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■ 算数の授業研究会
算数の授業研究会に終日参加。 元筑波大附属の正木先生や,s-mathメンバーの松村さんが, 橘小の子どもたちを相手に飛び込みに授業をし,検討会, さらには4時まで講演会と,多彩なメニュー。
常葉大学の学生の笑顔で迎えられる。 顔って大事だなと,改めて感じる。 「常葉大がいい」という声をよく聞くようになったが, 確かにこれはいい指導をしているんだろうなと思う。 こういう笑顔で,自分も生徒を迎えているだろうか。
角替学部長のあいさつは,さすがに時流をとらえている。
まずは,正木先生の授業。「数のピラミッド」 偶然,授業を参観していた隣に,筑波附属の田中博史先生登場。 これはラッキー。ついている! 写真で見たのと比べて,ずいぶんフランクな方。 正木先生の授業も,バッサリ切り捨てるつぶやきがなんとも面白い。 今日はこの人についていこうと決める。 「先生が問いを出し続けてちゃ駄目だ。」 「先生がほめてるなら,使わないと。 やらせて・ほめて・使わない を繰り返しちゃ駄目だ」 「その子じゃない,その後ろの子を指さなきゃ。 手が動いている。言いたくてたまらなくなっているんだから。」 「こういうときは,子どもの机の間隔をもっと狭めないと。 それだけでも子どもが安心する。 それに,黒板との間ももう少し狭くすると授業に集中できる。 そういうところにも,気を配らないと。」 「子どもにやらせろよ。 やりたくてしょうがなくなっているんだから。」 「ずれを起こさないと盛り上がらない。 子どもに追究する意欲が沸いて来ない。」
授業で,間を大切にされているのがよくわかる。 授業は生きた子どもを相手にしている。 自分の授業の硬さを改めて思う。 お二人の授業で共通して感じたのは, 個人の活動(追究)と,共同での追究の バランス・コンビネーションの難しさ。 限られた時間の中で,子どもたちの学びを どう創り出すのかで苦慮されていた。
また,どうやって,全員が考える授業にするのか, 1人だけが発言して広がらない授業にしないため 発言を止めたり,復唱法(?)など, こういう細かい技術だけでも,勉強になる。 午後の山本良和先生の講演でも,同様の話がある。 筑波大附属が積み上げてきた技術なのだろうと思う。
授業検討会は,パネルの発言者が, びっくりするほど思いっきりバッサリ切る。 いやーここまでバッサリだと,気持ちがいい。
また「数学的見方・考え方」についてのとらえが, 一般的な中学校の教員のそれとはずいぶん違う。 扱う内容によって左右されるものではなく, どの単元でも共通しているもので, 授業者の授業展開によって,大きく左右されるもの。 単元で扱う内容に関しては「知識・理解」であり これとは明確に線引きできるもののように感じた。 「授業者が意識して,年間を通して育てていこうと しないと,駄目なものであって, 観点別の表になど,書き込めるようなものではない。」 という,自分の理想に近いところを, 小学校の先生方は共通理解されているようにも感じた。 基本的な用語の共通理解がなされないと, 同じ言葉を使いながら,全く別の授業が繰り広げられることになる。 「数学的な見方・考え方」については, 是非どこかで議論したい。
静大附属の土屋先生とも,ゆっくり話ができる。 充実した思いで帰宅。
2004年01月31日(土)
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