ぶつぶつ日記
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尼崎で起こった列車脱線事故は、 ありとあらゆる国でトップニュースになったらしい。 理由は、「あの日本で、そんな事故が?」 と言った感じだったようだ。
日本=まじめ=安全、みたいな神話が海外にあるので、 そんな列車が脱線するなんて、 しかも、何十人も人が死ぬなんて? という驚きがあったようである。
しかし、事故の原因がスピードの出しすぎ、 そしてその理由が、1分30秒の遅れを取り戻すため? と報道されたのを聞いたとき、 なんと、「日本的な」事故ではないか・・・・ とため息が出た。
世界中で、電車や列車が1分遅れたからといって、 車内放送や駅放送であやまる国など、 多分日本のほかを探すのは難しい。 PタイムNタイムじゃないが、 スケジューリングというものがあるようなないような第三国だけではなく、 欧米先進国と言われる国でも、 列車が遅れるのは当たり前、 列車の出発や到着のホームが変わるのは当たり前・・・ そういう国が多い。 もちろん、タイムスケジュールはできるだけずれない方がいいし、 日本のような劣悪な通勤状態の国では、 ちょっとした列車の遅れが、人々のストレスになる。 でも、それもあまりにもストリクトに求める過ぎると、 今回のような、本末転倒の事態になってしまう。
生真面目さというのは、実は危うさの隣にあるもの。 最近、そんなことも考える。
さすがに、今まで5日かけていた仕事を2日でやらなくちゃいけなくなって、 通学時間にも時間がかかるし、時間配分は頭が痛い感じです。 大学院に行く場合、70分同じ電車に乗りっぱなしなので、 いろいろできそうな気がして、 重いのにアラビア語の課題とか持ち込んでいます。 が、そう思ったようにできないというか(^^;)。 電車の振動って眠気を誘うので、寝てしまったり、 おきていても、ぼーっとしてしまったり・・・。 なかなか、思うようには時間が使えません(^^;)。
仕事に関して言えば、今のところ暇な時期だし、 もともと、大して仕事量の多い職場じゃないので (現在、授業を担当しているわけじゃないし)、 2日くらいでも、あまり問題はないんですけどね。
これからレポートなどが増えるとちょっと頭が痛くなることも 出てくるでしょうね〜。。。。。
2005年04月16日(土) |
人は見かけに寄らぬもの |
今日は、千葉方面へお仕事に。 暖かくて外出日より。 電車はそれなりに混んでいました。 乗り込むと、いまどき〜な若者が2人、 座席を三つ占有。 っむ(ーー)。 ったくよー、立ってる人はまだいないけどさー。 乗ってくるぞ〜、これから・・・。 と、おばさんは心の中でぶつぶつ言っておりました。
案の定、2つほど駅が進むと人が増えてきた。 すると、件の若い衆は、とりあえず席を詰める。 ふむ、よろしい。 意外とわかってるじゃないのさ。
そして、また駅がいくつか通り過ぎた時、 おもむろに顔を見合わせ立ち上がる件の若者。 その視線の先には、杖をついた老夫婦が立っておりました。
ほえ〜(・・;)。 若者よ、えらい。 人は見かけに寄らないのね。 おばさん、感動(TT)。 穏やかな春の午後なのでした。
咲いたと思ったら、散ってますね、桜。 今年は勢いで咲いて、あっという間に終わる。 侘び寂味わう時間もない感じです。
それで。 桜も咲いたので、ついに明日から大学院の授業。 お弁当も作ったし、準備は万全(^−^)b のはず・・・。 というか、教科書もないし、準備っていうほどのものもない。 するのは、心の準備だけでしょうか。
先週は、交流会やなんかで、何回か大学に行って、 先輩や学部生、新しく赴任していらした先生なんかにも、お会いしました。 その先生たちの授業を取ることになるのですが、 まだお若く、気さくな感じで良かったです。 新人同士、和気藹々。 こう言う時に、小さい大学の良さを感じます。 そして、授業が始まっていないのに、 担当教授にこき使われる(笑)。 それも、またよし。
体に気をつけて、がんばります。
最近テレビでもよく聞くけれど、 今日は見知らぬおじさんに言われた(笑)。 勧誘じゃないと言いつつも、 信じないと四方八方ふさがりになるだの、 地獄に落ちるだの。 それは宗教勧誘っていうのよ、おじさん。
それに、私はすでに地獄に落ちることに決まっているんです(苦笑)。 決まっている人間に、脅し文句をかけたって、 ちっとも利かないでしょう。 相手を見ないとね。
地獄に落ちることは、怖くない。 そうならなければいけないのならば。 そして、だからと言って、 あきらめたりもしない。 そう生きると決めたのは自分。 誰にも弁解も、命乞いもしない。 天地がひっくり返って、膝まで血の池に浸かっても。
2005年04月03日(日) |
人生のバリエーション |
人は色々な瞬間に、あらためてこの世界の広さや狭さを感じる。 それは、その人によって、色々な瞬間で、 違う人によっては、何にも感じない出来事や瞬間かも知れない。
私が世界の広さを感じるのは、 本やドキュメンタリーの中で、自分と同じ世代のの女性が、 自分とは全く異なる世界に生きていることを知る時。 同じような時代に生まれ、同じ時を過ごしているはずなのに、 その生活があまりにも私の生活とかけ離れている時。
例えば、ボリビアに生まれたリゴベルタ・メンチュウ。 彼女は、私の兄の世代であるのに、 彼女の生活は、貧しさだけではなく、 先住民であるというだけでのあらゆる迫害、 そして、弾圧による家族の死に彩られている。
そして、トレイシー・ローズと言うアイコン。 彼女は私と同じ年。 貧困と飢えすらあるアメリカの階級社会の現実、 両親の離婚と家庭の崩壊・・・。 私が恋愛なんて興味がなかった15歳の頃、 同じ年の彼女は、その体をスクリーンに切り売りし、 ポルノスターに「なるしかなかった」。
世界はなんと広く、なんと残酷か。 見えているものはあまりにも一部で、 同じ時代に生きながら、 そのあまりの共通性のなさに、混乱する。 それもこれも、同じ地球の上の出来事。 今、この一秒に広がる数え切れない人生のバリエーション。
*私の名はリゴベルタ・メンチュウ―マヤ=キチェ族インディオ女性の記録 エリザベス ブルゴス (著) 新潮社
*トレイシー・ローズ 15歳の少女が、いかにして一夜のうちにポルノスターになったのか? トレイシー・ローズ (著),WAVE出版
ローマ法王、重態のようですね。 法王職は終身雇用制、今年の年始の挨拶を見た時は、 あまりの老いの姿に、見ているのがつらい感じでした。 こうなると、あまり延命治療をせず、 速やかに安らかに、天国への扉を開けてあげた方が 本人にとって、幸せなんじゃないかと思います。 しかし、信者の方々に取ってみたら、 やはり奇跡を信じたいものなのでしょうか。
さて、信者ではない私は、こうなってくると なかなか下世話な想像をしてしまうわけです。 今頃、ローマ法王庁内、緋色の衣を着た人たち(枢機卿)が、 どたばたと右往左往、 時期法王選出に向け、画策をしてるんだろうなあ、とか。 一般的政治と何らかわることなく、 いや、むしろ国を越えての権力になるので、 そりゃあ、すごいどろどろなこともあるでしょう。 昔から、ローマ法王庁が清廉潔白であったためしはないし、 法王選出には、現在の地球上の権力争いや、 カソリック教会の今後の布教活動に関わる問題とされていますし。
ちなみに、法王選出の会議のことを、イタリア語で
コンクラーベ
と言うそうです。 日本人にとっては、かなり皮肉で笑える名前です。
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