Estrellitaの日記
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2001年11月17日(土) |
マックチャリティーコンサート、ネット上でパリ音楽院時代の同窓生のページを発見 |
朝7時に母から電話があり起こされる。7時15分ごろ起きる。7時40分、出発。 ゼームス坂上からバスで大崎広小路までバスで行き、スペースタウンに入る。 メールチェック、私のホームページに私流エチュード練習法追加。いくつか、私のホームページを見てくれた人のサイトを見る。今日は8時10分から12時10分の滞在だった。 今日の料金、580円。 五反田から新宿まで160円。マクドナルドには13時過ぎには着いた。コーヒーを買い、地下の禁煙コーナーで本(サクソフォン)を読みながら休む。するとすぐ多賀さんがやって来てあいさつをする。もうすでに今日のコンサートの準備を始めるようだ。私も手伝おうとしたが、「この時間も給料に入っているのでいいです。」と言われ、また本を読むのに戻る。時間はあっという間に過ぎていき、13時15分くらいになる。下の事務室(いつも準備する場所)に急いでいく。津田さんと簡単に打ち合わせをして今日の本番に臨んだ。 今日は1番最後だった。私の前の多賀さんのお知り合いの弾き語りは甘い歌声がとてもすてきだった。この次にやるのか!と内心プレッシャーがかかった。「私はあまりうけないからなぁ!」弱気になったのが良くなかった。最初の「星に願いを」では入りのテンポがとれず、私が少しずれた形になった。それでもすぐ持ち直したからあまり落ち込まないことにしようと思い、次の曲に進んだ。次の「霧と話した」はややテンポが速めに感じられた。それでもまぁよしとしよう。次の「チムチムチェリー」は今日はじめての演奏。少しジャジーな感じが出しにくい。津田さんは少し遅めの落ちつたテンポで始めた。それでもこの間、名取さんと東京音大で伴奏合わせした時より私も落ち着いて吹けた。2回目だからだろうか。全く違う人だが曲を知っているのは「強い」と思った。しかし、津田さんが譜めくりした時、私自身、テンポがわからなくなり音を一つはしょったかたちになった。いよいよ先週大惨事(catastrophe)だった「エストレリータ」になった。私もなるだけ伴奏の音を聴こうと努力したが、個人の技術的な問題もあって微妙にずれる。あとで録音したものを聴いたがなお一層そのように感じる。 終了後、来週の曲の話し合いをして、何曲かコピーしてあとで電話で決定することに落ち着いた。今日は駅の方まで津田さん、越谷さんと一緒に帰る。先週、私が日記に書いたことを誰か知っているのだろうか。私はさりげなく「ホームページ作りました。」と話した。すると、津田さんが「今度みたいですね」といわれた。予想外の答えだと思った。しかし、本当はあまり見られると私の本性がばれてしまうのでアドレスは内緒にした。 早めに帰宅。 メールチェック、中野君のページ訪問。掲示板になにやら同じ人が書き込みしている。カマクラムジカという楽譜屋についてらしい。品揃えの豊富さを語っている。話が合いそうだと思ったのでその人のホームページを訪問してみた。そのページがなんと!膨大なるサクソフォンのCDコレクションなのだ。親切にいくつかのリンクまでついている。私はそのCDのリストを演奏社名Aから順にたどった。 とその時、「Gremmel, Brunnel」という懐かしい名前を見つけた。そこにはリンク表示がされていたのでたどってみた。すると、この二人の「Duo」のホームページにたどり着いた。この二人、実は私の16年前のパリ音楽院時代の同僚なのだ。Brunnelは私の2年上級、Gremmelは同級である。特に女性のClaude Brunnelとは12年前、3度ほど手紙を交換した。 もちろん、掲示板にメッセ−ジ(下手なフランス語)を残した。残念ながら10の私のお気に入りリンク集はコンピューターの都合で送信できなかった。(ここはユニークで「あなたのお気に入りリンクをお知らせください」というコーナーがある。)私はあまり好かれていないのだろうか。この二人すごくいい音をしているのでいつかCDを聴くのが楽しみだ。コンサート情報にはノートルダムでオルガンとのバロック音楽を中心とした演奏会のことが出ていた。レパートリー集にもルクレールのソナタなどがあり、現代音楽の多いサクソフォンにしては異色だ。同窓のよしみも少しあるが、今後の活躍に期待したい。 しかし、今になって、13年前の手紙で「私、結婚したの。」は少しショックだったことを思い出した。彼女の独特なヴィブラートの少ない透明感のある音は少なからず私も影響を受けたと思っている。(これを読んだ人は内緒にしてください。私の初Bisの人なんですから。笑)Gremmel君のことはまた次回に書きたい。
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