ぶつぶつ日記
DiaryINDEXpastwill


2001年10月31日(水) ささくれ

どうやら、だいぶ疲れがたまっていたらしい。
基本的に丈夫、仕事もそんなに忙しくないし・・・と、
気にしないようにしていたが、
実はまわりは気が付いていたようだ。
親しい人にも「少しゆっくりしなさい。」と言われていたし、
調子が悪くなって自宅に帰ると、母は最初に
「疲れてるんだから休みなさい。」と言った。

この頃、妙に仕事に対して不満がたまったり、
職場の人に冷たくしていたのも、
体力が落ちて、精神力にも影響を及ぼしていたからかもしれない。

昨日一日仕事を休み、家で好きなことだけしていた。
夕方にはだいぶ頭がすっきしていて、
今日は久々にさわやか〜な朝だった。
一昨日まで冷たくしていた人にも、
少し普通に話せるようになった気がする。

心と体と。
どちらが最初かわらかないけど、
最近は少し、心がささくれ立っていたようだ。
体を休めたことによって、心の疲れも軽くなった。
休養はやはりとても大切。


2001年10月30日(火) 赤ちゃんパワー

すでにお気づきかもしれませんが、
ワタクシ、とても赤ん坊が好き。
はっきり言って、赤ん坊フェチ♪
ねこも犬もハムスターも、
赤ん坊の可愛さには敵わない!と思っております。
泣くとうるさいし、何で泣くかわからない時も多いし、
うんちはくさいし、よだれはでろでろだし、
すぐに鼻たらすし、逆流して吐くし、
でも、あのぷにぷに感は至上の喜び〜ん。

我が家にはここ20年くらい、
毎年毎年1人もしくは2人の乳飲み子がおります。
母の仕事です。
したがって、私が家にいる時はにわかベビーシッターに早変わり。
何せ受験生だった時も、塾からお昼ご飯に帰ってきている間ですら、
「ちょっとみててよ。」とぽーんと赤ん坊が飛んでくる。
日本語養成講座に通っていた時期は授業が午後からだったこともあり、
夏場シャワーを浴びてから出かけようとすると、
いきなり風呂場のドアが全開になり、すっぽんぽんの赤ん坊を手渡され、
「一緒に行水させて♪」
と言う家庭であります。

しかし、おかげでうちの(通称)ママさんは超元気者。
子供と一緒にいると、パワーをもらえるそうなんですね。

この頃ちょっと調子が悪い私。
パワーがダウンしている気がする。
今日は仕事を休んで、お子達とコロコロと転がっておりました。
ああ〜、楽しい。
ほんと、おもしろいわ〜、子供って。
笑える・・・。
赤ちゃんパワーをもらって、復活の兆し〜。


2001年10月29日(月) colacaco的パレスチナ問題再考その3

【可愛さあまって憎さ100倍】
よく「日本人はアメリカが好きだね」と嫌みったらしくアラブ人に言われるが、
実は自分達だってかなりアメリカが好き。
アメリカに対して過剰な憧れを抱いていると言っても過言ではない。
以前、ヨルダンのパレスチナ家庭に泊まっていた時、
連れられて行った親戚のうちのクーフィーヤをしたおっさんまでもが、
「お、ブロンドの時間だ♪」といそいそとアメリカドラマにチャンネルを合わせていた。
彼らがあこがれているもの、それはアメリカのもっとも華やかな部分だけで、
勘違いもいい所なのだけれど、それは日本も笑えない。
アメリカの映画やドラマや音楽を通じての影響は、
やはりとてもすごいものだ。

ところが、どんなにあこがれても、どんなに好きでも、
アメリカ的な生活は手に入れることは出来ないし、
アメリカ自体も自分達には妙に冷たい。
イスラエルばっかりを可愛がる。
ちくしょ〜、なんでだあ!
けっ、アメリカなんて〜!!!!

感情の行き違いはこんな所から始まる。
これで、アメリカがこの思いに少しでも気が付いてくれて、
パレスチナ問題でのイスラエル身びいきを少しでも見直してくれたら、
彼らのアメリカへの「愛情」も正しい方向に向かうのだけれど、
いっかなアメリカはいつまで経ってもパレスチナばかりに厳しく、
イスラエルにばかり甘い。
パレスチナ問題に関する国連決議をことごとく無視しつづけ、
何か起こるとすぐにパレスチナ側の責任ばかりを追及する。
一年以上も続いて、ますます激化している「アル・アクサ・インティファーダ」に関しても、
アラファトの指導力のなさ、治安維持力のなさを非難したが、
忘れてもらっちゃ困る。
最初に喧嘩を売ったのは、イスラエルの方だ。
人のうちにずかずかと土足で踏み込むようなまねをして怒らせておいて、
実際に胸倉をつかんだら、そっちが手を出した!
なんてそんな理不尽な話しはあるか。

「愛情」はますます鬱積した感情に変わり、
簡単なこと、自分達にはほとんど関係のないことでも、
すぐに反米感情に火がついてしまう。

アメリカはかなりナルシシティックだと思う。
「自分って素敵」、「自分って偉い」、「自分が一番」。
それもまあ良かろう。
しかし、「愛される者」の自覚も持たないと、
気が付いたら世界の嫌われ者だ。
人間、関心のないものは憎んだりしない。
愛情を裏切られた時、愛が憎しみに変わるのだから。



2001年10月28日(日) うれしい知らせ

友人関係に関しては、子どもの頃から実は不器用だったと思う。
自分では全く意識していないのだが、
気がつくとお互いに勘違いをしてすれ違ってしまい、
仲が良かったのに、全然会わなくなってしまう、ということが何度かあった。
明らかに私に原因があった、とはどれ1つとして思えないが、
だからと言って、相手が悪いとも言い切れない。
何かが少しずつ、ボタンの掛け違いのようにおかしくなってしまったのだろう。

最近も1つ、そんなようなことがあった。
良かれと思って私たちが言ったことが、
どうやら彼女を追い詰めてしまっていたらしい。
自分たちではそっとしておいたと思っていたのに、
年に数回の手紙やメールですら、
彼女にとっては恋人に秘密がばれる危険があると感じたのか。
最後通告のようなメールが別の友人に届いて、
正直私たちは傷ついた。
事情が事情だけに、彼女を責める気にはなれない。
自分たちの言ったことは多分ほとんど全ての人がそう思うことだけど、
それが彼女には余計なことで、重荷になってしまったことだけは確かなのだから。
しばらく経って、彼女が落ち着いたり、
もしくはまた何かこの問題がらみで困ったことが起きてしまったら、
きっとまた、連絡してくれるよ、と友人を慰め、自分を慰め・・・。

そして今日。
別の懐かしい人から、ふらり、とメールが届いた。
カイロで親交を深めた人。
連絡が取れなくなってから、皆で集まる度に
「どうしているんだろう。」と心配をしていたのだが、
連絡よこさないことにも何か意味があるのだろうと思い、
彼から連絡が来るまで、我慢してみようといつも話は終わった。
ああ、待っていて良かったな、とメールを読んで思った。

彼女もまたいつか、ふらり、と連絡をくれる時が来るだろうか。
それをのんびり待っていよう。



2001年10月27日(土) まぼろし

テレビでエジプトの番組を見るといつも、
自分があの国で2年半という時間を過ごしたことが、
まぼろしだったんではないか、という思いに囚われる。
それほど現在の生活の中では現実味が薄い。
それなのに、クイズのほとんどを当てることができ、
出てくるたくさんの場所に、個人的な思い出があり、
その場のにおいや、彼らの話し方や、
そんなものが私の全身を包み込み、
そんな番組を見たくない、という気持ちと、
でもやはり見たいという気持ちが
私を少し斜に構えた態度にさせる。

自分があの国で得たものを、今は全く生かせていないという悔しさと、
あの国に行ったからこそ得たものもあるという満足感と、
どちらがより大きいかは、私にはよくわからない。
ただ、このまま、あの国にいたことを単なる思い出にはしたくない気持ちがあり、
じゃあどうしたらいいのか、考えがうまくまとまらないまま、
忙しい日常をこなすことばかりに夢中になってしまっていることが
多分、一番ふがいなくて、悔しいのだと思う。

エジプトでの日々をまぼろしにするのか、
それを現実とするのか。
それも私次第なのだ。


2001年10月26日(金) イメージ遊び

カイロではくだらないことを楽しむ時間がたくさんあった。
夜、女3人が集まって電気を消し、ヨーロッパ人の真似をしてろうそくに火をつけ、
暖かい明かりの中で早朝のアザーンが聞こえてくるまで話し込んだものだ。
軽い話題、深刻な話題、人の噂話、自分たちの不確かな夢について・・・。

ある日読んだ本の中に、自分や自分や周りにいる人を花に例えると・・・、
というエッセイがあって、花や木や、色んなものに友人知人を例えてみた。
植物の名前に詳しいわけではないので、あくまでイメージだったのだけれど、
じーっと考えているうちに、その人の内面が形になって見えてくるような気がした。

Hねーさんは、ひっそりと山に咲く紫色の山百合。
イタリア人のキケーレに「バーニングアイス(燃える氷)」と言われたように、
穏やかな外見に激しさや熱さを秘めている感じ。

日パキハーフのMちゃんは、複雑な色の蘭。
華やかな外見に見え隠れする真摯さや脆さが、育てるのが難しい蘭を思わせ
る。

Sちゃんは、小さなピンク色の花束。
一輪一輪の派手さはないけれど、花束を見ると暖かい気持ちになるように、
小さな思いやりが、皆にかわいがられる。

私を花に例えると、どんな花なんだろう?
あの人を例えると?

私が身につけて似合う色は紫系なのだけれど、
どうやらイメージの色は「オレンジ色」らしい。
赤ほど、強くない。
決して寒色系ではない。

色々な人の顔を浮かべながら、久しぶりにイメージの世界を遊んでみようか。
アザーンの聞こえない街で・・・。





2001年10月25日(木) colacaco的パレスチナ問題再考その2

【いじめられっこが、やがていじめっ子に】

ユダヤと言う宗教、これがまた、わかりづらい。
一時期スピノザと言うユダヤ系哲学者に凝ったことがあって、
その時ユダヤ教の教義について調べようと思ったのだが、
あるのはいかにユダヤが虐げられてきたかという「お涙頂戴編」か、
いかにユダヤが狡猾か、「なんでもかんでもユダヤ陰謀説」の本ばかり。
知りたいのはそういうことじゃあないんだがなあ。

何とかわかったことは、
・ユダヤ教はとにかく「律法」を守る宗教だと言うこと。
ブタを食べない、酒を飲まない、イスラムはなんてかたっくるしい宗教なんだ!という人は、ユダヤの決まりを聞いたらそれだけで反抗して不良になっちゃうでしょう。何せ、魚はうろこのあるものしか食べてはいけないし、乳製品と肉を一緒に食べてはいけない。厳密には肉料理と野菜を調理する器具、皿、流しまで別々が好ましい。さすがにここまではできない人が多いらしく、そう言う人は食器洗いのスポンジを肉用、それ以外用に分ける。お休みの日には一切働いてはいけないので、冷たいものを食べる。電気のスイッチを入れることも仕事に当たるので、電気もつけないとか・・・。とにかく言い出したら切りがない感じ。

・ユダヤ人がユダヤ教徒で、非ユダヤ人がユダヤ教徒になりたいと思っても、そうそう簡単にはなれないこと。
母親がユダヤ人というのが正統派らしい。つまり今日本人の女の子が道端でアクセサリー売っているイスラエル人と結婚してイスラエルに嫁に行ったとする。自分がムスリム宣言したら、それでベイビームスリム誕生、という自己申告制のイスラムと違って、ユダヤ人になるには、それ相当な宗教機関のテストがあるそうだ。国籍がイスラエル、ということと、ユダヤ、ということはまたちょっと違うらしい。

・重要な教えはとにかく門外不出であること。
日本的に発音すると「エホバ」と言われる神の呼び名だが、本当の呼び名は完全なる秘密である。

なんでここまでドメスティックなのか。
それを彼ら自身は「迫害に次ぐ迫害で、自分達の宗教、文化、血を守るためにそうなった。」というのだと思うが、どうやらこれは「仕方なく」というわけではなく、「意識的に」選んできた結果らしい。
ユダヤ人のバビロン捕囚は有名なストーリーだが、「どうだね、そろそろ国に帰ってみんかね?ま、もちろんうちの支配下ってことだけどね。」という申し出を、自ら進んで蹴っ飛ばし悲劇街道をまっしぐらに進むことで民族的な結束を固めていった、と私が読んだ比較的客観的なユダヤ人によるユダヤ人史には書かれていた。

ユダヤは悲劇の民か。
これは確かにそうである。ヨーロッパでは。
キリスト教が「カソリック」になっていく過程で、
ユダヤ人はかっこうのスケープゴードだった。
まずもちろん宗教が違う、そして生活様式も違う。
その上イエスを殺したのもユダヤ人達である。
しかも土地にしがみついて生きているキリスト教徒達に追われた結果、
彼らは都市部に集まり金融業なるものを発達させていき、
結果キリスト教徒の諸侯ですら、彼らの金をあてにしたり。
排他度で言ったらユダヤ教がナンバーワンだけれど、この人たちは究極のドメスティックなので、自分達の流儀さえ守られれば、ユダヤ教を広めようとか他を好んで攻撃しようとかっていう意識はなかった。
イエスキリストの博愛主義がどこでどうしてどうなっちゃったのか知らないけど、ヨーロッパのキリスト教の2000年に及ぶ不寛容と攻撃性、それがユダヤ人にものすごい「被害者意識」を与えたことは事実だ。


しかしそれ以前、オリエントでのユダヤ人追放は、
本人達が言うほど大したことではない。
ユダヤ以外にも同じように大国に攻められ強制移住させられた民族はたくさんいた。
その際たるものがチュニジアのカルタゴだろう。
強制移住から自力で這い上がったと思ったら、それが気に入らないローマに
今度は壊滅させられてしまった。
建物に火をつけ焼け跡に塩を撒くといった念の入れよう!!
細々とでも「ユダヤ」の血を守って来られたユダヤ人の方が全然ラッキーである。
イスラム国家でも、彼らは逆に「知識人」として尊重されていた。
もちろん「ジズヤ(人頭税)」は払わなければならなかったけれど、
ちょっとのお金を払えば、信仰も生活様式も比較的自由に守れた。
クルアーンの中にユダヤ教徒についてくそみそに書かれている部分は確かにあるけれど、
ユダヤ人にとってオリエントが住みづらくなってしまったのは、
皮肉にも「イスラエル」が建国されてからだ。

ドイツによるユダヤ人迫害については別にいうことはない。
その結果、罪の意識にさいなまれたヨーロッパの後押しでイスラエルが建国された。
今から思えば、体のいいお払い箱ではなかったか?と思うけど。
それを押し付けられたアラブこそいい迷惑だ。
その上、2000年間に渡って培ってきたユダヤ人の「被害者意識」。
悪いのはいつも「自分達以外の何か。」
今はそれがパレスチナ、アラブ、イスラムになっている。

それぞれのアラブ諸国がアメリカにおもねった結果とはいえ、
現在、イスラエルはすでにほとんどのアラブ諸国に「国」として認知されている。
それが下々には不満なんだけど。
イスラエルはどうかって言うと、パレスチナ人の存在すら認めたくない。
「土地なき民に、民なき土地を」だから。
じゃあ、目の前で石を投げている人たちはどこから来たんだっつーの。
大挙としてアラブ各国から移住して来たとでも言うのか。
「自分達は日常的にテロの恐怖にさらされている。」って言うけど、
じゃNYのテロ後1ヶ月の間に「イスラエル軍」により弾圧死した何十人もの人たちは
どう説明するんだっつーの。
「圧制」されている民衆が「反抗」するのは当たり前だろう。
パレスチは事実的な国家を持たないのだから、イスラエルと「戦争」は出来ない。

現在のイスラエルを見ていると、いじめられっこがいじめが原因で引っ越した新しい学校で、
今度はいじめっ子になって暴れまくっているような感じがする。
昔いじめられたから、じゃあ今度は誰か別の全く関係ない人をいじめて良いって、
そんな話しはないだろう。
しかもあんたをいじめていたのは、今あんたがいじめている目の前の相手ではない。
全く別の人物だ。
よく「いじめられる側にも問題があるんじゃないかな〜」と言う人がいるけれど、
パレスチナ問題に関する限り、まさにイスラエルに問題がある。
被害者意識を縦に、自分達もナチスドイツに負けずとも劣らない加害者になってしまっていることが、
悲しくはないのだろうか?


2001年10月24日(水) colacaco的パレスチナ問題再考その1

【パレスチナ問題、おさらい】

パレスチナ人、というのはちょっと前まではパレスチナ地方に住む人、
くらいの意味だった。
イスラエル建国時のスローガンは
「民なき土地に土地なき民を」だったけれども、
これを「国なき土地に国なき民を」だったら、
とりあえず話しのつじつまはあったことであろう。
別にパレスチナ人がここに「国」を作っていたわけではないから。
古い所では古代エジプト、ウマイヤ朝も支配してたでしょ。
ちょっと前まではオスマントルコ、というように、
さすが交易の重要地点、民も流れる、支配者も流れる。
ムスリマもユダヤも、キリスト教徒も、この土地に昔から住んでいた。
ただ上が変わっていっただけ。

パレスチナ人に「パレスチナ人」としての民族意識が芽生えたのは、
そうそう古いことではないらしい。
ぼーっと暮らしていて、「土地を売ってくれ!」というユダヤ人に
あまってる土地も売ったりしたら、
気が付いたらまわりにいつのまにかユダヤ人がいっぱい引っ越してきて、
売っていない土地まで「ここはイスラエル!!!」と言い出し、
家や田畑をブルトーザーでなぎ倒し、
ユダヤ人以外は出て行け出て行け!と言い出した。
あれ、あれ〜????
もともとエルサレムは古代ユダヤ王国の首都だったけど、
なんでこうなっちゃったのでしょうか。

第一次世界大戦時、この辺りの利権を狙っていたイギリスは
2枚舌どころか3枚舌で、空手形を切りまくっていた。

→フセイン・マクマホン書簡(1916) 。トルコの圧制に苦しんでいたアラブ人に、「トルコを破ればパレスティナは、あんたらにあげるよ」と約束した。これを率いていたのが「アラビアのロレンス」

→サイクス=ピコ協定(1916)。うまくトルコがこの地からいなくなったら、英・仏・露の連合国でアラブを山分けしちゃおう!と言う取り決め。

→バルフォア宣言(1917)。軍資金など協力してくれたら、パレスティナはユダヤ人にあげるよ、という手紙を英国外務大臣バルフォアがユダヤ人のウォルター・ロスチャイルド宛てに送った。

さすがである、この驕り。
自国以外はとりあえず物?
そこに住んでいる人間も物?
欧州国列強の支配欲が、まだまだ健在で、
白人至上主義が恥ずかしくなかった頃の話しだ。
それも、そんなに前のことではない。

とりあえず、パレスチナ問題の一番目の悪人は、
イギリスとフランスに決まり。
たった1年間に交わされた3つの政治的書簡、
これが小さな問題はあってもそれまでずーっと続いてきた、
(イスラムを中心とした)アラブと、ユダヤ人の共存関係をぶち壊した。
1000年以上続いてきたアラブとユダヤの憎しみ合い、
そんなのは大嘘。
それはほんのこの100年弱のことなのだ。

では、明日からいよいよ再考に入ります。


2001年10月23日(火) 欲望にまみれる

仕事で新しい企画の立ち上げに係わっているのだけれど、
それがなかなか進まない。
原因は複合的ではあると思うけれど、
一番の原因は、つまらない「派閥意識」じゃないかと思う。
こんな小さな職場で、天下を握ってそれでなんぼ?
と正直私は思うのだけれど、
欲に目覚めた人にはこんな所でも天下は天下。
何かうまみがあるのだろう。
自分達の立場を守るばかりで、
職場の発展性とか将来性とかはお構いなしだ。

考えてみれば、全ての原因はこの「欲望」ではないかと思う。
少しでも甘い汁を吸うために、
自分の利益を得るために、
巨大な力を持てば持つほど、
心は欲望にまみれて、
視野が狭くなっていく人がとても多い。

死ぬ時は、お金も、地位も、名誉も、
全て残していかなくてはいけないのに。
現世でのそれらは、天国や、来世では、
実はあまり役に立たないらしいのにな。


2001年10月22日(月) おめでとう

昨日はカイロで一緒に暮らしていたMちゃんの結婚披露パーティだった。
今年の初めに籍を入れ、だんな様の国に住んでいるMちゃんは、
日パキハーフのエキゾチックな美人で、
シンプルなドレスがとてもきれいなお嫁さんだった。

彼女は私が始めて一緒の暮らした「他人」であった。
そのあとも2人の日本人女性と一緒の暮らした。
日本人同士だからといって、
いや日本人同士だからこそ、
フラットをシェアしてもうまくいかないことが多いのだが、
幸いにも私はフラットメイト運が良かったらしい。
私以外の全員が結婚した今でも、だんなさんも含めて友だち付き合いをしている。

いい関係で問題はほとんどなかったと言っても、
それなりに他人と暮らすことは色々大変なこともあった。
自分にとっては当たり前の事が相手には嫌味に思えてしまったり、
自分自身の心の問題で、相手とギクシャクしてしまったり・・・。

母の躾のおかげで、私は水周りがきれいじゃないとかなり嫌だ。
特にガスレンジは常にピカピカじゃないと我慢できない。
コツは、料理をしたらすぐに拭く。
そうすると大掃除をしなくてもレンジや流しはいつもピカピカ。
ガイドの仕事をして3、4日家を空け、疲れきって帰ってきた次の日。
ついつい朝ご飯を作りながら、レンジを磨いてしまうのだ。
そのことにフラットメイト達はちょっと傷ついたらしい(^^;)。
しばらくたつと
「明日はcolacacoが帰ってくるから、レンジを掃除しよう。」
と言うことになった。
私がレンジを磨いていたのは別に嫌味ではなく、
「自分が嫌だから自分が磨く」というただそれだけなのだが、
ものは受け取りよう。
でもまあ、「帰ってくるからレンジ磨いておいたよ〜。」
とフラットメイトが言えるような関係だったので、大問題にはならなかったが。

一番困ったのはよくある話しで恋愛絡み、になってしまった時だ。
私は友だちのうちの一人を好きになった。
でも彼が女性として興味を持ったのはフラットメイトの1人だった。
当然それだけでもギクシャクする。
その上、いつも「自分自身だけの何かたった一つ」を探していて、
でもこの年になっても「たった一つ」が見付けられない私と違って、
彼女は彼女の「たった一つ」を持っていて、
そのためにカイロに来ているような人だった。
私にしてみれば、理想の生き方だった。
ここで、私自身のコンプレックスが巨大化した。
そんなコンプレックスを持つ自分が悪い、と思っていても、
なかなか割り切れるものではない。
部屋の中がぴりぴりして、間に入っていたもう一人のフラットメイトは
きっと一番大変だっただろう。
下町の大家族の、親戚中で二人しかいない女の子の一人として
ちやほやされて大きくなった私の人間関係の愚痴の手紙に、
「あなたは甘やかされて自由奔放に育ってしまったから、
人に気を使うのが大変でしょう」と母は返事をよこした。

結局、その後も色々あって私達の両方が彼とは付き合わなかった。
彼女が彼と付き合っていたらどうなっていたかな〜とたまに考える。
どうなっていたかは、結局想像できない。

このごたごたの最中、ぼんやり私は考えた。
きっと結婚っていうのも、こういう感じなんじゃないかな、と。
つまり、相手がそんなに急に変わったわけではく、
自分自身の心や体の体調によって、
相手のすることが気になったり、相手が嫌になったりしてしまう。
よく考えると、問題は自分の中にあるのに、
それを相手に押し付けてしまうんじゃないだろうか、と。
フラットメイト同士は「他人」のスタンスを保てるので、
何とか平静を取り戻そうと努力できるけれど、
「夫婦」とか「家族」と言うのは、このスタンスが保てない。
甘えばかりが前面に出てきてしまうんじゃないかな、と。

せっかく結婚したんだから、だんな様には甘えて欲しいと思う。
でも、時折、他人と暮らすルールを思い出してもらいたいな。
結婚して幸せに暮らしているフラットメイトたちの顔を見ながら、
まだまだクールでいられる未婚の私はそう思った。


2001年10月21日(日) ストリクトな人々

手作り石鹸や化粧品に興味を持った時、ネット本屋で本を探した。
2冊の同一の著者の本を買おうと思ったのは、
一般の人の書評に「押し付けがましくない」と書いてあったから。
ベジタリアンや有機栽培の野菜、
その他もろもろ何でもいいのだが、
「自然なもの」にこだわる人の中には
自分がいいと思う以外のものは悪、のように主張する人がいて、
それにはちょっと辟易する。
個人的な主義主張はもちろんあって構わない。
でも、全ての人が同じ価値観を持てるわけではない。
そうしたいと思っていても、なかなか実行に移せない、
私のようなものぐさもいるだろう。

同じことが、「無宗教万歳」な人たちにも言える。
彼らは必ずイスラムの絡む問題のときに現れて、
自分がどれだけ正しいかを主張し、イスラムを断罪し、
言いたいことだけ散々言い散らかす。
確かに特定宗教を持たないことは、ある意味自由だ。
私もそう思う。
しかし。
人間の歴史の中で、どんな形でも宗教を持たなかった民族など一つもないのだから、
それなりに人間には必要なものなのだろう。
現在のような世の中では、特定宗教をストリクトに信じることは
必要悪、になってしまうことも多いけれど、
でも、宗教が必要な人はこの世には必ずいる。

ストリクトさ、の問題は、慣用性の欠如だと思う。
自分が信じるものが正しいと思い込むあまり、
それを理解しない人が全て悪い、と思い込む。
でも、同じような思考を持っている者同士でも、
細かな点では100%一致はしないはずだ。
そう言う場合は自分と同じ部分を見つけ出し、
あとは慣用を持って見ないふりをしているんじゃないかと思う。
主義主張が違うもの同士は、同じ思考の者同士よりも、
この違いが少し大きいだけだ。

違いを取り立てて騒ぐよりも、少しの「一致する価値感」を見つけて、
それを大事にしたいと思う。



2001年10月20日(土) だるだる

調子が悪くって、昨日は日記を書くのを忘れてしまった。
反省。
今日もだり〜(−−;)。
主たる仕事のお給料が「私は扶養範囲で働いているわけじゃないのよ!!!」
って言うくらいに悲しいものなので、
週末になると出稼ぎに行っております。
んで、朝起きたらとっても調子が悪い。
熱があったら休めるかも〜、と熱を測ったら、
電子体温計なのに35度分にしかならない・・・。
こういうこと、多いんですよね。
でも、低体温って病欠の理由にはならない(・・?)。
仕方ないので働きに行ってまいりました。

忙しく働くの、実は嫌いじゃありません。
仕事がひまでやることがない方が辛い。
それにだるい、だるいといいながら、
こんな時間まで何をしているかと言うと、
明日の友だちの結婚披露パーティにつけて行くネックレスを作っていた。

バイトに行ってると、数時間おきにぼつぼつぼつぼつと
蕁麻疹〜が出るのに、
好きなことをやっていて行き詰まっても、
ほこりっぽくても、全然痒くならない。
う〜ん、やっぱり精神的なものなのかなあ。
そんなにやわだったか>自分。

ってなわけで、今日は独り言モード。
風呂に入って寝ます。
かたい話はまた明日(?)。


2001年10月18日(木) 「なんか、変」を大事にしよう

「なんか、変」って思うことってたくさんある。
でも、「もしかしたら、自分だけがそう思ってるだけかな?」とか、
「私がものを知らないからそう思っちゃうのかな?」とか、
そう思う自分がちょっと変かも、と思って
口に出すのは止めてしまうことが多い。

「なんか、変」と思ったことを色々考えてみよう。
色々調べてみよう。
「なんか、変」は「やっぱりすごく変!!」な場合が多い。

「なんか、変」ってみんな心の中では思っていたのに、
それを口にしなかったばかりに、
取り返しのつかない事になった事例はあまりにも多い。

みんなの「なんか、変」を大事にしよう。

Cちゃん、「なんか、変」。
そう思うことが「何かの」始まりになることが多いんだよ、
きっとね。


2001年10月17日(水) 自然の力

この頃のマイブームが「手作り化粧品」。
って言っても今日はじめて作ってみました。
すごい簡単で、でも実験みたいで楽しかった!
急に蕁麻疹体質になってしまい、
しばらく医者に行って注射を打ったり薬を飲んだりしたけど、
全然よくならない。
元々医者に行くのは嫌いな方じゃないが、
薬を常用するのに抵抗が強く、
少しステロイド剤が入っている塗り薬も
べたべたするばかりでつけごこちも嫌いだった。

そんな時、カイロ時代一緒に生活していたHねーさんと話していて、
カイロではよくシャワー後にオイルマッサージしていたことを思い出した。
「かゆみにはラベンダーが利くよ〜。」と教えてもらい、
早速試してみたところ、匂いがいいせいもあり、
なんだかすっとかゆみがひく感じ。
そしたらよく遊びにいく掲示板でも、
やはり手作り化粧品について話題になっていて、
皮膚科通いがやんだ、ということ。
ケミカルに頼ってしまうと、人間が本来持っている力が
どんどん衰えていくらしい。

考えてみると、一連の狂牛病も牛本来の自然に反したことが
病気の原因になっている。
草食動物である牛に、動物性たんぱく質を与えて
どんどんミルクを絞り尽くす。
共食いをさせていたなんて、考えてみればぞっとすることだ。
牛乳がまずくなったって言うのは、気のせいではなかった。
牛乳がくれる栄養のかわりに、私たちは何を飲んでいたんだろう?

エジプトでもアスワンハイダムが出来てからというもの、
土地がどんどん痛んでいっている。
塩分が上昇して来ているのだ。
昔は年に一回のナイル川の氾濫で、
土がきれいに入れ替わった。
確かに河の氾濫はやっかいだったが、
恩恵もたくさんあったのだ。

人間は自然を科学や技術の進歩でコントロールできると思った。
でも、そんなことはどうやら出来ないらしい。
それは、結局人間も自然の中の一つの要素に過ぎないからだ。
自然を支配するより、自然の力を借りた方がよっぽど良いようだ。


2001年10月16日(火) どこで鬱憤をはらすのか

この日記でもすっかりおなじみの私の特殊公務員の兄。
この人を見ていると、
「きっと普通のサラリーマンってみんなこんな風に考えているんだろうなあ。」
と、ある意味観察入ってしまう。
昨日も風呂に入る前に私に噛み付いた。
そう、なぜなら私は自他ともに認める「イスラムフェチ」だから(爆)。
いわく、
「どう〜してイスラム教徒ってあんなに馬鹿なんだ!!」
テロ後はイスラム教徒に理解も示したし、アフガンにも同情したものの、
どうやら連日世界各地(特にパキスタン)で行われている
対米デモを見てだんだん腹が立ってきているらしい。
こういう人は残念ながら多いんじゃないかな。

「アメリカに一発原爆を落とされたら、アフガニスタンなんかおしまいだ。」
はい、その通り。

「アメリカにばっかり文句を言うが、テロの犯人は悪くないのか?」
はい、それもおっしゃる通りだす。

「大騒ぎばかりして、馬鹿騒ぎじゃないか、あれでは!!」
だから、その通りなんだってば。

そして私に言われても困る。
だって私は日本人のあなたの妹で、
ムスリマでもないしパキスタン人でもないし、
失業もしていないし、貧富の差が恐ろしくあるわけでもないし、
国が独裁政治で厳しい言論統制をしていて、うかつに自国政府を
非難しようものなら逮捕、拘留、拷問、獄中死になるわけでもないし。

自分の国のことは非難できない。
政府ももちろん非難させない。
たまりにたまった鬱憤は、しかしどこかでガス抜きしなければ、
その国の政治体制自体が危うくなってくる。
国内情勢に多くの問題を抱えているイスラム諸国にとって、
はっきり言って、アメリカってのはいい鬱憤のはけ口だ。
非ムスリム国、そして超リッチ。
その上金持ちの傲慢さで、世界を好き勝手に操作しようとする。

どんどんアメリカを憎んでもらって構わない。
対米デモでもして、日ごろの鬱憤をはらしてちょうだい。
そして自分達の頭の上(自国政府)への不満は忘れてね。

民衆の憎しみのはけ口にアメリカを使っているたくさんの国の指導者が、
その国自体の問題を自ら解決しようともせず、
諸刃の刃の一時凌ぎの熱さましの上に胡座をかいている。
それがほとんどのイスラム諸国の姿だ。


2001年10月15日(月) 14億の使い道

サウジの皇太子がWTCの被災者に寄付しようとした14億(ドルか?円か?)を
ジュリアーニ(再選決定?俄然張り切り)が突っ返したそうだ。
理由は皇太子がWTCを視察した時に、パレスチナ問題に言及し、
テロに対する責任について発言しなかったから。
どっちもどっちだと思うが、
それにしても、この14億。
そのままアフガニスタンの復興資金にしたら、
一体どんなことができるだろう。

日本じゃそんな大したことはできないかもしれないが、
アフガンだったらかなりのことができるんじゃないかなあ。
それにもしこの14億をパレスチナに持っていき、
パレスチナ支援に使ったり、
もしくはエジプト辺りで産業を興すことに使った方が、
よっぽどサウジ王室の安泰が図れると思う。

アラブ人同士ってお互いに大嫌いって感じだが、
その中でも嫌われているナンバーワンはなんと言ってもサウジだろう
(ちなみに、その双璧をなすのはエジプトでしょう)。
遅れてきた信仰成金サウジ。
しかしそれよりもっと遅れてきたUAEなどにくらべ、
石油後のビジョンをいまだに建てられていない
(UAEは中東の香港を目指して躍進中)。
国内にメッカがあり、自由に外国人を入れて聖地を蹂躙されようものなら、
世界のムスリムから総攻撃されるから、
観光にしろ何にしろ、なかなか「開放」できないという事情もある。
同時に国内で何かあった時にもそうそう非イスラム国家に助けを求められない。
もし革命が起こって、メッカにアメリカ軍が入ろうものなら、
間違いなく世界は破滅するほどの騒ぎになる。

サウジ王室の基盤はこの所かなりもろくなってきているらしい。
自分達でも感づいているのかいないのか。
どこにどう金をばらまけば、同じ14億でも有意義か、
考える時期が来ているのではないかな。



2001年10月14日(日) 少子化実感

今日は軽い話題。

先日数人で、友人の新居&第一子見学を兼ねてご訪問をしました。
女5人&だんな一人(訪問先のだんなさん)で、
女5人が知り合った先はカイロ。
私たちはこの集まりをカイロ同窓会もしくは
アグーザ女子寮同窓会、などと言っています。
うち一人はサウジに嫁入りして里がえり中。
また時期柄、とても女性の集まりとは思えないような
かなりディープな話題に終始してしまい、
友人のだんな様はちょっとだまり気味(^^;)。

ま、それはいいとして、ここではたと気がつきました。
女が5人、うち4人(つまり私以外は)メデタク既婚者。
それぞれの連れ合いを考えると、9人もの30代がいるわけです。
それなのに、なんと子供は1人。
別に子供を作らないって決めているわけでもなさそうなのに、
なんでしょうか、この少なさは。
自分も少子化の原因の一因なのですが、
改めて少子化を実感したのでした。

う〜ん、ハネムーンベイビーがぼこぼこ出来る、
アラブ人の生命力の強さ。
日本人にはないかもしれませんねぇ。。。。


2001年10月13日(土) うまい、まずいの問題か。

狂牛病だの炭疽菌だの、なんだかよくわからないが、
なんだか恐ろしいものが蔓延している世の中。
日本の大臣が馬鹿だってことは前から重々承知だが、
この食料品関係の問題が出てくるたびに行われる、
あの意味のない試食会をどうにかしていただきたい!
テレビをぶち壊したくなるほど腹が立つ。
ああ、地元選出の大臣じゃなくて良かったよ!!

ダイオキシンの時のほうれん草。
そして今回の牛肉。
「おいしいですねぇ〜」ってあったりまえだ!
松坂牛だぞ、一体いくらしたんだ。
まずいわけないだろうが(怒)。
しかもそれは自腹切ったのか。
まさか税金使ってないだろうな。
そのうち調子に乗って「し〜んぱ〜いないからねぇ」と
歌いだしたたわけ者がいたが、
30年後の保証をしてくれるのか???

ほうれん草にしても牛肉にしても、
その瞬間はおいしい。
そして別に目に見える変化は起こらない。
けれど、蓄積されていったその後、
そして病原菌が広まっていくこと。
恐ろしいことは決して目には見えない。
結果として突然現れるからこそ怖いのだ。

こんなこともわからん目先しか見ていない爺連中に、
現在の「有事」を任せていいんだろうか。
任せたくない・・・と心底思う(−−;)。


2001年10月12日(金) ただ滅ぶのを待つ?

自然破壊や戦争、異常気象や犯罪、
人間の存在意義自体を疑うような事があまりにも多い現在、
様々な人が「いつかは人類も滅びる」と簡単に口に出す。
私はこれが大嫌いだ。
確かに人間はろくなことをしない。
地球上に人間なんていない方が、他の動植物にとっては安心だろう。
勝手に木をどんどん伐採したり、大量破壊の武器を作ったり。
人間達の勝手な欲望のせいで、地球環境はどんどん劣悪になった。

でも、人間の知恵が進歩してきたことには、
何も意味がないのだろうか?
じゃあ、どうして人間はここまで発達してきたんだろう?
単に地球を破壊する「最終兵器」として?
そんなの、嫌だ。

それにすぐに「地球は滅びる」だなんて、
じゃあ、子供達はどうなるのだろうか?
今、地球が滅んでも、私達「先進国」の大人はいいかもしれない。
それなりに人生の楽しみを味わった後だから。
でも、子供は?
この丸くてぷにぷにしていて、ぐにぐに動いて、
気まぐれで、でも見ているだけでニヤニヤしたくなる、
愛すべき生き物達の未来は?

私達には責任がある。
「滅びる」なんて言葉1つで、簡単にその責任を放棄してはいけないんだ。
腕の中でもぞもぞ動いている、友人の赤ちゃんの重みを感じて
あらためて思った。
そして、この子の後ろには、見えないたくさんの子供達がいる。





2001年10月11日(木) 「新しい世界」を見る

子供の時から世界史や社会科が大好きで,
それだけは勉強しなくてもめちゃくちゃ成績が良かった。
中学の担任の先生に、「理数系,せめて世界史の3分の2くらい
成績が取れれば,どこの高校でもいけるのにな〜(ため息)」
と言われる位、これだけは誰にも負けたくなかった。

PLOやイスラムのことも耳にしていたと思う。
新聞で読んでいたような気がする。
でもその時のイメージは
PLO(パレスチナと言う言葉も)=テロリストの集まり,
イスラム=男尊女卑の物騒な宗教
というようなものだったと思う。

そんな時期が長く続いて,
子供の頃から大好きだった古代エジプトを見たくてツアーでエジプトに行って,
私は「死んでしまって動きの(ほとんどない)古代の」エジプト、よりも
みょうちきりんな元気のある、うるさい現代のエジプトに興味が湧いた。
現代エジプトだけを扱った本は少なかったので,
イスラム、現代中東史,パレスチナ問題と、
関連する本は手当たり次第に読んだ。
クルアーンもかなり早い時期に全て読んでみた。
本を読んで100%理解できるわけではないけれど,
1つだけはっきり気がついたことがあった。
それは、私達が普段「世界」として意識しているものは,
本当は全世界のほんの一部分でしかなく,
物事には全く裏側からそれを見つめている人々が存在する,
と言うことだった。

驚きだった。
パレスチナ人はもう、テロリストではなかった。
イスラムは単なる男尊女卑の物騒な宗教ではなく,
アメリカや日本や欧米各国は様々な「犯罪」を犯して、
現在の繁栄をもぎ取っていた。

ブッシュ大統領の「十字軍発言」が波紋を呼んだが,
ヨーロッパ各国は十字軍遠征がもたらした様々な知的恩恵を
すっかり忘れているらしい。
アルコールも米も砂糖も、全てアラブから教わった
(その証拠にヨーロッパ言語のこれらの言葉はほとんどアラビア語そのままだ)。
ルネッサンスの教科書となったギリシアの哲学や文学も、
アラビア語に訳されたものがなかったら、彼らには伝わらなかった。
新航路の「発見」は、単にアラブ人の船乗り達が以前から使っていた海路を
ヨーロッパ人が初めて航行しただけに過ぎない。

「子供」や「学生」はいつも自分ひとりで大きくなり,
自分ひとりで新発見をしたと思いたがる。
ヨーロッパもアメリカも、煙たい「親」の存在など,
忘れてしまいたいのだろう。

しかし私にとって,イスラムや中東は紛れもない「師」である。
新しい世界を見せてくれるもの。


2001年10月10日(水) イランの強さ

「世界が(9月11日の)悲劇を世界平和の新たな始まりに変えて
いくだけの賢さと、人道的価値と勇気を持っていると期待したい。
もし、世界が本当の平和を望むなら、世界は先ず本当の正義を確立
するために努力しなければならない。近年多くのケースが明らかに
してきたように、正義が欠けている限り、平和と安全は守れない時代
が来たのだ。」(翻訳:エリコ通信社)

10月4日付イランデイリーのコラムです。

アメリカの一部の論調でのイスラム・バッシングに
イランに対するものがありました。
いわく、
「女性にチャドル(黒い全身を被うベール)を着せるのは、人権侵害だ。」
本当に、そうでしょうか?

私はイランの政治体制にはいつもある種、感服しています。
イラン革命にしろ、現在の開放路線にしろ、
彼らは常に内部から自分たちを変えています。
決して、欧米の圧力からではありません。
イランの宗教革命が成功したのは、
それは民衆が望んだことだったからです。
全ての欧米諸国が敵に回りました。
アメリカをバックにしたイラクと10年以上戦い、
それでも国は倒れませんでした。
いまや、堂々と世界にメッセージを送れる知的な、
そして同時に敬虔な宗教家である指導者を選び、
決してどの国にもへりくだらない。
文化的にもイランの映画の公開を、
世界のたくさんの国が待つようになりました。

この国の女性たちがチャドルを窮屈と感じるようになったら、
きっと自分たちの手で、チャドルを着なくてもいい権利を
もぎ取っていくことでしょう。
それまでは、他の文化がそのことを野蛮だと決め付ける必要はないと思います。



2001年10月09日(火) イマジン、放送自粛中@アメリカ

というニュースを聞いて、ものすごくびっくりした。
そこまで、頑なになってしまったアメリカに、
事件の衝撃の強さを感じるが、同時に、恐ろしさも感じる。

報復行動後の街頭インタビューで、
少し批判めいたことを言っていたのはカラードの女性だけだった。
死刑廃止を含む、非暴力の思想自体が否定される傾向にあるとも言われている。

夢をみることは、実は「誰もが」できることではない。
何がしかの希望の光を生活に持っている者、
努力すれば、いくらか生活や状況を変えられることがわかっている者。
そう言う人だけが夢を見ることができる。

明日の生活がどうなるかわからないような人は、
残念ながら夢をみる事を諦めてしまう。
夢見ても、現実はあまりにも過酷だ・・・。

ジョン・レノンは、そういう夢の切なさをきっと知っていただろう。
夢のほとんどは叶わないこともわかっていただろう。
それでも彼は歌った。

私達もだから歌い続けたい。
見られる者が夢を見続けていくこと。
それは夢を見られる者の責任でもあると思う。
百万に一個も、夢は叶わないかもしれない。
でも、百万に一個は叶う夢がある。
夢見なければ、その一個も実現はしないのだ。


2001年10月08日(月) 証拠はどうした!?

ああ、ついに始まってしまいましたねぇ。。。
イマイチ思考がまとまりません。
それで、ぼーっとテレビを見ていてふと、思ったんですけど。

んで、「証拠」っちゅーものはどうなったんですか?
ちょっと前に、「明確な証拠を出す」と言ってた気がするんですけど。
それって、提示されたんでしょうか。
純一郎コイズミも、その証拠とやらをきちんと確認したのでしょうか。

アラブやイスラム諸国には、
仕事にあぶれて暇は持て余している、
そして信仰心には満ち満ちている若者がたくさんいる。
水面下で義勇軍募集が始まり、
あの手この手でアフガンに入っていくだろう。

日本政府も、その内容までは無理だとしても、
少なくとも「証拠を確認した」かどうかくらい、
きちんと国民に発表すべきだ。

アメリカが自分たちの正当性をあくまで主張するなら、
段取りを1つも抜かさずにきちんとやって欲しい。
そうじゃないと、納得出来ない(したくない)人間はたくさんいる。
陰謀説も消えない。




2001年10月07日(日) 全世界を100人の村に見立てたら。

今朝、仲のいい友だちから送られてきたメールをここに転記します。
現在の世界の情況がとてもわかりやすくまとめてあります。
今回のテロの後、様々なメールが転送されてきました。
その中で、このメールが一番わかりやすく、
そして、一番考えさせられました。
私は、健康で、仕事もあって、住むところも、
自由に使えるお金もあります。
こうして文章を書き、本を読み、
パソコンを使っています。
通信制ですが、大学で勉強も続けることが出来、
誰かに迫害されたりすることもありません。
全ての項目において、
自分がとても恵まれた少数に入っていることが
改めてわかりました。
そして責任も、感じます。


(ある学級通信:中学校の先生が生徒たちに宛てたメールより)
>もし 今日がついてない一日だと感じたあなたもこれを読んだら
>現実が違って見えるかも・・・
>
>もし、現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、
>全世界を100人の村に縮小するとどうなるでしょう。
>その村には・・・
>  57人のアジア人
>  21人のヨーロッパ人
>  14人の南北アメリカ人
>  8人のアフリカ人がいます
>
>  52人が女性です
>  48人が男性です 
>
>  70人が有色人種で
>  30人が白人
>  70人がキリスト教以外の人で
>  30人がキリスト教
>
>  89人が異性愛者で
>  11人が同性愛者
>
>  6人が全世界の富の59%を所有し、その6人ともがアメリカ国籍
>
>  80人は標準以下の居住環境に住み
>  70人は文字が読めません
>  50人は栄養失調に苦しみ
>  1人が瀕死の状態にあり
>  1人はいま、生まれようとしています
>  1人は(そうたった1人)は大学の教育を受け
>  そしてたった1人だけがコンピューターを所有しています
>
>もしこのように、縮小された全体図から私達の世界を見るなら、相手をあるが
>ままに受け入れること、自分と違う人を理解すること、
>そして、そういう事実を知るための教育がいかに必要かは
>火をみるよりあきらかです。

>  また、次のような視点からもじっくり考えてみましょう。
>
>もし、あなたが今朝、目が覚めた時、病気でなく健康だなと
>感じることができたなら・・
>あなたは今いきのこることのできないであろう100万人の人たちより
>恵まれています。

>もしあなたが戦いの危険や、投獄される孤独や苦悩、
>あるいは飢えの悲痛を一度もたいけんしたことがないのなら・・・
>あなたは世界の5億人の人たちより恵まれています。

>もしあなたがしつこく苦しめられることや、
>逮捕、拷問または死の恐怖を感じることなしに
>教会のミサに行くことができるなら・・・
>あなたは世界の30億人のひとたちより恵まれています。

>もし冷蔵庫に食料があり、着る服があり、頭の上に屋根があり、
>寝る場所がある のなら・・・
>あなたは世界の75%の人たちより裕福で恵まれています。

>もし銀行に預金があり、お財布にお金があり、
>家のどこかに小銭が入った入れ物があるなら・・・
>あなたはこの世界の中でもっとも裕福な上位8%のうちのひとりです。

>もしあなたの両親がともに健在で、そして二人がまだ一緒なら・・・
>それはと も稀なことです。

>もしこのメッセージを読むことができるなら、あなたはこの瞬間二倍の祝福を
>うけるでしょう。なぜならあなたの事を思ってこれを伝えている誰かがいて,
>その上あなたはまったく文字の読めない世界中の20億の人々より
>ずっと恵まれているからです。
>
>昔の人がこう言いました。 
>わが身から出るものはいずれ我が身に戻り来る、と。

>
>  お金に執着することなく、喜んで働きましょう。
>   かつて一度も傷ついたことがないかのごとく、人を愛しましょう。
>    誰もみていないかのごとく自由に踊りましょう。
>     誰も聞いていないかのごとくのびやかに歌いましょう。
>      あたかもここが地上の天国であるかのように生きていきましょう。


2001年10月06日(土) さかなの待遇

知り合いが飼っていたさかなが死んだ。
発病が確認されてから集中治療室(薬の液体)に入れたのだが、
その甲斐もなく、ご臨終。
そしてふと彼女は気がついた。
さかなには餌も十分与えた。
水も取り替えた。
病気になったら薬も与えた。
日本では、さかなでさえ与えられるこれらのことを、
得られない人たちが世界にはたくさんいることに。

日本の犬猫は食べ物のえり好みをする。
ペットフードの種類もたくさん。
食べ過ぎてダイエットをしなくてはならなかったり、
毛の色を染められたり。

子供たちも同じだ。
有り余る食べ物。
有り余る楽しみ。
それらがあまりにも周りにたくさんありすぎて、
楽しさや、幸せやを感じることが出来なくなっている。

今の子供は全然不幸なんかじゃない。
大変なんかじゃない。
ただ、あまりにも恵まれすぎた環境で、
「ささやかな幸せ」を感じることが出来ないから、
近視眼的に、自分ばかりが大変だと思い込む。

やっぱり、「贅沢は敵」なのだ。







2001年10月05日(金) 久々に、ぶちきれ/4000円( ̄□ ̄;)!!

【久々に、ぶちきれ】
ほとんど逆切れしないのですが、今日は久々にぶちきれしました・・・。
くだらないことなんですけどね。
別に、ほっておけばいいんですけど。

あるHPで「どうして豚を食べないのか?」ってレスが入りました。
うだうだとイスラムの教義を持ち出されても、
こちとらムスリムじゃないので、よーわからんわけですよ。
そのうち、「コーランのここをみると、豚がいかに不浄かわかりますね〜。」
と言う人がいて。
おいおい(−−;)。

結局、何を食べるかって言うのはその土地のコンディションと深く関わっている。
例えば、中東で生魚を食べないのなんて当たり前で、
逆に、日本みたいな山岳の多いところでは、
牧畜はあまり広がらないし、羊を放牧なんてかなり難しい。
もし中国人全員がムスリムになったとしたら、
地球はとんでもない飢餓に襲われる。
イスラムが豚を食べないことは神が決めたことだけど、
それも土地の問題もかかわってきていると、非ムスリマの私は思う。

以前もらった小冊子には
「豚を食べると攻撃的になる。」と書かれていて、
その例えとして「そんなことを沖縄の人に言ったら、怒るでしょ。」と
私は書いたのです。
沖縄の人の長寿の理由の一つが豚肉のたんぱく質を取るから、
って聞いたこともあったし(そのことも書いた)。
以前ボーン・ムスリマの友だちが
「日本人にねずみを食べる、って言ったらみんな嫌な顔をするでしょ?
それと同じで生理的にだめなんだよね。」
って言っていて、それってすごくわかりやすかったし、
嫌な気持ちなんて全然しなかった。
つまり、「自分達以外の誰か」を傷つけたり見下したりしなくても、
いくらでも説明はできる、ってことが言いたかったのです。
でも、私の言葉が足りなかったのか、
ご親切に、「どうして沖縄の人が長寿なのか」
豚肉を否定してレスを書いてくれた方がいまして(−−;)。
だれも、豚食ってさえいれば長生きできるなんて
言ってないだろおおおおおお!!!

え〜え、どうせ私は真実が何も見えないカーヒルでございますよ。



【4000円( ̄□ ̄;)!!】
昨日の夕刊を読んでいてびっくらこいた。
パキスタンに派遣される自衛官の特別手当、
一日4000円なり〜。
って、何( ̄□ ̄;)?????
ちなみにカンボジアの時は6000円だったらしい。
それも、何( ̄□ ̄;)?????
最低2000円から最高でも6000円くらしかでないらしい。
例えば、アフガン内の難民キャンプに行っても(危険がいっぱい)、
それくらいしかもらえんのか??????

給料とは別の手当てだから・・・、としても、
カンボジアで実際に亡くなった方がいたことを考えれば
あまりにもあまりな金額ではないかと思う。
外務省の海外勤務の人たちを見よ。
「危険手当」と称し、どんなリッチな生活をしているか!
どんなに貯蓄を増やして日本に帰ってくるか!!
まあ、楽〜にしか見えなくても、
それなりにご苦労があるのでしょう。
それ(外務省の高手当て)を藪から棒になくせ!
とは言いません(ほんとはちょっと、言いたい)が、
どっちが一体危険なのか、
よおぉ〜っく、考えてもらいたい。

いっそのこと、ストをしたらいかがでしょうか>自衛隊の皆様。


2001年10月04日(木) 夢の光景(全ての子供達に花を)

そのビデオは疲れきった兵士たちと、おびえた瞳の子供達から始まる。

様々な肌、様々な髪、様々な服。
物陰からうかがうように兵士を見つめる子供達は
アフリカ人であり、アジア人であり、南米人であり、アラブ人であり・・・。
おびえているのは子供達だけではなく、
兵士達の武装の影にも、いつ命を落とすかわからない危険への恐れや、
敵対する者たちの悪意の視線への疲れがありありとうかがえる。

ふと、一人の子供が手に花を持って走り出す。
恐れを勇気に変えて。
驚き警戒する兵士の一人にそっと、その花を手渡す。
次々と、路地から花を持って飛び出す子供達。
手に手に花を受け取る兵士達。
やがて、銃口にも花が飾られ、
肌の色も、言葉も違う兵士が、そっと、子供を抱き上げる・・・。

曲名は忘れてしまったが、マイケル・ジャクソンの
とても美しい、夢のようなビデオのシーンだ。
街に、またこの歌が流れ出している。
何年か前、この歌を聴きながら平和を願っていたはずなのに、
今もこの光景は夢の光景でしかない。

通学中のカソリックの小さな女の子達に
罵声と石を投げつけるプロテスタントの大人たち。

スカーフを被ったムスリマ少女に唾を吐きかけるアメリカ人。

入植地で生後10ヶ月の赤ん坊を銃殺したパレスチナ人。

石しかもたないパレスチナ人の少年達に銃を向けるイスラエル兵。

子供達に、憎悪の種を植え付けているのは私達大人だ。
種を植えるなら、美しい花を咲かせる種を植え付けたい。
醜い「憎しみ」の実がなる種ではなく・・・。



2001年10月03日(水) 弁解はしない

もし最後の審判と言うのが本当にあったら。
いや、私はいつも最後の審判について考えているのかもしれないが。
その時。
私は神様に、弁解は一切したくない。
後悔は、するかもしれない。
なんであんなことをしちゃったんだろう?
そう思って唇を噛むかもしれない。

友だちが悪い、親が悪い、会社が悪い、国が悪い、時代が悪い・・・。
何かのせいにするのはとても簡単だ。

でも。
私は自分のしたことを誰かのせいにはしたくない。
選択は間違っていたけど、自分自身で決めたこと。
自分でまいた種は、自分で刈れるように。
顔を上げて、地獄に行こうと思う。

私は神様に、けんかを売って生きているのです。


2001年10月02日(火) 腹を括る/新聞大好き

【腹を括る】
自衛隊派遣が国会で問われているが、
気になるのは「危険性の少ない」「後方支援」のみ、
という言葉だ。
「安全な」「後方支援」と言っている人もいた。
また、もし米軍の空母などに給油中に攻撃されたら、
自衛隊はどうするか?
攻撃は出来ないので、とにかく、逃げることになるらしい?

戦争している場所に、「安全な」所なんてない。
それが難民キャンプだったとしてもだ。
助けているはずのアメリカが攻撃されているのに、
自衛隊だけが逃げられるものなのだろうか。
そんな参戦の仕方で、果たして「認められる」んだろうか。
だったら最初から参戦しない方が、
よっぽど目指すものがあると思う。
自分達(お偉いさん)は行かないから、好きなことがいえる。
また一般の人も。
「攻撃されたら撃ちかえせばいい。」
それも、自分が行かないから言えることだと思う。
本当に撃ってしまったら。
今度は憲法違反と騒ぐのだろうか?

二兎追う者は一兎を得ず。
「自衛隊」という言葉を捨てるのか、
「憲法第9条」の精神を大事にするのか。
腹を括って、決めるべきなのかもしれない。


【新聞大好き】
毎朝必ず新聞に目を通してから仕事に出ます。
これは中学生のときからの習慣。
ざっとしか読めない日が多いですが、
そういう時は帰宅してからまた、朝刊、そして夕刊を読む。

日本のマスコミにはパレスチナ問題など中東に関する記事がない、
という言い方をする人も多いですが、
実はそれは間違い。
確かに、記事は多くない。
そして紙面を大きくは取れない。
でも、目を皿のようにしてみると、
以外にたくさんの記事が載っているのです。
私は取り立てて特別のMLなどに入っているわけではありません。
NGO関係のMLには全く登録していません。
でも、ずーっと新聞を読む習慣のおかげで、
色々な情報を取れていると思います。

もちろん、記事の視点が偏っていることも多いです。
そのために気になった記事に関連した書物を探して、
調べたりすることも多いのですが、
「今」世界でどんな動きがあるのか、
リアルタイムの動きは新聞にはかなわない。

今回の事件を機に、世界の動きが気になったら、
とりあえず新聞の国際欄を見る習慣をつけることをお勧めします。


2001年10月01日(月) 天国行きバスの切符

一番最初にアラビア語を習った先生はエジプト人だった。
日本人女性と結婚していて日本滞在が長い先生は日本語堪能、
女の子の友達はたくさんいたが(友達、だからいいんだそうです)、
それ以外は敬虔なムスリムだ。
何人かでプライベートレッスンをしてもらうようになって気心も知れてからは、
私たちはなかなか聞きづらいイスラムについての疑問を先生に質問した。
天国行きの話しになった時、
「じゃあ、私たちは地獄に行くことが決まっているんですね?」
とちょっと意地悪く質問した私たちに、
先生は勤めてさりげなく、「多分、ね。」とだけ答えた。
この時、私はこう答えた先生に対して、ある種の信頼感を強めた。
なんて正直な人だろうと思った。
そして、彼に答えられる精一杯の答えが「多分」であることで、
先生の信仰のまっすぐさを感じたように思う。

ジハードで死んだものは天国の鍵を手に入れたと言われる。
パレスチナの自爆テロで死ぬ若者や、今回のテロリストたちも、
自分たちの天国行きを疑わずに死んでいったのだろうか。
でも、「自分は天国にいける。」そう思うことは、
とてもおこがましいことなのだ。
心あるムスリムに言わせると、これをしたから天国にいける、
そんなことは、誰にもわかりはしない。
ただ、「その時」になってアッラーの御心が決めること・・・。
私たちが生れ落ちた日から、
常に右の肩と左の肩にいた天使たちによってつけられていた記録が、
冷酷なまでにその人の人生を暴き出す。
誰も何も、自分を弁護してはくれない。

ムスリムになれば天国にいける、と勧誘(?)するエジプト人もよくいたが、
それは単に、「天国行きのバスの切符」が手に入るという事だけだ。
私は残念ながらこの天国行きバスの切符すら持っていないので、
天国の門にたどり着くこともないそうなのだが、
実は天国で門前払いされて、
すごすごと私たちと一緒に地獄に落ちるムスリムもたくさんいる。
その中に、テロリストはいないのだろうか?
私は「地獄の一丁目行きバス」でオサマ・ビン・ラディンと隣り合わせたら、
ぜひあの美しいアラビア語を教えてもらいたいと、心ひそかに楽しみにしている。
最後の審判の後で、時は永遠だ、
アラビア語を勉強する時間も、それこそ永遠にあるだろう。


colacaco |HomePage

My追加