あたしと彼のこと
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2001年12月16日(日) せつないのは彼だった

煮物(彼の好物)を沢山作ったので今夜おすそ分けに行っていいですか?
そうメールで伝えたらば「あいよー、どぞー」と、返事がきた。

ということで、夜、さっそく行った。
彼は、かなり楽しいお出かけだったらしく、2日間の出来事を、時間を
追って話してくれた、あんまりたくさん話してくれたので、まるで一緒に
行ったような楽しい気持ちになっていた。
わたしはわたしで、特にたいしたことの無い休日だったのだけれど、唯一
煮物がうまく出来たのでその工夫と成果を自慢した。

喜びのなかでふと思ったのだが、この穏やかさ、最近やっと築けたものの
ひとつではないか、と気付いた。
昔は、このように穏やかに幸せを感じることは出来なかった。

むかし、と言っても、私達がまだ彼氏彼女と呼んでいたくらいのこと
私はとても不器用で、そして、こころに少しの余裕もなかった。
いつも、もっと好きになって、好きだと言って、好きだからこそ…
そうつぶやき続けていた。

でも今は、つぶやかなくて済んでいる。
言ってしまうと彼がせつなくなるのが分かったから、決して言わない。

彼が無言で差し出す「なにか」を見つけ、それを受け取る時、もっとほしい
などとは言わない。ほかのものがいいのだとも言わない。添える言葉を要求
したりもしない。ただありのまま、そのままを受け取る。
ありがとう、そう言う時もあるけれど、彼のくれる「なにか」は、何も言わず
喜んで受け取るだけで、たぶん良いものだと思う。きっと、ただ、ひたすら
貰い続けても良いものなのだと思う。

昔のわたしは、きっとあげる喜びしか知らなかったのだなぁ
でも今は違う、もらうのがこんなに嬉しい事なのだと初めて知った。
もらい始めたわたしも、あげるのを諦めなかった彼も、たぶん今、とても
幸せで嬉しい、と思う。

いっぱい愛させてあげたい、愛していたい。
つまりは喜びあう事というのは、そういうことなのかも、そういうふうな
仕組になっていたのだな、と、いまやっと感じた。


桑田そら |MAILHomePageBBS

読んでくれてありがとう。

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