皇帝の日記
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2001年12月31日(月) |
今年も終わるので更新 |
本日をもって、父母兄の集団を無事日本に送り返した。 父母は日本にしばし滞在してから米の国に帰るそうな。
彼らの滞在中の動きを追うとこうだ。
イブの夜に訪れ、その日は疲れたのでそのまま日航ホテルに。 ちなみに父の誕生日であったので、念仏の印刷してあるネクタイを送る。 夜はプレゼント交換会。 貰ったもの ・大量の靴下(マーシャルズで大安売りだったらしい) ・耳掻き二本 ・母の手編みのセーター ・アメリカの会話の先生から、猫と熊のぬいぐるみと蜂蜜 ・メトロポリタンミュージアムの小物 こちらからは大学の校名の入ったトレーナーや、中国色あふれるクッションカバーなどを。 そんなものを着て歩いていると、うっかり中国語で話し掛けられるので要注意である。知っていてあえて送る。
クリスマスは周荘という水郷の町にタクシーをチャーターして行く。 しかし運転手が運転しながら舟をこぐと言う事態が発生。 うっかり命を落とすところでした。 周荘で兄一名早くも腹痛。 夜は足のマッサージ。
翌日は汽車で杭州に。 駅まではタクシーだったが、運ちゃんが目的地を聞き違えて逆走するというアクシデント発生。時間に余裕を持って出発したので、幸い事なきを得た。 杭州観光は寒かったです。 あ、あとトンポーロー、美味しかったッス。 そのまま杭州のホテルに宿泊。翌日も杭州をうろうろして、夜の列車で上海に帰った。
蘇州観光に出る予定であったが、この日の夜に雑技団のチケットを取っていたので上海観光にスイッチ。 しかも一日では上海を見切れなかったので、翌日も上海を見ることに。 上海は相変わらず上海です。 さむいっす。 買い物したり博物館に行ったり。 いやー、それにしてもさむいっす。
そして本日未明、日本に帰っていったわけです。 誰も命を落とさなくて良かった。
これからインスタントで年越しそばを食べるのだ。 お下がりのVCDプレーヤーでハリウッド映画を見ながらそば。
年明けに引越しすることになったので、またすぐにそばを食べることになる。
ところで、引越しのことで相談があるので、某K大の交換留学生の方、このPを見たら連絡ください。 君のアドレスがどこにあるかわからなくなってしまったのです。 というかすでに荷物を大半まとめてしまって、何がどこにあるか不明。
そういえば、有る意味海外で年を明かすという、最新トレンドだ。 とかイキがってみる。
2001年12月25日(火) |
引っ越す可能性が有る |
昨日、あまりの乾燥ぶりに思い余って床に水をまいたら、ちょっとポップでアートな感じに床の木が湾曲したので、外のドミトリーに引っ越そうと考えている。 ようするに夜逃げだ。 そのことはともかくとして、同額以下の値段で、個人部屋と個人トイレと個人シャワーと個人テレビが手に入る。 もちろん奨学生なので、籍だけ学校内の寮に置いておけば、公安で面倒な手続きをしないですむし。 真剣に考えている。どうだろうか。
一昨日からずっと、パジャマの上にジャンパーを着て過ごしている。 しかも昨日はパジャマが前後ろ逆のまま過ごしていた。 そのまま事務所に行ったり夕飯を食べに出て行ったりしていた。 どうだろうか。
今日の夜、アメリカから父母が、日本から兄が来る。 そんなわけで空港に行かなければならないが、パジャマのままでどうだろうか。
とにかく、これから一週間ツアーコンダクターになる。
前に朝廷だかどこだかで松坂大輔にそっくりな韓国人がいると書いたことがある。 あの彼、韓国人曰く、韓国の国民的大スター、ウォンビンという人の声にそっくりなのだそうな。 そのせいで、毎日せっせと面識も無い韓国人女性達から電話がかかってくるらしい。
松島奈々子に似た韓国人もいる。 日本人の女の子の中にも、韓国人女優の何とかに似ている人がいるらしい。 事務室のおじさんは風船おじさんに似ていると思う。
そうなると、自分もどこかの国の誰かにこっそり似ている可能性が出てくるわけだ。 自分も知らない間に。
そういえば学部の先輩に、どっかの山で生贄になって殺された少女のミイラにそっくりな女性がいた。 お元気だろうか。
2001年12月23日(日) |
そっくりな中国人に会った |
以前の担当の先生を、瞬きしないで生徒を凝視することから「トカゲ先生」と呼んでいたことを覚えておられるだろうか。 あの先生、別の生徒に「猫目先生」と呼ばれていた。
なんかそんな感じだ。
2001年12月20日(木) |
バカボンのパパの名前を知らない |
結局彼女とは全部中国語で話した。 唯一彼女が発した日本語は
「時間、まじでやばいのだ」
スラングまで入った高等な日本語だが、難易度が高いわりに失敗度も高いのはなぜだろうか。 ってかそれは文語か口語か。
時間がまじでやばかったので、彼女はタクシーを使って上海駅まで行った。 後は汽車に三十時間揺られて吉林に帰るのだ。
三十時間。
アメリカに飛行機で行って帰って成田から東京に出れるくらいの余裕がある。 横浜のうちから高田馬場の学校まで八往復して太極拳を3セットするくらいの時間だ。 もっと身近に言えば、三分インスタントラーメンが600個作れるのだ。
作らないが。
中国に持ってくる靴下には、ある条件を設けて選択した。
そろそろ寿命が来そうな奴。
そして、帰国時には捨てて帰ろうとしていたのだ。 そうして選ばれしモノのたちは、予想をはるかに上回るピッチで寿命がすでにつき始めている。 三足ゴムが伸びきり、三足穴があき、一足は洗濯にだしたっきり帰ってこない。 その代わりに明らかに男物と思しき巨大なTシャツが増えている。 この寮のどこかに、Tシャツが帰ってこないで、靴下が一本増えている男がいるのだ。 洗濯おばちゃんのささやかな自己主張。 ともかく、残りの冬をこの満身創痍の靴下達でどう乗り切ろうか。
話は変わるが、昨日日本で中国語と日本語のラングェッジ・エクスチェンジをしていた、吉林の子が電話をかけてきて、今私の学校の中国人学生エリアにいるとのこと。すっかり日本語のレベルが下がって、全ての口調が「〜のだ」になっていた。 「やはりこの大学の大学院に行きたいと思っているのだ」 「でも吉林には上海の情報は入ってこないのだ」 「だから情報を集めにきたのだ」 バカボンのパパなのだ。
明日会う。楽しみだ。
大根を育てている。 葉のほうを多めに切って、茶碗に水を張って入れておくのだ。
もう三回も花が咲いた。
友達にこの話をしたら、彼女もにんにくを育てているとのこと。 留学生の心の支え。 ペット。 植物でも。
前日、習慣化しているモノを列挙したが、そういえば学校のトイレは溝である。 他に形容の仕様が無いが、したものはそのまま残っているし、流したとしても、それはそのまま後方の個室の方へ押し流されるだけである。
俺の物はおまえの物、おまえの物は俺の物。
そんな感じ。
おかしいだろうか。
四ヶ月近くいると、感激が薄くなっていけないと思う。 このところの日記も、何かに驚いたり発見したりと言う記述が頓に減っている。 あたりまえに感じられるものにも、何かおかしなところはないだろうか。
雨の日にビニール袋をすっぽりかぶり、首に紐を巻いて自転車をこいでいるおっさん。 日本食をうたう店で焼き鳥を頼んだら、鳥が一匹頭から尻まで串刺しで出てきた。 中国人のほぼ十人に一人は鼻歌を歌っている。 手鼻をかむ。 タンを吐く。 ルームメートはまだ半そでだ。
とりあえず目に映るものを挙げてみたが、そんな日常。 おかしいだろうか。 もうよくわからない。
2001年12月12日(水) |
風邪、良くないですね |
韓国語で実験をしていると書いたが、最早語彙は七十語に至り、もしこのまま中国語より上手になってしまったら、それはそれで少しむなしい気がしてきた。
とにかく具合が面白いほど悪いので寝ようかと思う。
あ、でも今日は学校行ってから。
先頃おじの家から帰るとき、近頃上海に出没し始めた、七人乗りのタクシーに乗った。 特殊車種に乗っている選ばれた運転手だけに、愛想も良い。 頼んでもいないのに上海語のレクチャーをしてくれ、果ては中国の成り立ちまで教えてくれた。
月末に両親が来るからこの種の車をチャーターできるか?と聞いたら、各観光地の見所まで教えてくれた。
寮についてもまだ話しまくっていたら、49元だったメーターが50元に上がった。
新しいタイプのぼったくりだろうか。 でも一元。
前の風邪が回復していないうちに次の風邪。
ところで自転車が壊れた。完膚なきまでに。 修理代は9元。 チェーンを覆っているカバーが折れ、チェーンに刺さって動かなくなったのだ。 あれはチェーンを保護するものではなかったのか。 っていゆうかいらないだろ、それなら。 しかしカバーが折れるほどの衝撃を今まで吸収していたというのなら、それはそれで役に立っていると言うのか?
疑問系のまま終わる。
眠さの原因がわかった気がする。
まず風邪薬。
次に朝起きられない原因は、ずばり外の音とみた。 どういう仕組みになっているか知らないが、暖房がついていると、大量の水蒸気が宿舎から排出され、小林幸子が登場せんばかりのスモークが充満する。 その水蒸気の排出音が、どしゃ降りの雨にそっくりなのだ。
雨が降っていると思うと、起きるのが億劫になり、結果的に三度寝くらいしてしまう。 そして起きられないのだ。
耳栓して寝てみるか。
昨日からお湯が出なくてシャワーが使えない。 ヒーターの首が抜けて使えない。 カーディガンが破れて着られない。
物理的に寒いんだけど、精神的にも寒い気がします。
あ、自転車パンクしてます。
韓国語を話し始めている。
宿舎内は日本人より韓国人が多いと言う特殊な環境なので、練習したければ、練習し放題である。
何事も学び始めは楽しいもので、吸収も早い。
ついでに実験中なのだ。 中国語や英語のように文法から勉強するのではなくて、耳から覚えたら覚えられるのだろうかと言う。 別の方法をたどって、どれほど話せるようになるかだ。 ハングルはもちろん読めない。 もし読みたければ大学に戻ってからやればいい。
かばん かばん 満足だ まんじょかだ 握手する あくさする いっぱい いっぱい 無視する むしはだ 結構早く覚えられそうな気がする。
2001年12月04日(火) |
チャリの籠、風前の灯火 |
今日は午前授業を休んでみた。 ルームメートもいないので、ドアを開けたままトイレに入ってみたり、大声で歌ってみたりした。
小さな反逆。
ところで、アメリカ人がカーテンを買うのでついて来いと言われ、ついて行った。 「IKEAに行くのだ」 という。 そう、上海にもIKEAはあるのだ。 そういえば母親がアメリカで英語の勉強をするからイケアで机を買ったと言っていたな・・・と思いをはせてみた。その後電話でも英語を話す様を見たことが無いと思う。 などと考えていてふと気づいたが、奴はIKEAを
アイケア
と発音しているのだ。 それは「イケア」では・・・と聞くと、 「だってここ隠したらアイクでしょ?」 と「A」を指でおさえている。 「日本人はさあ・・・カメラはキャメラでしょ・・・」 と続きそうなのでほっといて、日本人の誰に聞いても
イケア
と言う。 どっちが正しいのか。 今後も検討したい。
先週は体を壊した一週間。 五七五。
ついに自転車がうんともすんとも言わなくなって、微動だにしなくなってまいっていると、北朝鮮人のクラスメートが通りかかり、チャリに一発蹴りを入れてくれた。
動いた。
中国製品に勝てるのは朝鮮人だけということか。
のでこんな時間に更新。 病気で昼間から眠り込んだりしてて、しかも上の部屋の怪しい工事の音に起こされ、その影響か蛇口をひねれば正に「赤」としか形容できないような水がほとばしり出たり。
変な時間に寝たから変な時間に起きている。 変なところで規則正しい。
また寝る。 おやすみ。
皇帝
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