私にできることは・・



2004年10月24日(日)
はでらかす音を聞きたいだけだから

週末の土曜・日曜は快晴。まさしくイベント日和。
柿田川公園で開催される「みどりまつり」は
「緑」を愛する(?)大勢の人達で賑わった。
春に続いて、私の担当は「ポン菓子無料配付コーナー」。
2日間で約50回、毎回長い列が出来るほど盛況だった。
「お米がこんなになるの?」と驚く幼児から若い人。
時々、トウモロコシからポップコーンを作ると大喜び。
そんな中、私たちの作業をしている横で
じっと見ている中年から壮年の方々。
「無料ですから、並んでください」と声を掛けると
「ポン菓子が食べたいんじゃないの。その音が聞きくて」と
昔を懐かしむ人達が多いことに、なんだか嬉しくなった。
「小さい頃は、お米と薪を持って行ったのよ」とか
「この音を聞くと慌てて外へ飛び出したわよねぇ」と
見知らぬ同士でも、すぐ仲良くなる光景は微笑ましかった。
米が空気に触れて破裂する独特の音、
「爆発音」ではなく「はでらかす音」は会場に響きわたった。
久しぶりに「音」から蘇る小さい頃の思い出に浸った。
若い人にはわからないかな、「はでらかす音」って言っても。
年齢限定の話題だけど、今日はこの一言。
(「はでらかす」って静岡県の方言かな、調べてないけど)



2004年10月23日(土)
おかあさん、それ、選曲ミセス

メル友が、NHKのど自慢大会に出るんだと張り切っている。
挑戦する曲目は?と訊ねると、
ペギー葉山さんの「南国土佐を後にして」だと言う。
その選曲に対して、娘さんたちが浴びせた一言。
(もしかしたら「ママ、選曲ミセス」かもしれないが・・)
言葉遊びには欠かせないフレーズとなった。
私にとっては、思わずニヤリの一瞬である。
その発想をキッカケに、いろいろ探してみたら
「選択ミセス」「煩ミセス」「ミセスマッチ」などなど、
応用範囲は思った以上に広かった。
あとは、使うタイミングかな、と感じているが、
これがまた難しい。
まずはオーソドックスに「カラオケ」に行って
あんまり上手に唄えなかったら、冒頭の一言をボソッと呟く。
「選曲ミスター」では意味が通じない。
「選曲ミセス」だから、面白いのである。
これからも何度となく登場する、私の言葉遊び。
どうぞ、懲りずにおつきあいください。



2004年10月22日(金)
「お頭付き」ではなく「尾頭付き」

何気なくテレビを見ていたら、常識クイズをやっていた。
「『おかしら』を漢字で書きなさい」。
てっきり「かしら」を漢字で書けるかな?
そんな問題だったと思っていた。
その場に居合わせたメンバーは「お頭」(「御頭」)。
珍回答をする出演者に「お頭」も書けないのかよ〜と
みんな自慢げだった。
お祝いごとや神事に使うだろうに・・と解説付き。
しかし、答えは「尾頭」だったから、一同唖然。
たしかに「尾と頭のついたままの魚」。
まるごと一匹のことは誰もが知っていたのに「尾頭」に
気が付かなかった。
そこでなぜだろうか、と考えてみた。
たぶん「尾」から「頭」という視点がなかったのだろう。
「尾」から「頭」という発想をした人は、頭が柔らかいと思う。
全て「上から下へ」「前から後ろへ」が正しいとは限らない。
ついつい長い経験から出来上がった自分の枠の中で、
答えを見つけようとするが、それでは問題は解決ししない。
もう手垢の付いた表現であるけれど
「発想の転換」の必要性を、改めて感じた問題であった。



2004年10月21日(木)
誰かが死ななきゃやめないんだよ

建物の外へ出て、台風の様子を伝える各局のアナウンサー。
暴風に負けず、必死になってその凄さを伝えるシーン。
どの局でも、何度も何度も目にするけれど、
「そこまでしなくても・・」というのが
多くの視聴者の意見ではなかろうか。
かえって「危なくてハラハラする」という意見が多い。
と言うことは、局の意図が伝わっていないということ。
それなのに報道各局は、これでもかこれでもか、と流す。
どうして、こんなことを続けているのだろうか、
どうして、やめることが出来ないのだろうか、
私にとっては、とっても不思議なことである。
ではやめる方法は・・という話になったが、
みんなで考えたその答えが、気になる一言。
その時、国民の多くが
「私もそう思っていたのに」と声をあげるに違いない。
それからでは遅いのに・・と思う。
まさか、ハプニングシーン、NGシリーズで使えるから・・
なんて考えているわけでもないだろうに。
台風の犠牲者の家族の気持ちを考えれば、
一刻も早くやめるべきである。
それでも続けるのであれば、
責任の所在をはっきりしておく必要があろう。
台風は危険だから出ないでと、必死の説得、外でする。



2004年10月20日(水)
神様が日本に試練を与えているみたいだね

今年は台風の当たり年、もう10個目の上陸。
しかし先週、お天気キャスターの森田正光さんは、
もう今年は上陸しません、というコメントをしていたはずなのに・・。
原因は、いろいろ考えられるんだろうけれど、
もう気圧の配置などでは説明できない何かがあるかもしれない。
そんなことを考えながら、農業用水のパトロールをしていたら
この台詞がラジオから流れてきた。
面白い視点だな、と思わずメモをした。
今まで、自然の脅威をあまり意識しなかった日本人に、
猛暑の夏と台風の威力を示しているようで仕方がなかった。
地震も台風も被災地でないと他人事、の意識が強い私たちに、
神が平等のように日本各地に台風を上陸させてくれた、
そう考えてみるのも面白い。
危機意識の薄い日本人に、少しは自然の猛威が刺激になって
用意周到な体制の要性を感じたに違いない。
前回の台風の復旧も終わらないまま、また台風上陸。
「神様は、超えられない試練を与えない」
そんなフレーズも私の頭には浮かんできた。
今は、農家にとっても大切な時期である。
国民全体で、この試練を乗り越え踏ん張るしかない。
さて、今夜も水防警備で徹夜かな。朝には帰れるのだろうか。



2004年10月19日(火)
今どきの肝っ玉かあさんは、スリムだ

好きな作家の一人、林真理子さんの「美女入門part3」
(角川文庫・274頁)を読み終えた。
彼女独特の言い回しが、私にはとても勉強になる。
さて今回の台詞は、挿絵だったから、もしかしたら
イラストレーター・国分チエミさんの作品かもしれない。
私達の時代、肝っ玉かあさん=京塚昌子さんだったので、
このフレーズが妙に引っかかった。
この「肝っ玉かあさん」の条件は何だろう、と考えてみた。
人情味が溢れ、悩んでいると相談したくなるような女性。
腕っぷしが強く、喧嘩の強い女性ではないことは確か。
いつもはニコニコしているけれど、一度怒らせたら大変。
そんな女性のイメージは、ちょっと太目のほうが似合っていた。
(これは私の独断と偏見で、あまり意味はないけれど・・)
しかし最近では痩せていても、こういうタイプの母親がいる。
男性でも女性でも、大人でも子供でも差別することなく
力になってくれる母親は、現代の肝っ玉かあさんに間違いない。
「肝っ玉かあさん」は死語になったのではなく、
形を変えて、私たちの生活の中に生きつづけていると思う。
さらに付け加えて言えば、
今どきの肝っ玉かあさんは、オシャレである。
白い割烹着を着ていなくても、家事をこなす母親が溢れている。
それに比べて、男性は・・
いまだに、太ったままの「寺内貫太郎」か。(笑)



2004年10月18日(月)
蔵王のオカマは最高だね

先週末、中学の同級生で学年全体の同窓会があった。
(というより、単なる飲み会だったかも・・)
今回は、面倒くさいことは一切なし、
場所は公民館、会費は無料(但し自分の食べ物・飲み物持参)
連絡は全て口コミ、(返事も来ないはがきは意味がないから)
2次会はご自由に。これで来れる人は来て・・で企画した。
異論、反論は承知の上、公務員が暇だと思ったら大間違いだ、
それが嫌なら、いつも私任せの幹事をやってみろ、という
ちょっと強気の私がいた。
結局、集まった人数は少なかったが、楽しい時間を過ごせた。
今回はその中での会話。
「この間、宮城県へ行ったんだけれど・・」で始まる話に
耳を傾けたら、冒頭の台詞。「蔵王のオカマは最高だね」
「へぇ〜、そんなにきれいなの?」と私。
「うん、最高。一度見ておいた方がいいよ」と友。
「そういえば、上高地も良かったぞ」と別の友。
「へぇ〜、上高地にもきれいなオカマがいるの?」と私。
顔を見あわせる同級生同士のあきれ顔。
「おまえ、ばっかじゃね〜の?」と友、そして大笑い。
私と同じ間違いをした友もいるけれど・・恥ずかしかった。
「蔵王のお釜」といえば、有名な観光名所。
エメラルドグリーンの湖水は、なかなか見ることが出来ない。
それくらいは知っていたけれど、景色は浮かんでこなかった。
酔っぱらっていたとはいえ、またまた失態を・・(笑)
この日の楽しさは、何年経っても「蔵王のお釜」で思い出す。
持ち寄った食べ物、美味しいものにいっぱいありつけたし、
やっぱり同窓会もいいもんだな、と万年幹事は思った。



2004年10月17日(日)
お母さんでしか教えられないことを教わっていない

「泉のまち わたしの主張」と題する発表会が開催された。
小・中学生や高校生の発表に混じって、高齢者・外国人も
自分の感じたことを丁寧な話し方で、堂々と話してくれた。
中でも、日本に来て10年。町内で英会話を教えているという、
マレーシア出身の女性の主張は
「日本の子どもたちとふれあってみての印象」だった。
他の国の子どもたちにあって、日本の子ども達にないことは
「親を尊敬する」という感覚のようだ。
あまりに、自分の親について説明できない子ども達が多い。
「私のお父さんはどんな人で、お母さんはどんな人」
家族だから当たり前である世界の常識が、日本には通用しない。
家族の会話があまりに少なすぎて、わからないのかもしれない。
その原因を彼女の感覚で表現したフレーズが
「お母さんでしか教えられないことを教わっていない」だった。
なんだろう? なぞ掛けのようなフレーズを真剣に考えてみた。
「子どもが親より高い服を着ているのには驚いた」の台詞で
聴衆者の笑いを誘いながらも、淡々と話す彼女の主張は、
子育てに悩む親にとって、とても貴重な発言が多かったと思う。
新しく始まった「金八先生」を見ながら、
ただただ、うるさく感じたのは私だけだったろうか。
ビートたけしの「TVタックル」の政治家たちも同じ。
人の話をしっかり聴く、ということが出来ていない。
当然、相手の目を見て話すことも出来ていない。
話す時は、相手の目を見て話すってこと。
お母さんが、赤ちゃんに一番最初に教えてあげることだと思う。
これって悔しいけれど、お母さんでしか教えられないこと。
そんな気がしたから、彼女の台詞が妙に私の心に響いて残った。
私の解釈、違うかな?



2004年10月16日(土)
やさしさは心がドキドキするから、この形

「おひさまのたね」を歌っている西島三重子さんの
歌とお話を聞くことが出来た。
うまく説明できないけれど、なんだか不思議と
温かい気持ちになって帰宅した。
「おひさまになれ おひさまになれ 
やさしく強い 心をもって
おひさまになれ おひさまになれ
そばにいるだけで あったかい」の歌詞では手話付きで
会場にいたみんなで覚えた。
特に「やさしく」の言葉の手話の説明が、ぐっときた。
「やさしさを受けると、なぜがドキドキするでしょ?」の
問いかけをしながら、心臓の前でハートをつくり、
大きくなったり、小さくなったり・・ドキドキ感を表わした。
この表現が正しいか、正しくないか、なんて問題ではない。
「人って、やさしくされると心がドキドキする」
うん、とてもうまい表現だとメモをした。
「自分が唄う歌」から「みんなに唄って欲しい歌」へと
意識を変えることが出来た歌だという「おひさまのたね」。
先日閉幕した、浜名湖花博のテーマソングであるが、
何度聴いても飽きないのは、彼女の人間的やさしさが
そのまま曲へ伝わっているからだろう。
「北風と太陽」ではないけれど、太陽は心を開いてくれる。
「そばにいるだけであったかい」存在か・・いいなぁ。



2004年10月15日(金)
最大の被害は、農家のやる気がなくなること

先週末の台風22号、静岡県伊豆半島へ直撃。
おかげさまで、わが町は被害という被害はなかったけれど。
今日の農業担当の会議は欠席者が目立ったが、
理由は、被害状況の把握で飛び回っているからであった。
会議の冒頭、こんな挨拶があったので、メモをした。
「台風22号で各地に大きな被害が出ている。
その被害総額は、なんと49億円とも言われている。
しかし最大の被害は、その被害を受けた農家の人達の
やる気がなくなってしまうことです」と。
確かに、高齢化、サラリーマン化が進み、
担い手不足で悩む農家に追い打ちを掛けたのが、今回の台風。
特に伊豆半島、収穫間際の蜜柑が強い風で落ちた。
つい先日(台風22号上陸の前)
「今年は夏が暑かったから、甘いミカンができたよ」と
テレビのインタビューで答えていた姿が思い出される。
農業収入だけでで生活していくことがなかなか難しい昨今、
僅かな収入を見込んでいた農作物が、台風という自然によって
その道も閉ざされてしまった形だから、よけいに辛い。
これを機会に、農家をやめるか、となったら大変である。
なんとか農家を支えたい、心からそう思う台風被害であった。



2004年10月14日(木)
カルーセル麻紀がニューハーフでなくなった

「カルーセル麻紀が女になった」は
知人のホームページで見つけたタイトルだった。
彼女が戸籍上でも女になったという記事に、
知人なりのコメントが書かれてあった。
既に子どもがいる性同一性障害の方は認められない。
彼はこの点に注目していたが、私は当然だと思う。
そもそも「性同一性障害」は、
先天的なものであると理解しているから。
後天的に「私は性同一性障害です」というのは、
単に、今の性別ではうまく生きられない人が、
逃げとして使っているとしか思えないからである。
男として、女性と結婚し子どもを授かった。
その行為自体が「男」であることは明白な事実であるし
「女」としてその行為は出来ないはずだから。
さて話を戻す。
私の関心事は、女になった彼女より、男でなくなった彼女。
「性転換・ニューハーフ」で話題になってきたのに、
完全な女になったということは、今後、女風呂に入っても
女子トイレに入っても、犯罪ではないし話題にもならない。
4月4日のニューハーフの日のイベント。これも資格がない。
メリットは、パスポートの性別と一緒になるから、
今まで行けなかった中国・ロシアにも行けるらしい。(笑)
まぁ私の注目は、ニューハーフを売り物にしないで、
女として彼女がどう生きるか、である。
あっ、好きな男性と結婚が出来ることになる、日本でも。
しばらく彼女の動きには注目してみたい。



2004年10月13日(水)
出てますか? 大丈夫どすか? 持ちまひょか?

ラジオで聴いた話だけれど・・。
京都のお座敷で、小便に立つと芸者がついてくる。
用を足し、外で手を洗った時の為に、手ぬぐいを持って
待っていることは、私でも予測が出来る。
しかし私がメモしたのは、そんな心遣いではない。
小便をしている間に、外から声を掛けられた、という話。
京都の冬はとても寒いから、いろいろ声をかけるのだろうか。
それが、今日の気になる一言。特に最後の一言は笑った。
しかし、そのフレーズに「イヤらしさ」を感じなかったから
なるほどなぁと思いメモをした。
京都の芸者らしい、ちょっとウィットに飛んだ会話が、
今どきのコンパニオンにはない「粋」を感じさせた。
下ネタを、卑猥な単語で露骨に表現するのではなく、
サラッと言える知識と知恵、そんなものが欲しい、と
いつもながら思う。
モーツァルトのストレス発散は、下ネタ連発だったとか。
(これ本当の話らしいよ、テレビで特集をしていたから)
メールでコミュニケーションを取る事が多い私の下ネタは、
メールの最後に加える「手は股(ではまた)」かな。(笑)
単なる変換ミスから生まれた下ネタだけど、
けっこうお気に入りである。



2004年10月12日(火)
頑張らないためには、人と自分を比べないこと

愛読書(笑)のひとつ「マイ・フォーティーズ」(My 40's)。
今月の特集は
「ときには『頑張りすぎない生き方』がステキ!!」。
その中てもピカ1だったのが、藤村俊二さん。(オヒョイさん)
「人と比べることから、不幸が始まると思っているんですよ、
比べないから、頑張らなくて済むんです」とコメント。
しかし、その存在感はもの凄いものがあるから、不思議である。
「習慣になれば頑張れずにやれてしまう」。
そんなメッセージも残してくれた彼は、とても魅力的だ。
そういえば、私の周りには頑張っている人が多い。
「頑張りすぎですよ」と声を掛けると
決まって「別に頑張ってませんよ」と返事が返ってくる。
酔っている人に限って、酔ってないよ〜と叫ぶ、それと同じ。
もう一度、自分の生活を振り返ってみよう。
人より幸せになりたい、人より認められたい、
人よりお金持ちになりたい・・。全て比較対象が「他人」。
「今の生活は?」の問いに「中の上」と答える人は要注意だな。
「上・中・下」でも比較しているというのに、
「中」の中にもランクを付けたがっているのだから・・。
本当に人と比べないで生活ができるようになった時、
『頑張りすぎない生き方』の意味が理解できるのかもしれない。
いつになったらそんな気持ちになれるんだろう、
そんなことを思いながらも、少しずつでいいから
自分の人生を、人と比べず丁寧に生きることを心掛けたい。
藤村俊二さん(オヒョイさん)の台詞。
もう一度、読みなおしてみたら、少しだけ楽になった。



2004年10月11日(月)
謎を解くより、謎を見つける方が難しい

私が地元でリーダーとして所属している
宇宙少年団(すばる分団)が講演会を主催した。
もちろん町の教育委員会と共催という形で・・。
講師は、理学博士・文部科学省国立天文台の渡部潤一助教授。
演題は「すばる望遠鏡が探る宇宙」であった。
しかし内容についてはここでは触れない。伝えきれないから。
「星はだいたい100億歳まで生きる。今、地球は46億歳」の
フレーズに、1億が1歳だとすると私と同い年だ、
なんて考えながらメモをした。
「星のご臨終はとてもきれい」と画像を紹介してくれるし
「星の爆発エネルギーでできた宝石」等の説明も頷いた。
一番印象に残ったのは、学者だなぁ〜と感じた冒頭の台詞。
「どうして?」を見つけたら「もしかしたら」と仮説を立てて
理論的に解いていけばいい、そんなニュアンスだった。
いつでもどこでも好奇心を持ち「?」(あれ?)を探すことが
一番むずかしい、そんな意味なのかな、と理解した。
宇宙学者と生物学者、なかなか意見が噛み合ないのは、
「謎」の捉え方が違うからかな・・そんなことを思った。
そんな先生の勧める「星空浴」は「海水浴・森林浴」より簡単。
広大な宇宙に想いを馳せながら、星空を眺めるだけだから。
「地球は宇宙のメリーゴーラウンド」
まさにその通り、このフレーズもいただく事にした。(笑)
あっという間の2時間、私より年下とは思えない
落ち着きのある、穏やかな口調。また尊敬する人が増えた。



2004年10月10日(日)
「プレイオフ」は「敗者復活戦」ではない

巷は、パシフィク・リーグのプレイオフで賑わっている。
今日勝てば西武ライオンズが優勝だったらしいけれど、
ダイエーホークスが勝って良かったと思っている。
どちらのファンと言うことではなくて、
このプレイオフ制度自体に私は賛成できないから。
そもそも「play-off」って、優勝決定戦試合のこと。
(同点・引き分けの場合の)決勝試合、であるはず。
敗者復活戦とは、意味が違うのではないか。
オリンピックだって敗者復活戦は、
どんなに勝ち上がっても銅メダル止まり。
金メダルには手が届かないのは、誰だって知っている。
アメリカ・メジャーリーグでも、プレイオフは
基本的には、地区優勝チームの戦い。
(例外は、ややこしくなるので説明を省くが・・)
一年間通して戦い続け、貯金25を超えて圧倒的な力で勝ち
1位なのに優勝ではない。そんなシステムに反対なのである。
1位とチャンピオンが違うのは、ボクシングの世界だけでいい。
一時的な盛り上がりが先行し、視聴率低下が追い風となって
セントラルリーグも導入なんて考えないで欲しい。
負けは負け。勝ちは勝ち。勝負の世界、それだけでいい。
1994年10月8日、史上初の同率首位、最終試合直接対決で
ジャイアンツとドラゴンズが戦った試合が頭に浮かんだ。
シーズン途中「2位、3位狙い」なんて言葉は必要ない。
ダイエーファンは、これで負けたら納得するのだろうか?
ファンの気持ちを大切に・・というなら是非、再検討を。




2004年10月09日(土)
川の水位は、増える時と減る時では段違い平行棒

静岡県伊豆半島直撃、ここ10年では最大級の台風22号だという。
朝、7時半くらいには水防(すいぼう)の招集がかかり、
私が帰宅したのは、なんと翌日の午前3時。
台風は、午後5時くらいには通過したはずなのに・・。
原因は狩野川の水位だった。下がるまでは帰れない。
他の職員は、台風が過ぎしばらくして帰宅の途についたが、
私はそれからが長かった。何をするというわけではないのだが。
農業用水も含めた農業担当だから、なかなか減らない水を相手に、
少しずつ、本当に少しずつ、狩野川へ流していく排水機場の管理。
川の水位は面白いもので、上昇する時は一気に増える。
1時間に1メートルなんて簡単にクリアしてしまうほどの勢い。
上流部で降った雨が、一気に川に流れ込むからだろう。
しかし、台風が通過したにも関わらず、減る時は全然減らない。
10分で2センチなんてペースもあったのだから。
たぶん、溢れた雨を上流部でも必死に狩野川へ流し、
どの市町村の排水機場担当も徹夜の作業が続いたと思われる。
そんな気分を記録に留めるため、気になる一言にした。
除塵機には、刈ったばかりの藁が山のように引っかかり、
トラック何台分にも相当する藁の固まりが出来た。
だから、本当に意味で狩野川の水位が下がるまでは、
気が抜けない、というのが本音であろう。
台風が過ぎたから、住民の安全を守る仕事は終わりではない。
公務員らしい・・と自分でも納得して床についたのは4時。
起きたら翌日の正午近く。
疲れたら、疲れ○○といってエッチがしたくなると言うのだが
私は、真っ先に缶ビールを開けた。
続いて「ふなぐち菊水一番しぼり」のカップ酒。
ふぅ〜、ほろ酔い気分。とても気分が良くなったことをご報告。
昼間からのアルコールは効く。
さて、もうひと寝入り。おやすみなさ〜い。たぶん爆睡。



2004年10月08日(金)
40歳は人生の正午

いつだったか本屋で見つけた「My 40's」
いまでは、私の愛読書の一冊になっている。
今月の巻頭ロングインタビューは、長野智子さん。
報道番組に携わりかった彼女は、
なぜか、バラエティ番組の「ひょうきん族」で有名に。
結構ジレンマがあったらしいのが、よくわかった。
その彼女がいろいろな経験を積み、今は幸せそうだった。
インタビューの最後、40代についてこう話している。
冒頭の台詞は、桐島洋子さんの言葉だという。
「午前は元気がみなぎっていろいろな行動や経験ができるけれど、
おやつやお酒、おいしいディナー、そして秘め事など
大人の楽しみはすべて午後にある。
まさにこれからですよ。40代は」と。その分岐点が40歳。
なるほど・・とさっそくメモをした。
私は、人生80年を4期に分けて「起承転結」と例えるのが好きだ。
成人式には「起」の期間は終わったんだよ、と声を掛け、
これからは「承」の期間だぞ、と叱咤激励をする。
40歳から60歳の20年は「転」だから、人生ドラマは展開期に入る。
そして最後の「結」に向けて準備を始める期間だと・・語る。
人生を42.195キロのマラソンに例えるのはあまりに難しいと思う。
今のマラソン、あまりにスピードがあり過ぎるから。
そう考えると、人生を「午前」と「午後」に分けるのもいいな。
生活に密着して、とてもわかりやすいから。
桐島洋子さんにも、長野智子さんにも、許可取らないけれど、
この例え話、今度、どっかで使おうっと・・。



2004年10月07日(木)
おにいさん、お酒と女は( 二合・二号)までよ

視察の宿泊地は、教育県の長野には珍しい色街(いろまち)、
戸倉上山田温泉。長野の熱海?って言われるらしい。
たぶん、芸者が多かったってことなんだと思うけれど、
この例えも、どう理解していいのやら・・。
今回は、その温泉場、宴席で知り合ったコンパニオンの台詞。
飲み過ぎかな、と思うお客にも、タイミングよく
こんな台詞が返ってくる。
とにかく感心するくらい会話上手であった。
二次会のカラオケへ行く時も、ぐずぐすしていると
「ほらほら、立たないおにいさんも、立って」と一言。
爽やかなシモネタ、と表現したいくらい楽しかった。
最後に、みんなでホテルの外へラーメンを食べに繰り出した。
途中、温泉街を道案内。「普通は歌って踊れるお店だけど、
ここは、歌って踊って触れるお店なんだよ」(笑)。
もちろん私の携帯は、メモだらけとなった。
どんな年齢の男性にも「おにいさん」と呼び、
初めて訪れた私に「お久しぶり。また来てくれたの?」と言う。
「初めてだって」と答えると「うそ、前にも逢ったよ」と返す。
その絶妙の言葉の接待に、私たち男は喜ぶのであろう。
こういう台詞って、本を読んで覚えるのではなく、
宴席で客との会話の中で使いながら覚えていくんだろうな、と
思った。
こんな台詞集めたら、芸者・コンパニオンから教わった
「楽しいお酒の宴での爽やかシモネタ集」が出来るかも・・。
しょうがないなぁ、そのためにまた飲みにいくか・・。



2004年10月06日(水)
ほら、普段の行いが悪いから晴れちゃった(笑)

晴れ男の私が随行の視察だから・・仕方ない。
実は、町の農業委員さんと長野方面へ1泊2日の行政視察。
前日までの秋の長雨が嘘のように、2日間の天気は快晴。
なのにまた週末には、天気が崩れるという。
抜けるような青空を眺めながら、
このところ雨で畑仕事が出来なかったからなぁ、
に続けて言われた台詞が、気になる一言。
みんなに大笑いされながらからかわれた。
天気に左右される農家の仕事、特に秋の快晴は貴重らしい。
私も負けじと言い返す。
「晴れて、怒られるのは初めてです」と。
でも帰りのバスの中で、本当に晴れて良かったね、の台詞が
ウトウトしながらも耳に入ってきた時、嬉しかった。
いつもの農業委員会では、どこか真面目な委員さんらの、
また違った一面を見ることが出来て、貴重な2日間だった。
そういえば、田植えの時期には、
私たちにはうっとうしい梅雨を喜んでいたっけ。
それにしても、トイレ休憩で止まるサービスエリアでも、
なによりも産直野菜に目がいく人達である。
根っから農業が好きなんだな、と改めて感じた視察であった。



2004年10月05日(火)
カーテンをお部屋で試着して選べます

通勤途中で見かけた、カーテン専門店の宣伝文句。
へ〜、どうやるんだろう・・と興味津々でメモをした。
視点としては面白いサービスだなぁ、と思ったが、
果たして、そこまでしてカーテンを選ぶ人達がいるだろうか。
カーテンの試着ということは、自宅まで足を運んでもらい、
窓際のレールに実際取り付けることになるのかな。
そこまでしてもらったら、もうイヤとは言えないのが人情。
まして部屋でも散らかっていたら・・と余計な心配まで・・。
キャッチコピーとしては、面白かったが、
さて、実際は・・という私の野次馬根性が顔を覗かせた。
私の発想の限界では、インテリアコーディネーターが
事前にデジカメで撮影してもらった部屋全体を眺めながら
パソコン等を駆使し、カーテンのアドバイスや提案をする程度。
他人が我家へ上がり、カーテンを「試着」する、
その感覚自体が理解しにくいサービスであると思うのだが・・。
ここまで書いてから、気付いたことだが、
もしかしたら、もっと違った発想のサービスなのかもしれない。
誰か、このサービスについて情報がある方、教えて欲しい。
そして、もう少し情報を集めたら、お店を訪ねてみようかな。
この「試着サービス」の評判は?を聞いてみたいから。



2004年10月04日(月)
ハーフパンツとミニスカートは同じじゃないの?

先日、男同士で飲んでて話題になったこと。
どちらも、膝上数センチ。
なのに、男性はミニスカートには興味を示し、
ハーフパンツには、全然色気を感じない。
これって、おかしくないですか?、そんな話だったと思う。
う〜ん、確かに・・と思い、笑いながらメモをした。
キュロットスカートでも、同じことが言えそうだ。
露出する足の部分は同じなのに、といつも思うのだが・・。
さて身に付けている女性は、どう感じているんだろうか。
ある程度年齢を重ねると、ミニスカートははけないけれど、
ハーフパンツなら・・という感覚があるのだろうか。
やはり、なかなか理解できない私がいる。
そういえば、私にはビキニの水着と下着の違いすらわからない。
もちろん、男性の私たちは喜ばしいことであるが、
着ている女性陣には、そういう意識はまったくないのだろうか。
娘が年頃になると、どうしても気になる・・が本音である。
下着なのか、洋服なのか。
まったく、うさったいなぁ〜と言うなかれ、
世の父親は、昔から娘の服装が気になるものなんだ、と思う。
あ〜、また、親バカなんだから・・という声が聞こえてきそう。
そうだよ、どうせ私は親バカなんだから。



2004年10月03日(日)
勝負の世界に、家族ネタは本当に必要なのか?

夕方から堪能してきた「ヴァイオリンコンサート」のメモ、
日曜夜8時からの恒例「新選組!」で書き留めた台詞のメモ、
また新聞各紙から拾ったイチロー選手関連のメモの中から、
一つを選んで「気になる一言」を書きはじめるところだった。
今日は、選ぶことが大変だな、と思った矢先、
ヤフーのトピックスを見て「またか!」と呟いた私がいた。
タイトルは<イチロー>弓子夫人が談話発表。
大リーグの年間最多安打記録を84年ぶりに塗り替えた
マリナーズ・イチロー外野手(30)の妻、弓子さん(38)が
喜びの談話を発表したという内容であった。
前日は、中日優勝の祝賀会に、落合監督の奥さんが登場し、
祝福のキスシーンまで、テレビで紹介されていた。
正直な気持ち、私は「家族ネタは必要ない」と思う。
もちろん、彼らの精神的な安らぎの場として家族の存在を
否定するわけではないけれど、どうもしっくりこない。
勝負師らしい、張りつめたコメントの方が私は好きであるから。
少なくとも現役を離れ、何年もしてから、あの時は・・という
回顧録ならいいけれど・・・。
家族愛が達成させた勝利・記録、なんてうさんくさいだけである。
勝負の世界だからこそ、ちょっと辛口コラムになってしまったが、
家族愛が大事にされ、他人を動かすのに利用されるのは
「地元選挙」だけで充分であろう。
独身貴族たちよ、そうは思わないか?



2004年10月02日(土)
勝負してくれたから、達成できたんだと思うよ

イチローの大リーグシーズン最多安打記録達成で、
日本中の人々が、いやアメリカ人も興奮している画像が
テレビ、新聞に溢れた一日であった。
彼の人間像は、私が説明するまでもなく、たぶん明日から
マスコミがこんなところまで・・というくらい紹介してくれる。
そこで私なりのコメントを残しておこうと思った。
私の関心は、達成できた理由である。
一番バッターだから・・内野安打が多かったから・・、
多くの要因が浮かんでは消えた。
そして私なりに辿り着いた結論が、気になる一言である。
バッターにとって、いくら打ちたくても
勝負してくれなければ、この記録は達成しなかったから。
打たれても打たれても勝負するメジャーリーガー達。
彼らの「打てるものなら打ってみろ精神」が、
この偉大な記録を可能にした、と感じた。
松井選手、2002年10月10日(木)日本でのプレー最終戦、
最終打席に50号ホームランを打った時、
「僕だけの力で打ったんじゃないよね」と
インタビューで答えた台詞が思い出された。
イチロー選手にも、奥さんや愛犬(一弓)ではなく、
まわりの多くの人の力で打てた、というコメントを期待したい。
特に、勝負してくれた対戦ピッチャーにも感謝を。
「法隆寺を建立したのは?」という歴史問題の答えは、
「聖徳太子と宮大工」なのだから。



2004年10月01日(金)
本書を読んで、なんだかお酒が飲みたくなってくだされば本望です

このフレーズは、今読みはじめたばかりの
「百人一酒」(俵万智著・文藝春秋刊・235頁)の帯で見つけた。
その中の話で、10月1日は「日本酒の日」と知った。
かつて酒造の会計年度は10月1日からと定められていて、
蔵元の人たちが酒造元旦としてお祝いした日、と書かれている。
そこで今度は暦を調べると、10月1日は記念日のオンパレード。
「衣替え」は記念日じゃないんだけど・・一番ポピュラー。
国際音楽の日/国際高齢者デー/浄化槽の日/デザインの日/
土地の日/都民の日/法の日/印章の日/コーヒーの日/
日本酒の日/ネクタイの日/省エネルギーの日/と続く。
忘れちゃいけない、私のメル友の誕生日でもあった。
話は戻るが、この「百人一酒」。
タイトルに誘われて買ったけれど、内容も充実。
「酒と酒飲みを愛する方へ」のサブタイトルも気が利いている。
これって、メッセージを伝える書き手の基本かな、とメモした。
私の場合はなんだろう、と自問自答したが、みつからない。
そろそろテーマを決めて「○○を愛する方へ」と読者を限定し、
「このつたない日記を読んで、
なんだか○○○したくなってくだされば本望です」
と言えるなにかが欲しいと、真剣に思った。
実はまだ読書半ば。しかしもうお酒が飲みたくなってきた。
完全に、俵万智ワールドにハマってしまった感がする。
さすがプロ。本当に飲みたくさせるのだから・・。
さて、今日は日本酒でも飲みながら、テーマでも探そうっと。