ぶつぶつ日記
DiaryINDEXpastwill


2005年09月28日(水) no border

日清カップヌードルの一連のCMを作っている人たちは、
すごい勇気のある人たちで、
そして、それを作らせている日清と言う会社も、
すごい会社だなと思う。

http://www.nissinfoods.co.jp/product/cm/
以前から、この一連のコマーシャルには注目していた。
今回、出演しているのは、イランに住むアフガン難民の子供たち。
異国の地で、不自由な難民生活をしている子供たちだが、
向ける笑顔は屈託がない。

アフリカの少年兵を思わせる黒人の少年のCMも印象深かった。
彼のように、銃を置き、女の子とカップラーメンを食べることが、
この世にありえないほどの贅沢である少年兵は、世の中に一体何人いるだろう?

一番最初に作られたCMでは、borderは一気に消えた。
でも、作っている人たちは、現実を見て、色々考えたんだと思う。
http://www.nissinfoods.co.jp/product/cm/show_cm.html?cm_type=B&cm_id=106
で消えるborderは、たったの2個だけ・・・・。
日清のサイトに書かれていたことばが、とても胸にしみる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今回のCMは、前二作のように何千人で1本のBORDERを一気に消してしまう、というストーリーではありません。むしろ、いたるところに引かれてしまったBORDERを人々は仕方ないものと受け止めていて、CMの最後に消えるBORDERもたったの『カップ2個分』だけです。「世界に広がる怒りや悲しみを消し去るのは決して簡単ではない。でも、まずは足元のBORDERを消すことから始めよう。」という思いを込め、『希望篇』と名付けました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そう、まず足元にあるborderから消していこう。
いつか、全てのborderが消える日まで。


2005年09月27日(火) 大人になれない・・・・

冷静に話すって本当に難しい。
相手は、わからないのだから、
噛んで含んだように説明しないとならないのはわかっているが、
それも毎回だし、もともと短気だし、
付き合いも長いし、ついついいらいらしてしまう。

どういえばいいんでしょうね?
どう言えば、出来るようになるんでしょうか。

って、でもなあ、子育ての話じゃないからなあ。
相手は大人だし。

叱っちゃだめ!ってのもわかっているけど、
気がつくと叱ってます・・・。

良いのか、それで。
お互いに、それで良いのか???
全く持ってよくないと思うんですけどねえ・・・。
そんなことを思ってるのも、自分だけなんだろうか・・・・。



2005年09月23日(金) 少女ヘジャル

みたいと思っていたトルコ映画「少女ヘジャル」を観た。
国なき民族クルド人、その立場は現在住居しているどの国でも
大変悪く、迫害されていると言っても過言ではない。
トルコでも、クルド語使用禁止だけでなく、さまざまな弾圧かにあり、
その結果過激な分離主義者(オジャラン氏はどうしてるんだろう?)の
テロ活動が活発になって、
状況は厳しいものがあった(ある、かも)。

そんな中で作られたこの映画は、
クルド人に対するトルコ政府の政策緩和に
一石を投げたと言われている。
実際、トルコ国内で上映するまでに、
実に5ヶ月もかかっており、
監督本人も訴えられたそうだ。

ヨーロッパとも見まごうほどの高級住宅街、
そこに住む若い弁護士女性の家に、
貧しい身なりの老人が、幼い女の子を預けに来ることから
物語は始まる。
弁護士の家には、なにやら眼光鋭い男女がいて、
子供を預かるような雰囲気ではないが、
そこはそれ、何だかんだ言ってまだ古きよき人間関係が残っている国、
子供を置いて、老人は去る。
弁護士の家の前には、元判事の老人ルファトが1人で住んでいる。
息子は海外に行っている様で、そろそろ老人ホームに・・・
と言っては、通いの家政婦に止められたりしている。

実は、向かいの弁護士の家は、クルド人過激分離主義者の根城で、
子供が来たその晩、警察が突入。
有無を言わさず、大人は全員射殺。
子供だけが助かり、偶然ルファト宅に迷い込む。

あとは、想像の範囲内で、ルファト老人と子供の
心のふれあいストーリーなのだが、
実は、ルファトの家の家政婦がクルド人で、それを長年隠していたり、
ルファトと階下のおしゃれな老婦人の老いらくの恋なども絡み、
政治的な問題と、現代の高年齢化の問題などが、
うまく絡み合って物語りは進んでいく。

両親と兄弟をテロリスト一掃で殺されているらしいヘジャルの、
感情の波の表現がとてもリアルで、何度も泣かされた。
また、ヘジャルを預かるルファトのおたおたぶりの愛らしいこと!
また、ヘジャルの親類が身を寄せたスラムと、
舞台となる高級住宅街の差が、現代のトルコの内政問題を、
かし痛烈に批判している。
そして実際、日々の悲惨なニュースを見ていたルファトが口にするのは、
「自分たちがこの国をこんなにしてしまった。」という自戒の念。
生きている現代トルコ史といえる75歳の年齢、
先人の責任というものを考えさせられるシーンであった。

最後の結末が、私の中では予想外だったが、
これまたなんとも、趣のある結末だった。
1人の子供の将来を案じる、何もかも異なる二人の老人。
彼らに共通しているのは、「この子を、幸せに・・・。」
という思いだけ。
だからこそ、彼らはヘジャルの意思を尊重し、
彼女の好きなようにさせるのだ。

世界にはヘジャルのような、そしてもっと悲惨な子供が
たくさんいるんだよなあ。
彼ら全てが、幸せになることなんてないだろうけど、
でも、やはり、願わずにはいられない。


2005年09月22日(木) 再ヘジャブ考

日本に仕事で来ているのは知っていたが、
忙しくてまだ会っていなかった友人に、
偶然彼女が現在働いている大学の前のコンビニで会った。
ヘジャブをかぶり、アラブ服(ロングコートのようなワンピースのような服)を着た人が目に入ったので、
さすが「TG大、アラブ人ね・・・。」と思っていたら、友人だった!
「レーケダ(なんで、そうなの?)」と思わず第一声。
だって、私が知っている彼女は、ごく普通の西洋服を着て、
ヘジャブをかぶっていない女性だったから。
話を聞くと、3年前からヘジャブ+アラブ服だそうだ。

フェミニストには理解しがたいものだろうが、
アラブ人女性やムスリマ(イスラム教徒女性)には、
根強い「ヘジャブ信仰」がある。
彼女たちの中には、ヘジャブをかぶる=女性としての完成形、
のように思っている人も多くて、
「いつかはヘジャブをかぶると思う(かぶりたい)。」
「でも、まだ早いから(人間的に未熟)。」
ということを、数人から実際に聞いたことがある。
上記の彼女は完全なインテリ女性、
独身時代、日本に留学し博士号を取っている。
だから、日本でヘジャブ+アラブ服を着たら、
どれだけ目立つか、そしてこのご時勢、
危険も伴う可能性があることを、
十分理解している。
でも、あえて、自分の意思でそれを貫いている。
実際に、私が茶化して、
「学生はアラビア語を勉強しているって気分になるね!(先生の服装をみて)。」と言ったら、
「学生のためじゃないよ、自分のためだよ。」と言っていた。


3年前、彼女に何があったんだろう。
状況を考えて、それが何であったか想像ができるが、
個人が特定できてしまうのでここには書かない。
問題が片付いた時、彼女の中でたぶんごく自然に、
「その時」が来たのだろう。
私は、こういう気持ちは、尊重すべきだし、
そうして身に着けているヘジャブを「女性の権利侵害」とは思えない。
女性の権利を侵害しているヘジャブは確かに存在する。
しかし、全てがそうだとくくれないのだ。
そして、ヘジャブのように目に見えるものだけが、
女性の権利を侵害するものではないと思う。

本当に恐ろしいのは、目に見えないものなのだ。


2005年09月18日(日) 一生、後悔していくこと

友達の日記を見ていたら、その人の親しい友人が闘病生活の甲斐なく、
まだ若いのにお亡くなりになったことを知った。

人生、いろんな馬鹿なことをしてきているけれど、
後悔していることは、実はほとんどない。
でも、ひとつだけ悔やんでも悔やみきれないことがあって、
そしてそれは、一生引きずっていかなければならない事でもある。

20歳の時、高校の時代の友達だったよしえちゃんが、
1年間の闘病の甲斐なく、白血病で死んだ。
お見舞いに行くたびに。
時には、無菌室で透明なカーテン越しに。
時には、抜けた髪を隠すために、毛糸の帽子をかぶって。
まるで、漫画か小説かドラマか映画のように、
典型的な白血病患者の闘病生活だった。
血液の病気なの・・・と聞いていた私たちには、
残酷なまでに病名がわかってしまうような・・・。
当然、本人にもわかっていただろう。
当時はまだ、インフォームド・コンセプトなんて言葉はなく、
最後まで、よしえちゃんに病名は伝わっていなかったように思う。

ようやく生まれた一人娘さんだったのに。
「私が死んだら、日記は見ないでね。」とお母さんに言って、
よしえちゃんは死んでしまった。
それを聞いた時、私は別の友達の家に泊まりに行っていて・・・。
結局、よしえちゃんの死に顔を見に行かなかった。
1人の友達がいなくなってしまったこと。
それに直面できる勇気がなかったんだと思う。
その夜はそのまま、友達の家に泊まり、
よしえちゃんが死んでしまったことを、直視しなかった。

私の後悔。
それは、よしえちゃんの死に顔を見に行かなかったこと。
どうしてよしえちゃんと、
ちゃんとさよならしなかったんだろうってこと。


お通夜から帰ってきて、泣きながら晩御飯を食べた。
残されたものに出来ること。
それはきちんとご飯を食べて、生きていくことだけだ。
命を粗末にしない。
簡単で、でも、とても難しいこの時代に。


2005年09月16日(金) おんなじ様なことを・・・

毎日新聞では、選挙前・選挙後と、
著名人からの「小泉さんに一言!」を特集していた。
選挙後に読んだとある女性識者の意見を読んで、
「同じようなことを考えている人がいるわー。」と思った。

つまりは、
「言うことは、ありません。」
なぜなら、自分は彼を選んじゃいないから。
でも、多勢に無勢で選ばれたんだからしょうがない。
黙って従いますよ、とりあえず。
って感じの内容でした。

増税の話がもう出てますね。
わかりましたよ、それも従わなくっちゃいけないんでしょう。
増税するだろうって思ったのも、
与党に入れなかった理由のひとつでありますが。
でも、多勢に無勢の方々は、そういうことも予想して
納得した上での投票でしょうし。
小泉さんに投票してない人間がとやかく言うことじゃないですよね?

それにしてもなー、ポーズでもいいんだけど、
少しは自分たち内部の改革もやるふりしてみろって。
議員年金もがっぽりもらい続けるんでしょうね〜。
とりあえず、郵便局一辺倒だった親も、
今回のことで別の選択肢を考慮しはじめました。


2005年09月14日(水) 新しいブログのお知らせ

「日本語教育やってます」
http://yaplog.jp/nihongosuki

ずっとHPでお休みしている日本語教師のコーナー、
地味にブログで再開です。
こちらもよろしくお願いします。


2005年09月12日(月) その先のこと

はい、どう考えても与党に投票するキャラじゃありませんね、自分。
かといって、支持政党があるわけじゃないけど。
今回は完敗なわけです、それは認めましょう。

はっきりいって、郵政のことってよくわかりません。
でも、そのほかに、先に手を出すべきことがあるように思えるし、
何よりも、私は現政権の、郵政のその先、が、
とても恐ろしく思えるのです。

指導力がある、ということと、
ワンマン(もしくは独裁)であるということは、
似て非なるものです。
石原氏や小泉氏の場合、とても指導力があるとはいえないでしょう。
いい意味でも悪い意味でもワンマン、独裁的なんです。
まあ、ブッシュ君もそうだから、
今の指導者はそれが支流なのかな。

というのは、おいておいて。
次は憲法?
9条がなくなるんでしょうか。
それは勘弁して欲しい。

私の大好きな白洲次郎氏は、戦後マッカーサーのむこうを張って、
日本の憲法を日本人の手で作ろうと奮闘した人です。
しかし、そこで煮え湯を飲まされた氏は、こうも言っています。
「押し付けられたものだろうが、良いものは良いと認めるべきだ。」
氏は、戦争放棄、そして女性の権利に関して、
押し付けられたと思っていても、
価値を認められる人だったのでしょう。

押し付けられたから、変えなくてはいけないのですか?
それでも、残すべきものはあるのではないですか?
郵政のその先に、何が待っているのでしょうか?


2005年09月08日(木) 台風とハリケーン、アメリカとキューバ

「歴史に残る」と言われていた台風14号、
死者や行方不明者を出し、被害も甚大である。
しかし、亡くなった人の数で見ると、
今の所18人、最終的に見ても、30人を上回ることはないだろう。
けが人も、数十人単位ですんでいる。

この台風14号、アメリカを襲ったカテリーナと比べてみると、
14号の方が大きかったと言うことをご存知だろうか?
しかし、被害を比べると、とてもそうとは思えない。
一体どんなハリケーンがアメリカを襲ったんだ?と思える。
日本、特に南の方の人たちは台風に慣れているから、
ある程度被害を食い止められたけど、
アメリカはそうじゃなかったから、被害が大きくなったか?
と言うと、これまたそんなことはない。
ニューオリンズやミシシッピーのあたりは、
日本で言うところの台風銀座であるらしい。
実際、インタビューされた住民の中には、
「ハリケーンには慣れていたのに・・・。」と答えている人もいた。

現在、避難場所にされているアストロドームでは、
細菌による感染症が発生し、死亡者も出ている。
救援活動は遅々として進まず、
ルイジアナ州ニューオーリンズのネーギン市長は、
汚染された水が健康被害をもたらす恐れがあるとして、
まだ避難していない市民約1万人を
「強制的に」退去させることを許可したそうだ。
警察は呼び掛けに応じない市民を対象に
「最終的手段」として強制退去させる方針を示したと言う。

ここで問題になるのは、強制退去させたあと、
彼らをどうするのか?と言うことだ。
行く場所がないから、彼らは残っている。
一時的に避難する場所を、政府は用意しない。
それが、「小さな政府」の方策だからだ。
国民が自分たちで出来ることは、政府は手を貸さない。
今回のハリケーンの前に、
資金や手立てや頼る先がある人々は、脱出していた。
町に残っていたのは、そういった手立てのない人がほとんどだった。
「大きい政府」式である日本は、こういった手立てを用意する。
色々問題はあるが、それが仮設住宅と言われるものである。

また、こういった問題が出るとき、
皮肉にもキューバがアメリカの引き合いに出される。
ご存知の通り、キューバはアメリカから長い間経済制裁をされており、
世界でも最下層に位置する国であるが、
実は、アメリカとキューバの乳幼児死亡率は14%前後で、
ほとんど同じだそうである。
「大国」アメリカと、「最貧国」キューバの、
乳幼児死亡率が同じなんて!
それを知った時、かなりびっくりした。

そして、今回のハリケーン、
昨年、キューバは、ハリケーン・デニスという大型ハリケーンに襲われた。
その時、60万人の貧しい人びとを
ひとり残らず避難させるという力量を発揮したそうだ。

キューバに出来ることが、なぜかアメリカでは出来ない。
それは金銭的な問題では、全くない。
金はあるだろう、そりゃあ。
それが、政策の失策なのか、人種差別なのか、階級性社会の問題なのか、
なんなのかは、わからない。

ひとつだけいえる事は、
アメリカは自由の国であり、
病める時も健やかなる時も、
貧しき時も富める時も、
全ては、個人の責任範囲内であり、
手立てがあろうがなかろうが、
自分で「何とかしなくてはいけない」ことが
とても多いと言うことだ。
それが、災害であっても。
そういう意味では、略奪という手段も、
貧しき者のひとつの方策なんだろう。

「自分だって、娘がどこにいるかもわからないのに!」と、
進まない救助活動に疲れ、張り詰めた瞳をした警察官の叫びは、
誰に届くんだろう?


2005年09月02日(金) ちょっと解せない

最近、生活保護の話になり・・・。
さすが下町、生活保護を受けている、
しかもかなりアヤシイ人がちらほらいるんです。
生活保護って、結構な金額が出るんですね!
その上、家賃も払ってくれるし、電話代もただ。
持ち家がある場合、その修理代まで出してくれるそうです。

うちの目の前のおばさんは、それで借金返して、
今じゃ娘や孫にせっせとお小遣いをあげまくり。
近所の生活保護の人が多いアパートでは、
その人たちが公園で周囲の迷惑を省みず朝っぱらから酒盛り。

そうかと思うと、母子手当てって、
完全に働いていても4万程度しかでず、
働いている場合は2万円程度。
それも5年で打ち切りだそうです。

弱者に優しいのはかまわないですが、
なんかちょっと、その配分が解せません・・・。
まじめに生きていない生活保護者の人への支給を
見直したりしないんでしょうか。
まじめに子供を育てようとしているお母さんの方が、
そういう人よりも大変じゃないんですか?

よく見ようよ、って思っちゃうんですよね。
まじめに年金払い続けて、それで微々たる年金で
慎ましやかに生活している人の目の前で、
生活保護を自慢して、派手にお金を使っている人を見ると、
まじめに生きる必要ってないんだ?って
皮肉に思ったりしちゃうんですよね。


colacaco |HomePage

My追加