A Thousand Blessings
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2006年11月09日(木) |
映画 『カーテンコール』を見て・・・・・ |
24時間で3日分の日記を更新した。しかもずっと先のを。 はい、現在はまだ29日、じゃなくて明けて30日の午前1時。
映画『チルソクの夏』が意外と良かったので、 佐々部清監督■の同じく下関を舞台にした『カーテンコール』■をレンタルしてきた。 ネットで検索してみたところ、僕が低い評価を下した『陽はまた昇る』も 佐々部作品だったのね。何となくこの監督の特徴が読めてきたぞー。やな予感。 で、『カーテンコール』を早速鑑賞。 題材はよくある父と子の人情ものであり、今流行りの昭和回顧ものでもある。 昭和40年代後半から50年代初頭にかけて松竹が得意としていた路線だ。 それをそのまま引き継いだような映画に一応なってはいる。 が、しかし、佐々部作品が、あの松竹名作群の足元にも及ばないのは何故? 観終えた後、これほど満たされない感が残るのは何故? 理由はひとつ。この監督は映画作りが下手なんだなぁ・・・。 それはもう致命的に下手であるといってもよい。 美味しそうな素材をそろえてもらっても、 それを上手く料理する「技術」を持っていない。 「感性」は確かにあるとおもう。でも感性だけでは映画は作れない。 『チルソクの夏』でも感じたことだが、 『カーテンコール』でも不必要なシーンが多すぎる。 映画の流れのリズムを乱し、観客に余分なことを考えさせるシーン。 場面転換が下手なので、観客は一瞬迷子になってしまう。 このワンカットがあと5秒長かったらいいのに・・とか、 次のワンカットは3秒短かったらいいのに・・・なんてことを考えてしまうのである。 僕は映画の手法について素人だから上手く説明できないが、 駄目なシーンは直感で分かる。それから、映画の中の時間の流れに対して 少し鈍感だと思うな。いや、もしかしたら、そういう感覚がひどく欠如している 可能性もあるなーー、この監督。 『陽はまた昇る』と『チルソクの夏』でも感じたことだが、 僕より若いくせして、どうしてこんなにステレオタイプの 泣かせの演出をするのだろう、と。 佐々部監督の師匠は、あの杉田成道■と降旗康男■だそうで。 その辺が悪影響の根源かもしれないな。いや、おそらくそうでしょう。 だから、『四日間の奇蹟』では、杉田つながりで、大根役者の吉岡秀隆を 主役に抜擢したのか。納得。
『カーテンコール』を見なければ、、、『陽はまた昇る』が佐々部作品であることを 知らなければ、、、、杉田成道が師匠であることを知らなければ、、、、 『チルソクの夏』はそれなりに僕の心に残っていったのになぁ・・・。 なんだか『チルソクの夏』まで色褪せて見えてきたよ。 まあ、映画に限らず音楽でも文学でもそういうところ、あるよね。 ちょっとしたことが原因で、一気に醒めるとか。 残念だけど、その逆もあるから、やめられないんだけどね。
そうそう、書き忘れてた。『チルソクの夏』ではフィルムの質感や風景・会話などで 上手に1970年代のイメージを再現していた佐々部監督が、『カーテンコール』では 安易にモノクロ画面を選択することで解決しようとした。 その辺の製作姿勢の一貫性のなさが、気に入らない。 手作り弁当が急にコンビニ弁当に変わったような印象を受けたぞ。
響 一朗
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