雑感
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2001年11月30日(金) 真っ白な手帳

ようやく、来年の手帳のリフィルが手に入った。手持ちの手帳のサイズは
汎用版なのか、どのお店でも品切れだったが、やっと補充できた。
1ページ7日用のと年間見開き予定表を使い慣れた手帳に差込むと、自分
にも来年という時間が与えられたのだと嬉しくなった。

仕事柄、外に出て営業活動などすることもないので、予定表に書き込む
ことはあまりない。年間予定の方は、マラソン大会の日程と歯医者の日程、
絵画教室の予定を入れるだけ。
手帳と言うものを使い出したのはここ数年で、長い間手帳なしの生活を
していた。手帳を必要としないというのは、人との出会いの機会が少ない、
新しいことに出くわす機会が少ないということなのだろう。

2002年版の文庫の大きさのマイ・ストーリーブックというものを
いただいた。日付が入っているだけで中身は真っ白。2002年の自分
の物語を綴ってくださいよと言われているようで、この空白の365
ページにどんな物語で埋めていけばよいのか、わくわくするし、ちょっと
怖い気がする。今までにいろんなものを失ってきたが、時間だけはどんな
人にも平等に与えられているのだなと、いつまでも空白のページを
眺めていた。


2001年11月29日(木) 75年もつ

昨夜、絵の先生と話していて、このメーカーの絵の具の4つ☆は最低75年もつから、良質の画材を
使ったほうがいいよと言われた。画家というのは、自分の寿命よりも
作品がずっと長く生き続けることの方に関心があるのだなと改めて思った。

これまでいくつか絵を描いてきたが、制作中の楽しみに集中していて、
描き終わった後の作品には、全然関心を払わなかった。今でも、自分の
絵が、自分の寿命を超えて存在していくなんてとても想像できないけれど。

画家や作家というような、何かを創り出すことを職業にしている人が
羨ましいなと思った。人というものは、自分が生きた証(あかし)を
この地上に残していこうと、無意識にも思うのだろう。いつまでも
後世に残るような作品や、人々に語り継がれるような伝説を残した人
は、双六の上がりみたいな人生だと思う。


2001年11月28日(水) クリスマスの御菓子

クリスマス市巡りをしてレープクーヘンとシュトレンと、クッキー
を買った。最初のアドベントはもうすぐ。

レープクーヘンは全粒粉に香料たっぷりの焼き菓子。固めのケーキと
クッキーの中間あたりの食感がある。ジンジャークッキーをもっと濃く
した甘味。最初、口にしたとき何てまずい!と思ったが、慣れると
やみつきになる。
シュトレンはパウンドケーキに近い。生地の折り方に特徴がある。
中にレーズンや色とりどりのレモンピールが入っている。
クッキーは三日月型のさくっとしたものが主流で、他に杏ジャムや
苺ジャムをはさんだ種類もある。

これらのクリスマスに食べる御菓子は、ドイツとほぼ似通っている。
地域によって、微妙に違うけれど、大筋をはずれることはない。

アルプスを越えると、イタリアではパネトーネがないと、クリスマスは
祝えない。ベスビオス火山のような大型のケーキというのか、パンに
近いようなもの。500グラムと1キロのパネトーネがある。でかい!
イギリスではクリスマスプディングを食べる。これはちょっと私の好み
ではなかったけど。

日本で通常食べるクリスマスケーキのモデルは、フランスの
ブッシュ・ド・ノエルの木の切り株のようなケーキから来たのだろう
か。欧州では、クリームたっぷりの丸いケーキはクリスマス用として
見かけたことがない。

欧州は、同じような宗教的行事を祝う食べ物にも違いがあるし、
日常食べるパンひとつとっても国ではなくて、地域単位で違いがある。
同じような食材で、同じような宗教だと、近すぎてどこかに違いを、
民族としてのアイデンテティを示したい欲求がそうさせるのだろうか。
日本でどれほど、外国文化を取り入れても日本人のアイデンティティ
を失う心配はないけれど、国境と民族の境界があいまいな欧州では
隣の文化を真似しないことで、民族の独立性を保とうと無意識に働いて
いるのかもしれない。


2001年11月26日(月) 書き下ろしと連載とではどちらがえらいか

作家になるための心構えについて丸山健二は「まだ見ぬ書き手へ」の中で
連載は、公の前で練習しているようなものだから、引きうけるべきで
ない、プロの作家たるや書き下ろしで勝負!という意味のことが書かれて
あった。

はたして書き下ろしと連載とでは上下関係のようなものがあるのだろうか。
書き下ろしは、〆きりがあるけれど、自分の伝えたいことをちゃんと構成
できて、できあがった作品は威風堂々の一軒家としてしっかりしている。
作家の全エネルギーが凝縮されているので、書き下ろした瞬間はまさしく
作家冥利につきるのではないか。

一方、連載は、日刊であれ週刊であれ、書きつづけていくものだから、
できあがった作品は、エッセイであれば寄木の集成のようなものになる
のかもしれない。小説であれば、物語の山場とかゆったりする箇所など
めりはりをつけていくのがむずかしいだろう。ただ、厳然とした〆きりが
存在し、原稿が絶対に遅れてはいけないから、体調が悪かろうとアイデア
に詰まろうと書き続けていかねばならない。

私はどちらかというと、ひそかに連載の方をえらいと思っている。毎回
全力投球で書かないと、そのうち読者にあきられて連載中止の憂き目に
会うから、1回たりとも手を抜けないという緊張感が心地よさげに見える。
まんがなら、連載があたりまえで、評判が悪いと即座に打ち切りという
運命が待っているから、文章よりも質が高い作品があると思う。
連載作品があとで、単行本になって再登場するが、よく売れるのは、作品
が評価されている証拠だと思う。

週刊誌のエッセイに限って言えば、連載が続くと気づかぬうちに作品の
質が低下してしまうことがある。打ちきりにならない限り、休めない運命
とはいえ、読んでいるこちら側がしんどいと思うときもある。
林真理子の「今夜も思い出し笑い」などはやめたらいいのにと思うし、
ナンシー関も中村うさぎも、最近は読んでいてつらいものがある。
東海林さだおは相変わらず、プロの文章を食べ物に託して提供してくれる。

書くという行為は走ることにも似ているなと思う。書き下ろしはマラソンや
ウルトラマラソンに通じて、自分で道を切り開いていくような意気込みが
共通しているし、連載は毎日800メートルを全力で計測しているようだ。
雨の日も台風があっても休まないランナーみたい。
短歌や俳句は短距離走。わずかの距離のために、厳しい練習や筋トレを
するのに似ている。語数が限られているので、ことば選びは大変なのが
わかる。短距離走と長距離走では使う筋肉が違うように、書き下ろしと
連載は使う脳の部位が違うのかもしれない。

文壇の世界では書き下ろしがえらいようなので、連載に肩入れをして
しまったがどんな形であれ、自分にあった書き方で読み手にしっかり
届けばいいのだとまとめておこう。(まとめてどうする!)


2001年11月25日(日) トリエステ 歴史に振りまわされた町

スロベニア領コパールから車を走らせて、国境の検問を抜けるとすぐ
現在のイタリア領トリエステに入った。

トリエステはイタリア最右端の港町で、遠くから見ると翡翠のような海に
小高い山がせり寄っている。平地がほとんどないので神戸の町をミニチュア
したように見える。ベネチアから海岸沿いにトリエステを目指しても、
あるいは、クロアチア、スロベニア領のイストリア半島から来ても、この
港町の雰囲気はリトルウィーンだなと感じる。海岸沿いの建物がウィーンで
よく見かけるタイプだから。

トリエステは1797年まで、ベネチア共和国の支配下に置かれていた。
共和国崩壊後、イストリア半島もろとも、オーストリア領になり、海の
玄関口をもたないオーストリアはトリエステを軍港としてどんどん
投資したが、第一次世界大戦後、オーストリア帝国の崩壊とともに、
再びイタリア領に復帰した。それも、つかのまで、第二次世界大戦後、
今度はユーゴスラビアが敗戦国イタリアに侵入し、イストリア半島と
トリエステを奪ったが、国連の指導のもと、イストリア半島はユーゴに、
トリエステはイタリアにと事実上の国境が定められた。
その後1990年のユーゴ分裂で、イストリア半島の90%はクロアチ
ア領、10%はスロベニア領と分割された。

クロアチア領からスロベニア領へ、そしてイタリア領と陸続き
の国境を越えるたび、道路表示がそれぞれの国のことばで書かれている。
このあたりの土地でクロアチア語もスロベニア語もイタリア語も話せる
人が多い。ドイツに出稼ぎに出ている人も多く、ドイツ語圏からの観光客
もひっきりなしに訪れるので、4カ国語話せる人はざらにいる。

複数の外国語をあやつれる人を羨ましいと思ったことがあったが、こう
やって土地の歴史を知るうちに、この人達は必ずしも幸せではないことに
気がついた。
欧州の歴史はぼんやりした国境線を明確にするための分捕り合戦の歴史
でもあった。
生き抜くために母国語以外のことばを習得しなければならない土地が
存在する。
英語やドイツ語、日本語のように母国語だけで日常生活がこと足れると
いうのは実際にはとてもありがたいことだろうと思う。
私とて例外ではないなと思いつつ、傘の内から少し切り取られた
トリエステの碧の海をいつまでも眺めていた。1993年8月。


2001年11月24日(土) 長靴の境界はどこで引くか

イタリアの隣国に住んでいながら、3,4年前に行ったきりで
さっぱり足が遠のいていた。夏以降、立て続けにイタリアとの縁を
強くするような本や人に出会ったのは偶然だったのだろうか。

自宅の本棚を片付けていたら、塩野七生の著作(イタリア史なら今は
第一人者だろう)に再会し、なつかしい文章を味わった。続けて、
友人の日記から1960年代のイタリアでの暮らしについて書いた
須賀敦子のおだやかな文章を知った。さらに、イタリア人と結婚
している友達と話す機会があり、イタリアとの縁はますます深まった
ようだ。

イタリアというのは北と南で全く別の国かと思われるくらい違い
がある。北と南の境界はどこにあるのだろうか。以前旅行で訪れた
雰囲気ではローマの下から南かしらと思ったのだが、北部ベネト州
出身の伴侶をもつ友人が、「ポー川でしょ♪」と言ったのに笑って
しまった。
ポー川というのは、イタリアの地形を長靴にたとえてみると長靴の足
入れ部分、まさに縁にあたる。そこで線を引かれてはイタリアとしては
たまったものではないが、住んでいる当事者によって、線引きは
ずいぶんと違ってくるようだ。同じ国で、北と南が主に経済的に、また
文化的に違うというのは印象的だ。
たとえばミラノ出身のオリベッティ社に勤めるサラリーマンが、家族帯同
でバーリ支店に転勤などと考えられないのだろう。

須賀敦子の「トリエステの坂道」の中で、彼女の姑が、舅の親類のことを
いっさい口に出さなかったのは、南の人と結婚した身内がいて、当時は
とても恥ずべきことだったのではと著者は回想していた。
友達も北と南の人が結婚なんて双方の一族が黙っていないと言ったので
今でも、北と南は厳然とあるのだろう。

上記の本を読み返したり友達の話から考えて、北イタリアの人は南の人
を全く違う国の人だとみなしているのがよくわかった。ところで、
シチリアというのは、南にさえ分類されていないような気がする。
イタリア人にとってさえ、完全な異国ではないだろうか。

イタリアの地図を見ていたら、興味は長靴の上の部分の富の分捕り合戦
の地、トリエステに目が移った。


2001年11月23日(金) きついをしっかりに置きかえる

ウィーンに着いたばかりの駐在員が当地の日本人女性のきつさに
びっくりしたと言った。日本語でぽんぽんものを言うのでたじろいで
しまったそうな。

外国に長く住むと、日本人的な気配りや物言いの丁寧さが失われて
いくのもわかるきがする。自己主張をしていかないと、損ばかりするし、
第一に仕事が前に進まない。この土地で暮らし仕事をしていると、物事
を確認しながら進めていかないと、しっぺ返しをくらうことがある。
支払のさいには必ず領収書をもらい、支払った相手の名前を聞く、予約
のさいには書面で確認を取るというのは基本の基。

相手は間違えたとしても絶対に謝らないのが普通なので、いざという時
のための証拠を取っておかないと後で苦労する。
レジの打ち間違いはしょっちゅうあるし、銀行の両替でも1桁間違え
られたことがある。電話での予約が入っていなかったり、いろんな
経験をした。相手の間違いに対してはっきりクレームをつけないとその
ままになってしまう。

滞在許可の更新をするときに、役所の担当官に言われた。
「あなたは3年前から無期限の滞在資格があったのです。でも、この
国では誰も、手取り足取り教えないから、自分でどんどんやっていか
ないと物事は前に進みませんよ。」至言である。それまで毎年
更新手続きのために右往左往していたから。

当地に住む日本人女性はこの国のシステムにずいぶん痛めつけられた
というか、鍛えられてきた。誰かが気にかけてくれるまで待っていて
は何も起こらないことを知っている。
「きつい」という否定的なことばを「しっかりしている」と理解
してくれる邦人が増えてくれると嬉しいのだが。


2001年11月22日(木) お金は使うことがむずかしい

中村うさぎの「だってほしいんだもん」を読んでいて、著者はほしいものが
たくさんあっていいなと思った。

借金(クレジットカード)して、あとで支払いに困るようなことがあって
も、ものともせず狙った獲物(シャネル、グッチ)に突進していく姿が
うらやましい。彼女と同世代だけど、子どもがいないと、年をとるにつれ
それほどものに執着することもなくなり、ひとつ、ふたつの趣味のために
お金を使うのがせいぜいである。

10年くらい、こつこつと貯金をしていたが、何かの拍子で失ってしま
ったことがあった。あのとき欲しいものがあったのにぜいたくだと思って
躊躇して買わなかったのは残念だと思っている。失ってしまうことがわか
っていたらちゃんと使っていたのにと思ってもあとのまつり。

お金はたっぷりあるのに、切り詰めた生活をして貯金をする人がいる。
最初は、なにか大きな買い物をするために貯金を始めたのだろうが、
貯金額が増えるにつれて、貯めること自体が目的と化した人におめに
かかる。着たきりすずめで何億円も貯めて、栄養失調で死んでしまって
も、本人は貯めている瞬間幸せなのだろうけど、貯めることだけを生き
がいにする生き方を、見習いたいとは思わない。

お金を貯めるのはそんなにむずかしいことではないと思う。すべての
欲望をたちきり、支出をおさえていけばいいのだから。
逆に、お金を貯め始めたときの志に見合った使い方をするのは案外
むずかしいのではないだろうか。

昔は土地成金の農家には突然ふってわいたようなお金に振り回されて
人生を踏み誤るような人も多くいた。自分の生活に、多すぎる、
少なすぎるお金の存在は、自分の生き方を試されているような気がする。


2001年11月21日(水) だってほしいんだもん♪

中村うさぎの「だってほしいんだもん」を読んで久しぶりに大笑いを
した。

中村うさぎは通称ショッピングの女王様で、支出が収入を上回る
破天荒な生活をしている。シャネルやホストクラブで月に450万円も
使うのは普通じゃないが、税金や水道料金を滞納してまでもほしいもの
にお金をかけるのは、真似できないので読んでいるとすかっとする。

彼女は根っからのほしい病に取りつかれているみたいで、子供時代の
エピソードはおかしい。デパートでほしいおもちゃがあって、両親が
買ってくれないので、地べたにひっくり返ってわめいたという。ここ
までは普通の子供がやること。彼女はさらに衣服を一枚ずつ脱いで、
パンツを下ろそうとしたとたん、とうとう両親が折れた。
おもしろいエピソードに事欠かないけれど、そのおかしさを文章で伝え
るには技術がいる。
芝居でも、小説でも人を笑わせるのはむずかしい。お笑いはときに
まじめな話より下に置かれ、芸術よりは一芸のように扱われるのは
残念。


2001年11月20日(火) 私たちが見せられているもの

元CNNの売れっ子特派員ピーター・アーネットがアメリカのメディア
はホワイトハウスの意向に沿った報道をしていると批判し、メディアは
自分自身で判断するべきだと指摘した。

アメリカのメディアは先日のビン・ラディンのビデオインタビューをわずか
しか流さなかった。アーネット氏はビン・ラディンの話にはもっと
報道すべきニュース性の高い情報が含まれていたと述べた。どんなに
長くビン・ラディンのビデオが流されても、アメリカ国民は正しい判断が
できると締めくくっている。

アメリカやイギリスのメディアでは反戦デモの報道が少ないので
メディアから受け取る情報だけでは、米国民のほとんどがアフガン攻撃
を支持しているかのような印象を受ける。実際には、平和を愛する人々
がいるはずだが、そのひとたちの声をメディアで聞くことができないの
は残念。
テレビで野球やサッカーのフィールドスポーツを見ていると気がつく
が、テレビカメラを通しては試合全体の流れが見えない。
同様に戦争や災害の報道でも、映像だけでは限界がある。今、目にしてい
る光景は全体のどれくらいの割合で起こっていることなのかわかりにくい。
ものごとの全体を把握する材料が一方的に送られてくるだけなので
判断を下すのがむずかしい。
今、自分が見ている映像や情報は第三者が伝えたい情報であって、
起こっていることの全体像ではないと、言い聞かせてみるのは大切だと
思う。



2001年11月19日(月) ベネチアの魅力

ウィーン南駅22時28分発の寝台列車は翌朝8時38分にベネチア
サンタルチア駅に滑り込む。

乗り換えの要所ベネチアメストレ駅ではベネチアに来た!という感じが
まだ薄いけれど、さらに15分ほど海に向かって列車が進むにつれて
アドリア海の匂いがきつくなる。駅を抜けると運河が広がって、何か
変だなということに気づく。至るところボートやゴンドラだらけで、
車が走っていないという単純な事実に気がつくには30秒くらいかかる
かもしれない。アルプスを初めて越えた者にとっては、列車をおりた
とたん海が飛びこんでくるのだから。

アドリア海沿岸の一海洋都市がどうして世界中の観光客を引きつける
のだろうか。近くにはウィーンの匂いのするトリエステ、対岸には
イストリア半島のコパーやプーラなど美しい海岸線を持つ港がある
のに。
観光客でごったがえしていようとも、サンタルチア駅からリアルト橋を
渡りよくわからない小路をくねくね歩いていくと、自分がどの時代にいる
のかわからなくなってしまう。どんなに迷ってもしまいにはサンマルコ
広場に着いてしまう。細い路地と路地は小さな石段でつながり、バリア
フリーを提唱するには最悪の街である。車椅子や杖の必要な人は苦労する。
スロープをつける気もなさそうで、野菜いっぱい積んだリヤカーを必死で
引き揚げている男を見た。

ベネチアは十字軍以降16世紀までヨーロッパ、すなわち世界をまた
にかけた交易で潤った共和国だった。世界中の富がこの都市に流れこみ
独自の文化を開花させた。塩野七生の「海の都の物語」に詳しく書かれて
いる。
ベネチア在住の英国人作家ドナ・レオンのミステリーはベネチアを舞台に
したブルネッティ警部シリーズが有名で、小説のかしこにベネチアの小さな
バールやレストランの名前が登場し、有名なホテルの名前などを耳にする
と何だか嬉しくなる。

昨日見つけた本「ベネツィアの宿」(須賀敦子著)に著者がホテルの
小窓を開けるとフェニーツェ座のオペラのアリアと観客の咳払いの音が
飛びこんで、心を奪われたというくだりがあった。

1度訪れたことのある人なら、次に行くときはカーニバルのシーズンに
合わせることをお薦めする。街中、独特の仮面とマントをつけた人々が
練り歩き不思議な雰囲気を醸し出す。どんちゃん騒ぎと憂いが半々混ざっ
たよう。

イタリアといえば、明るい太陽、マンジャーレ、カンターレのネアカの
イメージを持つ人が多いけれど、北部ベネト州は少し冷静な匂いがする。
アルプスから吹いてくる冷たい風のせいかもしれない。



2001年11月18日(日) トルーデ・ブロゾフスキー

トルーデに初めて会ったのは1986年秋、2回目のウィーンを訪ねた
ときだった。

当時、彼が南ドイツからウィーンの大学に入学したとき、頼る相手も
なく、しかたなく訪ねた教会でトルーデと知り合い、泊まる所がない
のだと伝えると気持ちよく部屋を貸してくれたという。貧乏学生だった
ので、毎月の家賃も滞りがちだったが、いやな顔せず待ってくれた。
だみ声で、こわもてだったので、私にはとっつきにくい人だったが、
彼女の心の清らかさは、誰も踏んでいない雪の原っぱのように、
際立っていた。

トルーデは敬虔なクリスチャンで、早くに夫を亡くし子どももなく当時
既に年金生活をしていた。彼女のあっぱれなところは、自分も貧しいのに、
困っている人のために出し惜しみしなかったことである。キリスト
教徒なら宗派に関係なく日曜日ごとに若い伝道者たちを十人くらい自宅に
招いて昼食を提供しつつ、彼らの賛美歌を聴き、聖書を読み、神様の話を
するのが常だった。年金生活で足りない分は清掃のアルバイトをして賄っ
ていた。

ルーマニアのシャウシェスク政権崩壊寸前のとき、飢えた子ども達に
おいしいバナナを渡したいと一人列車でブカレストの町に行ったことも
ある。政権崩壊前に命からがら逃げてきたルーマニアの夫婦を養子縁組
し、彼らにオーストリア国籍を与えた。彼女のアパートには、いつも誰か
かれか東欧やアジアからの難民が居候していた。

トルーデには実の子どもがいなかったが、毎日誰かが彼女のところに
来て、おしゃべりをしたり、何かおいしいものを持ち寄って賑やかだった。
89年頃、心臓発作を起こし、見舞いに行くと、「私が元気で動ける時間
はあと10年くらいだろう。神様がくれた命を大切に生きたい」と言った。

彼女が電話で私たちにお願い事をするときは、きまって難民のためで、
自分のために何かを頼んだことは一度としてなかった。
最初の発作から10年後の1999年2月、致命的な発作がトルーデを
襲った。早くから、死後は献体したいと遺言を残していたので埋葬は
されなかった。

市井の人間としては、天使のようなこころねの持ち主で、彼女の生き方
を真似することはとてもできない。彼女が死んだとき、その後、お別れ
ができなかった。だから、トルーデが逝ったという感覚がなく、彼女の
声や姿は今でもはっきり脳裏に刻まれている。
7、8年前の引っ越し祝いにもらったタオルは、もう何度も洗濯して
ぼろぼろになったが、今では私たちをつなぐ唯一のものなので、ずっと
手元に残そうと思っている。


2001年11月16日(金) 不便と便利に挟まれて

冬が近づいて暖房を入れようとするときまって故障する。

毎年恒例のことだけど、自分で直せないので修理を頼むことになる。
定期的に故障するよう調節されてるみたいだと勘ぐりたくなる。
修理にすぐに来てもらえるわけでなく、数日待たされて、来てもらって
も、時間指定などできるはずもない。朝の7時から12時までの間に
伺います!と言われ、仕事にもいけない。典型的なヨーロッパ♪
料金は邦貨で2万円くらい!ワーキングクラスの我が家には手痛い
出費。

以前、実家でトイレの水が流れなくなり、修理屋に来てもらったのだ
が、夕方6時の約束でどんぴしゃりとやってきたのには驚いた。すぐに
直してくれて料金も3千円ほど。欧州のんびりぼったくり方式に慣れて
いると日本の修理屋が神様に思えてくる。

オーストリアで何かを修理してもらうのはものすごくお金がかかるので
誰も彼もが必然的に小さな故障は自分で修繕するようになる。学校で
技術家庭のプログラムがあるわけでないが、ビデオや説明書を読んで
いるうちに一通りの内装や家電の修理ができるようになるのは立派。

人は不便の中においてのみ、いろんなことを習うのだと強がりを言って
おくことにしよう。でも、3千円くらいで修理に来てくれるのはやっぱり
いい。うらやましい。


2001年11月15日(木) 食文化

欧州の食文化を、イギリス・オランダのようなアングロ・サクソン系と
ドイツ系とフランス、イタリアのラテン系に荒っぽく分けてみる。
おいしい順、食文化を大事にしている順に並べたら、にラテン系>
ドイツ系>アングロサクソン系だろう。

イギリスの家庭の食事はおざなりと言われるけれど、イギリスに留学して
いた友達から直接聞いてみると当たってるみたいだ。オランダも旅行した
感じや本で読んだ限りでは、食事を作ることに情熱を感じていないみたい。
インスタントラーメン一つだけでも立派な夕食と聞いて驚いたことが
あった。

ドイツ、スイスあたりの食事は味重視より栄養や量重視の傾向が強いと
思う。やたら量が多くて塩辛い思い出がよみがえる。オーストリア料理は
かつてのハプスブルク帝国の影響からか、なかなかバラエティに富んでいる
けれど、家庭料理ということになると、共働きの家庭がほとんどのためか、
食卓には冷凍食品がずらりと並ぶか、コールドミールが出されることが多い。

最近、イタリアの家庭料理のことを聞く機会があって、イタリア人が
今でも一回一回の食事に全力投球していることを聞いてびっくりした。
テーブルセッティングから始めて、プリモのパスタ料理からメインに
至るまで手を抜かずにマンマの手作りが食べられるという。
マンマはいつも料理に忙しくて家族にはあつあつのパスタを食べさせても
自分は冷めかけたものを食べているそうだ。昔ながらのやり方を変えずに
作っている。

同じ欧州といえど、食に対する姿勢も天と地ほどの違いがある。
イタリアへは、車で5時間、アルプスを越えると空の色や空気まで違って
くる。
ハンガリーへは車で1時間ほど、スロバキアへは30分と隣県にいく
ようなものだけど、食べるという点についてはずいぶん違う。それは
パンの種類をみていると如実にあらわれる。陸続きの国が寄り集まって
いろんな民族が混じり合っているので、小さな違いというものに大きな
価値を置いているのだろう。


2001年11月14日(水) 留学について

留学する心構えについて、まず目的をもてと一段高いところから意見
する人がいる。

若いうちに留学する人が、高い志をもつにこしたことはないけれど
20代くらいで、自分が何をしたいかなんてなかなか決められないと
思う。20代から30代というのは、自分が社会に仕事面でどんな貢献
ができるか探す時期ではないかしら。

イタリア文学の紹介にたずさわり、鋭い描写力のある随筆家の須賀敦子
のローマ留学は、あやしげな奨学金が見つかり、何となくだったし、
イタリアやローマについてのおびだたしい作品を書いている塩野七生も
最初のイタリア留学は遊学だっと聞く。須賀敦子と同時期にアメリカや
欧州を放浪した犬養道子も、大いなる好奇心から日本を飛び出した。

上の3名はすばらしい業績を残しているけれど、世間の耳目を集めるよう
な活躍をせずとも、自分はいったいどんな人間か、世界の成り立ちなんか
を知りたいと思って遊学するのはいいことだと思う。言葉を習い、他の国
の人々やその属する社会が自分とは違う風に考えていることを知るのは
自分の頭をやわらかくするには、その後の人生でプラスになる。
ただ気を付けるのは、それぞれの外国の日本人社会にどっぷりはまら
ないようにすることだろう。一生つきあいがいのある友人が見つかった
のなら、それもよいかも知れないけれど。

かくゆう、私も26歳で欧州に飛び出した。特に目的があったわけでな
い。そのまま何となくこちらにとどまっている。留学することで、世界は
矛盾や違いにあふれていると肌で知るだけでも成果はあったと思うのだ。


2001年11月13日(火) 人質カノン

休暇中は走ることと読書で一日が過ぎていく。
長く本を読まなかったので、いっぱい本を読んでも、走ったあとの
水分補給するみたいに満腹になることがない。脳のインプットと
アウトプットのバランスを調整中。

宮部みゆきの「人質カノン」を読んだ。7つの短編にはどれも人間関係
につまづいた人々の弱い面が著者のやさしいまなざしを通して語られて
いる。
恋人に裏切られた人の殺意や自殺願望、ひきこもり、学校でのいじめ
に対して、頑張れ!立ち向かっていけ!など正論をふりかざさないと
ころがいい。弱りきった心から立ち直るには、自分の力しかないのは
当事者もよくわかっている。それぞれの主人公は、自分と同じような
しんどい立場の人たちとふとしたことで関わって、気にかけていくう
ちに、もう一度生きてみよう、人生の意味を探していこうとエネルギー
を得ていくところはとても共感できる。

著者は多作であるのに、作品の質がいつも高いところを維持しているの
はすごいなと思う。


2001年11月12日(月) 走ること・生きること

友人が2回目のフルマラソンで4時間6分台を出した。
こういう知らせを聞くと、素直に嬉しい。運動能力も違うけれど、いつか
自分もフルマラソンを走って、記録を伸ばしてみたいと意欲がわく。
今は、ハーフでも制限時間ぎりぎりで、速く走れないけれど、地道に
トレーニングしていれば、この年齢でもある程度走力がつくだろう。

日常生活で、今年はきついことが多かったので、気力がわかないときは
この前走ったしんどいときを思い出せば、あれに比べれば今は何てこと
ないと思えてくる。
今のことでせいいっぱいで未来のことを考えられないことがあっても、
マラソン大会の予定を来年のカレンダーに書き込んでいけば、元気が
出る。


2001年11月10日(土) 異性・同性

江國香織の「きらきら光る」と村上春樹の「スプートニクの恋人」と
千葉敦子の「寄り添っては生きられない」を読んでいた。

「寄り添っては生きられない」は80年代初頭に書かれたもので、当時の
ベストセラー「気配りのすすめ」(鈴木健二著)の女性観を痛烈に批判して
いる。当時の「男は外、女は家」という価値観が大切にされた時代で、この
本は相当なパッシングにあっただろうなと思う。
今から読めば、しごく当然とされることー妻も夫も平等のパートナー、
女が仕事をするのはあたりまえーが当然ではなかった時代があったの
を思い出すと隔世の感がする。故人千葉敦子は勇気のある人だった。

90年代初めに登場した「きらきら光る」はアル中の妻と
ホモの夫とその恋人との関係をめぐるエピソードが、しごく当たり前の
状況設定みたいに、さらりと語られていておもしろい。10年前だと
カップルの組み合わせに新鮮な驚きがあったかもしれない。
2年前に出版された「スプートニクの恋人」も三角関係だけど、こちらは
レズビアンを扱っている。こちらも読んでいて、状況設定に違和感を感じ
ないのは、世の中がいろんな組み合わせを少しづつ受容しているからかしら。

欧州はオランダとドイツで同性同士の婚姻が法的に認められた。オランダは
何事にもリベラルな国なので、何でも取り入れるのが早い。ドイツはカソリ
ックとプロテスタントに州ごとに偏りがあるので北の地域はリベラルな傾向
がある。先だっても州政府の大物政治家がゲイであることを告白して話題を
読んだ。
オーストリアはカソリックなので、教会がどうしても同性同士の婚姻を
うんとは言わない。同性愛者を病気とみなしている。
夏になると欧州各地でラブパレードが実施されるけれど、まだまだ
同性愛者が大手をふって歩ける世界ではないのだろう。
自宅の周りには、レインボーマークの旗やカーテンをあしらった、彼ら
専用のバーやカフェがある。その数は毎年増えている。

時代がすすむにつれて人々の意識は確実に変化している。家庭や職場におけ
る男女の役割も平等化しつつあるし、同性愛者に対しての偏見も少しづつ
取り除かれていくだろう。
近い将来、パートナー選びの範囲がぐっと広がるかもしれない。


2001年11月09日(金) No way outからの出口を見つけるには

久しぶりの休暇。ジョギング用のシューズを買った。スケッチブック
を買った。6Bと4Hのエンピツとエンピツ削りを買った。村上春樹の
「スプートニクの恋人」、「万葉集」「源氏物語」が手に入った。

ぼけっとしているときは、考え事をして時間が過ぎる。考えても絶対
に結論が出ないし、行動にも思いにも結びつかない堂々めぐりで、
どこにも行き着かない。そういうときに出口を見つけるには、行動
するしかないのは、よくよくわかっている。

走るための一歩を踏み出すこと、一本の線を引くこと、短歌の31文字
をまとめること、文章を書くこと。エンジンを動かすためには、さあや
ろうと取り掛かるためには、最初に大きなエネルギーを必要とする。
グッズを買うことは大きな助けになる。時間と情熱だけでなく、お金の
投資も必要だと思う。

きのうは、試しにエネルギーを生み出すドーピングともいうべきグッズを
買ってみた。
すると、不思議。今日は長時間走ることができたし、本もどんどん読んで
いる。デッサンにも前向きに取り組もうと意欲がでてきた。投資大成功。
どこにも行き着かないと思っていた環状道路に出口があった。
よかった。自分ってわりと単純にできているのかも。


2001年11月08日(木) サービスは無料

サービス(奉仕)に対して、何がしかの報酬を払うのに慣れていると、
たとえば日本の飲食店でのサービスが只であることについて、驚いたり
恐縮してしまう。給仕係の人は、チップをもらえない事を前提にして
懇切丁寧な接客をしているのに、戸惑ってしまう。お客はけっこう、
わがままを言うのだけど、丁寧に応対してくれるのはこの国だけでは
ないだろうか。

わずか100円くらいの買い物で頭を下げられたりしたら、欧州式
ぶっきらぼうに慣れている私は、もっと買えばよかったかしらなどと
思ってしまう。

わずか10年前まで中欧や東欧は、店員の方が偉くて、お客は頭を下げて
買わせていただいている感じがあった。昨今は、お客と店員の立場が同等か
ちょっとだけお客の方が上になったけれど、日本のようにお客様は神様です
までは崇められることはない。

日本の接客商売をしている人たちが、お客のわがままのためにストレスを
ためないように願うばかり・・・


2001年11月03日(土) 炭疽菌の広がり

炭疽菌が欧州にもじわじわと広がり始めた。今日はドイツで菌入りの郵便
物が発見されたとの報道があった。

対岸の火事が世界中に広まってきたようだ。アメリカから来る郵便は比較
的少なかったけどドイツとなると話は別。欧州中に影響がある。そろそろ
消毒用の手袋をはめて必要ならマスクをして、開封するようにと上から
言われた。欧州にきてから、チェルノブリの原発事故による、放射能漏れ
で大騒ぎする様子も見てきたし、手紙爆弾のときも、どきどきしながら
郵便物の開封をした。今度は、粒子付きの郵便物と対峙しなければならな
い。有事のときに近づいてはいけない場所は、アメリカ、イスラエルの
大使館、ユダヤ人のシナゴーグと相場が決まっているけれど、郵便物は
どこにでも入りこむから対処のしようがない。

時代が進むにつれて、犯罪も巧妙になってきたものだ。自分の手を汚す
ことが少なくなってきたので、犯人も人を殺めたという実感がわかない
のではないだろうか。

件の消毒用手袋のことをガードマンに話したら、いまのところ必要ないと
思うといわれた。郵便職員が素手で手渡してくるのに、こちらは手袋で受
け取るというのは失礼にあたらないかなあと日本人的な考えを抱いたが、現地の人はどう感じているのだろう。今度聞いてみよう。


2001年11月02日(金) 星新一のすごさ

小学5年の頃、文庫本は大人の読むものだと思っていた。
そんなとき、弟から星新一の「ボッコちゃん」を教えてもらった。
中学生になって、共通の本棚に星新一の本がずらっと並ぶことになった。

今手元にあるのは、「妄想銀行」の1冊だけ。昭和42年の刊行。
21世紀の今読み返しても、氏のショートショートの構成の妙には
脱帽する。内容がちっとも古くない。氏の未来を読む眼力の鋭さは、
文明が進歩するにつれて証明されていくだろう。

「住宅問題」を読む。家賃無料のアパートに住む、エヌ氏は家に帰ると
何だか疲れる。ドアを開けたとたん、部屋がお喋りを始めるのだ。
「お帰りなさいませ。プーポ印のワインはお買いになったでしょうか。」
壁を見ると、コマーシャルフィルムが流れる。部屋にいる限りコマーシャル
が途切れることがない。ある日、郊外に破格の一軒家を購入して、現地
を訪れると、そこには品種改良された小鳥が企業の名前をさえずったり、
花壇の花は企業のロゴマークの花びらをつけている・・・

「陰謀団ミダス」には、消費をあおるためなら、戦争以外何をしても
許されると大義を掲げて、政府や企業やマスコミがぐるになって、
予定された犯罪をしかける。小さな事件を煽って、消費者の不安心理を
煽り、消費を拡大させていくプロジェクトは、今の時代への痛烈な
批判がこめられている。

当時ですでに800編近いショートショートを書いたのに圧倒されるが、
内容が、いま読んでも違和感を感じないのは、感じさせないように
する氏の技法によるものだろう。人物や背景はできるだけ現実味を
与えないようにする。ゆえに、いつの時代にも、幅広い読者を獲得でき
るのだと思う。氏の作品が翻訳されていないのは残念。


2001年11月01日(木) 脱獄に必要なもの

塩野七生の「サイレント・マイノリティ」に「ある脱獄記」という
文章がある。17世紀前のローマで、ある知識人が見に覚えのない罪で
投獄された。ピニャータという名前の、この知識人はいつか身の潔白が
証明されて出獄できる希望をもちながら、平行して脱獄の準備を始める。
彼は独房の中で足腰の鍛錬をし、机のうえに漆喰のかけらでチェンバロの
鍵盤を描き、知っている限りの曲を奏でて、頭の衰えを防いだ。そのうち
こっそりと小刀を手に入れ、独房の壁を少しづつ削り取っていった。
作業開始から一年後、彼は脱獄に成功した。

アレクサンドル・デュマの「モンテ・クリスト伯」は、主人公の
エドモン・ダンテスが謀られて監獄に入れられ、14年もの歳月を
かけて脱獄に成功する19世紀の長編小説である。(文庫で7巻くらいの
長さ。でも、いっきに読める)ダンテスも、囚人仲間の老人から学問
の薫陶を受け、知性をみがき、体力をつけ脱獄の機会をねらっていた。
ピニャータは希望を、生きる糧としたのに対し、ダンテスは強烈な
復讐心で独房生活を耐えた。

スティーブン・キング原作の映画「シャーシェンクの空」にも無実の銀行家
が投獄され、自由への強烈な欲求を糧として、着々と脱獄計画を立てて
いく。少しづつ壁にトンネルを掘る一方で、刑務所長の脱税に力を貸し
信用を得ていく。彼が脱獄に成功したのは、20年ほど経った頃だった。

脱獄に必要なものは、一に希望(自由への強烈な欲求や復讐心)、二に
体力、三に、知力、四に壁を削るグッズといったところだろうか。
それにつけても、いつか外にでてやるぞ!といった強烈な希望がとにかく
大事なのだろう。待っているうちに力尽きた人達はたくさんいるのだから。


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