A Thousand Blessings
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2006年11月18日(土) 人生は・・・切ないね


映画『ただ、君を愛してる』(原作本のタイトルは“恋愛寫眞〜もうひとつの物語”)
の主人公、静流(しずる)を悩ませつづける正体の設定の仕方は
さすがに上手いと思ったね。
映画を見てから原作本を読み、ナビゲートDVDを見て、
さらにサントラ盤まで聴いてしまった。
これは、僕にとっての『冬ソナ』現象であり、テレビ版『セカチュー』以上に
のめり込んでしまう原因は、たとえ彼女が死んでしまったとしても
少なくともふたりの間には明確な愛情交換があった『セカチュー』に対し、
『ただ君』には・・・・・おっと、、ネタバレするところだった。
つまり、『セカチュー』の亜紀よりも『ただ君』の静流に
より感情移入してしまうってことかな。
ストーリーだけでも泣けるのに、そこに宮崎あおいの21歳の等身大の若々しさ・美しさが
クライマックスシーンで現れる瞬間、僕は過去の自分の恋愛で、
最も深く関わりあった女性を思い出して、さらに泣けてしまうのだ。

もちろん彼女とは純愛を越えた関係だったが、
それでも、こうして何十年かの時が経ってしまうと、
純愛的な場面しか思い出せないのは不思議だな。
渋谷の陸橋で見た夕焼けとか、池袋の映画館で手を繋ぎながら観た「アニー・ホール」
とか、下北沢のジャズ喫茶の喧騒や御茶ノ水のクラシック喫茶の静謐とか、
当時の僕自身の熱狂とは別の淡々とした時間の流れを演出してきた脇役に
思いを馳せるようになってきた。
これが、老いていくということなんだろうか?
下品な表現になって申し訳ないが、たとえば彼女の乳房の柔らかさや
彼女自身の温かさなどは、まったくと言っていいほど思い出せないのだ。
若い人は、それに夢中だろうけど(それは正しいこと)、性的なものから
どんどん離れていくと、間違いなくこころは純化されていくと思うな。



『ただ君』の原作本にこんな文章があります。
(一部、物語の核心に触れる部分はカットして)



「この時に帰りたい、もう一度、この場所からやり直したい。
ただ遠くにその存在を感じるだけでかまわないから、
ずっと彼女を見つめていたい。言葉を交わせなくたっていいから、
一生僕の片想いでもいいから・・・・・、時を戻したい」
 



こういう感情を、僕も、ずっと抱きつづけていくのだと思う。
人生って、切ないね。






現在の墨田パソのデスクトップは、あひるのワルツです。


響 一朗

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