雑感
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2002年04月30日(火) Warumに対する答え

4月27日の朝刊第一面には雨上がりにできた水溜りに
深紅の薔薇が一輪眠るように横たわった写真が掲載されて
いた。
ギムナジウムの入り口には色あざやかな花々とろうそくが
延々と飾られて、その脇にはぬいぐるみや死者へ宛てた
カードが見え隠れする。
その中にひときわ目立つ"Warum?"(どうして!?)の文字は
ドイツ中に響いたのでないだろうか。

26日午前11時ドイツ、エアハルト、アビトゥアと呼ばれる
ギムナジウム卒業試験の日、一年前まで在籍していた生徒が
教師めがけて乱射、14人の教師と2人の生徒が凶弾に倒れた。
ドイツはもとより欧州中を震撼させた出来事だった。

犯人は自殺。やりばのない怒りと悲しみが小さな町を
すっぽりと包んでいる。先生を失った生徒たち、両親を
失った子供たちの涙・・

政治家は銃刀法の改正と過激なコンピュータゲームや
ビデオの規制を声高に叫びはじめた。

1000万の銃の登録があるドイツ、銃の購入資格を18歳
から21歳に引き上げたところで、大きな抑止力になるとも
思えない。
過激なコンピュータゲームを青少年から完全に遠ざける
ことなんてインターネット時代には無理だろう。

メディアはヴァルム?対する答えを見つけようとやっきに
なっているが、正確な答えなどないことを皆がうすうす
感じているのではないだろうか・・
ヴァルム?と何回叫んでもむなしいことを・・



2002年04月27日(土) 走ることの効用

5月のウィーンマラソンに向けて走りこんでいる。
4週間ほど過ぎて、少しづつ自分の身体が長距離用に変わって
いくのを感じる。

以前は苦手だった同じところを周回するのもいやでなくなった。
1歩ごとに変化する心拍数や呼吸、脚の具合などを気にかけて
いると厭きることがない。
走ることは身体の強化ばかりでなく、精神的な持久力、こつこつ
やること、気が長くなることも養成しているみたい。

心の耐性を身に付けると少々のことでは動じないし、我慢できる
ようになった。

傍からみると走るのはしんどいことだと映るかもしれないが、
のんびり走っている分にはわりと楽しい。乳酸がたまらない
程度の速度は、アドレナリンがたくさん出ていると思う。

ストレスのたまる世代がジョギングの魅力にとりつかれるのも
よくわかる年齢になったということかな。


2002年04月24日(水) チェロ無伴奏組曲

昨日、今日何気なく聴いた曲が物語の世界でも奏でられている箇所を
読むと書き手と気持ちがシンクロしたようで何となく嬉しい。
いい作品だわと贔屓してしまう。

浅田次郎の「天国までの100マイル」を読んでいたら、主人公の母親を
手術する医師が教会でバッハの無伴奏組曲を奏でていた。
むずかしい手術をする前に神に祈り、心を落ち着かせていた場面。
浅田ワールド―人情を正面から感じられる世界―に身体全体を浮かべて
漂ってみたいなと思う。

ジャクリーン・デュ・プレのチェロを続けて2日も部屋に流していた
ら「いい曲だね。」と言われた。小説の主人公と同様、嵐のような
あわただしさの中に二人ともいたので、ほっと一息つけた。

物語と音楽ががんばれと声援を送ってくれているような気がした。


2002年04月15日(月) 人は成長する

コンタクトレンズの度数が合わなくなってきた。
メガネは先月買い換えたばかり。視力は年齢に関係なく悪くなって
いくらしい。

土曜日。どんよりした雲の下プラターを走ってきた。3時間30分。
心拍計をつけて走っていると、自分の心臓が強くなり毛細血管が
発達していくのをリアルタイムで感じることができる。
いくつになっても人って成長するものだと、いまさらながら驚かされ
る。心身の状態は一瞬として留まることなく、刻々と変化していく
もののようだ。

心を計る測定機などないのだろうが、人の心も日に日に成長して
いってるのだと信じよう。
美しい風景に出会い、どきどきするような小説や映画、耳にいつまで
も残るようなメロディ、よき人々との出会いを五感を通して心身に
注入すると、それだけ成長するのだと。


2002年04月12日(金) 会話量

自分の1日の会話から業務関連で使っていることば(外国語でも
母国語でも)を差し引くとほとんど何も残らないのは困ったこと。

先日、珍しいことに私を夕食に誘ってくださったかたがあった。
久しぶりに仕事以外で日本語を使うのか、どうも会話のキャッチボール
がかみ合わない。同時に次の話題が口について、交通整理をしなけれ
ばならないなと感じた。
それでも共通のオペラの話題があったので、食事をしながらの会話は
はずんだ。

たまには、きちんと人と対話しないと、話しをしているときの軽快な
リズム感が狂ってくるなと反省する。しっかり相手の話しを聞かないと
その場にそぐわないことを口にしたり、うまく切り返しできずに相手
を退屈させてしまうかもしれない。


2002年04月11日(木) 陽子さん

出会いの中における、偶然と必然の割合というのはどれくらいなの
かしらと思う。ブラックコーヒーとミルクくらいか、それとも
カフェオレくらいの分量になるのかしら。

朝日新聞などめったに読まないのに、一部余分に配達されたので
自宅に持ちかえった。
記事以外の広告、新刊や雑誌の情報がおもしろく広告の見だしを
拾い読みしていたら、ある婦人雑誌に遠縁の陽子さんについての記事
が載っていた。見出しのみで記事の内容など知る由もないが、過疎地
で11年も単身赴任で医療活動に取り組んでいるのだなと知りすごい
なと思った。

幸せな結婚をして子供にも恵まれた陽子さんが、医師になりたいと
決心し予備校を経て医大に合格したのは36歳だった。当時、マスコミ
にも取り上げられ、学生だった私はかっこいい!とあこがれていた。
あれから20年有余の月日が流れ、若かったときの志を全うしていると
知り、私もしっかり生きなければと思いを新たにする。

物事を始めるのに遅すぎることはないし、若い人にまじって活動するの
も悪くない。周囲を驚かせるような才覚には恵まれないけれど、幸い
地味に継続する才は残っているようなので、楽しみながら回り道しな
がら続けてみようと思っている。


2002年04月10日(水) 逆戻りする春を叱りつける

復活祭の初夏を思わせるような陽気は、ふっとかき消えて、
はっきりしないねずみ色の空と冷たい空気が顔を出してはひっこんで
そのうちレギュラーに居座ってしまったような天候が続いている。

朝起きてまず暖房のスイッチを入れて、出かけるときには、そろそろ
クリーニングに出そうかという冬コートをひっかけて、冷たい空気を
極力吸い込まないように歩む。

今朝はひどかった。冷たい空気と冷たい雨が居座って、昼休みに計画
していた、小さな買い物の予定を全部キャンセルさせてしまった。
パステル画を描こうかなと青い画用紙を探しにいくはずだったのに・・
雨が降っては大きな画材箱をかかえて教室に行く気もなえてしまった。

行く、行かない、行く、行かない・・・と四葉のクローバーのしおり
で、いんちき占いをする。描きたくなければスタジオで走ってみる?
うーん、・・・まだ答えがでないわ・・・

計画が崩れたのは全部天気のせいにして、もっと春らしく振舞って!
と叱りつけると気分が少し和らいだ。
いつまでも不機嫌ではいられないから。

天気に負けじと、マラソン大会の案内と来シーズンのオペラの
プログラムをめくってみた。走りたい大会やみたい演目を心の
カレンダーにメモメモ・・・大会と旅行は歯ブラシとはみがきの
セットみたいなものだ。旅先のことを考えるとうきうきしてくる。

うん、元気になった。青い画用紙買ってこようかな。


2002年04月08日(月) 土田麦僊の画集

自宅のサーバーがダウンしたおかげというべきか、夜はたっぷり
時間がある。

昨日は休養と称して走らずに、めずらしく小説など読んでいた。
小説の中の「私」と電話1本でつながった向こうの世界にいる人との
会話の中で「ツチダバクセンの画集・・」という言葉が出てきたとき
相手がすぐに「土田麦僊」とわかって「私」は急に親近感を覚える。

私もこの箇所を読んですぐに漢字が出てきたので何となく作者に
親しみを覚えた。
東山魁夷や横山大観でなく麦僊の画集というのがよかった。
私の本棚には先の二つの名前の画集はないけれど麦僊のは偶然持って
いる。

何年か前に京都駅がリニューアルされて間もない頃、平安神宮近くの
美術館(京都市美術館だっけ?)で麦僊展があったので秋の紅葉
見学がてら両親を連れて出かけた。

麦僊は明治の頃の日本画家で西洋画を学びにパリに留学したことも
あった。寺子屋で3人のこどもたちが立たされてべそをかいている
光景や、大原女が3人くつろいでいる場面が今でも印象に残っている。
出来上がりの作品は線があざやかで力強さを感じるけれど、下絵には
何度も引かれては消された線のあとが、製作の緻密さを残している。

油絵を始めて6年になるが、いつのまにか面と色と光にのめり込ん
で、絵は線で描くということから逃げていたように思う。
真っ白な紙に一本の線を引くのはずいぶんと勇気がいる。100本の
線をひいて消してもかまわないから、勇気を出して昨日よりは少しで
も上達したいと、麦僊の画集を見ながら思った。



2002年04月07日(日) 共走

「競走」を「共走」として頭の中に自然に捉えることが
できるようになったのはジョギングがどうにかこうにか
自分のライフスタイルの一環として認識できるようになった
最近のことだと思う。

春穏やかな陽気から一転して凍てつくような寒さに逆戻り
した土曜日。
プラターのジョギングコースであんにゃさんと待ち合わせをした。

グレーのジョギングスーツで手をこすって寒さをしのいでいた
若さあふれるあんにゃさんと一緒に片道4.3キロのコースを
走った。朝と昼の中間の空気はそのまま夜明けのようなきりりと
した冷たさを保ち、走っていても手指に鋭く突き刺さる。

プラターではいつも一人で走っていたので、ほかの人とリズムを
合わせて走るとけっこう楽しいし、おしゃべりしながらだと時間
が過ぎるのも早く感じる。
周りの景色も普段とは違ってきらきらして見えるのが不思議だった。
空気も緑の木々も何もかも優しく感じられた。

いつもは一人で走っていながらも、見えない誰かと何かと競走して
いたのかもしれない。ここでは、いつもタイムとの競争、自分自身と
の競争と、のんびり走ることが少なかったから。

あっという間に復路8.6キロのジョギングが終わった。
マラソンまでにもう一度ゆっくり共走してみたい。





2002年04月05日(金) オペラ座の童

今週はたくさん走って運動モードでしたが、久しぶりに「ドン・カルロ」
を見てオペラモードに気分が切り替わりました。

仕事が忙しく、走りこんで疲れていたせいもあって、今日はどうしようか
しらと迷ったのですが、ひょっとしたら会えるかもしれないと思い、
がんばって、ギャラリー席への階段を三段跳びくらいにかけあがりました。

階上からボックス席を探します。いました、いました!パパの膝に
ちょこんと座ったAくん、当年4歳の坊やですが、おとなしく開演を待って
いました。

幕間にAくんと友人夫婦に会いに階下に下りました。ちょっと緊張した
面持ちですが、「オペラ楽しい?」と声をかけると、にやりと恥ずかしそう
に応えます。目下、プッチーニの「テュランドット」がお気に入りだそう
で、ヴェルディの「アイーダ」、今日の「ドン・カルロ」と私の好きな
演目ばかり♪
将来はおばさまと一緒に見てねと心の中でささやきます。

オペラの子ども料金は一律15ユーロで、よい席が取れると破格値です。
将来のオペラファンを増やそうという考えがあるのでしょう。
(マクドナルドのおまけ戦略と似ていますね)
今宵の私の席も映画を見るのと変わらない値段でしたけど、こういう
システムがあると一人くらい子どもがいればよかったからしらと
けしからぬ考えが浮かびます。

さすがに4歳児というのは、ちいさすぎるようで、係員から、ほんとに
大丈夫ですかと念を押されたそうです。たとえどんなに小さくても
本人が興味があれば、静かにすべきところではちゃんとするんですよね。
今日、Aくんを見ててそう思いました。3時間半の上演は大人でも
ちょっとつらいときがあるのに、しっかり見ていた彼にも拍手をおくり
ました。

「ドン・カルロ」のフィッリプ国王のアリアが好きです。権力者として
神の代理として、何不自由ない立場にあるのですが、愛情というものは
力づくで、思うようにできないジレンマに陥っている王・・
愛されない悲しみ、妻への猜疑心、息子への愛情と憎しみが込められて、
このアリア聴くためだけでも通う価値があるなと思います。

昔は高く美しいテノールの声にあこがれたものですが、ヴェルディの作品
を観て、テノールからヴェルディバリトン、バスへと低い朗々とした声
に惹かれるようになりました。


2002年04月03日(水) 春が舞い降りた

復活祭の日曜日は夏時間とともに、春の空気の上に初夏というベール
をおびたように始まった。

雨続きの寒い天候が続いたあとの突然の陽光に、ウィーンのカフェは
まだオープンカフェの準備もできていなかった。

所用でシティに出た日。
空は春にしては真っ青で、雲はどこにも見当たらない。
携帯をもっていなかったので、職場と連絡がつかず、しばらく
オープンカフェに座って、道行く観光客をながめていた。何年住んでいて
もシティにくると自分も観光客になったような気分になる。アイスティを
すすりながら、通りの向こうの花壇に目をやると、黄色いクロッカスが
惜しげもなく植えつけられている。花屋の前にはバケツ一杯にピンクや
薄紫のチューリップ・・時間つぶししている身にとっては、よき目の保養
となった。

春がきたといって喜んでばかりもいられない。風が吹くとウィーンの森から
飛散する花粉に目と鼻がダウンする。目をこすり、鼻をかみ・・・と一連
の作業は忙しい。

今日の私の運勢を偶然ネットで読んだ。総合得点98点、何か新しいこと
を始めると将来の幸せにつながるのだそう・・恋愛、金運、仕事運も
まずまず・・
めったに見ないし、信じることもないのに、いいことが書かれてあると
自然とうきうきしてくるものらしい。

アイスティをごくりと飲み干したあと、観光客の波の中にまぎれこんだ。


2002年04月01日(月) 平静と憎悪の間で

今年の復活祭連休は暖かい日になった。日中には初夏の陽気さえ
思わせる。
プラターのジョギングコースは直線で4.3キロ。道の両側はジョギング用
乗馬用、遊歩道に加えてひときわ広く自転車やスケート用の道路が
走っている。

祝日でお天気がよいせいか、人出も多い。黒いベルベットのベレー帽
をかぶり、黒いズボンに、白いシャツの男の子が嬉しそうに走りまわって
いる。お父さんは口ひげをはやし、黒ずくめの帽子と背広とズボン、
一見して伝統的なユダヤ人一家だとわかる。そこから、さほど離れていない
ところに、頭からスカーフをすっぽりと巻いた女性、子ども達、男達の
アラブ系やイスラム教徒の大家族がベンチに座ってくつろいでいる。

今年に入ってから、特に2月の下旬からのパレスチナとイスラエルの
紛争は日に日に激しさを増してきた。圧倒的な武力をもつイスラエル軍
に対して、パレスチナは自爆テロで対抗し、双方で毎日死傷者を出して
いる。中東情勢が伝えられるごとに、欧州からは何と近いところで
爆弾が炸裂しているんだろうと痛ましい。ウィーンからだと飛行機で
3時間ほどのところ。

イスラエルのシャロン首相はテロに対して徹底抗戦をすると宣言した。
去年のアメリカのアフガニスタンへのスローガンと同じ大義名分を
もって、パレスチナへの攻撃の手を強めていくのだろう。

今日はパリでシナゴーグが爆破された。明日はウィーンのシナゴーグが
狙われても不思議ではない。
今日出会った男の子も、あの伝統的な服装では、いつかとばっちりを
くうかもしれないと思うと、紛争の無益なことを思い知らされる。

ウィーンは大きな事件も少なく、街も小さく平和に見えるけれど、
アメリカやイスラエル、トルコの大使館、シナゴーグの前を通ると
そこだけ戒厳令のように、自動小銃を持った警察の特殊部隊が厳重な
警備をしている。

プラターでの平和な風景が各地に伝染すればいいなと、私はまた走り
出した。


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