ぶつぶつ日記
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2002年01月31日(木) 緒方貞子さん

なんだかわけのわからないすったもんだの田中外相更迭。
後任には前国連難民高等弁務官で
アフガニスタン支援政府代表の緒方貞子氏(74)の名前が挙がっている。
すばらしい!
これはすばらしい案だぞ、小泉!
珍しく小泉首相を誉めてもいい気になっている。

緒方貞子さんは、日本が世界に誇る人的至宝だと思う。
どこに出しても恥かしくない人。
どんな国際政治の場でも、誰とでも、
堂々と渡り合っていける稀有な日本人である。
その上。
女性、と言う所がまた、私には誇らしい。
彼女のような日本人男性はいますか?
すぐには名前が出てこないでしょう。

しかし、どんなにすばらしい人でも、1人では何も出来ない。
あの魑魅魍魎の住む外務省の中で、
彼女の今までの経験を、果たして存分に生かせるのか。
よってたかってただただ、彼女をつぶそうとする輩が多いのではないか。
それを私は心配する。
国の政治は、官僚のおもちゃじゃないはずなのに。

そしてもしそう言うことになってしまったら、
この国の官僚のことを、
心のそこから軽蔑するだろう。
東大を出ていていくら勉強が出来ようが、
何だろうが、
あなたたちは最低の国賊である、と。


2002年01月30日(水) 日本もイスラエルに賠償を求めて欲しい!!!

どうやら、イスラエル軍の一連の
パレスチナ自治政府関連施設への攻撃を受けて、
EU諸国はイスラエルに対して、彼らの援助
によるパレスチナ施設への破壊に対し、
賠償を求める訴えを起こすらしい。

日本もぜひ!!!
これに一枚のって欲しいものです。
なかなかイスラエルに圧力をかけるのは難しいですし、
これも消極的な手段だと思いますが、
何もしないよりは良いと思う。

また、EU諸国だけだと、
イスラエル側の意見として
「ヨーロッパのユダヤ人差別再燃。」とか、
わけのわかんない被害者意識が自国内でクローズアップされて、
話しがうやむやになる可能性があるけど、
そこに、もともと「ユダヤ人蔑視」とか関係ない、
そしてユダヤ人保護でイスラエルからも称えられている
あの杉原千畝氏を生んだ日本が参加することにより、
イスラエル非難がもっと国際的な意味を帯びてくると思う。

外相兼務になった小泉首相よ。
アメリカと連帯する必要はない。
たまにはEUと足並み揃えてみてくれ。
少しは世界の流れが変るかもしれない。
日本独自の外交ってやつを、
今こそ作ってくれよ、と思うのであった。


2002年01月29日(火) 兵役を拒否する、イスラエルの高校生たち

イスラエルの高校生たちが、兵役を拒否するという手紙を政府に出したそうだ。
もちろん、これまでにも兵役を拒否した若者はいるが、
これだけ組織化された兵役拒否は、イスラエルでは初めてだそうだ。

イスラエルは世界でただ一国、
女性にも兵役を義務付けている国である。
高校を卒業すると、彼らは兵役につく。
ホロコーストの時のように、そしてそれよりももっと昔のように、
ただただ殺されるのを待つのではなく、
追い出されることに甘んじるのではなく、
自分たちの力で国を守る。
だまって殺されるよりは、たった一人になっても戦うこと。
イスラエル「建国」時より、それが至上の命題になっていた。

しかし、ホロコーストの記憶は、いくら教え込んだ所ですでに遠い。
遠い記憶になりつつある。
「被害者」としての哀れな姿を、自己の記憶としてとどめている世代は、
すでに残り少なくなっていて、
その反面、イスラエル建国時のアラブとの戦いも知らないような、
「戦後世代」がイスラエルにも増えている。

そしてこの時代、イスラエルの若者たちは、
テレビで、そしてインターネットで、
「加害者」たるイスラエルの姿を、見ないですむことは難しい。
ほとんど裸身で、死に向かって突進してくるパレスチナの自爆テロ。
報復のため、完全武装でパレスチナの住宅地を蹂躙するイスラエル軍。
本当は、彼らだって自国のそんな姿を見たくはないはずだ。
しかし、全ての情報をシャットアウトすることは出来ない。
見たくないものを見ないですむ時代も、
やはり遠くなっているのかもしれない。

すでにイスラエル抜きのパレスチナも、
パレスチナ抜きのイスラエルも、
どちらか片方があの場所で生きることは出来ない。
どちらもが、あの場所で暮らしていかなければならないのなら、
どちらもが同じ分だけ痛みを分かち合うことが必要だろう。
(そのためにはパレスチナの状況を性急に改善する必要がある。)

「パレスチナ人を傷つけることは、イスラエル人を傷つけること。」
そう言って兵役拒否の手紙を書いた16歳の女の子の、
凛としたまなざしに、かすかな希望を見る。
そして、彼らの気持ちが、パレスチナ人の若者にも届いて欲しい。

「イスラエル人を傷つけることは、パレスチナ人を傷つけること。」





2002年01月28日(月) さわりたい

「ハートは画像か、感触か。」と問うた人がいた。
心は、見えない。
そしてもちろん触ることなんて出来ない。
でも・・・、多分心は感触。
できることなら、心に直接触れたい。
冷たいのか、暖かいのか。
四角いのか、丸いのか。
硬いのか、柔らかいのか・・・。

心に、少しふれた気がした。
そして私の心にもふれて欲しいと思った。
きっと今日の私の心は、
まあるくて暖かくて、そしてやわらかいから。


2002年01月27日(日) ハートが壊れた!!

と言っても、ブレスレットの話。
でも、ちょっと暗示的。
なんだかすごく傷ついた気がしていた。
そうしたら、次の日、
気がついたらブレスレットの「ハート」の文字が折れていた。
作った時に、一度折っていた所だったので、
「やっぱり、折れたか。」と言う感じ。
それでもちょっと、ドキっとした。

でも。
このブレスレットは私が作ったもの。
壊れても、修理すればいい。
どうしても直らなかったら、
そこだけ新しいパーツを作ればいい。
「ハート」は、何度でも新しくできる。

人の心はとても欲張り。
ここまで・・・、と思っていたはずなのに、
気がつくと、もっともっと、と思ってしまう。
そして自分一人が傷ついた気持ちになって、
ハートが壊れた気になる。
でも、それは私だけなのだろうか?
傷ついた気になるのは私だけ?
それは、多分違う。

何度でも、何度でも。
傷ついた気になっている心を新しくしよう。
自分で作ったブレスレットのように。
それを作ることを願ったのは、私。


2002年01月25日(金) すぐに・・・

どう〜してこう、調子が良かったはずなのに、
一気に下降してしまうんだろうか。
なんで、ちょっとした一言に傷ついてしまうんだろうか。
相手の言葉の裏側まで、勝手に自分でのぞきに行って、
勝手に結論付けて、
そして勝手に傷ついていることは、
わかっている。
でも、その自分勝手な結論を、
「そんなことないよ」と否定できない。
それがまた、落ち込みの原因。


2002年01月24日(木) 何がしたい?何が言いたい、イスラエル?

イスラエル、今度は小学校に講義。
新聞見ました?
重信房子の娘が小学校で異文化交流。
そこでイスラエルの戦車に石を投げる子供の写真を見せた。
それはいかん! という講義です。
(そしてびっくりしちゃうのは、 それをイスラエル大使館にたれこんだのが
その学校の父兄だってこと。 何を考えてたれこんだのか?
思想教育許すまじっていう正義感?
イスラエルの方がよっぽど思想教育だと思うけど。)
もし、同じことをこの学校の先生がしたらどうだろう。
きっと父兄がイスラエル大使館にたれこむこともなく、
イスラエル大使館が講義することもなかったと思う。
写真を見せたのが、重信房子の娘だから。
そして彼女はパレスチナ人だから。
だから父兄もイスラエル大使館に教えたのだろうし、
イスラエル大使館もこの学校に講義したんだと思う。

私は、パレスチナテロもひどいことだと思うし、
それで亡くなった人に対して同情も感じることがあるが、
じゃあ、パレスチナ人はどうしたらいいの?
彼らはどうすればいいの?
失業率70%以上、毎日戦車はやってくる、
ミサイルで攻撃もされる。
パレスチナ人が彼らの存在をアピールする、
他どんな方法があるんだろう?
あったらきっと、その方法をとっている。
パレスチナ人は別に血に飢えているわけではないんだから。

イスラエルは一体何をしたいのか、
こうなると全然わからない。
とにかく、パレスチナ殲滅?
そんなこと、自分たちが生き残ってるくらいなんだから、
無理に決まっているのにね。
選民意識ほど始末に終えないものはない。

ナチズムはシオニズム(ユダヤ人のホームランド思想)のネガティブと言われている。
つまり、ユダヤ人を迫害したナチスの思想とシオニズムは、根本の所で同じようなもの。
血を重んじ、他者を排斥する。
ユダヤ人をガス室に送ったナチスは極悪非道。
パレスチナ人を攻撃しているイスラエルは正当防衛?
それって、都合がいいと言わないか、イスラエルよ。



2002年01月23日(水) 違和感

そう言えば、なぜかアフガン復興会議が
日本の高輪プリンスホテルで行われていましたね。
カルザイ氏をはじめとした主だったアフガン暫定自治政府の
閣僚が来て、熱弁を振るっていました。
カルザイ氏はグッチから「今最もファッショナブルな注目すべき男性」に
選ばれたんですよね。
今回も、スタンドカラーのシャツでノータイ、
スーツの上にアフガンの民族衣装を軽くはおり、
なかなかのフォトジェニック振りでした。
その他の方々も、さすがアフガンの「名家」の出身、
ヨーロッパナイズされた、洗練された服装でした。

そして、私はものすご〜い、違和感を感じています。
アフガン難民の姿と、彼らのそのすっきりとした姿に。
ドスダムをはじめとする、アフガンに残って群雄割拠していた指導者達と、
今回の暫定自治の中心人物たちは、果たして話しが通じるんだろうか?
そのくらいの差を感じてしまいます。

ドスダムのように、ずっと国内にとどまってた者にしたら、
彼らは金持ちで、外で安穏と暮らしていた者に思えるだろうし、
カルザイにしてみれば、ドスダムは単なる田舎者?

アフガン復興、成功してもらわなくては困るんだけど、
そうそう安穏ともしていられないですよね。
すでに、内部抗争も起こって死者も出ていますし。
人間って、やっぱりおろかなのかなあ・・・。
それでも、解決の糸口はあると信じたい、
私は楽天家。


2002年01月22日(火) 一緒にどきどき

今日は、とある大学の留学生入試試験の発表の日。
最近の合格発表は、簡単なものである。
インターネットに受験番号が並んでいる。
「おめでとう」の一言もない。
電報で「サクラサク」、「サクラチル」なんて、
かなり高度な日本語力と日本事情通でないと理解できないから、
そんな手の込んだものはいらないけど、
ここまで無味乾燥でいいのか、などと思ったりするが…。

学生が、授業を抜け出しコンピューター室にやってくる。
自分が教えたことのない、名前も知らない学生だが、
私も一緒にドキドキしながらページを開いていく。
学部を見つけ、番号を探し・・・。
「はっ」と本当にはっとして、
「あった〜!!!!!」とうれしさのあまり、
体が勝手に動き出す彼ら。
「よかったね〜、おめでとう。」と私が手を差し出すと、
ぶんぶんと両手を握り返してくる力強さ。

もし合格していなかったら・・・。
その無味乾燥なページは本当に無味乾燥で、
冷たく恨めしく目に映るだろう。

今日見に来た学生2人は合格組みだった。
その無味乾燥なページは、多分彼らには
光り輝いて見えたことだろう。
ついでに私にも、燦然と輝いて見えた。

彼らの喜びがマブシイ。


2002年01月21日(月) マスードの面影

アフガン暫定自治政府のカルザイ氏がいやに派手にクローズアップされている。
確かに、この人はとてもハンサムで、その上民族衣装をうまく取り入れた服装、
物腰もやわらかく、「紳士」という感じがする。
「今年もっとも注目すべきファッショナブルな男性」と
グッチに称されたのも、妙に納得である。

彼を見ていると、もしマスードが生きていたら、
ここにはマスードが立っていたのかな、とふと思うことがある。
しかし、それと同時に、
現在のお祭りムードとも言える国際舞台に立つマスードは、
想像しにくいとも思える。

彼を初めて目にしたのは、いつのことだろう。
まだ、ソ連がソ連であり、アフガンに侵攻していた頃だったと思う。
なんとまあ、かっこいい人だろうか、と彼を見て思った。
そして、彼は彼らしく、最後までアフガンにとどまり、
暗殺者によって、非業の最期を遂げてしまった。
数ヶ月後の現在の、平和への扉が開くのを待たずに・・・。

マスードのことを精錬潔白な人物と称するのは誤りかもしれない。
彼もまた、アフガンの多民族国家に住む指導者として、
敵対する部族の村を襲撃、虐殺すると言う愚を犯している。
そして、彼は「天才なカリスマ」ではなかった。
その証拠に、彼はソ連撤退後の混乱するアフガンを掌握することは出来なかった。
しかし彼は、まれに見る努力家だったと思う。
現在のアフガン自治政府の閣僚達のほとんどが
混乱するアフガンから一時脱出していたにも関わらず、
自分はおろか、家族すら国外に逃がすことなく、
妻と5人の娘とともに、アフガンにとどまった。
2度と同じ失敗を繰り返さないために、
しっかりと自分自身を抑え、着実に、そして粘り強く、
アフガンで指揮を取り続けていた。

彼はマスコミをうまく利用する術も知っていたが、
やはり、現在のような華やかなスポットライトの中心に立つ、
洋装のマスードなど私には想像できない。
アフガンの荒涼とした山岳地で、
緑なす草原の村で、
アフガンの民族衣装を身につけ、
日差しがまぶしいような、恥ずかしがっているような、
そんな目をしていた、その姿こそが彼らしいと思う。

そして、ブルカを脱ぐこととかぶる事、
その両方の権利を守ることを知っていた父親の遺志を受け継ぎ、
未来の平和になったアフガン政府の中心で、
亡き父の意思を受け継ぐ女性閣僚に、
彼の5人の娘のうち成長した誰かの姿を見たいと、
心から願う。


2002年01月20日(日) 日本に来なくていいナンバーワン

シャロン、というかイスラエル。
ついにラジオ局まで襲撃ですか。
さすがにパパ・アサドが死んで少し大人しくなっていたシリアが、
抗議声明出しましたね。

この間はガザ空港が破壊されました。
自治政府関係の建物も、たくさん壊されました。
ヘリポートも壊されました。

これらに、一体いくらの私たちの税金が使われたか、
ご存知ですか?
日本はパレスチナ自治政府への援助として、
ガザ空港建設のための費用を、半分負担しているのです。

私は別に、パレスチナ支援に私の税金を使うことには文句はありません。
アフガニスタン復興支援に使ってもらっても構わない。
でも、例えばそれがどこかの先進国によって攻撃されて、
支援が瓦礫の山になるのは、
やっぱり嫌なのです。
そして、パレスチナでは見事に瓦礫の山になりました。

現在、なぜかシャロンまで来日の希望を表しています。
何しにくるんだか、わかりません。
多分、パレスチナによる「テロの恐怖」とアピールし、
「イスラエル支援」を求めるのでしょう。

私はシャロン来日のための警備その他に、
私の税金が使われるのは絶対にいやです。
そして、私の兄が、シャロン警備の任務にかりだされるのも、嫌です。

今の所、私の中での、「日本に来なくていいナンバーワン」、
それはシャロンです。


2002年01月19日(土) ひしめき合うもの

誰かの歌に「希望ばかりがひしめきあう。」というフレーズがあったが、
そう歌い切ってしまえるのは、やはりこの国が基本的に豊かだからだと思う。
希望とは、情況を変えられるという確信みたいなものと、
誰かが同じように情況を変えたという先例がないと、
なかなか持てるものではない。

少し前のアフガンや、現在のパレスチナ。
そして何がなんだか全然私たちにはわからない、
とにかく混乱と殺戮ばかりのアフリカ内戦。
そこで暮らすほとんどの人にとって、
希望を持つと言うことは、なんと贅沢なことだろうか。
明日生きているかわからない人たちは、
ほんの少し先のことなど考えも及ばない。
とにかく、今、そして明日。
生きているか、子供たちを生かせるのか。

それでも、人々は希望を持つ。
平和な時代を知らなくても、平和への希望を。
自由な生活が想像できなくても、自由に発言できる世の中を。
暖かい家を、学校を、仕事を、家族を・・・。
子供たちが「知らない、わからない」から持てる希望。
そして、大人たちはその子供たちに希望を見る。

確かに世界中には希望がひしめき合っている。
そのほとんどが絶望的に思えても・・・・。
私たちは希望にしがみついて、
ようやくこの星の上に生き長らえているのかもしれない。


2002年01月18日(金) 役に立つ

昨年の暮れからとあるPCのOSにうなされている私達。
PC本体が悪いのか、それともOSが悪いのか、
はたまたネットワークに何か問題があるのか、
システムエンジニアの勉強をしたわけではない私たちには、
な〜にがなんだか、全然わからない。
分からないなりにも、どうして不具合が生じたが、
今回はその原因はわかっているのだけれど、
それがどう〜してそうなるのかは、全然わからない。
昨日はそれでPC本体のメーカーの人が来ていたのだが、
その人にもどう〜なっているのか、全然分からないとのこと。
ああ〜、もう!
なんで推薦アップグレードをしてセキュリティーホールの穴を埋めたら、
動かなくなるんだ!
説明しろマ〇〇ロソフト!
だからウイスル攻撃されるんだ!!!!
などと怒鳴っていた私。
昨年暮れから何度、PCのLAN接続をやり直したことか・・・。

所が、である。
アルハムドリッラー!なことに、
こんな腹立つことが役に立ってしまった。
海外に住む友人とネット上で顔を合わせたところ、
まさにLAN構築していて、わけがわからない!とのこと。
説明できちゃうじゃん、そのくらいだったら。
私ってば。
少しは株が上がったか( ̄ー ̄)。

とまあ、どこで何が役に立つかわからない。
あまりに文句を言わないのも疲れるので、
きっとこれからも文句を言い続けるだろうけど、
すこしは「いつかは役に立つかも・・・。」
と、文句を減らしてみようかな、
などとおもった金曜日の深夜3時のことでした。


2002年01月17日(木) 戦う私(夢の中で)

子供のことからよく夢を見ます。
しかも全フルカラー。
かなり大人になるまで、みんなの夢も色つきだと思っていたんですけど、
そうでもないんですね?

おととい見た夢は色んな掲示板に書いたんですけど、
バターやクリームから、
小さなあおいナメクジ状の生物が湧き出てきて、
おたおたすると言うものでした。
ああ〜、気持ち悪い〜(吐)。
色はきれいだったけど。

そして昨日の夢は、学校みたいなところにいて、
これまた謎の生物だかロボットだか、
ビー玉状のものを、人目から隠して移動させる、
と言うもの。
これがね〜、監視人がいて、なかなかうまく移動させられないの。
その合間に、誰だか知らんけど大好きな(と言うことになっている)
歌手かなんかに握手求めに行ったりして。
んで、一番ちびの謎の生物が、
監視人にぐりぐりされて動かなくなりボーゼンとしたり。
忙しい夢でした。

実際、夢の中で地球防衛軍(?)なることが多い私。
よく、地球のために戦っています(爆)。
ゲームもやらないし、漫画も読まないのに、
どうしてこういう夢を見るのかなあ。
結構謎です。

でも、夢を見るのはタノシイ。


2002年01月16日(水) 世界はやっぱり広いのだ

仕事で在日大使館関係の住所を調べていて、
外務省の各国情報にはまっています。
いや〜、世界ってほんっとに広いですね〜。
知らない国がいっぱいです。
オーストラリアの側に、たくさんの独立した島国があるって知っていました?
私は全然知りませんでした。
大島の4分の1しかなくても、「共和国」だったりするんですよ〜。
そこの在留邦人の数や、在日該当人の数を見るのがまた楽しい。
在留邦人は0人のことが多いのですが、
どんな小さな国でも、必ず1人くらいは日本に住んでるんですね。
どんな縁で日本に来ることになったのでしょうか。
彼らにとって、日本はどんな国なのかな。
今、幸せなんだろうか。
幸せに、元気で暮らしていて欲しいなあ、なんて思ったりします。

私の好きな中東に目を当ててみると、
やはりエジプトが在留、滞在ともダントツに多いですね。

そして次に住むんだったら、
日本人の少ない国に住んでみたい、と思った私です。
それはそれで、とっても!たいへんなんですけど、
チャレンジャーが結構好きなのよね(爆)。


2002年01月15日(火) 母の外孫たち

昨日は成人式。本当は今日が成人の日。
テレビでは相変わらず「荒れる」成人式を取り上げていたけど、
いっそのこと、無視してしまえばいいのに、と思う。
年末の暴走族もそうだけと、
取り上げるから余計に調子に乗るってことも、あるんじゃないかな。

と、本題からそれてしまった。
さて、ニュー成人。
昨日うちにも1人、ニュー成人が挨拶に来た。
この子は生後数ヶ月から1年以上、母が手塩にかけて育てた子である。
全くといっていいほど家事能力のない母と
妙に家事能力のある子煩悩な父と言う共働き家庭に生まれた彼は、
日中我が家に預けられていたのである。
この子の弟も、うちで預かっていた。
母親は悪い人では全然ないのだが、
職場でも有名な「浮世離れした」人物で、
子供に対する興味が低いと言うか、
とにかく、仕事でも子育てでも、自分のこと以外は
あまり眼中にないタイプの人だったため、
いっかな、うちの母親が色々心配して何くれとなく子達の面倒を見てきた。
また今度成人した長男は、我が家に初めて来た「新生児」だったので、
家族そろって(父も兄も、そして私も)、
彼に対する思い入れは他の子達の非ではなく、
なんか本当に親戚みたいなかんじである。

んで、そのぷにぷにのぽよぽよ、コロコロだったお子は、
今では身長185センチ以上、ひょろひょろに育って、
浪人中にコンピューター関係の仕事を見つけひょっこり就職して
システムエンジニアかなんかの卵になっている。
昨日、うちに挨拶に来た時、彼は彼女の運転する車で来ていたらしい。
血のつながらない「育てのママ」に、
「一緒に行こうって行ったんだけど、行かないっていうから。
彼女、年上なんだ。」などと話して帰ったらしい。
実の親にはまだ言ってないけど、ママには先に言う所が
またかわいいじゃああーりませんか。

うちの両親は、「じじばば」になったのがとても早かった。
母は40代で「おばあちゃん」になり、かなり憤慨もしていた。
だからうちの内孫たちはこのジジばばのことを「パパとママ」と呼ぶ
(ちなみに、私のことも決して「おばさん」などとは言いません)。
しかし、嫁さんの実家は気がついたら孫がもう5人になったのに、
うちの両親、気が付いたら、孫はその2人で打ち止め。
目の前には、いつまで〜も嫁に行きそうにない
(そして行く気のない)娘が行ったり来たりするばかり。

でも、いいではないか、母よ。
血のつながらない外孫が、たくさんいるのだから。
新年の挨拶、入学の報告、七五三の顔見せ、運動会参加、
血はつながっていないものの、
「ママ〜。」と言ってくれる子供達がたくさんいるのだから。
やがて、「ひ孫」の顔を見せてくれる子も現れるだろう。

血がつながっている以上の不思議な縁が、
母と、そして私たち家族を取り巻いている。


2002年01月14日(月) 子供?大人?

今日は成人式ですが、
この頃毎年のように、「荒れる」成人式が問題になりますね。
考えてみると、「荒れる」式と言うのは、
何となく中学とか高校の卒業式というイメージがあります。
青春ドラマの影響でしょうか(^^;)。
それが今では成人式かあ。

20歳の成人式の自分なんて、
もうほとんど思い出せないくらいです。
すごく子供だったように思います。
でも、人の大勢いるところで騒がないとか、
そう言うことは当たり前ですがわかっていました。
それに、式に賛同していなかったので、
地元の式にも出なかった。

式には出る、でも暴れる。
それって暴れる=目立つ=かっこいい、っていう情けない図式なんでしょうか?
少なくとも、その人とかっこいいと思う人なんて、
同じような大馬鹿者しかいないと思いますが、
憧れる大馬鹿者が多いから、毎年成人式は「荒れる」んでしょうか。
なんだか、寒寒しい話です。

20歳になったからといって急に、
人は大人にはならない。


2002年01月12日(土) ヘジャーブ考

昨日はイスラム原理主義(かも、と自ら言っている(笑い))の
日本人ムスリマの友だちと会いました。
彼女とは、イスラム的な知識量が同じくらいで
(近いうちに完全に追い越されると思いますが)
ムスリマと非ムスリマなのに、イスラム観みたいなものがとても近く、
話していてとても面白い。
ちょうどラマダン時期にカイロに滞在していて、
すっかりヘジャーブが板についており、
昨日も可愛らしいサーモンピンクのヘジャーブ姿だった。

日本人ムスリマの間でムスリマの誰かを評価する時、
すぐに取りだたされるのがこのヘジャーブ(スカーフ姿)。
しているしていないで、ムスリマとしての姿勢が問われるって感じだろうか。

エジプトでは最近、とみにこのヘジャーブ姿のお嬢さんが多くなった。
しかし、彼女たちのムスリムとしての姿勢はどうかと考えると、
別にヘジャーブはあまりそれをはかる目安にならないような気がする。
カジュアル・ヘジャーブという感じで、
前髪を出したり、ぴったりとしたパンツとあわせているような子も多いからだ。

ある程度の知的なムスリマ女性には、
「自分はまだ、ヘジャーブをするほどにはなっていない。」
という謙虚な気持ちを持っている人もいることを、ご存知だろうか?
彼女たちはヘジャーブに憧れを持っているが、
ヘジャーブをかぶるだけの内容がまだ自分にはない、
早くヘジャーブと自分自身がつりあうような人間になりたい、
そう聞かされたことが何回かある。
先日会った友人には今度アズハル大学で教鞭を取る話が持ち上がっていた。
彼女もヘジャーブをしていない。
そして上記のように思っている女性の1人である。
アズハルに入るのに、ヘジャーブは必須だと思っていたら、
彼女が聞いた話では、門を入る時には必要だが中では脱いでも良いらしい、とのこと。
アズハルで、それでいいの?と私たちは大笑いをした。

ヘジャーブに対するクルアーンやハディースの解釈は様々だ。
はっきりとヘジャーブをしなさい、とか、
ニカーブ(目だけを出したあの真っ黒尽くめベール、ブルカもこれの一種)をしなければならないとか、
はっきり書いてあるわけではない。
「長衣を身に着けなさい。」とか
「男も(!)女も恥ずかしい部分は見せないように。」とか
確かその程度の記述だったはずだ。
だからこそ、その国々、人々によって解釈が違ってくるのは仕方ない。

またアフガンのブルカ、サウジやイランのアバヤ着用が
人権侵害かどうかよく取り上げられるが、
私個人の意見としては、国なりがそれを着る事を強制するのは、
やはり人権侵害ではないかなという気がする。

そして人権侵害といえば、フランスなどで問題になったように、
ヘジャーブを身につけたいと思う女性から
誰かが無理やりにヘジャーブを奪うこともまた、
重大な人権侵害だ。

身につけるか、つけないか。
それは国や回りが決めることではなく、
本人が決めるべき問題だと思う。
ヘジャーブを身につたいと思い、それができる環境なら、
日本だろうがどこだろうが、どんどん身につければいいと思う。
しかしそれぞれの事情でヘジャーブを身につけぬ人を、
糾弾したり、それだけで良いムスリマではない、と決めるけるのは
あまりにも短絡的過ぎると思う。
そしてヘジャーブを身につけているから仕事に採用されない、
それは差別であると言うのなら、戦っていけばいいと思う。

しかし、考えてみれば、普通の会社の営業マンが
背広は着たくない、ジーンズでお得意周りをしたい、
背広を着ろというのは人権侵害だ、と言い出したら
それはその人が会社にあわないという事で、
会社が考えると言うよりは、今後その会社で働きたいのかどうか、
その人自身が考えなくてはいけない問題のように、
社会生活をしていく上では、
どうしても譲歩しなくてはいけない部分もあるんじゃないかと思う。
少なくともエジプトですら、ホテルのフロントで働く女性に
ヘジャーブ姿はほとんど見られないし、
ニカーブの女性は職探しがかなり難しいようだ。

まだ何の実績もあげていない情況から、
ヘジャーブを許可しろ、礼拝をさせろ、
そうじゃなくては宗教差別だ、
と言うのは、あまりにも子供の理論のような気もする。
入って1週間でいきなり10日間の有給休暇が許可されないのと、
根本は同じ気がするのは、
それは私が非ムスリマだからだろうか。
職種によっては絶対に無理な場所もあるだろうかが、
人間関係さえきちんと築いて評価されていれば、
すんなりヘジャーブを許可してくれる会社も、
案外あるんじゃないかと思う。
そしてもし周りにそう言う人がいたら、
見かけではなくその人自身と向き合って付き合っていきたいと思う。
そして彼女はどんな時でもヘジャーブをかぶって生活したり働いたりできるように、
支援してあげたいと思う。


2002年01月11日(金) あんたモスレム?そう、ムスリム!

本日、とあるエジと会う約束があり、
仕事の昼休みを利用して渋谷駅前まで下りました
(仕事場からだと、本当に「下りる」って感じ)。
初対面の人だったのですが、来た瞬間にわかるほどのエジ度。
そしてエジ英語なのであった。

昼飯は食べたか?ということになり、
彼が一度行ったと言うハラール食の店に行ったのだが、
そのビルの前に、これまたいかにも「それらしい」異国人が二人。
そこで連れのエジは彼らに「このレストランはハラールか?」と聞くと、
「知らないけど、多分ある。」と教えてくれた。
どうやら片方はほとんど日本語がわからないようで、
日本語で答えた人がいちいち会話を通訳している。
んで、この人に「『モスレム』ですか?」、
「どこの国?」と日本語で聞かれた連れのエジは、
「エジプト、あなたは『ムスリム』?」と聞き返した。
彼はイラン人だそうで、
このイラン人が「そう『モスレム』!」を答えた途端、
エジとイランはにこやかに笑いながら、がっしり握手を交わしたのだった。
お互い、同じだね〜、って感じであろうか。

私はこういうイスラム教徒の一体感って、
結構いいものだなあと思う。
実はスンニ派であるエジプト人はシーア派(イラン人はほとんどこのシーア派である)に対して、
「自分の体を傷つけるなんて、変だ。」とか、
「アリーを神格はしているなんて、おかしい。」とか、
色々文句も持っているのだが、
こう言う時はスンニだとかシーアだとか、そう言うことはどうでもよくなり、
『自分たちはイスラム教徒、だから兄弟』という一体感に包まれるみたい。
ほんの一瞬のことだけど。

考えてみると、日本人がこんな風に、
「あなたも日本人?私も!!」という風に、がっちり握手を交わす姿なんて、
そうそう海外では見られないような気がする。
(日本人バックパッカー常宿の安宿だったらあるのかもしれないけど)
それはもしかしたら日本人の性質なのかもしれないし、
じゃあ自分も海外で会う日本人にオープンマインドか、
と言うと時と場合によってしまうので、あまり大きいことは言えないし。
だからこそ、「ムスリム!」の一言でいきなり一体感を持ってしまう彼らが、
ちょっとうらやましいのかもしれないなあ。



2002年01月10日(木) 自分自身の中にイメージを記録し、そして遊ぶ。

私はあまり写真を撮るのが好きじゃない。
特に、旅行先の普通の人たちにカメラを向けることに、
自分でもどうしてだかわからないがものすごい抵抗があって、
ほとんどそういう写真が残っていない。

別段人を被写体にすることにとやかく言おうとは思わないし、
うまく現地の人の写真を撮る人はすごいな、と思う。
多分、そう言う人は何の気負いもなく、
何も気にせず人に接して、心のそして興味の赴くままに、
自然な写真を撮れるんだろうな。
私は結構、なんにしても身構えてしまう方なので、
とてもとても、そんな風に素直な写真を撮ることは無理なのだ。

本当なら、目で見えるもの全てを記録に残しておきたいが、
そんなことは到底無理。
でもある時、私は自分がかなり視覚的な人間であることに気が付いた。
目の前に対象がなくても、
かなり細部までその情景やものを頭の中で再現することができる。
もちろんそれは多少違っていたり、
細部があやふやだったりするが、
そのイメージを遊ぶことの楽しさに気が付いたとき、
私は写真というものにこだわらなくなった。

私が見たもの、そして記憶に残しているものを
私以外の人に物体として見せることは出来ないが、
それはそれでいいだろうと思う。
私の話しを聞き、聞いた人がイメージを膨らませ、
そしてそのイメージを、自分自身で確かめれば良いと思う。
その人はまた、私のイメージとは全く違う、
自分だけの写真を撮ってくるかもしれないのだから。


2002年01月09日(水) やられっぱなし

最近「川上弘美」さんにやられっぱなしである。
この人は才色兼備な芥川賞受賞作家。
芥川賞作品は、あまりにも結末が抽象的過ぎ、
あまり好きではないのであるが、
何冊か、何編かに完全にやられてしまった。

本好きではあるが、現在人気のある生きている作家の小説はほとんど興味がない。
吉本ばななも両村上も読んだことはあるが、
それ以上読みたいと思わなかったし、
名前を見知っているだけの作家ばかりで、
どうも読もうと言う気が起こってこない。
その中で、この「川上弘美」なる人の本はなぜか読んでみようと思った。
こう言う時の勘は、はずれる心配はまずないのだが、
それにしても、やられ過ぎである、自分。

最初に読んだ本は「センセイの鞄」だった。
昨年最高のレンアイ小説との呼び声も高いが、
想像するような「レンアイ小説」とは全く趣が異なる。
布団の中で読み終わって、暗闇の中で、
泣いた。
悲しい?とはちょっと違う。
感動した?ともなんだか違う。
「やられた」と思った。

この人のレンアイ小説の主人公は、
かなり不器用な、全然おしゃれじゃない、お金持ちでもあまりない、
30代後半の女性が多い。
どう考えても、レンアイをエンジョイするようなタイプでもない彼女達のレンアイは、
ばかばかしく、そして暖かく、そして月並だが、切ない。
切ないけど、清々しい。
それが私を打ちのめす。

年末からすでに、3回以上も川上さんにやられてしまっている。
今週は2回もやられた。
昨日も暗がりの中で、私は泣いた。

読み終わり、枕もとの明かりを消す。
胸がドキドキしてきて、鼻の奥がつーんとしてくる。
寝ようと思って閉じているまぶたの間から、
じわじわっと涙が出てきて、
私はしばらくそのまま涙を流しつづける。
涙が耳にまで届く頃、
「ふー」っと暗闇に大きなため息をつき、
子供のように手のひらでごしごしと涙をぬぐって、
布団を首までしっかり持ち上げて、
私は眠る努力をする。

そして私も、「150年生きたい」と思っていることに、
気が付くのだった。


2002年01月08日(火) 言いたかないけど、言っちゃうもんね。

今日は思いっきり悪口です。

先日某欧州系エア会社の日本人スッチーを見ていて、
私はやはり「日本人らしい接待」ってのは素晴らしいんだなと
妙に日系企業を誉めたくなってしまった私。

アジアやあまり所得の高くない国では、
スチワーデスやパーサーというのはエリート職だが、
欧米では完全な肉体労働である。
実は英語もそんなに大して話せなかったりするんじゃないかと、
私は密かににらんでいるんだけど・・・
(それでも日本人よりは話せるだろうケド)。
だからと言うわけではないかもしれないが、
全然サービスがなっていない乗務員が多いのは、
ほとんどの日本人旅行者が経験済みだろう。
(だからといって、日系エアのあの慇懃さも、
時としてうざったい瞬間もあったりするのは確かだが。)

さて、先日乗ったエアにも日本人スッチーが何人か乗っていた。
結構おばさんなのは別段全然かまわない。
私は男じゃないから、スッチーにホステス業は求めないし。
そして最悪なことに、この時は現地人パーサーの質も、
これまた最低であった。
まずだらしない。
シャツのすそがパンツからはみ出してるっつーの(^^;)。
そのうえ、ラテンの血潮みなぎり、うるさい。
しかも身内同士でうるさい。
これって最低。
この中に、いかにも現地なれした化粧の日本人スッチーが加わる。
この人、年のころ30前後か。
現地なれしているだけあって、客にはめったやたらと無愛想である。
接客8大用語など、もちろんそんなのは日本に置きっぱなし。
「ちょっと〜してくれません?」と
尊大に客に言いのけるタフさをお持ち合わせである。
ここまでは良いだろう(本当は良くはないけど)。
私が(−−;)となってしまったのは、
この彼女が、キャビンでしたくしている間中、
パーサーとはきゃっきゃ言っていることである。
おいおい・・・。
私はちょっと、夜の六本木で外国人相手に
きゃっきゃ言っている女性の姿を思い出してしまった。

同僚と仲良くするのは全然かまわない。
それと同じように、営業用スマイルでいいから、
客にむけられないものだろうか?

外国人の中で働くことは大変だと思う。
肩肘張っていかないとならないこともあるだろう。
確かに私たちは「旅行者」だ。
イタリア語も離せないし、短い旅行で急いで日本に帰る。
そんな姿が馬鹿らしく思えるのかもしれないが、
でも、「そのお客」で食べていってるんでしょう、あなたは。
客にお愛想笑いの1つも必要じゃないか?
正直、アエロフロートの迫力あるおねーさんたちや、
エジプトエアのパーサー達の方が、
まだしも愛想がよく、いい気分で旅をさせてくれたぞ、
と妙に点数が厳しくなってしまった私であった。
実際、ああいう日本人スッチーなら、
いない方が潔い。


2002年01月07日(月) 点と線

いきなり残業してしまいました(^^;)。
私それほど労働熱心じゃないんですけど、
致し方ない。
学校の事務方のPCの調子がどうも今ひとつ(いや4つくらい)で、
昨日もそれを見ておりました。

オフコンをオンライン化しようとしているのですが、
PCを大量導入する時から、
やること全てが「点」。
今後どうしていくのか、見通しを立てないまま、
ぶつぶつ勝手に進んできているみたいです。

「みたい」と他人事なのは、
気が付くと「そう言うことになっている」ので、
問題が発生して初めて私たちPC部隊に「そうなっていた」ことがわかる。
んで、「どうにかしてくれ」となるわけなんです。
いくら「事前に私たちに相談してください。」と言った所で、
どうもここの人たちは事前報告とか、相談とか、
事後報告とかってことの重大さがわかっていないらしく。
えまーじぇんしーコールのみがかかる日々なのですね。

その効率の悪い動きを見ていて私は思った。
人生も、「点」ばっかりじゃじゃだめだぞ。
一見「点」に見える行動でも、「線」をイメージして行かないと。
点が集まって線になっていくようにしないと。
などと思った仕事始めでした。






2002年01月06日(日) 海に帰ることなく・・・。

旅行に行っていて知らなかったのですが、
ジャック・マイヨール氏が自殺していました。
「グラン・ブルー」という映画が大好きなので、
そのモデルとなったマイヨール氏も何となく
憧れのような目で見ていました。

自然を愛した人がどうして自殺を選んだのか。
今となっては「グラン・ブルー」のラストシーン、
妊娠している恋人の静止を振り切って、
イルカと共に帰ることない海を泳ぎだした主人公の姿が、
なんだか暗示的に思えます。

どんな勇士にとっても老いは恐ろしいことなのでしょうか。
勇士だからこそ、耐えられないこともあるのかもしれない。
海に帰ることなく、土の上で死を選んだ彼の魂は、
それでもイルカに導かれて海に還っていったのでしょうか。
そうであることを願います。

また1人、偉大な魂がこの世から消え去りました。
彼らの意思を引き継げる器の大きさが、
私たちに、これからの子供たちに残っているでしょうか。
小さくまとまりがちな現在。
魂のヴァカボンドを求めたいと思う今日この頃です。


2002年01月05日(土) ブランド価値としての日本人

久しぶりにエジプトで「観光客」をしてきて改めて思った。
「日本人(の特に女性)」って言うのは、
世界に名だたる「ブランド」なんだと言うことを。
同じアジア人だとしても、申し訳ないが他のアジアの国よりも、
日本に対する興味はダントツであった。
エジプト人だけではない。
エジプトで出会った様々な国籍の人が(特にこちらが女性なので男性が多い)、
「君は日本人?」と声をかけてきた。

それは多分、車とか電気製品とか、ヒロシマとかヤマトナデシコとか、
日本には彼らにもわかりやすいイメージがあるからだと思われる。
中国や韓国もがんばって輸出をしているが、
今一つそれが大きなイメージにはなっていないらしかった。

私は声をかけられて下心があまりなさそうだなあと思うと、
エジプト人でも外国人でも、
とりあえず話をしてみることにしている。
彼らがどんなことに興味があるのか、
こちらも興味があるからだ。
今回もルクソールの空港で飛行機を待っている間、
国籍不明なルックスのアルジェリア人観光客と色々話したし、
土産物屋の正直そうな若いにーちゃんとも、
お茶を飲みながら世間話をした。

しかしそれと同時に、誰かが私の好意を持っていると言う風な時、
その人は果たして「私」に好意を持っているのか、
「日本人」の私に好意を持っているのか、
意地悪く考えてしまう自分がいる。

その国に長く滞在していていたり、
仕事や友だちのつながりで誰かと出会った場合、
多分最初はその人が「日本人」の私に興味を持っていたとしても、
段々「私」個人に興味を持ってもらえるだろう。
日本人だからこう、ではなく、
私だからそうなんだ、という風に…。
しかし、とても意地悪なようだが、
旅行中に出会うエジプト人が日本人女性に声をかけるのは、
十中八九、「日本人」だということに興味を持ったに過ぎない。
それは個人的な魅力を認められたと言うことでは、
ほとんどないと思う。
だから、あまり声をかけられても、私はうれしくない。

最近、エジプトの新聞にこういう記事が出たそうだ。
「エジプト経済がますます低迷している中、
チャンスを物にしようと、手当たり次第外国人女性に
声をかけているエジプト人の若者が大変増えている。」

外国人女性をゲットすること、
それイコールエジプトからの脱出のチャンスを意味する。

別に旅先で知り合った人との縁を、全く否定するつもりはない。
それで幸せになれる人もいるだろう。
しかし少なくとも相手のバックボーンにある色々な状況を、
冷静に見つめられるシビアさは、旅行中にも必要ではないだろうか。
特にブランド価値ある国に生まれたからには、
それを利用しようと狙う人がたくさんいると言うことは、
頭の片隅に入れておいても、無駄にはならないはずだ。


2002年01月04日(金) ちょっと遅いですが、あけましておめでとうございます。

本日帰国しました。
エジプトでは、お気に入りの店を再訪しおいしいものを食べ、
デルエリルバハリに花をたむけ、
土産物屋の怪しげな日本語を厳しくチェックし、
日本の不景気を行く先々で風潮し、
なかなか充実した休日を過ごしてきました。
帰りには3時間ほどミラノの街に出て、
何年かぶりでドゥオーモも見ることが出来ました。
何となく幸先が良いぞ。
本格的な日記は明日から再会する予定です。
カイロの報告もぼちぼちするつもりですので、
こちらもお待ちください。

今年もよろしくお願いします。
そして皆様にも、たくさんの良いことがありますように・・・。


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