Estrellitaの日記
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2001年11月19日(月) |
アメリカ人の同窓生(といっても私は中退だが、)のページ訪問、練習に集中? |
朝はいつもと同じ位7時少し前に母の電話で起こされた。 7時30分ごろ、2階へ降りる。 7時40分ごろ出発。 ローソンで朝食のおにぎり2個、ジュースを買う。 8時半にきゅりあんが開くまで、入り口の前で食事をする。エンピツの日記を携帯電話で見る。ぴありさんが更新していたのでさっそく拝見。 8時半〜12時、先週の新聞をチェックした後、椅子に座って寝る。しばらくして、また起きて、今日の新聞も見る。 まつやで牛めしを食べる。大井町よりバスで大崎広小路まで行き、スペースバンクへ入る。約2時間滞在。その間、メールチェック、フランス語版のホームページ訂正をする。中野君のページから祖お友達のページへ行き、その方のCDコレクションを見る。前回、Sax Duo のページで驚いたため、そこから先はまだ見ていなかったので、今日は最後までじっくり見た。また懐かしい名前を見つけた。やはり16年前、私と同じ年にパリ国立高等音楽院に入ったアメリカ人のWhage PAULE だ。顔写真も昔のままだった。CDを1枚リリースしていて、その中にはフランスの作曲家A.ティスネばかりが並べられている。要するに現代音楽である。 彼には入学試験のとき大変お世話になった。2次試験1日前のリハーサルの伴奏合わせの時、私の楽器が突然故障してしまった。その時快く自分の楽器を貸してくれた。私は伴奏合わせをその楽器でした。非常に音がよく抜けていて吹きやすかったのを覚えている。そのほか、彼のリサイタルの時、伴奏者の譜めくりをした。トマジの協奏曲でめくり間違えて、大変申し訳ないことをしたと、今となっても思い出される。私は、1988年に訳あって卒業できずに帰国したが、彼は同年卒業試験に失敗してもがんばって1990年に1等賞で卒業した。 しかし、CDの批評に「よくわからない人」と出ていて滑稽だった。 3時半〜5時半、ビッグエコーを使って個人練習をした。ロングトーン、メジャースケール(4分音符100、132)、エチュ−ド、曲という内容。デクエ21,23(遅いテンポ、インテンポ)、フェルリング21,22(速い曲はつまづいた)。曲は今日からなつかしのリュエフのコンチェルティーノの1楽章をゆっくりさらい始めた。4分音符100〜80ぐらい。その他、「トップ・オブ・ザワールド」、「チムチムチェリー」、「エストレリータ」、ドヴォルザークの「わが母の教えたまいし歌」、「ねむの木の子守唄」も通して吹いた。使用リードは、2(2/15),5(7/9),4,6(2/15),の4枚。最初の2を除いて安定していた。HighD(実音)のフラジオのロングトーンはつらいが。使用料は294円だった。 その後、また17時50分からスペースバンクに入りメールチェックホームページチェックした後、この日記にとりかかった。
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