ぶつぶつ日記
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正直いって、それが私の手に来た時、 こりゃあ厄介なものをもらってしまったなー、 という気持ちも確かにあった。 くれた人の気持ちもわかる、 出来たら私もそうしたい。 でも、できるわけ??? はてなマークが100個、 汗マークが100個、 私の頭には浮かんだのだった。
それからしばらく、 暇があればネットで目的の店を探したり、 詳しそうな人に直接尋ねてみたり、 人に頼むのか、 自分でするのか、 そんなことを一から探してみた。
そうしてやっぱり・・・、 人になんてまかせてられるか、 出来合いものでお茶を濁せるか! という気持ちになってきて、 ネットで探した場所にある日、 ブツを握って決死の覚悟で赴いたのだった。
ようやく、何ヶ月もかかって、 私は自分の手で、それを完成させた (もちろん先生の指導の賜物です、深くお礼)。 宝物が1つ、私の手に。 それは今まで持ったこともなかったような、 正真正銘の、本当の宝物。 そして、そのものよりも輝くのはきっと、 大切な気持ち。
最近出た雑誌でイスラムの女性のことをリポートしているものがあった。 もともと、この雑誌は完全にイスラムバッシングの視点から 全ての記事を取材しているような気がしていたが、 やはり気になったので、立ち読みしてみた。
私はここで書かれている記事が、 うそで誇張である、とは全く思わない。 どれもこれも、ある国や文化の、 片側の真実をフォーカスしている。 それを知るのは大事なことだろう。
それでも、でも、と思う。 そうではない、別の視点から見ることは 無駄なことなのだろうか? イスラムの国で暮らす女性たちが全て、 虐げられているわけではなく、 彼女自身が好んでベールを身に着けている場合もあるし、 むしろ日本などよりも、女性にとって働きやすい環境を 享受している女性も存在するのだ。 それが極一部の選ばれたエリート女性に許されていることだとしても、 そんなことは、日本にだってたくさんあることじゃないだろうか? 普通の人はできない、でもお金持ちのエリート女性はできること・・・。
片側を見たら、 もう片側も見たい。 私の価値観と、私以外の人の価値観は 決して同じものではないから。 いつも視点の、見えない片側を意識していたい。
サウジでテロの被害に遭ってしまった友人が帰国している。 精神的動揺はあるようだが、体の怪我の方は大したことがなく、 とにかく元気な声が聞けたのは安心した。 むこうに戻ったら、また家探しをしなくてはいけないようだし、 その新しい新居もまた、外国人居住区にならざるを得ないわけで、 なかなか大変だろうととも思う。
テロのことを別の友達と話していた時のことだが、 その人が言った何気ない一言にどきり、とした。 「それにしても、便利な世の中になったものですね。 大して原因を追究することもなく、 何かというとアルカーイダの名前を持ち出せばいいんですから。」 ・・・・。 確かに。 アルカーイダであったとしても、 どうやって国内組織を作ったのか、 どうやって爆薬その他を入手したのか、 支援者は? 等々、調べなくてはいけないことはあるだろう。 そうして、それは知らされるべきことだと思う。 亡くなっている人もいるのだから。 アルカーイダでした、はいそうですか、 で終わる問題じゃない。
次から次へとアルカーイダ。 アルカーイダって、CIA並みの組織力と資金力、 なんですかね?
2003年05月25日(日) |
楽しくなってきました |
少し前に卒論の研究会と言うのがあって、 初めて担当の先生や同級生というか、 今年同じ先生のもとで卒論を書く人たち、 去年卒業した先輩たちに会いました。 それぞれ大体テーマは決まっていて、 それをどう肉付けしていくか、 これから頭がいたいことではあります。 でも、本や論文を読んだり、 自分なりに予備調査を考えたりしているうちに、 大変さよりも楽しさの方が全面に出てきました。 何となく、わくわくします。 どうなるかわかりませんが、 辛くなったら今の気持ちを思い出そう。
そして今のところ、先の卒論よりも 目先の中間課題(^^;)。 締め切りは近いのに、やってない課題が2つあるぞ。 とほほ(^^;)。
結局学校側の対策としては、 7月期のサマーインテンシブに関しては、 WHOのSARS危険地域からは学生を取らないこと、 在校生には国に帰らない、国から来た家族や友達とは 来日10日間は会わないように、 というようなガイドラインを決めたそうだ。 在校生に関しては、どこまで拘束力があるのかはわからないけれど、 ガイドラインを作っておくことは仕方のない防御方法だろう。
このままSARSが続くと(特に中国本土で)、 今年の10月の入学時期、 そして来年の4月と、 日本語学校はかなりの非常事態になると思う。 何せ、学生の半分以上(学校によっては80%以上だったりする)が 中国の本土から来ているのだから。
そんな状況を見ながら、 やはり、「普通の」日本語の先生で満足していては、 将来はなかなか難しいと言うことを 改めて考えている。 業界が不況になった時でも切り捨てられない先生、 それがどんな先生か一概には言えないけれど、 やはり何かアピールできるものがないとだめなんじゃないか。 さて、どうしましょう。 私の場合はやるべきことは決まっているかな。 それをこつこつとスキルアップできればいいのだけれど。
体力的に疲れております。 たまに真面目に仕事するとこれだ(^^;)。 明日は朝から栄養ドリンク〜。
2003年05月20日(火) |
見えない鉄条網の向こうで |
ガザに行っている知人のメールはいつも ニュースでは知ることができない情報でいっぱいだが、 現在ガザのエレズ検問所では、ほとんどの外国人が とおれない状態が続いており、 「イスラエル軍に撃たれてもイスラエル軍のせい にしない」(!)という趣旨の文章に 国連の国際職員が署名するよう求められたりもしたらしい。
以下知人からのメールからの抜粋 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人道援助を行うNGO職員はもちろん、国連の国際職員も含めてです。国連職員 で、たまたま週末イスラエル側に行っていた人は、先週ガザの業務に戻れなかった し、ガザの職員は業務でも私用でもガザから一歩も出られませんでした。国連側の書 類・物資・人の動きが止まってしまっていました。私が8日にNYあてに出す国連内 メールはガザから出られず、私が帰って来た時もまだガザに残っていました。急ぎの 書類だったので仕方なく今日150枚近くの書類をNYあてにファックスしました。 (非効率、コスト高きわまりない!)
先週の土曜日朝から、上記完全封鎖は「一部」緩和され、国連の国際職員と一部NGO の職員の通行が朝8時から夜8時まで可能になったのですが、それも全ての国連職員で はなく、イスラエル側から送られてきた「リスト」に名前が載っている職員のみが通 行可能ということになっているようです。18日の朝、幸いにも私の名前は「リスト」 にあったので、ガザに戻ることができました。 つまり、現在、ほとんど全てのNGO職員、ジャーナリスト、旅行者のエレズ通過(ガ ザ←→イスラエル)が「不可能」な状況です。(これからガザに来ることを考えてい らっしゃる方、安藤まで前もって連絡ください。)
この状況が緩和されないと、現在ガザにいるNGOの職員がビザの再取得に国外に出る ためエレズを通過したくてもできなくなって、ビザ切れのようなことになってしまわ ないかと心配です。国連やその他の人道支援のNGOの活動に非常に深刻な影響を与え ています。
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国際社会から、すべてを目隠ししている中で、 一体イスラエルは、これから何をしようというのか。 ニュースになるのは、自爆テロの話題ばかり。 自爆テロは確かに事実である。 でも、見えない鉄条網の向こうで、 「何も」行われていないということを世界が ただ鵜呑みにするのなら、 平和を求める気持ちなど、幻になってしまう。
人にはそれぞれいろいろな事情があって、 その比重が大きい人と、小さい人がいるのは確か。 それを運命の不平等というのだろうが、 でも人に見せている部分がすべて、 その人の本当の姿というわけじゃないだろう。 大変な顔をしていなくても、 実は裏に回れば大変な思いをしている人はたくさんいる。 自分が大変になってしまった時、 自分がつらい時、 人は他人のそういう裏の部分に 全く目が行かなくなってしまうけれど、 もしかしたら、この人も大変なのかもしれないと 想像する気持ちを持っていたいと思う。 そういう気持ちを、「思いやり」と言うのかも知れない。 生きていくのは、確かにみんな、たいへんなんだ。
2003年05月16日(金) |
白装束とたまちゃんと、有事三法案 |
白装束が連日テレビを賑わしている間に、 有事三法案可決、成立。 大体、有事三法案って何ね? どんなことが起こるわけね? って詳しいことを知るまもなく、決定。
アメリカが戦争をはじめる前には、 UFOねたがテレビを賑わすという。 白装束軍団、結構昔から問題を起こしていましたよね。 同じようなことでしたよね。 じゃあ、何で今なんだろう? どうして5月15日に天変地異だったんだろう?
何も信用できない私は、 胡散臭さを感じてしまう。 それは政府だけではなく、マスコミにも。 本当に糾弾すべきものは、 白装束ごときなのですか?
なんだかこの職場での居場所を考えると、 自分は所詮、はみ出し者なんだよなーと思っている今日この頃。 というか、入った経緯からしてアウトサイドなので、 仕方ないとずっと思っているし、 治外法権の身というのはそれなりに便利ではある。 でも、なんだかこのままここにいて、 どうなるんだろう・・・という気持ちが どんどん強くなっている。 元々、ずーーーーーーっといようと思って入った所ではないにしても、 すぐに辞める!と決めて入った所ではないし。 でも、誰にも私のことは「日本語教師」としては 認識されないし、認めてもらえないのかと思うと、 一体何のためにここに入ったんだろう、 本末転倒な気がしている。
それでもまあ、捨てる神あれば、拾う神ありで、 それなりに気にかけてくれる人もいたりして、 そう言う時は、人の言葉の一言に、 どかーーーん、良い意味でやられてしまったりする。 全く、もてる理由がよくわかりますよ>H先生(笑)。
そうして私は思った。 自分の居場所がないのなら、 それは自分で作ろう。 その場所は、今いるここではないかもしれない。 でもどこかに、きっと作れるはず。 それにはまず、自分を作ることから始めないとね。
私が勤めている学校では、 自主的にアジア全域をSARS危険区域を定めることにしたらしい。 ナーバスだとは思うが、何もしないで何かあるよりは 一応ガイドラインを決めておいた方が良いかなとも思う。 そんな放送を聞いていてふと、 自分はSARSについてあまりきちんとした情報を持っていないことに気がついた。 何となく、魔女狩り的な怖いうわさばかりを聞く気もする。
調べてみて思ったのは、 ここまでの騒ぎになったのはやはり、 短期間で一気に病気が広がったことではないかと思う。 感染力ならもっと強い菌があり、 完治ももっとしずらいものもあるが、 とにかく新しく認識されて、 広まるまでが異常に早かった。 これがもし、年単位のスパンで広がったとしたら、 あまり騒ぎにもならなかったような気もする。
前にも思ったことだが、 クローンだ、デザインチャイルドだ、人ゲノムの解明だ・・・と、 科学は生命の神秘をあばき、神に近づく勢いかと思われるが、 実際は、菌1つになす術もない状態。 いまだにエイズの特効薬もない。 科学の進歩ってなんだろう? 人類はいつも、何かに踊らされて、 何かしらの病に怯えている。
世の中、資格がなくては生き残っていけないような風潮である昨今。 私は学校の中ではPC関係一括担当であるが、 PC関係の資格など一切もっていない。 まともにどこかで勉強したことないので、 そりゃもってないわな、資格。 でもこれってやばいのかしらん。 何か関連資格を取らないと・・・。
ダブルワーカーな私の、ダブるな職場は週末のみ。 週末の仕事では色んな立場の人がそこに集っていて、 この間もその話しになった。 すきでもない、経験もない、でも簿記の資格を取るという。 でも実際このご時世、 経験は長いが資格はない人、 経験はないが資格がある人、 どっちが言いかっていったら、 前者じゃないの?即戦力が欲しいわけだし・・・、 という話になった。 一番いいのは、経験アリ,資格アリ、なのは誰しもわかっているが・・・。
でもこういう気持ちを持つのはいいことだと思う。 今の自分の立場やなんやらに、 不満や危機感を持っているということだから。 そしてそれを、何とか自分で解決できないかと、 自分なりに考えて模索しているということだから。 月ー金の職場は、そんなことは考えもせず、 漫然と過ごしている人が大変多いので、 こういう話を聞くと元気が出てくる。 世の中厳しいんだよなーと思うことは、 とても大切。
2003年05月11日(日) |
ベトちゃん、ドクちゃん |
懐かしい名前だが、昨日の新聞で久しぶりに彼らを見た。 日本人観光客でにぎわうベトナムだが、 いまだに直接枯葉剤を浴びた世代から見ると 孫の代になっている現在でも、 その後遺症による障害児が生まれてくるという。 特に彼ら二人がクラス平和村の病院では、 毎日一人の割合でそういう子供が生まれてくるということだった。
分離され、別々の体になったベトちゃんとドクちゃんは、 すでに「ちゃん」などとは言えない年になっていて、 22歳になったドク君はバイクやコンピューターを使いこなす、 活発な青年になっていた。 でもベト君はいまだに寝たきり、 介護なしには生きていけない状態である。
劣化ウランについて、 アメリカの発表は人体に影響のあるものではないということだが、 枯葉剤を思い出すとき、 それの発表を頭から信じて良いのか、という疑問が湧いてくる。 歴史から学んでいる? ということも、期待できるのだろうか。
今日もまた生まれてきている枯葉剤の後遺症を持つ子供たちを思う時、 疑いを持つことは、必要なものだと強く思う。 監視し、注意し、調査しつづけること。 それを使った国の調査ではなく、 第3機関の厳密な調査により、 はっきりしたことがわかるまで、 私たちは、注意し続けなくてはならない。
2003年05月08日(木) |
イエローケーキの行方 |
なんでもかんでも略奪されているイラクで、 核施設までやられちゃったのを知っているだろうか? はっきり言ってもんのすごい大事件だと思うのだが、 どうしたものか、大してニュースにはならなかった。 どうも、かなり貧しい地区にあったらしく、 人々は何も知らずに工場に入り込み、 「水をくむのにちょうどいい!」という感じで、 ドラム缶ごと持っていってしまったらしい。 盗んだ住民はもちろん被爆、 中には中身を河に流した人もいたらしく、 それって水質汚染というのでは・・・と青くなるが、 そんなことを気にかけるお偉いさんは アメリカにも、そして日本にもいないのか。
こんな所に、戦後復興の手伝いと称して、 行かなければいけない人たちの苦労を思うと、 暗鬱たる気持ちになる。 そしてイエローケーキはどこにいっちゃうのかな。 河に捨てられてしまっただけ? 巡り巡ってお隣の半島、北側の国に渡った日には、 はっきりいって全く笑えないぞ。
【この件に関しての補足情報】 ・イラク全土で7箇所ある原子力施設の全てが略奪された。 ・アメリカによると、何がどれだけ盗まれてどこへ行ったか、 全く追跡不能。 ・イエローケーキの入っていたドラム缶は一般家庭の水の貯蔵にすでに使われている様子。 ・元イラク原子力研究所関係の人が、周辺の家庭一軒づつまわり、危険なので使用せずに返すように説得中。 ・しかし元々貧しい地区が多いため、ドラム缶を取った住民としては、貴重な水がめがなくなるので、返還には難色を示している模様。 ・このドラム缶、洗った所で放射能がなくなるわけではないようです(あたり前か)。 ・被爆の症状が出てくるのは、3,4ヶ月あと・・・。
それにしても、イラク関連のニュースが1面をにぎわすことも ほとんどなくなってしまった。 賑わしているにはいるが、それは例の記者の記事だったりして、 イラクが今どんな状態なのか、 伝えてくれるニュースはあまりにも少ない。 アメリカもイギリスも、大してフセインを探しているようには思えないし、 大量破壊兵器が見つかっていないことも、 もうどうでもいいらしい。
アフガンは良くなったのか。 残念ながらそれは、否。 地方の荒廃ぶりはタリバン以前の状態に戻ってしまったようだ。 ペシャワールの会の医療活動も、大変そうである。 でももうアメリカの、そして日本の、 意識はアフガンにはとどまっていない。 復興の意義も、行動も。
イラクは良くなるのか。 これも未知数。 急激に冷えていく報道を見ながら、 次は何が一面を賑わすのかと考える自分がいる。 その後に残された人たちの心もまた、 急激に冷えてはいないかと、思いながら。
色々先のことを考えてくさくさしてしまったけれど(@仕事)、 A案、B案を考えたら、少し気が楽になった。 私は別に背中に背負うものがあるわけじゃない。 自分ひとりの面倒を見ていればいいわけなので、 どうしてもだめだったら、道筋を変えてみるのも、 全然オーケーなわけだ。
来年の今頃、A案、B案、 どちらに on the wayしているんだろう。 もしかしたら、全く考えていなかったC案、D案に なっているかもしれない。 それもまた、良し。
先々週から先週半ばまで、 足が宙に浮いているような状態で、 ものすごーくわくわくしていたのだけれど、 ちょっとしたことで、 ドボン。 おまけに昨日は、バイトの最後の最後の時間に、 いやーなクレーム電話は受けてしまうし、 家に帰って、夜遅くにせっかく電話した相手と ろくに会話もはずまないまま電話を終えたし・・・。 明日からまた夜の授業が始まって、 しかも相変わらずの鼻つまみコース。 学校中、誰も力を貸してくれないし、 その上担当の先生が一人辞めるので、 本当にぎりぎりの人数でやっていかなくてはならないし・・・。
珍しく、ドボンと沈んで、 かなり下まで潜って来てしまった。 まだその状態で息は苦しくなっていないから、 しばらくこのまま沈んでいるのかな。 あまり沈んでいると、浮くのがたいへんなのは、 わかっているけど。
今月もまた本貧乏になってしまった。 でも今月は致し方ない。 何せ卒論のための参考資料として 何冊か購入したので。 それにしても、こう言う本(日本語教育関係とか)って、 本当に高い・・・。 そんなに厚くも、字が細かくもないのに・・・。 売れないから仕方ないかも知れないけど、 かーなーりーーー、痛い。 いたたたた、って感じである。 しかも普通の図書館にもほとんど置いてないし・・・。
ってわけではないけど、 明日もバイトに行ってきます。
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