ぶつぶつ日記
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デザインフェスタから、もう一週間経ってしまった。 早い、早すぎる。 今週一体私は何をしたんだろう。 疲れてろくなことはしなかったことは確かだ(反省)。 いつもは、時間が経つのを早く感じるのは好きじゃない。 追い立てられているような感じがしてしまうからだ。 そして時間がないと感じて、どうにも焦ってしまう。
でも今だけはちょっと違う。 どんどん、もっと早く時間が経って、 あっという間に一週間経てば良いのに。 早く早く、もっと早く時間が経って、 私を早く連れて行って。 大丈夫、きっとそれはすぐ。
うちには高校生と中学生がいる。 4つしか離れていない兄の子供だが、 やつは結婚が早かったので、子供はすでにでかい。 上の子は、未熟児で生まれてずーっと小さくて、 そして今も小さい(笑)。 下の子は中学生なのにもう175センチ以上あって、 ぬぼーーーっと歩いている。 一緒にお風呂に入って、 つるっとすべっとお湯に沈めたことがあるとか、 人の脛の上で毎晩寝ていたとか、 そんなことは、覚えていないんだろうなあ(^^;)。
彼らが生まれた頃と今と、 自分はあんまり変わっていない気がする。 体型は変わったとは言え激変しているわけじゃないし、 髪型も服の好みもあまり変わっていなくて、 彼らが生まれた頃の私の写真と今の写真と、 比べて見ても大差はないと、自分では贔屓目に思う。 中途半端に年が離れているので、 彼らの中で私=おばさん、という感覚が希薄らしく、 2人して私を呼ぶ時は「かーは?」と言う なんともわけのわからん呼び方をしている。 上の子はそろそろ大学受験を考えはじめていて、 時折ぼそっと、私に相談事をしてくる。 そのうち、好きな人の話をしてくれないかしらん。 それが今の私の楽しみである。
多分私は、かなり体内時計がきちんとしている方だと思う。 一定時間に目覚ましがなくても目覚められるし、 もちろん同じように一定時間に眠くなり、おなかもすく。 それは1日のリズムだけれど、月単位のリズムもかなり正確で、 初潮が来てから今まで、お月様のリズムが狂ったこともほとんどない。 そのため、この年になると子供も生んでもいないのに、 お月様の予想どころか、排卵日までわかってしまう。 あ、そろそろ排卵だ〜というのが、 体調その他もろもろでわかるのだ。 そうして、そのことで1人にやりと含み笑いをしている今日この頃。
お月様の周期がきちんとしていている場合、 朝お月様が来るのが女性本来の持っているリズムらしい。 んで、排卵。 意識してよーーーーく自分なりに観察すること数ヶ月。 「あ、そろそろ来てます!」って言う兆候は、 必ず夕方起こるのだ。 某シエスタ文化の国では、子供の半数はシエスタ中に作られる、 というような話もあるようだが、 太古から子作りって言えばそれは夜よね。 闇に紛れてよねー(笑)。 これだけ生活様式は変わっても、 人間の体って言うのは案外かわらないものなんだなと思う。 私の体は今日もせっせと、太古からのリズムを刻んで動いているのだ。
2002年11月27日(水) |
それでも人は死んでいく |
クローンベイビーが来年の1月には誕生するそうだ。 私はこのクローン研究というのが、かなり嫌いである。 臓器移植の可能性を探るとか、生殖医療だとか、 正当化する理由はたくさんあるのだろうが、 もっとも嫌悪感を持つ「最先端研究」である。 大体、この「最先端」と言うのもどうも好きになれない。 最先端として生み出されたものが役に立つことも多いし、 コンピューターなどに関して言えば、自分のその技術を 享受しているのだけれど、 だからと言って手放しに受け入れられるものばかりじゃない。
クローンの牛や羊の寿命が極端に短いことは良く知られており、 それを防ぐ手立てはまだない。 そして原発だって、大量の危険なゴミをだし、 そのゴミをきれいさっぱり浄化する方法など 一体誰か研究しているんだろうか? 失われるオゾンを補填する方法はいまだに見つからない。 木はゆっくりしか生長できず、その何百倍ものスピードで 森林は伐採されつづけている。
私のいとこは17歳でガンで死んだ。 闘病生活はたったの49日間で、 おなかのがん細胞はその間に7キロにも増えていた。 そして高校の時に仲の良かったよしえちゃんは 1年間の闘病生活ののち、 一度も退院することができずに20歳で白血病で逝った。 子供たち、お父さんやお母さん、恋人・・・、 ガンや白血病、そのほか様々な昔からある病気で、 毎日人が死んでいく。 古い病気であるはずの結核ですら、 人間は絶滅させることができていない。
新しければ良いというのは、 人間のおごりのような気がする。 1つの最先端技術が形をなす度に、 また新しい死への道筋ができているように思える。 クローンを作っても、エネルギーを開発しても、 昔からあるものはそのまま、むしろ力をつけて私たちを 死の淵に追い込む。 誰も何も,死からは逃れられない。 こう言うとき、人は神の影を感じるのかもしれない。
2002年11月26日(火) |
最近のアーティストは子ども好き? |
それにしても、子連れ参加が多かったデザフェス。 多国籍屋台の子どもまで混ざっちゃって、 開店前や閉店後の会場はにわか保育園の庭状態。 背中にブース番号しょわされて歩き回るお子様あり。 はっきり言って、可愛いぞ(笑)。
アーティストってどんなイメージだろう。 なんか、子どもなんて好きじゃなさそうなイメージ? でも最近の人たちはみんな子ども好きらしい。 サイバーなねーちゃんも、ファンキーなにーさんも、 結構地道に子どもの相手をしている。 ママさんパパさんアーティストが増えることは、 いいことだ。
気がつくと自分ひとりで勝手に肩に力が入って、 どうにも動きがギクシャクし、 ぐるぐる同じ所をまわっていることがある。 それは自分が今どこにいるかもわからずに気ばかり慌てて、 前を見ずに下ばかりを見て歩いているせいもある。
子ども頃から、私を止めてはくれる人はいなかった。 むしろ1人で突っ走る私を見て、面白がってくれる人ばかり。 それはそれでうれしいことだが、時折そんなことが何もかも嫌になる。 でもそれを口に出すこともできずに、 そんな自分のイメージを自ら助長させてきた。 止まってゆっくり考えたい。 むしろ何も考えずにしばらく止まっていたい。 そんなことを考えても、そんな習慣がないので ちょうどいい宿木を見つけることができず、 回遊するマグロのように、ひたすら泳ぎつづけていることが多い。
糸の切れたタコのようにふらふらと所在無さ気に空を泳ぎ、 風を失い地上に落下する危険性から私を守っているものは、 たった一つだけ。 ゆっくりと私を地上に引きおろす細い糸。 その手に戻ったらしばらくは、何もしない、何も考えない。 私がゆっくりできるただ1つの場所だから。 けれどその手はまた、私を飛ばすことができるただ1つの手でもある。 遠くへ、より高く。 風に任せて私の好きなところへ、私を送り出す。 糸のはしを常に感じるから、私はまた、 1人で空に向かう。
ってわけで、すっかりおさぼりしておりました、日記。 何とか終わりました。 ふ〜。
デザフェスを終えると、自分のつめの甘さに どよ〜〜んとしたりする反面、 よし!次こそ!っていう奮起材料にもなります。 今回もそれは同じ。 でも春のDFには多分参加しないことになると思います。 春には春で別の催しも計画中だし、 ちょっと1年に2回というのは、私の中では重い。 時間がなくて満足行かない部分が今回もかなりあって、 でも生活との兼ね合いでそうそう時間も取れず。 だったら無理に2回出すことはないな、 というのが連続2回出してみてわかったこと。 これも、やってみないとわからないことでした。 他にも色々思ったことはあったんだけど、 それはまた別の日の日記ででも。
今回のDFの覚書
・お仲間ginnさんの作品、ブースディスプレイとも、 ワールド全開ですごかった! http://homepage2.nifty.com/mado8/ 改めて銀粘土の造形の楽しさや無限さを見せられた感じ。 ディスプレイも手を抜かない姿勢はさすがです。 全面バックアップのだんなさんとむにちゃんも素敵です。
・ネットで素敵な作品を拝見していた広島のHANAさんも参加。 http://homepage2.nifty.com/HULOT/top.htm その細工の細かさ、作品の繊細さにはため息。 もし自分がアクセサリーを作っていなかったら、 絶対彼女の作品を買いまくって、破産していることでしょう(笑)。 ご本人も作品と同じように、 ちょっとミステリアスな雰囲気の超美人!!! これまたうらやましい・・・。
・ビーズアクセが減っていて、編物系がすごい増えていた。 季節柄かなあ?
・シルバーも多い。そして粘土とおぼしき人たちも・・・。 でもなんか、銀粘土で作ってるって、隠している人たちばっかり。 別に何で作ろうがシルバーはシルバーだけど、 でも自分の扱っている素材に誇りがないのは良くない気がする (だって聞いたら、すごい嫌そうに答えをはぐらかされたんだもん)。
・彫金のシンバちゃんが実演を見に来てくれたので、 一緒に散歩した。 http://members.jcom.home.ne.jp/gasbuner/ 彼女の目から見たすごい人たちのブースに行って、 色々面白い話を聞いた。 自分じゃなかなかそう言うのに気がつかないので勉強になった。 ありがとう!シンバちゃん。
・買ったもの 雲のピアス、ガラスのハリセンボン ハートのピアス、ウサギベル(この2つは身内から)。
・デザフェスに出ると面白い人がたくさんいるんだなーと思う。 すごい人も、いっぱいいるんだなーって思う。 そういうことを思えるので、デザフェスは面白いんだろうな。 でも、ライブの音がうるさいのは勘弁してほしい・・・。 特に、下手なやつらに限って大音量。 首締めたろか。
ある特定な日にちが近づくと、 じわじわ〜とナーバスになってしまう。 それは一年にあるかないかの大イベントであるので(時期はまちまち)、 緊張したりするのは仕方ないことなんだけれど、 じわ〜とくる。 とてもくだらないこと、杞憂であるのは間違いないのだが、 些細なことが気になる、 本当に大丈夫なのか不安になる。 だって・・・、万が一ってこともあるでしょう? 色々と・・・。
現在、じわじわ〜とその状態が来ている。 その日が来ると、ナーバスは一気にハッピーになるのだけれど、 今はじわじわじわわ〜とナーバス。 その日までもうそんなに長い時間はない。 じわじわナーバスに負けないようにしなくっちゃ!
某大型日本語教師サイトを見ていると、 日本語教師になりたい高校生の進路相談が時折ある。 もし、私が直接相談されたなら、 とりあえず「逃げ道」を用意する方向を勧めると思う。 それは、日本語を専攻を選ぶのではなく、 何か別のものを選んで、できたら副専攻程度に 日本語を勉強する道がないか調べること。 もしくは、全く違う専攻でもあえて構わないという道。 なぜなら大学さえ卒業していれば、 養成講座を受けたり検定を受けたりして、 日本語教師になる道は、大学卒業後もたくさんあるから。 そして、どうして日本語教師に一見まっしぐら!に見える道を勧めないかというと、 そこまでして勉強しても、 他の先生よりも専門的になれるわけでも大してないし、 世界が狭くなってしまうし(世界が狭い日本語教師はたくさんいるが、 これは学生のとってはとても不幸なことだ)、 遊びたい盛りの若い人にはとても勧められる職業ではないなあ、 という意地悪な気持ちがあるからだ。
実際、同じようなことをたくさんの人たちが言う。 そしてその中のかなりたくさんの数の人たちが、 若い人には勧められない待遇であることを、 むしろ嬉々として受け入れている。 なぜなら、だからこそ、その人たちが働く場所があるから。 でも、私はそうはなりたくないし、 それは間違った考え方じゃないかと思う。
先んじた者はその場所に胡座をかいていてはいけない。 自分たちがその状況で生きていけるからと言って、 あとから来る人たちにもそれを強いてはいけない。 状況を好転させてライバルが現れて、 自分たちが追いやられることを恐れてはいけない。 追いやられないように、自分も切磋琢磨してこそ・・・。
本、やっと来ました。 じっくりじっくり見ていたので、 寝不足になりそうです(笑)。 なんでも、こうやって形になるのはうれしいもの。 ましてや、自分から働きかけたのではなくて、 外から自分のやっていることを認めてもらえるのは、 本当にうれしいこと。 これからは、もっともっときちんとした物作りをしていかないと。 自分の作品のあらを見ながら、そう思ったのでした。 これからもよろしくお願いします。
うれしいこと、幸せなことは、あまり人には教えない(笑)。 それは意地悪で言わないのではなくて、 うれしいことや幸せなことは、とても個人的なことだから。 その瞬間にぽっと、胸の中が暖かくなって、 その熱が胸の中でまあるくなる。 まるでクリーム色の卵のように。 その卵をつぶさないように、そっとそっと、暖めておく。 幸せの卵がこっそりと、でもどんどん、大きくなれば良いと思う。 私の胸の中で。
本はまだ来ません・・・。 DFにはそれをメインに出そうと思っているので、 結構まじーで焦ってきました。 どーすんのよー。
そして最寄のJR駅の側にある本屋さんを 目を皿のようにして、軒並み探してみたけど、 やっぱり本はなかったわ。 川の手地区は文化不毛地区、やはり無理なのか・・・。
アートクレイのサイトの関連商品にもアップされてないし。 やっぱり本部講師じゃないものが作った作品だから、 本部としては宣伝してくれないのか・・・。
なーんてナーバスに考えちゃうわー。 一緒に仕事をした静岡の友だちは別途注文した本が20冊、 すでに届いているので、 立派な宣伝ページが出来ていた。 そして出版記念にお買い物だと〜????? 早く私もそうなりたい・・・。
今日はついに本の発売日! ちょっと前に出版社のサイトでも発表になっていて、 献本が届くのを今か今かと待って・・・。 そして発売日だよ・・・。 もう夜だって言うのに、私のところにはまだこない。 一緒に仕事をした静岡の友達のところには、 午後に届いたらしいんだけど・・・。 そして、新宿の紀伊国屋で買って帰ってきた友達もいるけど・・・。 私はまだ見ていないんだっちゅーの〜。 どういうことよ〜(苦笑)。
でもまあ、発売になったってことはわかったので、 よしとしよう。
アートクレイシルバーで作るシンプル&キュート かんたんシルバーアクセ (パッチワーク通信社、1449円)
初心者向けの本なので、あまり凝った作品はありませんが、 作品のほか、アラビア語の見本なんかも載ってます。 詳細はパッチワーク通信社のサイト http://www.viq.com/index.html でもご覧になれますし、 こちらから買っていただくこともできるようです。 もしよろしかったら、本屋などでチェックしてみてください。
それにしても、私も早く見たいよ・・・。
上総掘り、というのを知っているだろうか。 上総、それは今の千葉のことだけれど、 その名前をもつ、井戸を掘る技術。 動力を全く使わず、竹と人力でのみ井戸を掘っていく技術。 具体的には丸太でやぐらを組み中央部には大きな車をすえつけ、 この水車かと思われる装置を使う。 鉄棒に替え竹を使っていて、 その竹の(しなやかさ)おかげでそれまでの10倍以上も深く掘れるようになり、 温泉や石油のボーリングに大活躍したそうだ。 しかし、明治から昭和にかけて大活躍したこの技術も、 日本の経済力が上がっていくにつれて衰退し、 やがてはなくなってしまった。
ここに、1人の上総掘りの職人さんがいた。 上総掘りの仕事がなくなったとき、 その人は警備員として働き始める。 しかし偶然にも担当したのは民族博物館。 そしてそこには、上総掘りについてのコーナーもあった。 ある時、この人は熱心に上総掘りコーナーを見ている男性と知り合い、 それがきっかけで、途上国での井戸掘りプロジェクトに参加する。
昨日見た番組は(いわゆるバラエティーなんだけど)、 それを手短に紹介する番組で、 スタッフは一番最初にこのプロジェクトによって掘られた井戸を見に、 フィリピンのミンダナオ島まで出かけていく。 青々とした畑の中、その井戸はまだこんこんと水をたたえていた。 そして、その時この職人さんと一緒に井戸を掘った男性に会う。 20年近く前、たった2ヵ月一緒にいただけなのに、 この男性もその奥さんも、 「コンドーサン」とはっきりとした日本語発音で、 その職人さんを懐かしがった。 彼は今、ミンダナオの農業関係の事務所に所属し、 彼の研修生とともに、 「上総掘り」で井戸を掘りつづけているという。 「フィリピンのコンドーサンです」と自分のことを、 うれしそうに話していた。
71歳という、今の日本ではまだ惜しまれる年齢で8年前に亡くなった近藤さん。 フィリピンの男性はそれを聞き、 「きっと、天国でも井戸を掘ってるんじゃないかなあ。」とつぶやいた。 アフリカで、アジアで、「コンドーサン」のことを 覚えている人がたくさんいるんだろう。 そして、「コンドーサン」のことを知らなくても、 彼の伝えた技術で命を救われた子供たちがたくさんいるだろう。 お金やものを与えるだけでは本当の助けにはならない。 彼らが自分の手で井戸を掘れるようになること、 それが「コンドーサン」の願いだった。 支援とは何か、人が人に何かを伝えるということ、 声高にさけばなくても、実践し行動した人がいたこと。 こんこんと、世界で湧きつづけているだろう井戸を想像し、 そんなことを考える。
実はそのことをメールに書いた時、 その勉強法を彼女も気に入るんじゃないかという、 確信犯的なものを感じていた。 会ったことがないが、本の趣味でかなり重なる部分を持つ人で、 お互いに活字中毒なこともわかっていたし。 そしてメールの返事は、思った以上だった。 なんとなんと、すでに彼女も先生に勧められて、 そのシリーズの本を読んでいるという。 すごいなー、とちょっと思った。 私の勘も、あながち捨てたもんじゃないぞ(笑)。
東京とロンドンと、必要に迫られる度合いは全然違うけれど、 同じような本を手にとって、 英語の勉強をしようとしている友人がいる。 これからは、お互いに英語の本の書評もできるとなると、 なんとなく心強い気がした。 遠い空の下で、私たちは1人本屋の棚の前に立ち、 目を凝らして新しい本を選ぶ。 読み終わって満足したら、 きっとお互いに本の題名をメールで送りあうだろう。
この勉強は、何となく続けられそうな気がしている。 Happy Reading!
基本的に健康なのだが、 その健康が災いして、具合が悪いのに大変弱い。 具合が悪いと我慢できないのだ。 つらくて。 38度熱があっても平気な顔をしている人がよくいるけど、 なんで大丈夫なんだろうかと唖然とする。 時折具合が悪いと思うと、 平熱が35度を下回っていることがあったりするくらい 私は平熱が低いので、 熱が上がると完全にダウン、である。 ひたすら寝る。起き上がれなくなる。
今日はどうも熱はないようだが、 昨日の夜からの頭痛と、それに加えての胃痛、 ダブルパンチ。 お昼に胃薬と頭痛薬を飲んで、 誰もいないのをいいことに、 席でうっつらうっつらしていた。 何せ、今日は火曜日、夜の授業の日。 孤立無援な部隊で学校中から何の手助けもしてもらえないので、 代わりの先生なんているわけない。 だから帰るわけにはいかないのだ。 宮仕えはつらい。
働き始めた頃は、そう言うことが理解できなかった。 具合が悪いものはしょうがないだろう! って思う気持ちが強かったけれど、 エジプトでのガイド、日本語教師、 ぎりぎりで代替の立てられない状況の仕事をしてきて、 ようやく少しぐらい具合が悪くても、 働かなくてはいけない時がある、 ということを渋々ながらわかるようになった。 何せ、カイロ観光ならいざ知らず、 南に出てしまったら、代替にガイドを呼ぶなんて、 よっぽどでない限り無理だったから。
だからこそ、あまり無理はしてはいけないなとも思う。 今日はもう少し、がんばらなくてはいけないけど(苦笑)。
そんなつもりはなかったのだけれど、 メールの文面からなにやら「疲れ」が見えたらしい。 滅多にそう言うことを書いてこない人なのに、 気にかけた様子のメールが届いた。 お月様のせいでなんだかだるいということもある。 職場で聞いた話にウンザリとしたと言う事もある。 いつもいつも、元気でいると思っていて欲しいが、 その反面、いろいろなことに気がついて欲しいとも思う。
時には甘えてみるのもいいでしょうか。 ちょっとそんな気分。
転んでもただでは起きない人ってのがいるが、 前の学校の会長がそう言うタイプ。 見るからに半分(以上)やーさんに見えるし、 やることはめちゃくちゃだけど、 私はこの人のことが嫌いではない。 ろくでもないこともたくさん考えるが、 企画力がありそれを実現する行動力もある。 結果は・・・なかなか難しいけれど(笑い)。 そして何が一番肝心かと言うと、 彼の綱渡り力の見事さだ。 自分も何かを、誰かを利用するが、 それは自分ばかりに有利ではなく、 出すところにはきちんと金を出し、 きちんとした駆け引きが成立する。
まずい情況になっても、ある程度意識しているので、 次の手がうってあったりする。 それはそれは、嗅覚が鋭い。
危ない綱渡りをしている人の下で働くのは、 確かに大変だ。 ただ、彼は確実に自分でも危ない綱を渡っている事がわかっており、 そして自分でバランスを取っている。 なぜなら、落ちて死ぬのは自分だから。
一番やっかいで一番怖いのは彼のような人物ではなく、 他人が作り上げたものの上にあぐらをかき、 自分が危ない綱を渡っていると意識もせずにいる人たちだろう。 彼らは、綱から落ちて地上に追突する瞬間まで、 自分たちが綱を渡っていたことにすら気がつかないだろう。 それに巻き込まれたくはないと思う。
バランスは、自分たちで取りましょう。
自分のうちでは定番だけれど、世間一般には定番じゃないものって、 多分結構ある。 例えば、我が家の場合はグリセリンと馬油。 子どもの頃から家にグリセリンがないことはなかった。 今みたいに、色々なハンドクリームなんてなかった時代、 冬でも水と薬品を使う両親の手は、 荒れがひどかった。 グリセリンは、塗った瞬間は飛び上がるくらい痛いんだけれど、 即効力で手荒れが治る。 多分これってのは、職人さんの知恵ってやつだったんだろう。 私も冬の風でかさかさの足とか唇とか、 お風呂上りによく塗ったものだ。 グリセリンはなめるとちょっと甘いので、 唇に塗っておくとついついなめてしまい、 逆にひどくなってしまうこともあったけれど。
色々便利でおしゃれなものが身の回りに溢れて、 しばらくグリセリンのことを忘れていたのだけれど、 手作り化粧品を始めたら、 これが化粧品作りには必須アイテムだった。 そして、グリセリン、というものが、 世間一般では全くと言っていいほど、 定番商品ではないと知った。 「どこで売っているの?」とよく聞かれること!
今年はずいぶん乾燥がひどい。 何をやってもなかなかしっとりしない。 こんな時は子どもの頃を思い出して、 グリセリンを塗ってみよう。 我が家のお風呂には、今もきちんと、 グリセリンの買い置きがある。 少しなめると、子どもの頃を思い出した。
これから授業。 今週はなんだか息切れております〜。 だから3行だけ、すまぬ。
とりあえず、私はマンウオッチャーだと思う。 だから旅行も、動物や自然がわんさかの所よりも、 人がわんさかいる所のほうがいい。 ペットよりも人間の子供の方が好きだし。
そんな私の楽しみ(?)はもちろん電車の中での人間観察。 何せ、長距離の飛行機の中でも寝られないくらいなのだから、 電車の中で爆睡できるわけもない。 薄目を開けつつ、観察時間。 街なかでも、よく人を見ているほうだと思う。 だからおもしろい人やへんな人を見つけるのも得意。 そして、自分が女だからか、 やっぱり男性よりも女性に目が行ってしまうのは、 致し方ないところ。
最近は、ずいぶんと不機嫌な子が多い。 もちろん、人間生きていれば嫌な方が多かったり、 そうそう楽しいことばかりあるわけではない。 せっかくおしゃれしても、満員電車は不快だし。 それにしても、なんであんなに怒ってるんだろう? それがまだ、高校生ってのなら理解の範疇。 そう言う年齢です、着たくもないのに制服を着せられて。 自分じゃ大人だと思っているけど、社会的にはまだまだ子どもで。 でも、そうじゃない。 最近は自分で働いてきれいなかっこして、 それなりに趣味の道具を持っているのに、 不機嫌姫なOLさんがなんだかとっても多い気がするのだ。 一番、楽しいんじゃないかなあ? 一番好きなことができるんじゃないかなあ? まだまだ未来も明るいって気がする時期じゃないかなあ? 社会が暗くても、まだ自分の生活にはそんなに影を落としていなくて。
多少無理しても、明るい顔をしていた方がいいと思う。 デリカシーがないやつ、とか、 悩みがないっていいね、とかって言われてもいいじゃない。 少なくとも不満たらたらな顔をしていて、 「暗いね。」とか「いつも怒ってるね。」なんて言われるよりは いいと思うけど。 それにいつも元気印が時折元気がなかったら、 「どうしたの?元気ないね?」 と、みんなが気がついてくれることもある。 でもいつも不機嫌だったら、そんなこと誰も言ってくれない。 そしてそれはとても寂しいことで、 ますます不機嫌姫は不機嫌になっていって、 しまいには気がついたら、不機嫌ばーさんになっているかも。 それはなんて恐ろしい・・・。
以前、エジプト人の友人い家族の話をしていたら、 「cacoはお父さんの話はしないけど、やっぱりお父さんと仲が悪いの?」 といわれたことがある。 どうやら彼女の家庭は父親との確執があるらしかったけれど、 うちは別にそんなことはないし、 日本ではお父さんってのはあまり話題に上らないものなんだよ、 などと説明したことがあったが・・・。 たまには父親の話でも。
南北差というか、階級というか、 日本はそう言うものが少ない国だとは思うが、 それでもそれなりにそう言う差が存在すると思ったのは、 専門学校に入ってから。 私はいわゆる下町、 今は川の手といわれるようになっている地区に 生まれ育って、高校も同一エリア内だった。 町内を見回すと、背広を着て出かけるお父さんが極端に少ないようなところで、 大学進学率も高くはない、本当のブルーカラーレベルの地区。 それが、専門学校に入ったらもちろん色んな所から人が来ていて、 その中で先生が、 「大学に行っていないお父さんなんて少ないじゃない?」 と言っていたのは結構衝撃的だった(笑)。 この学校のある程度年齢のいった先生たちは結構お嬢様が多かったので、 住んでいるのも山の手が多く、 父親が大学の先生や一流会社のお偉いさんってのも 珍しくないのだった。
ところが、うちの父は大学どころが高校も、中学だってろくに出ていない。 うだつのあがらない父親という家庭環境の中で兄弟の長男だった父は、 戦後のどさくさで働きに出て、 長じては自分ひとりで小さな町工場をやっていた。 母の実家に里帰りする短い連休のために、 夏の夜の連日、食事が終わって私たちを寝かしつけてからも 遅くまで注文の仕事をやっていた父と母のことを、 今でも覚えている。
それが何がどうしたのか、 40も越えた頃になって、父はいきなり「会社勤め」に転向した。 つめの中がいつも真っ黒になる、 そして昼なお暗い工場で一人背中を丸めて仕事をするのが嫌になった! そう言っていたと思う。 仕事は順調だったのだけれど。 調度、兄が高校受験の頃で、 母は家計のことをずいぶん心配したが、 止めるような母でもないし、止まるような父でもなかった。 しかし家族の心配をよそに、水質関係の国家資格などを持っていた父は、 結構あっさりと大きな時計メーカーの工場で勤務をはじめた。 と思ったらそれから数年後、 兄が21歳でずいぶん早い結婚をし、 初孫が生まれたとき、 途中入社のはずの父親に、東北の工場に工場長として単身赴任せよ、 という辞令が下った。 釣り好き山好き自然好きの父には願ったりかなったり、 の話だったと思うのだが、 父はあっさりその話をけって、仕事を辞める道を選んだ。 理由は初孫。 普通よりも小さく生まれたこの子に、 じーちゃんの顔を忘れられたら嫌だっていうのが理由だった。 母はまたしても家計に頭を抱えて、調度高校卒業後の進路を決める時期だった私に、 「お父さん仕事を辞めるって言ってるから、 もしかしたら一年働いて自分の学費を稼いでもらうかもしれない。」 と言った。 別に私も大して嫌ではなかった。 お父さんらしいねえ、全く・・・と苦笑したくらいだ。
ところがところが、これまた国家資格がものを言ったのか、 すぐに今までよりも近くに就職が決まって、 私は自分で学費を稼がなくても済んだのだ。 そしてそれからは、父は同じ会社でずーーーと働いていて、 実は2回も定年を迎えている。 60歳の定年と、嘱託の定年。 この会社でも異例中の異例なのだが、 定年して嘱託になっても、 本来嘱託を終了する年齢になっても、 父のお給料はほとんど下がらず、 ボーナスも年々上がっている。 よっぽどろくな社員がいないのかと、 家族は苦笑気味。 その上70に手が届こうとしているはずなのに、 この人はなぜかこの度「副所長」になってしまった。 これには家族、びっくり。 本社からの異例中の異例の辞令だそうだ。 先日、どうしても父の話を聞きたいので・・・ と言うので、本社まで呼ばれていったのだけれど・・・。
なんだかよくわからないけど、 家族としては大変ありがたい。 このせちがない世の中で、元気に働けるのは素晴らしいことだから。 しかし、私たちは知っている。 父が誰よりも裏表なく、出世欲も何もなく、 一生懸命働いてきたことを。 人の嫌がる仕事を率先してやり、 権力におもねることもなく、 まっすぐに生きてきたことを。 そして、そんな父に対してのご褒美が まだ働けると言うことなんじゃないかと思う。 そして、たくさんいるであろう、 父のような人たちが正当に評価され、 いつまでも働けるような、そんな世の中であって欲しいと思う。
川の手のたくさんのお父さんたちは、今日もジャンパー姿で出かける。 学歴は確かにない。 でも私は彼らの娘に生まれたことを、恥ずかしいと思ったことはない。 学がなくても、素晴らしい人間はたくさんいる。 頭のいい、澄んだ目を持った人も。 そう言う人たちが、末端でこれまでの日本を支えてきた。 彼らをないがしろにし始めたとき、 日本の何かは、確実に壊れていったのだと、 私は思う。
とある日本語教師のサイトで、 「いかに日本語教師は辛いか」というスレッドがのびにのびて、 一向に終わりそうにない勢い。 どんな職業もやりきれない部分ってあるけれど、 日本語教師もかなりやりきれない職業。 愛情がなくっちゃやってられない職業だけど、 それにしても、あまりに労働条件が悪すぎて、 全然良くなりそうにないので、 余計にこう言うところで盛り上がってしまうのだろう。
多分、ここのスレッドに書き込みをしている人のほとんどは、 経済問題を切実に考えている人だと思う。 奥様だったり、おうちが裕福だったりする人にとって、 こんなにやりがいのある仕事はなく、 多分労働条件の悪さなんて、全然気にならないはずだ。 でも、男性や独身女性は思う。 「老後、どうするよ?」 年金もない、保険もない。 昇給も見込めない、年収は何年経っても増えない。 その年収は平均的サラリーマンの足元にも及ばない。 ないないずくし、ないずくし〜の年末がやってくる。
奥様先生が悪いとも思わない、 お金持ちなのも結構。 でも、世の中そうじゃない日本語教師もいる。 そして、色んな先生がいる方が、学生にもいいってこと。 少なくとも、自分の生活に窮していない、 老後の心配のない先生には、 現状の待遇を容認するような発言は控えてもらいたいと思う。 そういうことを、経営者は利用するのだから。 大体、日本語教師を目指している大学生に、 こんなことを言えますか? 「生活の心配のない人しか、日本語教師には向かないのよ。」 なんて?
私たち日本語教師の残酷物語はまだまだ続く。 でも荒唐無稽な理想が、つねに社会を変えてきた。 奴隷解放も、女性の参政権も。 最初は誰にも支持されなかった。 時には当事者たちからも理解されなかった。 でもあきらめなかったこと。 言いつづけたこと。 それが彼らの立場を変えたのだ。 私たちだって、変えられるかもしれない。 変えていかないといけない。 何もしないであきらめるのが、 一番どうにもならないことだと思う。
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