道院長の書きたい放題

2005年01月17日(月) ◆(2)愚公山を移す/ゴチャゴチャでは…?

■今回の新マークへの移行について、感想ではなくて意見も述べておきます。この件についてはM先生、G先生の掲示板にも発言していますので、また道院生も発言していますので、いずれまとめます。

一週間、この問題を作山先生と共に思考してきました。二人の現在の結論では、「シンボル」「マーク」「シンボルマーク」、この違いがゴッチャになっている、と考えるに至りました。(本部においても?)整理されていないようです。

まずシンボルとは、象徴です。必ずしも形ではなく、存在や教えも含まれます。そして有機質=意味を持っています。

対して、マークは印であり記号です。簡単に違いなどを認識できる印。極めて無機質です。

シンボルマークとは象徴を任意的にデザインしたもの。マークが意味を持って来ます。

■道場の祭壇の上に、今回頂いた新マークを飾ってみますと、上の違いがはっきりします。

本尊の達磨は大きな卍を背にし、両翼には表、裏卍を刺繍したドン帳用の幕。その上の壁、向かって左に開祖の肖像画、向かって右には金色の開祖のお言葉の色紙。その真中に盾と双円の新マークを置きますと、卍=双円?という(私の道場での)位置関係になります。

本尊の達磨と卍に合掌し、上の双円にも合掌をすると、…思います。うーん、双円は卍かな…?

卍が円成して円になる…。しかしイコールではないような…。本部のHPでは発展形である、と書かれ意味も述べられています。

言葉使いでは“マーク”ということです。それなら無機質に、例えば、YとGを組み合わせて「ヨミウリジャイアンツ」となるようなものでしたら良かったのです。さしずめ少林寺拳法ならSとKでしょうか…?

■しかし新マークは意味付けされており、“シンボルマーク”なのです。すると先ほどの件、卍と双円をどう位置付けるか、ということになり、拳士の心の中で葛藤が生じます。

シンボルマークが二つになれば混乱し、一つということなら双円が卍?ということになります。古い拳士=開祖世代?ほどそうなるのではないかなー。

ですので私の意見としては、マークなら、マークに徹した無機質のマークであって欲しかった、と思うのです。有機質にしない方が良かったのです。

■世に仏教関係の寺院、団体は数あれど、これほど卍を見事に説明し、堂々と胸に着けた団体が過去にあるでしょうか。

開祖の卍に対する見解=思いを少林寺拳法と共に、もっと世界にアピールし続けるべきではなかったでしょうか。世界三大宗教(イスラム教、キリスト教、仏教。音順)のうち、問題はキリスト教文化圏、主に欧米でしょう。イスラム教文化圏であるインドネシア連盟は問題無いのですから…。

当面、これらの国々については各国のマークを認め、ないしロゴマークに統一し、卍の正しい意味を、そうですね徳川幕府を倒した薩摩、長州に習って、三百年間は粘り強く試みたら=布教したら良かったのではないでしょうか。

その使命感を我々に与えて欲しかったです。


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あつみ [MAIL]