A Thousand Blessings
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2004年01月30日(金) |
青森県北津軽郡東京村在住・三上 寛 |
携帯のサイトからダウンロードされた音楽、すなわちマスメディアに よって検閲され認知されたものだけが今の若者の耳に届く。 もちろん、それはテレビでもラジオでも同様である。 若者は自分の耳で判断し、認知し、自分のものとする作業の一切を 他者に委ねている。 それは非常に無責任で無関心で無頓着な行為であるが、 我々にそれを責める資格はない。 そのような構造にしてしまったのは、利益追求のためだけに 音楽を利用してきた、我々世代の愚か者たちの責任であるからだ。 大人のずる賢いやり方に、今の若者はまったく気付かない。 少し前の若者は気付いているのに、気付かないふりをしていた。 もっと前の若者。すなわち1960年代後半から1970年代前半にかけての 若者は、そのような大人のやり方に対して敏感に反応した。
断っておくが、若者とは言っても肉体的には大人である。 僕がいう大人とは、経済社会の一員、すなわち歯車になっている人間を指す。
たった30数年前のことなのに、世の中は一変してしまった。 聴くに値しないくだらない(と感じた)ものに対して、 あるいは破られた約束事に対して、 それがたとえ子供っぽい配慮に欠けた行動だとしても、 当時の若者はステージの歌手に向かって「帰れ!」と叫んだ。 実際に「帰れ!」と言われた有名アーチストの音楽がどうだったのかは ここで説明する必要もないが、当時僕は「帰れ!」派と対立する 「帰るな!」派であった。 しかし、僕の考えが間違っていた事に30年経って気付かされた。 そのアーチストは数年前までテレビにみっともない姿をしょっちゅう さらしていた。 ある意味、今の若者からみたオヤジとしてのアイドルでもあったと思う。 僕は画面でそのアーチストを見るたびに、 「ああ、帰れ派は正しかった。彼らは30年後を予見していた」と思ったものだ。 情けなかった。
今のアーチストは恵まれている。(甘やかされているという意味だ) 「帰らないで!」とは言われても、絶対に「帰れ!」とは言われない。 それゆえに、かなり羞恥心に欠けるキャッチフレーズを堂々と 自らが名乗ったりする。昔ならシャレとして受け取られたであろうが、 現在は本人も聴衆も本気でそうだと信じているから怖い。 “起きぬけの革命家・森山直太朗です!”とかね。 これが合図だ。聴衆は催眠術にかかる。 あとはどんな内容の歌が歌われても、感動することが 仲間同士の決め事のように用意されている。 くっだらねー。と、思う。 大人によって検閲され、「毒を抜かれ」、 大人が“素晴らしい!”と絶賛するアーチストに入れ込んでどうするのよ?
30数年前、三上寛はまったく誰にも期待されず、 完璧に「彗星のように」ではなく、登場した。 彼の立っている場所は、おそらくは30数年経った今でも 数センチと移動していないだろう。 初志貫徹とはまさに三上寛のためにある言葉と 言えるだろう。
三上寛の登場に、異質な文化が北から突然都会にねじ込んできたかのような 衝撃を僕は受けた。 フリーセックスや同棲時代などという言葉に たじろいでしまった僕のような純情な人間が溢れていた時代だ。 その純情にいきなりナイフを突きつけて身包みを剥いでいったのが 三上寛だ。
彼の素っ裸の言葉たちは、当時の孤独な若者の心にしっかりと届いていたはずだ。 その若者も成長し、経済成長時代を通過し、三上寛を必要としなくなって いった。 失業者が溢れ、不況に喘ぐ今という時代に三上寛の歌は 必要とされている。 癒しの音楽や言葉に簡単に流される前に、 三上寛の歌の言葉に耳を傾けてみるべきだ。 あの頃、孤独な若者のこころを棲家としていた彼の言葉たちは、 今は、どのへんを浮遊しているのだろうか? 自分で探してつかまえてみて欲しい。
【哲学だの芸術だなんて 恐ろしいもんだぜ 表現だの創造だの ヌケヌケ言ってやがる たかが言葉のオリンピックじゃねぇか たかがたかがでたかがじゃねぇか 藤純子や高倉健を 芸術で語ったところで何になる何になる】
三上寛 『昭和の大飢饉予告編』より
響 一朗
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