■表卍と裏卍を眺めていると、その形が示す深遠の妙に感心します。
直線の組み合わせによって生じる形はクランク形の一対の組み合わせとも、直角定規様の四つの組み合わせとも見えます。さらに、90°という角度の不思議さが迫って来ます。一体誰が考えた=気付いたのでしょう…。
先日タイミングよく、テレビ『ウルルン滞在記』でインドレスリング=クシュティが紹介されていましたが、先生の自宅玄関には朱色で裏卍が鮮やかに書かれていました。さすがインド!
■さて、人体を側面から観察しますと、頭部と臀部でクランク形になっています。また、上部から逆小手の相対形を観察しますと、例えば右中段対構えでしたら、彼我の最初に接触した形は両者の腕(対角線)を介してクランク形になっています。
今便宜上、この形を「卍」とすると、法形の始まりは裏卍ということになります。さらに基本形の逆小手を掛けますと、二足目に彼我の頭の位置が入れ替わり、表卍の回転となって倒れます。三足半転身を用いた場合ですが、その際、上部から見た平面図には中心の点があるはずです。
■次に、基本形でない逆小手?を同一の条件で掛けます。すなわち三足半転身をしないで、二足目の右足を相手の右足の外則に踏み込んで仰向けに倒します。
側面から見ますと、我のクランク形=表卍と彼のクランク形=裏卍が重なり、この場合、表卍の回りとなって倒れます。反対側から見れば、裏卍の回りとなっています。いずれにせよ、その際、側面図には中心の点があるはずです。
以上は二次元的に考えた場合ですが、これを「卍の術理」と表現することにします。
■重要なことは、「卍の術理」を三次元的に捉えることです。人体に在る、というか生じる様々な90°の角度を駆使した力の伝達法、および卍が回る際の中心点を捉えること、と思われます。
これを龍体(書きたい放題で論じています)と合わせ、我、彼、彼我の関係に於いて体感できる時、次の次元の技に到達できるかな、そんな感じがしています。
最近、ある少林寺拳法の先生と「四次元(の技)」についての話しをお伺いする機会に恵まれました。しかし未だ山麓=非才な私には、まだまだ理解が不能でした…。
■…話を三次元に戻し、最初に述べたインドレスリング=クシュティに面白い鍛錬法がありました。インドには体を鍛える伝統があって、結果、健康を得、心の浄化を果たすのだそうです。
数ある鍛錬法の中で、私は長さ4m、径は人間の首径くらいの紫檀棒をよじ登る場面が興味深かったです。まあ、鍛錬法ですから一般の木登りとは違います。それにしても、あんな発想の木登りはどこから出て来るんでしょう…。
■棒に向かって立ちます。右手を我々でいう逆手投げ様に絡め、両手指でグリップして逆上がり。右足を棒にフックし左足で右足をフック。
次ぎに右足の力(これは最初の右手の作用と同じ?)と側筋力によって起き上がって行きます。起き上がった時の右足は、何と言うんでしょう…。小外刈り様から大内刈り様にな変化した、とでも言いましょうか。手の掴み方の発想も全く違います。上手く文章になりません。
とにかく映像を見る限り、その姿形から“卍”を連想するのです。番組の説明では「蛇の様に登るこの鍛錬によって、体を柔らかくする」(要約)のだそうです。しかし私には、頭も足も無い不思議な力の伝達法、と映りました。
■先程の四次元の話。「上も下も、先も後も、速いも遅いも、過去も未来も、すべての区別がない」(要約)のだそうです。
卍はその入り口を示しているのではないでしょうか…。
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【注意】本「書きたい放題」は気持ちの問題もあり、即日にアップします。ですので、当日中、あるいは翌日にかけ、表現の過不足を改める場合があります。印刷して読む場合は数日後にお願いします。
表現が異なったまま残るのは、私にしてみれば不本意であります。いずれ、リニューアル?=改訂して行きたいと考えています。★印なんか付けますか…。
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