雑感
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2002年10月30日(水) バッハウの写真

郵便受けに厚めの封筒を見つけた。

封を切ると中から写真が数枚。バッハウハーフのときの。
9月15日のレースの思い出がフラッシュバックしてきた。
スタート時の大雨の匂いやひんやりした空気のこと、靴紐
の締めが上手くきまらずに何度も結び直したことなど、細かな
ことが頭の中に画像として残っている。

写真の中の自分はずいぶんと幸せそうな表情をしている。
何を考えていたのかは、さっぱりわからないけれど。
フォームもずいぶん無駄がなくなったように思う。重心に
しっかり体重が乗って力強い走りになったと少し自画自賛。

写真は全部で5枚。写真屋さんが勝手に撮影したのだから、
いらなければそのまま返送すればいいし、気にいったものだけ
購入することができる。
3枚は引き受けることにしよう。でも残りの2枚は?
返送しても処分されるのは明らか。

自己ベストが出るような走りができるのは、年に何回もない。
(それだけ練習してないのだけど)
記念だから全部引き取ってしまおう。


2002年10月26日(土) クリムト風景画展へ

今日は祝日。国会議事堂や市庁舎、美術館が国民に門戸を開放する日なので ベルベデ−レのオーストリアギャラリーに行ってきた。 数日前から、クリムト風景画展が始まったので久しぶりに見たいと 思っていた。来週から描く予定のクリムトのアッター湖の絵葉書かカタログを探すのも目的の一つだったけど。

クリムトといえば、キスというタイトルや女性像が有名だけど、風景画もなかなか印象的だった。アッター湖はエメラルドグリーンの湖面と黄色の湖面↑の2種類がカタログに載っていた。黄色の湖面はアメリカのプライベートコレクションで、エメラルドグリーンのは昨年オープンしたウィーンのレオポルト美術館の所蔵。オーストリアギャラリーのクリムトのコレクションもファンを垂涎させるほどの量(100点近く)と質であるが、世界中から集めたクリムト作品には圧倒される。
ネットのクリムト美術館 右上の クリムト美術館をクリック

人口800万足らずの小国だけど、こういう展覧会をすれば所蔵作品でも かなりの展示ができることや、印象派など歯牙にもかけない17世紀以前の 巨匠の作品が美術史館にあふれているのを見ると、あなどれない国だなと感心する。
先週、ザルツカマーグートのアッター湖に行けなかったのは残念だった。


2002年10月24日(木) グムンデンの陶器

自転車をともなっての遠征の最終日。
バート・イシュルから電車に乗ってウィーンへ帰る途中、
トラウン湖を通る。灰青色の山が湖の際まで迫っている景色を
車窓から目の当たりにみた。どっしりとした山の姿に魅せられた。
グムンデンで下車した。湖の北の方に位置する陶器で有名な
町。ここで降りたのが失敗だったことに気づいたのは
小高い丘のうえから一直線に湖へと下ったときだった。
10月も半ばを過ぎると観光客の数もめっきり減って、
波止場には出航する気のない観光船がぼんやりと浮かんで
いる。
湖を眺めながら、サンドイッチをほおばっていると、
鳩が2羽パン屑をほしそうに寄ってくる。

相棒の自転車の記念撮影をしたあと、
再び、きつい坂をのぼって駅へと向かった。
最後の坂を登りきったところに、グムンデン焼きの直営店
の看板が目に付いた。花柄のコーヒーカップの本体を
割ってしまったことを思い出したので、同じ物を探そうと
店に入った。
グムンデン焼きで有名なデザインは、ライトグリーンの
縞模様花柄だと思う。どしっとした重みのある農家風の
食器類は普段使いにちょうどいい。アウガルテンやへレンドの
ように気の張ることもない。割れたら買い足せばいいだけ
のこと。

少し底のすぼまったカップを買うことにした。8ユーロほど。
大切にくるんでリュックにしまう。このカップでしばし秋の
宵に濃い目のコーヒーを楽しむことにしよう。


2002年10月16日(水) 遊ぶのに忙しく

続けて映画を2本見て、フィットネスクラブに
出かけてロングジョグをして、絵を描きに行って、会社に
いると時間がどんどん過ぎていく。遊ぶのに忙しい。

週末はたいていレースに出るか、ジョグをしているかで
物事をつきつめて考える時間もないのはいい傾向なんだろうか。
先のことについて、ちょっとまじめに考えないといけない案件
もあるけど、帰宅したら疲れているしそれどころではない
って感じ。
来月はレースはないけど、オペラに2回行く予定。
仮面舞踏会とジェヌファ。
映画もたぶん2,3本。ジョグもフィットネスも予定通り。

あまり頭に栄養が回ってないみたいだ(爆)


2002年10月09日(水) 蒼と碧の世界

先週から絵画コースの新学期が始まった。
夏季コースをパスしたので、先学期のパステル画の続き。
「あら、まだやってるの?」と先生に言われて恥ずかしかった。
夏は自転車にかまけていたので、デッサンもなんにも手をつけて
いなかった(汗)

久しぶりに画用紙に向かって、指先で色をなじませていくうちに
色の世界に潜ったような気になる。90分ほどの一心不乱に
作業しているのがいい。蒼と碧の世界にハートが二つ浮かんでいる。
このモチーフを選んだとき、先生に「何か意図があるの?」って
聞かれたけれど、あの当時は深く考えずに選んだのだった。

気持ちの深いところで意味付けしようと思えば、なるほど
そうかなと思いあたることもある。
同じ大きさのハートが双子のように並んでいる状態に、ちょっと
あこがれたのかもしれない。

吹けば飛ぶようなパステルと格闘していると、画用紙の上の戦場は
最初は負けっぱなしで降参という惨状だけど、少しづつ指で伸ばして
勝ちにいこうとしている。勝ったかなと思ったときが、色を止める
瞬間でもあるけれど、まだまだ終わりそうにない。


2002年10月05日(土) 秋たより

久しぶりにレースのない週末はのんびりしている。

きのうずぶ濡れになって少々風邪気味。
午前中は横になっていたが、夕方になって自転車に乗りたく
なった。プラターにでも行ってこようかなと、今日はママちゃり
を出す。

リングの自転車道は黄色い絨毯になっていた。
走るとさくさくとウェハースのような音がする。トンネル
をくぐってプラターへ。
幅広の遊歩道は茶色と黄色とクリーム色の絵の具を混ぜたよ
うに混乱していた。両並木から毬栗が風に吹かれて落ちる
たび、毬栗がはじけ、外皮が破れて栗の実が散乱している。

ロードレーサーで来なくてよかった。この道だと50
メートルも行かないうちにパンクしてしまう。
一月も経たないというのにここはすっかり晩秋の世界
だった。葉をどんどん落として冬を迎える準備をしている。

残り少ない秋を感じながら、そういえばまだ秋の味覚、
かぼちゃやワインの濁酒を口にしていなかったことに気
がついた。
柔らかな甘味のあるかぼちゃのスープを作ってみたい。


2002年10月04日(金) 長生きについて

十数年前から懇意にしていただいた、シュピッェンヒュッテル夫人 が他界したと連絡をもらった。
享年92歳。いつも笑顔のたえない、かわいらしい声の持ち主で あどけない表情が忘れられない。新年に訪問したときに、ぎゅっと 彼女の両手を握り締めたのが最後になった。

傍目からは、やさしい家族に囲まれて大往生だと思うけれど、 長く生きてよかったのかどうかは本人にしかわからないこと だろう。安寧で楽しいことばかりではあるまい。つらいことだってあったに違いない。

昨夜テレビで「グリーンマイル」の放映があった。原作を読んで、 映画館でも見たので2回目になるけれど、見ごたえのある作品 だった。死刑囚監房の看守だった主人公は、世にも不思議な物語 を女友達に語り始める。死刑執行の残酷さ、人間の善や悪、弱さ を、コフィーという死刑囚を通して大写しになるエピソードに ぐいぐい引き込まれた。

話を語り終えた主人公の長命にはびっくりさせられたが、彼の 孤独や悲しみがひしひしと伝わってくる。死なないということは 多くの別れを体験するということでもある。同時代に生きたひと たちが、例外なく先に逝ってしまう。
主人公は、コフィを救えなかった罰だと言ったが、私はそうは 思わない。コフィは死にたがっていたと思う。彼に宿った不思議な 力は、人間の邪悪さを、骨のずいまで感応してしまい疲れさせて しまったのだろう。

長寿であること、人の心が透けて見えることは、必ずしも人を 幸福にするわけではない。 明日何が起こるかわからないし、気に掛かる人の気持ちがよく わからないからこそ、生きていけるということだってある。


2002年10月03日(木) 片付け屋

今朝、片付け屋が来た。
大きな机の処分に困り、地下にそのまま置いていたのだが、 クレームがきて(あたりまえだ)今週中に撤去するよう 言われていた。

イエローページで、Entruempelung という言葉を知った。 がらくた回収業とでも訳すのだろうか。電話したら翌日来て くれるとのことだったのでほっとした。

業者が応援を待っている間に、部屋を丸ごと片付けることも できるのかと聞いてみた。「もちろん」 「値段は部屋の大きさと収納品の量によるけど、直接電話 してくれるなら安くするよ」

これを聞いて安堵した。部屋の主が突発的な出来事で永久不在になれば 誰かが部屋を片付けなくてはならない。家主にその分の費用を 預けておけば、大した迷惑をかけずにすむ。
マラソンは走るし、ロードレーサーで一般道を飛ばしているので 何が起こるかわからない。あとは弁護士を見つければ、法的なことも 大丈夫だろう。
備えあれば憂いなしとかで、思いきり人生を楽しめる。


2002年10月02日(水) 切れすじのいい空気と暖かなひとたち(2)

この土地の温度計は2度を指していた。
吐く息も白さがあざやかで、手袋をきっちりはめ、ジャンパーを しっかり着込んでも寒さが突き破りそうな感じがする。

9時30分、号砲。ゆっくりと飛び出す。総勢400−500人 くらい。500メートルほど走るとペンションの前に来た。宿の 主人がにこにこと応援してくれている。軽く手を挙げて挨拶を 交わした。朝食が満足にのどを通らなかったと見えて、走り出した 時の感触が悪い。とりあえず前半は6分30秒で進めてみた。でも周りのスピードが半端じゃなく、5分くらいで走り 去ったランナーがほとんど。あっという間に後方に置いていかれた。

10キロ走ると、ハーフのランナーは大きく左旋回し 私の後ろには誰もいなくなった。前は100メートルくらい先に 数名のランナーがいるだけ。ずいぶん心細い一人旅になった。

コースはサイクリング道が中心で、イン川を右手に眺めながら 遠方の険しい山々が取り囲んでいる。川の碧色は美しく、水面が きらきらしていた。放牧の牛の群れを左右に眺めていると、本当に チロルにいるんだなと思う。途中の村々では、景気付けに音楽の 演奏をしている。エイドでは村のこどもたちが、ドリンクをわざわざ 持って出迎えてくれる。 10キロ過ぎから調子が悪いのが気にかかるけれど、予定通りの ペースでハーフまで走っていった。折り返しの先頭集団が掛け声 をかけて応援してくれて少し恥ずかしかった。

ハーフを過ぎると脚が重く、スタミナ切れも顕著になり、ペースが 自然と落ちてきた。27キロで消耗感が強くなった。動かない脚と 空腹を和らげてくれたのは、沿道の自転車乗りと、村の子供たち の声援だった。「スーパー!」って何度も言われるとまだまだ脚が 動く。30キロ前半はペースを落としながらもふんばれたと思う。

37キロからは寂しい側道がゴールまで続いている。ここは応援して くれる人もいないし、前後にランナーがいなくなってずいぶん寂しい 思いがした。キロ7分台もきつく8分台しか刻めないのは相当 消耗しているのだろう。でも歩いたら、止まったら終わりというの がわかっている。これ以上、体調も悪くならないこともわかっていた ので我慢してゴールに向かう。1,2,3,4,5・・・1,2,3 、4,5,6の変なリズムを数えながら走っていると駅前通りに 出た。

ようやくゴール。予定タイムを15分もオーバーしたけれど、 完走できてよかった。まったくもって、声援のおかげと言うべきか。


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