ぶつぶつ日記
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2004年03月29日(月) 勝ち組負け組み

という言葉が、巷では流行っているそうだ。
未婚か既婚か、子の有無、年収、そのたもろもろ・・・。
簡単に言ってしまえば、所有している方が勝ち組で、
そうじゃないと負け組みらしい。
この本を書いた酒井さんと言う女性は私と同じ年、
そして彼女自身も負け組み。
社会的な地位や状態で言ったら、彼女なんかは勝ち組だと思うけど、
結婚していないと言うことが、結構敗北の大きな要因らしい。
私はと言えば、完全なる負け組み、しかも遠吠え系というらしい(笑)。
なるほど、よく言ったものだ。
確かによく吼えている(笑)。

私自身は結婚する予定はないし、その気もないけれど、
できることならした方がいいと思う項目に、
結婚、出産、育児というのは入っている。
縁があったら、やっぱりやってみた方がいいだろうなと、
思うは思うのであるが、
人には色々な状況があり、したくてもできない人もいるし、
気がついたら時期を逃していたということだってあるだろう。

そして、所有の有無で人の幸せが計れるのであれば、
人生こんなに悩むこともないんじゃないかと思う。
そういうものでは割り切れないからこそ、
人は悩み、壊れ、そして、救われるのではないかと。
はたから見たらすごく大変そうで不幸な境遇にあるのに
とても幸せそうな人もいる。
どうしてそんなに恵まれているのに、そんなに不満そうなの?
という人もいる。
所有で満たされない何かがあるのなら、
負け組みでもいい、前者のような人生を生きたい。




2004年03月26日(金) 住みづらい世の中

ル・モンド紙のメルマガを読んでいたら、
「オランダ国会は2月17日、滞在許可書を持たない外国人2万6000人をチェチェン、ア
フガニスタン、ソマリアといった国々に追放するとの法案を賛成多数で可決した。」
という記事が目にとまった。
帰すにことかいて、チェチェン、アフガニスタン、ソマリア??????
・・・・・・。
オランダでもこれなのか。
深くため息。

不法滞在の問題はどこの国でも頭の痛い問題だと思う。
不法滞在している人の中にもたくさんのまじめで勤勉な人がいるだろう。
しかし、滞在資格がないということは、
普通の人よりも簡単に、悪いほうに落ちて行く確率も確かに高い。
そして、そういう部分が国の犯罪率の上昇にも大きく影響を与える。
また、世界全体的に景気があまりよろしくない現在、
なんで、自国民じゃない不法滞在者に、金を使わなければならないんだ!
というような声も、徐々にではあるが、広がっているようだ。
世界的総右翼化とでも言いましょうか・・・。
自分達と違うものは排除する方向?
めんどくさいことは、できるだけしたくないとか???

でも、今、チェチェンやアフガニスタン、ソマリアに、
人を帰すことはどうなのよ?と私は思う。
帰って彼らは満足に生活できるの?
どう考えたって無理でしょう(チェチェンはちょっとわからないけど)。

世界は、ますます住みづらくなっている。
自分を守ってくれるものなんて、何もない。


2004年03月25日(木) 一言言いたい!!!!

イスラエル外相の発言:
ヤシン師殺害で、世界は確実に平和になった
・・・・・。
悪いけど、イスラエルの平和=世界の平和じゃないよ。
イスラエルの敵=世界の敵、でもないしね。
アメリカの政治は確実にユダヤロビーが動かしているけどさ。
だからこそ、世界はこんなに不安定なんじゃん。
自分たちの都合=イスラエルの都合、しか考えてないからさ。
ハマスは今回のヤシン師殺害の報復に関して、
アメリカの関係施設を攻撃するつもりはない、
と明言しているし。
ホロコーストの被害者だったからといって、
別の民族を迫害していいって、
そんなルールも世界にはないはずだしね。


2004年03月24日(水) 藁をもすがる気持ち

イスラエル国内では、ヤシン師の暗殺に関して、
容認派が6割という。
パレスチナ問題では、こういう場合、すぐにパレスチナ側への
自制が求められるが、
車椅子の人物(ヤシン師はその人生の大半を車椅子で過ごした。半身不随だったのだ)を
軍を動員して狙い撃ちする(しかも銃等ではなく、アパッチヘリで)のが許されて、
そしてどうしてそんな武器を持たないパレスチナ人が自制しなくてはならないのか。
普通に考えると解せないが、
こういうことを書くと世論では「テロ容認派」ということにされるらしい。

6割。
その6割の人たちだって、このことによる報復で自分の家族や友だちが殺されたら、
悲しいだろうし、怒り狂うだろう。
でも、その原因は、全てパレスチナにあるのだろうか?
妥協が必要なのはわかっている。
しかし、妥協するのは弱いものばかりなんだろうか?
強い立場にいるものは、なんら妥協をしなくても良いと?
教室でいじめられている子供に、ただ我慢しなさいなんて、
今の世論では言わないでしょう?
そういうことの拡大版なんだと思う。
まず、妥協するべきは、イスラエルなのだ。

4割。
その人たちがどういう立場にあるのかわからない。
でも、その4割の人々に、藁をもすがるような気持ちで期待する。
世論を変えていくのは、いつもマジョリティーの人たちじゃない。
最初は少数の、マジョリティーから見ればばかげた意見。
でも、そのマイノリティーの意見こそが、
今までずっと、世界を変えてきた。
兵役拒否をする若者や予備役の人たち。
パレスチナと共存したいと思う夢見がちな人たち。
そして、イスラエルとなんとか共存しなければならないと思っている、
テロは状況を悪くするだけと考えている
ほんのわずかなパレスチナ人達。
彼らをサポートしよう。
彼らしか、この現状を変えられる人たちはいないのだ。


2004年03月22日(月) 火と水

昨日、珍しくニュースでイラクの劣化ウランの特集をしていた。
イラクで死んだ20歳の米兵の死因は「保留」、
つまり死因を明確にはしたくない、ということか。
病院で横たわる子供達の姿は、私達の想像をはるかに超えている。
やせ衰えた姿は想像できる。
けれども、なんだかよくわからない腫瘍に全身を覆われ、
その女の子には1年前の面影どころか、「人」としての面影もほとんどなかった。
人間は、ここまで変えられてしまうのか、
「何か」によって・・・。

日本にも劣化ウランがある。
それは核の廃棄物としてのもの。
地下深く厳重に管理されているそれには、
取材クルーも数メートル先までしか近づくことが出来なかった。
「念のため、これ以上は近づかないでください。」
でも、日本政府は劣化ウラン弾について、
「アメリカから安全と聞いている。」と言っていなかったか。
その言葉と現実のギャップ。

イスラエル軍はハマスの指導者ヤシン師を暗殺。
報復活動が激しくなることは必死であろう。

風の谷のナウシカで、長老が言っていた言葉を思いだす。
火は一日で森を燃やし尽くす。
水と空気は100年かけて森を育てる。
失うことはたやすく、取り戻すことは難しい。
破壊することは、あまりにも容易だが、
その代償は、現在の私達には計り知れない。


2004年03月21日(日) スローライフはスローワーク

カイロ、シリアで暮らしていたことのある友達が、
だんなの転勤でデンマークに行った。
送られてくるメールを読むたびに、
「恐るべし、デンマーク(というか北欧)」と言う言葉が頭に浮かぶ。
何せ、今日送られてきたメールには、
「シリア人のほうがよっぽど働くよ。」という、
意外(でもなかったりするけど、実は)なことまで書かれていた!

北欧と言えば、現在結構注目度の高い国々。

必要なもの意外は買わない。
自転車を乗りこなすエコライフ。
自分達の身の回りのことは自分達で・・・。

こう聞くと確かに素敵な生活、
自分達のスタンスを大事にしているようなイメージがするが・・・。
実は、

・バスの初乗りが380円近くする。
・全て物がとにかく高い(卵だって一ダース400円以上)。
・なんでもかんでも税金がかかる(医療費はそうでもないみたいだけど)。

だから、自転車でどこまでも行くし、
自分達で作れるものは自分達で作らないと、
いくらお金がかかるかわからないということの、
裏返しだったしするわけだ。

幸い、友達とだんなの出会いの場はシリアだったので、
マーレーシュとインシャアッラーを合言葉に(なぜだ、北欧なのに・・・)、
乗り切って行くだろう。
住めば都、きっと楽しいこともたくさんあると思うが、
現在は、スローワークな状況に、
毎日インシャアッラーを連発している日々(苦笑)。
海外赴任ってのも、本当に大変です。


2004年03月18日(木) ヘジャーブにあこがれる心ーヘジャーブ考3−

テロ騒ぎですっかり間があいてしまいました・・・。

私の知っているボーンムスリマの中にも、
ヘジャーブをしている人、していない人、色々います。
派手な仕事をしていても、ヘジャーブをしている人。
主婦でもしていない人、若いけどしている人。
人それぞれ。
かぶっていない人が、かぶっている人よりも宗教心が篤いか。
実は、これも一概には言えないと思います。

何人か話をしていて思ったのが、
形から入るか、そうじゃなくて精神的な部分を強くしたいか。
どちらに重きをおくかで、
ヘジャーブをするかしないかを、決めている人も多い気がしました。
例えば、私の知っている日エジハーフの女性、
日本人であるお母さんは、ヘジャーブのヘの字でもありません。
スパッツはいて表歩いてるくらい。
でも、娘さんはまだ20代前半なのに、ヘジャーブ姿でした。
どうして?と聞いてみると・・・。
数年前、エジプトでは大きな地震があり(それでも震度5くらいでしたが)、
何十人という人が亡くなりました。
それを見て、怖くなったと。
今死んだら、天国にいけるかな?
行けないかも・・・。
というわけで、ヘジャーブをしてみた。

それから、日本でもコンサバ女性の方が男性には受けがいい・・・
みたいな感覚ありますよね。
男性に受ける髪形!とか、よくファッション誌にも載っていますし、
ミニスカートいけいけは遊ぶには良いけど、
結婚するにはやっぱりちょっとね・・・・みたいな(笑)。
それと同じように、ヘジャーブ=コンサバ=女性っぽい=よき伴侶
みたいなイメージもあるようです。

こちらは割りとインテリ層の女性に多いみたいですけれど、
「ヘジャーブ=人間性の完成」みたいに捉えている人。
トルコ=パキスタンのハーフで、アメリカ生まれアメリカ育ちの女性は、
一見するとわからなかったのですが、
実はものすごく敬虔なムスリマで・・・。
そういわれてみれば、スカートはいつもフルレングス、
ただ、お洒落な印象だったので、ムスリマコードにしたがっていると、
気がつかなかったんですよね。
彼女いわく、
「ヘジャーブをするには、まだ私の内面が出来上がっていないと思うの。
母のような立派なムスリマになったと思ったら、ヘジャーブをしたいわ。」
彼女の中では、自分自身がヘジャーブにそぐわない・・・と
受け止めているようでした。
同じようなことを、エジプト人のキャリアウーマンからも
聞いたことがあります。

髪を見せないことが社会一般的になっていたり、
法律でヘジャーブ着用が決められている国々と
イスラム国でもヘジャーブをかぶってもかぶらなくても良しと
一般的にされている国(エジプトなど)、
そして欧米に暮らすムスリマでは、
それぞれ、また、ヘジャーブに対する感覚は違うと思います。
実際、クルアーンでもヘジャーブという風に明言されているわけではないので、
それぞれ、結構色んな解釈ができるのです。
だから、かぶる人もいればかぶらない人もいる。
容認する人もいれば否定する人もいる。
本来、なんらする必要がない(と思われる)
欧米に住んでいるムスリマたちはどうしてヘジャーブにこだわるのか。
その辺も考えてみる必要がありそうです。


2004年03月16日(火) 奪わないで

スペインに住んでいる友人は、出勤に車を使っているからと、
列車テロの話は、比較的身に染みていなかったのだけれど、
午後から出張がある時とか、
少なくとも、爆破された列車の時間帯近くに、
アトーチャ駅の中を、のこのこと歩いていることも
皆無ではないと、昨日電話で聞いた。

奪わないで、と思う。
私の大事な人を、勝手に奪わないで、と思う。
しかも、国の末端で極普通に生きている人を、
国と国、思想と思想の戦いで、
勝手に奪わないで、と思う。

でも、大切な人を突然奪われて、
涙を流している人が、
いつも地球のどこかにいる。
自分が死ぬよりも、もっと辛いこと。
愛している人の、喪失。


2004年03月15日(月) スイーツ

お使い物を買いに銀座のデパートの地下に行ったら、
あまりにもよりどりみどりで、くらくらしてしまった。
すばらしい、スイーツの品々。
世の中、甘く出来ているのはお菓子くらいなもので、
その他のものは、ますます世知辛い。
そして、そのスイーツもあまりに多すぎると、
見ているうちにだんだん胸焼けしてくる。

スペインに住む友達の会社の同僚の人も、
テロに巻き込まれて入院したというのを聞いていたので、
死傷者も増えているし、会った事もない人だがなんだか気になっていた。
昨日電話で聞いてみたら、もう仕事に出てきているとのこと。
でも、同じ車両に乗っていたその人の近所の女性は、
即死だったそうだ・・・・。
職場の前で、デモがあったから参加してきたと友達は言っていた。
犯人がどうこう、というよりも、
国民はアスナール率いる政府が、自分たちのために
うそをついたことを責めていたそうである。
うそ、というのは、政府があくまでETAのせいにしていたことを指す。
最初から、今までのETAのやり方とは違っていると誰もが思っていたし、
ETAの高官が関与を否定していたにも関わらず、
政府はETAの関与といい続けた。
日本のNHKに当るような1チャンネルなんて、ETAと明言していたそうである。
なぜなら、イスラム勢力であるよりも、
この場合はETAの方が、日曜日に行われる総選挙にとって、
影響が少ないから。

でも、残念ながら、国民は昔ほど無知蒙昧じゃない。
情報操作をしようとしても、自分たちの国、「正規の」報道以外からも、
どんどん情報を得られる。
インターネットというのは、弱者の武器になりえるものだ。
今回も、スペイン国民はネットで情報を集め、
自国政府とマスコミに、疑いの目を向けた。

こういうのを見ると、良識とか良心とか、
そんなものを信じるのがちゃんちゃら甘いことなんだと、
思わざるを得ない。
テロの規模が大きかろうが小さかろうが、
いや、むしろ大きかったからこそ、
スペイン政府は、自分たちの立場を守るために、
やっきとなって、事実を捻じ曲げようとした。
今回は、それがうまく行かなかったけれど、
一体いくつの「真実」が、捻じ曲げられた事実なのか考える時、
薄ら寒さを覚える。
誰が死のうが傷つこうが、何人死のうが、
一般人の死なんかよりも、国の、いや自分の立場の方が、
全然重い。
そして、そういう人たちが、普通に国のトップに立っている。
私たち国民は、政治家の「良心」や「良識」を鵜呑みにしてはいけない。
常に、斜めの視線を持つ訓練が必要であると思う。


2004年03月14日(日) 置いてけぼり(^^;)

今日は大学の「同級生」の卒業式でした。
去年一年、毎月一回会って、
一緒に卒論を書いてきた仲間です。
私以外の3人は無事卒業。
私だけ、凡ミスなので、卒業できませんでした。
なんとも言っているけど、単位が足りなくて(^^;)。
やっぱり、一緒に卒業したかったな〜。
でも、誰とも一緒じゃなく、
中途半端な時期に卒業になるのも、
なんだか自分っぽい気もします。
なんかね、大事なところが抜けてるから(爆)。

一人、置いてけぼりの春なのですが、
めげずにがんばろう。


2004年03月13日(土) 届かない声

スペインのテロの犯人については、
なんだか通常よりももっと、玉虫色になっている気がする。
と言うのも、スペイン政府自体はどうも、
犯人にETAが絡んでいたほうが、どうも都合がいいような感じで、
クルアーンと起爆装置が乗った車の発見も、
「コーランは誰でも買える=絶対的物的証拠ではない。」
というように、妙に冷静に受け止めている。
こういうのを見ると、本当にやりきれない。
殺された人たちの命ってなんだろう。
誰に殺されたか。
それすら、政治家や一部の人間が
自分の立場を守るために、
改ざんしたりお茶を濁したりする。
正義って何のためにある言葉かなと、思う。

そんな中で、どちらかと言うと(いや、完全に、か)、
イスラムよりの人間として、
もし、東京で同じようなテロがあった場合、
そして、私の家族や知り合いがそれに巻き込まれた場合、
私は、イスラムを憎むようになるのか、考えた。
多分、いや、絶対に、自分自身が被害に遭い、
怪我をしたり、そしてそのために障害をおったり、
死んだりした場合は、憎まないような気がする。
因果応報ではないけれど、
自分自身がイスラムというものをある一定評価している部分があり、
それがその結果なのだとしたら、
それこそが、マーシャアッラー(神が望みたもうたこと)。
そういう気がする。

家族や友人知人が被害に遭った場合、
これは私にはよくわからない。
もしかしたら、憎むようになるかも知れない。
やっぱり憎めないかもしれない。
60%くらいの気持ちで、
それでもやっぱり、イスラム=悪という風には
思えないだろうなと想像する自分がいる。
そんな時、私はどうするだろう。
家族や、知人に、イスラムは悪くないんだと、
言い続けるのだろうか。
イスラムや、全てのムスリムを憎むようになってしまった人を、
説得しようとするだろうか。
理解してもらえるように、言葉を尽くすのだろうか。

多分、私にはそれもできない。
憎むことで、悲しみを紛らわせようとする人に、
私にはかける言葉もないだろう。
「違うんだよ、本当のイスラムは、違うんだよ!」
という届かない声を抱えて、
私は、彼らから離れていくしかないような気がする。
声が、届くとは思えないし、
届かなくても、仕方ないと思うから。

そして、
「違うんだよ、本当のイスラムは、違うんだよ!」
という声は、当のムスリムにすら、届かない。


2004年03月12日(金) テロです

スペインで大きなテロがありましたね〜・・・。
犯行声明が出ているようないないような、
スペイン政府はETA(バスク祖国と自由)の犯行の可能性も
捨ててはいないみたいですが、
今までのETAのやり方とはだいぶ違うし、
アルカーイダの犯行声明や物的証拠から、
イスラム勢力の犯行、ということになるような気がします。

私自身は、テロは間違った。負の方法である、という風に思います。
パレスチナに住んでいるパレスチナ人の若者の自爆テロは、
テロ、というよりは抵抗運動だと思うので、
良くない、でもどうしたら止められるか?
と考える難しい問題ではありますが、
その他の場所で、イスラムの名において行われるテロは、
間違った方法以外の何者でもない。
普通の非ムスリムよりはムスリムに近いところにいる人間としては、
怒鳴り散らしたい気持ちに、毎回なります。
自分たちで、自分の首を絞めてどうすんだ!
という風に。

しかしながら、うがった見方をすると、
アルカーイダという組織は、どんな組織なんじゃい?
と、ついついアラブ人たちと同じように
「陰謀説」なるものが頭をもたげてしまうのも、
アラブ好きだからなのでしょう。
一体、あれだけの組織力、統率、資金、計画を、
アメリカのCIAにかぎつけられることもなく、
これだけコンスタントに行える組織って、
一体どんな組織なんだろうか。
ビン・ラーディンのカリスマだけでは指揮できないし、
アフガンへの攻撃で、かなりの幹部が死亡しているはずです。
それでもなお、これだけのことをやってしまえる組織。
じゃあ、アメリカがあれだけ大騒ぎしている、
テロとの戦いの成果って、一体どこにあるのかなと。

力と力の戦い。
力を持たないものは、対抗処置として手段を選ばない。
それがテロなのだとしても、
やはり、それはとってはいけない手段だと思います。
でも同時に、力でテロを抑えつけようとして、
成果をあげたことってあるんでしょうか。
そう考えると、テロ対策も過渡期に来ていると思えるのですが、
世の中は、ますます力で物事を解決しようとする
傾向に流れていっているような気がします。
そうして、その力同士のぶつかり合いで、
命を落とすのは、普通に生活している人々。
やはり、やりきれない思いのみが、残ります。


2004年03月11日(木) ファッション・ヘジャブーヘジャブ考その2−

ファッション・ヘジャブというのは、
カイロに在住したことのある日本人がよく使う言葉です。
欧米人がこういう言葉を使うかは知りません。
親もあんまり宗教的に厳しくない、
まじめーーーなムスリマとは言いがたい、
むしろ流行に敏感な子なのに、ヘジャーブをかぶっている子。
そんなイメージしょうか。

エジプト(特にカイロやアレキサンドリアの大都市)というのは
宗教的な生活といわゆるヨーロッパナイズされたものが結構共存関係にあって、
ヘジャーブ姿のおばちゃんが、ジーンズの娘さんと歩いていたり、
髪の毛を赤く染めたお母さんとヘジャーブ姿の娘が歩いていたりします。
もちろん、強制もあります。
特に、公立の中高でヘジャーブの強制があり、
それが原因で集団ヒステリーが起こったのではないかと、
騒がれたことがありました。
でも、日本だって着たくもない制服を無理に着せられますよね。
そして、こういう子たちは、学校を出た後、
ヘジャーブを脱ぎ捨てたりします。

それで、ファッション・ヘジャーブ。
ヘジャーブ論争の火付け役になったフランスのムスリマ姉妹の写真を、
どこかで見ているとわかりやすいのですが・・・・。
彼女たち、とってもおしゃれじゃなかったですか?
私が見た写真は、お姉さんの方はサーモンがかったオレンジ色のヘジャーブ、
そしてゆったりしたジャケットも同じ色でした。
妹さんの方は、ダークな基調の柄物のブラウス、
そしてその中の一色と同じようなグレーがかったブルーのヘジャーブをしていました。
彼女たちは、決して髪を見せません。
でも、だからと言って、おしゃれをしていないわけじゃない。
むしろ、どうしたらきれいにヘジャーブをまとめられるか、
服とのコーディネートもかなり考えている。
こういう子たち、カイロにもとても多いです。
あと、ぴったりしたブラックジーンズをはいていても、
ベルサーチ調のスカーフで、きっちり髪を覆っている子とか。
私の知り合いが見た子は、すらりとした足をミニスカートからだし、
でもヘジャーブだったそうです。
ここまで来ると、何か勘違いって感じですけど(笑)。

強制されて、いやなもの・・・と思っている子もいるでしょう。
それはどこの世界でも制服に感じるものと共通点があります。
それよりももっと重いものではありますが。
でも、そうではなくて、ヘジャーブに一種のステイタスを感じる
若いムスリマも多くなってきているのです。
どうして、そう思うようになったのか。
次回は、アメリカに育ったあるムスリマの話を紹介します。


2004年03月10日(水) ヘジャブ考−その1

最近、エジプトの不屈のフェミニスト、サダーウィが
日本の新聞社とのインタビューで、
フランス政府が法的にヘジャーブを禁止していることを評価し、
「ヘジャブを着用しなければならないという宗教的抑圧からこそ女性は解放されるべきだ」
と、ヘジャブ自体を否定する発言をしている。
彼女の、不屈の精神や活動は尊敬するけれど、
どうも、今一昔前のフェミニズムの呪縛から
彼女自身が解放されていないような気が、この意見からはする。
それはもちろん、彼女の置かれている現状(イスラム過激派からの死刑宣告、
エジプト政府からの弾圧もあり、エジプトにいる場合はほぼ軟禁状態)を
考慮しなければならないだろう。
しかし、彼女のがんじがらめの状況の周りで、
世界や意識は明らかに変化してきている。

ブルカを脱いだアフガンの女性たちは、ではなぜスカーフははずさないのか。
かぶる必要のない西洋社会の中で、そしてその国で生まれ育った少女たちは
どうしてそこまでヘジャーブにこだわるのか。

宗教的規範、古臭い社会的な慣例、頭の固い大人たちの押し付け・・・。
我慢してヘジャーブをかぶる女性たち・・・というイメージは、
結局半分くらいのことしか表していない。
そういう女性もいる、でも、そうではなく自ら望んで髪を覆う女性もいる。

ヘジャブ(ムスリマがかぶるベールのこと)に関しては、
この日記でも何度か取りあえげているけれど、
再度、このことについて考えてみたい。
それは、イメージとアイデンティティと
個人の自由のせめぎあいのもんだいであるから。




2004年03月07日(日) 周囲の人に恵まれる

もったもったもったもったと、社会人学生をしていると、
一体、自分はなんのために、こんなことをしているのかなーと、
時折嫌になる。
単位がたまってるんだかどうなのか、
いつ卒業できるんだかわからないような状態だと、
仕事もあるし、いっそ止めてしまいたい!と思ったりして・・・。
特に、通信制で勉強していたりすると、
なかなか同じ組織に属しているような人とのつながりもできず、
1人でもんもんとしてしまうことも多い。
通信制の勉強が、なかなか続かないのは、
こういうことが、大きな原因かもしれない。

ただ、私の場合は、かなり周囲の人に恵まれていると思う。
あまり年の制約を気にせず働きながら勉強を続けたり、
仕事を一端中断して、勉強に戻ったりすることに関して。
カイロで知り合った(ほぼ同じ年の)友達の何人かは、
いまだにアルバイト程度の仕事をしながら、勉強を続けている。
もちろんそれは、博士を取るという大きな目標のために、だけれど。
でも、今は働いている日本人女性の知り合いも、
私から見たらすばらしいキャリア(今は国連関係でガザに派遣されている)に満足せず、
その仕事が終わったら、やはり博士課程に進むことを考えているという。
そんな、国際的な人たちだけじゃなくて、
奥さんをしてて、アトピーの小さい子供を抱えながら、
春からは栄養士さんになるために、短大に通うおうとしている人とか。
年だからとか、〜だからと、自分の制限を決めてしまうのは、
実は簡単なことで、
どうなるかわからないけれど、やってみよう!とそれを現実化させるのは、
大変な努力を要する。
そして、始めてみたものの、やはりそれは大変で、
だからこそ、嫌になってしまうのだ。

周りの人から、やる気とか、勇気とか、そういうものを日々もらっている。
だからこそ私も、誰かのやる気になりたいと思う。


2004年03月05日(金) 卒論合格しました

もったもったしていて、全然終わらないかに見えた
通信制大学生活ですが、
何とか卒論を書き上げ、昨日合格の通知をいただきました。
ハムドリッラー(とこういうときは言いたくなる)。
自分自身のことも、結果が見えると違いますね。
まだ、残りの単位があって、この春卒業とはいきませんが(なさけないですけど)、
ここまでくると、だいぶふもとに近づいてきたような気がします。
春はもうすぐってことで。


2004年03月03日(水) 目に見える結果を見ること

イラクに、ムスタファー君という男の子がいる。
極普通の住宅街で、おじさんと一緒にいたムスタファ君の数十メートル先に、
アメリカ軍の爆弾が投下され、おじさんは破片に頭部を直撃され死亡、
ムスタファ君は左脚太腿を負傷し、
一時は左足どころか、命の危険すらあった男の子だ。
彼は幸いにも、1人の日本人ジャーナリストと出会う。
そしてそのジャーナリストは、「たった一人助けても・・。」という思いを持ちながらも、
誰か1人でも助けたい!という気持ちから、
日本国内でムスタファ君支援を始めた。

一時は命すら危ないところまで来ていたムスタファ君の近況が、
最近になってメールで届いた。
まだまだ、何度も手術を受けなければならず、
そのためにはまず、心の傷を癒すことが必要ということだが、
弱弱しく、ベットに横たわり、大きな瞳に悲痛さを湛えていた少年は、
松葉杖をつき、自分の足で学校にも通い始めているという。
メールに添付されてきたムスタファ君の顔は、
以前の病院での写真とは別人のように、
闊達で利発そうなアラブの少年の顔をしていた。
大好きなナカタに会いに日本に来たいと言う。

本当はたくさんのムスタファ君がいて、
その中のたくさんが、私たちのムスタファ君のような幸運に合うこともなく、
手足を失ったり、命を失っているのだろう。
たった一人を救ったことに、私たちは満足してはいけない。
それはわかっていることだけれど、
やはり、目に見える結果が必要なのだとも思う。
自分がこの子を助けたのだ、その手助けが出来たのだ、
と思える結果を見ること。
無駄ではなかったんだ、と思えること。
それがまた、次の支援へと、私たちを向かわせる原動力になると思う。

ゆっくりと、一歩一歩学校に向かうムスタファ君の足取りのように、
不器用でもいい、何かを続けていくこと。
平和を願って。


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