| 2003年03月25日(火) |
◆もし、東西対抗すれば… |
■先々週でしたか…、NHK教育の将棋番組で、谷川浩二・九段が“王位”のタイトルに返り咲き、関西勢の面目をほどこした、というようなことを解説者がいっていました。これを見て感じたことを述べます。
昔読んだ将棋雑誌にこんなことが書いてありました。
――村田英雄さんの野太い声で歌われる名曲『王将』。坂田三吉の娘さんが聞くと、「愚痴も言わずに女房の小春、作る笑顔がいじらしい」の歌詞にグッとくるそうですが、大山名人ほか、関西の棋士は、「明日は東京に出て行くからは、何が何でも勝たねばならぬ」が耳に入り、奮い立つのだそうです――。
坂田三吉以来、関西棋士の合言葉は打倒関東(関根金次郎、木村義男の両名人)であり、「名人の箱根越え!」が悲願だったのです。
同じ日本なのに想像できないくらい、将棋界は関東と関西の対抗意識が横溢でした。しかしこれは、一時代前のことかと思っていたのです。で、上の解説者の紹介を聞いて、(へー、まだそんな感情が現代にもあったんだ!)と、新鮮?な驚きを感じたのです。
■東西の対抗感情は日本人には古くからあるものです。頼朝が鎌倉に幕府を開いた頃…。いや、平将門あたりかな…。そのバロメーターが世間にある東西対抗戦、あるいはその種催しの多少なのだと思います。
少林寺拳法でも私が拳法部入部前年までは、東西対抗の乱捕り戦がありました。昔、学生連盟で当時の記録を調べましたら、私の先輩(1年次、4年生)であった主将をされていたNさんの記録は、「試合続行不能」となっていました。
「なんですか、これ?」と他の先輩に尋ねたら、「開始早々、突きの連打をしたら相手のダメージが酷過ぎて、試合ができなくなったんだ」という回答が返ってきました。ちなみにNさんは関東大会の個人乱捕りの部で2年連続優勝。全国大会の個人乱捕りでも優勝を果たした方でした。
(練習熱心で、温和で、しかも関西出身で関東側で出場された、なにか…場違い?の先輩でした)。
■演武での東西対抗戦はさすがに聞きませんでしたが…。関東と関西では演武の評価基準が若干異なるようです。今はどうでしょう。で、昔の全日本学生大会では審判の配分をずいぶん気にしたものです…。
少林寺拳法の演武は採点競技ですが、東西の対抗意識がもしあったら、むずかしいですね…。
私達が大会を改革した際、演武の順位制度にも目を向けました。「1点、2点差の順位って、なんなのさ!?」素朴な疑問が湧きあがりました。それで、少林寺拳法の昇段制度に着目しました。良ければ全員合格。悪ければ全員不合格。さすがに大会ですから、70点がギリギリ合格のラインとして、80点か90点を超えたら表彰しよう。こんな感じでした。
最優秀、優秀、敢闘の各賞は、もともと該当があれば何組でも、また一組も出ない場合があるのがその趣旨だったのです。最近は一位、二位、三位の変形になってしまった感があります。
ただし若干運営上の問題があって、後援団体への配慮から最優秀を一組、選出せざるを得ない場合があるのです(内閣総理大臣賞が該当なしで返納できれば問題はありません)。
また、大会の進行時間という問題もあり、無制限には選出できないことがあります。大きな大会ほどそうなります…。
■まあ、そんな困難もあったのですが、とにかく1973年/昭和48年の第12回関東学生大会は順位制に変わる方式で行いました。それで、私達の代では少拳士以上の部での最優秀演武の該当は無しでした。
最近の少年練成大会の表彰方式はこうなっていますか? 私はNHKのノド自慢方式が少林寺の大会に一番向いていると思います。つまり、関東、関西でもし演武の“風”が違っても、それぞれの良さが何組でも認められるからです。
昇段審査を基準として、70点はギリギリ合格のいってみればヘタ?な部類ですから、大会ではカネひとつ。80点にわずかに満たなければカネふたつ。いってみれば敢闘賞かな。80点を楽に越えればカネみっつ。優秀賞かな。90点を超えれば金賞で、キンコンカンコンとカネが鳴ります。
演武の採点がこのようであれば、誰にでも納得できます。審判講習で示された60点という得点数字はなじめません。せっかく少林寺の昇段方式を長い間やってきたのですから、研究して演武でも上の得点が出る採点方法を開発したら良いと思います。
少林寺の評価は絶対評価といっているのに、現行の大会での表彰方式は明らかに矛盾しています。
少林寺では東西が仲良くて良かったですね。
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