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女房様とお呼びっ!
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2005年02月27日(日) 嘘でもいいから

最近ネット上で、ウヘェと頭を抱えてしまう文言に出会った。
しかも二日連続、別々の場所で。

それらは奇しくも内容的に符合していたが、各々異なる親記事につけられたコメントである。
一瞬、同一人物が投稿したのかと疑ったけど、よもやそんなことはあるまい。
この件によらず、こうしたシンクロニシティは、ままあることだし。
それはさておき、一体どんな内容だったか。

乱暴に括れば、
「奴隷が口にのぼせる、主に対する賞賛や評価は、本心から発せられたものではない」
意訳すると、
「奴隷が誉めても、奴隷だから誉めるんであって、鵜呑みにするな」
ってことになるかな。

ううーん、これまた乱暴過ぎる気がするけど、詳細に言及すると、
その内容にまで口出しすることになりかねないので、語意だけを粗く掬ってみた。

いやもぅ、まったくごもっともなのだが、しかし、
それは私にとって、わかっているけど、あまり考えたくないことである。
と同時に、考えたくないけれど、考えてしまうことだったり。
つまり、非常にセンシティブな、人様にはあまり触れて欲しくないことなんだね。
もちろん、先の文言は私に向けられたものではないけれど、
目にしてしまった以上、やはり身につまされて、動揺を免れなかった。



S女なんてやってると、S女というだけで無闇に奉られたり、盲目的に称えられたりする。
けど、まさか、それを額面どおりに受け取ったりはしない。
それらは、M魚的社交辞令だったり、下心満々のアプローチだったりするワケで。

別にM魚に限らずとも、
程度の差はあれ、こと下心が介在する男女間では、珍しくもないことだろう。
まぁM魚に限っては、のべつ仰ぎ見ることでM的快楽に浸るというケースもあろうか。

もっとも、赤の他人からどんな賛辞を受けようと、その真偽をいちいち斟酌する謂れはない。
たとえ心にもないことを…と苦々しく思ったとしても、
アァサヨデスカと受け流すのがせいぜいで、それで相手に詰め寄ったりもしない。
こちらも、せめて慇懃に礼を返すくらいか。
これをして、コイツ、世辞をまともに受けやがったと誹られようが、嘲われようが、
仕方のないことだと思う。

他方、特別な関係にある奴隷に奉られたり、称えられたりするとき、
私はどう受け止めればよいのか。
少なくとも、どうでもいい他人をあしらうほどに、それは簡単なことではない。

果たして、彼らは本心からそうするのか。
あるいは、主の機嫌を伺うためにおもねっているだけなのか。
最悪、そうすることで、逆説的に私を見下しているのか。



結論から言えば、私にとっては、そのいずれでも構わないのだ。
というか、そこに疑心を抱いても意味がないので、そう結論しているといったほうが正確かな。
疑いだしたらキリがないし、問い詰めたところで、きっと真相は藪の中だ。

それに、私はむしろ、奴隷には「嘘でもいいから誉めとけ」と要求してるくらいだから、
既にこの時点で、およその結論は出てるワケで(笑。
…と、冗談めかして聞こえるかもしれないが、実のところ、割と本気だ。

私はお調子者なので、誉められる自体気分がいい。
それが世辞に過ぎなかったり、よしんば見え透いた嘘であったり、
それらを「ナニイッテンダカ…」といなしたとしても、気分がいいに変わりないのだ。
聞きたくもない本当のことを突きつけられるよりは、よほど精神衛生に適ってる。
だからこそ、無理くり主ヅラして担がれている部分は否めない…てか、正直あるな(笑



とはいえ、奴隷が口にのぼす賞賛の全てが嘘とは思わない。
真偽はいずれにせよ、やはり本心から言っていることのほうが多いと思う。
それが、客観的に「本当のこと」ではなくてもね。

アバタがエクボに見えることもあろうし、
アバタにしか見えないけれど、エクボと信じたい場合もあるだろう。
だって、自分が仰ぎ見る人のアバタを認めてしまえば、
その人にぬかづく自分の存在意義すら失いかねないものねぇ。

もちろん、どれ程心酔してても、アバタはやっぱりアバタだと認めざるを得ないときもある。
このとき、それはアバタだと指摘すべきか否か。

これはもう、個人の価値観や相手との関係性によるもので、
指摘するのが衷心か、指摘しないのが思い遣りかは捉え方次第だ。
アバタと知りつつ、エクボが素敵ですぅとおもねるのもアリだろう。
私の場合はさて、どっちかな。
おもねなくてもいいけど、せめて見てみぬフリして欲しいかも(笑

…とか、奴隷の賛辞ひとつにしても、様々に解釈できるわけだけど、
私としては、本心はどうあれ、お互いに益があればそれでいいじゃん?と改めて。

嘘でもなんでも、私をイイ気分にしとけば、必然自分に返ってくることだもの。
私にしても、藪の中の真相つついて憂うより、そっとしといて暢気にいるのが平和だわ。



その意味で、相手が私を表面上は称えつつ、内心蔑んでいても結構だ。
卑下する対象に更に卑下されることに萌えるマゾヒズムがあるのは知っているし、
実際関わったこともあるけれど、そこまで見通した上で関係しているワケで。
端から真偽だの本心だの問うべくもない、むしろシンプルな共存、あるいは結託なのね。

蛇足ながら、そんなM性もないのに、無理を通して蔑みに至るとすれば、
これはもぅ不幸というか、ビジョンが甘いとしか言いようがないと思うよ。
私みたいに、嘘でもいいから誉めて欲しい、能天気な女もいるからサ(笑


2005年02月23日(水) 「お気持ち」問題 【まとめ】

先に記したとおり、今回、私が発した「私の何に興味があるの?」という問いは、
たぶんそのとき、文句を言うのに飽きたか、奴の変わり映えしない話に飽きたかで、
いずれにせよ、平たく言えば「他に話すことはないのか?」という意味で投げたものだった。
殆ど嫌味だったと言ってもいい。

だから、奴が一瞬言葉に詰まるも、「…強いて言えば」と答え始めたときは、ギョッとした。
まさか、答えが返ってくるとは思わなかったのだ。
せいぜい、いつものように「申し訳ありません…」と頭を垂れて、黙り込むと踏んでいた。

驚いたものの、そうなれば、当然答えを待つ。
挙句、奴の口から出たのが、「お気持ちです」という言葉だった。
意外な返答に、こちらも一瞬息を飲み、そして、それはすぐに大きな溜息となった。
そんな成行きだっただけに、またトンチなことを…と呆れてしまったのだ。

そのせいで、私もしばし沈黙した後に、「感情のシステムってことかぇ?」と返した。
質問形になっているが、これは明白に嫌味である。
当然、まともな答えが返るはずもなく、更に畳み掛けるように言う。

「私の気持ち如何で、キミの処遇が変わってくるんだから、
 興味があるのは当然でしょうよ?」

遂に奴は言葉を失い、それで私も気が済んで、「私の存在ってことか」と丸めて終えた。



結局その後の話題は、元々の「他に話すことはないのか?」という文句に終始する。
帰路についてさえカライ言葉を吐き続け、項垂れる奴を残して車を降りた。

家に戻り、一息つくうちに気も治まって、急ぎメールを書く。


 > 帰りがけに話題した、私への興味について。
 > キミの言うところが、自分に係る利害とはまた別の次元で、
 > 私が機嫌よくいるか、健康でいるかが唯一の興味である、
 > という意味合いも含まれようことは、理解できます。
 > ありがたいことと思います。
 > にも関わらず、話の成行きで切って捨てたようになり、申し訳ありません。
 
 > もしかすると、それで充分なのかもしれません。
 > 家族や友人同士が、各々別の生活を営みながらも、
 > それでも、家族や友人であるがゆえに、気にかけるように。


「他に話すことはないのか?」という不満を離れてみれば、
そんなもんかなぁと思い至ったのだ。
まぁ、それにしたって、もちっと話すことくらいあるだろう?と苦笑したけれど。



この一連の記事は、奴の回答を待って掲げ始めた。
ゆえに、奴の回答は、この問いの真意を窺って書かれたものではない。
こう段取りしたのは、それこそ、奴の真意を知りたかったからだ。

改めて、私の真意を知るところとなった奴からは、
質問の意を履き違えたことを詫びるメールがきたが、別に奴は悪くない。
脈絡なく唐突に、抽象的な問いを投げた私のほうに非があろう。

例えば私が同様にこう問われたら、奴の言う「根源的な質問」と捉えたと思う。
しかして、やっぱり答えあぐねて、「キミの気持ちだよ」とでも言ったかな(笑。
日頃は瑣末なことをあれこれ文句つけているが、
奴と向き合う上で奴に向く興味は、奴そのものでしかない。
奴が初っ端思い浮かべた「全て」と言い換えてもいい。

もちろん、奴の言うように、尊重すべき個人領域は各々にあり、
そこにあからさまな興味を向ける必要はない。
具体的な何かを知らずとも、目に届く相手の様子に気を配っていれば十分だ。
それは、奴にしても、従来の人間関係の中では当たり前にやり果せていることと思う。

しかしながら、こと私に対するとき、
曰く「奴隷の領分」、すなわち「奴隷かくあるべし」の自分律に囚われて、
そうした当たり前のことが出来なくなってしまう。



確かに、奴への気持ちを示すにせよ、そうでないにせよ、
共にあれば、私の言動は奴の目に届き、それなりに意識もするだろう。
が、キミが見ているのは、決してモニタに映った現象ではないのだよ。
テレビの前で煎餅齧りながら、あー大変ねーとひとりごちてれば済むようなものじゃない。
生身の人間がそこにいる、それを切実にわかって欲しい。

もっとも、これは、ついこの間までロボットだった奴には易くないことと思う。
同様に、それまでずっと奴の制御室のモニタの中で指令を発してた女が、
3Dではなく、実体のあるヒトであると心底理解するには、まだまだ暇がかかろうし、
わかってもなお、ヒトになりたての奴が人間らしい心や振る舞いを会得するには、
更に時間がかかるはずだ。

そして、そうなる過程には、必ずや痛みが伴う。
せめて、奴がその辛さを予見して、受け入れようとしていることに希望を見るよ。
けれど、辛さというのは大抵、想像するよりもずっと厳しいものだ。
それは覚悟しておきたまえ、ふははは。

ときに、奴は、
「ご機嫌良くあるよう諸般を整える」のが自身の義務と目的だと述べているが、
それは、ヒトになってからの話だからね。
これも覚えておくように(笑



最後に、奇しくも「お気持ちです」で符合しあったM側の皆さまには、
イリコになりかわり、改めてお礼を申し上げたい。
なぜなら、奴は「Mの連帯」に抱く同志的感情に、殊のほか思い入れがあるのだ。
きっと、今回の符合も万感の思いで眺め、励みにしたことだろう。

その他の皆さまにも、本当にありがとうございました。


2005年02月22日(火) 「お気持ち」問題 【回答編】

 
というワケで、以下イリコの回答全文。



「お気持ちです」と申し上げた意味について申し上げます。

まずは、ご機嫌を損ねてしまっていたことについて、お詫び申し上げます。
確かに、当たり障りの無い話題に終始しておりました。
**様の存在を受け止めていない、そうお感じ頂いていることについて、
大変申し訳なく思っております。

ご案内を拝見したところ、あのご質問が意外に反響があるようです。
おそらくあまりにも根源的な質問なので、各人各様の所感を呼んでいることと思われます。
とりわけM側にとっては、かなりシリアスな質問ではないでしょうか。
少なくとも私にはそうでした。

四季さんも私の回答に困惑なさったとのことですが、まことにごもっともなことと感じます。
私も同様な状況でそのような回答が来たら、間違いなく解明を求めるでしょう。
四季さんの僕さんもまったく同じご回答をなさったとの事、実に驚きました。

さらに私はその時、「ご機嫌がよろしいこと」と答えようかと考え、
もう少しで口に出すところでした。
その点でも四季さんの僕さんとの共通点を感じます。

以前私は「我々M男性は」などという言辞を弄して**様のご不興を頂きましたが、
このようなことがあるとM男性の連帯を実感いたします。
しかしながら、その真意が同じものであるかは分かりません。
また、同じと考えることは危険なことでしょう。

Missyさんには評価を頂いたようですが、正直申し上げまして、
私がそこまで**様を受け止めているのか、自信がございません。
弱いところとは向き合えないとはっきりと申し上げてしまった以前ほどではないにしろ、
まだまだ不足していると感じております。


ここから本題でございます。

ご質問を頂いたとき、瞬時に思い浮かんだ答えは「全て」でした。
しかしながら次の瞬間、本当にそうだろうかと押しとどめるものがありました。
私が、誤れる「奴隷の領分」という観念を頑迷に持ち続けていることはご存知だと思います。
実は未だにそれから脱却できず、先の答えはその影響が多大にあります。

当然のことながら、**様には**様の生活がおありです。
そのような表の生活は考えなくとも、
SM界においても**様には**様の世界があると考えてしまっています。
そしてそれに私が口を差し挟むことは、領分を越えることと感じてしまっています。
**様のHPの内容などをあまり私がお伺いをしないのは、そのような理由からです。
もちろんこれは以前にも幾度もご指摘頂き、正すべきことであることは承知しております。
しかしいまだ直っておりません。
この点は、改めてお詫びをいたします。

自らに枠をはめている、しかもそれに安住してしまっている私には、
**様の全てに興味があると申し上げる資格がないと、まずはそう考えました。
実はここまではあっという間に到達した答えです。

では何に興味があるのか、これを表現するのに時間がかかりました。
さらに焦りました。
日常的にお付き合いしている相手に興味を持っている事柄がすぐに出てこないのですから。

次に思い浮かんだのが**様の「感情」「ご機嫌」でした。
**様が楽しくあることが私の喜びですし、
**様が機嫌良くおられることは私の最大の関心事です。

しかしこれにも迷いがありました。
**様の感情を忖度することに不遜なものを感じたのです。
また、ご機嫌良くあるよう諸般を整えることは私の義務でもあり、
どちらかというと目的に近いものを感じました。

では、何に興味があるかというと、
**様が私に示してくださるものではないかと思い至りました。
それを総称して「お気持ち」と申し上げました。

今から考えれば、「**様が私に示してくださるお気持ち」と申し上げれば、
困惑させることも無かったかもしれません。
言葉が足らなかったことを申し訳なく思います。

さて昨夜あまり眠れなくなったのは、
ここにお示しした情動が、あまりにも自己中心的なものではなかったかと考えたからです。
そこには、私から**様に対する働きかけが何もありません。
単に**様からの働きかけを待っているだけです。

今の現状を鑑みるに、
それが**様に著しいストレスを与えていることは間違いの無いところです。
そうであることを認めるのは私にとってかなり辛いことですが、
今はきちんとそれに向き合わなくてはならないと考えています。

お気持ちの意味については、以上でございました。


2005年02月21日(月) 「お気持ち」問題 【前説】

「お気持ち」問題とはなんぞや?については、こちらをご覧頂くことにして、
早速、この質疑に至った状況の説明に入る。



話は少し遡るが、今年の初っ端、イリコと洒落にならない一悶着があった。
私たちの間柄では、喧嘩にすらならず、各々が苦い思いを飲み込んだような成行きだ。
もっとも、どっちがより苦汁を舐めたかと言えば、明白に私のほうで、
これには奴も異論はないと思う。

そんな目に遭えば、当然奴への怒り心頭だったが、どうにか抑えるべく腐心した。
なぜなら、ひとたび私が怒りを露わにしてしまえば、
それでなくともダメージを負っている奴に、更に追い討ちをかけることになり、
様々な思わしくない影響が出るのは必至で、結果私に跳ね返ってくるからだ。
ことに、その一週間後には、彼を交えた社交の場が控えており、
なんとしても穏便に済ませなければならなかった。

その後、奴には「私は怒っているんだよ」ということは伝えたが、
無理やり抑え込んだにせよ、一週間も経てばほとぼりも冷め、
結局、そう言葉にしただけで終わってしまった。
とはいえ、一度たぎる程に煮えた腹が、あっさり元通りになるはずもない。

つまりは、以来、その日まで、私の機嫌は傾いたままだった。
本当は私だって機嫌よくいたいのだが、簡単に快復させてくれないのだ、奴が(笑
ちょっと上向きかけると、狙いすましたようにヘタを打ち、再び機嫌の角度を下げてくれる。

いきおい、口を開けば、文句ばかりとなり、
文句以外は話す気にもならず、黙り込むことが多くなった。

そうなると、奴は、過去の轍を踏むまじと懸命に話題をとるのだが、
こちらが不機嫌なせいで、ちっとも面白くない。
まぁ、大体、普段から面白いことを話す人間ではないが、それが度重なると、
毎度毎度天気の話ばっかりだなぁとか、他に話すことはないのか?とか、
細かいところまで見えてきて、いよいよ気持ちが捻じてしまう。



確かに、何度顔を合わせても、天気の話しかしない人はいる。
話の糸口になる共通項がなければ当然だし、
おおよその人とは、その程度で付き合いが続く、その程度の付き合いなのだ。

けれど、この男と私は、ただの顔見知りではない。
仕事も趣味も生活も異にしてるけど、共通の話題はいくらだってあるはずなのに、
なにゆえ天気の話ばかりするんだろう?
初対面の間柄だって、長々同席するのなら、天気の話ばかりじゃ飽きられるし、
だいいち、そんなに気が利かなくては、失礼じゃないの。

自分の身に置き換えて考えたとき、
気の置けない人はもちろん、どうでもいい人でさえ、
何かしら話のタネを見つけて、互いの居心地がよくなるように努力する。
事前に相手の情報を得ているなら、そこに話題をとって、心証をよくしたいとも思う。
自分がホステスの位置ならば尚更、それは立派にもてなしだろうと思うのだ。

もっとも、その相手が、黙りこくってるのが一番心地いいというのなら、話は別だ。
それこそ、お天気の話くらいでお茶を濁しておくかな。

ただ、私は黙りこくるのは苦手だし、天気の話に相槌打ってれば心地いい人間でもない。
いかな奴だって、4年も付き合えば、それくらいわかっていようものを。

確かに、普段は私のほうから話題を取ることが多いので、奴がそこに気を払う必要はない。
が、いざ私が口をつぐんでみれば、阿呆のように同じ話ばかり。
奴にすれば、それで充分気を払っているつもりなのかもしれないが、
私にすれば、気の効かないヤツと苦々しくも思うわけで。



以前の記事で、こんなことを書いた。
一昨年の春、「話すことはないの?」「そうですね」の問答から、苦悩した折の記述だ。

---

 話すことがないなんて、話題を取ろうと思ったら、材料は幾らでもあるじゃない?
 例えばここに掲げる記事だって、ここ暫くはキミのことばかりじゃない?
 細々やってるHPだけど、最近は色々手を入れてるじゃない?
 週末に予定してるイベントには興味がないの?
 温泉に行こうとも言ったでしょう?
 他にも色々あるじゃない・・・。
 
 もっとも、私が良かれと思うあれこれに、奴が必ず興味を抱くはずもないとは思う。
 奴隷という立場では、興味があろうがなかろうが、自動的に従うだけなのかもしれないし、
 そうするのが正しいと思っているのかもしれない。
 とすれば、私の思いや言動は、ただのおためごかしに成り果てて、空回りしてるのかしら。

 いや、本当はわかってるのよ。
 キミのためになんて唱えること自体、自己満足に過ぎないってのは。だから。
 おためごかしの全てに付き合えなんて思わない。そこまで、私は能天気じゃない。

 でもね、偶にはママが用意した玩具で遊んで見せてよと思う。気に入らない玩具でもね。
 けれど、これってやっぱ、ママの我侭なのかなぁ。


---

今回、「キミは私の何に興味があるの?」と訊いた真意は、このときと殆ど同じだ。
結局、その真意をよそに、図らずも別の意味で唸る回答を得たけれども。


2005年02月20日(日) なにゆえ複数派か?

複数派を明言すると、往々、
「どうしてひとりの相手じゃダメなんですか?」と訊かれてしまう。
私からすれば、「どうしてひとりじゃないとダメなんですか?」と訊き返したいところだが、
流石にそうもいかないので、どうにか答えてはみる。

ノンケの関係について、そう質された頃には、
「セックスって食事みたいなものだから、色んな人と楽しみたいのよ」
なんて誤魔化していた。
まぁそれくらいあっさりと色んな男と寝たし、
それで口に合わなければ、二度と喰わなければいいだけの話だった。
セックス−フレンドって、便利な言葉もあるしね(笑。

「恋愛についてもですか?」
そう突っ込まれることも少なからずあったが、生憎私はそこまで器用な人間じゃない。
二股かけるのは、倫理よりも先に心情的に無理がある。

「いや、恋愛はホラ、宗教みたいなもんですから…」
胡散臭い文言で、質問者を煙に巻いた。
もっとマシな説明も出来なくはないが、第三者にそこまでする必要もあるまい。
そんなの、当事者同士が了解すればいいことだ。



むろん、当事者に、あるいは当事者になる前提で、そう訊かれれれば、
このときばかりは、自分なりに誠実に答えるしかない。
たとえ、答えそのものが不実なものであるにしても(笑。

それは、複数を相手に持つ際の、避けて通れない段取りのようなものだ。
このとき、相手は不審や不安を抱いたり、私との関係を納得したがったりしてるワケで、
それをうやむやにしてしまっては、良好な関係を築けようはずもなく、
結果自分が楽しめなくなる。

もちろん、どれ程言葉を尽くそうと、相手の懸念の一切が払われることはないだろう。
それでも、逐一の労を惜しんでは、複数を相手になんか出来やしない。
よほどのカリスマがあれば、話は別だけど。

もっとも、私に限って言えば、この作業に悩まされたことはあまりない。
いや、私にカリスマがあるってんじゃなくて(笑。
元々、独占欲の強い男とか悋気の過ぎる男を好まないので、
端から相手に選ぶはずもなく、自ずと面倒を避けてるだけのこと。

それに、男の場合、自分の位置に納得すれば、結構それで済んでしまう。
たぶん、これは、オスが本能的に持つ序列意識に由来すると推察しているのだが、
その点、複数の女を相手にするのは、よほど難儀だろうと想像する。

女の場合、自分の他に女がいることは認めても、
その中でも自分は特別と思いたがるのではないかと思うのだ。
ゆえに、序列としての相対位置を説明しても、恐らく意味がない。
実際、上手に女をあしらう男は、どの女にも「キミは特別なんだ」と言い含める。
もしかしたら、本心からそうなのかもしれないが、いずれにせよ、ご苦労なことだ。

そうまでして、女たちを取り回す男の心境は、
女の身で、しかも完全へテロの私にはわかりようもないけれど、
私がたとえ遊び事でも女を相手にしないのは、そういう面倒を厭うからでもある。



さて、ここでようやく、SM関係において、
「どうしてひとりの相手じゃダメなんですか?」について。

実のところ、SM関係という前提を得て、この質問に答えるのは格段に容易になった。
いわゆるSM的倫理観に助けられる部分もあるし、セックスという行為が孕む貞操観念も、
プレイと称されるSM行為においては、さほど問われない。
単純なセックスと違って、多様なSM行為は多様な相手を選ぶんだという、
ありがたい共通意識もある。

もっとも、私としては、ノンケの関係であろうが、SMの関係であろうが、
先の記事に書いたとおり、まるで同一の感覚なので、
これが受容される環境が、SM関係という前提の中にはあったってだけなんだけれど(笑。

そんなワケで、
「私の相手をひとりでまかなえるんなら、それでもいいんですけど…」
なんて、無茶な御託を並べては、ひとり悦に入っている。
事実、これは、プレイだけの関係にしても、
心的な関係性を伴うDS関係にしても使える理由なので、便利だ。
SM関係の特殊性を、切実にありがたく思う。



ちなみに、私の場合、プレイだけの関係の相手は「プレイパートナー」と呼び、
DS関係の相手は「奴隷」と呼ぶ。
いずれが複数、または合わせて複数、どれもありだ。
複数持つ理由、あるいは動機は、上に同じ。

ときに、両者の違いを訊かれることがある。
自分の相対位置を確認したい当事者なら、当然知りたいことだろうし、
第三者的な興味を抱かれても、答えるにやぶさかでない。

大抵は、
「プレイパートナーはセックスフレンドみたいな、奴隷は伴侶のようなもんです」
と説明するのだが、たまに「伴侶」を「恋人」と読み違える人がいて困る(笑。

私にとって、相手との関係性と、
その相手と恋愛するかどうかってのは、まったく次元が違うのだ。
恋して始まる関係ならいざしらず、恋愛を期した関係なんてあるのか?とさえ思う。
関係性ありきの場合、恋愛するかどうかは不可測で、いずれとも可能性はあるワケだ。
実際、プレイパートナーと、あるいは奴隷と恋に落ちたことはあるものねぇ。

ゆえに、「プレイパートナーって即物的で味気ないような…」
などと感想だか疑問だか賜ることもあるけど、実感としてはそうじゃない。
そう思われるのは勝手だが、味気ない食事をするために、わざわざ相手を探したりするものか。

誰でもいいから複数派なんじゃなくて、
得難い相手ゆえに得た以上、手放したくないから複数派なんだよ、ワトソン君。


2005年02月06日(日) 複数派

先のカネの問題も含め、男関係に係る私の感覚は、およそテレクラ遊びで培われたものだ。
いわゆる倫理観についても、処女捨てるためにテレクラ始めたくらいだから、
端から貞操なんてのはなかったけれど、それ以外の感覚も相応に不埒なものに成り果てた。

カラダだけの関係ならば、性病のことさえ注意すれば、
お互いに何人相手を持とうが構わないと思うし、複数プレイもOKだ。
(ただし、女性が複数いるのは苦手。これは生理的な感覚から、笑)

ココロまで伴う関係を得た場合、
流石に入れ込んでいる一時は、倫理はさておき心情から、その人専一になってしまうが、
やがて関係が落ち着けば、他にカラダだけの関係を持ってもいいじゃん?と思う。

もっとも、甚だ勝手ながら、相手がそうするのは、当然のこと面白くない。
幸い、そうした憂き目にあったことはないが、
もしそうなったら、面白くないどころでは済まないと思うけど。

こうした自分の感覚は、世間の目からみれば、やっぱり外道だと承知している。
カネの感覚同様、人様には顰蹙を買おうし、誹りを免れようもないだろう。
とはいえ、自分としては、殆ど罪悪感のようなものを覚えたことがないので、
変えようと思ったこともなければ、これまた今更変えられようはずもない。



これがSMの関係になっても、感覚としては全く同じだ。

SMに親しむようになって、
Sだから複数を相手してもいいとか、Mなのに複数の相手を持つのはけしからんとか、
いわばSM的倫理観のようなものを再々耳にするが、
こと私にあっては、「Sだから複数派」というワケではないんだね。
なので、よしんば私がMであっても、相手を唯一のSに限ることに抵抗を覚えるかもしれない。

もちろん、SM的倫理観を否定するものではないが、自分の感覚に照らせば、
「SだのMだの以前に、元から持ってる倫理観に従えばいいんじゃないの?」
と思ってしまうのは、乱暴だろうか。
関係する各々が納得すれば、SだからMだからと言い訳しなくても、それで済む話でね。

中には、まさに複数の相手を持つ言い訳として、S側を標榜する人もいるらしいけど、
それで相手が納得するなら、SMだろうが単なる浮気性だろうが、
他人がとやかく言う問題じゃなかろうと思う。

…と、話が逸れた。



そんなワケで、SM関係においても、私はきっぱり複数派である。
…いや、現状はともかく、スタンスというか希望として(笑

ゆえに、関係を交渉する上で、
私がまず確認するのは、そのスタンスを相手が受容できるかどうかだ。
どういう関係を目指すにせよ、一対一を望むM魚とは、必然ご縁がないわけで。

もっとも、そうでない場合でも、
M魚によって受け止め方が違うので、慎重に擦りあわせをする必要がある。
プレイだけの関係であろうが、相手も人の子、やはり気を使わざるを得ない。

例えば、先のSM的倫理に囚われて、ただ教条的に、
「Mだから、S側が自分以外に相手をもっても仕方ない」と思っているなら、
私とは関わらないほうが賢明だろう。
そのお題目の裏に圧し留めたはずの本心は、関係が進めば進むほど、彼を苦しめる。

もちろん、その苦しみすら、M的愉悦に転化できる程のM性が備わっているなら、話は別だ。
むしろ、私としては、それくらいコアなM魚であれば、歓迎なんだけど、
経験則として、そうである率はさほど高くない。
恋愛SMが台頭し、「愛されたい」M魚が増えてきた昨今では、なおさらだ。

まぁ、そもそも「愛されたい」なら、複数派を明言する相手と関わろうとか、
ましてや、プレイだけの関係など望まなければいいと思うのだけど、
性欲が先走っての向こう見ずだか、「M、かくあるべし」と思い込んでだか、
意外にこの手のM魚は多いように思う。

ドMな文言に釣られて(私が、笑)交渉を始めてみるものの、
結局彼自身が気付いてない錯誤を解いてやって終わりってなケースもあって、
つくづくM魚は面倒な生き物だと思うよ(笑。



かたや、こちらが複数派と見込んで、関わりたがるM魚もいる。
「最下層奴隷にして下さい」とか「彼氏や旦那さまとの営みの後始末をさせて下さい」とか。
こうした願望を抱くM魚は、
先の「愛されたい」M魚の対極にあるワケだが、これはこれで面倒くさい(笑。

すなわち、彼らの主目的は、私を媒介として、自分の相対位置に欲情することだ。
このとき、私は、彼らが欲情するための装置に成り果ててしまう。
もちろん、それだけじゃないと異論もあるだろうが、少なくとも、
表面上はどうあれ、望んで嫉妬されたって、こちらとしては面白くないじゃないの(笑。

確かに、M魚に限らず、複数の男と関わる以上、
各々が自分以外の男に抱く嫉妬や感情には少なからず期待もするし、
ときには利用もするけど、それらが止むに止まれぬ心情であるからこそ、楽しいワケで。

望むらくは、その嫉妬も程々なら一層扱いやすいのだけど、あまり欲かいちゃいけないわ(笑



余談ながら、全く嫉妬しないM魚もいるようで。
扱いやすいはこの上ないが、そのぶん、ちっとも面白くないw


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