Rollin' Age

2004年03月14日(日)
 新聞記者なるもの。

 前のサイトでのドタバタしてた就活の日記をご覧になってた方はご存知のように、4月から私は新聞記者になる。ということを知った人のうち何人かは、「あー、ジャーナリストになるんだね」とコメントする。いや、違う。新聞記者という仕事は、ジャーナリストと言うよりも、サラリーマンと言ったほうが、遥かに近いと思う。

 東に犯罪があれば夜討ち朝駆けで聞き込みをし、西に事故があれば警察署を尋ね、南に役所からの発表があればその記者クラブに行き、北で企業の新製品情報があれば担当者の話を聞きに行く。ジャーナリストなるものの条件が、自ら問題意識を持ち綿密に調査・取材を行うことだとすれば、新聞記者なんてのは、その条件を満たせない。上司から、あれ聞いて来い、どこそこへ行って来いという命令を忠実に、時には適当にこなしつつ駆けずり回る。現役の記者たちにその仕事っぷりを尋ねた結果、そういうもんなんだと認識している。まぁ実際まだ働いてみてもいないので分からないけれど。

 社会の木鐸だとか、真実の追究だとか、そうした理念は理念として、どうも彼らは忙しすぎるんじゃないかと、少し同情的に援護してみる。日本全国津々浦々、世界全体までを視野に入れると、情報源が多すぎる。国会・役所・警察署・企業などを中心として、全国に散らばるニュースの源をカバーするだけで、一苦労だろうと思う。

 紙面を見てみれば良い。「××によると・・・」、「××の発表によると・・・」などといった記事が大半のはずだ。それを、いわゆる「発表モノ」ばかりで、縦のものを横にするだけだという批判、新聞は政府や企業の広報誌にすぎないという批判も聞かれるが、ぶっちゃけある程度まではそれで良いのではないかと思う。「今日は、日本全国、そして世界では、こんなニュースがありました」というように、数多のニュースをひとまとめにし、整理して、三十数枚の紙面の中で提示することこそが、新聞の現実的で日常的な役割だと思う。

 だから新聞記者なんてのは、真実だとか正義だとかそんなものは建前として、現実は、とにかく日々与えられた仕事をこなしていくだけのサラリーマンなんだと思う。店の売り上げを上げるように要請されるマネージャー、顧客の新規開拓ノルマを課せられて頑張る営業マン、そういうのと何ら変わりない。ほぼ毎日発行される新聞の締め切りに間に合うように、情報を取ってきてそれを書いて上司に提出する、そんな毎日なんだろう、基本的には。

 そうした見方が妥当かどうかの是非は置いといて、新聞記者がサラリーマンだとしても、ちょっと違う、いや、だいぶ他とは一線を画する点があるのは否めない。

 先日、入社一年目の新聞記者を訪ねてきた。夜もだいぶ遅くなって、ようやく面会を果たすと、「とりあえず美味いものでも食べようか」と、店内に釣堀のある刺身の美味しい店へ連れて行ってもらう。その後、「じゃぁこの後どうしようか。夜の街にでも繰り出すか?」と。いやいやいや。ちょっと待って。別に風俗やりに来たんじゃないよ。色々と生々しい仕事の話を聞きに来たんだよ。その、生々しい話。一番きわどいのは、給料のことで。話を聞くと、正直、どうかしてる。バブル期のヤンエグかと思う。

 就活でたくさんの新聞記者に会ったけれど、彼らの多くは特有のオーラを持っている。傲慢、エリート意識・・・というと語弊があるか。何か漠然とした自信のようなものと言ってよいだろうか。それは、高級トリで、ジャーナリストもどきで、息をつく暇も無いような忙しさ、そういう環境が醸し出す雰囲気なのかもしれない。そうしたオーラを持つ、金に困ることの無い人々が、倒産した中小企業の経営者の気持ちだとか、金に困って犯罪を犯してしまう人の気持ちだとか、そういうのは分かりっこないんじゃないだろうかと、少し疑惑を感じる。

 一年後、私はどうなっているだろうか。貰えるものは貰うし、使えるものは使うけれど、それが当たり前だと思うようになったら、多分今の自分とは違う自分が、そこにいるだろう。


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