おぎそんの日記
おぎそん



 語りすぎではないかい?

最近、とみに気になるのは、誰もが「語りたがる」もっと言えば「語りすぎる」ということです。

先日、Michiのファーストアルバムをレンタルしたのですよ。
シングルはいい感じだったので、BGMを期待して。

そしたら、語るわ、語る。
歌詞カードに、曲ができた背景やその曲にこめた思い、挙句の果てにはラストに心情の吐露ときた。
23で、ここまで言っちゃうかー。みたいな。

いや、好きな人つまりファンの人にとっては嬉しいでしょう。
おぎそんも、中島(みゆき)がそういうのを語ったら、微妙〜と思いながらも、多分嬉しいだろうし。

でも、これはファンじゃない人にしてみればこうなるのです。
押し付けがましい

そういうことなんですよね。

つまりは、先日も日記に書いたけど、リリースされたりリスナーのもとに届いた時点ですでに、歌い手のものじゃなくなっちゃうんですよ。
なのに、それを許さない、このように聞いて欲しいと思う、そしてそのことにためらいを感じない表現者。
・・・どうなのよ。

曲はまぁシングルだけ抽出すればいいかな、くらいでした。案外バリエーションがない。
もったいないなぁ。

あと、帰国子女売りなので、デビュー当初の宇多田ちっくに日本語と英語のちゃんぽんんまのですが、なんというかこれも上手くないので、すぐに飽きちゃうのですよ。

”自分のためにがんばれないんだったら、他人のために頑張ってもいいんちゃう?”みたいなことをCDの帯にも書いてましたが、まぁ、思春期にはいいかもーだけど、ちょっと23でこれを本気で言い出すのはちょっと心配です。


崖の下(29から転落ってことですよ)になって思うのは、「Don't dream,be it!」なんですよ。
年をとって、だんだん自分のできること、残された時間、能力でできることしたいこと、そしてできないことが少しずつ見えてくるような気がするのですね。だから、そういう意味で、迷いがなくなってくる。「夢」というのも非常に具体化できてくる。
そういう風に思うのです。
もちろん、思春期に見ていた「夢」とは少し違う意味合いですが、それでいいじゃんと言える、タフさもある。
そう、「許せる」んです。いい意味で。

そんなことを思いながら、天平「ピアニストになるとは思わなかった」(ポプラ社)を読んでいたのですが、この人もまぁ語りたがりですが、前述のMichiに比べればまだ許容か。
全てOKと言いがたい内容ですが(いろいろ考えるよね、こういう形で「成功」した人に対しては)まぁ、それを求める人もいるので。

ちなみに、おぎそん、これをリリースイベントでサイン付きで入手したくらいにミーハーです☆

いや、面白いじゃないですか、天平に限らずsuemitsu&the suemith(現 末光篤)>今年は、裏方に回って、木村カエラ「Butterfly」の作曲・編曲・プロデュース担当とかの道筋って。

そんなことを思ったりするこのごろです。

まぁ、さまざまな語るツールが出てきているので(webサイト、ブログ、SNSなどなど)、昔に比べ軽くなってる(自身の中で消化した上での発言でない)ような気もするのですけどね。

2009年11月30日(月)
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