ぶつぶつ日記
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2004年08月31日(火) 63歳と1歳の攻防戦

平日、たまに家にいて、微妙な時間に朝ごはんを食べようとすると。

フライパンを出そうと流しの下の扉を開けようとする>びにょん。
皿を出そうと、茶だんすの扉を開けようとする>がこん。
開かない・・・。

あんた、ここは忍者屋敷ですか?
というくらい、色々な仕掛けが仕掛けられており、
フライパン一つ出すの、皿一枚出すのも、
結構な騒ぎとなる。

どうしてか。
家には、一歳児が毎日来ていて、
日中うちの母と一緒に過ごしている。
それが、母の20年来の仕事。
一歳児を、なめてはいけない。
ドアと言うドア、扉という扉が開かないように工夫されているのは、
このベビちゃん対策なのである。
ちなみに、流しの下のドアは両開きなので、
開かないようにゴムで強烈にしばられており、
茶だんすの扉が開かないのは、うちから外から、
突っ張り棒(ご存知ですか?)がはられているから。

母も、自分が子育てしている時にはわかっていなかったのだろうが、
他人の子を、それこそダース単位で見てきた経験から言わせると、
「一歳児、いや、一歳になっていない子だって
良いことと悪いことの区別がついていて、
顔色を見ながら、いたずらをしようとする。」
らしい。
今あずかっている一歳の男の子は、返事まで使い分けてます。
「いいこだねー。」>「はい!」
「やっちゃだめだよ。」>「は〜〜い」
ってな感じだそうだ。

子供だから、わからないってことは、
実は少ないんじゃないかと思う今日この頃。
ある程度育ってから教えることは、
まだ良くわからないうちに教えるより、
大人、子供双方、100倍の苦労を背負い込むことになるとも聞いた。
三つ子の魂百までも。
63歳と1歳の激しい攻防戦は、今日も続く(笑)。


2004年08月27日(金) あっぷあっぷあっぷあっぷぷぷ・・・・

実際、個々の仕事はそんなに忙しくないが、
複数色んなことをしているため、
そして、次なる計画にむけての試験勉強もすべきなので、
あっぷあっぷなんですよ、私(−−;)。
そして、そういう時に限って、また良いお話が来たりするのは、
なーぜーなーのーーーーー。
はあ。

でも、ちょっとがんばってみようかなと言う心境。
ちょっと私の作品たちを表に出してみようかなと。
委細は決まったらお知らせします。
あっぷあっぷはup!up!
と言うことで(笑)。


2004年08月26日(木) 栄枯盛衰

またまたオリンピックの話題ですが。
メダル数ランキングを見ていました。
1位アメリカ、2位中国、このあたりは順当。
それにしても、3位がオーストラリア、
4位が日本というのは、なんと言うか、
不思議な感じがするんですよね。

オリンピックのメダル候補というと、
長いこと共産圏が上位を占めていたと思います。
ソ連や東ドイツ。
あのスポーツ大国、メダル大国のソ連だったロシアより、
日本の方がランキングが上なんて、
夢のようじゃあございませんか。
確かに、旧ソ連だったウクライナとロシアのメダルを合わせれば、
今もトップクラスであることは間違いないのですが、
なんていうかなあ、ちょっと栄光盛衰な気分がします。

それから、ちいさーな国が地道ーにメダルを1個2個と取っているのを見ると、
応援したくなりますよね。
ジンバブエ、金銀銅〜一個ずつ(微笑)。
トリニダードドバコが銅一つ、とか。
英雄ですよねえ。

みんな、がんばれ!


2004年08月24日(火) がんばる日本、がんばれ日本!

いやー、すごいな、オリンピック。
スポーツ観戦をほとんどしない私なので、
試合は全く見ていないのですが(笑)、
毎朝朝刊に踊る「金、銀、銅!」の字を見ると、
やっぱりわくわくしますね。

それにしても、一時の低迷期がうそのような躍進振り。
一体日本スポーツ界にどんな異変があったのでしょうか。
それが気になる。
選手が強くなったと言うこともあるでしょうが、
こういうスポーツって、選手だけの問題じゃないですから、
コーチ、それぞれの団体など周囲の変化もあったんじゃないかと、
勝手に推測しているのです。

特に団体。
本来こういう団体は、選手がより競技に集中できるように、
サポートするべきもののはずが、
なんだか、選手を食い物にしているっていうか、
自分たちばっかり偉いような・・・。
そういう時期が長かったような気がします。
有名な話、マラソンの賞品でベンツ(かなんか、車だった)が出た時に、
アマチュアだから・・・と陸連が選手から取り上げたり、とかね。
きっと私達が知らない、そういう馬鹿馬鹿しい話が、
たくさんありそうですよね。
そういうのが少しは改善されてるのかな、と想像してみたり。

それにしても、やっぱり努力が報われるってすばらしいですよね。
がんばってるから、勝てる。
力を抜かないで、精一杯やるから、報われる。
日本全体が、そういう風に感じられれば、
もしかしたら、経済なども少しいい方向に変化してくるかもしれない。
まだまだ捨てたものじゃないぞ、日本。
そんな気分にさせてくれる、今回のオリンピックなのでした。


2004年08月20日(金) 忘れることなどできない人がいるのに

12月に旅行に行こうと思い、現地に行った事のある友達に、
どこにいったか聞いてみたところ。
彼女は当時仕事仲間だった人に連れて行ってもらって、
自分ではあまり動いていないので、
どこにどういったか、あまり覚えていないとのこと。
その仕事仲間だった人は、まだ若くしてイラクで襲撃され亡くなった。

あ゙〜、思い出させてしまったか。
と思ったけれど・・・・。
思い出させたんじゃなくて、
彼女にとって、忘れることなんかできるわけがないのだ。
誰に何かを言われたから思い出すのではなくて。
ふとした時に、もしかしたらいつも、
その記憶をしっかり焼き付けている。

私たちが、1つのニュースとして受け取り、
あっという間に記憶のそこに沈んでしまうことでも、
毎日、この一瞬にも、忘れることなどできない人たちがいるのだ。

そのことすら、忘れそうになる。
大量の、情報の中で。


2004年08月19日(木) エロい紙面

いや、別に、エロい新聞記事とか雑誌を見るなということではなくて。
個人の自由なんで、別に見てもらってもかまわないんだけど
(でも、自分の親兄弟とか、彼氏とかダンナが、エロい雑誌や新聞記事を
常に読んでいたら、やっぱり嫌か)。

やっぱりちょっと、電車の中で見せられるのは、
どうかなと。
昨日も目の前に、ものすごいエロい漫画が広げられてしまい、
目のやり場に困りました(爆)。
こっちはね、すでにいい年になりましたし、
そりゃ、人並みにすることもしてきましたので、
「おいおい、すげーなー、これが男のエロ・ロマン?」
って思いますけど、
電車には思春期の若人もいますしねー。
自分の子供に見せられんものは、電車の中でも注意しようよ。
と、思うのであります。

いや、それにしてもすごすぎ、おやじ系雑誌の勘違いエロ・ロマン(苦笑)。
昨日目の前に広げられていたおやじ夕刊の雑誌広告の特集記事は、
「巨乳OLは、頼めばやらせてくれる(ハート)」。
おいおい(^^;)。
それを信じてしまうおやじには、哀愁を感じるわ。
セクハラやモラル・ハラスメントで、訴えられないように、
気をつけましょうね。


2004年08月18日(水) だから、親って大変なんだよな

18歳の男の子が31歳の女性と同棲し、
その連れ子に暴力を振るって逮捕されたが・・・。
こういうニュースを聞くと、「あーあ。」と思う。
もちろん、暴力を振るった男の子も悪いよ。
でも、31の女が自分の子供が殴られているのを、みていたってのはどうなのよ。
ましてや、この女性が連れていたのは9歳と4歳の子供。
18歳の子供が、9歳の子のお父さん代わり?????
やっぱり、「あーあ」なのだ。

現在、何でもかんでも自己責任。
全ての行為をこの言葉で括り、勝手に行うことを
正当化している風潮がある気がする。
でも、自己責任って、自分勝手になんでもして良いってことじゃないですよね?
自己責任で、31の子供をつれた女が18の小僧っ子と同棲するなら、
自己責任で、子供も守れよと思う。

独身の女がこんなことを言うとたたかれると思うが、
私は、結婚して子供を産んでしまったからには、
やはり自由に制限がかかってしまうのは、仕方ないことだと思う。
まず、誰のことを考えるべきか。
何を優先すべきか。
それは、守られなければ生きていけない、子供のことだと思う。
自分のしたことではなく、子供のすごし易さだろう。
彼らは1人では生きられないのだから。
そして、彼らをこの世に生み出したのは、自分なんだから。
多少の不自由があっても、自分のことよりも、子供のことを優先する。
それが、親としての義務じゃないのだろうか。
だからこそ、親になると言うのは大変なことなんだと思う。

昔も今も、親の責任を放棄している親はいる。
昔の人だって、子供を持つ時にこういうことを理解してから、
子供を持ったわけではないと思う。
でも、少なくとも、自己責任を履き違えて、
子供をないがしろにする親は、今よりは少なかった。
育児は育自とは、よく言ったものである。


2004年08月15日(日) 失うことを、恐れるもの

失うことを恐れているものというのは、
実はあまり多くはない。
自分の命さえも、どうにもならない時には、どうにもならない。
仕事も家も、失うことがあるかもしれないが、
それでも、なんとか生きていけるだろう。

たった一つだけ、失うことを恐れているものがある。
もちろんどんなに失いたくないと思っていても、
失う時には、私には何もできない。
いや、できないとわかっているからこそ、
失うことを想像しては、
矢も立てもたまらなくなるのかもしれない。


2004年08月14日(土) たかが・・・

1、2日、それっぽちのことで、
こんなに動揺するのもどうかと思うが・・・。
具合悪くなりそう(−−;)。


2004年08月13日(金) 人の目

人の目ばかりを気にしていると、
自分が本当にどうしたいのか、どうすればいいのか、
わからなくなる。
私自身は、人の目を気にしてばかりいるような人生は、
窮屈だなあと思う。
しかし、最近感じることは、
人の目を気にしなさ過ぎることも、
ほめられたことではないんじゃない?という事。

人の目を気にしない生き方というと、
なんだか自由でかっこのいいイメージになる気がする。
でも、「人の目を気にしない」ということが、
イコール「人のことなど気にしない=自分ばっかり良ければOK」、
になってしまうと、
この人は単なる常識知らずの遠慮なし、
お付き合いしたくないナンバー1だろう。

せめて、電車の中くらいは、人の目を気にして、
他人にも気を使おうよ、と思うのだった。
嫌のは、お互い様だからさ。


2004年08月12日(木) 戦争の記憶

日本人というのは、あっさりしているというかなんと言うか。
過ぎ去ったことは、水に流す・・・。
そこがある意味長所でもあり、短所でもある。

東京大空襲や広島、長崎の原爆、沖縄の地上戦など、
夏になるとそれなりに、ドラマ化されたりするけれど、
戦争の記憶は、若い世代に引き継がれているとは思えない。
いつまでもいつまでも、
うらみつらみをもっている必要はないと思う。
けれども、この国は、加害者としての記憶も、被害者としての記憶も、
あまりにも簡単に忘れ去ろうとしているように感じる。

自分たちが直接関係したことではなくても、
情報として、何があったのか、何をされたのか、何をしたのか。
そして、そのことにより、どう思っている人たちがいるのか、
それを知っておくことは、大切じゃないかな。
特に、これだけ海外に出る機会が多くなると、
その瞬間、相手にとって自分が日本の代表になってしまうのだから。
「しらなーい。」では、あまりにも投げやりじゃないだろうか。


2004年08月11日(水) 未成年と成年の境目

19歳で女子高校生を殺害し、死体を遺棄した青年に対して、
懲役13年の判決が下った。
悪質ではあるが、非行経験もなく当時19歳=未成年だったからということだが・・・。
こういう判決ってどうも釈然としない。
たかが一年、いやもしかすると数ヶ月でしょう?
その差で、判決に未成年だったからと理由付けされるのは、
どんなもんかな。
実際、19歳といえば、中には結婚して子供がいる人だっているし、
会社(公務員もあり)で働き始めている人もいる。
そういう人は年は未成年かもしれないけど、
社会的に見たら、立派な成人ですよね。

それに、思うのですが、人間少なくとも15,6になっていれば、
大人とほぼ同じように、やっていいことと悪いことの区別は、
ついていると思うのです。
特に殺人や窃盗などは、子供だって悪いってわかってるはず。
人間としての基本的な認識だと思う。

もちろん、ついつい悪いことに手を染めてしまうこともあると思う。
突発的に起こってしまう犯罪もあると思う。
情状酌量は必要だけど、未成年だから・・・と判決が甘いのは、
あまり納得は出来なくなっている、今日この頃です。


2004年08月08日(日) すごすぎて、笑ってしまいました(^^;)

いや、何がって、サッカーでの中国の日本への傍若無人ぶりに。
今回に限って言えば、あの騒ぎで日本人が、
戦後に関して謝罪する必要はないって私は思います。
それが根底にあるのは確かでしょうが、
やりすぎってものよ。
そして悪いけど、世界に中国の民意を・・・っていう大儀はともかく、
あんまりそういう崇高な目的は達成できてないと思うし。
あー、息詰まってるのね、こう言う時にしか、
爆発できないのねーと言う気持ちになりました。

実際、中国政府は結構慌てているのではないかと思います。
それでなくても、オリンピックをひらけるほど、
民主的ではないという声も多いのですから。
ある意味、この騒ぎでほくそえんだのは、
日本側政治家の方が多いかもしれないですね。
大っぴらに、中国のことを悪く言えるから。

あんな中で、立派に勝利した選手はかっこ良かったですね。
なんにせよ、日本人に怪我人等でなくて、
本当に良かったです。


2004年08月07日(土) 打ちのめされる

世界の苦境にある子供たちを取材した番組を見ていて、
一番つらかったのは、13歳でお母さんになってしまった、
アルゼンチンの女の子。
母もやっぱり、そう言っていた。

家庭内暴力で家から逃げ出したロシアの男の子には、
日本の女優さんとの交流により、一抹の救いがあった。
債務奴隷であるネパールの子も、
学校に行かず働かなくてはならないが、
家には、帰りを待ってくれている家族があった。

8歳で親に捨てられたアルゼンチンの女の子は、
あどけなさの残る瞳のまま、13歳でお母さんになった。
父親も仕事もお金もない。
何もない中で。
助けてくれるのは、同じ境遇の子供たちだけ。
みんな、彼女と同じように、10代前半で父親のない子供を生んでいるような、
そんなスラムの町。

母性と子供っぽい純粋さが合わさって、
確かに、彼女は今、何があっても子供を守ろうと言う気持ちになっている。
その姿は、あまりにも痛々しかった。
なぜなら、彼女の未来には、悲しいけれど絶望の影しか、
私はみることができなかったから。

彼女が真っ当な仕事につけることは、
ほとんど不可能だと思われる。
物乞いからやがて売春へと、日々の糧を得る手段は変わっていくだろう。
その中で、やがて、子供らしいの純粋さは失われ、
そしてまた、父親のいない子供を身ごもり生むこともあるだろう。
だまされ、さげすまれ、痛めつけられ。
今、子供を思っている心は、
やがて何も感じなくなっていくだろう。

彼女が私くらいの年になった時。
そこには、疲れきって無感動で、
子供を捨てることを躊躇しないような、中年の女性がいるだろう。
そんな、彼女の将来を思い描く方が、
子供と2人、慎ましやかに、
でも幸せに生きている彼女を思い描くより、何倍も簡単。
そのことに、私は打ちのめされる。


2004年08月06日(金) 嫁して三年子なしは去れ?

某主婦が多い掲示板を見ていると、
不妊に悩む方が多いことにびっくりしますが、
それと同時に、いまだに
嫁して三年、子なしは去れ、的な考え方も多いみたいで、
そっちもびっくりします。

私の周りも、結婚している人はそれなりにいても、
子供は少ないんですよね。
「子供はいらない!」と明言しているカップルならともかく、
そうじゃない場合は、
もしかしたら欲しいと思っているけど、できないのかもしれないし、
よっぽど親しくない限り、
もしくはあちらから言われない限り、
聞いてはいけない話題のように思います。

もちろん、孫を抱きたい気持ちもわかるし、
家のために子供を・・・と思うのは当然かもしれないけど、
子供ができないことで、一番傷つくのはやはり当の本人たちでしょう。
鬼の首を取ったように、
嫁(もしくは子供)に会うたびに子供の催促をするのはどうかなと思う。
それがストレスで、余計にできないんじゃない?
と、はたから見ていても思ったりする場合もありますよね。


2004年08月05日(木) 違っていることが、わからない

先週、今週と、とある研修にお手伝いに行っていました。
日韓の先生(韓国語を教える日本側の先生と、日本語を教える韓国語の先生)が、
共同で作業を進めるプロジェクトでした。
この作業とは直接関係ないのですが、ある時、異文化コミュニケーションで言う
「モノクロニック・タイム(Mタイム)」と
「ポリクロニック・タイム(Pタイム)」
という話題になり、これがなかなか面白かったです。

モノクロニック・タイム(Mタイム):
スケジュールを重視し、物事をひとつずつ片付けていく時間の使い方。
(主に、北欧、ドイツ、アメリカ合衆国)


ポリクロニック・タイム(Pタイム):
計画やスケジュールよりもその時々を重視し、複数の事柄が同時進行する時間の使い方。
(主に地中海沿岸地域、中東、アジア)

日本は本来pタイプ圏だったようですが、ビジネスや学校運営上ではmタイムで動いているようですね。

韓国はまだ結構pタイムみたいで、
ついこの間韓国に修学旅行に行った日本側の高校生と先生が、
時間概念の違いで、かなり面食らったみたいです。
日本の団体旅行っていうのも、完全にpタイムなんですよね、行動が。
時間、分刻みの行動で、その予定がその時々によって変更されるなんて、
ほとんどありえないでしょう。
添乗員も客も、「この時間はこれって予定がたっている。」
というのに固執するんだけど、
現地スタッフが、その時間なり予定なりに、日本側と同じように固執してるかって言うと、
そんなことは全くないんですよね、きっと(苦笑)。

実は、私達もこの違いに気がついておらず、
研修の最初のころは当惑していたのですが、
ああ、時間の使い方や概念が、通常の日本型研修とはちょっと違うんだ、
と気がついたら、大分楽になりました(笑)。

お互い、考え方がどうもずれているらしい・・・とわかっていれば、
それなりに対処できるのだろうけど、
何せお互い自分の物差しが相手にも当てはまると思っているので、
精神的軋轢が生まれてくる。
なるほど〜と思ったのでした。


2004年08月02日(月) 銃ではなく、暖かな手で

毎日新聞で、「悲しみの星に生まれて」というシリーズが
毎朝連載されている。
昨日の朝刊では、サッカーの親善試合で来日し、
同じ家にホームステイしたパレスチナ人とイスラエル人の
小学生の男の子の話だった。
パレスチナ人の男の子の父親は、ファタハ(パレスチナ解放戦線、いわゆるテロ組織と言われている)の幹部の子供。
イスラエル人の男の子は、壁による分離政策を進めている鷹派国会議員の息子。

日本人のホストファミリーが知らなかった、夜中のけんか。
そんなことがあっても、相容れないはずのこの子達は、
小さな友情を育んで、それぞれの住む場所に帰っていった。
今は、もう会えない。
すごく近くに住んでいるはずなのに、
連絡もいつのまにか途絶えてしまった。

でも、イスラエルの男の子は、友だちが言う
「パレスチナ人を皆殺しにしろ」「パレスチナ人を銃で撃ち殺せ」
という言葉に、苛立ちを覚え、
パレスチナ人の男の子は、記者に託した写真の裏側に、
こう書いている。
「君に会えなくてさびしいよ。君の幸せを願っています。」

多国籍軍なんかに参加しなくても、
できることは、たくさんあると思う。
一見すると無駄なこと、実りの少ないように思うことでも、
日本だからこそ出来ることが、たくさんあると思う。
特に、子供たちに。
恐怖や偏見で心が曇っていても、
その曇りは、真実の光の前に、短い時間で、きれいに消え去る。
また、曇りが戻ってくることがあったとしても、
それはきっと、以前とは少し違っているはずだ。
なぜなら、彼らは「お互いを」知ることができたから。
思い出は何かを作っていくだろう。
彼らの心の中に。

銃で世界に貢献するのではなく。
暖かい手で世界に貢献したい。
そしてそれこそが、子供たちを、悲しみから守るのだと思う。


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