ぶつぶつ日記
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2001年09月30日(日) もっとも残酷な、でも人気のあるショー

その昔、ローマでは民衆の気持ちをつかむために、
皇帝はありとあらゆる見世物を用意しなければならなかった。
動物対動物だったものがエスカレートし、
人間対獣、人間対人間になるのにはそう時間はかからなかったし、
人間を主人公にした身の毛もよだつような「競技」の方が、
人々の熱狂を得られやすかった。
「人道」意識や「贅沢」意識に駆られて
これらのショーの予算を縮小した皇帝たちの人気は、
あっという間に落ちてしまう。
社会的な様々なひずみ、それから目をそらすために、
これほど簡単な見世物はなかったようだ。

タリバンの「非道性」をクローズアップするために、
極秘で取られた公開処刑の映像が巷に出回っている。
それはもちろん、非道で残忍な全時代的な行為である。
アフガンの人々はそれを見て恐れ、
しかし一部熱狂しているのだろう。
抑圧された思いを一時的に「殺される人間」への
意味のない憎悪に転化していることが映像からも見て取れる。
残忍な行為ももちろん問題だが、
本当の問題は処刑を「公開」することではなく、
罪状も大して明らかでない人物が、
弁解も謝罪もする機会も与えられないことこそが、
一番の問題ではないだろうか。
夫を殺したという罪状の女性に、
民衆の前での自己弁護は許されなかったし、
イスラム法で決められているような
4人の証人ももちろん登場してこなかった。

しかしタリバンに言わせれば、
「公開処刑」自体でうんぬん言われるのは心外かもしれない。
何せ「イスラムのお膝元」サウジアラビアでも、
公開刑は毎週行われているのだから(さすがに処刑は少ないだろうが)。
サウジは良くて、自分達だけなんでだめなのか。

サウジ政府に言わせれば、
きちんと裁判をして証拠を固めてからの刑の執行だ、
と言う事なのだろう。
しかし、「公開刑」を行なわなければ守られない何かがあること。
実はこういう社会的なひずみも、
無視できない「要因」であるのではないだろうか。


2001年09月29日(土) 一発2億円なり

現役自衛官からのたれこみ。
10月に自衛隊はアメリカに射撃演習に行きます。
国内では射程距離が取れないから、だそうです。
んで、そのミサイル、
一発2億円なり〜。

一発2億円って、なんじゃそら。
そう言えば戦争兵器ってべらぼうに高い。
パトリオットって一機いくらでしたっけ???

しかし2億円。
何人分の国民の税金なんでしょうか。
私には想像できません。
しかも演習ってことは、
まさかミサイル一発、ぼん!と飛ばして
はい、おしまい♪
なんてことはないですよね。
何発も打つんですよね。
じゃあ一回の演習で10億くらいなくなっちゃうんでしょうか?

2億円あったら、どんな被害者救済ができるだろう。
何人のアフガニスタンの子ども達の命を助けられるんだろう。

戦争には莫大なお金がかかる。
そのほとんどは兵器に費やされる。
戦争をすることによって潤うのはどの国なのか、
どんな人たちなのか。
「正義」の名の影で、札束を数えている人たちがいる。


2001年09月28日(金) ふざけるな!アメリカ!!!

アメリカ、この騒ぎの中で核実験ですか。
ほおおおおおお〜。
ふざけるな!!!
アフガンに核でも落とすのかっ!
インドやパキスタンはやっちゃだめだけど、
自分達はやってもい一ちゅーんかい!!

日本人の中にも、今回のテロ、
そして今後のテロ壊滅のためには
ここでテロリストと係わり合いのある(と思われるもの)全てを
叩くしかない!と言っている人たちがいる。
わたしはその人たちに言いたい。

アメリカのこのような態度は果たして「正義」なのか。
世界はいつからアメリカの絶対的支配下に入ったのか。

あまりクローズアップされていないことだが、
ブッシュの側近達はブッシュとーちゃん時代の軍関係者が多い。
そしてブッシュのお膝元であるテキサス。
ここは日本では石油のイメージが強いが、
実は軍事複合産業の中心地でもある。
つまり、軍が動けば誰に利益がまわってくるか?
ブッシュの周りにいる人たち、である。

テロの原因はこれまでのアメリカの「偏った政策」によるもので、
全部が全部ブッシュの政策のせいではない。
しかし、ブッシュ政権の国際協調無視、
手前勝手な単独行動が引き金になっていることは明らかだ。

「絶対善と絶対悪の戦い」?
そんなのはちゃんちゃらおかしい、自分勝手な発想だ。
タリバンと、どこが違う?????
50字以内で言ってくれ!

参考サイト
沖縄タイムス 社説(2001年7月18日)
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20010718.html#no_1


2001年09月27日(木) 問題意識を持つ人

友人のHPに、男性の中には結構率先して軍に志願する人が
日本人にもいるんじゃないか、と書いてあった。
その中に問題意識を持っていて、
識者と渡り合えるような知識を持っている23,4才の人たちにふれていた。
自分だけが平和の中にいることに、罪悪感を持っているような・・・。

実はこのような人たちが、
イスラム世界では原理主義に傾倒し、
やがては過激派までになってしまう、
そんな予備軍でもある。
頭はいい。
そして色々深く考える。

しかし、と私は言いたい。
テロを起こして、世界は「良く」変わりますか?
戦争に参加し、直接関係ない一般市民を巻き込むことは、
より一層「不幸な人」を生み出すだけではないですか?

何度でも言おう。
力では解決できない問題の方が、世界には多いのではないだろうか?


2001年09月26日(水) ジレンマ(ミクロとマクロの幸せ)

ここ数日、「署名に参加しました!」というメールや書き込みをもらうたびに、
私は1人ジレンマに陥っている。
実は私はあまり大っぴらに署名活動などに参加できない。
それは身内に特殊地方公務員がいるからで、
当の本人のみならず、家族にも色々な規制があるからだ。
別に「規則一覧表」があるわけではない(あった方がいっそのこと潔い)。
ただ、あれはだめ、これはだめ、ということがその時々に表面化する。

例えば、以前母が共同購入に加入したいと言った時の事。
その共同購入は言わずと知れた「左系」、
だから絶対に加入なんてしたらだめだ!!と
兄が烈火のごとく怒り出した。
もしそんなのに家族が加入しているとわかったら、
自分はくびになる、と。
「ええ〜、たかがこれだけのことで?」と私たちは思った。
思ったが、実際にそれを試してくびになってしまったら、笑えない。
だから試せない。
母は加入をあきらめた。
とにかく、一時が万時、これなのだ。

特にきつく仰せつかっていることが「署名はだめ」。
どこでどうどんな組織とつながってるかわからないから、
とにかく署名は一切するな。
はあ〜・・・。

私はマクロ=世界が平和じゃなかったら、
ミクロ=家庭の幸せは守れないし、壊れていくと思っているが、
しかしその反面、ミクロが幸せでなかったら、
マクロのことなど考えられないとも思う。
実際、パキスタンやアフガニスタン、そしてエジプトなどでも、
明日の生活のことを考えるので手一杯で、
戦争のことなど考えていられない、という声を聞く。

私がのほほ〜んとこんな風にしていられるのも、
バックにいる家族が落ち着いて生活しているおかげだ。
兄には家庭があり、私のうかつな行動で兄に迷惑がかかれば、
私のかわいい姪や甥の生活にも影響が出てしまう。
だからできるだけ迷惑になるようなことはしたくない。

でも、じゃあ所詮私は口ばっかりなんじゃん、
と行動に移せない自分が情けなく思えてしまう。
どうしたもんでしょうか・・・。
答えはまだまだ出ません。


2001年09月25日(火) 行動に、移せれば

日本人は、なかなか捨てたもんじゃない、と
今回の事件で思った。
みんな一生懸命、色んなことを知ろうとしている。
色んなことを考えようとしている。
ただ今までは機会がなかっただけだ。

イスラム教徒とイスラム過激派は同じではない。
一緒にして考えることは間違っている。

報復をして、それで全てが解決するのか。
その後の世界は?

次は。
それを行動に移せれば、と思う。
どうせ私なんかが何を言ったって・・・と、
そこで止まってしまわずに、
何でもいい。
役に立たないと思うことでも、最初は構わないと思う。
思いを行動に移せれば、
何かがかならず変わっていく。

理想を現実にできる唯一の方法、
それは行動することだけだ。


2001年09月24日(月) 「そこ」にいない選択

以前も紹介したアメリカ在住の方のメルマガ最新号が届いた。
今回はジュリアーニNY市長の事件後の対応や、
その方が住んでいるボストン市長の日常的な行動を例にして、
「そこ」にいることの重要性がわかりやすく書かれていた。
確かに、「そこ」にいることがとても大事なことはわかる。
「そこ」にいて、力になること。
一緒に考えること。
事実を知ること。

私も今回の事件に関して、
今後どうするのか、どうなるのか、
「そこ」にいて一緒に考えたいと思う。
最善の解決方法を見つけられるよう、
日本政府も積極的に「そこ」に参加して欲しいとも思う。

でも。
もし「そこ」が報復行動を意味するのなら。
私は意識的に「そこ」にいない選択をするだろう。
そして日本政府にも「そこ」にいて欲しくはない。
意識的に「そこ=報復行動」の場にいない選択、
それは非難されるべきものではないと思う。
少なくとも
「何となくそこにいる」という情況よりは、
確実に別の「そこ」にいる選択だと、私は思う。


【参考サイト】
ボストン読本
http://www.geocities.co.jp/Bookend/2697/


2001年09月23日(日) 忘れないように

今回の事件を忘れないように、
何かアクセサリーにメッセージを入れようかと思った。
でも、実際に作り始めて、
やめた。
そんなものがなくったって、忘れちゃいけないんだ。
事件はまだ続いている。
そしてこれから、厳しい時間が始まる。

パレスチナでは毎日のように誰かが命を落としている。
アフガンでは4人に一人の子どもが死んでいる。

本当は、こういうことを忘れてはいけなかったのに、
私たちは私たちのささやかな日常のために、
忘れた振りをしてきた。
見ないようにしていた。
しかし、気がついたときには安定は砂のように
手の指から零れ落ちていく。
そうわかっていても、
また私たちは自分達のちっぽけな生活に振り回されて、
そのことに夢中になってしまう。

だから、メッセージのないシンプルな指輪を一つ、作った。
自分自身のことだけに、あまり夢中にならないように。
時には周りを、世界を見回せるように。
指輪の緑の石を見るたびに、
目に見えない地球の仲間を思い出せるように。


2001年09月22日(土) 誰が行く?

【誰が行く?】
友人が年下の男性と話していた時のこと。
男「日本も本格的に軍隊を作ってアメリカについてって攻撃参加するべき! 
まずは自衛隊を出して〜」
女「じゃあ、率先してあんたは行くんかい?」
男「いや〜、俺は行かないけど。」

・・・・・・。

結構、こういう人、いませんか?
確かにアメリカの主要部隊は職業軍人。
そう言う意味ではまず自衛隊が行くことが一番最初なのかもしれない。
でも、軍事協力に賛成し、軍を海外に出せ!
という人は、そこまで言えるんだったら、
自分も行く覚悟はもちろんあるんでしょうね?
アメリカ人は、いっちゃいますよ。
志願しちゃいますよ、結構な数の人が。
自分は行かない、誰か行けばいい、
そう言う人には、軍を出せ!なんて
気楽に言わないで欲しいんですけど。


【近年の欧米のアフガン政策について】
http://www.netlaputa.ne.jp/~kagumi/0106-3.html
アフガニスタンに対する欧米の矛盾政策
ジル・ドロンソロ(Gilles Dorronsoro)レンヌ政治学院
訳・安東里佳子

ブッシュの軍事戦略の概要http://www.netlaputa.ne.jp/~kagumi/0107-2.html
米軍事戦略の三つの柱
マイケル・T・クレア(Michael T Klare) ハンプシャー大学教授
訳・ジャヤラット好子



2001年09月21日(金) 唯一の正しい方法?

日本の学校では、先生と生徒が一緒に考え、
「戦争しなくては解決しないの?それしか方法はないの?」
という疑問が出てきているそうだ。
アメリカでは「戦争をするの?」という子供達の問いかけに、
「戦争も1つの選択である。」と答えているらしい。
もちろん、当事者である国と、そうでない国の差はある。
でも、戦争をしたいと思っている国ばかりではない。
果たして、日本は本当に戦争をしたいんだろうか?
少なくとも、私はどんな戦争にも、
できることなら荷担したくない。

地球上の生物は凌ぎあって生きていて、
人間だけそのシステムを変えるのは難しい。

そう言っていた人がいたが、
動物が凌ぎを削るのは、
領地を拡大したり、利権を得ようとしたり、
自国の利益を最大限に考えたり、
自分の以外のものから摂取したり、
そんな複雑な、
でも実は生きていくためにはどうでもいいようなことを
理由にしているのではなく、
食べる為、子孫を残すため、純粋に命を守るため
(その命も子供を守るためであれば捨てることはいとわない)、
必要最低限のためだけだ。

やられたから、やり返す。
攻撃されたから、もっと攻撃する。
それしか、正しい方法はないのだろうか?
それが唯一と、考えたくはない。



2001年09月20日(木) 平和の上のニンジン

【平和の上のニンジン】
ネットを通して知り合った友人と、
仕事とお金をやりくりして出かける旅のことを、
「ニンジン」と呼んでいる。
馬の鼻先にぶら下げられた、あのニンジンのことだ。
日々の雑務や仕事上の問題、
将来の不安や自分自身へのふがいなさ。
そんなモロモロのものを解消するための重要な手段が、
私達の場合は海外に出かけていくこと。
財布(預金通帳か)とにらめっこしながら、
でも時にはそんな財政上の問題は無視して、
私達は出かけていく。
そう、そこにまだ見ぬ国がある限り!!

今回、今後の状況が不透明だということもあり、
その友人は控えていた台湾旅行をキャンセルしたそうだ。
一緒に行くはずの同行者の両親が心配したせいもある。
彼らの心配を大げさな・・・と一笑にすることはできない。
また、ハワイ旅行や、トルコ旅行を取りやめた友人知人たち、
初めての個人旅行で楽しみにしていたフランス行きを
どうしたものか決めかねている大学生も知っている。

日本ではなかなか世界情勢を体感することは難しい。
テロは恐ろしいと思っても、
どこか映画の中の出来事のように感じてしまうのも、
仕方ないことのように思う。

けれど、私達の「ニンジン」は日本の平和だけで成り立っているわけではない。
世界中の色んな国の平和があってこそ、の「ニンジン」なのだ。




【本日のネット情報】
アメリカの軍事報復に対する「反対署名」 
http://www.thepetitionsite.com/takeaction/224622495

アメリカの女性が発起人だそうです。
この頃大分アメリカ人の署名が増えてきました。
ヒートアップした頭もクールになりつつある人もいるのでしょうか。


日・パ旅行社
現地の旅行社ですが、この事件に関するパキスタンの様子など、
毎日現地からレポ−トしています。
http://www.pat.hi-ho.ne.jp/nippagrp/index.htm

喜ぶパレスチナ人の映像が1991年のものだったという噂がありますが、
BBCの上の人がそれを認めたとか。
http://forums.prospero.com/id-argument/messages/?msg=6521


2001年09月19日(水) 兄よ、私が悪かった/見極める力

【兄よ、私が悪かった】
アメリカではオサマ・ビン・ラディンに似ていると言うだけで、
射殺されてしまった人がいるそうだ。
また、ターバンをしていたシーク教徒インド人がイスラム教徒と間違えられ、
これまた襲われたりしたらしい。
単に自分達の憂さ晴らしじゃないかと思えるような
「正義」の倫理がぶちまけられている。

そんな中でうちの頭がちがちの兄がボソッと言っていた。
「過激派と一般のイスラム教徒の人を一緒くたに考えたら、
真面目に生活している人がかわいそうだ。」
兄ちゃん、いいとこあるじゃんか(TT)。
そう言えばこの人は、留置場に入っているイラン人のことを
「習慣とか体臭とか(^^;)まあ色々あるけど、
話すと皆礼儀正しくていい人が多いよ。
こっちの立場もわかってくれるし・・・。」と言ってたなあ。
知り合う機会があれば、全てを否定するわけではないんだ。

兄ちゃん、私が悪かった。
聞く耳を持っていなかったのは、
多分私の方だったんだね。


【見極める力】
エシュロンの情報収集ではないが、
今回の事件で痛感するのは、
時代は映像と情報の世紀と言うことだ。
四方八方、ありとあらゆるアングルから突っ込む旅客機、
窓から真っ逆さまに落ちていく人、
粉塵で全身真っ白な人や、血だらけの人。
力なく肩を落とす消防士・・・。
これでもか、これでもかと言うように
衝撃的で感情を煽るような映像を見せられた。
そして、次々とメールや掲示板で送られてくる様々な情報。
正直、情報でお腹いっぱいだ。

中には事件当日ワールドトレードセンターで働く4000人の
イスラエル人が、一斉に休みを取っていた!
などとちょっと考えればそんな変なこと・・・
とわかるようなものまで送られてくる。
(もしイスラエルが関与していたと仮定しても、
こんなへまは絶対にしないだろう。
ここまでやったらイスラエルが関与している重大な証拠になってしまうからだ。
そんなの素人が考えてもわかることだ。)

情報社会ばかりが進んでいるが、
私たちはまだ、その情報を振り分けるだけの知恵を持っていない。
信じたいものを信じ、信じたくないものは見ないようにする。
それではまるでテロリストと同じだ。
見極める力が欲しい、と思う。


2001年09月18日(火) 身近にある悪意/戦争よりも明日のパン

【身近にある悪意】
私が働いているのは日本語学校だ。
だから外国人がたくさんいる。

今週、この学校で何者かにガラスを2枚割られた。
内部犯行(学生)も考えられるが、
この学校に来ている学生はおっとりしている学生が多く、
あまりそういう攻撃的な不満は感じない。
以前勤めていた学校だったら、
まず最初に学生を疑ったと思うけど・・・(^^;)。

校舎は門から専用道路の先、奥まったところにあり、
大通りから見ることは出来ない。
入りづらい作りになっている。
だからだろうか、その道路沿の門の横にある
掲示板のガラスが割られた。
一枚は、テロよりも前だったと思う。
そしてもう一枚は昨日。
学校を出る時、割られて粉々になったガラスを見た。
悲しくなったし、そして怖くもなった。
学生たちに、危害が及んだら・・・。

大げさでなくても、悪意は以外と身近にあるものなのだ。
それは単なる日常の不満の捌け口、と言うのだろうか。


【戦争よりも明日のパン】
日パキの間に生まれた友人がパキスタンの親戚に電話をしたところ、
正直言って戦争よりも明日の生活のことで頭がいっぱい・・・
と言っていたそうだ。
考えてみると、今度のアメリカへの攻撃や、戦争の不安よりも、
明日のパンがあるかどうかの不安の方が大きい人たちが
実際は多いのだろうな、と思う。
そしてこの明日のパンの心配がなくなれば、
結構世界情勢は安定するんだろうな、とも思う。
経済が先か、平和が先か。
実は経済が先かもしれない、
と思う俗っぽい私である。


2001年09月17日(月) 偽善だっていいじゃない

【情報いろいろ】
イスラミックセンターの公式見解 
http://islamcenter.or.jp/ICJstatementJ.htm
をご覧下さい。

毎日新聞の記事、かなり客観的です。

http://www.mainichi.co.jp/eye/yoroku/200109/15.html

http://www12.mainichi.co.jp/news/search-news/833906/83A83t83K839381408d9198A90E88f5-0-1.html


【偽善だっていいじゃない】
考えてみれば、がたがた色んなことを言っているが、
私は「どちら」の当事者でもない。
アメリカに親戚がいるわけでもないし、ムスリマでもない。
それなのに、なんでこんなにいろいろなことを考えるんだろうと、
馬鹿馬鹿しく思うときも、正直言ってある。
そして偉そうに色んなことを言っている自分を
なんて厚顔な偽善者なんだろうと、うんざりしてしまう時もある。
何もできないのに。
何もしていないのに。
何が言えるというのか。
自嘲気味に思い、酒のいっぱいでも引っかけて眠りたいが、
残念ながらアルコールアレルギーなのでそんなこともできない。

しかし、アメリカに住んでいるある人のメルマガを読んでいて、
この「当事者でない者が考える」ということが、
実はとても大切なことであるとも思えた。

その人のメルマガはいつも着眼点が素晴らしく、
そしてウイットに富んでいて、
声高に何かを主張しているわけではないのだが、
ほほ〜、なるほど・・・と思わされることがとても多い。
しかし、彼はアメリカに住んで長く、家族はアメリカ人。
昨日送られてきたメールには、意外にも「一般の」アメリカ人の
心情が表れていて、はっとした。

> 今回のテロが「戦争」だということにすれば、テロ事件という「犯罪」捜査
> とは違って、被疑者の人権に配慮する必要もなければ、細かい法手続きに従う
> 必要もなくなる。報復も大規模にできることになる。だが、これを戦争だとす
> れば、「犯罪ではない。聖戦である」という犯人が主張したいだろう論理を認め
> ることにもなる。

そうは言っても冷静に上記のように観察することはできる。
しかし、彼は続けて以下のように言っている。

>日本でも、事件をはたからみて、「こういう事件は悲劇だが、その背景には、
> アメリカを代表とする先進国がこれと同じような悲惨さを、それ以外の国に押
> し付けてきた事実がある」などと論評する人がいる。正論かもしれないが、被
> 害者であるアメリカ人が言うならともかく、少なくともいまは、他国の人間か
> らこんな説教は受けたくもない。空襲で家族を亡くして悲しみにふけっている
> 人のところに行って、「これは悲劇だが、この事態を招いた原因は日本の軍国主
> 義なのです」などという人があるものか。それに、もしアメリカにも非がある
> なら、日本も同じ罪をおかしている。
>
> 悲しみを共にできないような人間とは友人になれない。危機感を共有できな
> い人間と連帯することはできない。

私も別に説教はしたくない。
なぜなら、私は当事者ではない。
悲しみや怒りを持ってはいるが、
最終的なところまでは理解すること、感じることは不可能だからだ。
ご家族、ご友人が行方不明だったり亡くなったり
何らかの被害を受けた方に向かって、
「全くお気の毒でした、でもパレスチナでは毎日同じように、
様々な攻撃で一般市民が殺されているのですよ。」
などとは口が裂けてもいえないだろう。
聞かれたら、答えると思うけれども。

しかし、と私は思う。
では、ただ悲しみや怒りを共有して、
アメリカの今後の報復に盲従するだけでいいのか。
それじゃ、やっぱりだめだ、と思う。
当事者でないものの冷静な、そして時には冷たいとも思える目は、
やはり絶対に必要なのだ。
それを「偽善」と呼ぶ人もいるだろう。
でも、偽善でも、ないよりはましなこともあるではないだろうか。

彼のメールは20世紀の偉大な神学者であり、
アメリカの政治・社会思想に強い影響力を与えた
ラインホルド・ニーバーの祈りの言葉で締めくくられている。

>   神よ、
>   変えることができないものを受け入れる心の平静さと、
>   変えることができるものを変える勇気と、
>   そして、変えることができるものとできないものとを見分ける知恵を、
>   われわれに、与えたまえ。

参考:ボストン読本
http://www.geocities.co.jp/Bookend/2697/



(その2)
今回、私は結構ムスリムに腹を立てている。
というか、この不満は常にムスリムに対して持っていることだが、
やっぱり・・・という失望感とともに怒りがふつふつと湧いてきている。

被害者の方への哀悼も述べず、とうとうとアメリカを非難する人の何と多いことか!
パレスチナ問題やモロモロな欧米の作ったアラブ内の問題が原因であったとしても、
テロで犠牲になった人たちの命を軽視しすぎているのではないのか。
パレスチナ人の命を同じように、アメリカ人の命も重い。
私は、それを忘れたり、見ないようにしたりしたくない。

うまくいえないけれど、
結局、多数のムスリムの人たちが言っているのは、
ムスリム(イスラムとは言いたくない、個人的に)=善、そして被害者、
ムスリム以外、今回の場合はアメリカ=悪、
という図式でしかなく、
それではアメリカの論調と内容は反対でも、主旨は全く同じだし、
いくら正しくイスラムを理解してくれ、
イスラムはテロを容認していないんだ!と言っても、
誰も聞いてくれないように思う。
自分達の首を自分達で締めているような、そんな感じがしている。


2001年09月16日(日) もし自分の大切な人が、殺されたら・情報操作と陰謀説

【もし自分の大切な人が、殺されたら】
イスラムのHPというところで、
身近な方が今回のテロに巻き込まれ連絡が取れないという人が、
正直な怒りをぶつけているレスを読んだ。

もし、自分の大事な人が、今回のようなテロに巻き込まれたら、
私はどう感じるのだろうか。
それが、自分があまり関心のない犯人、
例えば、スペインのETAとか、アメリカのキリスト教極右、
ドイツのネオナチや南米の様々なグループとかだったら、
きっと私も、
その人にようにあふれ出る怒りと憤りを抑えることはないだろう。
絶対に許さない、許せない、そう思うに決まっている。

では、もしその犯人がエジプト人やパレスチナ人、
そして今回のように、イスラム教徒だったら?
私には、わからない。
彼らを許せるのか、イスラムを憎むようになるのか。
心は引き裂かれるだろう。

連邦ビル爆破犯の死刑が執行された時、
一組の夫婦はそれぞれ犯人に対する思いを胸に、
別々に時を過ごした。
父は犯人を許せなかった。
死刑は当然だと思った。
だから刑をその場で見届けた。
母は、例え娘を奪った犯人だとしても、
「命」を奪うことが正しいとは思えなくなった。
死刑に反対し、夫のもとを去り、
祈りと許しと共に、その時間を迎えた。

どちらが正しいとか、素晴らしいとかではなく。


【情報操作と陰謀説】
かなり早い段階から、今回のことはどこぞの陰謀だ、
というヒステリックな雄たけびを上げているムスリムがいる。
確かに色々胡散臭いことはある。
ボストンに残されたアラビア語のマニュアルとか、クルアーンとか。
ハンブルグに留学していたような人物なら、
アラビア語のマニュアルなんて、絶対に!!!必要ない。
英語べらべらのはずだ。
それに、クルアーン、持っていかないかなあ???
とか、言い出したら切りがない。
それで出てくる陰謀説だが、モサドだの元KGBだの、
時代遅れの名前ばかり。
これでは単に身内かばいと言われても仕方がない。
モサドも元KGBもあんな大それたことが出来るのなら、
とっくにパレスチナ人を「イスラエル」から追い出しているだろうし、
ロシアだってもう一回くらい転覆して以前の暗黒支配に戻っているはずだ
(そしてもし「パレスチナの一組織」にあの事件が起こせたら、
これまたとっくに独立国家を作れているはずだろう)。

ただし、狂喜乱舞するパレスチナ人の姿をくり返し流したりする
(そしてあれは湾岸戦争時1991年の映像だと言う話もある)、
情報操作やイスラムバッシングには確かに腹が立つ。
しかし自分自身は家族との対話の中で、
私たち(イスラムアラブ好き、もしくはムスリム)も
ただ闇雲に相手の不理解を責めてはいないか?
と自己反省をしているところである。

確かに今回の件ではイスラムもしくはパレスチナ人はある意味被害者だ。
今後、今回の汚名を挽回するのにどれくらいかかるのか、
想像も出来ない。
しかし、喜んでいる「一般人」は確実に存在してしまう。
カイロ在住のある方の話によると、
その方が話を聞いたほとんどの(普通の)エジプト人は
今回のことで何らかの溜飲を下げたと感じているそうだ。
私自身もそれを聞いて、実際さもありなんと思った。
そういう悪感情があるのは中東好きには衆知の事実。
そして私たちは中東好き故にどうして彼らがそこまでアメリカを嫌うのか、
その背景を知っているが、
今まで中東に興味を持っていなかった人がわからないのはこれまた当たり前だろう。
急がず、少しずつ、そういう話を家族や知人としていけたら、
確実に見る目を変える日本人はいると思う。

今は闇雲に情報操作に感情的になったり、
不確かな陰謀説にすがったりするのではなく、
冷静にものごとを観察し、
その中でアメリカやマスコミの正すべきところを分析するような
したたかさも、必要だと痛感している。


2001年09月15日(土) 今日はなんだかたくさんです。

【多角的にニュースを見るために】
いくつかのサイトを紹介します。

田中宇氏のサイトの記事色々(http://tanakanews.com/)
アフガンとビンラディンについてのレポート。
これまでの経緯がよくわかります。
http://www.melma.com/mag/12/m00001712/a00000078.html
今回の事件の犯人像について
http://tanakanews.com/b0913US.htm

ドーハ在のカルダーウィーの今回の事件を非難する声明です。クルアーン第5章「食卓」章の32節が引用されています。
http://www.islam-online.net/English/News/2001-09/13/article25.shtml

在米のパレスティニア人弁護士のコメント(Media Watchから)
http://www.mediamonitors.net/sherri21.html

CNNが報道した今回の攻撃を喜ぶパレスティニアの画像は
1991年の湾岸戦争のものだったという報道もあります。
http://www.chicago.indymedia.org/front.php3?article_id=4395&group=webcast

だからと言って、別にウサマ・ビン・ラディン氏や
テロリストをかばう気はないんですけどね。
やったことには責任をとって欲しい。
今朝の新聞にも載っていましたが、
今回一番貧乏くじを引いたのはパレスチナなのです。
そこが気がかり。

パレスチナの生の声、今回のテロ事件へのベイト・サフール市当局の声明。
正直に飾らぬ言葉が胸を打ちます。
http://www2.mnx.jp/~jyb2774/
奇聞総解・パレスチナ Watchの2001/09/14号をご覧下さい。



【本日の反省】
わかって欲しいわかってほしいと言いながら、
結局自分は相手の立場をわかろうとせず、
自分の考えを押し付けているのではないか。
そう思えることがある。
人の振り見て我が振りなおせ。
相手を思いやる気持ちが大事よね。



【家族って難しい】
私には特殊地方公務員の兄がいる。
この18歳で国家によるマインドコントロールをされた、
バリバリに人種差別的な頭の固い兄と私は仲は悪くない。
ただし、それは思想的な話はしない、という前提に立ってであるが。
彼が人種差別的な発言をしている時、
私は内心むっとしているものの、
ほとんど顔色を変えずただ話を聞き流すことが出来る。
彼の言うことは、時には事実であり、
時には我慢のならないことではあるが、
それはお互いの環境によるもので、
少なくとも、私にはそのことが見えているから、
兄が全て間違っているとは思わない。
例えば、彼が出会っているであろう中国人は
明らかに何がしかの犯罪を犯した、もしくは犯す予備軍であり、
私が日常的に出会っている中国人はどちらかと言うと日本人に比較的近い
極普通の上昇志向のある学生だから、印象が違って当たり前なのだ。

今回のテロ事件で、
私はしばらくこの兄と顔を合わせるのを避けようと思っている。
結構話したがり屋の兄は、早い段階のパレスチナ人への発言で、
私の神経をざらりと逆なでした。
私は友だちや知人、そしてあまりよく知らない人たちには、
今回の事件について冷静に分析してみせることが出来る。
しかし、そこが家族の難しいところで、
甘えや、どうして私の考えを共有してくれないのか、
と言った感情をどうしてもぶつけがちになってしまう。
楽しかった旅行から帰ってきた母と、
お土産を楽しそうに見ている姪に向かって、
すでに私は一度声を荒げている。
職業的に性格形成をされた兄への理解は出来ても、
勝手にアラブやイスラムに入れ込んでいる私への理解は、
彼らにしても到底できっこないのだ。
それでも家族は家族だから、この少々変わり者の家族を
彼らも受け入れるしかない。
近くて、とても遠い。
実は一番気を使わなくてはいけないのが、
家族に対してなのかもしれない。


【精神を落ち着ける方法】
それでなくても現在はストレス社会である。
いかに自分のストレスを発散させるか、
まさに人生の命題になりつつある。
どちらかと言うと、あまりストレスをためない方だと思うが、
馬鹿じゃないんだから、少しはたまる。
最近は仕事のことやなんやかんやで、
実は結構きつい情況にあるのかもしれない。
蕁麻疹は全然治らない。

旅行は楽しかった。
しかし帰って来てしまえばもろもろの情況は何も変わっておらず、
楽しかったゆえにギャップが激しく谷間に入った。
何とか持ち直す兆しが見えてきた時に
(ラッキーなことに、ブルーはあまり長くは続かない性格)、
今度の事件である。
また谷間に逆戻り。
励まされて浮上したり、また谷間に落ちたり、
久しぶりに精神状態が安定していない。
どうやって精神を落ち着かせるか。
私の場合はまず、何かを書く。
そして手を動かす。
ものすごい勢いでこの日記を書いているし、
すごい精神集中力で、デッサンも書かずにコンテスト用の
アクセサリーを作っている。
そしてもう一つ。
最近の私のお気に入りの精神安定剤は、
須賀敦子さんのエッセイである。
彼女のエッセイには、何も精神が高揚することが書いてあるわけではない。
格言的なことも何も書いていない。
けれど、どうにもこうにも自分の感情をコントロールできない時、
彼女の本を読むと、ふっと一瞬自分の周りが静かになる。
月並みだが、人生はたいへんだけどやっぱり素晴らしいんじゃないか、
そう思えてくる。
しばらく、手当たり次第に彼女のエッセイをくり返し読む日々が
続きそうである。


2001年09月14日(金) この数日、考えたこと。

【せめてもの救い】
やりきれない思いばかりが、募っていくような気がした。
暗闇ばかりが、あるように思った。
どちらにとっても、犠牲は増えるばかりで、
分かり合える時など、永遠に来そうにないと。

でも、今までと違う視点でものを見たいと思っている人は確実にいる。
手探りで、曇りのない眼で、自分自身の心で、
手垢にまみれた情報ではなく、
どちらか片方に従属するのではなく。

それは微々たるものかもしれない。
しかし、確実に存在する。
それはあなた達のことです。
その存在が、私に勇気と希望を与えてくれる。


【役割】
「この世に絶対に必要な人は存在しない。」
なんともシニカルなイタリアの格言です。
確かに、「私がいなかったら・・・!」と思っていたところで、
実際にいなくなってしまったら、
後の人たちが何とかするし、何とかなってしまう。
確かにこれは真理だと思う。

しかしその反面、やはり一人一人にいろいろな役割があると思うのです。
ここ数日、自分の役割について考えました。

例えば、専業主婦であっても「役割」はあるのではないでしょうか。
それは社会を動かしているだんなさんをきちんと働けるようにサポートし、
未来の礎になるべき子供を産み、育てること。
これはとても重要な仕事で、決しておろそかにしてはいけないことだと思う。
例えペーペーのサラリーマンであっても、
その人たちがいなかったら、経済活動はまわっていかないのです。
そう考えると、やはり無駄な人生ではないでしょう。

では自分は?
私はくだらない理由から、自分が健全な家庭を築くということを
すでにほとんど放棄しつつあります。
つまり健全な社会生活から、ある意味逸脱する道を選んでいるのです。
では、そんな私の役割は?
微小な力でも、日本とイスラム・アラブとの垣根を
少しでも低くしていくこと。
もしかしたら、それが私の役割なのかもなあ、
とここ数日ぼんやり考えました。
私はイスラムが大好きです。
もちろん理解しがたい部分はたくさんあります。
しかし、イスラムの教えが極端なものだとは思っていません。
でも、イスラムに改宗はどうしてもできないのです。
何かが、それを拒んでいます。

イスラムを外からサポートすること。
私はアブー・ターリブ的な人間になりたいのです。


2001年09月13日(木) アメリカ多発テロ、続き

テロは紛れもない事実であり、尊い人命が多数奪われたことも事実。
今後このようなことが起こらないために、
もちろん犯人、そして黒幕まで、きちんと割り出し
正義のありかを示して欲しいと思う。

【未成熟の報道】
結局のところ、日本のマスコミは全然成熟していない。
アメリカが流す報道の、最もセンセイショナルで
人目を引く部分だけ抜き出し、ただ闇雲に感情を煽るだけだ。
過剰なイスラムバッシングとも取れる日本の現在の報道には、
どうか惑わされないで欲しいと思う。
もしイスラム過激派が首謀犯だったとしても、
「イスラム」で認められている行為ではなく、
単なる野蛮で卑劣な「テロ」行為にしか過ぎない。
イスラムにそう言うものを奨励し、容認する協議があるから、
と言う人もいるが、
キリスト教にも、ユダヤ教にも
自分達を守るためのテロを容認するような一説が、
探せばきっとあるはずだ。
宗教の持つ危険性とは、そういうものだから。

アメリカの報道は、反イスラム的表現は控えており、
「過激派」の部分をクローズアップして報道しているが、
日本の報道は、いかにイスラムが「日本人の」理解しがたい宗教であるか、
いかに「戦闘」と奨励しているか、
見当はずれなことを、全ての原因のように報道している。
今回の根底にあるものを、イスラムの聖戦=ジハードで
片付けようとしている特集には呆れ返った。
日本は国際問題、今一体世界で何が起こっているのか、
一番敏感に嗅ぎ取ろうとするべき報道すら、
そんなことには全く興味がないらしい。
そんな報道を持っていたら、
政治的にも成熟したシステムを作れるはずもない。

イスラム団体が米国在住のムスリムに
献血、医療奉仕への参加を呼びかけていることなど、
どこも放送していない。
そして、12日「にも」11人のパレスチナが
公然と「正義」の名のもとに殺されていることも。
イスラムのジハードを取り立てている報道もあるが、耳を疑う。
一体私たちは、何年間イスラムと言う隣人と付き合ってきたのか。
使いまわしのフレーズを何度使えば良いのか。
残念ながら、日本の報道にはがっかりさせられるばかりである。
そして、日本屈指のアラビストと言われる人たちにも。
彼らはそのくだらない報道を正当化するための
単なるお飾りに成り下がっている。
残念なことだが。


【小さな運動】
私のまわりで時ならぬ家庭不和が勃発している。
原因は今度のテロ事件。
日本人のイスラムに対する知識はあまりにも少なく、そして偏っていて、
それに今回の報道も加わり、
またしてもイスラムに対する印象は地に落ちた。
その中で、少しでもイスラムを身近に感じる家族と、
そうでない家族の間で、意見の対立が起こっているのだ。
相手を説得するのは多分無理。
でも、がんばろう。
テロはテロで、イスラムじゃない。
もし日本人が犯人だったら、どう思うだろうか。
きっと「そんなやつらと一緒にしないで!」
そう思うだろう。
だから、もしまわりにイスラムの人がいたら、
イスラムを非難せず、今回の事件のことだけ聞いてみてください。
きっと、私たちと何ら変わりのない答え、
怒りや悲しみ、がかえってくると思います。
イスラム教徒だって同じなんだ。
そうわかっている私たちが少しずつ、運動をしていこう。
一生かかる運動かもしれないけれど。






2001年09月12日(水) アメリカ同時爆撃テロの日

【何をどう知るべきか】

イスラム過激派説が濃厚になってる。
狂喜乱舞するパレチナ人も映し出された。
その姿を見て、私は肩を落とした。
喜んではいけないのだ。
例え、どんなに自分達の生活が厳しくても、
テロで犠牲になった人たちの死を喜んでいたのでは、
結局自分達も、同じように切り捨てられると思う。
そのことを見ないようにして、無駄な血を流しつづけて
一体何年経ったか。

ある日本人ムスリマは、マスコミによる一斉のイスラム過激派説を
「完全なプロパガンダだ。」とし、
もし違った場合、マスコミの責任を断固として追及しなくては!
と息巻いていた。
違った場合、どんどん責任を追及すれば良い。
けれど、完全な被害者意識でものを見る前に、
するべきことは他にあると思う。
それは、「イスラム教徒して」テロに対する怒りや悲しみを
世界中と共有すること。
確かに、イスラムにはジハード(聖戦)の思想はあるが、
また無益な死や報復は同じように忌むべきものとされているはずだ。

そしてアメリカ。
なぜこういう事態が起こるのか。
自分達の何が、ここまでの憎悪を引き出すのか。
改めて考え直して欲しい。

そして日本。
アメリカのマスコミが垂れ流す未確認の情報を
ただただむやみに広めるだけでは
「日本の」マスコミの意味がない。
宗教心で片付けてしまうには、
あまりにも日々虐げられている人が多すぎ、
犠牲になった人も多すぎる。
問題の核心はなんなのか。
自分達の目で、見て欲しい。


【北風と太陽】

アメリカが、とんでもないことになっている。
映画でしか起こりそうにないことが、
実際に起こっている。
ニューヨークに飛行機が突っ込むなんて!
現在も11機の飛行機がハイジャックされ、
そのうち4機は行方がわからないと言う。
キャンプデービッドにも飛行機がつっこんだという
ニュースも入ってきている。

パレスチナ関係の組織が犯行声明を出しているようだが、
実際のところはまだ闇の中だろう。
被害はどんどん拡大していくことだけが確かだ。

恐ろしいまでの計画性。
恐ろしいまでの憎悪。

私はテロのニュースを聞くたびに、
「北風と太陽」の話を思い出す。
力で、何かを変えようとしても、
人々はどんどん頑なに、自らの信念に固執するようになる。
アメリカがパレスチナに行っている政策も「北風」なら、
パレスチナが世界に向けて自らを証明しようとする方法も
やはり「北風」式だ。
政治の、国際社会の中では、
「太陽」を望むことは夢のまた夢、なのだろうか?
憎悪のコートを脱ぐ日は、やってこないのだろうか?


2001年09月11日(火) ささやかな約束

自分に甘いタイプだと思う。
結構なあなあで、すぐに「ま、いいか。」とか「仕方ないか」と思ってしまう。
文章を書くことも大好きなのに、
気分が乗らないと、全然書けない。
だめだよな〜と思う。

だから、ここでささやかな約束をしようと思う。
皆と。
例え3行でも、毎日「何か」を書きます。
そのために日記ツールを導入しました。
果たして3日坊主になってしまうか。
ならないように、見守ってください。


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