ぶつぶつ日記
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2005年06月30日(木) 一勝九敗

9月までのスケジュール表を、見るのも嫌になってきた。
さすがに、仕事4つして、大学院行って・・・って、
自分でも欲張りすぎ。
でも、稼げるものならどんどん稼ぎたい。
人間は空気のみで生きているわけじゃないというのが持論なので。

そんな中、よせばいいのに、変な企画を自分で立てた。
まだ、全然手をつけてないから、
本当にできるかどうかわからない。
でも、一人で心に温めているだけじゃ、
いつの間にか企画倒れになりそうなので、
最近仕事で知り合って、ずいぶん仲良くなった人に、
メールで報告。

その人からのメールに、

一勝九敗

という言葉があった。
失敗を恐れてはいけない。
新しいことをはじめて、成功するものなんて、
10のうち、1つくらいという意味だ。
でも、とにかくやってみないことには、
その1つも成功はしない。

とにかく、やってみようと思う。
お金にならないし、時間もとられることだけど。
夏休みには、何とかスタートさせたい。


2005年06月25日(土) ご近所

幼馴染のお母さんの体調がおかしくなったのは、
4,5年前のこと。
最初は、うつ病ということだった。
でも、病状はぜんぜんよくならず、
途中からは、近所で「本当にうつだけなのかな???」と
言われるようになってきた。
その症状が、いわゆるアルツハイマーに似ていたので。
でも、どんなに近所付き合いが良好でも、
こういうことって、なかなか他人が家族に言えることじゃない。

定年退職をして、おばさんの面倒を見るようになったおじさんが、
「お父さん、何か悪いことしたのかなあ・・・。
だから、お母さん、あんなになっちゃったんだろうか・・・。」
と言ったという話を聞いた時、誰もが泣いてしまった。
ぜんぜん、そんなことはなかったからだ。
いいだんなさん、良いお父さんだった。
何かの罰で、奥さんが病気になっただなんて、誰も思わない。
でも、病気は突然家族を襲い、家族は無気力感に襲われる。
家族だけでなく、周囲の者も。
もっと、話しかければよかったかな、とか、
気にしてあげれば進まなかったのかな、とか・・・。

つい最近、さすがにこれはおかしい・・・と気がついたおじさんが、
おばさんを検査に連れて行った。
やはり、単なるうつではなく、脳がかなり萎縮し始めているという。
まだ、60代半ばなのに、
おばさんの姿は、うちの隣に住んでいる80歳のおばあちゃんよりも、
年を取って見える・・・・。

ゆっくり歩いているおばさんに、おはよう!と声をかける。
他人だけれど、まるで姉妹のように、
母は頼まれて病院に付き添っていった。
近所の誰もが、これ以上病状を進行させない様に、
自分にできることをさがしている。
時折、その姿が切なくて涙を流す。
なぜなら、自分の将来にその姿がかぶるから。
でも、次に会う時には笑顔で声をかける。
ずっと、同じ町に暮らしてきたから。
いい時も、悪いときも。
いやなことも、良い事もあった。
悪口をいうことだって、もちろんある。
でも、困った時はお互い様。
みんな、一生懸命、生きているから。

ご近所というのは、やはり粋なものだと思う。
そして、何よりも、暖かい。






2005年06月24日(金) 大久保彦左衛門

ある日、風呂上りにまったりしていると、母がいきなり言った。
「お父さんなんだけど、会社がオオクボヒコザエモンのように
健康な限りいてもらうようにって。だから、来年以降も働けるんだって。」
????誰ですか????
「だから、お父さん。」
って、そりゃわかってますがな。
その、オオクボさんって誰ですか?
「うーん、江戸時代の・・???」
時代劇嫌いの母に聞いたのが間違いでした。
わかるわけありません。
その後、ネットで調べてみたものの、
わかったようなわからないような、大久保彦左衛門。

うちの父は、戦後のごたごたのなか、
頼りにならん父親の収入の代わりに、
兄弟姉妹のため、中学もろくに出ないうちから、
町工場に丁稚に出た人です。
それでも、いろんな水質関係の国家試験に受かっていて、
それがあったので、結構いい年になって今の会社に転職。
完全なブルーワーカーですけどね。

その父が来年ついに70になり、
会社の決まりとしては、
もうこれ以上嘱託として働くこともできないはずでした。
60歳が定年で、今まで大して給料も下がらず、
雇ってくれていた会社には、家族全員大変感謝してます。

でも、会社辞めてどうすんのかなー、
体はまあ人並み以上に元気だけどねー、
趣味っていっても、つり程度だしねー、
と家族が思っていたら・・・。

なんと、特例中の特例として、
健康で勤められる限り70過ぎても勤め続けてもらうように!と、
先日、本社から通達があったそうなんです(父は本社勤務じゃない)。
生き字引?かなんだか知らないけど。
家族としては、ありがたいことなので、
変だなんておおっぴらには言わないけど(笑)、
ちょっと変な会社(^^;)。

でもまあ、健康だし・・・、
変な娘(私か)がいるし・・・、
別に娘、学費出してもらってるわけでもないけど、
親が健康じゃないとできないことってたくさんあるし・・・、
いつまでも、いきいきと働いて欲しいと思うのでした。

健康で働けるということは、
やはり何よりも贅沢なことだと思うのです。



2005年06月19日(日) 埋まらない溝

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050618-00000010-maip-soci

原爆開発にかかわった町で、原爆投下60周年式典。
開発を誇らしいと思っている歴史を持つ人たちの笑顔が、
日本人である私には、空恐ろしい。

原爆投下が大戦終結をもたらしたと言うのは、
よくアメリカ側から言われることだが、
実はそうではなかった、、、という証言もある。
日本はすでに停戦(降伏)の道を模索し、
連合国側に接触を始めていた・・・というものである。
しかし、そんなことは、あちらの人にはどうでも良い認識である。
彼らが信じたいのは、「原爆がより大きな犠牲を防いだ。」
ということだけ。

彼らのいうことは、大変腹立たしい。
しかし、従軍慰安婦問題にしろなんにしろ、
戦争責任の認識をするとき、
日本人の大多数が、原爆投下を祝う人々のことを、
とやかく言えるか?という気にもなる。

戦争とは、なんだろう?
戦争の歴史とは?
双方の記録には、埋まらない溝がある。


2005年06月18日(土) 自分の利益、他人の利益

我が家で購読している新聞は毎日新聞なのだが、
そこでは時折、パレスチナ問題に関しての特集記事がでる。
昨日も、久しぶりに記事が出ていて、
なんら変わっていない(むしろ停戦後悪くなってる?)現状に、
出るのはため息ばかり。

以前、テレビのインタビューか何かで、
ユダヤ教原理主義の家庭の子供(中学生くらい)が、
「自分たちの生活や権利を守るために、誰かが犠牲になるのはしょうがない。」
と正々堂々と言っていたが、
果たして、他者をないがしろにして(この場合は迫害であるが)、
自分たちの生活が守れるのだろうか?と思う。

イスラエルの入植者たちから言わせると、
自分たちは日々パレスチナテロリストの危険にさらされている・・・
と言うことなのだろうが、
その反面、入植地近くに住むパレスチナ人たちだって、
国家と言う後ろ盾もないまま、
イスラエル入植者から、さまざまな迫害や妨害を受けている。
何が許せないって、それは学校に通うとする
子供たちまでもが、その対象になっていることだ。
今では、パレスチナの子供たちは、
イスラエル軍や国際平和団体の護衛なしには、学校に通えない。
しかも、入植者を刺激すると言う理由で、
最近では、国際平和団体の付き添いが拒否され、
まだ、日本で言ったらランドセルをしょって集団登校しているような
そんな小さい子供たちが、
イスラエルの戦車にはさまれて、学校に通っているのだ。
それだって、国際平和団体に言わせたら、約束違反だらけ。
イスラエル兵は、絶対に戦車や装甲車から降りて、子供たちと一緒に歩かない。
そして、その状態でも、妨害をやめない入植者から
罵声と投石は、続いているのだ。
学校に行くという、最低限の権利ですら、
子供たちは、命の危険と精神的な苦痛を伴っている。

入植者から言わせれば、自分たちの子供たちだって、
パレスチナテロリストの殺害の危険に晒されているというだろう。
確かに、それを否定するほど、私はロマンチストではない。

しかし、「正常な、戦争のない国家」ということになっているのなら、
自分たちの権利ばかりを守るために、
自分たちとは異質なものは、どうなってもいいということでは、
それはすでに、「正常な」国家運営ではない。
そう、イスラエルは常に内戦状態にあると言って良い。
建国以来、内戦状態でなかったことなどないと言えるだろう。
そしてこれからも、自分たちの権利ばかりが正しく、
他者の権利はどうでもいいのであれば、
パレスチナ問題に、解決の糸口は見えてこない。
それは、パレスチナ側にももちろん言える事だが、
現状、パレスチナ側の権利の方が、あまりにも守られていない。
それは、事実であると私は思う。
学校への通学路で、学校で、
テロリストではない子供が殺されていることは、事実なのだから。
少なくとも、イスラエル側の入植者たちは、
ある日突然理由もなしに、家を壊されたりもしない。


2005年06月12日(日) こぼからサル

伸ばそうと思っていたのだけれど、
やはり切ってしまった・・・髪。
とりあえず、段は取れていて、
その形状が最近はこぼちゃんチックだった。
それはそれで、いいのか?この年でこぼ???
と自分で思わなくはなかったんだけど、
今度はサルか〜。

何せ、私の美容師さんは、カットフェチ。
「毛先を2センチ切れだとぉ〜?んなこと、俺に頼むなよ!」
ってな感じで、カットテクにも自信があるし、
切るのがすきなんだよね(^^;)。
だから、切っていいと言ったら、
「切っていい( ̄ー ̄)?」
とまさに↑みたいな顔をした。

おかげで、通常よりも短いっすよ。
サブっすよ!

・・・・・髪を洗って乾かすのは簡単だけど。
そういうところも、サブっぽいだろう!


2005年06月10日(金) この年になって思うこと。

日本語関係の掲示板で、定期的に上がる話題に、
「学歴」がある。
つまり、大卒じゃなくても日本語教師になれるのか。
海外で教えられるか、そういう話題。

私自身、日本語教師の端くれとしてスタートした時には、
大卒資格者ではなかった。
でも、いろんな人に助けられて、仕事をスタートできたし、
大卒じゃないからといって、大卒の人よりも、
授業内容が劣っていたとは思わない
(経験不足で失敗したことはたくさんあるけれど。今も失敗するけど)。
しかし、海外で暮らしていた経験もあるし、
ネイティブの英語教師の知り合いなどの話を聞いても、
曲がりなりにも「教師職」に名をつられる限り、
最低でも大卒というのは、必須条件のように自分では思った。
また、高学歴有名大学出身の先生も多い業界の中で、
大卒じゃないとが変なプライドや負けん気になって、
精神的バランスを保つのによくないことも予想されたので、
私は、さっさと大卒になれるよう行動を始めた。

実際に、大卒資格者になるまでには、
仕事もあったし、、先が見えない状態がつらくて、
大学で勉強する意味を見失いそうになったこともあった。
忙しさにかまけて、単位申請し忘れちゃったり、
編入にもかかわらず、卒業までにとっても時間もかかった。

また、放送大学や通信制の大学の評価が低いのでは?
ということをよく耳にする。
実際そういうところもあると思うけれど、
しかし、私の場合は、この春に国公立大学の大学院を2つ受け、
どちらも合格できたし、
放送大学だったハンデというのは、この件に関してはあまり感じなかった。
1年先輩の放送大の先輩も、一緒に受験し、
こちらも、難関の私大大学院に合格できたし。
辞退してしまった大学院の方なんかは、
むしろ働きながら学んでいたということが評価されたようで、
受験資格に厳密には当てはまっていなかったのに、
社会人入試枠での受験を許可くれたし・・・・。

どの道が一番の近道だとか、こうしないとならないというのは、
ないと思う。
でも、業界の現状と自分の現状を照らし合わせて、
少なくとも足りないと思われるものを補っていく努力は、
絶対に必要だろうと思う。
スキルにしろ資格にしろ学歴にしろ、
あきらめずにねちっこく(笑)続ける人が得られるものなんだなーと、
この年になってようやくわかってきた(30代後半になって!)。
チャンスは天から無条件に降ってくることはなく、
周囲の人に「よくやっている」と評価されている人に
訪れることが多いんじゃないでしょうかね
(棚ボタの人も確かにいますけどね(^^;))。

学歴が足りないからといって、あきらめる必要はない。
でも、そのままの状態のままでもよくない。

同じ問題を抱え、日本語教師としてスタートした私の実感。


2005年06月07日(火) 家におきたいDVD

注文してしまった・・・。
http://7andy.yahoo.co.jp/dvd/detail?accd=R0119993

ちょっと前には、すでにビデオを持っている
ガタカのDVDも買ってしまった。
実は、リトル・ダンサーとプリシラのDVDも
ほしいと思っている。
エピソード1からこっちはあまり触手が動かないが、
スター・ウォーズのエピソード4〜6は、
まじで買っちゃおうかと思ってたりして。

家においておきたい映画は、なんですか?




2005年06月06日(月) 最後の世代

毎日新聞で、原爆孤児のための施設が広島県似島にあったという記事が連載されている。
それを読んでいて、まさに、私たちの年代こそが、
戦争体験を持つ親から、
直接戦争体験を聞ける最後の世代なのだということに気がついた。

私たちの親は、60〜70歳くらい。
戦争で戦ったわけではないが、子供時代が戦争と重なっている世代である。私の母も父も、育ち盛りに食料がなかった話、
疎開でいじめられた話、空襲の話などを断片的にすることがある。
しかし、どうしてだろうか。
彼らが声高に戦争について語ることは本当にない。
豊かになったから、語る必要がないと思っているのか。
語るのがやはりつらいのか。
家族だから、なんとなく「語る」ことがこそばゆいのか。

そろそろ、私たち子供からアクションを起こさないとならないのかもしれない。
最後の記憶を引き継ぐために。


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