皇帝の日記
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2005年02月28日(月) ウィーン・ザルツブルク

さて、ザルツブルクへバスでゴトゴトと移動。
ザルツブルクは、塩が有名だった土地。
今有名なのは、サウンド・オブミュージックの舞台だったっつーことでしょうか。
ガイドさんがしきりに「あ、あの教会で結婚式のシーンを撮影しました」とか、「この庭で子供たちが歌いながら・・・」と解説してくれるのだが、あたり一面雪景色。
真っ白でなにも見えない。
きっとすばらしい景色なのだろう。
雪が無ければ。

と、脳内で景色を修正しつつ、ザルツブルク自由散策へ。
ザルツブルクは、皇帝が大好きなモーツアルトの生まれ故郷なのだ。
生まれた家や、育った家や、日本企業が作った博物館などを見学できた。
満足。
当時のオペラ舞台の裏側を模倣した展示などもあるのだ。
小規模だけど。

ザルツブルクは観光で食べているようで、観光客向けのかわいらしいお店が軒を連ねている。
とりあえずショッピング。
ついでに、スーパーで夕飯と、ドイツビールを購入。
ビールがあほみたいに安い。

朝、ホテルで失敬したパンを昼に食べ、丘の上にある教会に向かう。
雪道をあがっていくと、降りてくる人々とすれ違う。
「どうだった?教会」
ときくと
「すばらしいよ、見ておいで」
という。
言うので、見に行ったら、閉まっていた。
くそうだまされた。
降るとき登りの人とすれ違ったが、閉まっていることは言わないでおいた。

バスに乗り込んで、ミュンヘンへ。
ミュンヘンは旅の通過都市なので観光しないが、とりあえず中心の駅だけは行ってみた。
住みよさげな感じだった。

ドイツ文化圏に入ると、公衆トイレが信じられないくらい清潔になり、飲食店が清潔になり、人々が普通に親切になった。
ビバドイツ。
そして何より嬉しいのが、布団の厚みだ。
布団が、ちゃんと布団らしい。
スペインやイタリアは、シーツに包まって寝ていたが、ドイツは布団だ。
ビバドイツ。

そして、ホテルの部屋の窓からビールの缶を出しておけば、そこはすでに冷凍庫。
キンキンに冷えたビールで乾杯だ!

テレビをぼんやり見ていたら、お尻特集をやっていた。
リーバイスに、お尻パッド入りのジーンズが出た。
というようなことをレポーターが言うと、解説のおじさんが怒り出し、「自分の尻を受け入れるんだ!!!」と怒鳴った。
アクセプト・ユア・アス
だそうです。
ふーん。


2005年02月27日(日) ドイツ・ミュンヘン・ウィーン

朝からローマを出発し、遠路はるばるミュンヘンへ。
さすがに飛行機に乗った。
飛行機の中には、沢山のドイツ人がいた。
ラテン系には、チビでデブで禿の人が多かったが、さすがに身体的特徴だけで、世界が征服できると思ったほどのゲルマン人たちです。
美人が多い。
男も女も、長身で、金髪で、整った目鼻立ちの人が多いのだ。
問題は一つだけ。

男女差が無い。

ミュンヘンで乗り換え、ウィーンへ飛ぶ。
ウィーンは二度目だ。
だがこの日は日曜日だったために、店という店は、ほとんど総て閉まっている。
観光客にとってはかなり痛い。
ツアーの皆様は、セオリー通りにシェーンブルン宮の観光に行ったが、皇帝はもう宮殿は見たので、一人別行動をとって、オペラを見に行くことにした。

公衆電話から、予約の電話を入れて、時間と場所を確認。
16時から、フォルクス・オーパーというところで、カルメンを観にいくことになった。
英語が通じてよかった。
ちょっと前に、セビリアへ行き、スペインでフラメンコを見たは、記憶に新しいし。

時間がまだ有ったので、分離派美術館に足を運ぶ。
ここには、クリムトの壁画があるのだ。
行ってみると、クリムトの壁画しかない。
うーん。
まあ、綺麗なだけではないクリムトが見れて、良かった。

以前、MQという所に遊びに行って、面白かったので、またテクテク歩いて行ってみる。
マリーテレーズの背中側にある、美術系のショッピングモールだ。
で、行ってみると、お店はほとんど閉まっていた。
しかも、ここから地下鉄に乗って、フォルクス・オーパーに行くと、丁度いいように時間を計算していたのに、なんと駅が一月から閉鎖!
がびーん。

仕方無しに、別の線の駅まで、てくてく歩く。
こんだけ異国を地図だけで歩ければ、日本で迷子になんかならないと思いきや、渋谷で迷うのだから不思議だ。

結構ぎりぎりで、オペラ会場の駅に。
ここで、ロシア人夫婦と一緒になり、やはりオペラに行くというので、会場まで歩いた。
雪が降っていたし、シベリア寒気団の影響で、マイナス10度以下になっていたので、私は寒かったが、ロシア人夫婦は寒くないと言っていた。

で、予約していた券をもらうが、なんと違う席に通されてしまった。
それに気がつかないまま、開演。
後ろのイタリア人が、うるさい。
身を乗り出すナとか、ぎゃあぎゃあ言うのだが、彼女の方がうるさいし、邪魔なのだ。
そんなに良く舞台を見たかったら、こんな桟敷席なんか買うんじゃないと、怒鳴りかけたその瞬間、すっ飛んできた係員が、私の席が違ったといって、連れ出した。
で、正しい席に通されたのだが、そんなこんなで、出だしの部分はほとんど見れずじまい。
おまけに「静かに着席してくださいね、劇の途中ですから」という係りの言葉に、皇帝はぶちぎれましたね。
ええ。
あたしは安くない金払った客で、そっちのミスで、劇を一部見れなかったんだぞー!
と、入る前に威嚇した。
黄色い猿を、舐めてはいけない。

帰りの地下鉄は、良くわからないマイナーな駅がホテルの最寄だったので、乗換えがうまくいかず、結局その前の駅で下車し、ファーストフードのハンバーガーを買って、タクシーを拾って帰った。
雪がこんこんだったし、夜も遅かったのでタクシーに乗ったが、運転手が道がわからずに、適当なところでおろされてしまい、雪道を一人こぎながら、なんとかホテルに帰る。

同じツアーの子に誘われ、夕食を持ち寄って、食べた。
味噌汁とか持ってきている子だったので、もりもりご馳走になり、満足して就寝。

この日から、なんとなく風邪をひいた気配。


2005年02月26日(土) イタリア・ローマ2

まだローマにいる。
朝は相変わらず大変にまずい朝食をとり。
あまりのまずさに、昼用弁当を作る気にもなれずに、外に出る。

すると、ヴァチカン行きのシャトルバスが停車していた。
すぐ人が一杯になるので、乗れないといわれていたやつだ。
そろそろ出発といっている。
確かに、日本人で一杯なのだが。
日本人の性質からか、二人ないし三人のグループで固まって座り、かつグループごとに間隔を開けて座っているので、ハルちゃんと別れて座って、普通にヴァチカンに行くことができた。
わずかの間でも、離れるのが嫌な人たちは、乗り損なって、タクシーかバスで行くようだった。

さて、ヴァチカン。
世界最小の国。
このとき法王が入院中だったので、主のいない国だったわけだ。
ヴァチカンはもちろん、現役の法王庁と、付属の美術館が見ものだ。
どれだけの歳月、どんな悪いことをしたら、これだけの美術品が集められるのか、というくらいの充実したコレクション。
すばらしい。

ところで、サン・ピエトロ寺院に入らなければ、有名なミケランジェロの最後の審判などを見ることができない。
で、列に並んでみると、これが東京ディズニーもかくやと思われるほどの並びぶり。
次の部屋に入ると、蛇行した列が続き、次の部屋もまた列。
この繰り返しで、ようやく最後の審判と、天井画を拝むことができたのだ。
大広間で、客が皆天井を見上げている様は、やはりシンデレラ城っぽいな、と思いました。
朝から出てきたのに、閉館時間も迫っていて、見れて良かった。

ところで、ここで記念に十字架のアクセサリーを買ったのだが。
後で聞いた所、ヴァチカンでこの時十字架を買った人は、全員ツアー中にいやな目にあっているのだった。
異教徒に呪いをかけているのかもしれない。

さて、雨の中を、もはや慣れっこの地下鉄に乗り込み、骸骨寺に行く。
骸骨で、部屋中を飾っている、変な寺だ。
つまり、建物それ自体が、大きな皆のお墓というわけで、罰当たりにも異教徒が侵入し、「やだー」とか言うわけなんだな。
これが。
入場料は只。
ココロザシを払えばいいだけ。
ところが行ってみると、三時開館だったので、近所にあるバルベリーニ美術館に先に行ってみた。

バルベリーニさんは、普通のお金持ち貴族だった人だが、今はそうでもないらしい。
コレクションを一般公開している、なかなか偉い人だ。
こっそり名画を持つのは、やめた方がいい。
皆見たいのだから、見せなさい。
で、見たかったラファエロの絵は、なんと今ヒューストン美術館に出張中!
がーん。
見れそうで、見る機会が全く無い。
コレクションは小規模なので、二部屋で終わり。
学芸員(?)のおっちゃんは、英語を勉強中で、やたら丁寧に一つ一つの絵を解説してくれたが、ひどい英語だった。
英語をローマ字読みしてはいけない。

見終わって、骸骨寺に戻るが、まだ時間が有ったので、コーヒーを飲みに、喫茶店に入る。
イタリアはサービス料が高いが、ここは特にひどく、コーヒーの単価よりも高い値段をとられた。
ひー。
そして傘を忘れる。
とりに戻ったら、あったのでよし。

骸骨寺は、すごかった。
どうすごいのかは、一見に如かずだが、すごいのですごい。
ポストカードを買い、寺の運営費にやや貢献したのち、テロテロ歩いて、トレヴィの泉に向かう。
この噴水にお金を投げ入れると、またローマに帰ってこれるというやつ。
どういう帰ってき方なのかは保障されていないので、やや不安。
さて、このお金、月曜日の朝に回収されるそうだ。
ローマ市政を支える、大切な収入源なので、やれ四枚入れろとか三枚入れろとか、うるさい。
トルコリラと、韓国ウォンの残りを入れておいた。
どちらも円に直せないほど小額。

夜も遅く、暗くなってきた頃、雨もザンザン降ってまいりました。
映画の舞台になった、スペイン階段を見てみたが、暗すぎであまり見えず、暗い写真を撮った。

夕食を、ホテル近くの適当なパスタ屋さんでとる。
イタリアは、パンは死にたくなるほどまずいが、パスタはどこで食べても美味しい。
美味しいのだ。
モー。
赤ワインをかっくらい、酔っ払う。

のらくら、歌いながら歩いてホテルに帰る。


2005年02月25日(金) イタリア・ローマ1

ローマに行った。
行った先で、ホテルに入り、そっから即自由行動。
地下鉄は危ないと言われつつ、金がないので他に交通手段も無く、テルミニ駅から出発。

昼ごはんを、ホテルから失敬したかったが、イタリアのパンの、余りのまずさに断念。
本当に、イタリアのパンはまずい!
バターもイースト菌も入ってないのか、というくらい、何かが足りないパンなのだ。

ローマ国立博物館に行く。
円盤投げをする人の像がある。
有名なやつだ。
その近くに、胸があって、女の人の像なのに、男の人でもあるという、変な像もある。
ヨーロッパでは結構ありがちなモチーフらしく、この後行くパリの美術館でも目撃した。
美術誌に載るときは、背中からのショットが多いので、わからないかもしれない。
ポストカードも背後から撮影されていた。
ここの入り口には猫がいて、なんとなく餌をもらっているようだった。
そして、自由に館内に入って、受付のとこにちょこんと座っているのだ。
愛らしい。

そこから、サンタマッジョーレ教会に行く。
散々この旅でカトリック教会を見まくっているが、さすが神の国ローマの教会。
どこの教会も、それなりの古さと、コレクションの充実。

そっからテクテク歩いて、サンピエトロ・イン・ヴィゴリ教会へ。
ちょっと高台に有るこの教会は、あんまり日本人観光客はこないのだが、ミケランジェロの三大彫刻のひとつ、モーセがいるのだ。
それだけだ。
あと、骸骨とかもある。

この辺から、かねてからもわ〜っと痛かった靴擦れが、かなりひどくなってきた。
もわ〜。
足を引きずりながら、再び地下鉄に乗り込む。
カップルの周りは、なんとなく空間ができるので、スリ対策に、カップルの近くに乗る。

ローマといえばこれ。
コロッセオに到着。
けっこう郊外にある。
コロッセオには、猫が沢山いる。
ぶくぶくと太っている。
なぜなら、どこからとも無く猫婆が出てきて、餌をやっているからなのだ。
観光客もなんとなく、猫婆にお金を置いたりしている。

とにかく足が痛くなり、夜遅くホテルに撤収。
赤ワインを飲んで寝る。


2005年02月24日(木) イタリア・フィレンツェ2

今日も朝からフィレンツェ。
一日自由行動で移動なし。
まずは街の中央にでてから、メディチ家礼拝堂に行く。
他の人とは違う所で、一族は礼拝していたのだ。
なんか、ごっついでかい祭壇がある。
美術学校の子供たちが、像をスケッチしているのを眺めながら、市場に。

いや、「市場」とメモ書いてあるのだが、市場なんか行ったかな?と思っている。
もう記憶にない。
市場?
フィレンツェで?

で、その後ヴェッキオ橋を渡る。
橋の両端は高級宝飾店がならんでいるので、入店せずにじっくり眺める。
ピッティ宮にいくと、丁度ヨウジヤマモトの作品展示も行われていた。
チケットを買いに行ったら、そのチケット売り、客もまばらなのに、隣のスタッフと話しこんでいて、ちっとも仕事をしないので、待たされる。
むっかー。
「チケット欲しいんだけど」
というと、「何のチケットが欲しいか言ったら?」と挑戦的な言葉が返ってきた。
そしておしゃべり再開。
お前ら公務員だろー!観光で飯食ってんだろー!!!!
と、内心思いながら、「あんたがどんなチケット売ってるのか、言ったら?」と言い返してみる。
「そこの看板に書いてあるから、読んだら?」と大上段のねえちゃん。
むっきー!
自慢じゃないけど皇帝、英語は話せても、読めなくってよ!(威張れない)
「読めないから説明しろ!」というと、その事態が飲み込めなかったらしく、何でもいいから見れる、共通券を出してきた。

ねえちゃん、勤務中の無駄話は慎むんだぜ・・・。

何でも見ながら、うろうろうろうろ。
ヨウジヤマモトの展示品は、私にはよくわからなかったが、美術品の中にちょこちょこ置いてあり、外国人観光客は喜んで写真をばしばし撮っていた。

さて、ここの学芸員は、なんだかぼんやり本を読みながら座っていたり、通路に輪になって話し込んでいたりして、早い話がまあ、邪魔。
ミュージアム内のカフェで昼飯を取ったが、(ホテルの朝食はまずすぎて、食べられたものじゃなかったのだ・・・)ウエイターはなんだか覇気がない。

スペイン人は、全員不幸そうに見えたが、イタリア人は幸せそうな人と不幸そうな人の両方が、半々くらいでいるようだった。
妙なテンションの高さは、躁鬱病なんじゃないかと思うんだが。

夜もふけて来たので、アカデミア美術館へ。
もう美術館だらけ。

道でジェラートを買って、食べながら歩きつつ、夕飯を食べる所を探す。
ジェラートはとても美味しかった。

さて、適当なレストランがない。
というか、やや時間が早すぎて、どこも開いていないのだ。
だがホテルは市街地にあるのでもどっていられないし、観光場所もだいたい閉まっているので、微妙に時間をつぶせない。
まあホテルの付近にも、レストランが何軒かあるという情報を添乗員からもらっているので、バスで郊外プラートのホテルに帰り、そこからレストラン探しの旅にでる。
ホテルの従業員が、適当に地図に丸をつけたところは、本当に適当で、道を一本間違えており、見つけることができなかった。
すっごく歩いてしまった。
負傷した足で。
くっそー。
雨も降ってきた。

その他の、添乗員お勧めの店も、全部閉店。
きー!!
仕方がないので、へとへとになりながらホテルのレストランに入る。
だが・・・・電気も点けてくれない。
メニューも微妙。
時間がないから、食ったらさっさと帰れとのこと。
その上、テーブルチャージ料(イタリアは、サービス料とか、食事以外の料金を、やたら取る。時々、頼んだ商品よりサービス料が高かったりする。)をやたらにとられる。
そしてそして。
まずい。

最悪だ・・・。
部屋で、昨日飲み放題のワインをくすねてきたのを、開けて飲む。
プハー。
ただ酒はうまいなー。

幸せになって寝る。


2005年02月23日(水) イタリア・フィレンツェ

フィレンツェの英語名はフロレンス。
ヨーロッパの地名は、英語になると全然違う発音になるのだ。
アメリカの友達によく葉書を出していたが、たぶん世界の秘境を旅していると思われている。
だって、聞いたことない都市名の羅列なのだ。

さて、あさからバスに乗り込み、フィレンツェへ。
いつもどおり盗んだ昼飯で食いつなぎ、芸術の都入り。

実はこの日記、当時書いた片言のメモを頼りに、記憶を呼び覚まして書いているのだが、この日のメモに「すごい、サンタマリアノベッラ駅前教会、すごい」と書いてある。
相当すごかったらしいが、記憶にない・・・。
すごいそうな。

フィレンツェは、美術収集に熱心だったメディチ家の本拠地なので、ルネッサンス美術品の宝庫なのだ。
ウフィッツィ美術館は、知る人ぞ知る、すごくすごい。
グロテスクの語源を表した天井画や、教科書に載っているような名画の群れ。
妙なポーズの像の山である。
たっぷりと、三時間以上見るが、まだ見切れない。
しかし残念ながら閉館時間で追い出される。
ドォーモはピンクと緑と白の石で作られた、菱餅みたいな色合いの建物だった。
その隣には、ジョットが設計した、華奢な塔が建っている。
これを目印にして歩き回れば、それほど迷子になることはない。

ミケランジェロ広場で、ダビデ像の偽物をみたりする。
ベッキオ橋の近くで、伝統工芸マーブル模様の紙を買う。
それに、今は亡き花の絵などを描いたりした。

夜遅いので、ツアーの皆さんが行っているレストランに合流。
夕飯を食べる。
ワイン飲み放題なので、がばがば飲んで、これ以上ないほどよぱらったが、なんだかずっと、観光中から足に違和感があった。
ホテルに帰ってから靴を脱ぐと、なんと、靴擦れで、小指のつめが薬指にざっくりと刺さり、大出血している。
はるちゃんに介抱されながら、酔っ払っていたので、さっさと眠ってしまった。
あー酔って、痛さがわからなくて良かった・・・。


2005年02月22日(火) イタリア・ミラノ・ベネチア

ミラノは朝も雪。
運転手さんの好意で、ミラノ中心街へ一度降ろしてもらう。
ナラカミーチェ!
すっ飛んでいって、欲しかったシャツをゲットー。
良かった。
ここで腹を立てていた気分が、ようやく落ち着いた感がある。
イライラは美容に良くない。
フランスは美容に良くない。

ミラノのドォーモは、ゴシック建築の傑作だそうで、何百も塔が立っているのだ。
完成に400だか500年がかかっている。
気の長い話だ。

さて、バスでえんやこらえんやこら、ベネチアへ。
水の都ベネチアで、ゴンドラに乗るのだ。
ゴンドラの予約時間まで、買い物に解き放たれる。
サンマルコ寺院のキンキラの壁画を堪能し、更にベネチアングラスを買いに出かける。

なんともかわいい、ガラスを使った小物達がいっぱい!
小躍りしながら、色々買い集める。
アクセサリーもラブリー。

本日のメインイベント、ゴンドラ遊覧。
船漕ぎのお兄さんニコラスが、かなり若くてハンサム。
当たりくじを引いた。
いえーい。
サービス精神旺盛で、色々解説してくれて、見事なコーナリングを見せてくれるのだ。
大満足。

陸に上がってから、ガラス屋さんの工房を見せてもらって、家に一個、花瓶を購入。

ベネチアの中のホテルは高いので、出てすぐのメストレという街のホテルに泊まる。
スーパーで買った食事をして、ホテルの下のバーで、白ワインをいただく。
名産地なんだそうだ。
ちょっと甘口のチョイスで、高いからグラスで我慢していると、隣の席のおじさんが、ボトル半分以上残して立ち去ってしまった。
おやおや。
と思っていると、先ほどワインの話をして盛り上がって、すっかり顔見知りになったマスターが、そのワインを、空になったグラスになみなみと注いでくれたじゃあーりませんか。
おおう。
ナイスサービス!
微炭酸辛口の白をいただき、上機嫌で就寝。


2005年02月21日(月) モナコ・イタリアミラノ

ニースを後にして、モナコへ。
ここでさらにイタリア人運転手に交代。
名前は忘れたが、あんまり運転が上手でない上に、路を間違えがちな人だった。
うーん。

モナコは二番目に小さい国。
フランスの中にある、小さな国という感じで、言葉もフランス語が公用。
観光立国なので、観光客しかいないと言っても過言ではない。
それも、フランス人が多い。
エレベーターの前で、日本人の団体が行儀良く並んでいると、フランス人団体観光客が、大胆にも全員すっ飛ばして横入り!
えー!!
と呆然としていると、なんと小さな日本人の女の子(俺様)の前に、男二人ががっちりとバリケードを作り、フランス人女性をさっさとエレベーターに入れ始めた。
えー!!
ムッシュウ、なんて野蛮な野郎。
「ちょっと、私たちも乗りたいんだけど」
と言ったら、「お前らは後」との言い草。
はあ?
無理に乗り込むと、おっさん二人に足を蹴られ、追い出された。
いってえ!
思い出すだに腹ただしい。
フランス人に災いあれ。
つうか、人種差別って、実際自分がやられると、こんだけ怒り沸騰な事はないですよ。
むっきー。
ウンコの国の住人の癖にー!

すったもんだしながら、モナコに入国すると、F1グッズが山盛り売られている。
子供用の服があまりにかわいく、親戚のチビちゃん用に購入。
子供グッズは沢山あったが、あんまりいっぱい、思うがままにお土産にしちゃうときりがない感じ。
かわいいものいっぱい。

モナコの兵隊さんの、衛兵交代式を見学して、バスに乗り込んで、今度はイタリアへ出発。
モナコを出てから1時間後、まだモナコ国旗が見えている。
どうやらバスの運ちゃんが道を間違えて、引き返してきた模様。
ちょっとー、早くミラノに着かないと、観光の時間がないじゃーん。

お昼に、また朝ホテルから失敬したパンを食べる。
ところで今日は肝休日と定めたので、飲まないのだ。

夜、暗くなってからミラノ着。
雪。
ミラノは、結局眠るだけの都市に・・・させてなるものか!
はるちゃんと夜の路面電車に乗り込み、街の中心まで出る。
同じ電車に、同じツアーの若い女の子が乗っていたのだが、プラダ本店に行きたいんだとか。
ものすごくおしゃれな洋服を着て、「こんな格好じゃ、プラダに入れないかも〜」とか言っていた。
じゃあどんなマハラジャだったらプラダに入れるんですか。

店は片っ端からばたばた閉まり始めている頃で、ろくろく買い物もできなかったが、美味しいピッツェリアで食事ができた。

ところでナラカミーチェでかわいいシャツを見つけて、どうしても欲しかったのだが、レジにカギをしてしまったとか言われて、結局売ってくれなかった。
うにゅ。

路面電車に乗り込むと、また別の女の子達が乗っていた。
ホテルに帰る電車かどうか、わからないでおろおろしていたので、帰り方、降りる駅を教えてあげたのだが、会った時に「こんばんは」と言わないばかりか、道を教えてもらっても「ありがとう」とも言わない。
連れの子に、二人ごとのように「これで良いんだってー」とか言っているのだ。
まるで私の声は、神のお告げのように、降って沸いたかのようだった。
透明人間。
君たちには、旅行する権利はあっても資格はない。
基本挨拶ができるようになってから、おうちから日本から出なさい。

ミラノの雪は横殴りに吹雪いていました。


2005年02月20日(日) フランス・エクスプロバンス・カンヌ・ニース

まだ南フランスをめぐる。

マルセイユをバスで出て行き、エクスプロバンスへ。
ここも特に有名なものは無いが、セザンヌの故郷だ。
セザンヌのゆかりの地があるわけなのだが、日曜日なので店はほとんど閉まっているし、選挙の日なので変なビラを配っている学生がいるし・・・。
うーん、と思いながら、うろちょろしているうちに、自由時間終了。
実際、エクスプロバンス以上にオーガナイズされていない散策は無かった・・・。
しょぼん。
犬と鳩の糞だらけだし。

バスでカンヌに到着。
カンヌは映画祭が開かれる土地。
とりあえず赤絨毯がひかれる階段を見学後、アンティーク市場が開かれていたので見学。
ガラクタが多い。

またバスにのり、ニースに。
ニースはこの時期、カーニバルが開かれているので、道がやや混雑気味だった。
比較的早い時間にホテルにつけたので、ニースの現代美術館へ。
美術館へ行くまでの道に点々と落ちている犬の糞。
んー。
そして美術館の入り口付近には、明らかに人糞と思われるものが、山盛り。
フランス人・・・。
なに考えて生きてるんだ。
シルブプレ。

なんとこの日は休日なので、入場料フリー。
すばらしい。
すばらしいが、ウンコの町、ニース。

ぶらりと入ったレストランで夕食。
エスカルゴをいただく。
本日は白ワインであわせてみました。
はるちゃんと、大盛り上がりでエスカルゴを食べてたら、隣の席のイギリス人が、興味深げに東洋人を観察していた。
すいませんねえ。
東の果てから来たもんで。
このレストランは、ほどほどの値段なのに、全ての料理がうまかったので、当たり。
エスカルゴで盛り上がっていたせいか、お店の人にカードとばらの花をもらう。
ご馳走様でした。
ばらの花をぶん回しながら、酔っ払いはご機嫌でホテルに帰還。


2005年02月19日(土) フランス・アルル・アヴィニョン・マルセイユ

朝早くから、バルセロナを出発。
南フランスアルルを目指す。
ここで、今までスペイン中をめぐってくれたバスの運転手、アレキサンドロさんとお別れ。
フランス人の運転手、アルベルトさんになる。
フランス国内では、バスの乗務員全員のシートベルト着用が義務付けられている。
早速着用!
と、なんだかとっても締め付けがきつい。
ぎゅーっと腹を押さえつけられて、苦しいことこの上ない。
ぎゅー。

アルルは、特に有名なことはないが、今話題のゴッホが一時期生活の場を置き、相当数の作品をかき上げ、ゴーギャンと同居した土地として有名。
ゴッホが描いた跳ね橋を、運転手さんの好意で見に行く。
アルルの町並みは、古い建物がそのまま残されていたりする。
散歩してみる。
明日日曜日にEU法の制定選挙が行われるため、せっかくの古い町並みなのに、学生たちの抗議落書きが点々としている。

朝早すぎて店が開いてなかったので、生鮮市場みたいなとこで、チーズとオリーブのサバ巻きを購入。

ローマ時代の闘技場を見に行く。
そういえば、スペインにはあまりこの時代の遺跡がなかった。
ローマの威力は、この辺までが限界だったのか。
猫がわらわら住んでいた。
鳩も沢山巣くっており、糞との闘いが始まった。
というか、フランスに入ってから、犬の糞だらけ。
糞の国だな、フランスは。

本日も、ホテルの朝食盗品で作る、スペシャルランチ。
それに、市場で買った食材をあわせて、ちょっと贅沢に。

バスでアヴィニョンへ。
アヴィニョンには、法王庁が存在する。
ローマ法王が、しばらくの間アヴィニョンに居を移していたのは世界史の教科書に載っていると思われる。
法王庁はさすがにでかい。
そして、キリスト教美術品の充実振りは、さすがの一言。
ボッティッチェルリは有名だが、その他にもフィリッポ・リッピなどの名画が、所狭しとならんでいる。
法王、どんなことしたらこんだけの財を集めることができるんだ。

最近は東洋史にも光を当てようと、西洋史の記述が教科書から追い出される傾向にあるようだが、やっぱこういう知識は必要だよなあ、という気持ち。

夜、マルセイユに到着。
ホテル周辺はあまり何もないが、とりあえずピザを食べに行く。
道であったおじさんに、「どこから来た」「東京?ベトナムか!」と妙なことを言われる。
ワインを飲んで、ご機嫌で就寝。
そろそろ肝臓を休ませなければ。


2005年02月18日(金) スペイン・バルセロナ2

バルセロナ一日自由行動。
今日も朝からガウディめぐり。
彼のデザインであるカサ・ミラという、アパートみたいな建物に行く。
朝一なのですんなりは入れたが、帰りには長蛇の列になっていた。
中においてある家具も、ガウディの作品。
中々斬新。
ぱっと見まとまりなく見えるが、一個一個見てみると、ちゃーんとかわいかったりするから不思議だ。

近所にもう一件カサ・バトリョというおんなじような建物があるが、こちらは入場料が法外に高かったので、入っていない。
高かった、ということばっかり覚えていて、はたしていくらだったのか覚えていない。

地下鉄に乗って、動物園に行く。
皇帝は、知る人ぞ知る動物園大好きっ子であるから、当然、チャンスがあればいろんな国で動物園を急襲している。
さて、ここバルセロナの動物園、なんと檻がない。
檻がない代わりに、横浜のズーラシアと同じく、堀や段差によって動物を閉じ込めているのだ。
檻に邪魔されずに、動物を見ることができる。

この動物園の売りは、世界に一頭しかいない白ゴリラ。
だが残念ながら大分前に彼は死んでしまったそう。
代わりにというか、白いカンガルーや、白い蛇がいた。
白が好きですか。

そろそろお昼にしようかな〜と思っていると、人々が水族館の方に吸い込まれていく。
なんと、丁度イルカのショーが始まる所だったのだ。
わー。
もちろん進入。
しかも無料。
イルカよりも、観客の以上な盛り上がりを観察。

見終わってから、外のベンチで、いつもながらホテルの朝食で作ったお弁当を食べる。
すると子供たちがわらわら集まってきて、騒ぎ出した。
うるさいな〜と思ってむっとしていると、子供らが野鳥たちを追いかけ始めた。
はじめはすごい声で威嚇したり、足をドンドンと踏み鳴らして追い返していたが、そのうち太い枝を拾い上げ、突っついたり打ち始めた。
野蛮・・・。

ギャーギャー叫びながら鳥を追い詰めていく子供たちの姿に、狩猟民族の真髄を見たのであった。
怖えー。
引率の先生、黙殺。

よろよろと草むらから出て来た猫は、顔面傷だらけ、体中の毛があちこち剥けている。
何があったんだ・・・。
近づくと逃げ出す。
怖えー。

さて、昨夜ピカソ美術館のすぐ近くで見かけたテキスタイル美術館に行ってみる。
ミュージアムショップの品揃えがかわいく、時計やピアスを購入。

ホテルに一度荷物を置きに帰ってから、近代美術館に行く。
閉館まで一時間、猛ダッシュで駆け抜けるように見学。
美術館前の噴水では、オーケストラが生演奏する音楽にあわせて変化、変色、変形するイベントがある。
だが期間限定で、夏季のみ、週末オンリーと言う話だったが、この日は運良くリハーサルのために夜三回オーケストラが演奏した。
丁度閉館と同時に開始したので、いいポジションで見学することができた。
何故か選曲がスピルバーグの映画音楽ばかりだった。
なんか提携しているのだろうか。

夜、バル(スペイン式バー)でビールを飲む。


2005年02月17日(木) スペイン・バレンシア・バルセロナ

朝からバスに乗り込み、バルセロナへ向けて出発。
そろそろ、バスに飽きてきた・・・。
バスの中では、添乗員さんの好意で、スペイン語講座が開かれているので、眠れそうで眠れない。
あと、日が当たっていると暑い。

バルセロナといえば、ガウディ。
ガウディの変な建物が、あっちこっちにある。
その中でも、モンジュイックの丘にはガウディの作品が目白押し。
はるちゃんのお父さんは建築家なので、興味深く見学する。
本当に、建ってるのが不思議なくらい変な建物ばっかりなのだ。

まねをしているのか、ガウディチックの変な建物がひょこひょこあるのだが、やっぱり曲線の調和ぶりが甘いのか、ガウディじゃないということだけはすぐにわかってしまうのだ。
で、誰の作品だかはわからない。

もちろんサクラダファミリアに入る。
ツアーの学生の中で、バスから降りた途端「えー工事中じゃーん」と言った人がいて、びっくりしましたよ、私は・・・。
工事中だよ。
むしろそれが売りなんだ・・・。

町の中心で自由行動。
カテドラルに行こうと思っていたのだが、よくわからない教会に迷い込んでしまった。
小さくて無名な感じの教会なのだが、中でダリ展を開いていた。
さらに、12世紀の教会美術品が所狭しと飾られている。

大事な所が描かれていない、キリストの絵が(でもヌード)飾ってあって、微妙な気持ちになった。
あるべきところに無いと言うのは、変に人の注視を集めてしまう。

スペインの夜は遅い。
かなり遅い時間だが、ピカソ美術館はまだ開いていたので、迷路のような道を行きつ戻りつしながら、美術館に何とかたどり着く。
ピカソは作品が多いので、ヨーロッパのあっちこっちに美術館がある。
ありがたみもやや薄い、が、皇女の肖像画を変形させた一連の作品は面白かった。
それと、ここバルセロナのピカソ美術館は、ピカソ以前のピカソシリーズが充実していることで有名で、青の時代以前の、普通の絵を書いていた頃のものが沢山あるのだ。
母親が捨てがたくて、とっておいたものなど。

夜、昨日スーパーで2ユーロで買っておいたCAVAというワインを飲む。
もう腹をくくった。
飲む旅行なのだ。


2005年02月16日(水) スペイン・グラナダ・バレンシア

白い海岸、と呼ばれるアリカンテまでバスで移動。
冬のヨーロッパだというのに、今の所晴れ。
しかも結構暖かい。

海岸で、ホテルの朝バイキングでくすねたパンと、ハムとチーズでお昼を済ませる。
バレンシアが近いので、むきになって絞りたてオレンジを摂取していたが、実はぬるくて、水っぽくてあんまり美味しくない。
季節外れだったのだろうか。
でもオレンジそのものは美味しい。

ゆで卵を砂浜の上で食べて、その殻を美しく砂の上に飾って写真撮影。
何かが海に帰ったような映像が得られた。

その後、バレンシアへ向けてひたすらバスに揺られる。
到着は夜。
まだ火祭り博物館が開いていたので、ホテルから抜け出して行ってみる。

火祭りとは。
バレンシアで伝統的に行われている祭り。
紙でリアルな人形を大量に作り、いっせいに燃やすという、野蛮な祭りである。
毎年燃やす前に人気投票をし、一番人気のあった人形だけは燃やされずに博物館に展示されているのだ。
それが火祭り博物館。

あまり人がいなかった。
「日本」という題名の作品は、京劇のメイクと衣装を着た女性が見得を切っていた。

夕飯はパエリア。
行きたかったレストランは21:00オープン。
空腹に耐え切れず、どうでもいい店に入る。
ビールを飲む。

毎日飲んでいる。


2005年02月15日(火) スペイン・ミハス・グラナダ

朝、海辺のホテルから、ミハスへむけてバスで出発。
ミハスというのは、ちょっと小高い山の上の村で、可愛らしい建物や石畳などの町並みが残る、知る人ぞ知る、知らない人は知らない観光名所である。

どんなに小さなところでも、日本人は住んでいる(ぽつり。
ミハスでアクセサリーをごちゃごちゃと買う。
ここで、ベンジャミンさんという黒人の移民の店員さんと知り合う。
身長実に210センチ。
おじさんは英語が上手で、気さくに値下げをしてくれた。
いい人だ。
ボブマリーの音楽をかけていたので、皇帝がボブと同じ誕生日であるとアピールしておいた。

猫を見る。
スペインの猫は皆、顔が傷だらけで、毛があちこち抜け落ちている。
人間と見れば走って逃げ出す。
たぶん、いじめられているのだろう。
スペインの動物は、猫に限らず鳩やかもめなど、皆人間をおかしいくらいに警戒している。
そして痩せている。
いじめの現場はこの後目撃するが、それはその時にでも書こうとおもう。
南米で大虐殺した野蛮な血は、滅びることなく脈々と流れている、と言っておこう。

ミハスからグラナダへ。
グラナダは、かのレコンキスタが完了するまでの間、イスラム教圏だったところだ。
有名なイスラム建築、アルハンブラ宮殿がある。
宮殿の外側は、あまりたいしたことはない。
だが内側は贅沢なタイルや装飾が施され、なかなか素晴らしい建物だ。
この日は風が強く、強風にあおられた糸杉が、ブンブンしなっていた。

夜、本場フラメンコを見に行く。
セクシーな踊りかと思いきや、かなり激しい性質の舞踏で、ステップを踏むたびに会場のもろい天井がバラバラ落ちてくる。
円もたけなわ、クライマックスというときに、観客も全員「まさかあの人が踊るわけがない」と思っていた、奥に座っていたおばあちゃんが登場。
朗々と歌い、踊り、拍手喝采を受けたのだった。
おばあちゃんのドレスは、天道虫柄・・。

ホテルへの帰り道、バスの運転手さんが、夜景の綺麗な丘に連れて行くとのたまわって、妙なところで下車させられ、かなりの距離を歩かされた挙句に、工事でビューポイントは閉鎖されていた。
しかし運転手さん、フェンスを壊して突撃。
ひえー。
速く写真を撮れ!といわれて、慌てて撮影したが、カメラで夜景を撮るのは難しい。
へんな画像が取れた。
なんどもデータから消そうと思ったが、たどり着くまでの苦労を考えると、消せない皇帝であった・・・。


2005年02月14日(月) スペイン2・コルドバ・セビリア・ロンダ・フェンヒローラ

13日朝からバスに乗って移動。
コルドバへ行くのだ。
だがその前に、セルバンテスの小説の舞台となったラマンチャに寄る。
皇帝は映画強化週間で、ドン・キホーテの映画も見ていたから、予習は十分である。
到着。
予習などいらない。
風車があるだけ。
何故、ドン・キホーテが風車を相手に戦ったのかがわかる。
風車しかないのだ。
ぐーるぐる。

白い風車の中には売店があって、サフランやオリーブオイルなどの産品を売るおじさんがいる。
おじさんの名はペドロさん。
妙な愛嬌のある日本語で、歌いながら軽快にポストカードなどを売っていく。
おじさんのパフォーマンスで、飛ぶように売れていくサフラン。
もし彼が公務員なら、給料を上げるべきだ。

ドン・キホーテがお城に見立てた旅籠を通過して、コルドバへ。
コルドバは自由行動。
この辺はアンダルシア地方に含まれていて、気候は温暖。
スペインの中でも南の方で、結構長らくイスラム教徒の土地だったのだ。
オレンジの中庭が美しいメスキ−タという寺院も、もともとモスクだった。
一枚岩で作られている天井は見事・・・・アレ?
なんか引っ付いてる。
なんと、ユーロミッキーの風船が、持ち主に見捨てられて世界遺産の天井に引っかかっているのだ。
とりあえず珍しい光景なので、写真に収めておく。

オレンジの中庭では、オレンジに見とれるあまり、石畳でこける。

ローマ時代の橋などを見学して、宿泊先のセビリアへ。
ハムパンで軽く食事をして、ワインをグラスでいただく。
うまい。

翌14日はセビリアの自由行動からはじまる。
カテドラル(その町で最大のキリスト教寺院は、全部こう呼ぶ)に行くが、その隣のアルカサルは休館日。
セビリアといえば、カルメンの舞台だ。
カルメン関係のものは特別にはないが、やはりフラメンコグッズがお土産品としては充実している。

南の海に近いこの地方は、比較的暖かく、これまでの工程、冬のヨーロッパにしては珍しく雨も降っていない。
毎日暑いほどの快晴だ。
この日皇帝はスカートをはいていたのだが、まるでスカートが法律違反であるかのように、人々がじろじろ見ている。
実際、地元の人でスカートをはいている人はほとんどいない。
なんでこの国はEUなんだろうか。
またしてもよくわからない。

宿泊地コスタ・デル・ソル地方、フェンヒローラへ移動。
ホテルは地中海の真ん前で、うーん、まさにスペインという感じ。
しかし工事中なので、ポーターを雇わない貧乏学生は汗をかきながら自分の荷物を部屋にかつぎ込むのであった。

暖かいので海辺を夕刻散歩し、その足でまたしても近所のスーパーへ。
チーズ、ハムを購入して、1ユーロ程度の赤ワインゲット。
フロントで開けてもらって、グラスまでお借りして部屋で乾杯。


2005年02月13日(日) スペイン1・マドリッド

そんなわけで、皇帝最後の放浪記録。

同行者は、韓国短期留学中に同じクラスで勉強していたハル女史。
ハルちゃんは中高を女子校で過ごし、大学では中国語をはじめとするアジア言語に興味を持ち、留学と言う、皇帝と似たような境遇を持った少女で、二歳年下(まあね)。
大学も同じ。
美術館がすき、ブランド物にはあまり興味がないなど、行動パターンにも一致が見られるため、旅のお供として最適な人材だった。

二人とも、卒業前にヨーロッパを見ておきたいという思いで挑んだわけで、今後とも、あんまり彼の地と関係はなさそうな感じではある。

さて、初日は移動。
成田→ミュンヘン→フランクフルト→マドリッド、という二回乗り継ぎ。
のっけから、結構ハードだ。
乗継が重なったため、目的地に着いた時には40名のツアー客中三名がロスト・バゲッジ。
皇帝一行はセーフ。
ミュンヘン空港ではドイツの精巧なおもちゃなどを仕入れ、早くも荷物が増えている。
到着日は、そのままホテルで寝るだけ。

明くる2月12日。
マドリッド市内観光から軽く始める。
プラド美術館に入る。
美術館の品揃えは、ネットで調べていただけるが、すごい。
量もすごいけど、描いてる人々も、スペインの巨匠を中心にすばらしい顔ぶれ。
さりげないどうでもいい所に、巨匠の作品が並んでいたりするので、細心の注意が必要だ。
だが今回この都市は自由行動ではないので、二時間程度で美術館を後にする。
もうちょっと見たかった。

ベラスケスを見ていると、麗子像を思い出すのは何故だろう。
などと思いながら、スペイン広場、グランビア通りなどを見る。

バスの中で再三、スリに気をつけるように注意される。
ホテルでも、日本人を狙った首絞め強盗に気をつけるように、冊子が配られていた。
そんなに日本人が狙われるとわかっているなら、日本人を使っておとり捜査をしたらどうかと思う。
しかも実際には、韓国人や中国人のお金持ち旅行者などが、東洋系のかなり部分を占めているのだが、彼らは日本人と間違われて狙われないのだろうか。
というか、ぼんやりして良いように標的になっている日本人観光客に間違われて、困っているのかもしれない。

日本人旅行者は貧乏学生が多いが、韓国人中国人でヨーロッパに遊びに来るのは、ほとんど本物の金持ちだろうから、私だったら確実に盗れる方を狙うが。
その辺、スペインの強盗的にはどうなのだろう。
見分けはつくのだろうか。

特に狙われることなく、午後は自由行動。
王立ソフィア現代美術館へ。
地下鉄アトーチャ駅で下車。
地下鉄は危ないから使うな、といわれているが、残念ながらタクシーを拾う金はなく、貧乏な日本人は地下鉄を利用せざるをえないのである。
そんなよれよれの学生を狙う奴は、鬼だね。
狙われなかったけど。
その辺は、漂う貧乏臭さでカバーだ。

王立ソフィア美術館には、ダリとかがあったりする。
あと、有名なのはピカソのゲルニカ。
あれがあるのだ。
あったあった。
でーんと。
その周りにも、小さな額縁のピカソがずらり。
これ一枚でも、きっと日本で数千の客が呼べる、というような、逸品ぞろい。
でも客の視線はゲルニカに集中。
やっぱ、存在感は大きさを刺しぬいても、かなりある。
堪能して、美術館周辺の軽食屋でチュロスを食べる。
チュロスのレシピはこちら→http://www.recipe.nestle.co.jp/recipe/700_799/00738.htm?st=r

スペイン人は、一日に五回食事をする。
朝軽く食べて、その後仕事の合間に軽食。昼を重く、一二時間かけて食べて、シエスタ(昼寝)して、夕方軽食。夜を軽く済ませる。
いつ仕事しているのか、よくわからない。
が、シエスタ中は商店やレストラン、全て休んでしまう。
しかも夕飯屋は八時、九時にならないとオープンしないのだ。
これが日本人にはちょっとつらい。
だがともかく、ぼんやりしていると、レストランが閉まってしまったりして、夜まで食べられなかったりするのだから、スペイン時間に合わせるしかないのである。

この国が何故EUなのか不思議だ。
トルコもEU加盟にアプローチしていたが、もうEUが何なのかよくわからない。

ホテルの近くのスーパーで、2ユーロ(300円くらい)の赤ワインを購入して、フロントで開けてもらい、飲む。
うまかったです。


2005年02月12日(土) お知らせ

日付が飛び出てしまったけれど、お知らせ。

皇帝の日記のインデックスページなどなど、アドレスが変わりました。
日記ページは、このままのアドレスでOKです。

お引越し先は、もとのインデックスから飛べるようにしてありますので、ブックマークしてくださってる方は、変更をお願いいたします。

http://karen.saiin.net/~bhpc/koutei/
まだ工事中ですが、よろしくです。
これから三月の始めくらいまで、卒業旅行にヨーロッパ行ってきます。
皇帝放蕩の締めくくりです。
その間、HPの管理は宰相に任してありますが、アイコンをあずけてきたので、宰相が暇な時とかに、アイコンがかわったりします。

カウンターがかわいい。


2005年02月11日(金) トルコ・イスタンブール最終日

さて、もう帰る日になってしまった。
この日の15時ホテル集合で、帰国という算段なのだが、午前中があいているので、ドルバチェフ宮殿に行こうと思ったら、木曜日お休み。
がーん。
とりあえず、近所のデパートでお買い物。
革製品が有名なので、革のジャケットをお買い上げ。
日本ではちょっと高くなりすぎるような、薄ーい革。

では、あんまり見所もなさそうだが、オルタキヨイジャーミーへ行くことにした。
バスでもいけるが、時間がなさそうなのでタクシーで行く。
タクシーも安いのだが、手持ちのトルコ・リラがあんまり無い。

トルコリラは、ここ数年のインフレで、ガム一個買うにも1ミリオンとか払わなければならない、桁数の多い通過だ。
誰でもトルコに行けばミリオネラ。

ともかく、ジャーミーとは、モスクのことで、モスクは基本的に何も無い。
で、何も無いのを見学して、猫をめでてから、ホテルに帰ろうと思うが、タクシー代が無いので、1ミリオン・リラ分くらい歩いた。
ドルバチェフ宮殿の前も通った。

香港料理をお昼に食べて、帰りの飛行機に向けて。

そんなこんなで、皇帝のトルコ制圧は完了したのでした。
あと、帰りの飛行機で煩いおっさんの隣になってしまったので、席を替えてもらったら、代わった席のライトが壊れてて、一晩中電器つきっぱなしだったりとか。
暖房が壊れてて、死ぬほど暑かったりとか、まあ色々あったけど。
無事帰ってきたので、結果オーライでしょう。
でも二度とトルコ航空には乗らない。

トルコはでっかい国なので、できれば一箇所に狙いを定めて、じっくり観光したほうが良いでしょう。
今回、アナトリア地方を巡った感じでは、イスタンブールかカッパドキアが、特に見所多し。

今回は、ツアーで自由時間が少なめだったので、わりかし普通に旅行して帰ってきた皇帝でした。


2005年02月10日(木) トルコ・イスタンブール後半

タクスィム広場に帰ってきて、それから更に地下鉄に乗り換え、アクメルケズへ。
アクメルケズとは、ヨーロッパのベスト・デパートメント賞を取ったショッピングセンターなのだ。
じゃーん。
最寄駅で下車。
さすが、トルコの高級住宅街の駅。
結構英語が可能な一般人が歩いている。
着ている物も、心なしか上等な感じだ。
で、「歩いて5分・・・んー10分くらいかな」とおばさんがおっしゃるので、そのとおり歩いていくと、とんでもない。
30分くらいかかりました。
母というハンデをかかえているとはいえ、トルコ人はこの距離を10分または5分で歩いてしまうのか・・・。

さて、デパートは、でかいというだけで、喫茶店の配置とか、エスカレーターの配置とかは、特に優れていない。
というか、立地にしても不便極まりない感じだ。
これでヨーロッパのベストだったら、日本の各デパートは、ワールド・ベストといえましょう。

靴のナインウエストは、実は革製品で有名なトルコのブランドなのだ。
で、皇帝の変な形の足に唯一合う、しかも履くほど皮が良い感じに柔らかくなるナインウエストを二足お買い上げ。
帰りはタクシーに乗り込んで、地下鉄駅まで行って、ホテルに帰る。


2005年02月09日(水) トルコ・イスタンブール前半

そんなわけで、朝からホテルの前のバスターミナルに突進。
して、トプカピ宮殿に向かうT4乗り場を捜すが、無い。
えー。
うろうろ。
チケット売り場の人たちに聞いて回って、ようやく乗り場を見つける。
というか、誰も英語が分からない。
トルコは、どちらかというとドイツ贔屓なので、ドイツ語のほうが幅をきかせているのだ。

さて、バスに揺られながら、運転手さんに「目的地に着いたら教えてね」オーラを飛ばしつづける。
ちゃんと、降ろしてくれました。

ところでトプカピ周辺は、イスタンブールの主要観光地が集まっている場所なので、客引きや、詐欺まがいのガイドが多い。
日本語で話し掛けてくる、それらの集団を振り切って、ようやく宮殿内に侵入を果たす。

宮殿とはつまり、かつてスルタンのお屋敷だったところだ。
ハレムもこの中にある。
皇帝の想像では、町のようなでっかい宮殿だったのだが、案外小さい。
うーん。
せめて、紫禁城くらいはあっていいんじゃない?
でも、トプカピはもしかしたらベルサイユよりも小規模だった。
さらに狭いハレムは、全室に外側から鉄格子がはめられて、王妃たちが逃げられないようになっているのだ。
うーん。

見所は宝物館。
赤ちゃんの顔くらいの大きさのエメラルドが、わんさか。
装飾品に加工されている宝石も有るが、ただなんとなく持ってるだけのもある。
そうそう、このくらい栄華を極めてないと、皇帝も征服のしがいが無い。
ゲンコツくらいの大きさのダイアモンドもある。
これ、原石を拾った漁師が、スプーン三本と交換したという曰く付きのダイアなのだ。
キラキラ。

目に星が入ったところで、ボスポラス海峡クルーズをすべく、港へ向かう。
港へは歩いて行った。
途中で、地元の人々で繁盛しているケバブのお店に立ち寄ると、これがかなりいける。
母なんか、体調が悪くて(あとトルコ料理に馴染めなくて)あんまり食べていなかったのだが、ここのケバブを薄いパンで巻いたサンドイッチは食べることが出来た。
栄養を補給したところで、コックさんと記念写真を。
撮ったら、チャイをご馳走してくれた。
ご馳走様です。

で、港で手ごろな船を捜す。
船は、なんだかヤクザな親父が切り盛りする、ヤクザな船に乗ってしまった。
あやしー。
出発まで、二時間も待たされたとか言って、若いカップルが怒って出て行ってしまった。
あやしー。
幸い(?)皇帝と母が乗り込むと、15分くらいで出発。
めちゃくちゃ寒かったのだが、羽毛のダウン(帽子付き)で乗り切る。
イギリス人ぽい兄ちゃんが、シャツ一枚で乗っていた。
西洋人は丈夫だ。
何の解説も無く船は淡々と進み、二時間ぐらいで元の船着場に・・・引き返さず、どっか別のところに降ろされる。
あやしー。

あやしかったものの、何もぼられることなく、無事歩いてガラタ橋を渡り、世界最古で、世界最短の地下鉄に乗る。
それからチンチン路面電車に乗り換え、元のホテルのターミナルに引き返す。

長くなったので後半に続く。


2005年02月06日(日) トルコ・イスタンブール

朝起きると、そこは海でした。
いや、アジアサイドの海側を、くるっと回ってイスタンブールに行くのだ。
いまのところ、アジアとヨーロッパの側が鉄道では繋がっていないので、アジアで降りて、バスでヨーロッパに入るしかない。
今度、日本出資でボスポラス海峡にトンネルができるということだが、掘れば掘るほど遺跡が出てくるので、作業は遅れる見通しだ。

さて、ウシュクダラで朝食。
その後、ブルーモスクやアヤソフィアを見学。
アヤソフィアは、キリスト教の教会だったのが、そのままモスクに転用されたもので、キリスト教の文物と共に、イスラム教のものが置いてある、なかなかおもしろい建物だ。
中は工事中。
今後ずっと工事中の予定。

ブルーモスクは、普通モスクに一個か二個たっている尖塔が、六個たっている。
アヤソフィアのすぐ隣の建物。
モスクは大体、雨漏り防止のために、外側の屋根は鉛の板で覆われていて、見た目あまり美しくないのだが、ブルーモスクは内側が青いタイルで飾られている。
泥棒がタイルを剥がして持っていくので、夜は閉鎖されることになったらしい。

イスタンブールといえば、トプカピ宮殿だが、火曜日なのでお休み。
次の日のフリータイムに行くことにする。
グランドバザールへ行って、ぼんやりと観光したあと、ホテルへ。
ホテルはタクスィム広場の中にある。
バスと地下鉄と路面電車の始発が出ている、便利なロケーションだ。
でもその日は遅かったので、取り合えず目の前のメインストリートを歩いて、夕飯をゲットして寝るだけ。

明日は自由行動の日なので、交通機関などを確認しながら、ホテルのマッサージサービスを利用して眠る。

皇帝は一人旅が多いので、母に限らず、誰かを連れて歩くというのは大変なことなのだ。
なにせ、自分だけだったら、ご飯が食べられなくても、遠くまで歩かなきゃいけなくても平気だが(平気じゃないが、我慢すれば良い)、連れがいるとそうはいかない。
なので、地図や路線図を入念に調べ、レストランもガイドブックでチェックした。
地球の迷い方は、すでにパムッカレの営業シーズンや、タクスィムのストリートの名前などを間違えてくれちゃっているので、役に立つのやら立たないのやら。


2005年02月03日(木) トルコ・カッパドキア

カッパドキアは、けっこう最近TVとかで取り上げられているので、見知っている人も多いかと思う。
なんか、奇岩がにょきにょき生えている、あの変な田舎町。
で、奇岩を見て回ったり、穴を掘って作られた教会や壁画を見て回ったり、地下に作られた巨大都市を見に行ったりしたのだ。
あと、洞窟の民家も見せてもらって、お茶を出してもらったりした。

カッパドキアで雪が降って積もるのは、年に二三回とか。
運良く当たってしまう皇帝。
しかも、観光の当日は晴れるという素晴らしさ。

噂に違わぬ、変な景色が満載だった。
らくだの石も見た。
教会の壁画は、何世紀にも渡って、誰も管理していなかったために、近所の子供の落書きの餌食にされていたりした。

絨毯工房に案内される。
カッパドキア周辺の女の人は、冬にやることが無いので、絨毯を織っているのだそうな。
おればおるほど、財産になるから、また織る。
そして、嫁入り道具に持って行くのだそうな。
一枚数百万から、数万まで。
手織りの絨毯は結構高い。
し、偽者だってある。

買う予定は無かったのだが、カッパドキアのみで織られているという、ウールの絨毯を気に入ってしまった。
染めていないのだ。
羊の色をそのままに、ちょっと灰色の羊や、黒いのや白いのを、そのまま柄にしている、ちょっと珍しいやつで、皇帝の狭い部屋にぴったりくらいの大きさ。
値段は35000円。
二万円しか持ってないと言い張り、二万で譲ってもらった。
新年だから、いいよ、と言ってもらう。
私の部屋には、もう六年くらい絨毯が無い、と言ったら、えらく同情してもらったし(この辺の人は、貧乏でも絨毯だけは沢山ひく)

さて、バスでアンカラ(首都)まで行って、そこから夜行電車に乗り換え、イスタンブールへ戻る。

トルコ半周をほとんどバスでする強行軍も、そろそろ終わるのです。
続く


2005年02月02日(水) トルコ・コンヤ

パムッカレのヒエラポリス遺跡をぼんやりと見る。
この頃になると、もう遺跡は珍しいものではなくなってきている。
珍しいといえば珍しいけど。

コンヤまで、バスで五時間。
この頃になると、バスに乗りすぎてもう体中が妙に固まっている。
毎日バス。
しかも見える景色は遺跡と田園風景のみ。

コンヤは結構大きな町で、博物館と、イスラムの学校の見学をする。
皇帝のほっぺたには、左右対称にほくろがあるのだが、昔のトルコ人を描いたタイルに、まったく同じ位置にほくろを書いているのがあった。
それも、何体も。
神様みたいな、えらい人の顔にも。
えーじゃあ皇帝、やっぱ高貴な人の生まれ変わりなんじゃん。
と、満足してカッパドキアへ。
この頃から、雪が深々と降り積もり始める。

カッパドキアにつく頃には、しっかり雪が積もってしまった。
カッパドキアの人は、昔洞窟を掘って、穴の中に住んでいた。
今でもちょっとの人は、そうやって住んでいる。
洞窟をそのまま改築して、ホテルにしているところがあるというので、母が泊まりたがったので、申し込んでおいたのだ。
ところが、そこまでバスが雪のためにたどり着けない。
更に、ホテル側から出した迎えのバスも、スリップして中々こない。

おーろおーろ。
ようやく迎えのバス到着。
バスに乗って、洞窟ホテルについてみると、超豪華ホテル。
キャーキャーいいながら、快適に眠る。


2005年02月01日(火) トルコ・エフェソス

ホテルからほんの少し行ったところに、マリア様が住んでいたと(カトリック系)教会が認定した家がある。
ので行ってきた。
堀のところにあるフェンスに、紙を結ぶと、願い事がかなうというので、何か結ぼうとしたが、なにもなかった。
仕方がないので、車酔いの薬の説明書を結び付けておいた。
家内安全。
トラベルミン。

エフェソスもトルコにある。
地中海最大規模の遺跡。
というか、町ごと残ってる遺跡。
半端なくでかいのが特徴。
公衆トイレのでかいのとか、公衆風呂のでかいのとか、トラヤヌスの水飲み場とかあるのだ。

ここもやはり猫が一杯。
あと、犬もいる。
大体、犬も猫もつながれていないので、勝手にひょこひょこいろんな所から顔を出して、好きについてくる。
そして美味しいものをくれないと、いつのまにかどっかにいなくなるのだ。
しかし、いつもトルコ人からご馳走を貰っているらしく、ビスケットやパンなど、見向きもしない。
単に人間と遊びたいのかもしれない。

その後、シリンジェ村というところに行って昼飯。
シリンジェは、かわいいという意味。
昔は醜い村という名前だったのが、改名したんだとか。
名物のワインを飲んで、それから皮工場に行く。

トルコは羊を良く食べるので、良質の皮の産地なのだ。
トルコ産でも、一度イタリアに卸し、それからメイドインイタリーの札をつけて、日本に渡っているのだとか。
確かにすごい良い皮が沢山。
でもお値段もけっこうしたので、なにも買わずに去る。

皇帝が狙っているのは、そう、市内デパートでの冬物セール。
海外では、地域差は有りますが、大体正月過ぎるとずっと冬物バーゲン。
ってことは、イスタンブールの大型SCでも、セールに違いない。

野望を秘めながら、バスでパムッカレへ。
世界遺産になっているので、パムッカレのことは調べれば出てくると思う。
隠れた景勝。
皇帝は、このパムッカレの温泉棚が見たくて、トルコ旅行を選んだのだ。
堪能しました。

ホテルは温泉が出る。
トルコ式のお風呂と、サウナに入り(有料)、お肌すべすべで就寝。


皇帝