ぶつぶつ日記
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2002年10月31日(木) 愛がなくっちゃね

これ、私とある人の銀粘土制作上のモットーです。
こんなことは、もの作りをしている人なら
誰だってわかっていること。
極当たり前のこと。
でも、私が企業内でデザイナーをしている時は、
こんなことは感じられなかったし、
そんな事が嫌で、結局もの作りを生業にするのを
あきらめてしまった経緯がある。

当時はこんなに気楽にインディーズで作品を発表する場もなく、
フリーターっていうカテゴリーもまだなかった。
インディーズで作品を発表できていたのは、
もともと何らかの知名度や財力のがる人たちだけで、
一般学生にとってはブランドに入社するよりも
もっともっと難しいことに思えた。
専門学校に通っていたから、それなりに就職口はあったし。
でも問題は私や同じ学校を出た後輩は、
バックをそれなりに愛していたことだったのだ。
これが、もともとバックをそんなに愛していなくて、
デザインつながりで就職した人だったら、
矛盾は感じていても、それなりに「お金のため」と
割り切って考えられたかもしれない。
でも私たちはこだわって作りたかった。
営業の人たちが持って来て頼むような
「今売れているもののコピーライン」なんて作りたくなかったし、
作れなかった。
日本の企業内デザイナーは私が考えていたもの作りとは
あまりにもかけ離れていたので・・・。
こんな気持ちで一生働くことは出来ないし、
いいものなんて出来ないって思った。
ヨーロッパのブランドのように、腰を落ち着けたもの作りをしたかったのだ。
何年も使ってもらえるような、息の長い物を作りたかった。

後輩は先に会社を辞めた。
何とか自分で自分のものを造れる道を模索すると言った。
私は仕事以外にはけ口を求めた。
それがアラビア語で、
結局もの作りの仕事が2度と出来なくても良い、
とまで思ってカイロに行くことにした。

でもやっぱり・・・。
「何かを作る」ということにとても愛があり、
何かを作らなくてはいられなくて、
アラビア語のカリフラフィーをやったり、
イタリアにモザイクを作りに行ったり・・・。
莫大な時間とお金を費やして、
そうして出会ったものが、私にとっては銀粘土だった。

今、私の胸には銀粘土への愛が満ち満ちていて、
作っていてとても楽しい。
そしてそれをほしいと言ってくださる人もいて、
これまたとってもうれしい。
家内制手工業、
イタリアやフランスがモードの王国なのは、
今も小さなアトリエがたくさんあるからだとも言われている。
そして日本でも、ネットの普及で作品発表の場が
飛躍的に増えてきた。
あらたな家内制手工業の形態が生まれてきているのかもしれない。
小さくてもいい。
ずっと愛があるものを作っていきたい。


2002年10月30日(水) 元祖オリーブ少女的最近のマイブーム

私は元祖オリーブ少女であります。
最近オリーブはまたリニューアルして、昔のオリーブに戻ったので
大変ウレシイ。
よく立ち読みしてます。
さてさて、そんな元オリーブ少女な私の最近のマイブームは、
表参道アニバーサリーのカフェオレと、
渋谷マークしティーのドナテローズのアイスクリーム。
なぜか。
それはねー、思い出がいっぱい詰まっているから(笑)。

私がオリーブを愛読していた頃、
カフェオレボールなんて、
よっぽどおしゃれな店に行かないと売ってなかったし、
カフェオレボールでカフェオレを出してくれる店なんて、
恐れ多くて入れなかったんですね。
でもあの白いボールに憧れたんだよねー。
ストロベリーレッドのクリクリ天然パーマなロングヘアとともに、
自分にはどだい雲の上のものだった・・・(遠い目)。

そして専門学校に入ってからは、
ドナテローズのミルクティーアイスを食べるために、
わざわざ下北沢まで行ったりしました。
毎週色んな不思議なテイストのアイスが登場して、
三角のウエハースがまたおいしいんだ。
アイスを食べるためだけに電車に乗っていくなんて
(帰りは雑貨屋さんも見て回りましたけどね)、
今から考えると、すごい贅沢なことをしていたなあ・・・(これまた遠い目)。

アニバーサリーのカフェオレは正統的なカフェオレボールで出てくる。
そして仕事帰りに食べるミルクティーアイスはあいかわらずおいしい。
昔ほど、時間的贅沢ができなくなってしまった私の、
ちょっとした息抜き。
あの頃の無駄な時間は、全然無駄じゃなかったことを思い出すために。


2002年10月29日(火) パーティー、パーティー

カイロにいる時は、誕生日なのなんだの、
結構自宅でパーティーを気軽にした。
適当に食べ物を用意して、飲み物を用意して
(おあつらえ向きに私たちのアパートのすぐ側に、
なぜかビールを売る店があったのさ)、
適当に友だちを呼ぶと、
友だちが友だちを連れて来る。
気がつくと、知らない人がたくさんいるのだ(笑)。
家に人を呼ぶのは好き、パーティーをするのも好き。
でも、日本に帰ってきて、仕事なんて始めてしまうと、
なかなかそう言う機会ももてない。

昨日は渋谷のとある場所にあるおしゃれーなアクセショップで、
そんなパーティーがあった。
お呼ばれした時、正直内心びびってしまった私。
何せ、そのお店の商品はすごい素敵なのだ。
ほんまもん、なのだよ。
もちろん、自分の作るアクセに関して、それなりに自信はある
(仕上げの丁寧さには、自信ないけど−)。
だから人様に売ってみようと思ったのだし、
彫金やワックスについて、そんなに詳しく知らないけど、
「銀粘土の」私の作品を馬鹿にするなら、
あなたの技法で同じものを作ってみんしゃい!
と喧嘩を売る気持ちもある。
それでもやっぱり心のどこかで銀粘土って、どうなんだろう?
って言う気持ちもぬぐいきれない。
実際、彫金畑の人からしてみたら、
まだまだ「お手軽なホビー」って思われてるフシがあるし・・・。
せっかく声をかけてくれたのに、
もしそう言う状況になって、その場の雰囲気が悪くなったら、
申し訳ないしなーとか、
まあ色々考えてしまったわけですよ。

でもでも!
やっぱり本物を作る人たちは、本物なのだなー。
柔軟性というか、興味というか、
そう言うものがとてもあると感じた。
心が広い、なんでも面白がる。
だからこそ、素敵な作品が作れるんだね。
色んな人とお話しました。
久しぶりにパーティー、とても刺激的でした。


2002年10月28日(月) だから人は生きて行く

年を取ると、だんだんせっかちになっていくもんなんだろうか。
ニュージーランドのオリーブから、
今年はもうクリスマスカードが届いた。
まだ10月だっていうのに(笑)。
もしかしたら彼女は、
ニュージーから日本まで、手紙が届くのに
ものすごい時間がかかると思っているのかもしれない。
船便だったら、確かにずいぶんかかるのかな。
でも手紙は航空便で来る。
マドリッドで出会ってからもうずいぶん経つ。
もしかしたらオリーブは、もう80歳になっている?
封筒とカードの字は、小刻みに震えているけど、
まだまだ私にカードをくれるくらいには、
元気なんだろうと、ほっとする。

星の巡りの悪い年とか、運のない人とか、
極普通に生活していても、
むしゃくしゃすることとか、
人間生きていると感情がマイナスに傾きがちだけど、
時折、ふっと救われるような、
そこまで行かなくてもこそばゆくうれしいことがあって、
ああ、だから人は今までずっと、
何があっても生きてきたのだな、と思う一瞬がある。

オリーブから来るクリスマスカードは、
そんな気持ちを運んでくる。


2002年10月27日(日) 知らない間に・・・

痴漢やストーカーなど、行う方が完全に悪いとは思うものの、
気がつかないうちに、それらを呼び寄せてしまうことがあり、
巻き込まれないためには、
ある程度自衛の意識をもたないとだめだ、
と思うことが先週あった。
ほんの些細なことだけれど、見ていてかなりドキドキした。
そしてそれは犯罪に結びついていないので、
注意をする勇気もこちらにはないし・・・。

仕事から家に帰る道すがら、いつもの地下鉄。
私の隣には、ちょっと小汚いおたっきーな男性が座っていた。
別にそれをとやかく言うほど心は狭くないので、
日常的な雰囲気。
次の駅に着くと、隣の男性が席を立った。
何気なく降りるであろう、その男性を目で追っていると、
なんとこの人、降りない。
そのまま斜め前のとある女性の前に移動。
「?」と思い、今度はその女性を観察すると、
この女性、浅めに椅子に座り、
一心不乱に何かを書いている。
手紙?レポート?とにかく何かはわからないが、
夢中で書いている。
そして、ぞーっとしたのが、私の隣に座っていた男性は、
彼女の前に立ち、彼女が書いているものをじーっと読んでいる!
彼女が手紙を斜めにして彼の位置から見えなくなると、
右に左にかすかに移動して、彼女の書いているものを読もうとしている。
その上、女性は書くことに夢中になるあまり、
ミニスカートが腿のかなり上の方までめくれていることに、
全く気がついていないのだ。
私の席からそれが見えるってことは、
今彼女の前に立っている、私の隣にいた男性にも見えていただろう。
怖い、怖すぎる・・・。

幸いにも男性の方が先に下りていった。
でも、こう言う「出会い」がストーカー行為に発展したり、
痴漢行為になったりすることはないんだろうか?
きっとあるような気がする。
電車の中での化粧もそうだが、
年齢にあまり関係なく(実際上記の女性も30歳くらいだった)、
公共の場で自分の世界に入り込んで、
周りが全然見えなくなる女性がとても多い気がする。
そしてそう言う行為が自身を犯罪の渦中に引き込むこともあるだろう。

平和と水と空気はただ・・・。
以前はそうだったかもしれないけれど、
残念ながら時代は変わってしまった。
自衛すること。
女も甘えてはいられないのだ。
それは自分を守るために。


2002年10月25日(金) うっかりミス

ああ゙〜またやってしまった・・・。
うっかりミスによる書類提出忘れを(−−;)。
願書も買ったのにな〜。
心の中で受けることを拒絶してるのかもー。
いかんなー、なんか余裕がなくなっているのか、
興味の方向が完全に別の方に言っちゃってるのかもしれません。
こう言うのって、日本語教師には向いてないのかなー。
日本語だけに集中できないとだめなのかなー。
でも仕事だけだと、もっと行き詰まっちゃう。
もっと将来が不安になっちゃう。
それにしても、ああ゙〜〜〜。


2002年10月24日(木) なりたい自分(おしゃれ考その2)

なりたい自分と本当の自分、とか。
似合うものと好きなもの、とか。
そう言うものが一致しない人は結構多いんじゃないかと思う。
実際、体型などでどうがんばっても着られない服もあるだろうし、
どうしても似合わない色もあるだろう。
じゃあ、大して好きじゃないものでも、
自分に似合えばそれで良いんだろうか。
私はそうは思わない。

おしゃれって言うのは、食事にちょっと似ていると思う。
生きていくだけの最低限の食事なら、大してこだわる必要はない。
とりあえず健康に気をつけるだけなら、味は二の次でもいいだろう。
でもものすごい好きな食材だって
それを生かせない料理じゃあまずいって思うし、
大して好きじゃない食材だったとしても、
「うううーーん!」とうなるほどおいしいものもある。
楽しくおいしく食べたい!って思ったら、かなりの工夫が必要。

似合う服と好きな服、多分この差は、
イメージの問題なんだと思う。
周りがとらえている自分と、自分がなりたいイメージって言うのは、
結構な差があるものだ。
じゃあ、周囲の人がとらえている自分のイメージは
本当に自分の内面と一致しているんだろうか?
そんなことを考え始めると、おしゃれ考というよりも
自分探しの旅という、壮大で深遠で不毛な話題になってくるけど、
もしなりたい自分があって、今の自分とは微妙にずれているのだったら、
軌道修正してみる価値はあると思う。

ボーイッシュな服ばかり着ているけど、
実はどこかで楚々としたお嬢様風に憧れているなら、
自分に似合う楚々とした服を探して足を棒にしてみれば良いとおもう。
本当はおとなしい女の子よりも、ちょっとビッチっぽい女の子に憧れるなら、
いつもよりマスカラを濃く塗ってみるとか。
それも、1回や2回であきらめちゃだめ。
変えた最初は違和感があるものだから。
変だなー、おかしいなー、やっぱり似合わないのかなー、
そう自問自答してしばらく我慢(最低でもワンシーズン)。
ある日、なりたい自分が鏡の中に見られる人もいるだろうし、
どうしても違和感がぬぐいされない人もいるだろう。
そうしたらまた、軌道修正すればいいのだ。

何度でも何度でも、
命短し、おしゃれせよ、乙女。


2002年10月23日(水) マニュアルはない方が楽しい

手作り化粧品でお世話になっている人とメールをしていて、
「マニュアルがないと不安な人がおおいみたいです。」と
言う話しになった。
手作り化粧品は確かにお肌に良いんだけれども、
どうしてかわからないけれど、
合わないとなるとてきめんに痒くなったりする。
そして、今まで大丈夫だったはずのものも、
体調によっていきなり使えなくなったりする。
これはしばらく経つとまた使えるようになるのだけれど、
こういう状況に戸惑う人が多いらしく、
明確なマニュアルが欲しくなるのだろう。

そんな話があって、今朝新聞を見ていたら、
同じような記事が載っていた。
原宿にある絵本の店でも、
あまりに要望が強すぎて年齢別の区切りをはじめるという。
主催者の人にしてみれば、そんなことはしたくない。
乳幼児なんて特に年で区切れるものではないし、
いくつだからこの本を読まなければならないとか、
逆に読んじゃだめとか、そんなルールはない。
その時に興味を持ったものを読ませればいいはずなのだが、
とにかくお母さんが何らかのガイドがないと
本を選べなくなっているらしい。

パソコンの操作もそうだけれど、
意外とプロでやっている人たちに限って、
マニュアルを重視していなかったりする。
習うより慣れろ、って感じなんだけれど、
それが一番難しいのだろうか。

私もマニュアルは好きじゃない。
もちろん最低限守らなければいけないコードって言うものは存在するが、
マニュアルとはちょっと違う。
コードをある程度守って自由に行動する所には、
創造性とかそう言うものが存在してくる。
でもマニュアル通りに何かするのには、
創造性とか工夫とかって、全然必要ない。
そして万が一マニュアル通りにならなかった時の対処は、
そう言うマニュアルには載っていないのがセオリーだ。

失敗しても回り道しても、自分の頭で考える方が楽しい。
絵本だって子どもには難しすぎることもあるだろう、
つまらないって言われることもあるだろう。
化粧品だって合わなくて、材料が無駄になることもある。
でも考えた時間と言うのは、絶対に無駄にならない。
なぜなら、人間は「考える葦」なんだから。
考えない先には、「創造」というのは生まれてこないのだ。
創造がなくなったら、この世界はとってもつまらない。
そう思いませんか?


2002年10月22日(火) おしゃれ考(多分その1)

電車の中で、時折ものすごいブスな子を見かけると、
「自分のことがわかってないなー。もったいない!」
と思ってしまう。
顔の造作というのはそう簡単には変えられないが(手術が必要だし)、
自分に似合ったかっこができれば、
ブス度は限りなく下がっていく、と言うのが私の自論である。
実際、スタイルも悪くない、顔もまあまあなのに、
全然垢抜けない、パッとしない人も多いでしょう?
そう言う人を見ると
「この人は子供の時から、自分自身に似合うものを探すことも、
その訓練もしないで、
無難な服、無難な髪型、無難な化粧で過ごしてきたんだろうな。」
と思う。

生まれながらにおしゃれな人、って言うのは実際にいないと思う。
生まれながらにして備わっているのは、
おしゃれを楽しんで追求できるか出来ないか、
その興味の度合いの強さであると思う。
興味が強い人は子どもの頃から常にアンテナを尖らせて、
たくさんのものを見て、着て、そして大失敗して(笑)、
自分の似合うものを選別する能力を鍛えてきているのだ。
化粧もそう、髪型もそう。
流行のものを取り入れればそれでおしゃれ、
には残念ながらならない。
大事なのは「選別能力」。
どれを取り入れ、どれを捨てるか。

そして最後に必要なのは、まっすぐに前をみて、明るく輝く表情!
辛気臭い美人より、明るいブスの方が、絶対に素敵だから。


2002年10月21日(月) 気持ちを引き締めて

同僚とは話合った。
大してかわった事はないけれど、
取り合えず、連絡はきちんとすることにした。
今までは同じ部屋にいる気安さで、
あまりきちんと「ミーティング」を持たなかったけれど、
これからは意識してそう言う機会を持つことにする。
私の職場の人々は、平気な顔で
「それは私の仕事じゃないから知りません。」
と言い切ってしまうけれど、
少なくとも小さな同じ部署の人が何をしているか、
完璧に判っていなくても、
その人が休んだ時にある程度対処できるようにしたい。
学校全体がそうなるのは果たしていつのことやら。
でも、私たちのところはそうなりたい、そうしたい。
それは同僚も私も、お互いが思っていることなのだ。

気持ちを引き締めて、やっていきましょう。
そで触れ合うもなんとやら。
とにかく2人きりの部署なのだから。
気持ちを引き締めて、一から仕切りなおし。



2002年10月20日(日) 計りかねる

久々に同僚に爆発してしまいました・・・。
おかげで一気に精神消耗の週末。
悪い人ではない、むしろ良い人。
その上真面目で、異常に要領が悪い。
そして日本語の先生なのに、口も重い方。
でも負けず嫌いだから、
どこからどこまで手伝ったらいいのか、
果たして手伝って欲しいのか、
計りかねてはや何年・・・。
授業とPCのことと、兼務していて手一杯なのがわかっているし、
色々聞いても答える時間もおしいだろうな〜などと思って、
聞かない私もわるいのですが・・・。

これが数人の部署ならまだ薄まるのだけれど、
たった2人の部署なので時折、
「一体私が何のためにここにいるのか、わかってるのか???」
と言う気持ちになってくる。
いなくていいんだろうか。
そう思ってないか?と言うことを時折無意識にしてくれるのだ。
悪気がないと判っていても、馬鹿にされたような気になる。
いることが必要なら、時には相談もしてもらいたいし、
仕事と割り切っているから、やるべきことはやると言う気持ちは、
私にだってある。

いい人だからといって何を考えているかわからないと、
本当に判断つきかねる。
私のような単純者には、どうしたらいいかもうわからん。


2002年10月18日(金) 本がきた!

家に帰ったら本が届いていた。
作るのに、私が関わった本。
と言っても、最近匂わせているものではないんですけど。

ずいぶん前に手伝った、中国で出版するための日本語の本。
先生のポケットマネーから私へのバイト代が出ていて、
そのバイト代のほとんどは、
先生の研究室に通うための交通費に消えてしまったように思う(苦笑)。
でもやっておけば、何がしかのキャリアになるかなと思って、
最後までがんばったのだけれど。

北京出版社と言うところから出されたその本は、
背表紙に先生の写真も載っている、
思っていたよりも立派な教本になっていた。
実物の先生は、もっとハンサムなのにな〜、
などと思いながらページをめくってみた。
ああ、この絵は書くのが大変だったんだよーとか、
これはやっぱり良くなかったかなーとか。
色々なことを思う。
そして、最初の方に私の名前もちゃんと見つけた。

この本がこれからの私に、どんな機会を与えてくれるのか
全然わからない。
むしろこの本があるからと言って、何かが変わるとも思えないけれど、
やはり、何かが形になるのはとてもうれしい。
これからも、続けたことが少しずつでも形になっていけば、
それでいいと思う。




2002年10月17日(木) 構想3分

構想はいつも3分。
こうする!って決めるは時間が短ければ短い方がいい。
いつも何かを決める時、何かをする時、
長い間悩んではじめたことは、
結局うまく行かなかったり、中途半端で終わったりする。
「やる!」と決めるまでに時間がかかっちゃだめなんだ。

もちろん、それを実現するのは3分ではとても無理(笑)。
時間もお金もかかる。
でもやりたいこと、やることを自分の中でいきなり決めて、
それにむけて着々と準備をするのは好き。

さあ、今回も構想は3分。
そしてあっという間に情報も集めた。
着々と、動き出しましょう。

来年の私をお楽しみに!



2002年10月16日(水) 時間の流れ

最近、なんだか一週間がとても早く終わってしまう。
それは仕事や私生活が充実しているってことではなくて、
急かされて追われて時間が過ぎ去っていく感じ。
だから、あまり達成感や充実感はないし、
気持ち的にどんどん余裕がなくなっていくような感じ。

時間は、本当に主観的で、全然一定のリズムじゃない。
ゆったりと過ごせる時間。
ぐずぐずして全然進まない時間。
楽しすぎてあっという間に過ぎていく時間。
何かに追われてふと気がつくと逃げてった時間・・・。

自分の感情は、ある程度コントロールできる。
それもなかなかストレスがたまるけれど、
時間は全くコントロールできないものの1つ。
なんとなく、「モモ」の灰色の男たちになっている気分になる。
1つ違うのは、貯めておくための余った時間などないことだ。


2002年10月15日(火) しっかりしてちょうだい

世の中色々ビックリすることは多いのだが、
最近ますます思うようになっているのは、
いい大学を出て、
いわゆる一流な会社で働いているからと言って、
一概に常識があるわけではないし、
ましてや仕事ができるとか、
マネージメント能力があるわけではないんだなってことだ。

あの大学を出て?
あの会社で部長してて?
で、なんでそんな簡単なこともわからんの???
で、本当にそんな経営方針で大丈夫なわけ???
というのを身近で感じていると、
もしかして、ほとんどの会社のお偉いさんが、
こんな感じなんだろうか?と、
冷たい汗が流れてくる。
もしそうだとしたら、
そりゃ日本の経済、よくなるわけないよな。

どなた様もこなた様も抜本的改革の前に、
いらん、しかも勘違いしているじじい連中に、
物理的に消えてもらった方が、
簡単に会社は好転するかもしれない。
そして腹立たしいことに、
こういうじじい連中ってのは、
私たちの何倍も給料もらってるんだよね。
頼むから、しっかりしてくれ!!!
それが出来ないんだったら、
若いもんに任してください・・・。


2002年10月14日(月) うれしくない、「エジプト式」の輸出

バリでテロ事件があった。
イスラム過激派の犯行の線が濃厚のようで、
実際またしてもがっくり・・・と言う感じである。
インドネシアは世界でも一番イスラム教徒の多い国だが、
事件の遭ったバリはちょっと違う。
バリヒンズーの色が濃く、それを求めての観光客が多く、
島自体も潤っているようだ。
そこを、狙われたのだろう。

あ、エジプト式。
ニュースを見てすぐにそう思った。
何がエジプト式か。
それは観光地で観光客を狙い撃ちするやり方が。
不名誉なことだが、この方法を一番最初に
組織的に行ったのは、
エジプトのイスラム過激派である。
ルクソールでのテロの記憶も、まだまだ新しいだろう。
その前からずいぶん、外国人観光客が狙われるテロが起こっていたのだ。

バリも、エジプトも、
おもな収入は観光による。
観光客がテロで命を落せば、その唯一ともいえる産業が滞り、
エジプトの場合は仕事を失った人たちの不満が政府に向かう・・・。
そう言う図式を狙っている犯行である。
そして、大体において、観光客は非ムスリムであるし・・・。

世界は確実にリンクされていると実感する。
しかし、それはうれしくない、苦い実感である。


2002年10月13日(日) 少しだけ、豊かな気分

まだ乾燥しきっていない、
フレッシュなローズマリーをもらった。
はてさて、どうしよう、うれしい悲鳴。
おすそ分けをおすそ分けして、
それでもまだまだたくさん。

ローズマリーの匂いは、なんだかしゃきっとさせる。
元気が出る匂いなのだ。
天井からぶら下がっている小さなかごにいけてみた。
きっと不機嫌に仕事から帰っても、
匂いが迎えてくれるだろう。
それだけで、少しだけ豊かな気分になれる。


2002年10月11日(金) 難しい仕事

ようやく、その本を手にした。
ずっと、何年も、ある本を読んだ時から、
名前も知らないその本を読みたくて読みたくて。
しかしその本は、それを私に教えてくれた人の訳ではなく、
全く新しい本として再度登場してきた。

「翼よ、北に」アン・リンドバーグ。

これを訳した人のプレッシャーはどんなものだったろうと、
「サヨウナラ」と題された最後の章を開いて思う。
多分、この本を買った人のかなりの数の人が、
まさに、この章を待っていたのだ。
そしてほとんどの書評も、この章にふれている。
「須賀敦子」という人の名と一緒に・・・。

須賀さんが私たちに残してくれたたくさんの、
形容しがたい宝物のような記憶の断片。
その中でもひときわ鮮やかに記憶される、
アン・リンドバークの「さようなら」。
私たちはアンが書いたのでもない、
そして多分一番最初にその本を訳した人の文章でもない、
須賀さんの記憶の言葉として語られた文で、
「さようなら」の意味を知った。

他の章は多分、訳者にとっても楽しめたのではないかと思う。
でもこの章を訳す時、その人はどれだけ緊張しただろうか。
どれだけの言葉が書いては消され、消されては書かれただろうか。
英語で書かれたものは1つしかない。
でもそれが日本語に訳される時、
訳し手の言葉を選ぶ感覚、受け取り方、言葉の配置、
そんなもろもろの事で、同じはずの文の印象は
天と地ほども変わることがある。
ましてや、これを読むだろう未知の読者のうち、
一体何人が須賀さんを通してこの本を読むことを待っていたか考えた時、
筆の進みが速くなったとは到底考えられない。

比べるのはやめよう。
須賀さんの文章と、今回の訳と。
いつだって、思い出の中の文章の方が美しいものなのだ。
訳者の緊張を伴った難しい仕事、
それがあるから、私たちはこの本に出会えたのだから。
そして出来たら、
アン自身の言葉を読んでみたいと思う。
私自身の、言葉の理解で。


2002年10月10日(木) 捨てたもんじゃないぞ。

エジプトのようないいものを持っているのになかなか発展できない国で働いてみると、
いかにして日本が発展してきたか、うまく言葉では表せないけれど、
おぼろげながらわかったような気がする。
まず第一に、ある程度がんばったものはそれなりに評価される所。
欧米ほど実力主義ではないが、第3国ほど生まれやコネやつてが幅を利かせてもいない。
そしてそれなりに効率のある働き方と、
ある程度の温情を働いている人にかけているところ。
そして教育の浸透も忘れてはならないだろう。

外国に数年出ていて、気がついたことはたくさんあるが、
その中でも一番良かったことは、
日本という国の価値を再評価できたことだと思う。
もちろんこの国は全くもって問題が山積みで、
それを解決できそうになり不甲斐なさを現在も感じているが、
底力というか、潜在能力というか、
いい所もたくさんあるんだよなーということは、
ひしひしと感じられるようになった。

日本の景気は悪い。確かに。
社会も乱れている。
そんな中で、「主任さん」がノーベル化学賞をもらった。
それはすごいことじゃないだろうか?
会社の主任さんがノーベル賞をもらえる国は、
そうそうないはずだ。

まだまだ捨てたもんじゃないぞ、日本。
そう次の世代に教えることも大切じゃないだろうか。
それはなかなか気がつかないことだから。


2002年10月09日(水) 宇宙飛行士の値段

さて質問です。
NASAの宇宙飛行士と、スポーツの世界的な選手、
どちらがなるのが難しいと思いますか。

まあ、資質とかむき不向きがあるから、
どっちがどうとは言えないと思うんだけれど、
どちらもなるのはとても難しいものでしょう。

じゃあもう1つ問題です。
NASAの宇宙飛行士の、最高給与額は大体いくらでしょう?

日本だけでなく、アメリカでもやっぱり、
「宇宙飛行士=高給取り」というイメージがあるそうだ。
そりゃそうですよね。
だって宇宙に行っちゃうんだよ。
宇宙だよ、無重力だよ〜。

最近、駅の古本コーナーで宇宙飛行士向井千秋さんのご主人、
向井万起男さんの本を買った。
それによると、宇宙飛行士の給料はビックリするほど安い。
最高で800万(レートにもよるから900万くらいなのかな)だそうだ。
800万って、、、今の私からすれば大した額だが、
よくよく考えると、たいしたことのない額じゃないですか?
だって、宇宙飛行士ですよ!
彼らは知力体力ともに人よりも優れてなくっちゃいけないんです!
その上過酷な訓練の日々・・・。
地道ですよ、派手な所なんて全然ない。

でもスポーツ選手と一緒なところが1つあると思う。
それは、それが好きだってこと。
宇宙に行きたい!って誰よりも強く思うこと。
そしてそれを長く思いつづけ行動すること。
あきらめないこと、自分のベストを尽くすこと。

ああ、やはり彼らは選ばれた人たちなんだ、と思う。
極普通のお父さんであり彼氏であり、
奥さんであり、息子であり、娘であり・・・、
でもやはり、選ばれた人たちなんだ。

そして、何もしない者は決して選ばれないという真理。
文句ばっかり言ってないで、
ぶつぶつ言いながらも自分が何かをしないとだめなんだ。
運命は時として意地悪だけど、
あきらめないで努力する人には、優しく微笑むのだ。


2002年10月08日(火) ぷちスランプ中

って、この日記が。
勘のいいお客様はもうお気づきだったと思いますが(^^;)。
うーん、開設以来のスランプかも〜。
秋だからかしらー。
秋刀魚の刺身はおいしいんですけどね〜(壊れ気味)。
明日は、がんばってみます・・・。


2002年10月05日(土) ふと・・・

普段より大分遅く駅に着いて外に出ると、
何かがいつもと違う気がする。
落ち着きなくきょろきょろと空を見上げると、
どうやらうっすらと、靄(もや)がかかっているようだった。
本当にうっすらと、わからないくらいに。
何を感じる。
何かが気になる。
この空気の匂いを知っている、と思う。
この町で生まれ育ったから知っていて当たり前なのだが、
そうではない。
もっと違う、どこか遠い場所の匂い。

家に帰って、お風呂に入って、
実家から自分のねぐらまでは30秒ほど。
サンダルをカラコロ言わせながら、
まだ気になって空を見上げる。
ふと、気がつく。
ああ、この空気の感じ。
知っている。
それはカイロの冬の匂い。
昼間暖められたナイル川の水が夜や明け方には靄になる。
その匂いと同じ。
もうすぐ、カイロにも秋と冬がいっぺんにやってくるのだ。


2002年10月04日(金) 今度こそ、エジプト(苦笑)

今朝バスを見た。
「さ、今度こそエジプトへ」、
とでかでかと書かれているバス。
これ考えた人、どういうつもりだったんだろう〜。
ある意味なーいすキャッチフレーズと言えるが、
ちょっと意図した所はちがうかも?
気にならない人は気にならないと思ったけど、
私はちょっと意地悪に笑ってしまったのです。
「今度こそ、ってなんで今度こそ、なんだ〜。」

1)行こうと思ったら湾岸戦争がはじまった。
2)行こうと思ったら、エジプトで大掛かりなテロがあった。
3)行こうと思ったら、アメリカでテロがあった。

そんなもんよねー。
そして今度こそ!
4)行こうと思ったらアメリカがイラクを攻撃。
にならないように祈っております・・・。


2002年10月03日(木) 写真

とてもおしゃれな美しい人・・・。
モノトーンのその人の写真を見る度にそう思っていた。
特別目鼻立ちが整っているわけではないが、
凛として、清潔な美しさと言うか・・・。

昨日新しい本を買った。
そして私が見ていたモノトーンの写真のほとんどを、
彼女が「添い遂げた」男性が撮ったものだということを知った。
その表情がなんとも言えない淡いものをまとっているのは、
心を許している安心感と、恋している相手への恥じらいと、
そんな自分への誇らしさが入り混じっているからなのだろう。

そっけないようなわずかな手紙と、記録簿のような日記。
最後の年に過ごした時間がぎゅっと濃縮されていた。
相手を思いやる心、思いやってくれる相手への感謝、
甘えと支え・・・。

こんな2人がどうして結ばれなかったんだろう。
妹は思う、「何年かかっても駆け落ちしてもよかったのに。」と。
でも一家の総領娘としての責任感と、恋人の家族と同じ立場にあった苦しい母の姿が
彼女の選択となっていく。
彼が自ら命を絶った時、彼女はまだ35歳より若かったそうだ。
真夜中の、たんすに手を突っ込んで呆けたように座っていた姉の姿。
その取り乱した様子に、声がかけられなかった妹。

どうして死を選んだんだろう、彼女を残して?
つらい病から逃げるため?
それとも彼女の迷惑になると思ったから?
どうして?
私はその名前も知らない見知らぬ人を心の中でなじった。

それでも一途に思いつづけ、結局誰とも結婚することもなく、
飛行機事故でなくなったひと。
簡単に結ばれるよりも強い不思議な絆とやるせなさ。

私より先に、死なないでください。
私の心からの、たった一つのわがままを、思い出した夜。


2002年10月02日(水) 夕べと昨日の夜

日本語教師と言うものは、普通の日本人よりも
日本語に関しての些細なことが気になるものだし、
気にしていないといけないとも言える。
最近の携帯電話ではすでに、「食べられる」という正則日本語では、
変換がうまくいかないと聞いて、さすがにビックリした。
日本語の乱れの代表のように言われているいわゆるら抜き言葉が、
すでにスタンダード化していると言う事か。
いくら騒いだ所で、言葉が移り変わっていくのは誰に求められないし、
変わっていってもいいものだという気持ちもある。

ただ、やはり日本語の美しさというものはあり、
そう言う言葉は残って欲しい、残して欲しいと思う。
最近思ったのは、「ゆうべ」。
とある日本語の先生がとあるサイトに書いていたのだが、
彼はまだ20代なのかもしれない、「夕べ」という言葉を
古臭く感じ、自分では全く使わないと言う。
じゃあ何と言うかというと、「昨日の夜」。
私はこの辺の単語の選択というのは、
明らかに読書量の多少と、英語教育の弊害じゃないかと思っている。
今朝から読み始めた日本語関係の本にも、
「『〜た』は過去形とするのは英語文法の影響ではないかと思う。」
と書かれていた。
日本語の〜たは確かに完了を表すものだが、
過去だけを見ているだけではない、と言う事だ。
(例えば、「日曜日に雨が降ったら、運動会は順延です。」)

話が横道にそれたけれど、
どの国の言葉にもその国の風土や習慣にあった典雅な単語があり、
それを古臭いとしてしまうのは、
言葉を扱うものとしては多少危険ではないかと言う気がした。
自分は使わない=古臭いという価値判断も・・・。
自分は使わないけれど、と言う前置きをして説明することはよくある。
でも聞いた時にわかることは必要なので、勝手に飛ばしたりはしない。
そしてできれば学生には日本人が聞いても、
「きれいな日本語を話す」と思ってもらえるような日本語を
話して欲しいと私は思っている。


2002年10月01日(火) 先生運

先週から歯医者に行っています。
なんだかちょっと痛い???くらいだったのですが、
歯医者の痛さは苦手なので、あまり痛くない時にさっさと行ってしまいます。
元々歯や骨は家系的に丈夫なこともあり、
あまり歯医者に行かないし、
海外に行ってたり、職場もよく変わるので、
行きつけの歯医者と言うのがありません。
んで、職場に一番近い歯医者に行ってきました。

最近のお医者さんは、インフォームドコンセントがしっかりしてますね〜。
でも先生、説明に感情こもってないです、
ちょっと怖い(^^;)。
でも説明されていたので、治療した所が痛くても、納得は出来ましたが。
かぶせた歯も、なかなかしっかりはまっているようです。
今回の先生運も、まあ当たり〜。

先生運って、良い人と悪い人がいると思います。
それはお医者さんだけじゃなくて、学校やお稽古事の先生も。
考えてみると、私が今曲がりなりにも「センセイ職」をしているのは、
今までの人生の、先生運が良かったからなような気がします。
ずーーっと、優等生の学級委員長でしたが、
決して典型的優等生でもなく、
むしろ先生に対しても、生意気な理論を堂々と述べるような学生でした。
でもそれで怒られるわけでもなく、割と好きにさせてもらえたというか、
頼られていた部分もあったっていうか・・・。

結局、今の仕事を選んだ理由の一つも、
カイロのアラ語の先生たちが良かったから。
ものすごいエンターテナーで、サービス満点、
実際彼らのおかげで上達したと思っているし、
彼らが先生じゃなかったら、こんな風にはならなかっただろうなと言う気すらする。
だから私も、学生が何年か経ってから、
思い出してもらえるような先生になりたいと思う。
そして、自分の先生運は良かったなーと思ってもらえるような。
そのためにはやっぱりサービス精神が大事ですかね(笑)。


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