凪の日々



■引きこもり専業主婦の子育て愚痴日記■

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2013年09月11日(水) 入院二日目(夜)

夕食が終わるあたりから部屋も静かになっていく。
消灯は10時。
たっぷり眠り続けた自分はなかなか眠れるはずも無く
スマホでYoutubeとか見て眠くなるのを待った。


お向かいのベッドの方が寝苦しそうにしていたのは気がついてた。
夜中二時頃、嘔吐する音が聞こえた。
とっさにベッドにかけより、枕もとのティッシュを渡し、背中をさする。
「あぁ起こしてごめんなさいね」
「いえ、寝すぎて眠れず起きてたので。
こうすると楽ですか?さすらない方がいいですか?」
お向かいさんは黙って目を閉じる。
拒否されないから、続けていいんだろう。

大きな点滴は抗癌剤と言っていた。
かぶった帽子はそういう事なんだろう。
嘔吐するにも吐くものが無いのはずっと絶食だからか。
「お水飲みますか?勝手に冷蔵庫開けますよ?」と
冷蔵庫から水を取り出し渡す。
一口湿らす程度に飲み、辛そうに呻く。

隣の窓際のベッドの方が起きて来る。
「あら、変わりますよ」と交代して背中をさすってくれる。
「昨日までは調子良かったのにねぇ
久しぶりにお風呂に入って疲れたのかもねぇ」とささやく。
「かわいそうにねぇ辛いねぇ」とささやきながら背中をさする。
お向かいさんは「ごめんなさいねぇ」と力なく言いながら吐き気を堪える。
「かわいそうにねぇ。換わってあげられたらねぇ」
窓際の方はささやきながらさすり続ける。

吐き気はなかなか治まらない。
「看護士さんから膿盆借りてきますね」と言ってナースセンターへ行く。
夜勤の看護士さんに言うと「持って行きますね」と言われる。

夜中の病室。
看護士さんの小さな「大丈夫ですか」の声。
「疲れが出たんでしょうねぇ」と窓際の方。
小さく呻き、時々嘔吐しようとするも、吐くものが何も無く呻くお向かいさん。

少し落ち着いてきた頃
看護士さんが「皆さん有難うございます。大丈夫ですからもう寝てください。」と言う。
これ以上はお向かいさんも心苦しく思うかも…とベッドへ戻る。



「かわいそうにねぇ」

辛い治療を受けている人に、そんな言葉をかけるのは
あまりに酷いと思う。けど。
同じ立場同士なら、その言葉は救いになるんだろうか。
その辛さを知っているもの同士なら、「かわいそうに」も
驕り高ぶった言葉ではなく、傷を舐めあう慰めになるんだろうか。


分からない。私はたかだか二晩入院しただけで退院する健康体だから。
これから死ぬまで人工肛門で「こんな体になってまで生きてなきゃいけないのかしら」と呟いていたお隣さんの言葉に返す言葉もなかったし
二ヶ月前、私が入院していた時もこのベッドにいた
(通路側だったので偶然見かけて覚えていた)
このお向かいさんの、長い入院生活の辛さも
腸の癒着を繰り返して入退院をし続ける窓際さんの苦労も
糖尿病で食事制限をしながらもどんどん視力が奪われていく
寿司屋のおかみさんの苦労も
全部、他人事なので、その辛さが分からない。

「かわいそうに」なんて、どれだけ人の苦労を見て
自分の幸せをかみしめているんだ、と怒りがわく言葉は言えない。

でも、同じ苦しみを分かち合う人同士なら、違うんだろうか。
「かわいそう」といわれて、救われた気持ちになるんだろうか。

その気持ちは分からない方が幸せなんだと思う。
「かわいそう」と言う事も、言われる事もない幸せ。





私の検査結果は五段階の三。
ほっとくと癌化するタイプだった。
次の検査は二年後。
その時異常なければ更に二年後で、
そこでも異常なければ大丈夫でしょう、との事。


私がこの病室の皆さんの年齢になった頃、
どうなっているんだろう。
私も、皆さんも。


そんなこんなの、二泊三日の入院生活でした。


2013年09月10日(火) 点滴

点滴の腕がどんどん腫れ上がって来たので
右手首あたりに針を差し替えられる。
昨日点滴の針を刺される際、
看護師さんが2人がかりで
血管を探して針を刺してたんだけど。

看護師さんが苦戦しながら
「血管が細いって言われた事ないですか?」と
聞いてきた。
採血の時は「取りやすい血管ね~」と
言われた事はあるけど、
点滴の血管は場所が違うようで。
それでも「細い」とは言われた事ないんだけど。

ベテランっぽい看護師さんが、なんとか成功したようで
もう一人の看護師さんが「さすが!」と言っていた。
今までそんなに苦労された事はないけどなぁ。

後から思えば、下剤を飲み続ける部屋が
冷房が効きすぎて、寒くてガタガタ震えながら
トイレ往復してたから
そのせいかな~とか。

腫れ上がった左腕は血管の形に青あざになって面白かった。
腫れが引くにつれ、青あざが針を刺した箇所から
どんどん肘に向けて延びていく。

退院直後は、アユムが「おかーさん♪」と触っても
痛くて、一週間位痛みが消えなかった。

今もうっかり荷物とか下げると
血管が鈍く痛む。

たった二本の点滴だったのに
こんな事もあるんだなぁと。

前回は5日間絶食で
その間点滴つけっぱなしだったけど
漏れまくりはしたけど
腫れ上がりはしなかった。

今までがこうだったから
今回もこうだろう、とか
軽く考えてたけど、
やっぱりその時にならないと
どうなるかわからないものなんだなぁと。

それとも点滴の種類のせいかな。
止血剤だったんだよね確か。

たかが点滴でこんなだったら
尿道カテーテルやらなんやら
色々やるのってどんなに辛い事だろう。

明るく喋りまくる奥さん達は
そういう苦痛を少しでも紛らわそうと
必死で話してる風にも見えた。


2013年09月08日(日) 入院二日目昼間

病室は六人部屋。
賑やかなのも納得。
うち三人は本人達いわく現役の「商売人の女房」だった。
一人は寿司屋の女将さんで、そりゃあ威勢が良かった。
皆さん言わば職人さんであるご主人を支えて
接客は一手に引き受けてるわけだから
明るく喋りまくるのも職業病みたいなものか。

商売が上手く行かなかった時期も
この明るさで乗り越えてきたようで、
そう聞くと、持って生まれた性質なのか。

いずれにせよ、こうでないと
商売人はつとまらないんだなぁと。

と、いう話で皆さん盛り上がってました。
商売人あるある。
聞いてて興味深かったです。

ボリュームもうちょっと絞ってもらえたら
ありがたかったけど
大声になるお年頃なのかな。



2013年09月06日(金) 入院二日目

内視鏡手術当日朝から翌朝まで
絶食で点滴でしたが
爆睡していたので空腹感に苛まれる事もなく
お昼にはいきなり五分粥が来たので
逆に食べたくない~って気分でした。

前回入院時が絶食4日(だったかな?)で
重湯からのスタートだったので
もう食べていいんだ?って感じ。

その前に、今回は大部屋。
昼食時で全員揃っているうちに
まずは部屋の方にご挨拶を。

「あの~遅くなりましたが●と言います
よろしくお願いします」と全員にむけて
挨拶すると、一斉に「あら~大丈夫?」
「よろしくね~」などかえってくる。
「どこがどう、あるの?」の質問に
「ちょっと大腸にポリープがあって」と答えると
「あら!若いのに可哀想に!」
「大丈夫よ私が言うから間違いないわよ」
等々、慰めと励ましのお言葉をいただく。

「いや、もう取っちゃって明日退院予定なんです」と
言い出しにくい雰囲気。
と、言うか、言い出す隙を与えないくらい
皆さん喋りまくる。

「若くないし~」とも思ったが、 
見ると平均年齢60代後半といったところか。
最年少なのが一目瞭然だったので訂正もせず。

めちゃくちゃ賑やかなおばさま方が揃った部屋で、
賑やかすぎて、というか、声が大きく
うるさくて頭痛しまくり。
持ってきてたイミグランとロキソニンを
看護師さんに無断でこっそり飲み続けました。
↑入院患者としてやっちゃダメ。



2013年09月04日(水)

さて、大腸カメラですが。

九時半から二時間半程かけて
二リットルの下剤を飲み干し
トイレに5回程行った段階で看護師さんに
便をチェックしてもらう羞恥プレイ。
OKが出て、カメラ開始が一時半頃。

強者の男性に言わせると順調な方だとか。
鎮痛剤だか安定剤だかを点滴され
肩に腸の動きを止める注射を
打たれた所までは意識はあったのですが。

「お尻に塗りますね~」と、何か塗られたのは分かった。
後は意識朦朧。

強者の男性によると、
カメラを入れながら画像を見せてくれて
「そんなの見なくて良いし
説明要らないからさっさと終わらせてくれ」
と、毎回思う、というライブ映像も
爆睡して一切見ていない。
でも痛みはそれなりにあって
うめき声は出していた。

その後病室まで車椅子で移動している間もウトウト。
検査着のまま、翌日のお昼前まで爆睡してました。

特にオチなし。


2013年09月03日(火) 入院

入院してきました。
二泊三日。
大腸のポリープ切除手術です。

なんて言うと大仰だけど、
内視鏡手術なので、
肛門からあれこれぶち込まれて
焼き切っておしまいです。

日帰りでもよさそうなものですが、
病院の方針だから仕方ありません。

当日は、潰瘍性大腸炎の男性と二人で
待機室でテレビ見ながら
お茶を飲むように下剤二リットルを飲みました。

大腸カメラ経験が両手にあまる強者の方で
昔は四リットルだったし
お腹に空気を入れて膨らますしで
そりゃあ大変だったとか
色んな話を聞かせてくださって
興味深かったです。

とりあえず続きは後日。





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