A Thousand Blessings
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2004年02月25日(水) “タガタメ”シングルカット希望! 。URCの魅力。 アンサンブル・モデルンの失敗。

これは僕の正直な気持ちだが、
ミスチルの“タガタメ”のシングルカットを望む。
最初はラジオだけの限定オンエアーだったが、テレビでも披露された。
あとはアルバムで発表される事になっているが、
たとえば、街でこの曲を偶然耳にした母親や父親や子供達の心のなかに
「これは何なんだ?」的なものを残していくとしたらどうだろう?
その結果ヒットして、無意識で無自覚であったとしても、
次代を担っていく若者がカラオケでこの曲を歌っている光景は、
やはり健康的であると言わざるを得ない。
真っ直ぐなメッセージを持った優れた楽曲は、できるだけ多くの人の耳に
届くべきである。
バラバラに飛び込んできた、「子供たち」「被害者」「加害者」「誰、勝った」
などの言葉が、いつかはその人の中で、明確な輪郭をもった意識へと形を
作っていくかもしれない。


URC漬けの日々が続いている。
遠藤賢司「niyago」、高田渡「汽車が田舎を通るそのとき」、
五つの赤い風船「ゲームは終わり」、西岡たかし「満員の木」、
斉藤哲夫「君は英雄なんかじゃない」、野沢享司「白昼夢」、
シバ「青い空の日」、加川良「親愛なるQに捧ぐ」「やぁ」、
早川美夫「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」、
友部正人「大阪へやってきた」「にんじん」を何度も聴き返す。
新しい発見が非常に多い。思い込みによる勘違いもいくつかあった。
五つの赤い風船で終わったと思っていた西岡たかしの1stソロアルバム
「満員の木」のぶっ飛び具合に口あんぐりだったり(ソングライターとしての
認識しかなかったが、彼はサウンドクリエイターでもあった!)、
そもそも西岡がエンケンと同じアシッドフォーク
(木田高介・斉藤哲夫とのユニットアルバム「溶け出したガラス箱」の中の
12弦ギターの音色を聴けばすぐにわかる)だったなんて、
今の今まで気がつかなかった。
シバのフォーク&ブルースシンガーとしての卓越した感性と技術に驚いたり
(特にブルースハープの上手さ)、高田渡の普遍性に気付いたり、
加川良の語りの良さ(アルバム「親愛なるQに捧ぐ」の中の“下宿屋”)が
これほどだったとは(!)と感嘆したり・・etc
それにしても五つの赤い風船の解散コンサートCD「ゲームは終わり」は、
すごいぞ。
アルバムの構成が見事だ。これを聴かずんば、URCを語れまい。



現代音楽を中心に演奏する団体、アンサンブル・モデルンの
フランク・ザッパ作品集第2弾(第1弾は「イエローシャーク」)
「グレゴリー・ペッカリー」を聴いた。
タイトル曲は20数分に及ぶ大作で、もちろんハイライトナンバーだ。
かつてザッパが発表した「スタジオ・タン」というアルバムにオリジナルが
収められている。そちらも20数分の大作だ。
アンサンブル・モデルンの演奏はオリジナルにかなり忠実なものである。
しかし、いや、それゆえに面白くない。
オリジナルが持っていた現代音楽とポップミュージックの境界線を
いとも簡単に取り払ってしまったパワーが、アンサンブル・モデルン版では
感じられない。
クラシックの人間がポップミュージックを演奏しました、
という感じになってしまっている。これでは意味がない。
所詮はクラシックにすぎないからだ。
誤解をまねかれたくないが、僕はクラシックは好きである。
しかし、クラシック側の人間が陥りやすい部分、
すなわち「クラシックというフィルターを通して他ジャンルを見る」
という部分に常に不満を感じている。
音楽のほんのちょっとしたダイナミクスの付けかたにも、
それは影響してくる。
ハメを外せないのだ。
下品になれないのだ。
ザッパを最も美味しくいただけるのは、やはりザッパ自身が調理したものでしか
ありえないのかもしれない。
今回のアンサンブル・モデルン版の“グレゴリー・ペッカリー”の最大の失敗は、
ナレーション。オリジナルではザッパ自身が担当していた。


響 一朗

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