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 別れの言葉
君と会ったのは去年の5月だったね。

君に会う前は、僕は迷ってばかりの人間だった。
心がいつもちゅうぶらりんだった。
でも、君に会ってから僕の世界は広く、大きくなった。

つらいときも楽しいときもいつも一緒にいたね。
君を傷つけてしまったこともあったけど、その時は
僕も一緒に傷ついていたよ。

あと2日でお別れだけど、別れてからも君はずっと
僕の心の中にいてくれるのかな?
これから新しい出会い、別れを経ていっても君は
いつまでも僕の心の中にいてくれるのかな?

1年半。長いような短いような時間だったね。
ちょっと前は新しい出会いを求めたりもしたけど、
いざ君と別れると思うと、心にぽっかり穴が
あいてしまったような感じがするんだ。
でもその穴に君との思い出をつめて、これからも
生きていこうと思う。


さようなら・・・京ぽん(※)。



※WillcomのPHS、AH-K3001V
2005年11月28日(月)
 ひとり大食選手権
梅田ヨドバシに行った。

買い物も終わり、さて夜ごはんでも食べようかと
レストランのフロアへ。
あっ・・・そういえば前に友人ととカプリチョーザに
行った時にライスコロッケサービス券もらったんだった。
確か財布の中に・・・ある。これは行くしかないね。

しかし注文間際に急に不安になった。
カプリチョーザの特徴は妙に量が多いことだ。
僕はどちらかといえば小食なので、カプリチョーザだと
パスタだけでかなり腹いっぱいになる。
それにライスコロッケとなると。うーむ。

女性店員さんに聞いてみた。
「ライスコロッケとパスタだと多いでしょうか・・・」
『そうですねぇ・・・当店のパスタは1.5人前くらい
ありますから』
「少量のメニューってないですかね」
『グラタンとかだと多少量は少ないかもしれません』
「もうすこし考えることにします」

とはいってもその時点ではすごい空腹。
パスタを食べたいのだ。そしてライスコロッケの券は
今使わなかったら確実に次は無い(捨てるorなくす)。
近く複数人でここに来る予定も全く無い。

意を決して男性店員さんを呼ぶ。
「えー、ライスコロッケと、カルボナーラお願いします」
『お客様・・・それだと少々量が多いかと』
「いいんです。がんばります。」
『せめてカルボナーラはやめたほうが・・・もう少し
軽いのにしたらいかがでしょうか』
「そ、そうですか・・・何が軽いんですか?」

他と言っても、ペペロンチーノもトマトソースも
ミートソースも決して軽くは無い。
が、助言にしたがってトマトソースのパスタに変更。

しばらくして運ばれてくる料理。
ライスコロッケ、でかい・・・お茶碗一杯以上の
ご飯がはいってそうだ。
パスタも、普通に多い・・・


食べる、食べる、食べる。
そういえばむかし、テレビの大食い選手権で大食いの
コツは「空気を食べないこと」って言ってたな。
できるだけ空気をいれないように・・・。

満腹感の兆しが見えた頃、料理はまだ半分だった。

ひとやすみするか・・・?
いや、ひとやすみしたら満腹中枢にさらに命令が
言って、食べれなくなるだけだ。
残すか・・・?
いやいや、自分で注文したものを残すなんて
品の無いことは出来ない!
(やってることが既に品が無い)
もう、一気に食べてしまうしかない!

そのまま食べ続け、なんとか完食。


最後はもうおいしくなく、苦しいだけだった。
気分も悪いし。

ライスコロッケとケーキとかにすればよかったと
激しく後悔。
2005年11月26日(土)
 6時間病
会社は9時から。家を出るタイムリミットは8時20分だ。

起床は6時半。一般的には余裕をとりすぎだが、
朝食後に二度寝することが多いのとおなかがゆるいと
いうリスクをかかえているのでその時間に起きることに
している。

が、社会人も3年目。最近少しずつたるんできた。

12時半までに寝れば6時半に目覚めることができるが、
それより遅くに寝ると起きれなくなってしまったのだ。
その場合、起きるのは寝てからちょうど6時間後。

6時半に目覚ましCD(今は、ペールギュント組曲より
「朝」がかかるようにしている)が鳴るのをベットから
出て4歩くらい歩いて止め、目覚まし携帯がブルブル
するのを止め、また寝る。ここまで無意識。

1時半に寝るときでも6時半に起きるつもりなのに、
目覚めたら7時半。
まだ寝坊は1回しかしたことない(その時は仮病で
会社を休んだ)が、近いうちにやらかしそう・・・。
2005年11月24日(木)
 ストックス
靴下に穴があいてしまったので、補充しようと
靴下を買いに行った。

ワゴンにばーっとつまれている靴下を見ていると、
ふと目にとまるものがあった。

・・・既に上部がよれよれ。
そりゃあひどいだろう。ゴムはどうしたんだ、ゴムは。

と思って手にとってみるとこんな説明が。

------------------------------------------------
足の構造を考えた靴下・ストックス

トップにゴムが入っていません
ふくらはぎを締め付けない
着脱ラクチン
ズリ落ちにくい
特許の靴下
------------------------------------------------

へぇぇ・・・ゴムがないのはわざとなのか。
あやしいけど・・・今ここで買わないと本当なのか
まやかしなのかがわからない。

ということで買って、今日の朝履いて家を出た。


・・・1分くらい歩いたらかなりずり落ちてきた。
まぁ、確かにまったく締め付けないわりには
致命的なほどにずり落ちたりはしないけど、
靴の中でだぶだぶするくらいにはずり落ちる。

25〜27cm用の靴下に対して24.5だから
大きいのは大きいんだけど、足は太いから
大丈夫なはずなんだけどなぁ・・・

やっぱりまやかしだ。
2005年11月21日(月)
 トランペットと僕(6)
最終回でございます。

(13)大学一年
次の日、オケのガイダンスに行った。
学内のポスターには「チューバ募集」と書いてあって
やっぱりチューバで・・・とも思ったが、N君に聞いて
みるとチューバは既に1人入部済みで、募集停止らしい。
(オケでチューバは限られた曲しか使わないので、2年に
ひとりしか募集しないのです)

ガイダンスが終わり、トランペットの人に話しかける。
初心者だから嫌な顔されるかなと思ったけど、意外と
歓迎された。2年生にも3年生にも初心者からの人が
いるらしい。そしてまだトランペットに入部希望は
来てないとのこと。(オケのトランペット・・・人気ないのかな)

それから2日くらい悩んだが、結局このタイミングを
逃したら転職のチャンスは無いと思い、オケに入ったのだった。

入学前に買っていた安いトランペットは「そんなの使わない
ほうがいいよ」という先輩の言葉によって使わず、部活の
楽器を使っていた。
大学1年の12月、楽器を購入することになった。
(財源は・・・祖母からもらった入学祝)
レッスンを受けてた師匠に予算と条件(「銀色!」)を
伝え選定してもらい、3本になったあと自分で吹いて選ぶ。

・・・そげん違いとかわからんばい。
結局、ウォーターキィ(=つばすて)がちょっと変わってて
メーカー名も聞いたことが無くて玄人っぽい雰囲気の、
「kanstul(カンスタル)」というメーカーのものにした。


(14)結局
結果的に、大学入学時点で転職して良かったと思う。
ひょっとしたら、高校からトランペットになるよりも
よかったかもしれない。
以下、良かったと思う点。

◎オケ経験
吹奏楽好き(結局オケより吹奏楽が好き)なので、
友達がいたりしなかったらオケに入ることはなかった。
そして一生オケで演奏することはなかったと思う。
と、いう点で貴重な経験だった。

◎吹奏楽にはほとんど無い「降り番」
一般的なオケの演奏会は、序曲−サブメイン−メインの
3曲。1年生の間は「全降り」だし、2年生からも
「序曲の2番だけ乗り番」とかなので曲に追われず、
莫大な時間を基礎練習に費やすことになった。

◎アンサンブル
火木土の練習のとき、降り番は合奏中ずっと食堂などで
個人練習をしている。そのときによくやったのがアンサンブル。
これもみんなが合奏に参加する吹奏楽にはなかなか無い
文化ではないだろうか。

◎けっこう初期からレッスンを受けられた
高校の時はプロに習うなんて考えてもみなかったけど、
大学では2年生くらいからレッスンを受けるようになった。
変なクセが付くのはある程度阻止できたかもしれない。
就職してから住む地域も変わってレッスンとか受けてないなぁ・・・。


(15)あとがき
そして今にいたるわけです。
ここまで全部読んだ人がいたら、ありがとうございました。
2005年11月19日(土)
 トランペットと僕(5)
(11)高校3年、部活引退後
体育祭も終わると本格的に受験勉強だ。ダークな時期を
乗り越えるには幸せな妄想。
・大学に入ったらもう数学とか物理とおさらばできる・・・!
・大学の吹奏楽部に入るんだ・・・!
と、大学生活を夢見ながらなんとかかんとか勉強した。
(ちなみに理系なので大学でも数学と物理に苦しめられることになる)

志望大学に吹奏楽団があるのは赤本に載ってたので確実だ。
この時点ではチューバを続けつつトランペットをやりたいと
思っていた。
大学の部活でチューバして、市民バンドでトランペット。
・・・でも初心者は市民バンドじゃ嫌がられるかなぁ。
じゃあ逆?でもそれだったらチューバ自分で買わないと・・・。

お正月、お年玉を握り締めて電車で30分の大きい楽器店に。
そこでトランペット・・・を買えるほどは無いので、
サイレントブラス(トランペット用)を買った。
楽器買う前にサイレントブラス。ま、買えるものから・・・ね。

3月9日。なんと志望大学に合格。E判定しか出たことが
なかったので親が喜んで一時期金銭感覚がおかしくなった。
家中の畳を換えたり、ふすまを張り替えたり・・・。
どさくさにまぎれてトランペットを買ってもらった。
ヤマハの一番安いトランペット。大学に入る前に少しでも
練習しておくのだ。100%初心者よりもそっちのほうがいい。

家の近くに、山を切り開いてこれから団地が立つぞという
広大な空き地があったので春休みはちょくちょくそこに行って
練習した。
ちょっと吹いたらすぐ口が疲れる。すぐ音が出なくなる。
はぁ・・・トランペットって難しい(というか疲れやすい)んだなと
改めて思った。


(12)大学入学
大学生活が始まって半月ほど。ついに吹奏楽団のガイダンスの日だ。
講堂のようなところで演奏を聴く。いやぁ、上手だなぁ。
もうすぐここに入るんだ。うきうきするなぁ。
・・・でもトランペットとチューバどっちにしよう??

ガイダンスが終わった。練習のこととかちょっと聞きたかったので、
なんとなくチューバの女性に話しかけた。
すると、まぁ当然かもしれないがこう聞かれた。
「あなた、チューバの経験者?」
『あっ・・・そうです。』
この時点でチューバパート確定。チューバパートの人に囲まれ、
さぁ飲みに連れて行ってあげようという話になった。

講堂から出て先輩たちと一緒に階段を下りる。階段を下りると
学生食堂があるが・・・夜なのに電気がついてる。

!!あれっ、楽器吹いてる人がいる。
!!!あれっ?高校の部活で一緒だった、ホルンのN君も食堂の中にいる。

『あの人たちも吹奏楽団ですか?』
「ああ、あれはオーケストラの人だよ」

ほぇー、オーケストラもあるのかぁ。N君は楽器続けないと
思ってたのにオーケストラに入るのかな。感想でも聞いてみるか。

次の日さっそく吹奏楽団へ。楽器を貸してもらえたので吹いて
いると、N君が現れた。
『N君はオーケストラに入るとー?』
「そうだよ。H君もB君もオケに入るってよ」

同じ部活から同じ大学に来た残りの3人がみんな違う部活とは。
N君いわく、明日はオーケストラのガイダンスだそうだ。
行くだけ行ってみるか・・・。
2005年11月18日(金)
 トランペットと僕(4)
(9)高校2年
初めてのコンクール。課題曲は1番の「ラメセス2世」・・・が
好きだったけど選択されたのは3番の「ジャンダルム」。

なぜかというと、トランペットパートがひどすぎるから。
3年生の2人(どちらも女性)は上のDとかでも普通に
はずすし、調子が悪い日はチューニングのB♭にてこずったり
するようなレベル・・・。
2年生は、入部当初3人だったのに1人に減っていた。

合奏中にいつも思っていた。
「なんでチューニングがあんなに合わないんだろう」
「なんであんなに音はずれるんだろう」
「なんであんなに音が汚いんだろう」

そんなに・・・難しいの?(と思った)

2年生の冬、だんだんトランペットを吹いてみたくなって
きた自分は、ついに強硬手段に出た。

昼休みに部室へ。部室は教室から離れた棟の端っこにあるため、
休み時間に人が来ることはほとんどない。
部室のカギは所定の場所に隠してあるので、それをつかって
部室を開け・・・。
前からチェックしてた、棚の上においやられて誰も使ってない
トランペットをバッグに入れてこそこそどきどきしながら
そのまま家に持ち帰ったのだ(ケースは部室)。
誰も使ってないんだしさ、そのうち返すからいいやん!

でもやっぱり後ろめたい。家では親にバレるのも嫌だったから
自分の部屋の本棚の裏に隠しておいて、たまに出してきて
こたつの中にベルを入れて吹いてみるのだった。
・・・ちなみにぜーんぜん吹けなかった。

しばらくしたある日、部室でカラのケースをトランペット
パートの人が開けているところに出くわしてしまった。
「あっれ〜、これ中身あったような気がするんだけどなぁ??」

数日後、こっそり楽器を戻した。


(10)高校3年
コンクールが終わり、夏休みで部活を引退。
でも3年生がもう一度だけ楽器を吹く行事がある。

それは、体育祭。
入場行進のマーチとかは1,2年生がやるが、学年対抗のため
各学年で編成された応援団と吹奏楽部メンバーが競技中しばしば
応援をするのである。
こういう応援にはトランペットが欠かせないが、うちの学年には
トランペットがひとりしかいない。
「やりますッ!トランペットやりますっ!」

こうして、体育祭でトランペットデビューしたのだった。
ちなみに・・・ぜーんぜん吹けなかった。
2005年11月17日(木)
 トランペットと僕(3)
(7)高校1年、入部
結局予定通り吹奏楽部に入った。(5)で書いたM君も一緒だ。
一年生は20人ほどいた。

入部すると楽器への割り振りがある。1年生は集められ、
どんな楽器があるかの説明を簡単に受け、希望調査が行われた。
何を書くかちょっと迷った記憶があるが、とりあえず金管楽器と
いうのは自分の中で決定していた。

第一希望 トランペット
第二希望 ユーフォニウム
第三希望 トロンボーン

みんなが書いた希望の紙を集め、先輩たちは別室で会議。
その後、その日のうちだったか次の日だったか忘れたが・・・

「チューバをちょっとひとりずつ吹いてみてください。」
ひとりずつチューバを吹いてみる。自分の番になって、
楽器を渡されて、吹いてみた。

「ぶっ。」
音が出た。

その後、その日のうちだったか次の日だったか・・・
「はい、じゃあみんなちょっと目を閉じて質問に答えてください。
・・・チューバになったら入部しない人は手を挙げて。」

たぶんすぐあげた人もいると思うが、自分はちょっと悩んで
たぶん2,3秒してから挙げたと思う。その瞬間、先輩たちが
少しどよめいたのをなんとなく感じた。ちょっと弱気になり、
ためらいがちに手を下ろした。
「はーい、ありがとう」

その瞬間になんとなくわかった。
そして僕はチューバパートになったのだった。

<ここで考察>
1.トランペットは希望者が多かった
2.ユーフォは既に先輩と意気投合して直接指名されてる人がいた
3.金管希望者なら大丈夫かなと思った

こんな理由でチューバになったんじゃないかなぁという気がする。

<ここでフォロー>
チューバが嫌だったわけではないんだけど・・・デカすぎて。


(8)高校1年、入部後
チューバパートは3年生1人、2年生1人、1年生2人。
3年の先輩はコンクールのため残ってるけど受験勉強のため
部活にはたまにしか来ない。当然一番お世話になったのは
ひとつ上のB先輩だ。

B先輩は身長180cmほど、体重は90kgほど(推定)。
そしてスキンヘッド(眉毛も無い)。とりあえず怖かった。
※スキンヘッドなのは昔の病気の影響らしい?
2005年11月16日(水)
 トランペットと僕(2)
(4)中学1年、つづき
おじさんが引越しで邪魔になったとかで、キーボードをくれた。
それまで我が家にあった楽器といえば、得体の知れない
電子オルガン。重くて動かせず、玄関にあるので弾くこともない。
キーボードは電子オルガンを捨てて玄関に設置されたが、
軽いので持ち運ぶことができた。
ドラクエ3の楽譜の中で一番音が少ない「ほこら」の曲を
ちまちまと練習する。
半分くらいまで弾けるようになったときに、なぜかおじさんから
「キーボード返して」という連絡が。キーボードは帰っていった。
捨てたオルガンは帰ってこない。我が家から楽器が無くなった。

(5)中学3年
中学校に吹奏楽部ができた。でも水泳部(副部長)と郷土部
(副部長)と生徒会があったため吹奏楽部には入らなかった。
今考えると水泳部をやめればよかったんだろうけど、当時は
そこまでして入りたいほどではなかったんだろうなぁ。

3学期の終わり、音楽の授業に先生がトロンボーンを持ってきた。
授業が終わったときに友達が「さわらしてください」と先生に
楽器を貸してもらっているのを横で見る。
友達がスライドから手を離してスライドが落下したが、先生が
ものすごい形相でキャッチ。
「おおげさだなー」と思う。(もちろんおおげさではない)

受験が終わり、無事志望校に進学することにになった。
春休み、同じ高校に行くことになったM君から志望校の吹奏楽部の
演奏会に誘われ、見に行った。その時どういう印象を持ったかは
全く覚えていない・・・

(6)高校1年
高校入学。最終的な理由は覚えてないが、吹奏楽部に入ることは
自分の中では決めていた。
下校時には1年生の下駄箱付近でいろんな部活が勧誘をしている。
「吹奏楽部どう?」と言われたので「はい。」と返事をしてみる。
吹奏楽部の部室に連れて行かれる。
部室前で名前を書かされる。既に30人ほど名前を書いていた。
「いっぱいで入部できなかったらどうしよう」とちょっと心配になる。
(そんなことは無い)

何の楽器を吹いてみたいかきかれて、「ゆーふぉにうむ」と答える。
姉の友達がその楽器をやっているらしく、名前が珍しいのだと姉に教え
られていた。ちょっと情報を仕入れてるんだぞ、ということを誇示
したかったんだと思う。「ゆーふぉにうむ」がどんな楽器かはよく
知らなかった。
ゆーふぉにうむという楽器を渡されたが、先輩はどこかへ行ってしまった。
そのあとたぶん30分くらい放置される。腕が痛くなった。

先輩が帰ってきてやっと楽器を返し、さて帰ろうかと思ったときに
トランペットを吹いてみている集団の前を通った。
「吹いてみる?」と言われたが早く帰りたかったので断る。
この時点ではトランペットを吹きたいとはあまり思ってなかったようだ。

入部する前にいろいろ楽器をためしてみようとか、先輩となかよく
なろうとかは考えてなかった。見学は入部を迷う人がするもので、
自分は入るつもりだからもう見学には行かなくていいのだ。
2005年11月15日(火)
 シエナ
日本でプロの吹奏楽団といえば、東京佼成吹奏楽団。
CDもいーっぱい出してるし、吹奏楽をやってる人なら
一回は音を聞いたことがあるはずだ。

何年か前に、「シエナウインドオーケストラ」という
プロの吹奏楽団があるという話を聞いた。
CDを出しててすごく良いという噂はあったけど、
まぁわざわざ聴いてみようという気にはならなかった。

それが最近シエナのCDを買う機会があって聴いて
みてびっくりした。

東京佼成はあまり上手じゃないとか気合が入ってないとか
いう評価をよく目にするが、とは言ってもプロなので
上手だと思う。

シエナは、「とは言っても」とか「上手だと思う」とかじゃ
なくて、「幸せ」なのである。
息が合う幸せ。音が合う幸せ。安定している幸せ。
指揮者は世界的に有名な佐渡裕さんだけど、指揮者だけの
差じゃないよね・・・?たぶん。
他のCDも買ってみようかなぁーー。
2005年11月14日(月)
 トランペットと僕(1)
日記ではなくてコラムです。しかも誰に宛てたわけでも
なく、言うなれば自分用のコラム。

持っている趣味の中で一番ウェイトが大きいのが
トランペットだ。というところに至ったあしあと。

(1)小学校4,5年
アニメおたくの姉の影響で自分もアニメおたくに。
少ないお小遣いをためて初めてアニメディアの通信販売で
買ったのが、「魔神英雄伝ワタル音楽編1」。
主題歌以外はBGMが入っているだけだがいっぱい聴く。
ここが原点な気がする。

(2)小学校6年
おじさんが病気で亡くなる。おじさん夫婦は将来生まれて
くる子供のためにファミコンを持っていたが、ついに子供が
できることは無かった。当時うちにはファミコンが無かった
ため(目に悪いとか経済的な事情とかで)、ファミコンを
譲り受ける。アニメに使っていたわずかなお小遣いは
ゲームに向かう。ドラクエ3をきっかけにゲーム音楽にも
興味を持つ。

(3)中学1年
音楽系の部活動は、女の子しかいない「音楽部」のみ。
何やってるかわからんし却下。水泳部に入る。

近所のお兄さんから古いパソコン(FM-NEW7)を譲り受けた。
電源を入れるといきなりBASIC(プログラミング画面)、
外部記憶装置はカセットテープ。
プログラミングは全く理解できなかったが、楽譜どおりに
プログラミングすれば音楽が鳴らせることがわかった。
友達のドラクエ3、ドラクエ4のCDに付属している
楽譜をコピーして、ちまちまプログラミングする。

スーパーファミコンを買ってもらった。
友達に「マリオペイント」を借りた。マリオペイントには
簡素な、本当に簡素な音楽作成機能がついている。
あまりに簡素なので、♯や♭が使えない。
「ド♯」を鳴らすにはどうしたらいいか悩んで、
「ド」と「レ」を同時に鳴らすことにした。
赤と青を混ぜると紫になるように、ドとレを同時に出したら
ド♯になるやろ。
・・・ならんかった。




全然トランペットの話にたどり着いてないけど、まぁいいや。
また続きは今度書こうっと。
2005年11月13日(日)
 鼻X
最近、鼻水のようなものに困っている。

どういうやつかというと、痰みたいな(というか痰か)
鼻水みたいなやつが鼻のすごーく奥にいるのである。
なんだかよくわからないので、「鼻X(エックス)」と
命名。

お風呂に入ったときにものすごい頑張って鼻をかんだり
痰を出す動作をしたりするとちょっとずつ出てきて
すっきりするのだが、またいつの間にかたまっている。

元から鼻炎持ちだからまぁ毎年なってたと思うんだけど、
本当に毎年同じ症状なのかはよくわからない。

これってどこにたまってるんだろう。
鼻と口がつながってるところの奥??

ウルルンで山本太郎が口から鼻にひもを通す健康法を
やらされてたのを思い出した。あれやったら
すっきりするのかなぁ・・・。でもどうやるんだろ。
2005年11月09日(水)
 あなたならどっち?
チケットをとってたマンマミーアに行けなくなったので、
劇団四季ファンMLで売ることにした。

平日昼間の公演だけど、1000回記念公演だし大丈夫でしょ。
先着1名様にゆずろうっと。

投稿したのが0時13分。で、そのまま寝たわけだが・・・。
朝見ると2通メールが来ていた。

1通目は0時32分。(名前は変えてあります)
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はじめまして。
kanaこと佐々木加奈子といいます。
チケットをお譲りいただけますか?
連絡をお待ちしております。
メールアドレスは
kanako@aa.aaaa.ne.jp です。
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2通目は2時37分。
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 すずきた様、譲るメールを見て、メールさせて頂いて
おります。山田裕一と申します。
「マンマ・ミーア」は大好きな演目の一つです。
 最近は仕事中心の生活になっていましてなかなか舞台を
観ることがなかったのですが、丁度16日はオフ。しかも1000回記念なんだ、と知り、久々に四季魂に火がつき、
是非お譲り頂けたらと思っております。
 お手数ですがご返事を頂けますでしょうか。よろしく
お願い申し上げます。
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ついつい2通目の人に譲ってしまった僕はダメ人間ですか?

1通目の人も全く問題ない、むしろ模範的なメールだと
思うけど、どうしても2通目の人に譲りたくなってしまって・・・

1通目の方ごめんなさい。
2005年11月07日(月)
 根性無し健康法
昨日会社で隣の席の後輩が風邪薬を飲んでいた。
このところずっと体調が悪いようだ。大丈夫かな。

それを見た先輩。
「オレもなんか調子悪いんだよなー。うつされたかなー」

そんなことを聞くとなんだか自分も風邪をひいているような
気持ちになる。
仕事は忙しくないし早く帰りたいけど、22時ちょうどに
やらないといけない作業があって帰れないから自分を
だまして体調を悪くするのはやめておかないと。

22時ちょうどまでは特にやることがないので、定時後は
ゴスペル教室へ。
1時間歌った後で会社に戻ろうとすると・・・なんだか体が重い。
おかしいな・・・。

会社に戻ったがさらに体は重くなるばかり。自席に座って
いるのも辛くなり、22時まで応接室でぐったりと横に
なることにした(うちの会社には保健室のようなものはない)。

で、22時の作業が終わってすぐさま帰宅睡眠。
そして今日は定時で帰ってきた。

入社して2年半が経ったが、体調不良で会社を休んだ
ことがない。
今回も治りかけているので明日も普通に会社に行けそう。

自分の場合、根性が無いのが健康維持に役立っている気がする。
他の人ならもうちょっと頑張ってしまうところでも、
きついからすぐ折れる。そうして本格的に体調が悪くなる
前に回復するのだ。

これからも根性無しで生きていこうと思う。
2005年11月01日(火)


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