雑感
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2002年02月28日(木) シリングよさらば!

今日の24時をもってシリングの77年間の流通が終る。
(第二次大戦中はドイツに併合されたので、帝国マルクが流通して
いたけれど)

オーストリアの通貨切り替えは隣国イタリアと違って比較的スムーズ
に行われ、発行額2000億シリングの内1800億分は回収ずみと
記事にあった。残りの200億はどこかの隠し金庫に眠っているか、
外国でさまよっているらしい。
回収がスムーズに運んだのは、1ユーロ=13.7603の暗算がとっさに
できないので、釣銭を間違えられる心配をした人が多数いたため
ということだ。(私も該当者)

5000シリング札のモーツァルトの絵柄はエレガントで記念に
とっておきたいなと思ったけど、いかんせん邦貨で4万円近い金額
なので、とても無理。代わりに1ユーロ通貨の裏側に格落ちしてくれ
たので親しみやすくなった。

ただ、シリングで培われた値ごろ感は、なかなか矯正がむずかしい。
ユーロ表示だけだと、高いのか安いのかとっさに判断できないので
困る。新聞では、チップを多めに渡す傾向があり、自分の給料が
ユーロに換算されて初めて、愕然とする人がいるという。

第二四半期の消費者物価が上がるのは歴然としている・・ふう・・


2002年02月27日(水) 「指輪物語」と「ニーベルンゲンの指輪」

「指輪物語」の初日を見た。

見終わったあとの感想は、ああ長かった、疲れたと一緒にいた友達と
同意見だったのは、きっと原作を読んでいないのと、オリジナルで
見たから英語力がついていかなかったからかもしれない。その上お話が
完結していないから、よけいに疲れたのかも・・

さっき、「指輪物語」のサイトをのぞいたら、空前の傑作で、北欧3国は
前売り券を入手するのに徹夜の列ができたらしい。映像はすばらし
かったので、字幕スーパーで見るか、原作を読んでから見れば楽しめる
作品だと思う。全観衆を虜にするかはわからないけど。

この作品を見ているうちに、物語のモチーフが、ワーグナーの楽劇
「ニーベルンゲンの指輪」に似ているなと思った。ワーグナーはこの劇の
題材を北欧の神話からとったという。「指輪物語」の原作者トールキン
も北欧の神話を題材に物語を完成させたのだろう。

「ニーベルンゲンの指輪」はラインの黄金で作られた指輪を持つものは
世界制覇できるという言い伝えがあり、天上の神々と人間と地底の小人族
が指輪争奪をめぐって争う物語である。全4夜にわたって上演され、時間
はゆうに15時間を超える。一夜ごとに聴いても体力のいる作品。

指輪の本当の威力というのは、「指輪物語」でもはっきり見せられていな
い。指輪をはめた瞬間、相手からは見えないという利点はあったけれど、
はめていたフロドに邪悪な心が宿ったわけではない。
続編で描写されるのを楽しみにしたい。

「ニーベルンゲン・・」でも指輪そのものの威力というのは見なかった
ように思う。指輪を巡って、神々や人間や小人族の邪悪な心があらわに
なり、指輪を取り合って、殺し合いをする場面が数カ所あった。

指輪というのは、生きるものがもつ闇の部分、邪悪な心を具現したもの
として、二つの作品に使われているのかなと思う。所有とか束縛という
言葉がぴったりする宝飾品。
丸くて、完全な形をして、どこにもエネルギーの発散の場がない。
うーん、考えすぎ。持っていないもののひがみかも。


2002年02月25日(月) 上がりの職業

オリンピックが終わると、メダルを取った選手たちの中で引退を決意した
人達は、そろそろ次の職業のことを考えるのだろう。

日本のオリンピック選手を見ていると、メダル取得(それに準ずる成績)
→スポーツタレントに転向、その後政治家に転身というパターンが出来
上がっているように見える。

中には、いきなり参議院比例代表区のリストの上のほうに名前が載って
めでたく政治家になる人もいる。

アルペン王国オーストリアのスキー選手も例外でなく、オリンピック
やワールドカップで活躍した後は、スポーツタレントやコメンテーター
リポーターを経て、知名度の高い人が最近政治家に転身する例があった。

ただ、おもしろいのは、オーストリアでは政治家の後にまだ次の職業が
ある。主に産業界への重職への転身になる。

2年前まで首相を務めていたクリマ氏は、某大手自動車メーカーの
アルゼンチンのトップになった。(今回の経済恐慌で貧乏くじをひいた
と憐憫されている)
目下、財政赤字0を目指している財務大臣は若干33歳のナイスマンだけ
ど、党内のごたごたに巻きこまれ辞任の噂が流れている。次の就職先が
ドイツ系の大手スーパーの経営トップだとか・・

元交通運輸大臣は大統領選挙で破れたあとは、国営企業のトップになった。
・・と枚挙にいとまがない。これは、政治家の平均年齢が若いからとも
いえるし、政治家が天下りするシステムが出来上がっているからとも
いえる。大臣は30代後半から任命されることが多いし、首相は50歳台
くらいだから。

オーストリアでは、政府の要職でさえ次の職業のステップになっている
感がある。日本だと、党内で安定した勢力になり、安定した選挙民がいれ
ば、死ぬまで政治家でいられるけれど、この国は世代交代が早い。

先ごろから、日本の某政治家の外務省への影響力の行使が問題になって
日本の恥とか声が聞こえるけれど、世界中こういうことはまかり通って
るのだと思う。アメリカのエンロン疑惑だってしかり、オーストリアでも
某州知事が、政府や国連の取り決めを無視してサダム・フセインに会いに
いって物議をかもしているし・・

マイナス3とマイナス4のどちらかを選べと(村上春樹の昔のエッセイに
出ていた)選挙民は問われているようで、なんだかなあと思う昨今である。


2002年02月24日(日) バッハウ渓谷にて

どんよりした雲のはざまに真っ青な空が垣間見える日曜日。
歩くと吹き飛ばされそうな強風はWind(風)と呼ばずにOrkan
(オルカーン)が吹いたと言う。

Orkanと呼ぶにはちと大げさだったけど、全土で強風が吹いた日に
バッハウ渓谷までドライブに出かけた。クレムスから見たドナウ川は
濁流が川下へ猛スピードで流れている。川上りをしている蒸気船は
あわれ、青息吐息でゆっくりしか進めない。

クレムスからデュルンシュタインへ移動中に、去年のハーフマラソン
コースを逆行していることに気がついた。右手にブドウ畑、左手に
ドナウ。道はあくまでも平坦で狭いながらもきれいに舗装されている。

デュルンシュタインのトンネルを通過したとき、ここはスピッツから
確か12キロくらいだったなあと思い出した。フルマラソンのトップを
走るケニアランナーにこのあたりであっさり抜かれたのだっけ。
車はスピッツに向かう。ここは、ハーフマラソンのスタート地点。
自分の足で走ると、ずいぶん遠く感じたが車だとあっさり着いてしまう。

車をデュルンシュタインで停めて、私たちはドナウ川沿いのプロムナード
を歩いていく。
風が冷たくコートを突き抜けていくようで、思わず左手を彼のポケットに
ねじこんだ。

"Wir sind wie Bruder und Schwester, nicht wahr?"
"Ja, es kann sein." Er antwortete mit Laecheln.
"Willst Du mich heiraten?" fragte ich grinsend..
"Bruder darf nicht Schwesterchen heiraten." grinste er auch
und fuhr fort..
"Du bist ein einziger Mensch, dem ich volles Vertrauen schenken
kann."

今日が最後のドライブだったかもしれない。車を返却しなければならない
ので・・
ドナウの流れも川面を覆い被さるような雲もしっかり目に焼きつけた。
次に来るときはマラソンだろうなと心に言い聞かせた。

繋いだ手は、つかの間離れるかもしれないし、再び繋がることもある
だろう。ポケットに手をねじこんだまま、城砦へ登る石段をスキップ
して行った。


2002年02月23日(土) 雪色のシクラメン

久しぶりに郊外の大型スーパーマーケットに出かけました。
今日はどんよりして曇り空。ドライブに行く予定をショッピングに
変更しました。

スーパーの入り口に、鉢植えのワゴンに、色とりどりのシクラメン
がきれいに並んでいます。雪色の清楚なのから、サーモンピンクや
ショッキングピンクの花びらがひらひらとしています。

花を見る前に、値札をチェック。お手ごろだったので、雪色のシクラメン
を選びました。じっと見つめていると吸いこまれそうで、花がずり
落ちそうなほど、はかなげな様子をしています。

窓辺の黄色いクロッカスがしおれてしまい、部屋の中は殺風景な感が
ありましたが、シクラメンの鉢植えは寒々とした空気を和ませてくれる
ようです。真綿色したシクラメン・・という表現がありますが、今日の
鉢植えは羽二重の天女の衣のようでした。

今月末でシリングの流通は公式になくなります。今日は、いろんなものを
買ったので100ユーロほど。値段の感覚が未だに麻痺しているみたい
です。100ユーロは私には大金なのに・・

ドライブの代わりに、鉢植えのシクラメンと二人分のアップルティーと
チョコレートで怠惰な午後を楽しみました。何てことのない冬の日常が、
嬉しい日でした。


2002年02月22日(金) 二人分のモーニングコーヒー

普段から、一人前の食事やコーヒーを作っているせいだろうか、
2人分の量のコーヒーを淹れるとき、多すぎたり少なすぎたり
して失敗する。アメリカンになったり、エスプレッソに近くなったり
我ながら情けない。

一人分なら、豆はスプーン2杯、水はこれくらいと見当がつくのに。
ごはんを炊くならエスプレッソ用の茶碗2杯・・・と目分量で覚えて
いるのに。

二人分の朝食を用意するのは楽しい作業だなあと気がついたのは最近
になってからである。食パンやバターやマーマレードが倍速で減って
いくけれど・・・(←当たり前だ)

日常のあってもなくてもどうってことのない言葉、「おはよう♪」
「行って来ます♪」「ただいま♪」が、こんなにも自分の中で、
心地よく響いてくるのに驚いた。気がつかないうちに飢えていたのか
もしれない。くたびれた心身には、何よりの薬なのだろう。一粒、一粒
日常の何気ない喜びという錠剤を服用すればだんだんと回復していくと
思いたい。

当たり前の日常の光景が、嬉しく感じられるというのは、それを当たり前
だと思っていないからだろう。日常にころがっているこういう小さな
嬉しさをかき集めることができたら、その日はとても幸せな一日となるに
ちがいない。

今朝のキッチンには、コーヒーが一人前よけいに燻ゆっていた。







2002年02月20日(水) 絵画教室にて

1ヶ月ぶりに教室へ。
ここのところ、行く気がしなくて3回も休んだあと学期休みに突入して
しまった。

パレットに色をおいて、絵筆をもつとしゃきっとするのに、そこまで
持っていくのに苦労する。左手に座っているマダムは、スケートの最中
転倒してしばらく来れなかったという。絵が描きたくて、描きたくて、
今日、教室に自力で来たことを心底喜んでいた。今は、マッケの帽子屋
を模写している。

隣のクラウディアが、自分で油壷を作ったと見せてくれる。キャットフード
の空き缶に取っ手をコテでつけたものだが、いい仕事がしてある。ワインの
木箱から絵の具箱に改造したり、職人さながらの腕前。エメラルドグリーン
とターコイズブルーの光を制作中だった。

両隣の仲間の暖色と寒色の色の洪水にはさまれて、ようやく私もエンジン
がかかったみたいだ。フランツ・マルクの小鹿を模写しているが、タッチ
が上手くいかずに、3ヶ月くらいかかっている。
たっぷり1時間半ほど、絵筆を動かしたあとは、心地よい疲れがおりてきた。

そうだった。唯一の男性だったシュテファンが逝ってもう2年になる。
あれ以来、シュテファンの好きだったモネの風景画を模写する人は誰も
いない。学期ごとに人が入れ替わり、彼のことを覚えている人はほんの
数人になってしまった。

何年も教室に通っているのに、いっこうに上達しない自分の腕前と
容赦なく過ぎていく時間を見つめているうちに、終了時間となった。


2002年02月19日(火) 心に響く音

Vikram Sethの "An equal music"はペーパーバックの隙間から
音色がこぼれてくる小説だった。

480ページ読むのにずいぶん時間がかかったが、ゆっくり場面を思い
浮かべながら楽しめたので満足している。舞台がロンドン、ウィーン、
ベニスと土地カンのあるところで、ウィーンにおいては自宅の1本裏道が
リハーサル会場に登場したりと読み進めるうちに嬉しくなった。

ただ、物語自体は、かつて恋人同士だったバイオリニストとピアニストが
再会したものの、また別々の人生、演奏家としての道を歩むことになり
ハッピーエンドではない。男性のバイオリニストのわがまま、強引さが
墓穴をほったのかもしれない。夫も子どももいる耳の不自由なピアニスト
への甘えが度を越しているなと思った。

ベニスのヴィヴァルディゆかりの教会で二人がこっそりとヴィヴァルディの
ソナタを演奏した場面は美しく、活字の隙間から、メロディが流れてくる
ような感じがした。
バイオリニストがもう一度演奏しようと言ったとき、彼女はノーと応えた。

If it was perfect, since it was perfect, it is certainly not to
be done again.
(いまのが完璧な演奏だったとしたら、完璧だったからこそ、二度と演奏
してはいけないのよ。)

7、8年前までは、歌手の生の声を聞こうと、よくオペラ座に通ったものだ。
何百回と演奏される演目でも、楽団も、指揮者も歌手も、会場もどれ
ひとつとして同じものはないし、歌手の声の状態も刻一刻と変化する。

昔、「ランメルモ−アのルチア」をエディタ・グルベローバの声で聞いた
ことがあった。フルートと彼女の声が小鳥のおしゃべりのように唱和して
魂にずんと響いて涙が出そうになった。あの瞬間、あの場所で彼女の高く、
軽やかな声を聴くことができて、本当に嬉しかった。

生の演奏というものは、聴いている者の状態によっては、同じ音色が
奏でられても、天から、はらりと至福の粉雪を浴びているような気分
になる。
疲れた身体には、美しい音色、美しい文章や美しい絵を見るのが
一番いいのかもしれない。


2002年02月18日(月) ものさしの違い

オリンピックの純粋にタイムを争う競技を見ているとすっきりする。

アルペン競技やスキーの距離、スケートなどは、姿勢の美しさや
芸術点がなく、早い者勝ちというのがいい。ワールドカップで何勝
あげようが、どんなに有名な選手でも、加点要素のない一発勝負。
タイムというものさしが厳然としてあるので、審判の意向の入りこむ
余地がないからだろう。

フィギュアスケートの採点は、スピード系種目のそれと対極にある
ようだ。この種目は、審判の意向が大きく順位に左右する種目
である。シーズン始めに誰を1位にするかを決めて、試合では選手の
格付けにならって採点し、大きなミスをしない限りは順位が保障され
ているのではないかしら。それがこの競技の採点方法の常識なら、
ずいぶんと世間とかけ離れている。

何十年も見過ごされてきた、一般の人が見たら、何か変だなと
思う声が、先日のペアスケートで露呈してしまった。
閉鎖的社会の常識が、世間からみたら非常識この上ないことが今まで
まかり通ってきたのが不思議。

審判のものさしと世間のそれとが大いにずれていると感じさせる事件
だった。
それにしても、お金に結びつく競技とそうでない競技があるのは気の毒
としかいいようがない。リュージュで連続3回メダルを取った、
オーストリアのマルクス・プロックはこの世界でスーパースターである
けれど、スポンサー集めに苦労していると聞く。フィギュアスケートは
花のある、見入りも多い種目である。だからこそ、公正な審判を下して
もらえないかしらと願うばかり。


2002年02月17日(日) プラターのレース

今年初めて、プラターの記録会に出た。

結果はさんざん。わずか1キロで心臓がばくばくして、脚が前に出ない。
こんな苦しい走りは初めて。走るのを何度やめようかと思ったことか。
原因は、スポーツ貧血だと思う。蛋白質と鉄分の補給が悪ければ走れない
のはわかっていたけれど、鉄のサプリメントは去年、手術後摂り過ぎて
悪影響が出たので摂っていなかった。

今の状態では10キロも走れない。早速、身体作りに取り組むこと
にした。食事ではとても摂れないので、プロテインと少しだけ鉄のサプリ
メント、プル−ンとヨーグルトと果物を毎日摂ってみよう。

今日の走行中の心拍は180〜190くらいあったと思う。普段は
130でバイクに乗っているのに無理をしてしまった。反省。

それにしても、この記録会に出てくるランナーは平均して速い。
ハーフで1時間15分を切る人は2,3人しかいないが、ほとんどの
人が2時間以内で完走しているのがすごい。2時間を越える私はとても
走る勇気がない。ヨーロッパ人というのは、体質的に持久系に向いている
のかなと思った。80キロくらいの重たそうな人もがんがん走っている。

走るのが楽しいという気分になるためには、しっかりとした身体を作って
いかないと、苦しいレースばかりになってしまう。
レース後、60分バイク。疲れていたので、心拍数も跳ねあがった。
スティーブン・ハンターの「極大射程」を読み始める。文中の
「彼の専門は、仕事をやり遂げることだった・・」が脳裏に残る。
いつかは、フルを完走したいものだ。


2002年02月16日(土) ねこやなぎとクロッカスと復活祭

最近、寒戻りがあって空気がきりりとひきしまって冷たい心地がします。
それでも、街角では花売りの屋台がチューリップや薔薇や真っ青な
アヤメが陳列棚にいっぱいに、勢いのある色を見せてくれます。

賑やかな花をいれたバケツの横に、たくさんのねこやなぎが立て掛けて
あります。小さな者は50センチくらい、大きなのは2メートルくらい。
立ちあがった起毛の中に、薄小豆色の芽がちらほらみえて、復活祭まで
もうすぐだと知らせてくれているようです。
日保ちがするので、きれいな卵型のチョコレートでも吊るしておくと
室内がぱっと明るくなります。

スーパーの野菜売り場の横に、鉢植えの花々の特設ワゴンがありました。
ピンクや雪色のシクラメンや、オーキッド、ベンジャミンの葉っぱが
並べられています。シクラメン欲しかったのですが、値段をみてパス
しました。(涙)まだ、黄色のクロッカスが咲いているのを思いだして・・

今年の復活祭は3月31日になります。移動祝祭日は、何年経っても
慣れません。復活祭の前後の週は、欧州民族が大移動するので、決して
旅程をいれないようにします。料金も1.5倍ほど跳ねあがるので、
油断は禁物。

フィットネスクラブの帰り、大きなケーキの箱を運んでいる人の横を
通りすぎました。アーモンドクリームがトッピングされたおいしそう
なケーキです。あんな大きなケーキは、一人で食べるものではないから
シェアできる家族がいるのでしょう。羨ましい・・・
ケーキ類は、目下ご法度なのですが、どうしてもひとつ欲しくなり、
プディングブレツェルというクリーム菓子パンを買ってみました。

明日、レースがあるというのに、こんなの食べたら胸焼けがするかし
らと思いましたが、レースのあとに食べればいいのですよね。


2002年02月15日(金) アルペンスキーの女王たち

オリンピックのアルペンスキーを見るのが楽しい。昨日は女子の
複合種目を見ていた。

オーストリアは屈指のアルペン王国で、国を上げて選手を育成している。
チーム力から言えば他の追随を許さないだろう。選手はそれだけ、
がっちり管理されているとも言える。

ペトラ・クローンベルガ−は、1990年から連続3回ワールドカップ
総合優勝し、世界選手権でもオリンピックでも金メダルを取った。
10年前は向かうところの敵なしの彼女の時代だった。その直後、電撃的
に引退した。いろんな理由が囁かれたが、結局はスキーに対して情熱が
わかなくなったということが真相に近いかもしれない。23歳の引退は
誰もがもったいないと思ったものだ。

一方、同時期に活躍したアニタ・バハターは、ペトラが引退した翌年
ワールドカップ総合優勝をした。その後は、大活躍はしなかったが、
ワールドカップの大回転で手堅く何度か優勝し、チームのまとめ役
として、昨年まで現役を続けた。一昨年までは大回転の種目の成績
はまずまずで表彰台にも何度か立ったが、昨年は、出場しても旗門に
引っかかり、棄権せざるをえなかったレースを何度も見ることになった。

スポーツの世界でも他の分野でも、一度、その世界で頂点に立った人は
引き際が肝心と言われる。特に、日本では有終の美を飾って、一線を
退くことが理想とされる。

昨年、アニタはぼろぼろになって、引退発表をした。彼女はまだやれると
思っているなと言葉の端々から感じられたけど、ナショナルチームの中で
の彼女の居場所はもうなくなっていたのだと思う。それだけ、チーム内で
の競争が激しい。

アニタは引退どきを確かに逃してしまったが、彼女のスキーに対する
情熱は誰もが認めている。スキーをこよなく愛しているのが、彼女の
スキー生活からうかがえた。

何事にも好きで取り組んでいる人を見ていると、自分までも嬉しく
なる。その人を通じて、「まだ、やれるよ。」と声が聞こえてきそう。


2002年02月14日(木) プラターへの誘い

6月にプラターで開催されるオーストリアレディスランの案内状が
届いた。今年で3回目の参加になる。
先週は、プラター月例記録会の誘いがあったし、春になるとプラター
へあるいはドナウへ走りにおいでと、みんなが手招きしているみたい。

走ることが単純に嬉しいなと思ったのは、去年の10月に仕事が終わった
あと、自宅からプラターまで12キロの往復ランをしたときだった。
体調もよかったのだろう。大会で時間を気にするのではなく、走ること
自体が楽しめた。

友人からのメールで、70を越えたのおじいさんがロマンと刺繍した鉢巻
を締めて走っているという。年齢に関係なく心にロマンを持って人生に
臨んでいる限り青春なのだという気概を込めているそうだ。私も、これを
聞いていい話だなと思った。あと何年走れるかしらなんて、つまらない
ことを考えていると、生涯現役の人に笑われてしまう。物事を始めるのも
続けるのも年齢は関係ない。好きだと思えたらずっと続くというお手本を
見せつけられたよう。

体調もいまひとつ、生活の煩雑さがのしかかってきて、走る気分に
なれない日々を過ごしてきたけれど、ランの案内状や、走友からの
完走メールなどに目を通していくうちに、冬眠していた木の芽が少しづつ
生き吹くように、元気が出てきた。




2002年02月13日(水) 時間と情熱の投資

努力や猛練習という言葉には、楽しさ、喜びという成分
が欠けているような気がするので、なるべく使わないよう
に心がけています。

言葉のもつ意味そのものはとても大切なことですが、
ご時世でしょうか。上の言葉は、人気が急降下中ですね。
耳にするだけでぞっとするという人も中にはいるかもしれません。

夏時間になると、にわかに目覚めるのんびりランナーの
私が走り始めて2年が過ぎました。
ジョギングは自分のペースでゆっくり走ることと解釈して
いますが、大会に出るようになると、のほほんと走っていて
は時間制限にひっかかって最後まで走らせてくれなくなるの
で、恥ずかしくない程度に走るためには、走力を上げない
といけません。

趣味の中身をほんの少し向上させるには、時間と情熱の投資
が必要になってきます。
去年、走ることが好きな人たちと知り合いました。私も彼らも
まだ、フルマラソンを走ったことがなかったのです。1年たった
今は、彼らは、何回かフルマラソンを経験し、サブフォー
(4時間以内)を達成したり、あるいは目前というすばらしい
成果をあげています。

私はまだフルマラソンを完走する力がありません。この差は
身体能力だけではなくて、明らかに、走ることに対する時間
と情熱の差によるものだと思っています。

昨日から本格的に春が訪れたようです。花粉症の症状が
現れたら私にとっては春がきたという感じがします。
そろそろ起き出して、走ることに時間と情熱を注ぐ時期が
来たようです。
冬眠から覚めた熊のように、身体を鍛えることにしましょう。



2002年02月12日(火) 謝肉祭

テレビで、月曜日ケルンのカーニバル(Karneval)の行列を見た。
今年のテーマはどうやら総選挙が近いせいか、シュレーダー首相と
シュトイバーバイエルン州首相の対決場面をあしらったものが多かった。

北ドイツでは、カーニバルと呼び、南ドイツやオーストリアでは
ファッシング(Fasching)と呼ばれる。今日がカーニバルの日にあたり、
学校でも、職場でも、お店でも、人々が仮装して、笑って過ごす。
ものの本によると、無礼講の日で、昔はいろんな悪さをしてきたらしい。
動物をいじめる。知らない人に水鉄砲で水をかけたり、物を盗んだり
昔はひどいことをやっていた。今は、仮装が主体で、王子さまや王女さま
に変装したり、ピエロの衣装を着たり、それぞれ楽しんでいる。
学芸会を公にやっているようなものである。

今日は、仮装した人が少なかった。不景気だし、それどころでは
ないという感じもあるのだろう。

カーニバルはラテン語で、carnelevareから派生したらしい。カルネは
肉、レバ−レは取り除くの意味という。明日は「灰の水曜日」と呼ばれ
復活祭までは、肉断ちをするのが慣わし。敬虔なキリスト教徒でもない
限り、そんなことをする人はあまりいないけれど・・・
ファッシングは、辞書で語源は見つからなかったけれど、たぶん
Fasten(断食)から派生しているはず。

いずれにせよ、今日のドンちゃん騒ぎが終われば、復活祭までは
おとなしく過ごすことになる。今日は、17度。風にあおられたけれど、
復活祭よりも、一足早く春はやって来ているらしい。

窓辺においた、鉢植えのクロッカスがいち早く、春を察知して黄色の
まばゆいばかりの色を出し惜しみせずに披露してくれた。


2002年02月11日(月) ユーカリの花とフリージア

朝一番に花屋へ行き、今週の花を引き取ってきました。
今日は、オレンジの山百合に、赤い実がたわわになった房のよう
なものが目に飛び込んできました。
「この花はめずらしいけどなあに?」と花屋の主人に尋ねると
「それは、ユーカリの花だよ」という返事。
試しに葉っぱをもむと、入浴剤の香りがそこはかとなく
指間に残ります。
ユーカリの花を見たのは初めてでした。

午後、来客があり、その方からフリージアのバスケットを
いただきました。「バレンタインですから。」と・・・
黄色い小さな蕾の花は、心地よい香りがします。
バレンタインにお花をいただいたのは、たぶん初めてではない
でしょうか。先方にしたら、営業活動の一環ですが、男性から
花束を貰うのは、それが赤の他人であってもうきうきするもの
ですね。

ウィーンのレストランでカップルで食事をしていると、必ず
真紅の薔薇の花を100本くらい抱えた花売り
(たいてい、ださいおじさん)が、男性のほうに花を勧めます。
薔薇の花は、今も愛を告白する小道具に使われています。
この手の花売りが、しょっちゅう現れるので、商売はそこそこ
繁盛しているのでしょうね。

え、私ですか。今までに薔薇の花を贈られたことは、1度もあり
ません。毎年参加するマラソン大会で、ゴールした女性だけに
贈られる薔薇はゲットしました。これは贈られたのではなくて、
自力で取りにいったということなのですが・・


2002年02月10日(日) ヴァレンタイン−ところ変われば

2月14日ば聖人のヴァレンタインの日。
今ごろ、日本のデパートのチョコレート特設売り場ではいろんな
チョコレートが並べられて賑わっているのでしょう。

バブルの前に日本を脱出したせいか、義理チョコとか本命などという
言葉には出会わなかったので、2月14日のお祭り騒ぎに無駄な出費は
せずにすんだようです。

ウィーンで日本人の男性が誰かからチョコレートもらえないかと心待ち
にしても誰も贈ってくれないのです。そのことをオーストリア人に言えば
「あなたの方から奥さんや秘書に花束かチョコレートを贈るべきですよ。」
と言われるのがおちです。

由来に忠実になると、恋人達がカードや花束を交換する日、愛情の確認を
する日、あるいはお世話になっている人に花束など贈る日となるそうです。
ちなみに、チョコレートがプレゼントの主役を射止めたのは日本だけのよう
です。チョコレート業界のPRが効いたのでしょう。

欧州に限っていえば、3大プレゼントアイテムといえば、花束、チョコ
レート、ワインがずっと定番です。食事の招待を受けたときに、お土産に
持っていくものは↑のどれかを選ぶとまず間違いがありません。

チョコレートというのは、プラリーネと呼ばれ、板チョコではなくて、
1個1個種類が違うもので、子どものおやつでは決してありません。
食事が終わって、ブランデーと一緒につまんでもおかしくない一品です。

ウィーンには、「猫の舌」という薄っぺらいチョコがあります。舌に
のせるとすぐとろけてしまいます。ヴァレンタインには、デーメルの
「猫の舌」をボスがプレゼントしてくれないかしらと思うのですが、
日本人なので期待しないほうがいいのでしょう。


2002年02月09日(土) ナッッシュマルクトにて

午前10時のお日様はかなり高く上がりかけて、ぽかぽかと陽の温み
が頬に触れるようです。
こんな日は、外へ出なさいときつく言われているようで、ジャケット
を肩にかけて、ナッシュマルクトへ買出しに行きました。
別名ウィーンの台所と異名をとるくらい、長い長い市場です。京都の
錦市場を想像してもらえるとぴたりときます。
久しぶりにお豆腐を買って、蛋白源としましょう。私はオリーブが好きで
それも、中にアーモンドの詰め物をしたものがで手に入るので
面倒ながらもここまでやってきたのでした。

トルコとギリシャの食材を扱うなじみのお店で、オリーブを買うことに
決めています。それは、アーモンドを丸ごと一つオリーブに詰めてあるか
らなんです。別のお店では半分にスライスしたアーモンド入りのオリーブ
があるのですが、ちょっと物足らなくて、ここのお店のオリーブの塩かげん
がちょうど私の舌には合っているのです。

マルクトの横には、アン・デア・ウィーン劇場があります。その昔、
ベートーベンの唯一のオペラ「フィデリオ」が上演された由緒ある劇場です。
ウィーンメイドのミュージカル「エリザベート」が数年間にわたって上演され、
今は「ジキルとハイド」の看板がかかっています。

早速、オリーブをあてに、白ワインをすすりながら、「フィデリオ」を
聴きました。レオノ−レがフィデリオという名前で男装して刑務所にしのび
こんで政治犯の夫を救出する夫婦愛に富んだ物語です。ベートーベンは
このオペラを完成させるのに、10年以上もかけたそうです。序曲は4回も
書換えたので、2幕と3幕の間にオーケストラがレオノ−レ序曲を
演奏するのが慣例になってしまいました。音楽は、ベートーベンの
シンフォニーを頭の中に描いていただければいいかもしれません。オペラと
シンフォニーが合体した彼らしい、まじめな作品です。
余談ですが、初演は大失敗だったとか。

CDの整理を始めて、聴いたはしからダンボールに詰めこんでいます。
すべてのCDを詰めこむには、まだ200時間くらいはかかりそうです。


2002年02月08日(金) 宴のあとで

昨夜の舞踏会は終わった。

6万本のバラはしおれ、音楽は鳴り止み、人々は三々五々ともとの
場所に戻る。遅めの午前中、昨夜のVanity Fairの小道具がオペラハウス
の横に粗大ゴミのように朝日に照っている。

何だかすべてが夢から覚めたような感じ。オペラハウスの中は
華やかな人々が数時間前まで確かにいたはずなのに、今は跡形もなく
消えてしまった。今晩の出し物「トスカ」の舞台を作るために、大勢の
大工がせっせと働いている。
ホテル前に停まっていた雪のようなキャデラックはどこに行ったのか、
何千という豪奢なイブニングドレスは役目を終えて、クローゼットの隅
っこにしまわれるのだろうか。

壮大な舞台装置が一夜にして消えてしまうのを見ていると、ひとの生き方
も、大きな計算尺で計ったら、線香花火のようなものなのかとふと思った。
どんなに豪華な舞台を作り上げても、それは限定的なもので、ずっと
形をとどめておけるわけではない。
楽しくてもつらくても、宝石をいっぱい持っていても、何も持たずとも
時は過ぎていく。

虚飾に満ちたものの裏側はなるべく見ないほうがいいなと、今朝の
オペラハウスを眺めてため息をついた。



2002年02月07日(木) 舞踏会とデモ行進

毎年、オペラ座舞踏会のある日は、近づかないようにしているのに、
今日は、スタジオに行くので、うっかりカールスプラッツまで来て
しまった。
周囲は、警官がうようよしている。地下道は、日頃、麻薬常習者や
ホームレスの溜まり場になっているが、今日はていよく追い出された
みたい。

オペラ座舞踏会は伝統があり、各国のスーパーリッチが集まる贅沢な
夜会であるが、すこぶる評判が悪い。昔よき時代の、「会議は踊る」を
具現している。大多数の国民には関係のない行事だが、大統領から
閣僚、世界中の外交官が集い、スーパーリッチな人達がオペラ座を一夜の
魔法のお城に変えている。

ANAホテルの前に真っ白なキャでラックが待機していた。誰かお金持ちが
乗るのだろう。うろうろして、巻きこまれたら危険なので、あわてて戻って
きた。テレビでは、舞踏会の中継と、デモ行進の様子が交互に報道されて
いる。

二つの光景を見ていて、私はどちらにも含まれたくないなと思った。
生中継で、庶民の癇に障るのは、レポーターが桟敷席の貴族やスーパー
リッチの名前を挙げたり、インタビューのさいに、見られていることを
あきらかに意識している振る舞いかなと思う。デモに参加する人は、
スノッブの極みの舞踏会けしからんということなのだろう。

でも、この舞踏会がなければ、デモ参加者は不満をぶつけるところが
なくて気が抜けるのではないかしら。こんな風に舞踏会とデモは強い絆
で結ばれているらしい。

補足すると、舞踏会がけしからんということでは決してない。オーストリア人
はワルツが大すきなのだ。今宵デモに参加した人は、明日、仮面舞踏会に
行くことは十分ありうる。オーストリア人からワルツを取ると、気の抜けた
コーラみたいになると思う。

オペラ座舞踏会も国を上げてのビジネスと思えば、是非を問うことは
ないと思っている。



2002年02月06日(水) リプレイを越えて

たまたま自分の人生が、ある年齢のところで、ぷつんと切れて20年ほど
前に戻ってしまったら、そしてそれが何度も繰り返して起こったら、・・


生きていくのがいやになるでしょうね。

ケン・グリムウッドの「リプレイ」を読んで、こんなにつらい人生を
主人公はよくやっていく勇気があるなと感動しました。
この小説は、昔、友人から譲り受けたものです。ドイツ語版の翻訳もあり
何年かに一度は読み返しています。

主人公は未来に起こることを知っているので、ダービーで当てたり、
必ず値上がりする株を買って、大金持ちになりますが、人生が無意味
なものに感じられます。

小さな予定未来の改変をもくろんでも大筋では変わりませんでした。
各々の人生で、愛すべき妻や娘、友人がいればいるほど、つらくなって
いきます。自分はある時点で必ず発作が起きて、消えてしまうからです。

過去に舞い戻って、若々しい肉体を取り返しても、前の人生で得たものは
失われています。主人公が、最後に、やっと不思議なリプレイの
パターンから抜け出て、新たな気持ちで人生をやり直していこうとする
姿勢にほっとしたものを感じました。

リプレイというのは、レコードの壊れた溝が同じ箇所を回転するように、
いびつなパターンですが、ターンテーブルの上に何度も針を置くように、
人は人生を繰り返しているのかもしれないなと思いました。ただ記憶が
ないだけなのではと。

ブライアン・ワイスの著作「前世療法」や「魂の伴侶」を読むと、
人の無意識の奥深く、前世の記憶が残っていると書かれてあります。
ある女性が、カウンセリングのときに、2000年くらい前からの人生
をことごとく語っていくさまは、とても興味深いものでした。

過去の人生の記憶というものは、生きていく上で、邪魔になるのかも
しれません。だから、あえて過去のデータを消去して、新たに生きていける
ように自然のシステムができているのかなと思うのです。
でも、その記憶というものは、完全に失われたのではなく、方法によって
は取り出すことも可能で、まさにパソコン本体みたいですね。人間の
脳というものは。

明日何が起こるか自分は知りません。でも、いい方向に向かっている
と信じていれば、何とかなるかしらと、花屋の雪のようなシクラメンを
眺めて思いました。


2002年02月05日(火) 漆の実のみのるとき

エアロバイクをこぎながら、藤沢周平の「漆の実のみのるとき」を
読んでいる。藤沢作品は、「蝉時雨」と「隠剣孤影抄」を読んだこと
があるが、穏やかな文体で、風景描写が素晴らしいので気に入っている。

舞台は、江戸時代後期の借金財政にあえぐ米沢藩を立て直そうと、藩主
とその執政たちが、自らも額に汗して藩政に取り組む物語である。
瀕死直前の藩なのに、改革をしぶる守旧派との争いが描かれている。
先祖代々のやり方を変えようとせず、現実を見ようとしない人たちは
いつの時代にもいる。
何だか今の、日本の政治を見ているようで、藤沢周平の悲痛な筆致が
感じられる。

オーストリアは2年前から、欧州があっと驚く極右政党と保守党が
連立政権を担当している。この政権、欧州からのひんしゅくを買って
いるけれど、よい部分もあって、政治の風通しがすこぶるよくなった。
30年間も、政権を担当してきた社会党の、不透明な部分がずいぶん
明らかになった。社会党政治家が、見入りのいいポジションを独占して
、労働組合のトップも特権にまみれていたことが暴露されたのは、政権
が替わったからに他ならない。

さらに、国営企業の民営化の促進を実行したことは特筆すべきだと思う。
国民に痛みをともなう政策を求める一方、公務員のリストラを断行した。
郵便貯金は民間の銀行に買収され、郵便局も不採算の田舎の支店は
閉鎖された。国有財産で売れそうなものを手放して、財政を健全化
しようと務めている。歳出もずいぶん削減し、財政赤字を0にしようと
苦心している。

日本の政治家は誰かの代理で、戦後ずっと生きてきた。アメリカの代理、
ソビエトの代理、中国の代理、労働者の代理、各種団体の代理・・・
利益調整が上手くいった時期は過ぎて、今はまさしく冬の時代。
何でもかんでも、先延ばしにしているのを見るにつけ、夜道の行灯の
火がいつかふっと消えて、パニックになるのではと、いやな予感がする。


2002年02月04日(月) 源氏物語とあさきゆめみし

手元に、大和和紀のコミック「あさきゆめみし」が3巻ある。

日本語の作品は、全10巻揃えたが友達に譲った。この3巻は
ドイツ語版で、"Genji Monogatari-Asaki Yumemishi"というタイトル
がついている。
シャルロッテ・オルダーリッセンという女性編集者が、日本のマンガの
世界に引き込まれ、「あさきゆめみし」と出会い、この美しい物語を
何とかドイツ語圏にも広めたいという情熱が実り、ようやく出版までに
こぎつけた。劇画はそのままで、台詞だけドイツ語に翻訳されている。

7,8年前だろうか、この編集者が急死したか、何かの事情で出版が
できなくなり、3巻まで刊行されてプロジェクトは中止。在庫僅少で、
欲しい人は出版社に連絡するようにと新聞記事が載っていたので、
あわてて注文した。1冊、1500円くらいだったように記憶している。
今や、私の数少ないお宝となった。

先日から、源氏物語の原作の方を読んでいる。平安の大和ことばの美しさ
には、ぐっと惹かれる。わからない単語が多いけれど、口に乗せて読んで
いくと、たゆとい川の流れのような文章である。

 いづれのおほん時にか、女御更衣あまたさぶらひけるなかに、いと
 やんごとなききはにはあらぬが、すぐれて時めき給ふ、ありけり(桐壺)

(どなたさまの御世でございましたか、女御、更衣が大勢お仕えして
 おります中に、大した家柄ではありませんでしたが、ずいぶんと
 ご寵愛の深いお方がおりました。)

源氏物語をこの年になって読むとは想像もできなかったが、きっかけは、
コミックの「あさきゆめみし」だった。高校の授業で、あたりさわりの
ない抜粋を勉強したことがあったが、最初から読んでいけば、この小説、
いっきに読めてしまいそうだ。光源氏が数え切れない女性たちと契りを結
んでいく長編ロマンスである。
ハ―レクインロマンスの原型が、1000年も前に存在していたことに
驚嘆する。


2002年02月02日(土) カラスを聴きながら

早く目が覚めた朝は純粋に美しいシンフォニーやピアノ曲を聴いて、
仕事に出かけるようにしています。いい日となるようにと願いを
こめて、軽くてきれいなメロディの曲を選びます。

夜、運動して疲れた身体には何がいいかしらと思って、見つけたのが
マリア・カラスアリア集でした。La Divina 3の冒頭は、大好きな
「アンドレア・シェニエ」(ジョルダーノ作)の「ママは死んだ」
で始まります。カラスの声は、主人公になりきって、もの哀しく、
聴いていくうちに、心の琴線に触れ、うっかり涙が落ちそうになります。
フランス革命で、家も親も失った貴族の娘が、革命軍の指導者に身体
を求められたときに歌ったアリアです。

このアリア、トム・ハンクス主演のエイズを題材にした映画
「フィラデルフィア」で主人公が、独白する場面で流れます。余命
幾ばくもない、主人公が、最後の力をふりしぼって、アリアの中の
神様がささやく言葉を繰り返します。
I am divine, I am life, I am the God....I will stay by your
side and support you

マリア・カラスは20世紀で最高のソプラノ歌手でしょう。天性の芸術家
で、彼女を取りまく環境ではさまざまな軋轢がありましたが、彼女の歌唱
は、時に魂をゆさぶられます。決して美しい声ではありませんが、
主人公に成りきって、出し惜しみすることなく、舞台に全力投球しました。

それが、声帯の衰えを早め、オペラの女王であった期間は10年ほどだ
ったのですが、オペラ史上屈指の歌手であったと、カラスの録音を聴いて
思うのです。ヘビー級の声が必要とされる、ワーグナーのブリュンヒルデ
を歌いながら、軽くてよく転がる超技巧を要求される「ランメルモ―アの
ルチア」役などを同時期に歌い常に全力を尽くしたので、引退を早めたと
言われています。

晩年は、富豪のオナシスとも別れ、1977年、パリで孤独の死を
迎えました。享年53歳。

オペラやクラシック音楽は、ときに沈みがちな気分に、頑張れと手を
差し伸べてくれます。その時々の気分に合った、「この一枚」という
べきレパートリーを増やせば、日々の生活がほんのり色づくかも
しれませんね。


2002年02月01日(金) 陽光の恵み

ここ10日ほど、春めいた気候が国中に広がっている。今、15度。
陽の光が、街中に散らばり、道行く人は幸せそうなステップを踏む。

花屋の前に並べられている、シクラメンに見とれてしまった。深紅や
スノーホワイトの花が買ってくれとせがんでいるよう。
陽の光が生きているものに大きな影響を与えるのは自明のことだけど、
人の気持ちにも体調にも、大きな影響を与えている。どんより雲が下界
に降りて来ると、鬱積したような感じになるし、気圧が押している感覚が
身体中にある。

今住んでいるアパートは天井が高い古い作りなので、窓も大きく取って
あり、日中は陽がなだれこむみたいで、部屋に楽しくひきこもれる。
今度、引っ越すことになるアパートを見てきた。トルコ大使館の横で
自動小銃をかかえた戦闘服の警官が見張りに立っている。
アパートは小さくて、玄関を入ると真っ暗。天井が低く、北向きなので
陽が射してこない。これから、ここに住むのだと思うと気が沈んでくる。

部屋が狭くなるので、本や画材を思いきって処分しないと住めないと
思うと、よけいに気が沈む。最初は何も持っていなかったのだからと、
自分に言い聞かせてみる。

日没までまだ4時間ほどある。シュテファンス寺院まで散歩して、陽の
恵みを堪能してこよう。


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